もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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私は幸せだ

「運の悪い男というのは……実に生きにくい。けれどミアカシ嬢、私は性根まで腐らせた覚えは無いよ。まあ、見苦しい言いわけをするとこんな私にも美点があるので君くらいは見捨てないでくれると嬉しいという弱音なわけだが……」

 

「モシモシ?」

 

「……ここだけの話だがどうにも私は最後の最後の運が無いらしいんだよ。結局、負けてしまったし」

 

 ミアカシは、つぶらな瞳で何となくの事情を察したらしい。

 そんなこともあるさ、とアオイを励ます「モシモシ」を囁いた。

 

「ありがとう、ミアカシさん」

 

 マニが遅めの昼食を売店に買いに行く間、アオイは長く大きな溜息を吐く。それにミアカシが近付き彼の膨れた独り言を突き崩していた。

 

「あぁ、大見得を切ってみたのにあんな結果になるんだものなぁ……。どういうことなんだ、フラッシュって……」

 

 勝負は――当然というか必然というか――アオイが負けた。フラグをガン積みして回避しようとしたのだが、逆にフラグをことごとく回収して、しまいには爆死してしまったらしい。悲しいかな。墓穴を掘って飛び込むのは十八番になりつつある。

 

 勝負が決着した後、3分くらいの記憶が無い。たぶん取り乱していたのだろう。マニが気を遣って昼食を奢ってくれる(代金は恐らくアオイの金だったものだが)程度には。

 

「モシモシ……」

 

「もちろん、君が悪いんじゃない。私の運の無さが悪いのだ。でも、悪いからこそ次こそはと期待してしまうんだろうな……。どんな時でも懲りずに……」

 

 潮風がこたえるのだろう。ミアカシがアオイの外套にもぐりこんだ。

 

「こら、ミアカシさん……」

 

「モシモシ!」

 

 アオイは上着を脱ぐとそれにミアカシを包んだ。

 

「ミアカシさん、私は……私はマニさんに秘密を話してみようと思う」

 

 いまこの時だけはアオイの言葉を解さないミアカシが救いだった。

 アオイは声をひそめてミアカシの焔をみつめた。

 

「モシ?」

 

「しっ。まだ内緒なんだ。誰にも誰にも言っていない内緒の話だ。私は……自分のことを話すのは恥ずかしいと思っている。もし、世間でいう超能力があったとして私の心を読める誰かがいるとしたらその人を迷わずどうにかしてしまうほどに……私は私のことを知られたくない」

 

 自分と他者を隔てるものは何か。アオイは秘密だと思っている。私は知っている。あなたは知らない。私は分かっている。あなたに分からない。それが境界だ。けれどアオイの信条を言葉通りに受け取れば逆説的に他者との違いはそれしかないことになる。

 

「でも、私は私が嫌いで苦手だし独りで生きていけるほど孤高になれないから……。私の本心をすこしずつ誰かに、合わせ鏡のような『本当』を教えている。できれば私のことをすこしでもいい。理解してくれないかと思って……」

 

 アオイはひとつ、溜息を吐いた。その呼吸はミアカシの焔に触れるとヒュルリと上昇して消える。

 

「ああ、もちろん、ダメだった。やはり言葉を尽くさなければ伝わらない。私のことも、夢のことも、何もかもだ。……話すのは嫌だが、これまでのツケだと考えればいい加減に頑張らなければと思うんだ。それに私のことを知りたいと言ってくれる後輩がいるんだ。これは存外に嬉しいことだ……。私は不覚にも感動してしまったよ。後にも先にも私に真っ向から対抗しようとする人はいないだろう」

 

 瞳のなかにゆらゆらと焔が揺れた。それを見ているミアカシの瞳を……アオイは見ている。

 

「私は幸せだ」

 

 祈るように彼は両手を合わせた。目を伏せてたどたどしく言葉を探した。

 

「馴染みがないので気付こうともしなかったが、これが幸せなんだろうと思う。ミアカシ嬢、君がいる。マニさん、慕ってくれる後輩がいる。チャチャさんも、リリさんも、ほかにもいろいろ。……『彼』を思えば後ろめたくなる幸福感だ。ああ、私は初めてだったんだ。こうして他愛のない話をしながらくだらない意地を張って友人と遊ぶなんて……」

 

「モシモシ?」

 

「そう、海だ。海は忌々しいものだ。と思っていた。おしつけがましい命の源だと憎らしく感じていた。……だがこうして見ればいいものだ。キラキラしている……ああ、綺麗だとも。まあ、君には劣るのだけど」

 

 いっそう声を小さくてアオイは囁いた。

 

「ミアカシさん、君には……世話を……かけるよ」

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「アオイさーん、お昼ですよー」

 

「ああ、ありがとう」

 

「それにしてもアオイさんってほんと弱いんですね」

 

「さきほど確認したことを繰り返すつもりかい」

 

 マニは自分の思っていることが伝わらないことに気付いたらしい。ハッとして、気まずそうな顔をした。

 

「ま、まさか。……いえでも、遊ぶのが好きなのに負けてしまうって辛くないですか」

 

「そんなこと感じていると思うのかい」

 

「そうですよねー、感じていたらできませんよね」

 

 対面に座った彼はまだ何かを聞きたいような顔をしていた。

 けれどこれ以上の詮索はアオイの忍耐を超え、きっと不快にさせる。しまいには「ああ、分かった、分かった、そうかいそうかい、君はそういう奴なんだな」と言って賭けの景品である質問をすり替える、という暴挙に出かねないと分かっているのだろう。彼は黙った。

 

(ああ、そうだ。参ったな)

 

 機嫌が悪い風を装いながらアオイはサンドイッチをつまんだ。

 

 その顔とは裏腹に心は清々しい――とは口が裂けても言えそうにない。

 けれど一つの敗北はアオイの心にひとつの区切りをつけていった。秘密のこともそう。ああそうだ。研究のことを話すとなると共同研究者の意向も重大だ。

 

(……事後報告でいいか。パンジャはきっと許しはしないが私に甘い。今度のこともきっと許せないから忘れてしまうのだろうな)

 

 あとで詫びの電話もいれておこう。どうやら私たちの秘密は『彼』のもとまで持って行けないようだ。しかし、それでもいいかと思える私がいる。

 

 マニ・クレオという人物はアオイの頑な部分を動かしたらしい。アオイはマニの思い切りの良さについて尊敬してもいいと思えるようになっていた。

 

(現実は常に正解だ。始めた時と同じように終えることができないのなら、続けなくてはならない。誰かが継がなくては、あるいは留めなければ――。そうだ、どうして私はそう信じているのだろう。……いや、分かっている。私が費やしたものが何もかも無くなってしまうのが耐えられない。ああ、そうだ。耐えきれない。無駄だったと終わらせたくない……)

 

 どうあっても負けきれないように、諦めきることは難しい。

 研究者としての性というものだろう。

 

「おいしい……な」

 

 すこしだけ泣きそうになってアオイはハンカチで鼻をおさえた。どうして泣きそうになるのか。情緒不安定も極まるな、と自嘲する。

 

 私にとって大切なこと。

 私にとって失いがたいこと。

 

 まだ私の最優先は研究にあるらしい。この期に及んで。

 

 追い詰められて気付くとは滑稽だ。

 あれだけ大切にしていたものをよくもこれまで放置できたものだ。

 

 ――私は私の研究を終わらせたくない。

 

 もしも再び願うことができるのならば。

 祈り続けた先を望むのならば。

 

 それは今ではないだろうか。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ねぇ、ミアカシさん。

 

 私は夢破れた今なお自分の信じたものを信じ続けたいと思う。

 

 それは正しい行いではないのかもしれない。いや、正しいはずがないのだ。化石となったポケモンの命を弄んだ研究が悪いことだとすれば、その身体をバラバラに続けた私は罪深い者なのだろう。

 

 もっとも『彼』を失ったことに関して私は悔いても悔いきれない思いが溢れているが。

 

 それでも私は、私の夢だけは終わらせたくないと思うのだ。

 

 これまで犠牲にしたポケモンのため――等という動機を抱けるくらいならとっくに研究室の梁にぶらさがっている。

 

 ただ、私が終わらせたくないから続けてほしいと願う。

 

 身勝手でエゴにまみれた感情だ。汚い。見苦しい。最低で下劣だ。理論的な理屈はひとつもない、子供があれがほしいこれがほしいと泣くように、私の始めた研究が満足する成果なく終わるのが嫌だ。けれど成果があっても終わるのは嫌だ。ということは研究が終わること自体が私はもう耐えきれない。嫌なのだ。

 

 アオイはいまさら自分の研究動機に気付いた。

 

 ああ、そうか。

 

 アクロマが「知りたいから」研究を続けているように私は「終わらせたくない」から研究を誰かに続けて欲しいと祈っている。

 

 まいったな。

 

 マニはがっかりするだろうな、とアオイは思う。きっと彼の望む高尚な研究動機ではなかった。

 けれどそれが自分で自分たらしめたものなので、こればかりはもう仕方がない。

 

 ……ミアカシさん、君だけは見捨ててくれないと嬉しいよ。

 

 私はこんな私だ。アオイは心の内でぽそり呟いた。けれど後悔はない。いつもひかえめにたたえている自嘲の笑みも無かった。

 

 これが私。

 

 でも、まあ、いいか。

 

 風景のなかにひとつ残った感情。ひとまずの納得を得たアオイの妥協だった。

 

 

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