神骸記   作:地衣 卑人

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十 鼓動

 

 

 紅い獣が、一陣の風となって駆け抜ける。疾風というには余りに余裕に満ちた動きで、しかし、それは何処までも暴力的な、嵐にも似た力の奔流。

 過ぎ去り際に、数度斬りつけ。斬りつけながらもこの身は、獣の爪に抉り取られて。他のヴァジュラ神族……その中でも特に強力な、ディアウス・ピターのそれさえも、比べものにならない程の速度、威力。

 姿形こそヴァジュラに似。しかし、その能力は根本的に別のアラガミ。一体の妖怪を取り込んでこれならば、元々の妖怪としての彼女の力は、どれほどのものなのか、なんて。

 助け出せば、分かる事。今は、そんな疑問は闇に捨て。構えた神機に意識を這わせ、次なる攻撃に備える。

 

『見えてるよ。貴方の運命も……食べたければ、食べるがいいわ』

 

 再度の、突進。構えた神機は、黒い狼のそれに変化させ。彼女の読み通り、突撃を紙一重でやり過ごすと共に、その翼の端に、牙を立てる。

 引き千切り、噛み千切り。咀嚼する間も無く呑み込んだ、彼女の力の一片。取り込んだ力は、自身のオラクルを活性化させ。得た能力は、バレットとしてこの神機に蓄えられ。

 

『小賢しいわね。人間らしくて、嫌いじゃないよ』

 

 それは、明らかに人間を下に見た言葉。アラガミとしてではなく、取り込まれた彼女の抱いた思い。人と魔物の間の、埋まらない力の差の、一片を感じつつも。

 止まりなどは、しない。出来る訳が、ない。もしかすると、彼女を救うチャンスはもう、訪れないかもしれないのだから。

 

『人間のそういうところも、嫌いじゃないわ。でも、勇気と愚かさはやっぱり、違うものじゃない?』

 

 紅い瞳は、更に紅く。放つ気質は、妖怪の持つ怪しげな……恐怖の、具現。

 本能が、危機を察知する。咄嗟に開いたシールドは、一瞬の後に突き立った衝撃に、軋み。

 

『神槍、スピア・ザ――』

 

 盾は、弾け。飛び散ったジョイントパーツが頬を打ち、その痛みに顔を顰める暇こそあれ。

 

 砕けた盾の向こう。掲げた爪は、やはり、紅く。

 肉を抉り取られ。吹き出した血の色さえも、光に、霞み。小さな人間の意識は、闇に……

 

 

 

 

 

 

 落ちた、結果。

 再び開いた眼が捉えたのは、見知った天井。自身の熱に温められたのであろう、暖かなシーツに覆われた身体。そして。

 包帯の巻かれた胸に感じる、微かな痛み。どれだけの間眠っていたのかなど知りもしないが、ゴッドイーターの……半ばアラガミと化した身体でさえ回復が追いついていないこの傷は、あのヴァジュラに付けられたものか。

 

「……また、無茶したんだね」

 

 扉の開く音。その駆動音に重なる声。

 白く脱色した髪に、頬に付いた機械油。その顔付きから感じるのは、幼さと、何処か落ち着いた冷静さ。ゴッドイーター達の神機の整備を引き受ける少女、楠リッカ。そういえば、前にも。こんなことがあったか、と。目覚めたばかりで回らない頭で、考え。

 思い出せば、そこには。やはり、今と同じように、悲しげな顔をした、彼女がいて。

 

 また、無茶をした。彼女は、こうやって自分が無理をして危険に晒される度……いや、きっと他の皆が無茶をした時も同じ、か。酷く、酷く悲しそうな表情を浮かべる。

 あの時、シオ……星を喰らうアラガミ、ノヴァが現れ世界を喰らい尽くすという、終末捕食……世界の終焉を引き起こそうとした事件の、最後のキー……人の姿を、心を持ったアラガミを匿ったその時にも、彼女は俺たちの側に回ってくれた。

 そんな、優しさと。信頼と。暖かな温もりを抱く彼女だからこそ。

 その表情が、胸の傷より遥かに、痛くて。その寂しげな顔を直視出来ずに、顔を背ける。

 

 無言。

 元より多くない口数を、更に減らして。沈黙に包まれた世界で二人。

 

 ベッドの端。華奢な身体の、その重みを預ける彼女の姿を、視界の端で捉えて。再び口を開くのを朧げに確認しながらも、焦点を合わすだけの勇気は……例え、アラガミとの戦いに命をかける勇気こそあれども……持ち合わせては、おらず。

 

「……でも、今回の無茶は、自分の身を守る為の無茶だもんね。仕方がない、よね」

 

 彼女も、分かっている。この仕事は……ゴッドイーターは、危険から離れることなど出来はしないことを。どんなに親しくなろうと。どんなに、大事な存在となってしまったとしても。脳裏に描いた、幾つもの笑顔は。

 いつか。本の少し、本当に、本の少しの間、目を離した隙に。風に吹かれた灯火の様に、揺れて、消えてしまうのだろう。

 

「……すまない」

「謝らなくて、いいよ。精一杯、生きるために戦ったんだから……でも」

 

 彼女の口調は、優しく。しかし、何処か強く。まるで、自分に言い聞かせるように。

 そんな。そんな、見て分かる、強がりが。とても、とても痛ましくて。

 

「頑張っても、頑張っても……君達、は……いつ、か……っ」

 

 彼女が、近付く。顔を上げれば、其処には。

 頬に雫。二筋の流れを抱いた、彼女の顔。その瞳は、既に、閉じられた後で。

 

「……っ」

 

 彼女の、淡く煌めく白髪が、包帯を巻いたこの胸に埋まる。胸に感じた、傷の痛みと、暖かな重み。この、包帯越しに感じる彼女の嗚咽を。胸の奥底から湧き上がる、感情の波を、持て余して。

 思わず回した手は、彼女を抱きしめ。しかし。

 その腕に力を込める事などは。出来は、しなかった。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 少女の去った研究室で一人、座り慣れた椅子に深く、深く腰掛け溜息を吐く。

 思い出すのは、先の記憶。不死の少女との会話。

 

「……駄目だね。君に神機は振るえない」

「なんで」

 

 長い白髪、紅い衣。彼女、藤原妹紅は、元居た世界のそれとは異なる、異郷の服に身を包み。内に抱いた不機嫌な心情を隠そうともせずに、眼鏡を掛けた切れ長の瞳を睨みながら……その目の持ち主、私サカキに、疑問と苛立ちを孕んだその言葉を遠慮一つせず突き立てた。

 

「偏食因子との適合率は高い筈なんだけど……君の体の中では、何故か偏食因子が死んでしまってね。君の身体が拒んでいるのだろう。興味深い」

「興味なんていらないから。どうにか出来ないのかしら?」

 

 食い下がる彼女の瞳の奥には、炎が揺れ。それは、比喩や例えではなく、本当に……紅い光が、その深く透き通った闇の向こうに煌めいていて。彼女は人間であると聞いていたが、やはり、不死。人とは異なる、人知を超えた力を内に秘めていることが、その容貌からも窺い知れる。

 何と無く、子どもの泣き出しそうな目だな、等と失礼なことを考えながら――それも、見透かされたように鼻で笑われながら。言葉を、返す。

 

「無理だね。偏食因子を取り込んでいない人間が神機を扱えば……神機は身体を蝕み、喰らい、アラガミと化す。丁度、君達幻想郷の住民のようにね。君はまた、アラガミに……ん?」

 

 違和感を感じる。偏食因子は彼女の体の中では生きられず、彼女は、ゴッドイーターになれない……?

 

「……いや、そんな筈は無い」

「何がよ」

「いや、なんでもないんだ。忘れてくれ」

 

 そう。そんなことが罷り通るならば、そもそも彼女は アラガミなどになってなどいない筈なのだ。彼女自身に、アラガミによる捕食を防ぐだけの力があるはずは、ない。

 しかし。もし、仮に。彼女の持つ不死性がそれほどに強いものであったならば……などと。不確定な、根拠のない思考を拭い捨てる。確信の無い行為で、再び彼女の身を危険に晒す事などは、出来ない。

 そして、そのまま。不機嫌に部屋を出た彼女の後ろ姿を脳裏に描きながら、再度、深く椅子に座り直し。ほうと、一つため息を吐き。

 

「……ままならないね……」

『お疲れ様ですわ』

 

 突然の、声。弾かれるように、その、振動の先を辿った、私は――――

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 一つ、また、一つ。

 一つ。一つ。

 そして、また、一つ。

 揃い始めたパーツは。失われた欠片は。しかし、全てがまだ、この手の上。巫女は、彼女は、取り戻したつもりなのだろう。彼女は、吸血鬼は、私の邪魔をしてやったと、その顔に笑みを――最も、今の姿で笑みなど、浮かべようもないが――湛えているに違いない。

 が。

 

『……無駄よ。何もかも……』

 

 六本の足。光り輝く鬣。両の手に備わった、神の顎。

 なんと歪な姿に身を堕としたものか。妖怪の賢者が、彼の素戔嗚が、この様。だが、しかし。

 

 この身に宿ったのは、紛れもない過去の力――――神の力。大地を揺るがし、大海を握り。荒び。荒ぶる力。荒れ狂う神の力。

 懐かしい。ただ只管に、懐かしい。

 

『……天津神、国津神、八百万の神等よ』

 

 呟きは、空へ。降りし神々へと、この、言の葉を投げる。連なる八雲は、聳え立つ八重垣は。全ての神々の願い。全ての神霊の悲願。

 

 時が迫る。私の計画は、神々の祈りは。全て、其処で。

 其処で、叶えてみせる――――

 

『支部内にアラガミが侵入! 現アラガミ位置は……サカキ博士の研究し――――』

 

 剣の一刺しと共に、一人の男を捉え。爆ぜるのは、喧しく喚き散らす外の魔法。どうせなら、音楽の一つでも流してみればよいものを、なんて。狩る側だからこその余裕を持って、腕の中の男を見やる。

 

『お初にお目に掛かりますわ、人間の賢者。私の名は、八雲紫。以後、お見知り置きを』

「……君も、幻想郷の妖怪、かい」

 

 人のものでは無い異形の腕に捕らわれながらも、落ち着き払って彼は言う。成る程、捕らわれの身と言えどもその様は、器は、賢しき者のそれ。この、絶望的な世界でも、人間たちがしぶとく生き永らえる訳である。

 

『ええ。卑しき地上の妖怪でございます。今日は、私の所の人妖達がお世話になっているようなので、そのお礼に参りましたわ』

「礼、と言うには少々手荒な気がするけれど……これは、ハグのつもりかい」

『いいえ。いつでも握り潰せるように』

 

 だろうね、と。半ば諦めたように、彼は体の力を抜き。随分とあっさりとした降伏と、何処かコミカルな仕草に思わず、笑みが零れる。

 

『お早い諦めですこと』

「私は老いぼれの研究者だ。若者のような活力は残っていないのでね」

『そう。だから、道具に頼るのね』

 

 私の腕の隙間。彼の服の裾から落ちた、一つの物体を、境界を開き呑み込んで。

 刹那。その、スキマの先から漏れ出る、眩い光。スタングレネード、というものだろう。小賢しいと嗤うのは簡単であるが、これも、人の知恵。鬼さえ討ち取る人の頭脳の成したものと思えば、懸命に足掻くその様に可愛らしささえも感じ。

 腕の中で足掻く、小さな命を弄びながら。彼女が現れるのを、静かに待ち続ける。

 

「……君は」

 

 男が、口を開く。言葉に宿るのは、私の行いに対する非難でも、生き永らえるための媚びでもなく。唯、純粋な疑問の念。

 

「何が、目的なんだい? 八雲紫の名は、霊夢君から聞いている。幻想郷を守る結界を張り、守り続ける妖怪であると。しかし、私には……幻想郷にアラガミを送り込んだのは、君のように思えるのだが」

『……霊夢が、そんなことを?』

 

 頷く、サカキ。私の前では、間違えても口に出さないであろうその言葉を聞き、彼女の密かに抱く私のイメージに、頬が緩み。そして、少しだけ後ろめたい。

 

『その通り、と、言っておきましょう。幻想郷とこの世界を繋げたのは、私。この、八雲紫でございますわ』

「それは、何故――」

 

 彼の言葉を遮るように。冷たい、無機質の扉が開く。開くと共に、視界に飛び込むのは……そして、私目掛けて飛び掛かるのは、一つの、赤。

 

「紫ッ!」

『久しぶりね。霊夢』

 

 彼の、サカキの体を、解放すると共に、振り下ろされる剣を、尾を以て弾き。久方ぶりに見る彼女の姿に、思わずまた、笑みが零れる。

 

「動かないで。今すぐに引きずり出してやるわ」

『……霊夢』

「煩いッ」

 

 巨大な剣。神を殺す刃。それを、軽々と振るう彼女もまた、アラガミの力をその身に宿しているのだろう。幻想郷を取り戻す為、自身が生き残る為。小さな人間は、その、短な手足を必死に振るい。

 

「あんたは……紫じゃないッ! あいつは、あいつは……ッ!」

 

 再び、剣尖が私に迫る。それは、幻想郷に居た頃よりも、ずっと速く。ずっと、重い一撃。しかし。

 受け止めるのは、易しく。軽く尾を振るっただけでも、彼女の手から、剣は弾かれ。伸ばしたその手を、私は、踏みつけ。

 

『……どうしたのかしら、霊夢。これなら、昔の方がまだ強かったわね』

「ッ……!」

 

 睨んだ所で、何も変わらず。彼女の腕は、私の前足の下に押さえ付けられ。折れない程度に力を抜いてはいるものの、足に伝わるのは、彼女の肉が傷付き、骨が軋む感覚。それなりに長く付き合ってきた彼女を傷付けるのは、それなりに胸が痛みもする。が。

 

『……もう、離しはしないわ……霊夢』

 

 足音が近付く。これ以上、此処に留まる時間は、無い。彼女の、体を腕の顎に咥え。私は。

 

 開いた境界へ。この、体を滑り込ませた。

 

 

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