もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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ちょっときりが悪いですが、溜め回だと信じている


ミオシティ
ミオ図書館―シンオウ神話―


 シンオウといえば、多方面で有名な神話の原産地として知られる。

『にんげんとポケモンは――』

 この書き出しで始まる神話をシンオウでは幼い頃、習うのだという。

 

「あのね、ミアカシさん。昔のことだが……人間とポケモンは結婚することができたんだって」

 

 モシ? とヒトモシのミアカシは体を傾けた。

 私は、そっと白い体を支える。

 手の平に命を感じる。懐かしくて、忘れかけていた感触だ。

 

「結婚は、一緒になること。……誰かと一緒に生きるということ。でも、私と君が一緒にいることと何が違うのだろうね。昔と今とでは何が違っているんだろう……」

 

 考えてもあてのないことを時々、私は考えてしまうんだ。

 無駄なことなのにね。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 主人アオイはそう言って目を細めた。

 主人は、よく遠くを見るような目でどこかを見ている。

 でも、今はわたしを見つめて、どこか悲しい顔をしている。

 ずいぶん難しいことを考える人だから、きっと何か思い悩むことが絶えないのだろう。

 そんなに苦しい顔をしないで。

 寝ている時だけが安らぎのような、そんな顔をしないで。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 ミオシティ。

 

 深く青い海は生命の息吹を感じさせた。

 綺麗だが、生命の影もない南方の海とはこうしてみるとだいぶ違うようだ。ポケモンの陰影が時おり深い色で見える。

 

「……ミアカシさんは、海、平気?」

 

「モッシーッ!」

 

 背伸びをして笑うが、ほのおタイプなので実際には『こうかばつぐん!』なのだろう。

 うっかり浸かってしまうと大変だ。

 緩やかな人並みを見ながら車イスを動かすと、ミアカシが袖を引いた。

 

「どうしたの?」

 

 モシモシ! と呼ばれ、ある建物に目を向ける。

 

「ああ、あれが図書館のようだね。結構大きいなぁ……」

 

 ミアカシさんには絵本を見せたいな。

 アオイは語る。

 

 世界には人間が書き溜めた、たくさんの書物がある。そうやって、昔に見つけた知識を、昔から伝わる話を、後世の私たちに教えてくれるんだ。

 

 世界は過去と今、そして未来へ……言葉の鎖で続いている。途方もない話さ。ポケモンの間ではどんな状態なのか分からないけれど、きっと同じように何かで繋がっているんだと思う。

 

「世界は、そうやって続いているんだよ」

 

 アオイは、そう考えている。

 

「私はね、言葉で誰かに何かを伝える仕事をしたいんだ」

 

 まあ、上手くいくかは分からないけどね!

 

 カラッとした笑い声を上げて、アオイは肩を落とした。

 

 

 

◆ ◇ ◆ 

 

 

 

 

「遅刻決定! ごめんなさい! でも、仕方が無い! 安全運転! 出発進行!」

 

 先日、テレビで見たピエロのような双子の言葉が妙に頭に残って離れない。似たような台詞を唇に乗せ、彼女は勢いよくアクセルを踏み込む。

 半ば自棄になってしまったブラウンのポニーテールを勢いよく揺らす女性、チャチャ。

 隣のルカリオはシートベルトの具合を確認する職人みたいな目で観察している。もう付き合っていられないってか。『れいせい』なポケモンってこんな時に、同情してくれないもんなのかしら。仄かな怒りは時速60kmである。

 

「ううー、でも救いは、アオイさんって人が意外と優しそうな声だったことかな……」

 

「…………」

 

「しかも、声が若々しかった! ってことは、すごーく若い人なんじゃない?」

 

「…………」

 

「ルカリオ! なんとか言ってよぉ! 沈黙が嫌なの!」

 

「…………」

 

 ワフン、とルカリオは溜息を吐いた。そーですね、そーですね、とおざなりな態度が見え隠れしている。

 

「いいですよー、どうせどうせ、マヌケなチャチャって思ってるんでしょー」

 

 しっかりと頷く相棒に一発チョップを食らわせる。時速は100kmを越えた。

 

「嘘でも、違うよって言ってよぉ! もー、やだ、この仕事やめてやるんだから! なんで、生まれた時からの付き合いの君にまで見放されちゃうの!ってわたしがミスしたからですー、ごめんなさーいッ!」

 

 ルカリオが何やら目を細めて説教っぽい「ガウガウ」を言った。たぶん、分かっているなら直せばいいじゃないか的なことを言われているのだと思うけれど……思うけれど。

 

 ミスしないように。そう思えば思うほど空回りして、結局失敗してしまうチャチャにその言葉はどうにも重い。重いったら重いのだ。

 

 けれども、チャチャは諦めない。就職だって根性だ。「諦めないことが取り柄だ」と自己アピールしたのが決め手だったと彼女は信じているのだ。

 船が到着して15分経った。テンガン山脈沿いに走り続け、ミオシティまであと10分に迫っていた。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 長い石畳の上を、車輪を転がして着いたミオシティ北西にある大図書館。

 相変わらず風は肌寒いくらいだ。やはりカーディガンを羽織るべきだったか。今頃トラックでハクタイシティに運び込まれていることだろう。無い物は仕方が無い。

 ハンカチで口を押えてくしゃみをすると、驚いたのかミアカシが膝の上でぴょんと跳ねた。

 

「あっ、ごめんごめん……おっと」

 

 図書館の入り口をくぐるとアオイとミアカシの両脇を子どもたちが走り去っていった。

 

「なんだろう、何か催し物があるのかな? 行ってみようか……」

 

 小さなホールで、思わず身体がドキリとする。

 開いている扉からそっと覗く。どうやら小ホールのようだ。

 椅子に座った女性の前に子どもたちがたくさんいる。

 

 子どもの笑顔とはしゃぐ高い声が頭の奥に響いて――アオイはなんだか無性にイライラしてしまう。パンジャならこんなことはないだろうな、と自分でもバカげた内心に戸惑う。たぶん、自分は子供が苦手なのだろうとたった今気づいた。恐らく普段の生活圏にいない存在だからだろう。

 そんな内省は置いておいて。

 

「あれは……絵本の、読み聞かせ……かな?」

 

 有名な本のようだ。

『100万回生きたニャース』……ああ、あれか、とアオイでも分かる。

 

 ミアカシがアオイの手をポンポンと叩いた。

 

「ん? どうした?」

 

「モシ……モシ……」

 

 ミアカシは読み聞かせで集まる子どもの群れを指差した。

 

「聞きたい?」

 

「モシ……」

 

 図書館は静かにしないといけないよ、というアオイの言いつけを律儀に守るミアカシに、もう一度念入りに「しーっ」と人差し指を口許に当てて確認する。まるで合言葉みたいだ。

 ミアカシはアオイの膝の上からジャンプして着地する。

 

「オーケー。お話が終わったら、あのベンチのところに集合だ。いいね?」

 

 いつものようにシャキッとした敬礼が返ってくる。

 行って、よし。

 アオイもすぐに車輪の向きを変えた。

 これから利用者登録をして、本を借りなければらならない。――絵本を読み終えてしまう前に。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 借りる本はすでに決めていたが、今話題の本や発刊されたばかりの専門情報誌、さらに新書がよく人が出入りする場所の付近に置いてあり、アオイを誘惑した。とても魅力的な誘惑に、ちょっとだけ負けてしまい借りる本が倍に増えたことはミアカシには内緒である。

 

 神話、小説、絵本、叢書。

 

 次々と並べられていく本を横目に利用者手続きを済ませる。さすがは大図書館。嫌な顔ひとつしない。レファレンスサービスも充実しているようだ。

 

「返却は郵送になりますが、よろしいですか?」

 

「はい。承ります。返却期日は3週間です」

 

 司書らしい彼女はニッコリと頷いた。アオイはこういう笑顔が好きである。仕事にかける情熱は本当に好ましい。

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

 調べることは山ほどあるが、とりあえずこの分を借りて……図書館の蔵書はモバイルでチェックできるから、あとはメールで貸出願いを出せばミオの図書館を効率的に活用することが……

 

 アオイの思考を遮ったのは胸に差していたモバイルだ。バイブレーションに驚いて肩を跳ね上げる。

 

「ああ、すみませんね……」

 

 一度、切って後で掛け直そう。

 本を貸し出し用の手提げバックに入れてもらい、膝に抱えて、通話ができるところまで移動する。

 

 何度目かのコール音、そして不意に途切れる。

 

「――もしもし、アオイ・キリフリです」

 

『もしもし! ハクタイ生活援助センターのチャチャです! 今、図書館前に停車しているんですが、アオイさんは今こちらにいらっしゃいますか?』

 

「はい。では、これから正面玄関から外に出ますので。赤っぽい車イスでヒトモシを抱えていたら、それが私です」

 

『ヒトモ……? は、はい!  お待ちしていますね!』

 

 電源を切ると同時に、車いすの駆動音が高くなった。

(急がないと……)

 本を抱えミアカシがいるであろうベンチへ急ぐ。

 

「はっ……」

 

 いない。

 

 陽だまりの中、ベンチだけがほんのりと金色に輝いて見えるのだがそこにミアカシはいない。

 アオイが冷や汗をかきながら、小ホールの出入り口を見つめる。

 うっすらと開けた先にはまだ人の気配がする。

 アオイが扉に近寄ろうと再び車輪を動かそうとした時だ。

 バタンと扉が開き、子どもたちが笑いながら出てくる。

 この時、たぶんアオイの顔は引き攣っていたのではないかと思う。そんな彼を何人かの子どもたちは、物珍しそうな顔をしていた。

 

 ……みてみて、車イス。

 ……どうしたんだろうね、怪我?

 ……事故かも。

 ……クスクス。

 

 目の前がチカチカと点滅を繰り返した。

 

(落ち着け、私)

 

 実際に鼓膜を震わせるものはない。

 これはアオイの妄想だ。度を超えた妄想だ。実際に彼らはこんなことを言っていないし、思っているとは限らないじゃないか。しかし、何度否定しても一度灯った疑心の焔は消えず、アオイの心の底をジリジリと焦がした。

 

(こんな考え、バカげている……)

 

 頭蓋の奥で少年少女の声がぐわんぐわんと反響して、苦しい。

 喉の奥が、きゅうっと絞まったような息苦しさ。

 もしかして、私はこのまま――

 

「モシ!」

 

 不意に我に返った。

 ミアカシの黄色い瞳がアオイを見つめていた。

 

「あ……ミアカシさん……」

 

 額に張り付いた赤毛を払う、ミアカシは不安そうだ。

 私はできるだけ平気に見えるように取り繕う。

 

「……ごめん。なんでもないよ……。外に、迎えが来ているそうだよ……さあ、行こうか」

 

「モシ……モシ……」

 

 服を引っ張るミアカシの手を撫でる。

 

「大丈夫だよ。私は、ちょっとだけ、子どもが嫌いなだけなんだ。とても良くないことを考えてしまってね……私は……昔の私は……以前の私は……」

 

 こんなじゃなかった。――だろうか。

 よく、分からない。

 私はできるだけゆっくりと車輪を動かした。

 

「でも、きっと……私は臆病者なんだろう。パンジャにも何も言えなかったし……」

 

 彼女の気持ちに気付かないほど愚鈍ではないし察しが悪いわけではない。ただ、どうしても、彼女の心に対して誠実に応える気力が生まれないのだ。苦しくて、逃げたくて、背中を向けたくなってしまうから。

 臆病者と罵ってくれて構わない。

 でも、軋みながら廻るこの心に、酷い負荷を掛けないでくれ。

 どうか、そっと、放っておいてほしい。

 

「ミアカシさん、私はね、そんな弱い男なんだよ」

 

 でも。

 でもね。

 

「君と一緒ならば、私はこの先やっていけると思う。それに、諦めるつもりはないからね。この土地で頑張ろうと思うんだ。君と一緒に。君は……私の、大切だからね」

 

 たぶん、ミアカシは訳が分からないという顔をしているだろう。

 今はそれでいい。

 

「さあ、帰ろうか。愛しい恋しい我が家へ」

 

 ミアカシを膝に乗せ、アオイは背筋を伸ばした。

 

 

 

 

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