もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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case11+悪夢の先へ(中)

 暗い。

 寒い。

 

 感覚ばかり先立ち、理屈ある思考ができない。

 考え事をしていたはずなのに、いつの間にか、頭の中が平坦になってしまう。

 

 暗闇は、屍が押し込められた棺の四隅の香りがした。

 そんな――永遠に続くかと思われる、暗闇のなか、アオイ・キリフリ、だった、ものは蠢き続けていた。

 

(私は……いったい、何を……)

 

 身体の輪郭さえ正確につかめない。

 そもそも身体があったことさえ忘れかけている。なかでも。

 

(あれ私だっけ? わたし……? 俺……違うかな、僕……これも、何か違う)

 

 自分、というものを見失って久しい。

 

 身体が重い。何も考えが思い浮かばない。

 歩く度に、存在に必要な何かが欠けてしまう。

 

 握った砂が隙間から抜け落ちる気分だ。こぼれ落ちる砂を止めることはできない。だから足を止めようと、止めまいと、落ちる時間は変わらない……気が、する。

 

 時折、怖くなって自分の身体を抱きしめる。

 

 大事なものが欠け落ちて、無くなってしまったことにさえ気付かない、今の自分が怖かった。もう自分が誰で、何のためにここを彷徨っているのか分からない。ずっと長い時間いたような気がするが、数分前にやってきたような気もする。

 

 ただ。

 

(寒い)

 

 存在しているかどうか曖昧な身体は、しきりに震え、重圧に耐えかねる足は止まりそうになる。

 

(ここは、洞窟は、電気の……名前は……、何だか、忘れたが……似ている、ような……似ていない、ような……)

 

 底の無い暗闇を、彼は歩く。

 じっとして待つことができなかった。自我が削り落とされようと、人間の根源にある喪失への恐怖は消えない。

 

「……、…………、……」

 

 何か。

 

(…………?)

 

 天上から音が聞こえたような気がして、立ち止まって振り返る。

 まだ音は聞こえるが、姿が見えない。

 ほんの先にある自分の手さえ見えない暗闇だ。

 

(……音)

 

 それが、何なのか。

 不思議に思っていたが、意識に長く留めていくことができなかった。だが。

 

(……どこかで、聞いた声だった、かもしれない)

 

 感想も忘れてしまい、彼は歩き始めた。

 

(そういえば、私は、何か探していたような、気がするが……)

 

 こんなところで。果たして。何を探していたのだろう。どこまで歩いても、暗闇しかないのに。

 

 

□ ■ ■

 

 

 

 ここは、メアリー・スーさえ観測の『目』が届かない、意識の水底。

 睡眠の先にある、絶対封鎖領域。

 即ち、忘我の境地。

 

 

 

□ ■ ■

 

 

 

 目を閉じているのか、開いているのか。

 足は動いているのか、止まっているか。

 

 何も分からなくなってしまいかけた、その時。

 

 もぞりと不明瞭に動く身体を、照らしたものがある。

 

「……あ」

 

 ぽつん。

 遠くに見える青白い焔が、永遠に思えた暗闇の先にあった。

 

 それに引き寄せられるように、彼は動く。

 すると靄が晴れていくように、世界が明確になりはじめた。

 

 青い光に近付くにつれ、この暗闇が洞窟のようなものだということが分かってきた。

 青白い光は、近付くに薄れ、洞窟の外にある白い光と同化する。洞窟の先は、目がくらむほどに明るいい。白昼に似た透明な光が降り注ぐ空間があった。

 

 何も無い暗闇の先に、どうして、穏やかな光が満ちているのだろう。

 光は、喩えるなら雨だった。ただ、降り注ぐもの。

 それは、身震いするほど美しい。しかも平等だった。

 

 だが。

 

(……探していたものではない)

 

 平等であることは、良いことだが、欲しいものではない。

 けれど、棺桶の空気が沈殿する暗闇より、清らかで輝かしい空間には違いない。

 

 ここよりマシだという一点だけで、彼は洞窟の先へ歩き出そうとする。

 

 その時。暗がりに慣れた虚ろな瞳に、青白い光が横切る。

 何だろう。焦点を合わせる前に、目の前で、焔が弾けた。

 

「うわっ」

 

 しりもちをついた彼は、洞窟の暗がりに戻された。

 色鮮やかに爆ぜた焔が、体をチリチリと焦がす。

 服がほつれて線維が固まる――この景色を、彼は知っていた。

 

「焔が……なんだか、懐かしい。君の存在を、かつての私は待ち遠しく思っていたような、長い間、君の焔を見ていたような、そんな気がする……」

 

 彼は、名前の知らないポケモンに話しかけた。きっとかつては名前を知っていたが、今は思い出せない。そもそも、ポケモンという生物の存在を、たった今思い出した。

 

 一見してロウソクのポケモンは、ゆらゆらと青白い焔を揺らしている。しかし、その焔の熱量は、風が吹けば、いや、吐息一つで消えてしまうほどのか細いものだった。それでも、目の前にあるはずの自分の手さえ見えない暗闇で、息絶えようとしていた彼にとっては光明だった。

 

 ――ひょっとすると、この存在が、彷徨い続けた私の存在を終わらせてくれるのだろうか。たとえば、焔を消してしまうとか、そういう行いで。

 

 体中が重い。それでも、どっちつかずの状態に耐えきれなくなった彼は、ようやくの思いで手を伸ばした。しかし、そのポケモンは彼の手をすり抜け、体に飛びついた。

 

「なっ――」

 

 燃えてしまう。

 危機感の残滓が、そんなことを思う。

 しかし、彼に熱が訪れることはなかった。

 

「……?」

 

 彼は振り返る。そういえば、久しぶりに振り返った。彼は歩き続けて、振り返り方を忘れていたのだ。

 

「モシモシッ! モシッ!」

 

 振り返った先では、ポケモンの怒りによって、何かが燃えていた。

 匂いが曖昧なここでは、判断材料の足しにならない。

 彼はしりもちから立ち上がり、近寄った。

 

「なにを……なにを、もやして……」

 

 焔に包まれ、ギギギ、と鳴いた――形在る怨恨をアオイは知っている。

 

「あ……ぁ、あ……!」

 

 悲鳴さえあげる暇は無い。

 それは『彼』じゃない。だって『彼』は死んでしまった。それが分かる。分かってしまう。視線の先にある、『彼』に似た『彼』ではないもの。

 

 ――私の執着は、何のために?

 

「違う……」

 

 ――信念は何を生みだすために?

 

「違うんだ……」

 

 ――この執念が、燃えているものだとするならば。

 

「それは……私の魂にこびりついた怨嗟だ」

 

 たまらず、駆けだした先で、彼は抱きしめた。

 

「やめて、やめてくれ……。ああ、ああ、そうだ、君は、ヒトモシ。君は、私の知っている、ミアカシさんだろう」

 

 重かったはずの体が動く。思考は、水路の流水如く滔々と流れた。

 重荷を下ろした肩の、なんと軽いことか。

 

「モシ、モシッ!」

 

 ――だから、燃やさないと。

 

 罪を知らない透明な決意で、ミアカシが醜い塊を指差す。

 彼――アオイは、首を振った。

 

「あれは、いいんだ。放っておいて、いいんだ。私が死ぬまで背負っていくものだから。私は、ジュペッタを亡くしてしまった……。背負ってしまった。後退るには重い荷を背負ったが……それでも、私は、よかったんだ」

 

 アオイは、ミアカシを足下に置いた。

 この体の軽さに慣れてしまわないうちに、手を伸ばそうとした。

 燃え滓になりそうなそれに、アオイは屈んで声をかけた。

 

「君……なんて言うべきなのか、ジュペッタではないし……」

 

 言葉を探す目を離した一瞬に、アオイの右手は食いつかれて、千切れた。

 痛みを訴える一瞬さえない。

 後生大事に呑み込まれて、それは視界から消えた。

 

 茫然とするアオイをすり抜けた焔がある。

 

「あ、ちょっと、待って――!」

 

 ミアカシが飛びだし、容赦の無いひのこを放った。

 

「ミ、ミアカシさんっ! あ……ああ……」

 

 今度こそとばかりに。焔がそれを燃やし尽くした。細やかな仕事は、念入りだった。

 

「あ、あぁ……燃える……燃えて……燃えてしまう……」

 

 その光景を見る、彼のなかにフッと事実が浮かび上がった。――私の執着は、終焉を終えてしまった。

 それは。

 

「……惜しいくらいに、綺麗だ」

 

 執念は燃え、消えてしまった。塵ひとつ残らない。

 その光景を見たアオイは、乾いた笑いが出た。

 

(ミアカシさんが、この執着を良いと思うはずはないんだ)

 

 だって、いま『生きている』のは彼女だ。

 

『死』に触れながら『死』を知らない彼女には、生きる者が死したものを留める意味が分からないのだろう。まだ、ちゃんと死んだものを見たことがないから。

 

 それを愚かと笑うことはできない。

 なぜなら、良いことだ。過去より、未来を見つめて生きることは、良いことに決まっている。

 

 それができないアオイの代わりに、彼女がやってくれた。

 

『重い物なら下ろせばいい、できないのなら、無くしてしまえばいい』――無邪気な発想に、救われていた。

 

「は……ははは、はははっ……! 私の執着とは! 実にこのような! 火を付ければ燃えて終いになるものだったのか! これは、傑作だ、傑作だとも! なあ!?」

 

 呆気ない。

 呆気なさ過ぎる。

 しかも私の人生のように滑稽だ。

 

 ひとしきり笑った後で、彼は膝から崩れ落ちた。

 悲しいのか、苦しいのか、分からない。けれど、体が軽かった。悲しいくらいに、体が軽かった。

 

「モシ!」

 

 やり遂げた顔で、ミアカシが振り返る。

 リアクションをすこし考えて、アオイは頷いた。

 

「え。あ、あの……ありがとう、なのだが、……その、私の手も……燃えたのだが……」

 

 ピョンと飛び跳ねたミアカシは、消し炭の中から手を探すようにキョロキョロした。

 それから。

 

「モシ、モシ……」

 

 不幸な行き違いがあったのだ、と言うように、ミアカシはアオイの足をポンポン叩いた。

「あ、うん」

 

 わりと重大な問題だとアオイは思うのだが、ミアカシはそうではないらしい。ま、気にするな、と言わんばかりで、慰めもそこそこに歩き出した。

 

「あ……あ、どこに行くんだ」

 

「モシ! モシ!」

 

 彼女は手招きする。

 アオイは、一度だけ振り返る。光の降り注ぐ空間は、いまだ煌々と輝いていた。

 あそこにはきっと永遠の安らぎがある。

 それでも、アオイは選んだ。

 

「ま、待ってくれ、ミアカシさん」

 

 踵を返す。

 このまま、彷徨うことになろうと、アオイは信じたいものを信じることに決めたのだ。

 

 歩き方を忘れかけた足は、何度も転びそうになり、初めて歩く人のように、ぎこちなく動いた。

 それでも焔に照らされる、小さく白い形を賢明に追う。

 

「まっ待って、くれないか……。ミアカシさん、もう、ずっと歩いて帰り道が分からないんだ……。君は、どうやって来たんだ? いいや、君だけでも帰るんだ。コウタが面倒を看てくれる。コウタのことは、覚えているだろう?」

 

「モシモシ……!」

 

 彼女は振り返ることなく、歩き続ける。瞬きのように明滅を繰り返す灯火を見失わないように。

 

 一歩。二歩。三歩。

 

 歩く度に、ここに来るまでに欠けたものを拾っては、空っぽの体に詰め込んだ。

 名前や性別。言葉や知識。思考や信念。

 死の香りがする暗闇から、出口まで光という糸をたぐる。

 

 そのなかで。最後に、拾ったのは。

 

「私の夢……。ああ。いろいろだ。やりたいことが多すぎて、あっちこっちに散らかっている。でも、大きな夢は、そうだ、私は世界を変えたかった。もっと良い方向へ。もっと美しく。……私達の生きる世界は、素晴らしいものに満ちあふれていて、生きるに値したのだと胸を張るために」

 

 しっかりした足取りになったアオイは、ミアカシが足を止めたので、止まった。また、光の降る場所があるのかと思ったが、辺りを見回しても何も無い。

 

 どうしたんだい。そんな声をかけようとして、天を仰いだ。

 

 ――……、……、……ジ。ジリ……ジ……。

 

 天上から、音が聞こえた。

 

 その音は職場では、よく聞いていた音だ。

 なぜ夢の中で聞こえる音が、この音でなければならなかったのか。

 音の意図に気付いたとき、アオイは失笑した。

 

「外から伝わってくる音なら、これが最適だ」

 

「モシ!」

 

 ミアカシにとって電話ベルの音は、気分がよくなるものらしい。

 仕事ではいつもふたり一緒にいられるからだろうか。この予想が合っていたら、アオイもちょっぴり嬉しい。

 

 ぴょんぴょんと跳ねてアオイの視界を照らすミアカシは、とうとうお目当てのものを見つけた。アオイも音の位置が分かり、歩き出す。

 

 次第に、ベルの音は大きく明瞭になっていった。

 

「とはいえ、誰からの電話なのか。マニさん? いや分からないな。しかし、分からないということは、私にとって『誰からでもいい』のだろう。――たとえば、それがどんな世界であろうと」

 

 暗闇から現れた古風な黒電話に語りかけ、手を伸ばしかけたアオイは、一瞬だけ思いとどまり――ミアカシが目を合わせ頷く――彼は、受話器を取る。

 

 そして。

 

 震える胸を押さえ、果ての無い暗闇に向かって告げた。

 

「もしもし、君と私の世界」

 

 

 

 ◇ ◇

□ □ □

 

 

 

 メアリー・スーは、観測した。

 

 

 

 ◆ ◆

■ ■ ■

 




【あとがき】
アオイの夢章はあと1話で終了になります。

【今後の見通しについて】
・次章:魂の昇る階
・終章 で終了になります。
・現在、60万字くらいですが、もう、そんなに、長くはなら、なら……なららら……ないと思います……はい……頑張って書いています。終わるまでお楽しみいただけたら幸いです!

【本作における、あとがきについて】
これまで実はコツコツ消していましたが、作品について語る以外の文章、時事的な報告等は近々削除する方針です。

【本作の誤字脱字について】
筆者は作品完成後に、まとめて推敲を行います。でも、誤字脱字はありがたいので、ご報告いただけたら幸いです。

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

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