神骸記   作:地衣 卑人

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 改稿。


三 終の巨人

 静かな、静かな夜だった。

 全てのゴッドイーター達が自身の請け負った仕事を完了し、そろそろ眠りに着こうかという、夜更け。灯りが消え、人工物が生んだ暗闇の中、只々、空調機器がその駆動音を響かせるのみの、夜。

 

 けたたましい緊急警報が、アナグラ内に鳴り響く。

 

 

 

 外壁の破壊と、アラガミの侵入を告げるアナウンス。普段のそれとは比べ物にならない緊張の中、全ての戦闘員は自身の獲物を携え、領域を侵した荒れ狂う神の元へと向かい、走り出す。

 報告に上がったアラガミの名は、スルト。数日前から目撃され始めていた、クアドリガ……キャタピラの前足、金属の後ろ足。全身を覆う金属板に、果てはミサイルポッドまで装備した、人間の兵器を模したアラガミ……の、変種。

 通常のクアドリガと大きく異なるのは、通常種よりも遥かに大きな体躯、前面に突き出した二本の腕と、その手の握った燃え盛る剣、そして、その頭部。本来ならば人間の骸骨に似せた機関が突き出しているその部分は、まるで、鉄の棺のように閉じ切り。弱点である部位を隠し、燃え盛る剣を振りかざすその姿から本部は、かつて世界を焼き払ったという巨人の名から、スルトと命名したようで。態々世界を滅ぼした存在の名を敵に付けるあたり、本部は余程のマゾなのか、それとも撃破するだけの戦力があると確信しているのか。

 まあ、何にせよ。平穏な生活を脅かす敵は、狩らねばなるまい。あいつが留守にしている今、俺達が此処を守らねばならないのだから。

 

「霊夢、魔理沙。お前らは第一部隊と一緒に俺と来い。他はタツミの指示に従え。奴さんと、ちょいと遊んでくらぁ」

 

 別に、本当に遊んでくるつもりではない。無論、俺達が相手をしている間に居住区の住民の避難を行わせるための時間稼ぎ、である。俺の冗談を理解してくれる程度の余裕は、他の奴らも持っているだろう……と。

 何とはなしに、小生意気で真面目なアイツがどうしているか、と。ふと、その整った顔立ちが思い浮かぶ。アイツも今は、ロシア支部へと戻り。いつかまた、彼女がこの地を訪れるまで位の間は、この極東支部を守らねばなるまい、なんて。

 

「了解。一人も死なすなよ、お前らぁ!」

「了解!」

 

 力強い返答に、俺の意識は現実へと引き戻され。今は昔を懐かしんでいる場合じゃない。さっさとこのアラガミを打ち負かすなり追い返すなりして、居住区の……そういえば、コウタの家もこの辺りと聞いた。一つ二つと守り抜かねばならない理由が増えながらも、そんな理由などなくても守らねばならないものはならないのだと、当たり前のことを失念している自分に。随分と感傷的になってしまった己に対して、自嘲の笑みがこぼれる。

 そんな俺を他所に。上がる声は、士気に満ちて。真夜中の出動、背水の陣だと言うのに、頼もしい限りで。

 

「……炎の巨人、か」

 

 燃え滾る剣は、天を焦がし。真夜中でもその首を失くした巨人の姿は、紅い炎に浮かび上がって。闇の中でさえ自身の存在を誇示する様は、神々しさなど欠片もなく。醜く、禍々しい、不気味さばかりを振りまいている。

 この戦闘が終われば間違いなく、接触禁忌種指定されるであろう強力なアラガミ。何を食ったらあんな風になるのかなどは知らんが、もし他にもこんな個体がいるのであれば、面倒であること極まりない。

 

「全員、よく聞け。やばくなったら逃げろ。そんで隠れろ。運がよければ、不意をついてぶっ殺せ……分かってるな。絶対に、死ぬなよ」

「……あんたもな」

 

 そう、小さく。しかし、強く呟くソーマ。思えばこいつも、あいつが来てから随分と変わったものだと、胸の中で独りごちる。

 

「分かってる。こっちは家庭持ちなんだ。死んでたまるか」

「……ならいい」

 

 そう言って、笑みを浮かべ。裏に隠した優しさを零すも束の間、直様炎の巨人を見据え、その大剣を構え直す。一丁前に格好付けたその仕草は、しかし、中々様になっていて。緊迫した状況だというのに、こいつや、少しばかり離れたところで新人二人の前に立つコウタを見ていると、なんとなく、安心する。

 守り抜ける。何とかなる。こいつ等とならば、何を相手にしようが。

 

「第一部隊と新人二人……いくぞ!」

 

 その号令は、咆哮にも似て。率いる戦士達は、巨大な敵を前にしたところで恐れは疎か、怯みさえせずにその獲物を振りかざし、強大な力に、災厄に抗い。

 ならば。俺も、こいつらと共に抗おう。人類を呑み込む神々、荒れ狂う力の奔流に。

 

 走り出す隊員達。奴らの走り行く様を視界に捕らえながらも、俺の右腕は、鈍い光を放ち。集まりだすオラクル細胞は、拳の中で繋がり合い、混ざり合い、その、形を成してゆき。混ざり合った細胞群は、俺の意思に呼応し、同じオラクル細胞の集合たる、アラガミを食らう刃と化す。

 形だけは、神機に似せ。しかし、神機と比べればもっと、生物的な質感を持つ刃。右腕が呼んだオラクルは、俺に従い、運命に抵抗する力となって。

 

 鳴り響く爆発音。切断音。破砕音。俺も、その合唱へと早く、身を投じねばならない。

 

 大地を踏み抜き、標的へと飛び出し。生成したばかりの獲物を振り抜き。巨人の下を潜り抜け、右後ろ足に巨大な傷跡を残して。勢いもそのままに、その巨体にへと深々と剣を突き立て。金属質の体に刃を捻じ込んでは抜き、また、更に高い位置にへと突き刺してはよじ登り。弱点であるはずの頭部を目指して、巨人の体を蝕んでいく。

 が。

 

「うお、おおう!」

 

 そう簡単にアラガミも、自身の体をよじ登らせはしないようで。巨大な体は、俺を弾き飛ばさんと右へ、左へと揺れ。凄まじい勢いで振り回される俺は、随分と間抜けな様を晒しながらも差し込んだ獲物を握りしめ、振り落とされんと必死に食らいつく。

 

「世話の焼ける……ッ!」

 

 あの呟きは、ソーマの声か。制御されたアラガミ化によって強化された聴力が、呆れを多分に含んだ呟きを拾い。振り回されている俺には、その表情を確認することさえ出来ないが。

 

「霊夢、魔理沙!」

「分かってる!」

 

 刹那。響き渡る轟音。遅れて聞こえた巨人の呻き声と共に、世界が揺れ。その機に乗じて体をスルトに引き付け確認してみれば、砕けた右後ろ足と、四人の仲間たちが其処にいて。

 全員の、俺が傷を負わせた位置への一点集中攻撃。砕けた装甲と、スルトの動きが止まっている点から察するに、どうやら部位破壊は成功したらしい。

 

「恩に切る、お前ら!」

「サポートは当たり前だ……早く行け」

 

 ぶっきらぼうに答えるソーマの言葉を背中に受け、斜めに傾いた金属の体を駆け上がる。引き抜いた剣をデタラメに振り、其処ら彼処に切断跡を描きながら、俺は、固く閉じた頭部装甲へと、走る、走る。

 鉄板の表皮、オイルの血。切り裂いては体を濡らし、機械油に足を滑らせ。剣を突き立て堪えれば、また、その巨体は動きだし。傾き、今にも倒れそうだった体はいつの間にやら並行を取り戻し、今にも俺を振り落とさんと震え出す。

 だが、しかし。折角皆が作ってくれたチャンス、そう簡単に手放しはしない。

 

「届き……やがれぇえええ!」

 

 全力で巨人の体を蹴り、中空へと飛び出し。迫る巨人の頭部へ向けて、俺は、右腕に作り出した捕食器……神機と同じく、狼の顎にも似たそれを向け、その、閉ざされた鉄の扉を抱いた、横っ面にへと食らいつき、その全面へと周りこむ。

 

 ガツリ、と。

 

 鈍い衝撃音と共に、全力で、敵を捕食して。

 捕食器を通じて伝わるのは、牙を捻じり込み、血を啜り。オラクル結合の肉を食いちぎる喜びだけ。俺も、随分と人間から遠ざかってしまったものだと再び自嘲しながらも、その力を緩めることは、ない。

 

 力任せに。強引に。鉄の棺を噛み砕き、引きちぎり、そして、飲み込み。オラクルの活性化を肌で感じながらも、剥き出しの弱点に、更なる一撃を加えんと刃を振りかざし……

 

「……ん、あ?」

 

 思わず、間抜けな声が上がる。鋼鉄の扉を食い破った先、弱点……この馬鹿でかい図体を操作する指令器官なり、肉の塊なりが覗くであろうことを予想していた場所には……

 

 静かに眠る、一人の少女が埋め込まれていて。

 

「……っ……う……」

 

 剣を、振り上げたまま。予想外の事態に思考の止まった俺と、棺を抉じ開けられた衝撃からか、覚醒し、うっすらと瞳を開き始めた少女。

 覗くその色は、紅。そして、アラガミの肉に呑まれながらもぼんやりと輝く七色の翼……人間の持ち得ぬ、魔物の体。奇妙な姿の少女を前に、俺の頭はやっと、現状を把握し。

 

「お前……妖怪、か……?」

 

 絞り出すように発した声は、少女に向け。対する少女は、眩しそうに。俺の瞳を、真っ直ぐに見つめ返して。

 

「……貴方、は……」

「リンドウ。幻想郷から来た妖怪、だな?」

 

 答えは、無く。先までの揺れが、駆動音が嘘のように止まり、馬鹿みたいに静まり返った、世界の中。

 唯一変わることなく燃える、劔の炎に照らされた、薄い黄色の髪。紅眼。そして、年端も行かぬ少女の顔形は、その、小さな口を開き。

 

「……逃げて。少しだけなら、時間を上げれるから……」

「馬鹿を言うな。霊夢や魔理沙や、咲夜も待ってる。待ってろ、今引っ張り出して……」

「構うな、失せろッ!」

 

 叫ぶ声は、せり上がったアラガミの肉に飲まれて。少女の体は、異形の肉塊の奥深くへと沈み、それと同時に再び、スルトの体が脈動し出すのを感じ取る。

 巨人の再起。やはり、表層だけにダメージを与えた所で沈みはしないらしい。激しく揺れ動く巨体と、耳を劈く、鉄の擦れる音、機械音。俺の体はついに、抵抗も空しくアラガミの体から振り落とされて。数階建てのビル並みの巨体から落ちる俺は、唯々、彼女を助け出せなかった後悔ばかりが湧き立ち。

 この程度の高さならば、ゴッドイーターとなった……中でも、半分アラガミと化した俺の体ならば、大したダメージを受けもしない。そんなことより、だ。

 

「くそっ……まだ、名前も……」

 

 名前さえ知らない。呼ぶことさえできない、あの、少女。見た目だけで言うならば、十にも満たない幼い少女。そんな少女一人さえも助けることが出来ないことが、腹立たしい。他の誰でもない。この、自分自身が。

 

「リンドウさん!」

「おい、大丈夫か?」

 

 無様に地面へと激突した俺に駆け寄る四人と、後ろ足を引きずりながらも方向を変え、外壁に空いた大穴へと歩みを始めるスルト。此度の戦闘はどうやら、これで終わってしまったらしい。

 酷く、胸糞悪い終わり方で。

 

「くそ……助けるどころか、助けられるなんて……」

「……どうしたの?」

「霊夢、魔理沙。黄色の髪で、紅い眼をした……そんで、虹色の羽をした妖怪に知り合いはいるか?」

「それって……まさか」

 

 目を見開く二人。言葉を失う二人へ向けて、俺は、告げる。

 

「ああ。あいつはアラガミに食われた妖怪の、二人目ってことだ」

 

 遠ざかる巨人は、手に持った巨大な松明に照らされ。闇に溶けゆく紅い光を、俺たちは。

 為せることなど、一つとしてなく。唯々、離れゆく巨影を見据え続けた。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

「全てのアラガミには、ありとあらゆるものを捕食出来る能力がありながらも特定の対象しか捕食しないという特性があり、それを偏食と我々は呼んでいる。その特性……偏食を誘導する物質が、アラガミ装甲などにも組み込まれている偏食因子であり……」

 

 屏風や、日本刀。日本製の壺などが並び、申し訳程度に和を感じさせる研究室。私たちは今日も変わらず、博士の講義を聞く最中で。

 博士の言葉は、頭の中に留まる事なく流れ落ち。隣で熱心にノートを取る魔理沙や、今一理解し切れていないミスティアをぼんやりと眺めながらも、昨夜のリンドウの言葉が頭の中で反響する。

 

 ――黄色の髪で、紅い眼をした……虹色の羽……

 

 知らない筈が、ない。それは、暗い地下室でいつまでも私たちを待ち構える悪魔……フランドールの容姿に他ならなくて。

 地下室に閉じ籠ったお姫様までもが巻き込まれたこの異変。今更ながら、幻想郷は人里を残して完全に崩壊してしまったのだということを実感して、少しだけ、体が震える。

 

 フランドール。紅い館の主……咲夜の主、レミリアの妹。咲夜からは、レミリアは咲夜の身代わりになったと聞いたけれども、フランドールの行方だけは、幻想郷を出るまで分からず終いだった。彼女が生きていたことを伝えるだけでも、咲夜の心の枷は緩み、少しはその呪縛を解くことが出来るのであろうが……

 

「駄目、ね」

「駄目、とは、何のことだい?」

 

 びくり、と。大きく跳ねた身体は、弾かれると同時に声の方向を見上げ。そこには、少しだけ怒った風のサカキ博士の姿。その怒りの相もすぐに消え去り、仕方がないとばかりに溜息をついていつもの顔に戻りはしたが。

 

「……フランドール君、だったかな」

「……分かってるんじゃない」

「まあ、色々な人が悩む様を見てきたからね。君の心情も、大方理解出来る……咲夜君には伝えちゃ駄目だよ」

 

 やはり、と、言うべきか。自分の導き出した答えを後押しするように、彼は続ける。

 

「幻想郷に居た頃の、咲夜君の主人の妹さんだと、そう言ったね。ならば、咲夜君が知れば動かない筈がない……それこそ、時間を止めてでも、だ。今の彼女は神機を持っていないというのに、ね」

「……分かってる。咲夜には伝えないわよ」

「賢明だね。君のその賢明さを信じて、私も一つ賭けをしてみようと思う」

 

 サカキの眼鏡が鈍く、電灯の光を反射して。切れ長の細い目は、微かな決意の色を示す。彼の賭けとやらが何かは知れないが、その裏には何か、綱を渡るような危うさを隠していることだけが窺い知れ。

 

「これを見てみるといい。もしかしたら、君たちならば分かるかもしれない……フェニックスと名付けられた、極最近発見されたアラガミだよ」

 

 懐から取り出した、一枚の写真。其処に写るのは、一体の……

 

「……火の鳥?」

「どっかで見た憶えが……無いこともない気がするぜ」

 

 全身を炎に包まれ、一対の巨大な翼で空を舞う、一羽の鳥。神々しささえ感じるほどに紅く輝くその姿は、成る程、神のそれで。

 

「……あいつか?」

「分かるの、魔理沙」

「そりゃあなぁ……そうか、あいつも食われてたのか」

 

 一人で納得し、そうかそうかと唸る魔理沙。対する私は、この場に取り残されたまま。

 とりあえず、不機嫌そうにじとりと魔理沙を睨みつけ、怯んだ彼女の口を無理やり開かせる。

 

「分かった分かった。ほら、あいつだよ。焼き鳥屋の……健康マニアだ」

「……ああ、妹紅ね。初めからそう言いなさいよ」

 

 妹紅。藤原妹紅。

 確か、蓬莱の薬か何かを飲んで不死人となった物好きだったか。長過ぎる生を得、その代わりに人間としての生を失った……なんて。

 妖怪だらけの幻想郷において、人間らしさなどに何の価値も見出すことなど出来はしない。あるのは、身を寄せ合って守り合う、弱い体と強い、結束力のみで。その結束力を、弱いままで生き続けることを美学と言えるほど、私は人間というものが名誉にまみれた存在であるとは思っていない。

 人間は、人間程度に。妖怪も、また。

 

「実は数日前に発見されたアラガミでね。君たちに伝えるべきかどうか迷っていたんだよ」

「何でだ? 咲夜にフランのことを伝えないのはまだ分かるが、私らはそこまでせっかちじゃないぜ?」

「飛び出さないか、という心配じゃないんだ。実は、だね……」

 

 言い淀む、サカキ。抱くのは、恐れか、躊躇いか。先ほど感じた危うさが、彼のその口を縫い合わせてしまっているのか。

 しかし。

 

「……聞かせて。一体、何があるの?」

 

 決断を迫る。私達の心は、思いは、彼の躊躇いに構う暇などはない。

 

「……ハンニバルというアラガミがいる。ハンニバルは脅威的な再生能力を持ち、その再生能力は戦闘不能に陥ってもものの数十秒で……」

「話を逸らさな……」

「まあ、最後まで聞きなさい。ハンニバルは戦闘不能に陥っても、ものの数十秒で回復してしまう。そう、それこそコアを破壊、捕食されようが、ね……」

「……それって……」

 

 流石に、勘付く。彼の、言わんとすることに。

 

「そう。実は一度、第一部隊の隊長が、そのフェニックスと交戦してるんだよ。苦戦しながらも倒すことに成功しているんだが……ハンニバル種と同じように復活してね」

「……つまり、倒せないってこと?」

「それだけじゃない……非常に、言い難いけど……」

 

 またもや、言い淀むサカキ。だが、その躊躇いは今度は、そう長くも続かず。

 

「アラガミは、コアと呼ばれる機関を中心としたオラクル細胞の集まりだ。つまり、コアを破壊、捕食してしまえばアラガミの体は分解し、形を保てなくなる……そして、妖怪を取り込んだアラガミはどういう訳か、捕食した妖怪をコアとして取り込む訳だね。ちょうど、ミスティア君のように。しかし、妹紅君の場合……」

 

 一拍の、間を置いて。彼は、続ける。

 

「妹紅君の場合、その体がコアの位置になかった。あったのは唯の、アラガミとしてのコアだけ……これは推測だが、妹紅君は人間だったんじゃないかい?」

「……まあ、人間では、あった、けど」

「単刀直入に言おう。妹紅君は、アラガミになった訳ではない。捕食され、その体に取り込まれた……妖怪としてではなく、唯の人間として、ね」

 

 一応、これまでもサカキの講義を受けてきたのだ。アラガミが捕食したものは、私たち人間や、獣たちがものを食べたときと同じく。形を保つことなどなく、体に取り込まれるのみであることくらい、理解している。でも

 認めたくない。認めたくなんて、ない。

 

「……冗談か、何かよね……?」

「こんなにつまらない冗談を言うほど、私も陰険ではないよ……最早助けることは出来ないだろう。妖怪なら兎も角、人間がアラガミに捕食されたならば、それは、死を……」

 

 煩い。

 

 その言葉は果たして、私が実際に発したものだったか。それとも、胸の中での叫びだったか。兎角、私の体は宙に浮き、研究室の、開き切る前の自動ドアにぶつかって。

 

「霊夢っ!?」

 

 驚いたような、ミスティアの声が聞こえる。魔理沙やサカキは、特に何も言っていなかったと、そう思う。やっと開いた扉をくぐり抜け、壁に、何度もぶつかった所で、金属の床に足を付け。体が重い。上手く飛べず、地に足を着けたのは、半ば、無意識の内の行為で。

 

 やたらと肌寒い、無機質の廊下。微かに滲んだ世界の中を、私は一人、走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斯くして私は、アナグラの外。外部居住区を見下ろす、電波塔の上に腰掛けて。高い高い外壁に囲まれているとは言え、遠く離れた塀の上には、紅くなりゆく空が覗く。沈む夕日を眺めることは、僅かに叶わず。しかし、吹き付ける風は、見える光景は、決して悪いものではない。

 遥か下方に広がる家屋の群の中では無数の人々が、その細やかな動きを以って生活を営み。走り回る子供らしき姿がその駆け足を止めた所で、私は居住区から目を背けた。

 

 藤原妹紅。不死である彼女に、死など有り得るのか。事実、こうして彼女は死……否。アラガミの体の中で行き続けているとでも言うべきか。何れにせよ、彼女が化け物の体に囚われたまま、救い出す術が無いことに変わりはない。

 ミスティアの時は、分解されることの無かった彼女の身体を、アラガミから引き剥がせばそれで良かった。しかし、妹紅は……完全に、アラガミと同化してしまっているらしい。彼女の意思が、自我がそこに、まだ残っているのかすらも怪しいといったところだろうか。

 

「……くそっ……」

 

 呟く言葉は、汚れた暴言。しかし、誰にも聞かれてなどは、いるまい。今更そんなこと。気にする、必要さえも――

 

「聞こえてるぞ」

 

 またもや、体が跳ねる。振り向けば、そこには。

 

「……なんで、そこに居るの……リンドウ」

「……むしろ、何でお前がここにいるのかが聞きたいが……落ち込んだ時とか、偶に来るんでな。ガキの頃から……梯子だって付いてるしな。ま、多分お前と同じ理由だろうさ」

 

  雨宮、リンドウ。この世界に来てからは、コウタと同じく、早くに馴染んでくれた人物。

 魔理沙にも似た、人前ではいつも笑っている……そんな、誰に頼まれた訳でもなしに心配りの出来る男。そんな彼が、何故こんな所にいるのか。

 

「……すまん」

「……何が」

 

 予想していなかった言葉。疑問ばかりが頭に浮かび、思わず、言葉遣いが雑になる。

 

「あの……何つった、黄色い髪の……」

「フランドール?」

「ああ、それだ……助けること、出来なかった。本当にすまん」

 

 そう言えば、スルトに取り込まれているのがフランドールだと分かったのは、リンドウの証言からだったか。彼にも気落ちすることがあるのだと知って……そして、気落ちする理由を知って、ますます彼に、魔理沙を重ねる。重ねたところで、本人はちゃんとそこにいて。結果、私の周りが魔理沙だらけになっていく様を思い浮かべて、少しだけ、胸の中で笑みが零れる。

 

「助けたい奴がいるときは、遠慮なく呼べ、なんてな。聞いて呆れる」

「……そんなこと、ないわ」

 

 鉄塔の上に、立ち上がり。高くなった視界に、壁の向こうに沈み行く夕日の光が突き刺さって、ほんの少し、目が眩む。

 

「あんたは、もっと自分がどう見られてるか知るべきね」

「……酒ばっかのんでる女好き、あたりだろう。悪い大人の見本だ」

「それは、そうね。でも……皆、あんたのことを頼ってる……魔理沙や、私だって、そう」

 

 夕日に向かって、足を、一歩。眼下に広がる居住区を見据えながらも、体は、この世界を覆う重力から、解き放たれて。

 私はあくまで、幻想の世界に生きる巫女。それは、魔理沙や、咲夜だって同じ。この世界の誰かの協力なくして、失ったものを取り返すことなんて、出来はしない。だから。

 だから、彼の存在は、素直に嬉しく。私たちを拒絶せず。私たちの力を信じ。力を貸し、共に苦しんでさえくれる、彼の存在が。

 

「お、おい」

「頼りにしてるわ。ゴッドイーター」

 

 ふわりと。体は重さを失い、重力の枷から解き放たれ。宙に浮かんだ私を見て彼は、一瞬の驚愕を彼方に、安心した風な顔をする。

 紅く広がる、夕暮れの炎は、淡く、強くその色を空に溶かして。それはまるで、遥か向こうに聳える山並みが火を吹くように……

 ……そう言えば、妹紅のスペルにも、こんな様子のものがあったか。確か、蓬莱、凱風快晴……

 

「あ」

 

 そうだ。

 

「あ……ああ!」

「どうした、霊夢……?」

 

 何故、気付かなかったのか。それほどに私は狼狽えていたというのか。

 妹紅は、藤原妹紅は、蓬莱人なのだ。蓬莱人の特性は、求聞史記で読んだ憶えがある。まだ、憶えている。

 

 彼女をアラガミの身体から引き剥がせないのであれば。

 

 一度、決して再生出来ないほどに、殺してしまえば良い。

 

「リンドウ!」

「お、おう?」

「助けたいのがまず、一人いるわ! 力を貸して」

 

 鉄塔の上に立つリンドウにへと、迷うことなく、助けを仰ぐ。幻想郷の仲間をまた、二人も助けることが出来るかもしれないのだ。躊躇っている暇など、ない。

 返って来る答えは、分かっている。だから私は、宙に浮いたまま。沈む夕日に背を向けて、静かに、その口が開くのを待ち。

 

「……んなこと、聞かなくてもいいだろう」

 

 彼は、笑い。

 

「当たり前だ。貸せる力は、全て貸そう」

 

 夕日を背に、影を作って。交わされるのは、固い、固い握手。

 

 唯々、強く。私とリンドウは、その、日の光が外壁の向こうに沈み切るまで、固く、手と手を握り合った。

 

 

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