傷だらけの身体。痛む左脚。
満身創痍、と、言った具合の体を、引き摺り、引き摺り。暗い、暗い、地下通路を。無機質な、灯り片手に進み行く。長い、長い。暗い、暗い。続く先、闇に飲まれ。見通すことさえ叶わない、地の底を這う。
――白い、白い光。いつか地底で見た光に似た。しかし、更に。更に白く、純粋な……光は。あいつを飲み込んで。
霊夢は。光に消え。咲夜も、また。レミリアと共に闇へと消えた。
霊夢が消え。咲夜が消え。静まり返ったエイジス、その後の、アナグラ。
残された、私は。私の行先は。一人を除いて、誰にも知られてはいない筈。あいつならば、私を止めることも無ければ、他者へと伝えることも無いだろう、と。それなりに、長い付き合いだ。長い付き合いであっても、あいつは。私が無謀な一手を打たんとする様をその目で見ても、止めること等無く。くつくつと喉を鳴らして。私の転がり落ちる姿を眺めることだろう、と。足掻く様を見て笑い。求めれば手を貸し……無論、それも。伸ばされたその手を此方が掴めば、また、同じこと。壊れるまでは眺め続け、飽きれば放り……若しくは、その手で握りつぶす。そんなあいつの事だ。傷に塗れた身体。自由には動かない――人間の体を、これほど疎んだこともない――この、体では。アラガミの一体でさえ、退けることは出来ない、と。私の邪魔をすることもなく。そして、神機を振るうことなくアラガミを倒す術を持つ……あいつなら、きっと、私の力になってくれるだろうと。戯れに手を貸し、足掻かせ続けるだろうという。勝手な期待を胸に、この、暗い暗い地下通路を進み行く。
目的地は、エイジス地下。残された実験施設。私の予想が正しければ、其処に。あいつを取り戻す……若しくは。
この手で、止めを刺せるだけの。力がある筈だ、と。これも、希望。私が勝手に抱いた……不安要素は、多過ぎる程。しかし、それでも。
「もう、これしか……」
「希望が無いって?」
闇の中。深い、深い。温かみの一つさえ無い、冷たい闇の中から響く、一つの声。それは、私を嗤うように。心の底から、嘲るように。私の、鼓膜を震わせて。伝えるだけ伝えておいて、いつ実行に移すかも知らせず。それでもこいつは、やはり。私のことを眺め続けていたようで。
「……そうだ。私は人間なんでな。ここまで体が駄目になれば、やれることなんてありゃしない」
「そうかしら。自分が動けないならば、頭を使えばいいじゃない。例えば」
「お前を頼る、とかか? どうせ代償を求めるんだろう。今は契約なんざしない。体はくれてやってもいいが、そう簡単に魂までは渡しはしない」
提案を、持てる限りの力を以って。吠えれるだけの言葉を以って……虚勢を以って。今は、まだ。その、言葉を蹴り飛ばす。
私は。まだ、自分の力で。あいつを。霊夢を……
「でも、その癖……こうして、私に頼ってるじゃない。私にこの事を伝えたのは、その為でしょう? それは、契約と何が違うの?」
「別に頼ってなんかいないさ。お前は私に勝手についてきた。今はそれだけで十分だ。お前に頼るのは本当にどうしようも無くなった時。お前は」
「保険って言うのね。死ぬくらいなら、ってこと?」
言葉通りの、私の企み。返す言葉も無ければ、軽口を叩くだけの余裕も無く。表情に出たか、沈黙から読み取ったか。彼女は。
「嫌われてるね。そんなに私の手を握りたくない?」
やはり、喉を鳴らし。突き出した自身の手を数度、開き、閉じを繰り返しながら嗤う、耳障りな声。私の胸の奥に爪を立て、抉る……本人に、その意思があるのかなど、知る筈もなく。只、その。小さな、笑い声に覗く。
何かを諦めたような、微かな悲哀を見て。
こいつも、また。共に、共に。自分達の世界を奪われた……仲間である、と。私が欲した。涙まで流して欲した。故郷の……
「魔理沙」
「……なんだ」
「私を信じないのは、いい。悪魔だし、私だし。信じれないのは、構わないけれど。でも、言うだけ言っておくよ」
気付けば、伏せていた。顔を、上げれば。其処には。
笑う、フランドールの姿。真っ直ぐな。狂気の欠片さえ見えない。紅い、紅い、澄んだ瞳。
「足掻くなら。私も、一緒に足掻きたい。あなた達と一緒に。その手を取って。もう。大事なものが壊れるところは見たくない。遠ざけるんじゃなくて、自分の力で守りたい……それは」
それは。
言葉は。私の胸の、奥底。深く、深くを、確かに、穿ち。
言葉を。返すことさえ出来ず。帽子の淵を、目深に。緩んだ涙腺。崩れかけた。この顔を、隠して。
「……すまん」
「いいよ。求められれば、力にはなるから……自分の力で足掻きたいんでしょう? 変わらないね、魔理沙も」
そう言って、笑い。力無く、笑い返して。
私たちは。一つの扉。目的の扉に辿り着く……が。
「……誰か、来たのか?」
「何か、の間違いじゃない?」
無理やり……爪だか、牙だか。恐らく、人間ではない何かに……神機を使えば、人間でも可能ではあるのだろうが……破壊された、金属室の扉。その先に続く、物音は疎か。生き物の気配一つしない。深い闇へと灯りを向けた所で、奥まで見渡す事は叶わず。
恐らく此処が、目的の部屋。かつて、終末捕食を引き起こすアラガミ、ノヴァの研究が行われていた、研究室。前任の支部長、ソーマの父親、だったか。そいつの計画は、此処で行われていた筈で。それが、どういう訳か。こうして扉は無残に壊され。生き物の気配は感じないとは言え、気配を消す程度の、その辺の妖怪だってやってのける。何が潜んでいるかも分かりはしない。
「入らないのかしら」
「……入るさ。だが、用心に越したことはない」
「そう、なら」
言うが早いか、止める間もなく。ふらりと一人。闇の中へと、フランドールは歩を進め。人間の目では、只々黒く。深く続く闇の中。吸血鬼にとってはこの暗闇も、大した障害にはならないのか、と。
「……大丈夫。入ってもいいよ」
闇の中から響く声。他に、物音も聞こえず。彼女の言葉を信用し、一歩。闇へと踏み入れて。
手の中の灯りは、頼りなく。ぼうと輝く、フランドールの翼の光の方がまだ、範囲が広い分頼りになって。暗闇に浮かび上がった冷たい棚や、机……何者かの侵入と、恐らく、それに伴い破壊された棚や、扉が転がっているのを除けば。随分と、片付いた。肝心の中身、資料や、偏食因子のサンプル。何でも良い。何か、少しでも。私を助ける、力となるようなものは……一つも、残されてはおらず。
「……普通、こんな場所に放置はしないよな」
「でも来たんだ」
「流石に、研究室からは借りれないからな。摘み出されるのが関の山だろう」
半ば、分かっていたようなもの。此処に残されていないならば、この実験施設の資料は全て、榊が回収してしまったのだろう。此処に、私が望むものなど無く。此処以外にも、私の望むものはない。
どうしようもなくなった、とは。こういう時に吐き出す言葉か。そして、続く。助けを乞う、その言葉。
「……フラン」
「何かしら、魔理沙」
「お前の力、を……」
振り向きざま。暗く沈んだ部屋の隅、視界の端に映り込んだ、吹き飛ばされた扉、棚の残骸。それらが、覆い隠すように。
覗く、一つの扉。引き寄せられるように開いた、その、先。
「……これだ」
暗い部屋の中。微かに光を放つ、その、姿を見て。私は。霧雨魔理沙は。
人の身を捨てる、覚悟を決めた。
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何が、起こったのか。
強烈な光。白に埋まる視界、思わず、閉じた瞼。再び目を開けば、そこには。
光に飲み込まれた
そして。カノンの叫び声。あいつは、咲夜の名を。目の前でアラガミに呑まれた、彼女の名を――
目を覚ます。目に映るのは、暗い部屋。白い天上。星空の見えない。そして。
傍ら。椅子に座り。俺の眠る寝台に身を預け、眠る、彼女の姿。
「っ……」
身を起こそうとすれば。体中に走る痛み。重い体と、巻かれた包帯。思わず零れかけた呻きを噛み殺し、寝台の上。体を起こし。息を、吐く。
どれだけ眠ったのか。壁に掛かった時計。日付が変わっていないのであれば、数時間の眠り。どうやってここに運ばれたのかも憶えておらず。只、思い出せるのは。
最後。霊夢が、咲夜が。アラガミたちが立ち去った、エイジスの静寂。崩れ落ちた仲間達の姿。鈍い、鈍い、膝を付く音。
終わったのか。全て、全て。俺たちは。仲間を救う、ことさえ出来ず。それどころか。これから、何が起こるかも知りえぬ状況、結末を……
「……まだ、だ」
足を。
寝台から投げ出し、強く。強く、踏みしめる。
まだ、動ける。まだ。俺は、生きている。まだ、足掻ける、と。いつか。あいつに下された命令。その時初めて聞いた、奴の怒号。あの時のあいつは。あいつは。やはり。
逃げることなく。俺を。ならば。
「……行くのね」
声が転がる。暗い病室、澄んだ声。俺の愛した、彼女の……
「……ああ。すぐ帰る」
「嘘ばっかり」
呆れを多分に含んだ声。しかし。声は、凛と。迷いすらなく。決意の色さえ垣間見え。
「……すまんな。少しばかり、時間が掛かるかもしれない。先に寝てていい」
「もう。また、そんな……」
「そうだな。また、だな」
思えば。何度も。いつも、いつも。こいつには、心配を掛けてばかりで。そして、それは。
きっと。これからも、ずっと。ずっと、続く。
「また、だ。これからもこうやって、心配をかける。ずっと、な」
「……そうね。ずっと、ね」
戸を、開く。顔は、見ない。見せられない。只々、彼女が。こうして、ずっと、待ち続けてくれる温もりが。唯、恋しくて堪らない。
彼女の顔を見るのは。帰ってから。全て、全てを片付けてから。それからでも、遅くはあるまい。時間は、機会は。数えることさえ馬鹿らしい。
それは。戸を開いた先。ずっと待ち続けていたらしい、三人の姿……俺より先に目覚めていたのか、元気なものだと笑いかければ。心なしか照れたように。誇るように笑い返す、ソーマやコウタ、カノンの姿。こいつ等の笑顔も、また。
「行ってくる。ビール、冷やしといてくれ」
「はいはい。行ってらっしゃい」
いつも通り。いつも通り。背後に。彼女へ、声を掛け。彼女の声を受け。
俺は。仲間達と共に。随分と遠く。姿を隠した仲間達の元へ。
強く。足を、踏み出した。
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隠れ、隠れ、隠れ。神の体に身を埋め。思いを兼ねて、岩戸を開き。
神の居ない世界。神の骸の上に立つ。人々は。嘗ての思いを、心を忘れ。神々を忘れ、神々を消して。
世界は。古き世界を塗りつぶした。ヒトは。カミの思いを。心を。
『霊夢』
エイジス。ヒトとして、カミに抗い。人としての生を終えた。この地に佇む私の背に、聞き慣れた声が投げかけられる。
紫。彼女もまた。私と同じ。自ら望んだわけではなく。自ら踏み入れたわけではなく。引き摺り込まれ、取り込まれ。神の体にその身を埋めた。今ならば、彼女の思いが良く分かる。
人を。憎んだわけではなかった。人を。怨んだわけではなかった。只々、自身等の子が。自身等を否定し、消してゆく。そのことが唯、唯寂しくて。
『……不思議ね。こうして、立つ場所を変えただけで。こんなにも、あんたの気持ちが良く分かる』
それは、痛いほど。胸を裂き。熱く煮え。体から這い出さんとするかのよう。
『今の貴女は、神の一。この、私達の居た時代よりも、遠い遠い未来。人間に忘れ去られた神々の思いが、直接流れ込んでいる。一つになるまでは、分からなくても無理はないわ』
『……そう。私は』
本当に、ヒトではなくなったのね、と。呟きかけた言葉を飲み込み、この、体。白く輝き。紅く輝き。天球に貼りついた星空の下、明るく、明るく世界を照らす。力に溢れた巨体を見下ろす。
これが、カミか。本当に、これが。この、歪な姿が。私達の信じた――
『霊夢』
『分かってる。もう、拒まない』
拒みなどしない。私は。私は、彼女と共に。紫と共に。
世界を。今、もう一度。
神代から。また、やり直すのだ、と。
青く、青く染まった。月を見上げて。そう、呟いた。