もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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前衛的信者の憂鬱

 

 

 

 研究室で、ベルガは項垂れていた。軽率の代償は存外に重く心に堪えていた。

 

 タダより高いものはない。――ベルガの頭の中にはその言葉が巡っていた。

 

 これでベルガはこの業界で生きていく限り一生、パンジャに頭が上がらなくなった。

 いや、それはいい。そのことは、もう仕方がない。仕方がないので頭の隅に置いておく。

 

(それにしても)

 

 判断が一瞬遅れただけで、こんなにも後悔する。

 骨身に染み渡る不快で冷たい感覚を味わった。

 

(あの人も、こんな気持ちだったのだろうか……?)

 

 運の悪い男だと思っていた、侮ってさえいたかもしれないアオイのことを思い浮かべる。あれだけの事故だ。起こる直前にさえ後悔してもしきれない時間はたっぷりあっただろう。もちろん事故後も……。

 

 ベルガはこうして後悔している。

 

「そう気を落とすものではないよ。どうにかなることは保証された。もう大丈夫。だから君には明るくいてほしい。暗いとバレるだろう」

 

「先輩……。あの、結局どうしたんですか?」

 

「知り合いに似た形状の化石を手配を頼んでおいた。データとカメラの記録改竄はわたしがやっておこう。履歴まで弄らなければならないのは少々面倒だがアロエ所長のアカウント権限ならば問題ない。一晩あれば元通りだ」

 

 さらっと出てきたとんでもない言葉にベルガは顔を上げた。

 

「そ、そこまでするんですか……!? 所長のアカウントなんて……」

 

「アシがつく程度の技術しか無いのなら最初から改竄など提案しない。君が心配することは何もない。今晩もぐっすり安眠してくれよ」

 

 そう言って、パンジャはクッキーの包装を破いた。

 

「……ねぇ先輩」

 

「なんだい? あ、すまない。このクッキーはこれ1個しかないようだ。あとで補充しておくよ」

 

「は、はい……。そうじゃなくて……あの、あ、ありがとうございます」

 

「先輩としての役目を果たしただけだ」

 

「いや、あの、その、先輩ばかり働きっぱなしというのも……心苦しいんですが」

 

「後輩とはそういう役割だ」

 

 こともなげに彼女は言った。

 

「か、格好つけないでくださいよ! このことがバレたらあなたが困るのに……!」

 

「君が黙っていればわたしだってぐっすり眠れる。それともなにか。わたしを失脚させるために所長に告げ口をする予定でもあるのか?」

 

「そ、そんな勇気があるならわたしはジュンサーさんに自首しますっ!」

 

「それを聞いて安心したよ。この手が焼けるところは……うーん、どうにも少なくなってしまったからね」

 

 むしゃむしゃとクッキーを食べてパンジャは紅茶を飲んだ。

 

「どうしてあなたは……そこまで」

 

 言いかけて不意にベルガは気付く。きっとこのままでは彼女はまた言うはずだ。先輩だから、と。

 

「もしかしてアオイさんに何か言われたんですか?」

 

「冴えているようだね、君。別にアオイに言われたからなんでもやるというほどわたしは彼に傾倒しているわけではない。部下の責任をとるのは上司として正しい在り方だろう。それだけだ」

 

「いや、でも、わたしにとっては大きな借りです」

 

 言いつのるベルガにとうとう彼女が口を開いた。

 

「……そこまで言うのであれば仕方がない。手伝ってもらおうか。なに、簡単なことだよ。これから研究室で行われる一切の出来事を君は『見ない』し『知らない』。お口にチャックするだけの簡単なお仕事だ。それだけでいい。たったそれだけでわたしは君の働きに満足できるのだからね」

 

 ベルガはともかく頷いた。それがどんな意味を持つのか問うことはしなかった。

 その代わり、誓った。

 

(借りを返したらそれで終わりだッ! いつかその研究者生命を絶ってやる――ああ、必ず絶ってやる。手段を選ばないのは二流の研究者のすることだ! この二流ッ! 邪道め!)

 

 彼女のせいで道を踏み外さざるを得なくなった。彼女の提案さえなければ、今だってわたしは、わたしは、きっと――。

 

 弱い心に蓋をしてベルガは歯噛みする。おいしそうにお菓子を食べている彼女をできるだけ温度のない目で見つめることができているだろうか。

 

 悔しくて情けなくて自分で自分の首を絞めている、そんな感情をひとつだってこぼさないように心だけは平静に保ちたかった。

 

 しかし。

 

 まさかベルガの内心に気付いたわけではないだろうが、不意にパンジャがカレンダーを見た。

 

「『正しい』ことにこだわるのは間違いなく正しいことなのだろう……とわたしは思うが人間に恩恵を与えるのはいつだって悪魔と呼ばれるものだ」

 

「それがなんだって言うんですか……」

 

 ナンセンスを楽しむのはわたし達の特権だ。もうすこし会話を楽しもうじゃないか。

 彼女は穏やかにそう囁き、夕日に目を細めた。

 

「科学は中庸。すなわち調和だ。それが絶対的である限り科学者の行動について善悪を唱えることの意義というのは……どういう価値を持つのだろうね」

 

「わたしにはあなたが何をおっしゃっているのかわかりません」

 

「科学の力は素晴らしいと言っているんだ」

 

「はあ……そうですか……そうですね……」

 

 意味が分からない。何を言い出したんだ、この人は。妙な違和感を残しなんとなく会話は終わった。

 

 そのうち彼女に関わる謎は解明される前に深まりを見せ、とうとう全容は不明になった。

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 ちょうど1年前の今日、この研究室において語られたこと。

 

 

◇ ◇ ◆

 

 

 

『信頼する』と言うことは同時に『裏切られる』危険を常に抱えるということだ。そんな関係は息が詰まる。私達はもっと清い存在であるべきだ。……私の持論だが、君はどう思う? パンジャ?

 

 ――アオイが言うのならそうかもしれないが無償の信頼というのも良いものだと思う。それともわたしは信用に足りないのか?

 

 いいや、憂いを無くしておきたいだけだ。そしてそれは今朝、家に鍵を閉めたか確認するよりも分かりやすく手軽に確認できることが好ましい。そこで私は提案する。君と私の関係だ。

 

 ――ご覧の通りのありさまな関係だが。何か不満が?

 

 君との関係に私は満足している。満足というのが大切なのだ。十数年で培った友情は安くない。この場合、片割れの私は安くないと思っているだけの話だが……ともかく、これを担保として使えると思うのだが……どうだろう?

 

 ――『友情』を担保に悪巧みをするというのか?

 

 悪巧みだなんて後ろめたいことをしているような言い草はやめてくれ。訂正を要求する。

 

 ――訂正しよう。うん、なんだ、メイキング・ドリーム?

 

 妥協しよう。そうだ、私の夢――それがこれから私達の夢になる。どうかな。私としてはぜひ君にも加担をしてもらいたいと思っている、わけだが。

 

 ――君の提案をわたしは拒否しない。ただ……質問していいだろうか。『友情』を担保にすることだ。それでアオイは安心するのか? もっと別なものはないか? 具体的に、というと思い浮かばないのだが……。

 

「君を失いがたい」なんて。どうか私に言わせないでくれないか。お互い、恥ずかしい……だろう。

 

 ――おや。アオイでもそんなことを言うのか。すこし意外だ。まるで映画のワンシーンだ。顔が赤いぞ。

 

 私だって言葉遊びくらいする。君の冗談よりは笑えると思っている。クーラーを入れてくれ。

 

 ――ふふっ。違いない。当方、了解した。あなたの期待に応え続けよう。共同執筆者でも共犯者で何にでも成ってみせよう。あなたとの友情に感謝する。

 

 ありがとう。頼りにしているよ。やはり物事というのはひとりよりふたりのほうが良い。そうは思わないか? たとえ裏切られる結果があるとしても君ならば許せる気がする。

 

 ――ならば試してみるか? ここで。

 

 君こそ試してみるかい? 私に付き合えるほど辛抱強い君は稀だが、君に付き合えるほど温和な私もそうそう見つからないだろう。よしんば見つかったとしてその労力に見合う結果があるかな?

 

 ――冗談だよ。君とポッポレースはしたくない。

 

 ほら、君の冗談は笑えない。本当に笑えない。不愉快とさえ思う。

 

 ――すまないすまない、どうか怒らないでくれ。言葉遊びだって何だって試してみたい。あなたと会話できることが嬉しいんだ。春のそよ風が吹いただけ。夏の日差しが暑いだけ。秋の木枯らしがさみしいだけ。冬の雪が白いだけ。何でもないことでも、たとえくだらないことでも、言葉のキャッチボールがとてもとても楽しいんだ。

 

 ああ、そうだろう。そうだろうさ。そうだろうとも。「嘘だ」「白々しい」と思えない人格が、お互いお似合いなのだろう。まったく。……わたしだって君との時間は悪くない。

 

 ――あなたの夢に心からの Best wishを。わたしの全てを懸けるに値する。あなたの望む限り、わたしは役目を果たそう。

 

 君との友情に心からの感謝と尊敬を。ありがとう、パンジャ。私も君との約束を果たそう。私達は正しく友人で、最も良い隣人になれると信じている。

 

 ――あなたに完全なる同意を。さあ、アオイ。今後の方針を聞かせてくれ。障害は排除する。問題は無い。杞憂も恐怖も取り除こう。綺麗事と荒事はわたしがやるよ。そうして我々の夢は成し遂げられる。

 

 

 

「完全に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【あとがき、なわけだが……】

 2話に分けるかどうか迷いましたがあんまり短くなってしまうため、まとめてしまいました。

「ベルガ高い買い物をする」
 の段ですね。嘘はいけない、とは簡単に言いますがどうしても人に言いたくない失敗というものは往々にしてあるものなので簡単には責められないものです。しかし『隠す』と決めたのなら『隠しきる』覚悟をしなければなりません。覚悟の甘さがまだまだベルガにはあるらしいです。


「アオイとパンジャの回想」
 パンジャが全面的にアオイの夢に協力するきっかけになった話になります。「友情」という概念についてパンジャはアオイよりも複雑で膨大の情報量を持っていそうです。しかし、担保(保証を兼ねる)になる「友情」に対してアオイは詳細に定義をしませんでした。それどころかアオイは友情を含めパンジャを「失いがたい」と茶化し、ごまかしながらも本心の一部を告白したのに対しパンジャの意志確認を行わなかったのは、迂闊というより彼女を信用しすぎているため、またはアオイが抱く恐怖心のためそこまでする必要性を感じなかったというどうしようもないオチがあとでつきます。


「筆者が解説してどうすんだよって話」
 ネタバレではないのでセーフ。ではなく、登場人物の行動のいちいちに意味を持たせて書いている(はず)なのであとがきでつい書きすぎてしまうだけです。でも普段のあとがきはたいていどうしようもないくうだらないことを書いているので読み飛ばしてくださいね。
 

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

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