もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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 「決裂」章、「前衛的信者は夢を見る」章、そして間章のため時間がわかりにくくなってしまいましたが今話は「決裂」章の41話「焦げた情熱」の続きとなります。

 君、久しぶりだね……と思っていただけたら幸いです。


異変の終結にまつわる、大人の事情
世にも奇妙な信頼の形


 アオイは平日の真っ昼間に森へ来ていた。彼/彼女……この際、性別など些末のことなので便宜上「彼」とする――に会うためである。仕事はそのため別の日に振り替えてしまった。

 

 アオイは精一杯に椅子の上で背伸びをして声を張った。

 

「ダークライ! ダークライ! このへんにいるんだろう! すこし聞きたいことがあるんだが……」

 

「ナンダョ……」

 

 森に入るなりの出来事だ。うわああああ、と言ったかどうかアオイは分からない。それほど急いでいたのだ。

 

「夢のことだ。君の専門分野だろう?」

 

「センモン……? アァ、得意ってヤツな」

 

「そう。それそれ」

 

 ピッと指を立てアオイは頷く。ミアカシは連れてきているがかなり暇そうだ。あまり暇なので地面からぬるり現れたダークライがどうやって浮いているのか地面をローリングして調べはじめるくらいには暇を持て余している。

 

「それで? ナンダョ」

 

 高速移動じみた速さでミアカシを避けながらダークライが言った。しかし、顔というか目に冴えがない。

 

「あの、あぁ……その、もしかして、だが……寝ていたのかい?」

 

「アァ、エェト、ソウ、オカゲサマ、で」

 

 皮肉を言われてしまったのだろうか。

 判断に困る言葉に、とりあえずもってきたキノミを差し出した。

 

「邪魔をして申し訳ない。不躾を承知で来たのは、あの、私が来たのは……その、つまり、だ……夢の中身のことなんだ。どうしても聞きたい……ことがある。確かめたいことが。君は、ひとに見せる夢のことをどれくらい分かっているんだ?」

 

「……サァ。分からないコトが多イ」

 

「君の夢だろう? それなのに分からないのか?」

 

「ヒトはポケモンは、みな悪イ夢だと言う。コノ頃はオ前くらいダ。夢ニツイテ興味ヲ持っているのは……ダレモ忘れたがる」

 

「……つまり、君が知らないのは誰も夢のことを語らない、から?」

 

「ソレモあるが……デ? 何を聞きタインダョ」

 

「夢の中でわたしは、その夢で思い出せないことが……。いや、違うな。なんと説明したらいいのか。ダークライ、まず前提として、前もって知っていて欲しいのだが、わたしはこの脚と一緒に大切な友人を失っている」

 

「……ソゥ。大変ダナ」

 

「その夢の中では私は……ちゃんと脚が動くことに気付いた。でも分からないことがあった。私はどうして『脚に怪我が無いか確認したのか』ということだ」

 

 アオイは傷の残る膝を撫でる。

 

「私はその時、何か大切なことを忘れているのに気付いたんだ。とても大切なことを。今の『私』を作る大事なことだったのに。夢のなかでしばらく時間が経ってから思い出した。思い出すことはできたんだ。だが、どうして『思い出さなければならなかった』んだ? 思い出す必要がない出来事だ。私にとっての傷で忘れるはずのない『彼』との思い出のはずなのに……。なあ、ダークライ? 教えてくれ。君は夢のなかに『触れられる』のか? そうして私の認識をすこしだけ歪めたのか? だから私は『彼』のことを思い出せなかった。あの夢での私の意識は『君の力が作用した』んだろう?」

 

 自分で何をいっているのか分からなくなりそうだったが、ともかくアオイは言いきった。顔色は辛うじて平静を保っていたが、思考は混乱の極みにあった。そしてとうとう感情的にダークライのところに来てしまっていた。

 

「残念?ダガ……何もしていない。何も知らない。嫌な夢は、嫌なものは……時間のナカに沈んでいくモノだ。ダカラ、オ前の夢ハそういうモノなんだろう」

 

「…………」

 

 そんな。

 小さな声でアオイは言った。それは音声になっているか怪しいほどの吐息だった。

 

「それじゃ……それなら、私は、忘れようとしているのか? あの出来事を? あの子のことを? 忘れかけようとしているのか? だからあそこが夢だと気付いてもあの子のことを思い出せなかった? そういうことなのか……?」

 

「『生キル』っテそういうコトだろう」

 

 臭い物には蓋をして、都合の悪いことは改竄して、邪魔なものは消してしまって。そうして『生きる』。

 

 アオイは眩暈を感じて手すりにすがった。

 

 恐らく人間として正しい生き方だ。人は全てを抱えて生きていくには小さい器の生き物だから。

 

 だが、ダメだ。

 

 これだけは譲れない。譲ってはいけない。これを譲ったらこの現実の、このザマは何なのだ。アオイ自身が分からなくなってしまう。

 

 それでも、限界は訪れる。

 

(記憶を鮮明に保ち続けるなんて……できるわけがない)

 

 詳細を思い出そうとすればするほど指の間から砂が零れるように過去の光景は欠けていく。

 

 賢さは『はじまりの睫』に似て、ある種、不幸の呼び水なのかもしれない。

 

 それに気付いたせいでアオイはシンオウに訪れてから初めて我を失うほど狼狽した。

 

「あぁぁぁああああッ! ダメだ……! ダメだ! ダメだ! ダメだ! どうすればいいんだ!? 記憶は欠けていくのに! 現実は! この世界は止まってくれない! まして戻ってくれない! 横暴だ! 暴力だ! 正義はどこにある!? 私は、こんなにも『あの時』に釘付けにされたままなのに――!」

 

「…………」

 

「他の人は、きっとこんなことをいちいち考え込んだりはしないのだろうな! でも、私は違う。前に進むには、今どこにいるか認識する必要がある。いまどこにいるかも分からないのに地図を広げてどうするんだ? 前に進めないのなら歩くことに意味など無い。だから! 私は、ダメだ。いよいよもってダメかもしれない……! 忘れるなんてそんなことがあってはいけないのに……。ああ、申し訳がない。すまないなんて口が裂けても言えない……申し開くために内実を失うなら全て意味が無いというのに……」

 

 アオイの目はぐるぐると地上と天を交互に見ていた。

 

 異常な切迫感に追い詰められて彼は髪をかきむしる。

 

「考えなければならない、考えなければ、最善を……最高を……現状を受け入れるための飛躍した理解力を得なければならない、あるいは、努力を……維持しなければ……記憶を……記録を……留めるための……機会……過去の保存を――」

 

「ドコにいるか分からなくても人間ってヤツはベツに大丈夫だろう」

 

「……君に何が分かるんだ」

 

 君に、ポケモンの君に、何が分かるんだ――。

 からからに乾いた喉から割れた声が出た。この深い森よりも鬱々とダークライを見つめてアオイは呟いた。

 

「人間ニハ明かりがアルだろう……。ダカラ、暗くてモ、マァ、大丈夫ダろう?」

 

「明かり……? 電灯のことか……?」

 

「ソレニ、ほらあのローソク。歩くニハ困らないダろう?」

 

 ダークライは草むらをローリングしているミアカシを指さした。

 ひどいぬかるみに落ち込んでいた思考が弾けた。

 

 しばらく呼吸さえ止め、アオイは切れ切れに言った。

 

「……は、はは……。そう、だな、歩くのは、困らないな。私の脚は、こんなだが……」

 

 会話は完全には噛み合っていなかったが、それでもポケモンに言葉で慰められた人間も少なかろう。素朴な感性が疲れたアオイの心にひとしずくの感動を落としていった。深いことを考えていないわけではない。それでも、過去を認めて生きていけるのなら素晴らしいことなのだろう。そう思う。

 

(……私は、こだわりすぎるのだろうか)

 

 過去を保ち続けることに固執するのは、感情の強さと愛情の裏返しだ。そう思っていたのだが……別の形が世界にはあるのかもしれない。

 

 まだ。

 

 まだ……。

 

『まだ』だ。

 

 悲観するには早すぎる。

 

 額に手を当てて、嫌な汗を拭う。

 

(落ち着け、私。冷静になれよ、アオイ。静かに呼吸を整えて……それからこれからのことを考えればいい。夢の出来事は――次があるなら……ずっとあの日のことを回想して夢に入ってみるのはどうだ。そして完全な『不意打ち』か『無意識』が夢への鍵だとすればどうだろう?)

 

 前向きに、思考を変えていく。不安があるのなら対応策を作って、心の平静を保つ。

 

「ア」

 

「なんだい」

 

 ダークライがあたりを見回した。

 

「オ前の、ろーそく、どっかいッタ」

 

「えええ、ローソク……? ミアカシ! あぁ、うーん……心配は心配だが、そのへんにいるだろう、たぶん。話し声がしていればきっと来るさ」

 

「ソれで、イいのか」

 

「まあ、いまのところは。――ミーアーカーシさーん、戻ってきてくれよー。これでよし。いざとなったら探すのを手伝って欲しいところだが。ああ、ダークライ、今日私が来たのにはもうひとつ用事がある」

 

「ナに」

 

「このままだと近いうちに君のことが私以外の他人に知れる。そして彼らは恐らく『君』だと確実に確信するだろう」

 

「…………」

 

 さすがのダークライもこれにはすぐに反応することができなかった。

 

「おっと。あらかじめ言っておくが、私が彼らに何か言ったわけではない。それくらい君の習性が周囲に影響を与えてしまうというだけのことだ」

 

 よけいな一言を付け足したのはダークライから言葉を引き出すためだった。案の定、彼はそんなこと分かっているとどこか苛立たしげに言った。

 

「ソれデ?」

 

「私から提案させていただくとすれば、彼らが君のことを知る前にさっさとバラしてしまうのが最も良いと思う」

 

「……ナンデ」

 

「こちらから言い出せば敵意が無いことを証明できる。少なくとも心意気は伝わるだろう。勝算はある。相手はこの街でも物わかりの良い女性だ。しかもむやみにポケモンの環境に手出しはしない。『ポケモン同士の縄張り』の問題だけならば」

 

 思いやりのある女性のようだからね、とアオイは小さく付け足した。

 

「……アカイのはドゥシテ、助けテくれるのか?」

 

 近くの茂みが大きな音を立てた。なにかやりきったような顔をしたミアカシが出てきた。それにニコリと微笑んで手を差し伸べる。ミアカシはふたりの間に流れる荒風のような空気を知らない。それがふたりを救っていた。

 

「君は、私にとって何の害も無いからだ。むしろ……いや、ミアカシ嬢も君のことを気に入っている。それから庭のきのみを私とミアカシ嬢だけで消費するのは不可能だ。そして、私の名前は『アオイ』だ。アカイのじゃない」

 

 アオイは信用されにくい笑みを浮かべ、ひらひらと手を振った。だが表情を読まれないようにさりげなく首を傾げる癖に気付いて、顔を真正面に向けた。

 

「しかし、これは君が決めなくてはいけないことだ」

 

「…………」

 

「私達の忘却が避けられないように、君が逃げ隠れして暮らすのも正しい在り方なのかもしれない。他のダークライがそうしているようにね。そしてそれに殉じるというのならば私は止めない。君たちポケモンの生きる権利は人間の誰も冒せない」

 

「……フン、人間ッテのは、ムツカシイことが好きダヨナ」

 

「そのなかでも私は特に好きな部類の人間だ」

 

 ダークライは品定めするようにアオイの周りをぐるりと一周した。それから。

 

「任せル。マダ、キノミ……食ベテナイシ」

 

 足下を転がっているミアカシを拾い上げて短い草を払った。

 

「マダ、このロウソクと上手く話セテナイシ」

 

 モシモシとはしゃいだ声を上げるミアカシをアオイの膝の上においてダークライは左手を振る。その背に向けて、アオイは声を張った。

 

「了解した。私は君の信頼に応えよう。君が私を信じ続ける限り、私も君に最善を尽くすと誓おう。君の勇気に敬意を。……実のところ私は他人から信用されにくい性でね。君に頼られて、その、ちょっとだけ嬉しい、かな」

 

 彼は振り返った。アオイの声は決して気弱ではない。しかし哀しみがあった。

 

「ハッキリ言えよ」

 

「残念かもしれないが『ありがとう』は言わない。私が惨めになる。だからこそ最善を尽くしてみせよう。彼らの追求を君に向かせないよ。ただ……君に協力してもらうことがあるかもしれない。その時はよろしく」

 

「こういう時は、リョゥカイ、とアカイのは言うナ」

 

「……まあ、そうだね。あと私は『アオイ』だ」

 

 アオイはちょっぴり肩をすくめて笑ってみせた。慣れない高揚感に頬が赤くなっているのがおかしいのかミアカシが「モシ?」と不思議そうな顔をしていた。

 

 

 この日、ポケモンに信頼されるということをアオイは初めて知った。

『彼』との間にはこんなことはなかったし――少なくともアオイはフワフワした関係ではなかったと思う。そして空しいことに『彼』がどう思っているかなんて二度と知る機会は無い。――ともかく、アオイは我知らず興奮していたらしい。

 

「うわあ、熱い」

 

 膝の上にのせたミアカシの焔が膨れあがる。

 鼻先を焦がしかけたアオイは「うぐぅ」とミアカシをつまみ上げた。

 

「モシ?」

 

「ん……ありがとう、と言いたいだけさ」

 

 そしてまた鼻を焼かれそうになった。素直になった途端にこれだ。思わずアオイは小さい声で笑ってしまった。




【あとがき】

 『前書き』にも書かせていただきましたが、久しぶりに主人公のアオイが出てきました。(いつぶりだよ……と思ったら約2ヶ月ぶりでした)

「決裂」「前衛的信者」「間章」を間に挟んでしまったのは今後、彼らに焦点をあてる機会が少なくなってしまうため(でも、ちゃんと出てきます)サクッと掘り下げたかったからです。しかし筆者の稚拙な計画が災いして面倒くさい感じの構成になってしましました。まとまったものを読んでみるとアクロマのくだりとかその時にさっさとやれよという感じです。後で加筆しつつ順序の入れ替えをおこなうかもしれません。ご了承ください……。


【記憶は保存できるか?】
 アオイの心配は常に自分が『彼』のことを愛し続けられるか、という点にあります。今のところ、そのためには記憶が大切だと考えているようです。

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

  • 登場人物たち
  • 物語(ストーリーの展開)
  • 世界観
  • 文章表現
  • 結果だけ見たい!

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