もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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case10. 午後3時26分まで(上)

 アオイは研究室に似た空間、その黒板の前に立っていた。

 手にしたチョークは垂直に、突き立てられる。カツカツという音が、がらんどうになった研究室によく響いた。

 

「午後3時、レスポーン地点からの開始」

 

「同05分、実験室への移動開始。誤差は5分。それ以上の遅延はできない」

 

「同10分、遅くとも実験室に到着」

 

「同15分、実験準備完了」

 

「同20分、実験開始。誤差は10分。それ以上の遅延は、恐らく、できない」

 

「同20分、実験成功。カブトプスの励起が確認される」

 

「同25分、私アオイ・キリフリの死亡につき以降未だ観測できず」

 

 アオイは短くなったチョークを床に投げ、踏みつぶした。執拗に踏み続ける理由を、彼自身考えあぐねていた。喉が勝手に動いては、低く呻く。ただ感情の制御ができなくなりつつあるらしいことだけは、辛うじて自覚できていた。今ではスプーンを落としただけで笑い転げ、フォークを持ったら唐突な怒りで、誰かを刺すことができるだろう。

 

 5回の試行で手に入れた情報は、箇条書き7行程度の情報量にしかならなかった。

 

 そのことに焦りを感じ始めている。アオイは脚を止め、必死に思考をまわし続けていた。試行が終わっても1回目のように呆然とすることは、2回目以降無くなっていた。

 

 冷静に、慎重に、選択を行動し続けた結果が20分かけて自分と『彼』を惨たらしく死に至らしめる結果なのだ。妥当な焦燥だった。

 

「アオイ、行儀が悪いぞ。あなたの靴が汚れるだろう。掃除するのは誰だ? むろん、わたしだとも」

 

 かつての研究室を再現するかのように、彼女――今はメアリ-・スーが眉をひそめて言う。パンジャに似た彼女は、嗜好も彼女に似ているらしく共有空間において不愉快に思ったことをハッキリ言うらしかった。

 

 アオイは応じずに無視した。理由は単純で、メアリーが勘ぐるように機嫌の善し悪しでも、むしの居所の良し悪しでも、気分の高低でもなかった。返事に割く思考力が無かったのである。

 

「……まあ、いいや。それで? そろそろできたんだろう?」

 

 メアリーはそう言って、パイプ椅子の背もたれをギシリと鳴らした。

 

「次回への対策とやらを話し合おうじゃないか」

 

「……あぁ。その前にすこしだけ休ませてくれ……すこし……疲れた」

 

 アオイは椅子に座ると眠るように目を閉じて、背を丸めた。考え続けた頭には、何も考えない時間が必要だった。

 

 黙祷に似た数分の後に、メアリーは言った。

 

「余計なお世話を試みるが、あまり死にすぎると君の精神衛生に良くないよ」

 

「そんなことは分かっている。私だって何もすき好んで死に続けているワケではない。……まあ、ミアカシさんが見えてきたらいよいよヤバイかな、とは思うが」

 

 アオイは、脚に力を入れて立ち上がった。

 

 ヒトモシのミアカシ――彼女の焔の気配を、アオイは夢の中で感じたことがない。外の世界で眠っている自分のそばに彼女がいることを確信しているアオイにとって、それは猶予を意味した。

 

 ふたりは黒板を見渡した。

 

「結論だ。カブトプスが使っているのは、『げんしのちから』だろう」

 

 5回目で得た解答に、メアリーは3回の拍手で応えた。

 

「解説を求める」

 

「衝撃波による攻撃方法とカブトプスの覚えるわざの構成――照らし合わせれば、これしかない。現時の世界では、きっと痕跡があったのではないか。『げんし』とは即ち『原始』。手つかずのありさまだ。焼けたにしては不自然なほど早く自然が芽生えた、とか」

 

 果たして。

 アオイの想定は正しかった。

 イッシュ地方シッポウ。廃墟同然の研究室に立ち入ったパンジャは苔に覆われた実験装置を見ていた。

 

 とはいえ、彼らは外界のことを確認しようがない。

 メアリーが、嫌味っぽく笑って頷いた。

 

「ふむ。まあ、あなたがそれを正答だと思えば、そうなんだろう、あなたのなかでは」

 

「私の思い込みではない。3回目の試行で浮遊した岩石を見た」

 

 アオイは腕組みをして黒板を睨んでいた。

 

 3度目の試行において、得られたことは「からだ半分」復活したカブトプスが「わざ」を使うところを目撃できたことだった。もっとも、アオイは1回目の試行より酷い状態だったため、その後に起きた建物の崩壊時にあっさり死んでしまったのだが。

 

「げんしのちから。はて。あまり効率のいい技ではなかったような記憶だが、アオイは覚えているか」

 

「任せろ、博打は得意だ」

 

 皮肉っぽく言えば、メアリーがパッと目をまあるくして、そして、ケタケタと笑った。

 

「博打! そうだ、博打だったな!」

 

 げんしのちから、それは、現在において未だ解明されていない「原始」の力で相手を攻撃する技である。

 

「原始」とは何か。

 

 アオイは「てつかずのありさま」と解したが、それは感想で本質を差したものではない。ただし効果は検証されている。その技を使ったポケモンは、すべての能力があがることが ある。アオイが評した「てつかずのありさま」とは、即ち「ありのまま」。生命に宿った力が、生存の危機に起こす奔流。それは、失われた原始の時代に使われていた力だと考察している。

 

「君らしい、実に君らしいじゃあないか。くっふふふふ、負けるために勝負を挑む君らしい! 最後の最後に君が挑まなければならないのが、さんざ泣かされた確率だとは、ふっふっふっふ、上出来じゃあないか! なあ!?」

 

 パンジャに似た彼女にゲラゲラと笑われるのは非常に向かっ腹が立った。

 

「本当にそうだから反論できない。そうでなければ君をぶん殴りたいところなのだが……」

 

 彼女にバカな話を、と言って笑えたのは前回、4回目の試行までだった。

 

 4回目は3回目までの試行に比べ、アオイが負った怪我が浅いものだった。そのせいで見てしまったのだ。

 

 手の甲で額を叩きながら、アオイは言った。

 

「確率に勝ったのはカブトプスだ。二度目の攻撃に威力が上がっていたように思う。一撃を耐えていたジュペッタもろとも、私も吹っ飛んでしまったし」

 

「君というヤツは本当に賭けに弱いなぁ」

 

「私は、それでも、一度勝ったことがある」

 

「なに?」

 

「『化石の欠片から復元することができる』。この確信があるから事業を始めることができた。それが偶然の産物であっても、世界との最初の賭けに勝ったのは私だった」

 

「一番最初の試行? いったい何の……。ああ、現実世界における最初の成功例のことか」

 

「…………」

 

 前人未踏の知識領域に、最初に手をかけたのはアオイだ。

 

 物事の最初は、どうすれば成功するかどうかわからないではなく、そもそも成功するのかどうか分からなかった。

 

 それもそのはず、保存状態99%であっても成功率は100%ではない。技術革新なくして誰も定説を覆すことができないと思っていた。

 

 技術による足し算は、きっと成功するだろう。だが、欠損による引き算があったとしても成功することを、誰も信じていなかった。――ここにいる、アオイ・キリフリという人物を除いて。

 

 最も未知数で、最も困難な実験を成功させ、可能性が存在する「1」であることは実証されている。

 

「それは私の誉れだが、最初に成功させたばかりに取り憑かれているのかもな。どんな低確率であっても、引き当てられる気がしてならない……」

 

「それはそれは、気の毒になってきたよ。――それで? 事態を解明したのならば対策だ。攻撃を防ぐ手立てはあるのか?」

 

 アオイは、しばらく思考を動かす。しかし、答えは決まっていた。それをわざわざメアリーに伝えることは、気が重かった。

 

「私には、無い」

 

「おっと。これは詰んだかな」

 

 首を横に振る。それは強がりでは、なかった。

 

「私の手札に無いだけで、場にはある」

 

「ううん? パンジャのポケモンをアテにしているのかい?」

 

「違う。それに却下だ。第一、パンジャも立ち位置によっては無事に済まないことが2回目で証明されただろう」

 

 2回目、冷静に事態を見つめることを目的とした試行だった――のだが、いざ事故直前になるとジュペッタのことが気がかりで、アオイはパンジャに「壁際に待避するように」という指示を忘れてしまったのである。その結果、本来アオイが負うべき怪我の半分をパンジャが負うことになった。アオイもパンジャも動けなくなったことで、復元したカブトプスによる攻撃があり、試行失敗。――3回目の試行へ飛ぶことになる。

 

「5回の試行で分かったことは、カブトプスが原始の力以外の技を使わないことだ。正確には、使いたくとも使えないのだろう」

 

「からだが半分しかないのに、それだけの技が撃てれば十分だ。現にあなたを仕留め続けている」

 

「ああ、そうだ。……だからこそ、止めることができる」

 

 黒板に、多くの感慨を込めて書いた文字を見つめる。願えるならば、使いたくない手段だった。

 

「ジュぺッタの『おんねん』を使えば、止めることは可能だ」

 

 おんねん、とは。瀕死状態になった時、相手が直前に使ったわざを使えなくする技である。

 

 アオイは、生前のジュペッタと仲が悪かったので技の構成をほとんど知らない。しかし、「おんねん」だけは、彼にとって特別な思い入れのある技らしく、それを好んで使うのを知っていた。

 

 人間を憎み、指示されることを嫌うジュペッタが勝負に負けると分かった時に使うのは、相手の驚く顔を見たいからだろう。

 

 せめてもの悪あがきだ。手が届かないのなら、一瞬だけでも注意を引きたい。――その思いを、アオイは痛いほどに知っていた。

 

「攻撃手段がひとつしかないのは幸いだな。おんねんで封じてしまえばいいわけだ」

 

「いいや、奥の手だ。使いたくはない。まだ他の手段があるかもしれない。私は、そちらの可能性を探る」

 

 結論を急ぐべきではないというアオイの意志に、メアリーは驚いたように目を瞬かせた。

 

 

「おいおい、ここは時限制の世界だぞ、アオイ。正気か?」

 

「私は、正気だ」

 

「狂人は皆そう言うのだ。冷静に考えろ、アオイ」

 

 アオイは腕を摩った。

 

 攻撃を防ぐ手段は存在する。それは命に等しいものを犠牲にして、辛うじて成り立つ可能性だった。不安定で、歪であることは、間違いない。

 

 現実の世界の正答は、『ジュペッタがおんねんを使ってカブトプスの技を封じ、その隙にパンジャが自分を掴んで上階へ避難した』なのだろう。

 

 夢の世界では、別の方法があるのではないだろうか。

 

 アオイは、この考えに固執していた。『現実に近しい手段を取りすぎては、現実と同じ結末を迎えることになる。だから全く別の手段がどこかにあるはずだ』と。

 

 だが、実際の問題として全員が無傷で生還することはできないだろうとも思っていた。

 

「策があるのか?」

 

「まだ思い浮かばない。それでも、どこかにあるはずだ。現実では選べなかった何千、何万、何億の選択肢のなかで、今だから選べるたった一つの最優の策が」

 

「あなたは、悪夢で夢を見るつもりか? 君に都合の良い夢など、都会で惑星を見つけるようなものさ。何も見えないだろうさ」

 

「私は、この命の限り、別の可能性を模索し続けたい。試行錯誤の果て、そこにこそ成功があるはずだ」

 

 信じて手を握るアオイの前に、メアリーが立った。

 

「次がダメだったらどうする? 次の次がダメだったらどうする? 次の次の次がダメだったら、君はどうしてしまうんだ?」

 

「……私が選んだ。私が成した。それだけだ。それだけで、納得できるはずだ」

 

「現実を見ろよ、アオイ。ジュペッタにおんねんを使わせる。瀕死になったジュペッタを連れて逃げる。シンプルかつロジカルな回答だ。この他に、君たちが生きる可能性があると思うのか?」

 

「ある、だろう。まだ私は思いつかないが、きっとあるはずだ! 無ければいけないんだ!」

 

 誰も痛くない。苦しくない。そんな世界があるはずだ。現実を裏返した悪夢ならば、必ず。だが、アオイの幻想を打ち砕くのは、いつも彼女だった。

 

「怖いのではないか、君」

 

 息が止まった。

 

 怖い? 怖いって何だ? 5回も死を乗り越えた今になって怖いものなど無い。即座に言い返すべきだったアオイは、震えたまま動けなくなっていた。

 

「『正答に見える選択』だ。『正当らしい正答』だ。正解みえるその選択が、間違っていた時のことを考えると怖くて怖くて前に進めないんだろう」

 

「そんな……ことは……ない……」

 

 言葉とは裏腹に、アオイは焦っている自分を自覚した。

 

 失敗して繰り返す度に「次こそは」と強く思う。それを打ち砕かれて、また勇気をかき集めての繰り返し。死への恐怖も乗り越えなければならない。

 

(失敗する回数が増える度に、成功する光景が描けなくなる)

 

 これは、心の弱さだろうか。

 

 それとも、私がまだ正常な人間であることの証明だろうか。くだらない。そんなこと、証明して何になる。たったひとり『彼』を救えない代わりに、正常に踏みとどまる自分に何の価値がある?

 

(集中しろ、私は、やり遂げるんだ)

 

 それでも。

 

(現実ではどれほど時間が経っただろう)

 

 なんて。考える度、焦りは募る。判断は鈍る。逃走路ばかり探して回る目が止められない。

 

 直視することを避けていた恐怖が、いま追いついた。

 

 実在する悪夢が、黒板を叩いた。

 

「わたしはメアリー・スー! 悪性正義の現し身である! なので正しいと思ったことは指摘するとしよう!」

 

「黙れ! 私の好きなようにさせてくれ、私の夢だろう!」

 

「いいや、アオイ。あなたの夢は、わたしの手のひらにある期限付きで限定された自由だということを忘れてはならない! 悪夢が悪夢らしくあるために、あなたがこれを考えるのは必要なことだ!」

 

「失せろ! ――私がどんな痛みを負うのも構わない。だが、ジュペッタが傷を負うことだけは間違っている。そんな世界を、私は認めない! 認めてなるものかッ! 何のための『やり直し』だッ!? この証明は事実を『確認』するためのものではない! あんなことは、二度と――二度と存在してはいけない! これは『再構成』でなければならない!」

 

 ――君は!

 

 本当は、そろそろ黙ったほうがいいと頭の賢い部分が囁いていた。だが、アオイは5回の試行で忍耐の限界を超えている。辛うじて押さえ込んでいた感情が堰を切った。特別に難しいことではなかった。メアリーの外見がパンジャそのものだという事実も、彼を混乱に陥れていた。

 

 息苦しい思いで、アオイは叫んだ。

 

「君の生死観がおかしいのだろう! どんな形であれ存在すれば『死んでいない』と言いう君が狂っている! それがたとえ死体だろうと欠片だろうと『死んでいない』と言い張る君が!」

 

「――わたしは、生命の連続性で価値の軽重を計らない」

 

「パンジャ、君はいつだってそうだ! 君は命を見ていない! 目の前の温かい生命と数字の羅列が、どうして同じ存在であると言えるんだ!」

 

「――等しく扱うことで、払う労力が減るからだ」

 

「それなら、私がジュペッタに執着することも愚かだと思うか? 今さらの愛着を無様だと笑っているのか?」

 

「――メアリー・スーは、愛を笑わない。観測する天体の眼球に過ぎないからだ」

 

 アオイは、黙る。何を言っても無駄のようだと悟った。そもそも、これはよく似ているがパンジャではなかったことも思い出していた。パンジャの文句をメアリーに言っても仕方が無い。

 

「メアリー。君は、メアリー・スー……だったな。冷静さを欠いていたようだ」

 

 アオイは瞼を押さえて、深呼吸した。

 

「死ぬほどの思いをしているにしては、まだまだ元気そうで何よりだ。しかし、回答が欲しい。最も生存確率の高そうな選択肢を放っておいて、多寡の知れない可能性にうつつを抜かすのは、リアリストの君らしくないのでは?」

 

 リアリスト、という言葉に、アオイは思わず笑ってしまった。力の無い笑みだったが、わずかに元気が出た。現実主義者ならば、夢のなかにいないだろう。しかしここは夢のなかでも、悪夢のなかだった。すると現実主義者がいてもおかしくないのかもしれない。なんせ現実も悪夢と大差なかったのだから。アオイはまた笑った。

 

「……成功する保証はどこにもないが、失敗する保証もないからな」

 

「あまり突飛なことを行うと隕石が降ってくるぞ」

 

「現実に近い選択肢を私は選びたくない。夢の中であっても、あの子を、これ以上辛い目にあわせたくないんだ。……だから他に方法があれば、私はそれを選びたい」

 

 その選択は、アオイが持ち合わせ、今だから選ぶことのできる唯一の愛情表現だった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後の試行は苛烈を極めた。

 

 最も高い成功率を選ばないという選択をしたのだから当然だ。

 

(――私は、選ぶことができる。だから選ばないだけだ)

 

 それは健全な未来の可能性を保証をする代わり、アオイの精神を削り続ける理由になった。

 

 今回も、前回とそう変わらない結末を迎えた。

 

 爆発の数瞬前、アオイは伏せることを選び、コンソールごと爆風で飛ばされた。壁に叩きつけられた先で、瓦礫と化した機材の重みに耐えかね両足が折れたところで一度意識が落ちた。

 

 再び目を覚ましたとき、頭がどこかおかしくなったようで痛みを感じなくなっていた。時間にすれば数分。恐らく、ジュペッタは今頃焼けているだろう。

 

 早く次の試行へ飛ばないかと願う頭の上に、声が降ってきた。

 

「アオイ」

 

 怪我をした脚から目を離して、頭を上げるとパンジャが立っていた。彼女が手放した鉄パイプが落ちる。ガラガラと空々しい金属音が狭い空間を反響した。

 

「……怪我、酷いな」

 

 アオイの声は掠れていた。ひどく空気が悪く、喉の奥が痛かったのだ。そのせいで泣きそうな声になっていた。

 

「カブトプスは硬いな。石を砕くようなものだった。ン……」

 

 跪いて機材をどけようと震える手に力を入れる彼女の手は、火傷にまみれていた。手だけではない。よく見れば身体のあちこちが焦げていて、首を傾げた彼女だけ言葉以上の意味を解していないようだった。

 

「君のほうが酷いよ」

 

「そう、だな」

 

 会話を続けるアオイは、ぼんやりと彼女の顔を見ていた。

 

 ……いっそのことトドメを刺してもらって次の試行へいこうか。今回の試行は、もうダメだ。

 

(次は……何を、しようか。するべきか)

 

 事故直後の待避はいつも上手くいかない。

 何かを仕掛けるとしたら事故前、という示唆だろうか。

 

「これをどかす。地上に帰ろう」

 

「このままで、いい。ご苦労だった……」

 

 ここにいれば故障した機材から火が出て、建物を包むだろう。煙は今以上に苦しいが、火に巻かれるよりはマシだ。

 

 ここに至ったら、もう何をしても仕方が無い。アオイに残された選択肢とは、こうしてせいぜい自分の苦しまない方法を探すだけだった。

 

 不本意に毎回迎える死の淵で、焔の爆ぜる音やパンジャが名前を呼ぶ声を聞き、時には助けの間に合わなかった亡骸を見つめている。

 

 アオイは、自分の選択肢を正しいと信じたい。

 

 ジュペッタのおんねんに頼るよりも確実で、痛みの少ない方法があると信じたい。それでも、誰かが苦しみ、傷つくのを見る度に「あぁ、あちらの選択肢では、こんな最期を迎えることにならなかったのだろうか?」と考える。

 

(私が選ぼうとしている選択肢は……本当に存在するのだろうか)

 

 この世界で最も存在を信じなければならない私自身が信じることができていない。むやみに苦しんで、疲弊して、それに生き甲斐を見いだそうとしているのではないだろうか。そうだとしたら、私は。

 

 アオイの思考は、鮮やかな赤に中断された。

 

「パンジャ……?」

 

「君は本当に、わたしの欲しい言葉を、言ってくれるよなぁ」

 

 何のことか分からず、アオイはパンジャの白い顔を見つめていた。次第に焦点を失っていく彼女の瞳が、舞台の幕を下ろすように暗くなっていた。

 

「パンジャ……!」

 

 ピクリとも動かない廃材は、重いのではなく。

 

「……すまない、アオイ……すこし、疲れ、た……」

 

 温く湿った音がした。

 

 アオイの隣にゆっくり身体を倒していくパンジャの背に、酷い傷口が見えて、アオイは暫し言葉を見失った。なぜ動くことができているのか分からない。ようやく出てきた言葉は「そう」という、情の無い淡泊な言葉だった。

 

 本当は、君のためを想って言った言葉じゃないと叫んでしまいたかった。ただ、この試行に未来は無いから、次へいきたかっただけだ。それを知る由のない彼女は、ひどく疲れた人間が柔いベッドに倒れ込む時のように、安らいだ顔をしていた。

 

「パンジャ、私は……」

 

 この世界の誰より利己的で醜い人間だと、蔑んで欲しかった。けれどアオイが何かを言うより先に、パンジャは掻き消えそうな声で言った。

 

「君は、間違っていない……間違いなど、あるわけがない……わたしは、君に救われているのに」

 

 彼女に何を言ったとして肯定しか返ってこないとアオイは、もう知っていた。だから、こんなことに時間を費やすべきではなかった。

 

「……パンジャ、どこか、痛むか」

 

「べつに、ただ、疲れた……眠い……気がする」

 

「眠っていていい。私が起こすから」

 

 手の甲で、アオイはパンジャの頬を撫でた。

 

「そう。それなら、すこし、眠って……いいだろうか……?」

 

「ああ、おやすみ」

 

 安心したように彼女が息を吸い、そのまま止まった。焼けた髪留めが壊れ、流れた髪が彼女の瞼に落ちた。金属は、いつだって空虚な音を立てる。その反響が、今は永遠に続けばいいのにとアオイは思った。

 

 唇が微かに笑っているように見えるのは、そうであってほしいという願望が見せる錯覚だろうか。

 

「……すまない、パンジャ」

 

 アオイは、何度目かの繰り返しのなかでパンジャへの憎しみを捨てていた。

 

「最後しか嘘を吐かなかった君と最初から嘘を吐いていた私の、どちらがより罪深いなどと比べることが間違いだったな」

 

 縋るように伸ばされていた手が持ち主の代わり、アオイを責めた。かつての白い手は赤黒く焼け、手袋の繊維と同じ物になっていた。微細にも動かないそれが生命活動の停止をまざまざと見せつけてくるようだった。

 

『見ろ! お前のせいで、わたしは死んでしまったというのに!』

 

「違う……私はただ救いたかっただけだ……」

 

 轟々と響く焔の音で声が消えた。それでも弱々しく、アオイは言った。呟くような声だった。胸を張って言えるものは、もう何も無い。

 

 こうして犠牲を積み上げる度に、自分の正しさが分からなくなっていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 10回目の試行。

 6回目以降、順調に失敗を続けたアオイの心労は極限に達していた。

 肉体の辛苦は試行毎にリセットされるが、精神の疲労は悪夢のなかに留まる限り、癒えることがない。

 

 このような状況のなかで思考というものは、肉体より精神に依存するものらしい。

 

(だめ、だ……頭が、まわらない)

 

 何も考えたくない。だが現実逃避することができない思考は、停止することで破滅を回避しようとしていた。

 

 ここは研究室。

 隣の席で、手が重ねられた。

 

「アオイ?」

 

 凜とした声に惹かれて視線を向ける。

 

 ぐらぐらした視界に、パンジャが現れた。

 

「パンジャ……私は……何を、しているんだろう?」

 

 アオイは前髪を掴んだ。ぶちぶちとと髪が抜けるのも気にならなかった。呼吸が定まらない。目が泳ぐ。そんな自分に、動揺する。

 

「何をどうすればいいのか、分からないんだ……。現実を裏返した悪夢ならば、ジュペッタを救う方法があるはずなのに……ここにもないのなら、私は、何のために、これまで私は……私は……」

 

 頭が、おかしくなりそうだ。

 

「アオイ……」

 

「すまない……パンジャ。私は、君が思うほど優秀な男ではない。君が信じるより誠実な男ではない。君が信仰するほど崇高な志も持っていない。それでも、私は、いつだって君の望む私でありたかった」

 

「何を……言っている? アオイ、君は……」

 

 反応に困るという風な彼女が、戸惑いがちに口を開いた。

 

 アオイの言葉はとどまることを知らない。話を続けなければ、この現実に耐えきれないというように淀みなく続いた。

 

 

 

「ここは、夢なんだ。ダークライが私のために設計した舞台で、君たちは登場人物に過ぎない。私は何度も繰り返して、欲しかった未来を探している。……でも、見つからない。本当にあるのかどうか、今は疑っている。――この現実は全て悪い夢なんだ」

 

 

 

 この言葉が、誰に、何に、どのように影響するか。

 アオイは、まったく考えることができなかった。

 




【あとがき】
 思考がクラッシュし始めたアオイ。見えている爆弾(たまに自動で爆発する)にわざわざ点火し始めるあたりだいぶやられちゃっている。

【なんとなくお気づきの参考資料】
 作者がこれを書き始める時、一部の界隈でブームだった「ループもの」。挑戦してみたいと思ったのが書き始めるきかっけでした。最も参考にしたのは64ゼルダ第2作目です。好きな作品のひとつというのもあったのですが、どんなにスケジュールを調節しても全員幸せにできないとか、考えさせられる内容がとても印象的でした。

【更新について】
今後も頑張ります! お楽しみいただければ幸いです!

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

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