もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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その4―船旅

 船が動き出した。

 

「モシ?」

 

 船室に備え付けの本をめくっていると低い駆動音が体に響いてそのことに気付いた。船内アナウンスもあったのかもしれない。聞きのがしてしまったようだ。

 

 読んでいた本はシンオウの神話について書かれたものだ。小学生が習う程度のものらしいが、単純とはいえ奥が深い。

 

 ヒトモシのミアカシが驚いてきょろきょろと辺りを見回す。

 

「時間になったみたいだね。ほら、お外を見てごらん」

 

 窓の向こうではじりじりと船が岸から離れていく様子が見えた。

 

「まあ、全4時間の長旅だ。ゆっくりしようか。高速船とはいえ、けっこうかかるな……」

 

 車イスの電源を落とし、車輪をロックする。

 

「よっ……と」

 

 手すりを頼りにアオイは簡易ベッドに身を投げた。

 

「すこし休む……危ないから外へ出てはいけないよ?」

 

 ミアカシはやはり誇らしげに敬礼した。

 

 こういう小さな仕草に心洗われる気分になっている自分がいる。

 

 アオイは目を閉じて、しばしの休息をとることにした。

 

 どうも、乗り物に乗ると眠くなってしまうのだった。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 ハクタイシティの住人が増えるのだと、連絡を受けたのは今から数か月前だった。

 

 いや、時間を言いわけにはするまい。単純に、本当に、純粋に、忘れていたのだった。

 

 どうりで相棒のルカリオは職場に来るたびに顔をしかめ、リザードはカレンダーをしきりに指差していたわけだ。

 

 そういうわけで。

 

「やっば! やばいじゃん!」

 

 ブラウンの髪をポニーテールにした女性――チャチャは盛大に焦った。

 

 きっかけは職場――ハクタイ生活支援センターに出勤してきたことに始まる。

 

 いつものように「おはよーございまーす」とやってきたら、職員全員がキョトンとした顔で

 

「あれ? 今日ってミオシティに行くはずじゃ……」

 

 しまった。

 

 自分の失態に気付くのにものの数秒とかからなかった。

 

 数十秒後、チャチャは急いで大型ワゴン車を駆るのだった。

 

「もーッ! ルカリオ! 気付いてたなら言ってよーッ!」

 

 言っても聞かなかったじゃん……。そんな顔をしているルカリオの隣で彼女はテンガン山脈沿いに走り続ける。

 

「遅れたのは……うーっ、すっかり忘れていたもんなぁ。あ、そうだ、連絡取っておかないと」

 

 やってくる人は、船で来るのだという。

 

 連絡先は控えてあるので大丈夫だ。乗船してから……30分か。

 

「あー……穏やかな人がいいなぁ」

 

 ルカリオが同意したように「ワゥ……」と頷く。

 

 最近、ハクタイシティはなんだか落ち着きが無い。

 

 妙な連中が多いのだ。

 

 あれもこれも白黒の制服っぽいものに身を包んだ、物騒な目をした連中がうろつくようになってからだ。子どもに影響があるんじゃないかと心配だ。

 

「いっそ、アラモスタウンに転職しちゃう? 観光客向けの商売なら、民間でも行政でも手が欲しいところじゃないかな?」

 

 現実逃避っぽいことを言ったのは、時空の塔の先っちょが見える付近に来たからだ。

 

 アラモスタウンは、ハクタイ民から見ると安定して経済な潤いがある街だ。時空の塔という歴史建造物のお陰だろう。きっと、生活水準もいいんだろうなぁ。

 

 しかし、アラモスタウンの話になるや否やルカリオがなんだか嫌な顔をした。

 

「どうしたの?」

 

 それどころか、あっちは嫌だというふうに顔を背けてしまった。

 

「アラモスタウンの話になるといっつもそうよね。なにか、波動的に嫌なものがあるの?」

 

 小難しそうな顔をして腕を組むルカリオはその理由を真面目に考えているようだった。

 

「……朝からこんなこと考えてちゃいけないね。ハクタイもそれくらいになれば……って思うことの裏返しよ。これから来る人にもハクタイの街を好きになってくれたらいいな」

 

 なんだかんだ住みやすい街になるよう、尽力している。

 

 それについて、誰かから反応が欲しくて……だからこの仕事は辞められないのだ。

 

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 モバイルが音を立てた。

 

 イッシュの大陸が小さな黒い塊になって消えていってしばらく経った。

 

 変わることのない景色でも飽きずに眺めていたミアカシが驚いて、窓の縁から床に転がり落ちる。

 

 主人のアオイは顔をしかめるだけでまだ起きていない。

 

 ミアカシは慌てて主人の車イスの収容ボックスの中から小さな鞄を取り出した。鞄は小刻みに震えている。ピピピ、という機械音がひときわ大きく鳴った。

 

 主人のお腹をペチペチと叩くと、うっすらぼんやりした顔で起きた。

 

「ミアカシ……? ん、電話……?」

 

 ゴソゴソと探るように鞄に手を突っ込むと、ボタンを押して耳に当てた。しかし、逆だったらしい、持ち替えた。

 

「もしもし……イッシュのシッポウシティのアオイ・キリフリですが。……ああ、ハクタイの……ええ……そうですか……分かりました……では、図書館でお会いしましょう……着いたらご連絡を……はい……よろしくお願いします……」

 

 会話停止ボタンを押すなり、眠くなったらしい。

 

 しかし、ミアカシの視線に気付くと彼は重そうな瞼を何とか押し上げた。

 

「港に着いたら迎えが来る予定だったんだ……でも、遅れてしまうらしい。それまでどこかで時間を潰してくれって。向こうに着いたら一緒に本を見よう。ミオシティって言ったら……たくさん……本が……」

 

 また寝息を立てて寝てしまった。

 

 当然のこと。

 

 ミアカシは暇になった。

 

 やがて。

 

 ちょっとならいいよね、という好奇心で外への扉を見つめた。

 

「モシ……モシ……」

 

 扉を開け、外へ飛び出す。

 

 途端に潮風が体を包んだ。

 

 初めての匂い、感覚にミアカシは思わず飛び上がった。

 

 窓の外から見るのとでは何もかもが違う。

 

 空をゆくキャモメを目で追い、しばらく部屋の前で空を見上げていたが、潮風に紛れてポケモンと人間の声が混ざって聞こえてきた。

 

 なんだろう。

 

 そんな好奇心に手を引かれるようにミアカシは歩いた。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 風に頬を撫でられて、アオイは目が覚めた。

 

 辛い匂いのする潮風は、あまり好きではない。胸が騒いで止まらないからだ。

 

(胸騒ぎ……悪いこと……)

 

 突然の不安に駆られるのは珍しいことではない。

 

『彼』がいなくなってから時おりこんなことがある。

 

 懐かしい痛みを伴う発作のようなものだ。

 

 ミアカシの焔を見つめていたい。

 青い、美しい、生命の光を――

 

「ミアカシ……?」

 

 姿の見えない相棒を探して、アオイは上体を上げる。

 

 部屋の扉が開いている。

 

(嗚呼、そうだ、いつだってそうだ)

 

 好奇心を留めるのに、人間の腕の中は狭すぎるのだ。

 

 アオイはすぐに行動を移したが、脚が動かないというのはまったく難儀なものだ。

 

「こんなっ時さえ、くそっ!」

 

 ようやくイスに座ると、電源を入れて、扉を開く。

 

 最悪のことばかり考えてしまって、探すことさえ躊躇われた。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 幸いなことにミアカシはすぐに見つかった。

 

 ヘリポートにもなる闘技場がよく見える手すり――そこで観客となっていたのだ。

 

「ミアカシ」

 

 アオイの声に驚いたらしい、ミアカシはビックリという顔をして、それからバツが悪いのか、ずいぶん元気のない「モシモシ」を呟いた。

 

「……ごめんよ。せっかく来たんだ。外に出ないというのがもったいないくらいだったね。ただ、次からは私を起こしてほしいな。君と同じ景色を見ていたいからね」

 

 アオイはノボリからこのヒトモシを受け取ってからモンスターボールに入れたことはない。

 

「ひとりにしたくないし、ひとりになりたくないんだ……」

 

 反省の色が見えたので、この辺でお説教はやめにしておく。

 

「何を見ていたんだい?」

 

「モシッモシモシッ!」

 

 膝の上にミアカシをのせて、アオイはヒトモシが指差した先を見て、ほんのすこしだけ顔を顰める。

 

「バトルか……そっか、ミアカシは……」

 

 本当は、戦うために生み出された個体だ。

 

「君も、やってみたい?」

 

「モシッ! モシッ!」

 

 ヒトモシは両手を挙げて「やってみたい」を表現する。

 

 しかし。

 

 困ったのはアオイだ。

 

 腕を組んで、髭のない顎をつるりと撫でる。

 

「そうか……いや、どうしても、というのなら止めないし私も協力するんだが……あれは、危ないよ」

 

 アオイが止めるのは目の前で繰り広げられているのが、最終進化であるゴウカザルとエテボースの試合だったからだ。

 

「ミオシティに着いたら、レベルにあった試合ができるところを見つけておくよ。それまでは、おあずけ。いい?」

 

 

 たぶん、ミアカシとしては譲りたくないところだったに違いない。

 

 しかし、約束を破ってしまった後ろめたさがあるのだろう。

 

 素直に頷いて、敬礼をした。

 

「オーケー。約束だよ、ミアカシさん」

 

 一番気乗りしないのはアオイだったが、意外と好戦的な性格らしいミアカシの一面を知ることができて、すこしばかり安心だ。

 

 いつだって、誰だって、何であれ、とにかく隣人のことはよく知っておかなければならないから。

 

 

 

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