もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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自分で気付くことが大切なんだ

 

 かつて存在した遠方の作曲家は、運命をノックの音に喩えた。

 

 運命に対し、常人とは異なる認識を持つマニにとってそれはひどく大仰で大衆的な臭さをもつ誇張的な表現に思えたものだ。

 

(運命が扉をノックするなら、部屋にいる誰もに聞こえてしまうじゃないか)

 

 運命は秘匿されている。

 そうでなければ運命の指図を僕だけが理解している理由にならない。

 

 僕にだけ聞こえる運命の音は、鋭く硬質だ。

 

 このことを他人に話したことがある。

 

 恩師と呼びたかった女性教授に対して、マニは自分を取り巻き導いてくれる運命のことを打ち明けた。

 

『鋭いのね。そして重いのね。もし頭のすぐ隣で聞こえるのなら銃みたいで……すこし怖いわね』

 

 僕はずっと時計の針を想像していた。

 

 けれど言われてみれば彼女の言葉はしっくりきた。銃の音なんて聞いたことないけど、まるで未完成のパズルに最後のピースがはまるようにピッタリと僕の心におちてきたのだ。

 

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 ミオシティ。

 シンオウ地方へ来たアオイが最初に辿り着いた街だ。

 

 ここへ来るのは二度目だ。

 

(海の先に……故郷がある)

 

 頭では分かっているのだが、目に見えないと途端に遠く感じられる。

 

 ミアカシは覚えているのだろうか。

 聞いてみるが明確な反応はない。ノボリ、という名前には反応するからまったく覚えていないというわけではないのだろうが……。

 

 生まれてから半年、3ヶ月もいなかっただろう故郷のことを思う。彼女のためを思えばもうすこしだけあの土地にいたほうがよかったのかもしれない。けれど生まれて早い時期に生活の拠点を移動したほうが負担が少ないかもしれない。

 

 可能性にとらわれ、アオイは空に近しい海を眺望した。障害物のない岸壁からの眺めは最高だった。

 

(……図書館に行きたくなってきたな。帰りにでも寄ってくれないだろうか)

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 マニがルールを決めた。

 

 どっちが先にポケモンを釣るか。

 

 勝負にしては簡単かつ明瞭だ。

 

 ただ条件としては助走して体全体で竿を振るい、投げることのできるマニが有利だ。アオイもそれを分かっている。けれど受け入れた。よほど勝つ自信があるのだろう。

 

 アオイには知恵がある。マニは決して楽な戦いではない、油断ならないぞ、とキリキリ音の鳴るリールを回して思った。ネオラント釣りにおけるマニの腕前は実に大したことがないのだ。

 

 そもそも釣りは釣り具に限りがあるため、環境によって変わる。ポケモンの分布が分かっていればそれに対応した釣り具を選ぶことができる。下調べを怠った代償は高そうだ。

 

(そういえばアオイさん、どうして勝負だの賭だの渋ったのだろう?)

 

 性格は拗れているところがあっても根は真面目な人だ。――とマニは勝手に信じている。そしてそれは、だいたい合っているとも思っている。

 

 賭という言葉の、悪い印象を引きずってしまっているのだろうか。まあ、僕が勝てばすべてハッキリすることだ。マニはそれ以外の解決を考えずに竿を振るった。

 

 ハタと気付いたことがあったらしい。アオイは、しゃくる手を止めた。どうしたのだろう、とマニも顔を向けた。

 

「そういえばマニさん。勝負をしましょうといって始めているわけだが、勝ち負けの景品はどうしましょう?」

 

「特に考えていなかったなー。僕はアオイさんに質問する権利が欲しいですかね」

 

 アオイはチラとマニを見て、それから「フン」と片方の頬が上がる、いつもの笑みを浮かべた。その時に、ほんのすこしだけ顎が上がる。正面から見ると偉そうに見えるその仕草は隣から見ると大人の余裕に見えてマニは「へえ~」と間の抜けた声を出してみた。

 

「君は謙虚だな。私が本当のことを話すとも限らないのに。……私は、まだ秘密にしておこうかな」

 

「なんすか、それ。後出しじゃんけんはヒキョーですよ」

 

「私にとっては大したことのない」

 

「僕にとってはどうですか」

 

「さあ、どうでしょう。けれど君のほうが有利だ。多少のことは目をつぶるのも一興ではないかな。それとも、ははぁ、さては負けるのが怖い?」

 

 アオイは、ただ笑っている。

 

 それがマニには読めない難解な表情であることに気付いて彼は運命の欠片を探した。見過ごすとマズイ気がするのだ。彼は悪だくみをしている……気がする。しかしこんな時に限って運命の囁きは唐突に現れてくれない。

 

(しっかりしてくれよ、僕の運命)

 

 遠くから何かの鳴く音が聞こえる。それが何のポケモンか考えようとするが、慣れない波音のせいで思考がまとまらない。

 

(こういう時は、一度に何でもするのがいけないのさ)

 

 マニは言葉をまとめるために三投した。

 

(アオイさんが勝ったら――もちろん、本当に勝つのは僕のわけだけど――何を欲しがるだろう?)

 

 アオイさんが欲しそうなものって何かな?

 

 彼女は要らないって言っていた。こういう種類の人は自分のペースをとことん守りたいっていう人だ。だから欲しいものはきっと人ではないし、人の時間でもないな。彼は思い出を大切にしても大事にはしないのだろう。

 

 アオイさんが大切にしているものは、きっとヒトモシだ。その関連だろうか? 

 

 これは良い線をいっている想像だと自分では思ったが、アオイとヒトモシの関係は見つめ合って「ふふっ」と笑っている時点で完結していそうだった。これでは自分の出る幕は小指の爪の欠片たりとも無いだろう。

 

 ほかに……ほかに、何かないか。何か。何か。

 

 マニはぐるぐる回る思考を逸脱させる方法を考える。イカした考えがもうちょっとで思いつきそうなのだ。

 

 けれど。

 

(……だめかぁ。僕、やっぱりだめなのかなぁ)

 

 諦めるのはマニが『2番』で『残念な仕様』をもっているくらい体に馴染んでしまった思考だ。諦めてもどうにもならないことは分かっていて、全て投げ出したくなる気持ちはどうにも消せない。

 

(でも、今回ばかりは――)

 

 アオイに勉学の手ほどきを受け始めてからしばらくが経つ。指を折って数えてみたら、もう数週間だ! そしてこれは僕が諦めない限りアオイも協力を惜しまず続く関係だ。

 

 彼がこの地方に来てから自分ほど長い時間を過ごし、話した人はいないだろう。……たぶんだけど。

 

(この地方でいちばんこの人のことを知っているのは僕のはずなんだけどなぁ。……長い時間を過ごして、たくさん言葉を交わして、それで人間って分かり合えるんじゃないかと思うんだ。でも、この人が何を考えていて、何が欲しいかなんて、僕はさっぱり分からないんだもの。観察力が無いなんて僕って相当だめなヤツなんだよなぁ)

 

 釣り竿の先をぼんやり見て、マニは自分にがっかりしてしまった。僕ってばどうしてこう鈍ったらしいのか。

 

 アオイのことを網羅しているとは思わない。けれど、彼の一番の望みは明日の朝食より想像が容易いと思うのだ。

 

 はあぁ、と思わず吐き出した大きな溜息は果たして潮風にさらわれなかったらしい、アオイが臭い物を見るように左目を細めた。

 

「マニさん、そういえば君に言っていなかったことがあるのだが」

 

「なんすか。……まあ、アオイさん神経質っぽいので僕への不満はそりゃあいっぱいあると思いますけど」

 

「君はまたそうやって――まあいい。私の隣で溜息は禁止されているんだ」

 

「うわ、なんすかその俺ルール」

 

「幸せが逃げてしまう」

 

 彼が真面目な顔で即答するのでマニは肩をひょいと上げた。

 

「それは困ります」

 

「困るでしょう? だから禁止だ。私の持論だが不幸は感染するのだ」

 

「それって空気感染ってことですか」

 

「そう」

 

 すげえ俺ルールだ。マニは感心してしまった。彼は繊細なのに横暴でもあるらしい。でも彼が断言するとは、イッシュではこれが常識なのかもしれない。

 

「私も君の前では溜息を吐かないようにするから、マニさんも気をつけてくれないか。お互いルールを守って幸せになろうじゃないか。ポケモンと同じだ。生態系による棲み分けが種の健全な保全に繋がる。人間もルールを守っている限り安心して過ごせると思うんだ」

 

「うわっアオイさんが『幸せになりましょう』って言うの破壊力ヤバイっすよ。新手の勧誘みたい! あ、しまったつい本音が……」

 

 慌てて口を押さえてみたがもう遅い。アオイさん怒って竿を折ってたらどうしよう。彼を見ると頬杖をついてカラカラと笑っていた。

 

「心外だし論外だ。君にあわせてあげているのに」

 

「わかってるじゃないですか!」

 

 普段は、仕事絡みの話ばっかりしていて分かり難いが彼、やっぱり良い人だ。

 

 良い人だ。……たぶん。

 

 たぶん、というのはマニには確実なことが分からないからだ。別の人から見たら彼はとんでもないことをしでかした悪い人かもしれない。研究室の大切な機材をスクラップにしたとも聞くし、元職場の人には恨まれそうな経歴もちょっぴりある。けれどマニにとっては無茶な要望を受け入れ、導いてくれる良い人だ。

 

 耳に慣れつつある潮風が存在感を無くす。代わりにカチリと硬質な音が頭のどこかで鳴った。

 

 良い人なら、悪いことはしないはずだ。この場合の『良い』は『都合の良い』の『良い』であったがマニにはそれで十分だった。

 

(ああ、そうだ。僕の運命はいつだって、僕の味方で強運だ)

 

 閃きのままマニはアオイを呼んだ。もしも、この確信が正解だとすれば彼は質問に対し大した反応をしないはずだった。

 

「アオイさん」

 

「なんだい?」

 

「『たぶん』ですけど『きっと』これが正解だと思うんです。アオイさんは真面目なので僕が勝負に勝って『質問する』と明言している以上、アオイさんが勝ったら僕に対し同等のものを要求すると思うんです」

 

 ふぅん、と興味なさそうにアオイは反応する。予想通り。ここで狼狽えたら、きっと『ハズレ』だった。

 

 誰よりも賢くありたい彼は、物事の裏を掻きたがる。それは時として真正面に現れ、今は予想通り『裏』に現れた。

 

 素直ではない彼の反応は『そうするだろう』というマニの予想にピタリはまる。マニが「どうですか?」と言葉を急かす。アオイはやはりチラとこちらを見上げてから「フン」と鼻を鳴らした。

 

「マニさん。ちょっとした興味の話だが私は真面目に見えるのかい?」

 

 どうやらアタリらしいぞ。マニは勢いよく頷いた。

 

「僕のこと見捨てないから、すごく真面目で良い人ですよ。僕の基準だとA5ランクですもん。対等であろうとしてくれるところも好印象ってヤツです」

 

「買いかぶりだ。それにそのランクは、きのみの基準だと思うんだがね」

 

 人間に当てはめてよいものなのでしょうか、なんて彼は言う。アオイさん、妙なところ気にするなぁ……。そういうところが面白いんだけど。

 

「まあまあ、それくらい良い人ってことですよ」

 

 予想が当たったのでマニはすでに釣り終えたようにホクホクした顔をしていた。カントーで言うならばエビス・フェイスだった。

 

 この安堵が彼には露骨に見えたのだろうか。

 

「もしかして君の運命は、私が次に何を聞くか分かるのかい」

 

 意地の悪い質問にマニは口を尖らせた。

 

「運命は万能じゃないんですよ」

 

「では『きっかけ』を与えるだけなのか? それとも進むべき道を指し示す道標? あるいはもっと特別なものなのか?」

 

 アオイの声は低く、切迫して問い詰めるような声音だった。マニは彼のことを直視してはいけない気がして海を眺めたまま曖昧に頷く。

 

 なんとなく彼の期待する言葉は自分のなかに見つからない気がした。けれど自分の信念を曲げて自分に費やしてくれている彼に対して、この運命について「たぶん」や「きっと」や「かも」を使うのは誠実ではない気もする。

 

 言葉を選ぶ。そのうちアオイが偏光グラスの向こうで瞬きをした。

 

「私は運命を信じていない」

 

 神さまなんていないんだよ。

 

 そう言われたほうがどれだけマシだっただろう。マニは見つけた言葉をぼろぼろと取り落とした。

 

 そんなマニを置き去りに彼は言う。

 

「現実は常に正解だ。その正解をあらかじめ教えてくれるなんて人生イージーモードも大概だ。――この現実に正解のヒントは無いと思っている」

 

 アオイさんはどうしてそんなことを言うんだろう。マニはしみじみと彼を見つめた。皮肉っぽく上がった口の端はちょっぴり僕をバカにしている。正確には、僕を通して運命を。

 

 溜息どころじゃない。こんなことを言う人はきっと不幸になる。運命を理解できないのは不幸で不遇で可哀想だ。

 

 それでも彼の言葉は続く。

 

「現実は簡単だが難解な計算尽くで成り立っている。峻厳な現実こそが正解の計算式だと思う」

 

「もう。何が言いたいんですか。言いたいことなんて知ってますけどさ」

 

 僕のこと遠回しにバカにしたいんでしょう。その言葉が喉まで出てきそうになって僕は飲み込む。それからがむしゃらにリールを巻いた。アオイさんに批判されると胸のなかが空っぽになったように薄ら寒く、鼻の先がキンキンして痛かった。

 

「運命とは何か。もしも私の想像が当たっているのなら君は私に負けず劣らずの真面目で良い人……かもしれないというだけだ。君が運命運命と言うから私の立場をハッキリさせておきたかっただけだ。誰が聞いているか分からない研究室、ではなくて博物館では話す気分になれないからね」

 

「『私の想像』って何ですか。そこがいっちばん大切じゃないですか」

 

「忘れ続けることが人間にとって大切なことのように、知らないことを知らずにいることが大事なんだ」

 

 アオイはマニの知らないうちに納得してしまっていた。どこでどう納得することができたのか、分からない。本当に分からなかった。

 

「さっぱり分からない! ……ねえ、アオイさん? 僕の頭がたいしたことないのは知っているでしょう? もうちょっと僕に分かるように言ってくれませんかね? 僕は僕なりに納得をしたいんです。あなたの言っていることがちょっとでも分かるようになりたいんですよ。だって意味が不明で行方も不明だから!」

 

「君が自分で気付くことが大切なんだ」

 

「時短のために教科書の中身は教えるくせに、運命に関わる重要なことは内緒にするんですか。普通は逆じゃないですか?」

 

「せっかちだな。君、普段はイージーモードで時短どころかショートカットをしているんだ。舵取りを任せている運命くらい君の頭できっちり考えたほうがいい」

 

「じゃあヒントください」

 

「現実にそんなものはない」

 

 アオイはニヤッと笑った。マニが困惑しているのを楽しそうに見ている。この人、根は良い人なんだけど性格は歪んでいるな、と思う。

 

 運命は運命で運命というものなのに、どうしてこの人はそれが分からないんだろう?

 

 運命を理解できないのは不幸で不遇で可哀想だ。

 

(……うん? 僕、前にもこんなこと考えたかも)

 

 あれは、いつのことだっただろう。

 

「アオイさん」

 

「なに?」

 

「僕の……まあ昔話みたいなものなんですけどさ。僕に恩師みたいな人がいたんですよ。『みたいな』人っていうのは……なり損ねたっていう意味っていうかハッキリ言って『がっかり』みたいな? そんな感じで」

 

 アオイさんは僕の話に頷いた。それを確認してから僕は思い出しながら言った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 うーん、なんだか思い出しにくいことですね。

 

 結論としては「なーんだ、この人ってこの程度なんだ」っていう気分になったってだけの話なんですが、なんだか運命に絡んで印象に残っているので話しますね。

 

 まずはー……えーと、そうそう、僕が学生だった時ですよ。

 

 結婚したんですね。恩師っぽい人が。

 

 え? 結果を急ぎすぎ?

 

 でも、こうなんですよ。僕のクラスの担当の先生が結婚したんです。メデタイですね。まあ、僕は彼女欲しいけれど恋愛とかよく分からないのでこの辺はノーコメントで。

 

 それで彼女がクラスを去る時に言うんですよ。

 

「彼と出会ったのは運命だった!」って。

 

 ロマンチックだったろうって? 宿命的だろうって?

 

 そうなんですよね。フツーそう言うべきなんでしょうし、そう思うべきなんだろうし、そう感じて祝福すべきことなんですよね。

 

 でも、僕は何だか妙にズレていると感じたんですよねー。しまいには気持ち悪くなって、今ではその先生の顔を思い出せなくなってしまったんですよ。

 

『運命を感じている者同士、仲良くなれると思ったんだけどなぁ』――とはちっとも、小指の爪、その先っぽほども思わないんですよ。運命は融通が利かないけれど絶対なのに不思議なことですよね。

 

 けれどそれ以来、僕は自分のことが怖くなった。

 

 正確には僕のなかの運命が。

 

 僕の見ている運命が、先生の運命と違うことでハッキリ浮かび上がる『何か』があるようで僕は怖い。運命は運命なのに別の『何か』に変質してしまいそうで怖かったんですよね。

 

 でも、そのことを今の今まで忘れていました。

 

 悩んでいても正解が分からないのでそのうち飽きてポイしちゃっていたんでしょう。

 

 もしかするとアオイさんの言う『何か』って『これ』かなって思いまして。

 

 もし、そうなら僕はポイした疑問をまた拾わないといけないんですね。それは億劫だ。すごく億劫だ。

 

 アオイさんは優秀なんで、きっと分からないでしょう。

 

 とても惨めな気分になるんですよ。

 

 それなのに同じくらいに悲しくて……僕は憎らしくて怒鳴り散らしたくなる。

 

 くずかごのなかにぐしゃぐしゃにして捨てた、間違っていると分かっている答案を開いて、そのうえに新しい答えを書く。しかも正誤不明の答えを書くなんて。

 

 それってすごく惨めな気分になるんですよ。どうせ僕のことだ。結局は盛大なバッテンが待っているに違いないのに。

 

 肯定しないでくださいよ。

 

 うすっぺらいなぁ。あなたは僕のことをちっとも分かっていないんだ。僕だってあなたのことがちっとも分からない。一生懸命に考えたって分からないんだ。分からないならそのために費やす時間なんて無駄なんだって思っちゃうんですよ。だから考えるのは億劫なんです。考える過程が、じゃない。考えることそのものに勇気が必要なんだ。結果が分からない、しかも確かめようがない。……怒らないでくださいよ?

 

 せめて考えるのは……もうしばらくしてからでもいいですか。

 

 覚悟を決めたら、ちゃんと考えますよ。……『ちゃんと』ね。

 

 

 

 ◇ ◆ ◆

 

 

 

 

「マニさんが検討してくれて良かったです。わかっているじゃないですか」

 

 アオイはマニの『都合の良すぎる』運命の正体に確信を持ち得た――かもしれない。

 

 彼は電波野郎ではないらしい。

 

『運命』の名を借りて自分の意志を仮託しているのだ。

 

 自分の意志をどこかの誰かが命じた『運命』だと思い込んでいる。――彼にとって運命を信じることは自分を信じることと同じなのだ。

 

 この仮定は、アオイにとってかなり快い想像だった。

 

 マニのように生来の『自分のもの』を『他人のもの』のように扱う人物を知っている。ねえ、パンジャ、彼なんか君の良い友人になれるかもしれないよ。

 

(彼にはもっと自分を理解する時間が大切だ。勇気もありったけ必要だ。君には可能性がある。まだまだ伸びしろはあるじゃないか。向上心がある限り悲観することはない……)

 

 けれど運命の正体を知ってしまえば彼は白けてしまうだろう。それとも運命の正体を見つめて生きていけそうだろうか。それはまだ分からない。観察中だ。

 

 それでも自分の扱うものについて理解しておくことは重要だ。マニの動機が分からないことはアオイに妙な焦燥感を与えていたが、タネが割れれば大したことがない。自信の無くした彼が自分に差す究極一手だった、というだけだ。

 

 アオイがこれまで抱いていた想像以上にマニはまっとうでまともな人間だった。

 

(向上心があるのに失敗し過ぎると嫌でも後ろ向きになってしまうものだ。運命に偏執するのは自分の選択した失敗を重ねたくないから……その気持ちは知っているさ)

 

 私だってそうだ。今でさえ、きっと。

 

 彼は自分で決めたことにすっかり自信がなくなってしまっているらしい。

 

 アオイは「僕はいつも2番なんですよ」というマニの口癖を思い出した。その時は「どんな集団でも2番なら凄いものです。1番以外の価値を見いだす癖を見つけましょうね」と先輩面をしているが彼の悩みの根は深いものらしい。努力しても1番になれないことで彼は努力の価値を疑いはじめている。

 

 アオイは彼のなか自分に似た要素を見つけた。それは常ならば同族嫌悪をよぶ嫌なものに違いないものだったが、一方のマニはアオイのなかにあるそれに気付いていない。情報の偏りがアオイに心の余裕を与えていた。

 

 諦めきれない彼は――その後、何を考えたのだろう。

 

『悩んでいても正解が分からないのでそのうち飽きてポイしちゃっていたんでしょう。』

 

 ああ、捨てたのか。そういう手もあるな。

 

 アオイは彼の対処の仕方に感心した。

 

 逃げをうつのは、悪い手ではない。

『ここ』が嫌ならば『ここ』ではない『どこか』へ。

 

 逃げることは大切だ。

 真っ正面に立ち向かい受け入れるのは上っ面の流行(ファッション)で虚構(フィクション)のなかの出来事だ。

 

 現実的に取れる手段は限られている。

 人間、そんなに強くない。

 逃げることが許されるなら逃げるべきだ。特にこういう繊細なことは――。

 

「まあ、今の僕は! 運命がついているので! もうなんていうか、無敵みたいな? アオイさんなんかに負ける気がしませんよ!」

 

「へえ」

 

 前言撤回。

 

 コンクリートに混ぜ込む砂利に志願したくなるほどの挫折を味わえばいいのに、と思わずにはいられなかった。私の心が狭いとかそういうことじゃない。私にこんなことを思わせる彼が悪いのだ。繊細と言ったが取り消す。

 

(この私のことを「なんか」って言ったな、この、この、こンの……!)

 

 彼に対する認識の変化は時限式の爆弾から設置式の爆弾に変わったが、それでも彼の真実の一片を理解している、していないの差は大きくあった。

 

 釣り竿を握る手に力が入る。

 

「アオイさんはなんて言いましたか、そうそう! カモネギなんでしょう? まさかぁ僕に勝てるなんて思っていないでしょうね」

 

「……私を甘く見すぎじゃないですかね、マニさん」

 

 マニは真面目に話すのが気恥ずかしくなってしまったのだろう、それを汲んだアオイは挑発的な言葉を安く買い叩いた。――というのは建前でここで一発、先達としての力量をハッキリさせておこうと思ったのであった。

 

 もしここで無関係で物知りな誰かがいれば「そんなことで争わずに研究事業で争えばいい」と言うだろう。その通りだと彼らは肯定するに違いない。そしてこうも言うだろう。

 

「まあ、意地の張り合いほど面白いものはない」

 

「えぇぇーっ。張るだけ惨めになりますよ、アオイさんの場合は特に。だって勝負事に関しちゃカモネギなんでしょう、あなた」

 

「やかましいのですよ。私は弱いのではなく勝たないだけだ」

 

「負ける人はみんなそう言うんですよ。勝てないってハッキリ言っちゃえばいいじゃないですか。勝負運が弱いひとってべつに珍しくないでしょう。1番は常に1人だ」

 

 風に吹かれてマニの意識が穂先からそれる。

 その隙にアオイは勝負をしかけた。

 卑怯? そういうことを言うヤツは心根が敗北者なのだ。という観点でアオイを見れば勝負事に関して自信に満ちている彼は常に勝者であった。

 

「さてはカントーのことわざをご存じではない? 『ゲタをはくまでは勝負は分からない』らしいですよ」

 

「ゲタってなんすか」

 

「スリッパのことらしい」

 

「はー。なるほど、つまりトイレのことですかね」

 

 トイレに行って帰ってきたら戦況が一変しているのはヤですよねー、とマニは言う。

 

(なんということだ。盛大に滑ってしまった……)

 

 アオイは内心でイッシュジョークが通じなかったことに衝撃を受けていた。やはりシンオウ人に高尚なイッシュジョークは理解できないのか。うんちくを披露しただけになってしまったアオイは目の前の事実を消化できず、ちょっとした頭痛を覚えそうだった。

 

 マニのマイペースは極まり、アオイのペースをぶっ壊して振り向きやしない。

 

 ふふん、と鼻を鳴らし――いくぶん湿った音も聞こえた――マニは胸を張る。

 

「まあ、どこへいっても僕の運命は変わりませんけどあああああっ!? アオイさん、なにやってんすかああああッ!?」

 

 素っ頓狂な叫び声を軽く受け流したアオイは涼しい顔をする。

 

「とぼけやがってんじゃあないですよぉおお!? おまつりになってるじゃないですか!?」

 

 おまつり、とは釣り糸と釣り糸が絡まることである。さっきから妙な手応えがあると思ったらこれですよ、これ! とマニが糸を指さした。

 

「まるで私が故意にやったような口ぶりは感心ではないな」

 

「いえいえいえ! 勝てないからといってちょっと手段を選ばなさすぎじゃないですかね!?」

 

「その言葉、そっくりそのまま返して差し上げます」

 

 会話の間に潮目が変わった。

 潮の流れが穏やかになり、往来する水量は緩やかになる。

 

 ミオシティ周辺の潮流の環境は分からないが特異な地形でもない限りこれ以上の継続は体力をむやみに消耗するだけだ。コイキングだって釣れやしないだろう。

 

「あー、もう! くそっくそぉっ。なんてことするんだ! アオイさんってホント、インシツ! ネクラ! イジワル!」

 

「心外だな。私は心穏やかな人間なのだ。期は過ぎてしまったようだ。どうする? 勝負がつくまで粘るかい?」

 

「ほんとうはそうしたんですけど……ここ、めっちゃ寒くないですか?」

 

 鼻をすするマニを見て、アオイは驚いてしまった。今さらのことをどうして今になって言うのだろう。寒いのはそりゃあ寒い。アオイでさえ動かないはずの脚が寒さのあまり震えだしているのだ。

 

 けれど、アオイは素直に頷くことができない。理由はつまらない意地のせいだ。絡まった釣り糸と格闘するマニを眺めながら「ふふん」と鼻を鳴らすのだった。

 

「ははは、海ってこんなものだろう?」

 

「やせ我慢は見苦しいっすよ」

 

「…………」

 

 どちらからともなく、ふたりはポケットから短ナイフやハサミを取り出して釣り糸を切る。そうしてふたりはいったん竿を納めて車へ戻る算段をした。

 

 海の水ポケモンとは縁がない、いや不幸な行き違いがあったのだという顔でふたりは遊んでいるはずのポケモンを振り返り――その顔から表情がストンと抜け落ちた。

 

「な、な……!?」

 

「ぎゃああーッ!? な、なにやってんすかーっ!?」

 

 マニはヒステリックに叫んで右往左往した。

 

 海水でずぶ濡れになった3匹が、けれどやりきったような顔ではしゃいでいたら誰でもそうなる。私だってそうだ。

 

 けれどもこれからどんな時だって目を離してはいけないと、船上で思ったことをあらためて思い直した。大切なことを一時でも忘れてしまうほど彼との話にのめり込んでしまったらしい。

 

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

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