もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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識る者は識らない者を疎み、識っていた者は識ろうとしなかった者を喜ぶが、識らないままでいたかった者を悲しんだ果てに、識らないはずだった僕が賭に出る。

 

 

 祈るような毎日が続く。いいや、続くなんて大袈裟だ。訂正しよう。1日と半分。たった。それだけ。『たった』のそれだけなのに、もう何年も経っているような気分だった。

 

 病室の片隅の椅子に座り、蹲り、組んだ指の先に額を預けて、祈る。

 

 アオイさんが目を醒ましますように。――僕の願いは、もう、ただ、それだけだ。

 

「君は、聖職者のようだよ」

 

 カラマツ医師が、点滴の尽きる前に現れた。手際よく、交換していく作業を、マニは虚ろに見つめて、ああ、と息を吐いた。

 

「そういえば、アオイさんは、無神論者でした。神を信じず、愛さない代わりに、隣人を信じ、尊敬する母を愛していました。たぶん。僕の祈りは……ただ、僕が救われたいだけのものです」

 

「自分で自分を救うことができるのなら、上等だ。それができなくて、人は狂い、腐っていく」

 

「……どういう、ことでしょうか」

 

「君は、救うことを手のひらで悉く掬うことのように考えていないだろうか。それは、よくある誤解なのだ。救済とは、納得が形を変えたものなのだ」

 

「納得が、形を変えた……?」

 

「アオイさんには成人男性の平準以上の栄養を入れた。解熱剤もありったけ。さて、私の打てる手は尽くした」

 

 アオイが、実験を開始したのは正午0時。

 外界に残された時間は3時間になっていた。

 

 医師が、そう言うのであれば、もう手は無いのだろう。

 

「……定刻の時間まで、しがないヤブの昔話をしてもいいだろうか?」

 

「はい、どうぞ。もう、もう、なんなりと……なんだって。なんだっていいですよ」

 

 マニは、諦めて目を閉じた。

 

「ミオシティの少年の話だ」

 

「死んだでしょう。とっくの昔……まあ、10年は経っちゃいないでしょうが……」

 

 慎重に言葉を選ぼうとして、ぶっきらぼうな言葉が出た。

 

「少年は死んでいない」

 

「……なんでそんなことを、あなたが知っているんですか?」

 

「私は……私は、知るつもりはなかった。好んで知ったわけではない。ただ、私の先輩がミオシティに勤めていた。私に、田舎の診療所に行けと呪いをかけた先輩だった」

 

「…………」

 

「優秀な先輩だった。頭が良いのは当然。キレる、というのは元来ああいう人に使うのだろう」

 

「でも、ダメだったのでしょう?」

 

 この話の結末を、たぶんマニは知っている。性格悪く言えば、2例目が今まさにできあがりそうであった。昔話は、生産性が無い。

 そんなことをつらつら考えながらも、遮ることができないのは、マニが疲れているからだった。

 

「彼は、常識の通用しない病状だったと語る。経管栄養で、消費されるエネルギーは満たすことができる。しかし、熱が下がらない。最初にダメになるのは、頭だ」

 

 ああ、だから、首を冷やしているのか。マニは医師が、アオイの体温を上げすぎないようにしている理由を知った。だが、あまり効果がありそうには見えない。

 

 アオイの身体に被せてある薄い布をめくり、彼の手に触れる。熱い。末端の手指でさえこうなのだ。

 

「死んでいないのなら、どうして、あんな噂が……」

 

「死んでいないから、噂が立つんだ」

 

「それじゃ、少年はどこに?」

 

「7日後、熱は引いたそうだ。その代わりに眠ったままになった。自宅にまだ住んでいるのだろうよ。それでも、きっと、放っておけば死んでしまうのだろう。――ダークライの伝承は、現在の科学が追いつき、尽き崩した。死にはしない」

 

 命を救うだけだ。

 それだけじゃダメなんだとマニは思う。

 

(僕は、生きて動いているアオイさんに用があるんですよ。もう一度、目を醒ましてくれるのなら……僕は、何だって)

 

 じっと、考え続けるマニの隣で医師は続けた。

 

「先輩は少年の事件後に行方不明になった。……私は、この街に置き去りにされたようなものだ。どこにもいくことができない。そろそろ戻ってきたらどうだという声が欲しかったのかもしれない。しかし、その機会を永遠に逸した」

 

「あなたも真面目な人ですね、先生。そんな口約束を堅気に守ったりして。先生は自由だ。どこへなりといけばよかったのに」

 

「そうできれば、私も、どれだけよかったか……」

 

 ここには、信用していた人に捨て置かれた老医師がいた。

 

「…………」

 

 マニは、医師の気持ちが、すこしだけ分かる。一方的な約束でさえ、こうして心を縛るのだ。

 視線を落としたマニは、ふらりと立ち上がった。

 

「先生。お話を、ありがとうございます。僕……僕……すこし、頭を冷やしてきます」

 

 どこにいこうというのだろう。歩き出しながら、考える。マニは寝ていなかった。そのせいか、頭がひどくぼうっとした。

 

 世界のどこにも居場所が無い気分だ。

 歩いていなければおかしくなりそうだった。

 

 

■ □ □

 

 

「マニさーん」

 

 呼び止められて、ハッとした。

 

 道がある限り歩き続けるはずだった幽鬼は自分の名前がマニ・クレオであることを思い出し、ここがハクタイの森近くの公園であることに気づき、呼び止めた少女の名前を呟いてみた。

 

「あ、わあ、あぁ……リリさん。おはようございます……」

 

「わっ。マニさん、お顔が真っ暗。どうしたの?」

 

「はは……ああ……いやぁ……どうも……」

 

「それに、もうそろそろお昼よ?」

 

 ――だから『こんにちは』でしょう?

 

 その言葉を聞いた瞬間、マニの頭の中は感情と思考が混線して、ぐちゃぐちゃになった。

 

 自分でも制御できない。膝を折って

 

「うぅ……うわぁぁ……わぁぁぁっ! ……僕は、僕はっ……! 何も欲しくなかったんだ……ただ、憧れて、ただ、皆が必死になれるのが羨ましくて……そ、それだけ、だったんだ……」

 

「マニさん!?」

 

 リリは、崩れ落ちたマニの肩に触れる。男の人がボロボロと泣き出すところを見た彼女も、ワケが分からず混乱していた。驚いたロコンが、鋭く吠えるのをなだめながら、公園のベンチにマニを誘導した。

 

 それから、マニが落ち着くまで10分を要した。通行人がいなかったことは幸いだった。

 マニは、長い溜息を吐いて熱い目を擦った。覗き込むように、リリの丸い目が、自分を見ていた。

 

「嫌なことなら……話さなくていいからね?」

 

「ごめん、本当に、ごめん。僕って、かなりダメなヤツっぽくて……ほんとに、ごめん……」

 

「自分のことをそんなふうに言っちゃダメだよ」

 

「アオイさん、ほんと見る目ないよ。あれ節穴だよ。僕なんかアオイさんの代わりになるわけないのにさ」

 

「お仕事の話?」

 

「まあ……似たような、もの、かな。ねぇ、リリちゃん……。人間って死んだらどこにいくのかな?」

 

 独り言のつもりだったマニの言葉は、リリを一瞬にして石に変えた。彼女はギュッと小さな手でマニの手を握った。

 

「ダメ! ダメなんだから! マニさん! 変なこと考えないで! 人生悪いことばかりじゃないんだから!」

 

「へ? あ、ああ、い、いやぁ、僕じゃなくて――」

 

 今もっとも天国(地獄かもしれない)に近いアオイさんのことなんだけど、とは口が裂けても言えないマニは、へらへらとした笑みを浮かべた。

 

「ほ、ほらぁ、僕のお仕事でさ。あの、神話の、解釈的な問題なんだけど……」

 

「そうなの?」

 

「そうなの」

 

「本当に?」

 

「ほんと、ほんと、ほんとんとん」

 

 リリは疑惑に充ち満ちた目でマニを見つめていたが、やがて折れてくれた。

 

「信じてあげる。お父さんには言うけど」

 

「ありがと。それで、ええと、どう思う?」

 

「どうって……だって、見たことないし」

 

「僕もだよ」

 

「もう。マニさんは? どう考えているの?」

 

 深く考えないようにしていたことを突っ込まれてしまい、マニは顔に現れない狼狽をした。

 

「あ、うん、僕は……魂は存在するのだと思う。アオイさんのヒトモシは、生命力を燃やしているってポケモンなんだ」

 

「そうなの? ゴースみたいなものだと思ってた。ゴースより、形がありそうだけど。でも、そっか。ゴーストタイプだもんね。ミアカシさん、綺麗なのに」

 

 わたしは、エスパーのポケモンだと思っていた、と彼女は言う。ロコンと仲が良いのよ、とも。

 

「うん。それで、ヒトモシが進化するとランプラーっていうポケモンになるんだけど、そのポケモンは魂が肉体から離れるとヒョイって吸い取ってしまうんだ」

 

「えっ。イッシュ地方って物騒なのね……」

 

 その言葉に苦笑して、マニは組んだ指を見つめた。

 

「だから、死んだら……人の魂は、どこかにいくのだと思う」

 

「どこかって?」

 

「それは……まだ分からない。僕らの科学力は、まだそれを観測するレベルまで辿りついていないんだ。シンオウ神話における廃棄場、やぶれた世界かもしれないし、ディアルガやパルキアが関与しない時空の堆積所かもしれない。はたまた、アルセウスがせっせと世界の運営をしているのかもしれない――」

 

「むつかしい……」

 

「ご、ごめん……! ええと、つまり、分からないってことだけ、分かってくれたらいいかな」

 

 彼女は頷き、マニも「ほう……」と息を吐いた。話し終わると、すこしだけ落ち着きを取り戻した気がした。しかし、なぜだろう、妙に頭の奥がそわそわする。

 

「わたしは……なんだか、寂しいところにいってしまう気がする」

 

「寂しい?」

 

「きっと寒くて、凍えてしまいそうなところにいくのだと思う。行きたくないけど。きっと、それは、仕方のないことなんだって思う……」

 

「……そう…………」

 

 慰める言葉も思いつかず、マニは頷いて黙った。きっとアオイなら、気の利いたことや敢えて空気の読まないことを言って、この話を雑談のなかに流すことができただろう。でも、マニにはそれができない。こんなことでさえ、差を見せつけられるのだ。

 

 ――と、普段のマニなら思ったことだろう。

 

 だが、今日は違った。

 

(温かい? 寒い? 凍えてしまう? 死? ……何だろう。何か、引っかかる)

 

 目の前で、幻の焔が点いたり消えたりを繰り返す。

 

(7日を超えると、肉体より先に頭がオーバーヒートしてしまうんだろう。脳の許容を超えて、仮想現実を見続けようとする。過去を繰り返しているのなら、まだマシだけど、未知の未来を再現しようとすればその労力は再構成の比ではない。……死因は、脳の過労死だ)

 

 神経線維の電気信号を外界電極でリセット。浮かんだ案をすぐに切り捨てる。ダメだ。危険すぎる。

 

(きっと、外界から接触することはできない。ダークライの悪夢は『完璧』だ。アオイさんの意識は深く沈んで、自力で浮上できないのではないか。――論文の危険性のほとんどはそれに言及していたし――誰も、何も介入することはできない)

 

 誰も。――本当に? そうだろうか? 見落としているものはないだろうか? ――何も。――本当に? 介入することはできない?

 

(――果たして、本当に、そうだろうか?)

 

 考えろ、マニ・クレオ!

 

 長い前髪をくしゃくしゃに握って、マニは歯噛みした。

 

 諦めるな、決して!

 諦めるには早い!

 だって、まだ2時間ある!

 諦めるな! 前を向け!

 

「だって……今だけは、諦めたらダメなんだ」

 

「マニさん?」

 

 リリが、また驚いて目をまるくした。

 その顔が、珍しく――あまりに幼い顔だった。

 

(アオイさん、あなたは、ちょっと間違っていた)

 

 何も知らないことを、あなたはきっと罪だという。

 けれど、直向きで一途な純粋さは、たった今マニを救った。

 

 マニは手ぐしで髪を整えながら笑った。

 

「僕は……ずっと、本気になれるものがみつからなかったんだ。皆が夢だと語るものが、僕にはなかった。だから、皆が羨ましかった……」

 

「今も?」

 

「ううん。今は違う。それに、夢が見つかった」

 

 マニは、清々しい思いで正午に向かっていく太陽を見つめた。

 

「僕は、アオイさんみたいな人になりたくない」

 

「…………あ、憧れてないの?」

 

「うん。わがままでもいいけど、最低限周りに迷惑かけないわがままをしてほしいよ。あんな大人に憧れた時もあったような気がするけど、ありゃだめだよ。リリちゃんも気をつけるんだよ。一方の僕は、環境に優しい大人になるのであった。決めたぞ!」

 

「げ、元気が出たなら、よ、よかった? ね?」

 

「ああ、元気でたよ。だから……」

 

 これ以上、話していると無闇に感動して泣きそうになる。明るい話題のうちに彼女には家にお帰り願おう。

 良かった、という彼女の顔は、暗い。心配事のある顔をしている。

 

「……あの、もし、知っていたらでいいんだけど……」

 

「なんだい?」

 

「アオイさんと最近会ってないの。ヒトモシのミアカシさんなら家の裏の畑で遊んでいるのをよく見るんだけど……家は暗いし、アオイさん、家にいるって感じじゃなくて……。お仕事はいまお休みしているんだと聞いたし。何か知っている?」

 

「ア、アオイさんは……いま、ちょっと……趣味で! 忙しいんだ! あ、あはは、ははは、あの人、ホント勝手で、参るよねえ!」

 

 マニは、声が震えてしまって、もうダメかと思った。奇跡的に、自然な嘘をつくことができた。でも、二度目は無いだろう。

 

「アオイさんに会ったら、伝えて欲しい」

 

「な、なにっを?」

 

「図書館、やっぱり閉まっちゃうんだって。その前に、アオイさんと行ってみたいですって。伝えてくれますか?」

 

「…………それは、どう、だろう」

 

 ちょっと難しいかも。

 できない約束は、するべきではない。

 その思いが言葉を詰まらせる。

 

「どうして……? どうして、できない約束はしちゃいけないの?」

 

「大人は、無責任じゃダメなんだ。――だから、君が、約束してくれ」

 

「でも……」

 

「子どもは、わがままでいいんだよ。一方的に、都合を押しつけてもいいのさ。だから」

 

「それならマニさんにお願いする! アオイさんに一度断られているから、実は、会うのが億劫なの」

 

「えぅっ!? ぼぼぼぼ、僕!? ぼかぁ、やめたほうがいいと思うけどなぁ!?」

 

 彼女は軽い身のこなしで、素早く立ち上がるとタッタと走りだした。その後を追うロコンが自分の尻尾をくるくると回した。

 

「じゃあね、マニさん、お元気になったみたいだし! ばいばーい!」

 

「……あ、ははは……僕、ツいてないかも」

 

 軽く右手を挙げて、挨拶する。

 マニは、彼女の小さな背中を眩しく感じた。

 

「いいや、ツいていたのかな。諦められない理由が増えていくのだもの……」

 

 思考の途中、つかみそこねた思いつきを辿る。

 

「外界の刺激じゃダメなんだ。僕が突っついても、ぶん殴っても起きなかったんだから……」

 

 内側、すなわちアオイの意識に頑張ってもらうしかないのか。いいや、望み薄だ。結局こんな事態になっているのだ。実験開始初日の体力がある時分ならともかく、今さら彼の努力に期待することはできない。

 

 ――悪夢に影響を与える楔を打ち込む。

 

 外界刺激はダメ、内側でもダメ。

 残る手段は――あるだろうか。

 

 マニは、目尻に溢れた涙を拭うとベンチから立ち上がった。

 その足取りには、迷いがない。

 

 しばらく歩いて彼がやってきたのは、アオイの家の裏にある畑だ。

 

「ヤドン、頼むよ」

 

 宙に放ったモンスターボールが放物線を描き、光のなかからヤドンが現れた。

 

 ヤドンはいつもの間の抜けた顔をしているが、それはいつにもまして精彩に欠ける。今はバトルでもなく、昼食でもなく、シャワーでもなさそうだ。どうして呼ばれたのか分からない、という顔でマニを見上げた

 

 すぐに分かる。――小さく告げて、マニは背筋をただし、大きく息を吸った。

 

「わたしの名前は、マニ・クレオ! ダークライ、姿をあらわせ! アオイ・キリフリの容態について話がある! 現れないというのなら――! 約束のきのみの木を折らせてもらう。蹂躙だ! わたしは、この一件に関して、容赦をしない!」

 

 応えは無い。

 

「ヤドン、サイコキネシス!」

 

 マニは、畑の隅にしっかり生えているきのみを指差した。

 

 普段は動きが鈍く、戦闘向きな性格ではないとされるヤドンには、一点ほかのエスパーポケモンとは異なる技の癖がある。

 

 それは。

 

「根こそぎだ。屑さえ残さない!」

 

 ――攻撃範囲が広い。

 動体視力で捕捉できないのなら、見えている範囲の全てを攻撃の対象にする。ずぼらと笑われるその性質は、時に制圧力で他を圧倒する。

 

 サイコキネシスの不可視の念力が東風がねじ曲げ、光を捉えた。空間が軋み、捻れる

 

 果たして。

 

「…………!」

 

 ダークライは現れた。

 

 ぬるりときのみの影から現れ、木を捻りきるはずだったサイコキネシスをその身で防ぎきった。すさまじい耐久と判断。きっと一筋縄ではいかない。――だが、マニは喧嘩をしにやってきたわけではなかった。

 

「やあ、ダークライ。さっそくなんだけど、アオイさんを起こしてくれないかな」

 

「…………」

 

「悪夢を見せる元凶である君が、アオイさんから離れている時点で、君でさえどうしようもないかな。まあ、それならそれでもいい。ああ、いや、僕はね、別に責めているわけじゃあないんだ。どうせアオイさんが口八丁手八丁で、君を乗せたんだろう。あの人は運の無いくせに、わがままときている。君は被害者だ。分かるとも」

 

 マニは、右手を差し出した。

 

「それでも、僕はあの人を助けたい。力を貸してくれないか」

 

「……三度」

 

 白日に照らされたダークライは、鋭い指を立てた。

 

「三度月が上ガル前に、目が醒メレば、起キタかも、ナ」

 

「もう、彼が自力で起きる可能性は無いと?」

 

「深イ、深イ、眠リノ底……」

 

 低い、ざらついた声質は、悼んでいるように聞こえた。

 アオイは、たしかに――便宜上「彼」とする――を乗せたのかもしれない。けれど、本当にでたらめを言って事に乗せたのなら彼は怒るはずだ。

 

 怒らない。

 悲しんでいる。

 

 マニは、理解した。

 

「ああ、君もアオイさんと同じように夢を見たのか。果てしない栄光を、可能性を、未来を」

 

 ダークライは、嫌われ者だ。

 新月を恐れる人間の恐怖が、迫害に拍車をかける。いつもありがたく思われるのは、月を司るクレセリアだ。

 

 誰も価値を認めない。

 この世界から不要だと断じられたものが、彼だ。

 

 だが。

 

 そんなことを、アオイは認めないだろう。

 死ぬことより、無念なことはない。

 終わってしまうより、酷い話はない。

 言葉を尽くしたはずだ。

 彼に伝わるように。

 心を動かしたはずだ。

 

 そうでなければ、論文があんなに長くなるはずがない。

 ダークライを救うために書かれた、人間との共存方法。

 こんな夢みたいな話、アオイさんじゃなきゃできなかっただろう。

 

「アオイさんは、誰も見なかった君を、見つけて活かす方法を一生懸命考えた。その実験は、まだ終わっていない。あと1時間30分。それが、彼の余命でもある。まだ。『まだ』だ!」

 

 ダークライが瞳を揺らす。

 屈折したアオイとダークライは、どこかの瞬間で重なったのだ。

 

「生きている限り、僕は可能性を諦めない。だから、君だって諦めるな! 君だって、変わりたいと思っている――」

 

「…………」

 

「だって、まだ諦めたくないだろう?」

 

 彼は考え込むように目を伏せた。

 手を伸ばす。ダークライは、マニの手を握った。

 

「きっト、何モ、できないが……」

 

「それでもいい。できれば悪夢に干渉する手立てを考えたい。いまアオイさんは病院だ。一緒に来てくれ。――あ!」

 

 間を狙ったように、がさごそと慌ただしい音を立て、森から出てきたポケモンに、マニは口を大きく開けた。

 

「ミアカシさんじゃないか! ああっと、ラルトスも! 元気? アオイさんの家にいないから心配していたんだよ……」

 

 ヤドンが珍しく慌てたようにドテドテと歩いてきて、ミアカシとラルトスに突っ込んだ。マニにとっては意外だったのだが、どうやら彼なりに心配していたらしい。

 

「うんうん……よかった、よかった。ダークライ、君が面倒をみてくれていたんだね」

 

「…………」

 

「な、なにか言ってよ! 怖いじゃないか! ま、まあ、でもこれでアオイさんも――!」

 

 安心だろうと言いかけて、マニはじっとミアカシとラルトスを見つめた。

 

 マニの中で何かが繋がった。

 カチリと音を立てて、現実は噛み合う。そして。時を刻み始めた。

 

「そうか。外界からじゃダメなんだ……意識に干渉できない。できたとしても、強硬過ぎる。内側の精神も……アオイさんじゃダメなんだ……だって、彼の目は『夢を見ている』から。そうだ。そうなんだ!」

 

 視点を合わせる必要がある。

 ここにある『現実』に振り向かせるために、彼の意識に内在する核心――『目』を動かすのだ。

 

「外界からの刺激で、アオイさんの夢を見ている『目』を動かすことができれば――!」

 

 アオイの論文『ダークライの悪夢による現実解釈の多相性について』という内容をマニは思い出していた。

 

 曰く、アオイはダークライの悪夢を『箱』のようなものである、と想像しているらしい。 その『箱』は、外界の刺激にめっぽう強い。

 

 眠りにより外界からの刺激をシャットアウトし、閉鎖的な環境を作り出す。あとはひたすら脳に夢を現実だと『誤認』させる。そうして作り出した『夢想現実』で人は、現実と見紛う悪夢を体験する。

 

『箱』を壊す方法としてアオイが提案していたのは、内在する意識――この場合、悪夢中にいるアオイである――に訴え、『外界の存在を知覚させる』ことである。

 

 夢を現実と誤認する意識に「こちらこそ本物の現実だ」と知らしめなければならない。

 

 言うは易いが、行うのは困難である。論文が概念の提案に留まっているあたり、アオイにさえ具体的な方法は浮かんでいなかったのではないかとマニは睨んでいる。

 

 森からやってきた風が、マニの髪を揺らした。耳に届く音は遅れ、ぼんやりと遠く聞こえた。ラルトスを見つめる目は、瞬きを忘れたかのようだ。

 

 今まで諦めずに、考えた。

 その果てに、マニは、識る。

 

「まだ……取れる方法は、ある。まだ、まだ!」

 

 ミアカシとラルトスを抱えて、走る。

 追いすがる影のように、期限は迫っていた。

 

 

 

■ □ □

 

 

 

 イッシュ地方。船着き場の待合室に、ひとりの男が座っている。

 

『フェリーターミナルご利用のお客様……本日は嵐の影響により……』

 

 がらんどうの港内に鳴り響くアナウンスは、今日で何度聞いたことだろう。

 

 未曾有の大型ハリケーンの来訪により、イッシュ地方はにわかに色めき立っている。交通事情は言わずもがな最低で最悪だ。交通業界に関わる者として目眩を覚えるほど混乱ぶりは、イッシュ交通史に残ることだろう。

 

「くそ……うるせえ……」

 

 口汚く、呟いたのはコウタ・トウマである。以前の予定通りならば、彼は今頃シンオウ地方ハクタイシティにいるはずであった。なぜここにいるのか。それは彼が出立する晩、ギリギリのところで確保できたフェリーの席をマニに譲ったからである。

 

 ――それが、タイムリミットまでの最終便になると知っていたら、俺は果たしてマニにチケットをくれてやっただろうか。

 

 悶々と考え続ける頭は、昨日からだいぶおかしい。

 

 ――ああ、俺は、やれるだけのことをやったのだ。

 

 呟いたコウタは、自分の言葉が自分自身を慰めるためのものであることが分かっていた。

 

 目を閉じて、俯いて、考える。

 

「…………」

 

 最初にコウタが行ったことは、ポケモン図鑑編纂を行ったアララギ博士に連絡をとることだった。

 

 ダークライ、というポケモンに関する情報を収集するためだ。ノーアポの連絡だ。渋られるかと思いきや、必死さに圧されたのか、情報をくれた。

 

 そこで手に入れた情報に、唯一の対抗策があった。

 

「三日月の羽……なんて、どこにあるんだ」

 

 結論から述べる。――コウタは、クレセリアと三日月の羽を見つけることができなかった。

 

『ダークライの対となる存在、クレセリア。その存在は、ごくわずかな情報として確認されている。0ではない。1である。けれど、それは万人の目には見えない1だ。……伝えられることは、これだけだ。健闘を祈る。Best Wish』

 

 世界にとって「1」ではあったが、コウタにとっては「0」だった。

 

(救いはあった。たしかに。誰にでも与られる救いじゃなかったが……)

 

 コウタには、アオイを救えなかった。

 簡単で、分かりやすい事実がフェリー乗り場の待合室ベンチに転がっていた。

 

(俺はダメだった。他は……マニは、どうなっただろう?)

 

 マニからの最後の連絡は2日前。アオイが悪夢に入り浸りになった時刻が分かった、という連絡だった。そして残された時間を伝えて以降、連絡は途切れている。――ということは、アオイは、まだ悪夢にいるのだろう。

 

(俺は、ここにいて、正解だった。俺しか、いなかった)

 

 マニの代わりにシンオウ地方に行ったとして、アオイの前で右往左往することしかできなかっただろう。そして土地勘のないマニにイッシュを駆け回ることができたとは思えない。

 

(……こうするしかなかった。これが俺たちにできたベストだった)

 

 ああ。救えない。

 どいつもこいつも、救えない。

 

 コウタは、顔を覆って泣いた。哀しいのではない。ワケの分からない感情がぐるぐると渦巻いて溢れた。アオイを思う。確かめようのない空想ばかりが膨らんで胸を締めつける。辛いのだ。

 

 ぐずぐずと鼻を鳴らしていると、今日初めてのコウタ以外の来訪者が現れた。

 

 泣き面を奇特なものを見る目で見られたら、怒鳴ってしまいそうだったので、コウタは俯いたまま知らないフリをした。

 

 その人物はカツカツと踵を鳴らして、窓口へ近寄った。

 

「もしもし? 失礼。ちょっとお訊ねしたくて。チケットの買い方が、分からないので教えていただきたいのだが。シンオウ地方行きのものを買いたい」

 

「はい。何日のものですか?」

 

「今日だ」

 

「今日は、出航の予定はありません。この風雨ですから」

 

「そんな話を聞いているのではない。今日出向する便のチケットが欲しいのだ」

 

「で、ですから、今日の便の予定は……」

 

 昔からずっと聞き慣れた声と不気味なほど噛み合わない会話だ。

 コウタはバッと顔を上げた。

 

「話の分からない人だな。今日の出航便のチケットが必要だと言っているんだ」

 

 指でテーブルを叩き詰め寄る人物に、コウタは「お、おい」と声をかけた。

 

「話にならない。君、責任者を出したまえ」

 

 ヘルメットを小脇に抱えた彼女――パンジャを小突くとコウタは頭を下げた。

 

「話にならないのはお前だよ。何言ってんだ。――すみません、ちょっとコイツ、天気が悪いとテンション上がっちゃうタイプでして~、はははは……」

 

「コウタ! どうして君がここに?」

 

「お前こそ、ここで何をしてるんだ? 研究室はどうしたよ」

 

「研究、室?」

 

 パンジャは、変な顔をした。どうしてここで、そんな言葉を聞くか分からない、といった顔だ。

 だが、今は平日で昼も近い。コウタの疑問は当然のことだった。

 彼女の濡れた長い髪からポタリと雫がおちる。

 

「いや、だから、仕事さ。仕事は、どうしたんだよって聞いているんだ」

 

「…………」

 

 すす、とパンジャの視線は怪しく宙を彷徨った。彼女は情報を探している。

 

「えっ。お、おい。まさか……お前、どうして、自分がここにいるのか、分からないのか?」

 

「い、いや、そんなことはない。そんなことは、ない、はずなんだ」

 

 自分に言い聞かせた彼女は、背が丸まり、挙動不審に周囲を見渡した。

 

「パンジャ……お前ってヤツは……。はーあ。お前も、だいぶキてるな。初めてかもしれねえ、なんだか親近感がわくぜ」

 

「ひとりで面白おかしく生きていける君にそんなことを言われるとは、わたしもアオイも大したものだな。――笑いたまえよ、君の酔狂だろう」

 

 皮肉気に、パンジャの左の頬が歪につり上がった。その横顔に既視感を覚えたコウタだったが、彼女の感情の薄い瞳に映る、暗い海の色が気がかりだった。

 

 風が巨大な生き物のように唸る。窓を白く染める波しぶきは高く、岸壁に打ち砕けてなお、それは人の背を優に3倍は超えていた。

 それを見た誰もが、どこにもいけないちっぽけな自分に気づき、立ち止まる。

 

「……ああ。ここは、海か。わたしは、海に来たかったのか」

 

「はんっ。アオイに会いに行きたかったんだろうが」

 

 すぐに「そうだ」と答えがあると思っていたコウタは、ガラスに映るパンジャを見ていた。

 

「……さあ、どうかな」

 

「なに?」

 

 自信なさそうに彼女は言い、嵐を眺望する待合室の席に座った。

 

 コウタは、嵐を見ていると苦しくなる自分に気付いてから、彼女のブーツの光沢を見ていた。それから、思い出したことがあり、手を差し出した。彼女は気怠そうに、その手にヘルメットを預けた。休戦協定だった。

 

 ――彼女は、コウタと同じ疲れた顔をしていた。

 

「やつれてんなぁ……。くまがべったりだ。何だよ、仕事が忙しかったのか?」

 

「ストレスだ」

 

「あっそ。難儀なヤツ。休めよ、人は寝ないと死んじゃうんだぞ」

 

「アオイの宿題に取りかかるほうが重要だ」

 

 化石の研究のことだろう、と検討がついたコウタは「そーかい」と冷たく言った。彼女は怒ることなく、黙って嵐を見ていた。

 先に焦れたのはコウタだった。

 

「おい、やけに冷静じゃねーの。お前らしくない。俺は、お前のことだからもっと怒り狂ってるかと思って――」

 

 そこまで言ったコウタは、気付いた。開けた口から「あ」と呼気が漏れた。

 彼の気付いたことに、パンジャも思い当たりがあるのだろう。ずっと嵐を見ていた。

 

「お前は、知っていたんだな。なら、どこまで知っているか話せよ。……俺は、疲れた、ワケの分からない希望に縋るってのは、こんなに疲れるものなんだな。知っていたら、俺は……俺は……」

 

「…………」

 

 コウタは指先で瞼を押さえた。そして、もう一度「疲れた」と告げた。

 

 パサリ、と音が聞こえた。音の正体を探したコウタは隣の席に置かれたグローブを見つけた。それを置いた手指を辿り、息をのんだ。

 

「アオイは、君に感謝をするだろう。わたしからも心ばかりの謝意を」

 

「……お前の手、そんなになっていたんだな。お前をそんな目に遭わせたのはアオイだろうが、ちったあ恨んだらどうなんだ」

 

 彼女は肯定することなく、けれど応えなかった。

 ただ目を伏せて、老人のように赤黒く萎びた手を合わせた。

 

「これは、わたしの誇りだ。アオイのことを悪くは言わないよ」

 

「ああ、そうかい、そうかい。それで、アオイは?」

 

「ダークライの悪夢から新しい着想を得たそうだ。――わたしと同じ。研究中というワケさ」

 

「死ぬような危険をおかしてまですることか? それ」

 

「では聞くがね、君は何人のためなら死ねる?」

 

 呆れたと言わんばかりのコウタの言葉は、彼女の問いの前に途切れた。

 嵐を見つめることをやめた目が、こちらを向いていた。その瞳は望洋と彷徨っていない。目の前のコウタを見つめていた。

 

「何人救えるのなら、君は死んでもいいと思える?」

 

「……なんだ、それ。謎かけか?」

 

「いいや。『自分が納得する』ための問答だ。かつてのアオイは70億と答えた。『この世界の人口とポケモンを合わせた数であれば、私は自分の命を擲っても良いと思える』。そう言っていた。――それが見つかったのだろう、とわたしは思っている。」

 

「お前の回答は?」

 

「わたしには、アオイひとりいればそれでいい。彼の願いによって世界を救うだろう。同じ丈、滅ぼしもするだろう」

 

「へえ。愛ゆえに?」

 

「これは愛ではない。友情由縁の忠というものだ。君はどうだ? 何人のためなら死ねる?」

 

「んなこと、わっかんねーよ。でも、きっと、そいつに叶えたい夢があって、どうしても道を譲る必要があるのなら……人数なんて関係無いんだろうな」

 

 コウタは、自分の回答にガックリ肩を落とし、溜息を吐いた。

 

 ――なんだって、自分以外のために命を削ってやらなければならないのだろう。どうせ報われることなんて、無いのだろうに。

 

 本当に理解できない思考だ。……よほど嫌な顔をしてしまっていたのだろう、パンジャは目を逸らし、再び海を見つめる作業に戻った。

 

「……しかし、お互い難儀な性質のようだ。まあ、アオイほどではないが」

 

「アオイは何でそんなイッちゃった回答にイッちゃたんだ? つーか、止めろよ。アオイ死んじゃうんだぞ?」

 

 彼女は、本音では「それを言うなよ」と言いたいのだろう。咎めるように視線を一瞬だけコウタに向けた。

 

「止めたかった。止めたかったとも。わたしは、本当のところ彼に何もしてほしくないんだ。けれど夢を叶えることを止めたら、本当に自壊するしかなくなる。悲しいかな。彼は、取り憑かれているんだ。いわゆるマザー・コンプレックスというものに」

 

「マザコン? 愛ゆえに? そんなナヨナヨした感じには見えなかったが……」

 

「愛なのか、憎しみなのか、わたしには判断がつかない。ただ、苛烈な執着だ」

 

 執着。

 舌の上で絡めるように呟いたコウタは、ずっとつかめなかったアオイの動機に触れた。

 

(あの理解しがたい頑なさと省みることのなかった姿勢は、信念の強さじゃなかったんだ。あいつには、ただ後退るだけの『後ろ』が無かったんだ)

 

 コウタは指で、首の後ろを擦った。妙にそこが寒かった。

 

「それを克服するためなら、何でもやるって話か。でも、アオイの研究って、アイツ自身のためにやっているんじゃないのか? 栄光だ、名誉だ、何だかんだって言って。俺は、それを聞いた時に安心したんだ。人並みに野心あるじゃねーのって」

 

「それは真実だ」

 

「じゃあ、コンプレックスは」

 

「どれも真実なんだ。彼にさえ分別できない混沌とした様。けれど、ちゃんとした動機だ。70億を幸福にすること、母を超えること、前人未踏の栄光を得ること。それを、研究という『手段』で叶えようとしている」

 

「できんのかよ、それ。まだポケモンマスターになるほうが簡単なんじゃねーの」

 

「アオイは実現可能だと信じている。ならば、わたしがくちばしをはさむことではないだろう。それとも君は幼気な子どもに向かってポケモンマスターの代わりにブリーダーになりなさいなんて言うのか」

 

 言わないけどさぁ……。っていうか、アオイは子どもじゃないし……。ポケモンマスターとブリーダーじゃ釣り合わなさすぎだし……。

 

 コウタには、いろいろと言いたいことがあったが、疲れすぎたので言わないことに決めた。

 

「パンジャ、アオイが何時から実験を始めたか知っているのか?」

 

「正午。あと30分で8日目だ。マニさんから連絡があった」

 

「マジな話をしてもいいか? 怒るなよ? 俺はここで、この期に及んでお前と喧嘩したくないから」

 

「……わたしも今日は独りになりたくない」

 

 よし。一息ついたコウタは、ようやく前を――嵐を見つめた。

 

「アオイって……その、本当に、死んじゃうのか? アオイから事前に知らされていたんだろう? 何か策は無いのか? 起きなかった時に試す十の方法とかさ」

 

「私は、彼の意志を尊重する」

 

「それで本当に死んじまったらどうするんだ……。後悔するぜ、俺もお前も」

 

「私は、この件についてアオイの意志以外の一切を尊重しない。アオイが選んだのなら、それが唯一の正解なのだ。――何十年も前からそう決めている」

 

「…………お前との話ってやっぱ合わないな。殴りかかりそうになる」

 

「それでいい。アオイもきっと喜ぶだろう」

 

 なんで?

 首を傾げるコウタ。

 パンジャは秒針が見えないように指で腕時計を押さえた。

 

「アオイに『そのままの君でいいんだよ』と言うのは、わたしの役割だ。コウタには、アオイの意志を無視してどこかに連れ出してもらなくては。遊びに行くぞ、と言って、彼を引っ張っていくのはいつも君だった」

 

「アイツがいなくなって一番悲しんで泣いて怒るのはお前だろうが」

 

 彼女は、そうだな、と言った。

 しみじみとした感傷が込められているが、落ち着いた口ぶりだった。自分でもどうして落ち着いていられるのか分かっていないようだ。

 

 しかし。

 

「アオイは、春に帰るとメールをくれた。わたしは、まだそれを信じている。アオイは自分の心を語ることをしなかったが、時間の約束は守る人だったから」

 

「……本当に、難儀なヤツだよ、お前は」

 

 ――おい、アオイ。さっさと起きろよ、ばかやろう。パンジャがどうなっても知らねーぞ。

 

 異国にいる親友に心の中で呟く。

 

 夏の嵐は過ぎ去り、いずれ青を枯らす秋がやってくるだろう。

 その後に訪れる冬は、彼女にとって――二度と決して明けることがないものに変貌しかけている。

 

 ガラスの向こうで、波が砕け、絶え間なく姿を変える白波が二人の沈黙をより深いものにしている。

 

 余命は10分に迫っていた。

 

 




【設定について】
本作において、もう語ることがない設定について、ちょっと述べようと思います。今回はマニ・クレオ。プロット草案の段階において、彼にはシンオウ神話の狂信者という設定がありました。が、「神話」と「信仰」、「共感」と「自我」については本作で大きく取り扱う内容ではないためボツ要素になりました。その代わり、自分が薄く、ぼんやりした性格の青年という設定が発生しました。

【後輩】
アオイとパンジャを対比させる上で、いろいろと対比要素はあるのですが、なかでも後輩の取り扱いというのは、差異が大きくなりました。彼らの顛末については、本作中で追っていきたいと思います。

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

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