もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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彼の知らない信頼の形

 

 

 信じる、ということにアオイはとんと慣れない。

 自分の大切なこと誰かに預けるのは、自分が誰かの大切なものを預けられるのは、とても不安でたまらない。たとえるなら四六時中監視されているような不安で神経がすり減る。もし足が歩くのならば1秒だってじっとしていられないほどに落ち着かない気分にさせるのだ。コウタが聞けば「シンケー質ってヤツなんだよ、お前は」と小馬鹿にしたように言うだろう。

 

 コウタは友人だが、アオイにとって残念なことに「信頼している」とは言えそうにない。彼の悩みを知っていてもその解決にアオイの方策が役立ったことなどないからだ。

 

 血肉を分けた親の愛でさえ有償だのに他者との関係に無償の関わりなどあるわけがない。そもそも存在しないと信じているアオイにとって「信頼」は焦がれる苦さをもった言葉だ。

 

 その証拠にアオイ「信頼」できるパンジャには友情という担保がある。失い難いものを懸けて合ってこそアオイの信頼は成り立つものだった。

 

(しかし、どうやら我々が少数派らしい。パンジャ)

 

 車イスの手すりに肘をついて行儀悪く頬杖をつきながらアオイは遠方の親友に語りかけた。

 

 嫉妬と恐怖に荒れ果てた心に、素朴な感情が染み入る。痛みさえ伴っていた。

 

 言葉が分からない人とポケモンとの間でさえこうして成り立つことができるのだ、まして言葉が通じ合う人ならばなおさらだ。

 

(これは勇気の問題じゃないな。そういう信頼の形を……私は知らないんだ)

 

 心満たされない貧しい生活をしていたことを見せつけられる。ナタネとダークライは眩しかった。

 

 

■ □ □

 

 

 はじめまして!

 

 ねえ!

 

 きみは、どこからきたの?

 

 ほかにもいるの?

 

 もし本当にいるのなら一度だけでも会ってみたいと思っていたんだ!

 

 ありがとう!

 

 この世界には、君がいてくれるだけで叶えらる夢があるんだから!

 

 ありがとうね! 

 

 

 

 □ ■ □

 

 

 

(……しっかりしろよ、私。ダークライは引きずり出されたんじゃない。逃げ出してきたんじゃない。まして好奇心などではない。私以上の覚悟を決めてここに来たんだ。私の言葉を信じて来たんだ。『ナタネ』という少女の決定がこの町に大きな影響を及ぼすという言葉を信じたんだ)

 

 あぁ、喉が渇く。

 乾いて乾いて、痛くて苦しい。

 

 それでも。

 

 唇をひきしめ、アオイは彼女の背を睨んだ。

 

(正念場だ! たったひとりを説得する! たったひとりのポケモンの存在を、たったひとりに伝えるだけだ……! それくらいできるだろう、私にだって……! 私に……! 私にも……!)

 

「アァ、エェト、こういう時は、アリがとう、と言うのな、アカイの」

 

 呼吸を整えた。それなのに指先が震えている。

 スポットライトが当たったかのようだ。アオイは自分が世界中から狙われている気がした。

 

 居心地の悪い世界だ。

 

(私は、本当に知らないんだ。こんなこと。誰かのために頑張ることが……誰かに信じられる「重さ」ってこんなに……痛いものだなんて)

 

 アオイの表の顔を担当していたのはいつもパンジャだった。そう振る舞うことでようやくまともな人間になれていた、ああ。思い出した。そうだ、表の顔を担当していた彼女も震えていた。怯える彼女を唆して舞台に乗せたのはいつだって自分だった。

 

 過去の臆病な自分が巡り巡り、数十年と数ヶ月の歳月を経てアオイを追いつめた。そのきっかけが失敗を忌避する過度の恐怖から生まれたものだとしても――カントーで言うところの「身から出た錆」というヤツには違いない。

 

(覚悟を決めろ)

 

 硬い表情でアオイは頷く。

 

「ああ、間違いない。……ナタネさん。彼に敵意が無いということは信じてくれないか? 森に一番近いところに住む私たちに何の影響も出ていないんだ」

 

「……そう、だね」

 

 彼女は何かを考えるように腕を組んだ。

 アオイは「それに」と言葉をつのる。

 

「ポケモン同士の関係だ。私たちが手や口を出すのは利口な行いではない」

 

「……そう、なんだけどね。いいや、違うんだよ。アオイさん。あたしはダークライと出会えて嬉しい。とても嬉しいんだ。出会えたことはとてもとても嬉しいんだ。でも、この街には喜べない事情がある」

 

 ダークライがミアカシとラルトスと遊んでいる。彼の手にかかればミアカシもラルトスも小さく可愛いやんちゃなポケモンに変わりないようだった。

 

「…………?」

 

 彼女の悩みに気付けなかったのは、アオイが単に外来者だったからだろう。 

 

「あたしは……不安なんだ。あの洋館のことがあってから……そう、とっても不安なんだ。この街は……傷ついている。分かる? とても傷ついている。誇りが傷ついているんだ。きっとアオイさんの想像以上に」

 

「…………」

 

「ごめんね。手放しでは喜べないよ。街を守る。……あたしには責任がある。勝手な責任かもしれないけど、あたしがあたしに決めたんだ。だから、あたしが守るんだ」

 

「変化が必ずしも悪いものではありません。たしかに彼のちからは人間にとって幸をもたらすものではない。でも、それに何の問題が?」

 

 ぽつり、ナタネの曇り顔に年にそぐわない表情が浮かんだ。それはアオイに緊張し張りつめた果実を思わせた。けれど熟れることは無いのだろうとも思った。熟れたら後は腐るだけだ。

 

 彼女の意志は実を結ばない代わり、決して腐りはしない。

 

 アオイが待ちわびる決意とは違う種類の決意だった。

 

「アオイさん、あたしは譲れない。――何かあれば大事になる。そして何かあるとすればそれは真っ先にあなただ。臆病だってわらわれたって心が狭いって指をさされたって構わないが決して譲れないよ」

 

「ああ、そうだ。そうでしょう。そうでしょうとも。けれど大事になるのはミアカシも同じです」

 

「…………」

 

「彼女が燃やしているのは私の命だ。彼女と出会わなかったら私は今よりずっと長生きできるだろう。引き替えに意味のない人生に箔がつくだけだろうがね。それを考えればダークライの性質はヒトモシよりも良心的だと思う。もっとも、短期において『見た目に現れやすい』という意味だが。彼に限らず人間にとって有害になりえる性質をもっているポケモンは多くいる」

 

「…………」

 

 ここまで言ったところで彼女は次にアオイが次に何を言うのか分かったようだ。結んだ唇が一瞬だけ息を飲み込むために開き、閉じられた。

 

「あなたが『それ』を始めるのなら、ずっと続けなければならない」

 

 アオイの車輪の下でポキリと細い枯れ枝が折れた。

 

 ――町が有害と定めたポケモンの排除。

 

 ダークライの存在を認めないというのは、そういうことになる。

 

「一切の例外なく、一片の有情なく行わなければ、意味がない」

 

「……それは」

 

「事態はあなたの決断に留まらない。その時は、もう始めた時と同じように終えることはできない。自己完結は許されず、次代へ託さなければならない……。私には本当に理解が及びませんが、あなたの町を守るというのは、つまりそういうことでしょう?」

 

「…………」

 

「やるのであれば『全て』だ! あなたは徹底しなければならない」

 

 テーブルに掌を叩き付けてアオイは言った。

 

「いいや、それでもやるよ。…………なんてさ、あたしが言えるわけ、ないでしょ」

 

 彼女の目は、家の角を見ていた。

 火をもって近づけば炎になる空気を遠巻きに見ているミアカシを見て、目を細めた。

 

「ねえ、アオイさん。あのヒトモシといっしょにいるの……なんで? 命を燃やしているんでしょう? あなただってただでは済まないのに」

 

「もう命を使うしか能のない男というだけですよ。まあ、こんな生き方を誰かに強要するなんてできないですが……」

 

「それ、脚のことと関係ある?」

 

「ええ、まあ……。別に自棄になっているわけではないですよ。いまの生活は……私なりに納得をしているんです。…………ナタネさんこそどうして町にこだわるんです? 旅に行く若者は多い。いまどき生まれた街にこだわる若者も少ないと聞きますが」

 

「あたしは浪費するだけの人生なんて嫌だ。誰かに浪費されるのも嫌なの。旅をするように流されて、分からないままに終わりたくないだけ」

 

 ナタネはミアカシとラルトスを手玉にとるダークライを眺める。

 

「それならみんなの役に立ちたい。みんなの役に立つのなら育った町の役に立ちたいってだけ。あたしの進路はあたしが決めた、後悔はまだしていない。するはずないって思ってる。だってあたしは……この町がずっと好きだから」

 

 故郷に苦い思い出しかないアオイには分からない理由だった。けれど素晴らしい。

 

 ミアカシが遠くではしゃぐ声が聞こえた。あぐぅ、と喉の奥で声が潰れた。ダークライは、小さいポケモンの扱いがアオイよりよっぽどうまいらしいことをここ最近認めざるをえなくなっている。

 

「……ダークライのことを考えたら、とてもではありませんが冷たくことなんてできなくなってしまいましてね。悪夢のせいでどこへいったって爪弾き者です。でも、さんざ命を弄んだ私にさえ居場所があるのだ。ただ生きているだけの彼に安住の地が無いのは……とても寂しい」

 

「そうだね、……そう。信じているよ。あの子がここに来たことが良いことだって。変化っていうのが悪いことばかりじゃないと……あたしは信じたいよ」

 

 ナタネはアオイに右手を出した。あぁ、とアオイも手を差し出す。キュッと握った手のひらは柔らかくこの街を背負うにはあまりに小さく脆い。

 

 そして、ひらりと身を翻した。

 

 

 

■ □ ■

 

 

 

 自分が必死になって行ったことほど、失敗して取り返しがつかなくなる。

 

(ナタネさん、聞いていただけないでしょうか)

 

 言葉を重ねるたびに思う。

 

(ああ、失敗してしまう。きっと失敗するぞ。ダメになる。私が触るとぜんぶがダメになってしまうんだ)

 

 遠ざかる母の背中が最初の失敗だ。

 アオイがどんなに言葉を重ねて手を引いても振り返ってくれなかった母。今だってあの時どうすればいいのか分からない。

 

 目の前で、これまでの失敗の景色が浮かんでは消えた。不安と恐怖で押しつぶされそうだ。

 

 声が、うわずった。

 

(でも、やるんだ……! 私が始めたことを私が遂げる。当然のことを当然のように、私だってできるはずだ……!)

 

 偶然、うまくいかなかっただけだ。

 

 誰かがそう言えば何かが変わったのかもしれない。でも幼い彼の現実はひとり残された家だけだった。

 

 その後の人生においても繰り返した失敗がアオイにそれを学習させていた。誰よりも失敗を恐れ、成功にこだわる。そのためには手段を選ばない。彼の姿勢はそうして生まれた。

 

 うまくいったと思ったことさえ次の瞬間には不満足の何かに見えた。そのうち最初から不完全なものを目指していたんだろうと考えた。だから、アオイのやることなすこと失敗だらけだ。

 

 満たされることがない欲求は、満たされたことのない経験の産物だ。

 

 彼は満足というものを知らない。数え始めた数字に終わりがないようにアオイの願いにも終わりがなかった。

 

 

 

 だからこそ。

 

 

「あリガと、な、アオイ」

 

 ダークライにそう言われた時、アオイはどんな顔をすればいいのか分からなかった。

 

 これが成功なのだと思う。

 ナタネは説得できた。ダークライはここにいることができる。

 

 1が0ではないように。失敗ではない、だから、成功だ。

 

「あぁ……そう……。そうか……よかった、な」

 

 肩すかしの感触がアオイの喉を過ぎて音を作り出していった。

 

 




【あとがき】
アオイ、腹を括るの巻。



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