ああ、どうしてこんなに。
「空が綺麗だねぇ、ミアカシさん……」
眼下で繰り広げられていたポケモンバトルはひと段落していた。
ちょうど昼食時間ということもある。
フーズを食べながら、進化前の小さな子は駆けまわっている。
ヒトモシのミアカシは早く次が始まらないかとそわそわしているが、当分先になるだろう。
「午後の時間が始まる前に、私たちも食事にしよう」
「モッシ~」
ミアカシが両手を挙げた。今朝はずいぶん早く家を出たから、それはお腹減るね。
「あっポケモンフーズの新作が出ているらしいよ」
意外と楽しみにしているらしい。
オレン味が好きらしいが、アオイ的にはいろいろな味を食べてほしいと思っている。
だが。
(売り上げの4割がオレン味って、宣伝頑張りすぎだよ……)
フーズの売り上げが全てではなかろうが、世の中のポケモンの栄養偏っているのではないか、心配だ。
「バランス良く、食べないとね。オボン味もたまにはいいだろう?」
「……モォシ」
「健康な体と健全な精神――つまり心だ。それが大切なんだよ。人間でもポケモンでもね」
車輪を動かし、食堂に入る。
ものの数秒で逃げ出したくなった。
「…………」
たくさんの人がいる。そりゃ、そうだ。今はお昼なのだから。
車イスで視線が低くなると、他者からの視線に敏感になる。
じりじりと体を焦がすような、嫌な目線が気になった。
「ミアカシ……ひとりで、食べれる、かい? ……いや、無理か……なんでも――」
「あの、もしもし?」
「モシモシ?」
ミアカシが反射的に右手らしいところを上げる。
いつの間にか隣に立っていた老人を、アオイは軽く顎を上げて見つめる。
「失礼、道を塞いでいましたね……ミアカシ、部屋で食べよう」
「ああ、いや、そういうわけではなくてね。もしよろしければ、一緒に食事を……とね」
老紳士の言葉をアオイは断ろうと思った。
しかし。
ふわりと黒い布のようなものが視界を遮った。
「……?」
ムウマージだ。
本物は初めて見た。
ふよふよとヒトモシの周りを廻っている。
同じゴーストタイプで気があうのだろうか……。
しかし、アオイは涼しい顔で手を振った。
「――いえ、自分は部屋でゆっくり食べますよ」
「まあ、そう言わず。テラスのほうで助手に席を確保させていましてね、底意地知れた二人で食べるのも味気ない。物事に取り掛かるのはやはり3人でなければね」
「は、はぁ……?」
よく分からない理論に背中押されて、アオイは頷いてしまう。
ヒトモシがムウマージとお話らしきコミュニケーションをしている。
◆ ◇ ◆
「ハクタイシティに? 仕事かい?」
「ええ、そんなところです。気分を変えに、外へ繰り出した……そのついでに住んでみようかと」
アオイは真実を潜ませながら、新聞記者であるという老紳士キタノと助手のヒガシノに話をしていた。
彼らは単なる興味で話しかけてきたのではないらしい。なんでもキタノの奥方が同じように車イスで生活をしているのだとか。
善意に甘えるとしよう。どうもこの体になってから他人の良心というものが信じられなくなっている。恥ずべきことだと思う。
しかし。
「いやー、それにしても、新天地で生活かー……いいなー、やってみたいなー」
「君、10歳の時から旅をしていたと自慢していたじゃないか」
「旅と居住はやっぱり違うんですよ! なんていうか、その地域の雰囲気というか、そういうものを味わいたいんです」
ヒガシノという若い彼女は遠い目をしながら夢を語る。
シッポウシティにいた頃、アオイの同級生と同じ年の何人かは10歳で旅立っていった。生半可な気持ちで行って途中で帰って来た人もいるし、バッヂを集めてきた人も、見聞を広める為だけに旅をしてきた人もいる。
彼らの旅物語を朝が明けるまでねだったのが遠い遠い昔のように思えた。
「旅は、楽しかったですか?」
「そりゃもう! 楽しかったですよ!」
ヒガシノは藍色の目を大きく見開き、やや身を乗り出した。
「同郷の仲間が1人と、旅の途中で加わった1人、それからわたし、3人でシンオウを旅したんですよ! ハクタイシティにも行きました。とってもいい街ですよ。なんだか、こう、趣があって……」
「そうなんですか。――とても歴史があるところだと聞いているので、楽しみです。何日宿泊したんですか?」
「えっと、ハクタイには10日ですね。ジムに挑戦するためにレベルを上げたり、調整したり、いろいろやっていたんですよ。その間に街を散策したりして……」
頷きながらすでに知っている情報を確認する。ネットで調べた情報と差は無いようだ。
さも今知ったという顔をしたがどうやらキタノにはバレていたらしい。
ムウマージとヒトモシが戯れている様子を見つめていた彼が不意に声を潜める。
まるでこれから怪談でも始めようとするかのような声音だ。
「そういえば、ご存じです? ハクタイの森のこと」
「ええ、地図で見ただけですがね。あの大きな森のことでしょう?」
そうそう、そこです。……そこで最近、とある噂がございましてね。
キタノの言葉にヒガシノは首を傾げた。
「……私はここ数年ずっとハクタイ周辺の情報を集めてきました。あらゆる媒体の情報という情報を。しかし、森の噂は聞いたことがありません。記事にならなかった情報、ということでしょうか?」
やけに苦いコーヒーを啜りながら、アオイは目を細める。
「そう。噂の段階で記事にすることはできない。そして、我が社としても不確定な情報に人員を割く暇もない……まあ、もし住み始めてお手隙であったら」
「情報提供というわけですか」
「いやいや、ちょっとした観光スポットとして訪れてみるのもいいのではないかと……いえ、正直なところを言うと、あの屋敷の真実を知りたいという気持ちがあってお話したくなりました。それから、警告、という意味で」
警告とはどういう意味なのか。
アオイは注意深く彼の言葉を待った。
「森に、館があるのですよ。左右対称の綺麗なお屋敷なのだとか」
しかし、生活するには不便な立地だな、と思う。
(どうしてそんなところに……まるで)
何かを隠すようために存在するような――。
アオイの思考を遮るようにさらにキタノは声を低くした。
「そこで……出るんですよ」
「出るってゴースとかゴーストとかゲンガーとか?」
「――いえ、それも出るんですが、本物の幽霊が出るそうなんですよ」
ゾクッとした。
アオイは、こういう怪談物が苦手だ。パンジャの恋バナと同じくらいに苦手なものだ。
せめてもの救いが、今は昼間だということだけだ。
「事故物件というヤツですか。それは……あまり近づきたくはないものですね。私は……わりと頭の柔らかい研究者だと思っていますが、その幽霊とかは……遠慮したいですね、はい」
「ですが、ここがわたしとしても譲れないところでしてね。そんなところに屋敷を持つなんて、よほどの大金持ちに違いないでしょう? 新聞のネタとしてこれほど美味しいものはない。人はいつだって不幸なネタが好きですからね。うっかり事件なんて明らかになった日には、ずいぶんな儲けになりますよ」
キラリとキタノの目に光ったのは、商売人らしい輝きだ。
アオイは、そういう目が割と嫌いではない。
「新聞記者も大変ですね。……まあ、気が向いた時に、行くかもしれません。散策の途中でうっかり行くのも心臓に悪いですからね。場所くらいは確認しておきたいです。」
「何か発見があったら、ぜひ! うちの新聞社にお寄せください!」
なんだか元気になったキタノの隣でモバイルをポチポチしていたヒガシノが「ほえ?」と間抜けた顔をした。
「……君ね、話の途中でそういうもの弄るのって社会人としてどうかと思うよ」
「あ、いえ、すみません。なんかニュースないかなぁって思って」
「ニュース作る立場のわたしたちが既成ニュースに踊らされてどうするんだい。もうすこし君には――」
あ、これめんどくさいヤツだ。
説教モードに入るキタノを遮るようにヒガシノが勢いよくテーブルに身を乗り出した。
「アオイさん、ポケッターやってます?」
「やっていますよ」
ポケッターとは、大手サービス会社が提供しているコミュニティ型の無料の会員制のサービスだ。
自分のコメントとして情報を発信することができるだけでなく、フォローしている友人や他人のコメントを見ることができる。安易に誰とでも繋がることになるが、その手軽さゆえに利用者は絶えない。
(そういえば、ノボリさんとも交換していたっけ……)
そろそろ何かしらコメントしておかなければならないな、と思考の端に書き留める。
ヒガシノがモバイルを取り出した。彼女は貪欲に情報を探し求める新聞記者――交換しておいても損はないだろう。
「それじゃ、アカウント名教えてくれませんか?」
『アオイ@引っ越しナウ
自己紹介コメント……etc』
ヒガシノの端末でプロフィールを見ていたキタノが「おや?」と目を丸くした。
「研究員をしていたのですか」
「ええ。シッポウで、化石研究をすこしばかり、他にもいろいろしていましたけどね」
「ほうほう。化石から元の生物を復元することができるようになってしばらくが経ちますが、成功率はどうなんです?」
「欠損のない化石が見つかるほうが少ないですからね、統計を取るための数には、とてもまだまだ……。しかし、完全であれば99%の確率で元通りの姿を復元できますよ」
「おぉ! であれば――」
すでに皿もコップも空っぽになっていたが、3人はムウマージとミアカシが昼寝するまで話し合った。
◆ ◇ ◆
船を降りる段になり、ミアカシが嬉しそうに先導した。
やってきたミオシティは、すこしだけ肌寒い。まだ冬の香りが残っているかのようだ。
深い色をした海の色は、乗りこんだ土地の色とは異なっている。それだけ北に来たということだろう。
「アーオーイさん! それでは、よい旅になりますように!」
シルクハットを上げたキタノの隣で元気いっぱいに手を振るのはヒガシノだ。
アオイも手を振った。
「あなたがたも道中気を付けて」
彼らの姿が人ごみで見えなくなると、アオイは手の中に残った名刺を見つめた。
「『シンオウ新聞 社長』だそうだよ。……世の中、狭いねぇ。何があるかわかったものじゃない」
ミアカシには、難しい言葉だったのかもしれない。キョトンとした顔で見つめられた。
「ううん。なんでもないよ。……世界は未知に満ち満ちているということだけさ」
なんだか、旅をするという実感が無かった。
画面の奥のテレビを見つめているような、そんな感覚が抜けきらなかった。
けれども、誰かと出会うということ、話しをするということ。
心で感じるということ。
『彼』がいなくなってから、錆びついていた感情が、動き始めているのかもしれない。
胸に手を当てて、アオイは目を閉じる。
(何も焦ることはない。私のペースでいけばいいってことか……。)
ミアカシが膝の上に飛び乗った。
「さあ、行こう。とっても素敵な図書館があるそうだよ」
作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。
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