人の匂いがしない家でヒトモシのミアカシはパチリと目を開けた。朝の白い光がカーテンの隙間から差し込んで細い光の道を作っている。昨晩アオイがあれこれ試行錯誤しながら作ったバケットの即席ベッドからひんやりする床に着地する。我ながら見事な着地だったと思ったので両手を上げてポーズを決める。そして、次にポケッターに貼る写真はこれにしよう、と決めるのだった。
光の細い道を辿ると主人の横顔を横断していた。足の悪い主人はできるだけ脚を伸ばして寝ようとする。今日は、ソファーで寝ていた。隣の部屋はすぐに寝室になっていてそこにはべッドがあることをまだ彼女は知らない。
起きるかな?
ミアカシは、力なく垂れた腕をよじ登り主人の胸に座った。
唸り声をあげることもなく、すぅすぅ寝息をたてて寝ている。よほど深く眠っているようだ。
邪魔したらダメだよね。
胸から滑るように降りると、着地の時にピッと電子音がした。なんだろう。ミアカシが足元を確認した時だった。
『――うございます! 6時の「おはよう! シンオウモーニング」、主なニュースはこちらです!』
「モ、モシ!?」
主人が時々見つめているモバイルより大きい画面がバチンと点灯し、音声が流れる。驚いて飛び跳ねた先はアオイの顔で「むえッ」とこちらも驚いたような声が響く。
テレビ画面は次々と画面が切り替わって『今日のニュース』コーナーが始まった。
「ん……あ……ミア……ねむ……もうちょっと……音量下げて……」
主人の顔に座る形になった。しかし、なぜか気持ちよさそう?
アオイの手がミアカシにリモコンを渡す。
ピコピコとボタンを押すと画面が切り替わった。
『僕ら! ポケモン特別部隊!』
なんだか青と白の体に黄色の嘴のポケモンと背中に樹を生やした顎の頑丈そうなポケモン、それから赤い体で炎を纏ったヒトのような形のポケモンが現れた。
画面の中で黄色のエフェクトに彩られながらポーズを決めた彼らをミアカシはとても格好いいと思った。
「モッッッシィィィイイイーッ!」
人間であれば、メチャクチャカッコいいーッ!とでも叫ぶだろうか。
「ま……まだ、ねて……」
「モ……モシィ……」
「音量、下げるの……ここ、ね」
アオイに教えてもらってテレビの音量を下げることに成功する。
そんなこんなで30分が終わる頃。
「……はぁ……」
アオイが起きた。
「モッシー!」
「カートゥーンなんて久しぶりに見たよ。昔の私も好きだったけど……」
おはよう、と言葉を交わしてからアオイはミアカシの体を撫でた。アオイよりすこしだけ低い体温に火照りが癒されるような気がしている。
ひと段落して、ぼーっとふたりでテレビを見つめる。
やがて、ミアカシが黄色い目で覗き込むようにしてアオイの目を見つめてくるのに気付いた。
「起きたよ。いっぱい寝て、元気だよ。今日はいろいろとすることがあるからね。……あれ?」
「モシ?」
アオイは先端が光っているモバイルを手に取った。
「ポケッターに投稿して反応があったみたい。……ノボリさんから」
何か特別あらたまった言葉ではない。元気そうでなりより、とか生活が安定したら定期的に連絡が欲しい、とかそういうことだった。
「ヒガシノさんからも来てる」
アオイがポケッターで発進したのが午後10時の出来事だったのだが、彼女からのコメントは0時だ。徹夜だろうか。お疲れさまである。
「まあ、これについてのコメントはしなくてもいいか。さあ、ちょっと早いけど朝ご飯にしようか……ど、どうしたの?」
アオイが驚いたのにも無理はなかろう。
「モ、モ、シ……ィ」
どこかで見たようなポーズをバシッと決めるミアカシがプルプル震えながらカメラを向けられるのを待っていたのだから。
◆ ◇ ◆
「今日は、あいさつ回りに行くよ」
「モシ?」
ミアカシが分からない、という顔で体を傾げた。口まわりが汚れてしまっているので布巾で拭いてあげる。
「近所の人への挨拶だよ。私たちがここに住んでいるって挨拶しにいくんだ」
「モシ……」
アオイの見るところミアカシはあまり気が向かない、と言った様子だ。
「まあいい。私だけで行ってこよう。お留守番していてくれるかな?」
「モッシー!」
了解のポーズが無い。パンを齧りながら、窓の向こうを指す先を見つめた。
「庭……? 庭にいたいのかい?」
「モシ!」
「……いいけど、知らない人について行ってはいけないよ」
ここで了解の合図が返ってくる。
近所への挨拶回りをするにあたり、引っ越し荷物と同じように配布用の食べ物を準備していた。
食器を片付けた後でアオイは冷蔵庫から小さな箱をいくつも出していた。
「ヒウンはアイスだけではなくてヒウンクッキーも有名だそうだよ」
そんな時、ピンポーンという明るいインターホンの音が響いた。
「たぶんチャチャさんだろう。ミアカシ、開けてきてくれるかい?」
「モッシ~!」
駆けだしていったミアカシが連れてきたチャチャが挨拶をした。
昨晩二人で開いた段ボールがまだ床に散らかしっぱなしだったとアオイは今さら気づいて恥ずかしくなる。まとめて解体しておけば良かった。
「おはようございまーす!」
「お、おはようございます。朝が早いですね」
「はい! 今日も頑張りますよ。ところで、どこかへお出かけですか?」
「ええ。近所へ挨拶しに行こうかと思って」
「それはいいですね! 荷物、お持ちしますよ」
アオイは迷った。
彼女と一緒に歩くことは自分の大切なものを傷つけるような、そんな気がして。
しかし。
「モシ、モシモシ」
ミアカシがアオイの前へやって来た。諭すような声音だとさすがのアオイでも気づく。
「ええ、ではお願いします。むこう5件くらいですかね。これの中身はクッキーです」
「分かりました。今から行きますか?」
「もうすこし経ってから行こうかと思っていました。まだ9時なので」
10時頃から行こうと思っていたアオイはその旨を伝える。チャチャは了承したようで、それまで残りの段ボールを開封する作業をすることにした。仕事用の書類資料である。
ミアカシはというと外でチャチャのルカリオとリザードと遊んでいる。正確にはリザードと遊んでいて、ルカリオがその監督をしている、と表現するのが正しいだろう。なんだかあのルカリオ、苦労人な気がする。気のせいだと思っておこう。
荷解きの作業はチャチャに任せ、アオイはカッターで段ボールを解体していた。
そんな時。
「アオイさんってダーツするんですね」
「え? ああ、この体になってからできる運動を探していたら知人にそれを薦められたので。チャチャさんはご経験ありますか?」
「いえ、全然です。でも、なんだかすごく格好いいってイメージがあります」
「いつか一緒にやってみましょうよ。ルールもいろいろあるんですよ」
言ってしまってから、なんだかナンパしているみたいだと反省して恥ずかしくなる。どうやら自分は自分でも気付かないほど親しくなった女性には故郷の幼馴染みパンジャに語りかけるように話をしてしまう傾向があるらしい。
気を付けないと。そんなことも考えるのだが。
「本当ですか? やった!」
「…………」
こんなに楽しみにしている顔をされたら頑張って教えてしまいそうになる。
◆ ◇ ◆
アオイが買った家はハクタイの森の端である。そのため近所といっても何百メートルも距離があいている。
距離はそのまま心の距離になりそうなのだが、最初から遠くなることを前提として考えてはいけない――そんなことを考えて、チャチャと一緒に向かう。
隣家は祖父と祖母、孫で住んでいるらしい。
「初めまして。隣に引っ越して来ました。アオイと申します」
「お、おお、はじめまして……はあ、隣の空き家に」
表札を見るところリーン家というらしい。リーン爺が玄関から出て背伸びをしてアオイ宅を確認した。
「これ、つまらないものですが皆さまでどうぞ」
興味心丸出しで見つめてくるリーン爺にヒウンクッキーを差し出す。
途端に彼の皺の多い顔ががくしゃっと歪んだ。
「ああ、クッキー。孫が好きでねぇ」
「それは良かったです。なにかとご迷惑をおかけするかもしれませんがよろしくお願いします。おや?」
「あっ……」
リーン家は玄関を開けると廊下が目の前に広がっているのだが、その先におさげの女の子がロコンを抱えて立っていた。
「おお、リリ。挨拶しなさい」
「きゃっ……!」
顔を真っ赤にして彼女は引っ込んでしまった。
「あはは……お孫さんですか」
「両親共働きでねぇ。子どもの声がうるさいかもしれんが、ここはひとつよろしく」
こちらこそ、と挨拶してアオイとチャチャは立ち去る。
他にも四件ほど回ったが印象に残るような挨拶にはならなかった。
「一軒家でも、マンションと似たようなものですね」
「というと」
「意外とみんながみんなに無関心ってコトですよ」
自分は感傷的になっているらしい。
遠くまで来てしまったという、行動に伴う実感がそうさせているのだろうか。
自分にもわずかながらに故郷を想う気持ちがあったらしい――決して良い思い出だけではないのに。
(帰ったら、パンジャに連絡……してみようか)
まだ、間に合うだろうか。
言葉で、足りるだろうか。
我が家の屋根が見えてきた頃、外套のポケットに入れたモバイルをなぞりながらアオイは目を細めるのだった。
◆ ◇ ◆
アオイが帰ってくる30分前。
異なる種のコミュニケーションは、意外となんとかなることが多い。
ヒトモシとルカリオの間ではなかなか成立しなかったものが、ヒトモシとリザードの間では成立するようなことがある。
同じほのおタイプ同士通じ合うことがあるのだろう、と考察する仕事はアオイに任せておくことにして。
追いかけっこというのは案外疲れるもので、30分も動いていればミアカシはくったりして庭を臨む廊下に寝そべっていた。
「モシィ……」
疲れた。
一仕事終えた顔をして伸びていると、ルカリオが鋭い目つきになった。
「モシ?」
ミアカシは庭の奥へと歩き出したルカリオに問うように声を掛ける。
「モシ、モーシ」
追おうとしたミアカシの気を逸らすようにリザードが飛び出てきて追いかけっこを仕掛けたので、すっかり忘れてしまったが。
◆ ◇ ◆
家に戻るとチャチャが2階を掃除しに階段を上った。
その足音を聞きながらアオイは空が見える窓辺まで車イスを動かしていた。
手にはモバイルがある。
画面には、シッポウシティにいる幼馴染――パンジャの名前が浮かんでいた。
これから、彼女に電話を掛ける。
元気であることを告げる。
それだけだ。それだけなんだ。
気付いたら ほとんど思考が停止した状態でボタンを押していた。
「……あっアッ……?」
ブツッとした音に思わず「アオイです」と言いかけた。
『おかけになった電話は、現在――』
留守電だった。
途端に安堵してしまう自分に嫌気が差す。ともあれ、いないのであれば仕方が無い。
「パンジャ……私だ。アオイだよ。今、ハクタイシティの家から電話を掛けている。住み心地の良いところ……だと思う。またあとでかけ直す。忙しいところすまない」
よくよく考えてみれば彼女は今仕事中なのだ。
エブリデイサンデーの自分と都合が合う方が難しいのだと考え、昼休憩に電話をすればよかったのだと考えないようにする。
大きなため息がひとつ零れた。
「……私は……間が悪い男だな」
今さらのことさ。彼女は、とっくに気付いている。
カチコチと進む時計に急かされるようにアオイは覚書を取り出した。
これから作る畑の計画書である。
こうして今日も一日が過ぎていく。
◆ ◇ ◆
再びアオイのポケッターが鳴ったのはチャチャの帰った夕食後だった。
ミアカシが昨夜とは別な絵本をせがむのでそれを読んでいたのだが、カノジョはいつの間にか寝てしまっていたらしい。
机の上でランプを点滅させるポケッターを掴むのをちょっとだけ躊躇う。
「…………」
画面に表示された名前を確認してアオイは肩を落とす。パンジャではない。
躊躇いを踏み越えるだけの勇気を振り絞ったところで、別にいい方向へ向かうわけでもないのだ。
「――もしもし、アオイです」
『おー! もしもし、俺だけど』
「コウタ?」
『まだ起きてるか?』
「ああ、大丈夫、どうした?」
彼はライモンシティのバトルサブウェイに勤務しているアオイの友人だ。ヒトモシを受け取るにあたって彼の上司であるノボリと仲介をしてくれた。
かつて旅に出たコウタの背中を心の中で追っていた自分がいたものだと唐突に思い出し、彼の言葉に耳を澄ませた。
作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。
-
登場人物たち
-
物語(ストーリーの展開)
-
世界観
-
文章表現
-
結果だけ見たい!