「よく集まってくれた。それではこれから、ミッションの説明を開始する」
姉様……雨宮ツバキの声が、アナグラ内に響き渡る。その声には一片の曇りも、躊躇も含まれはせず。唯々、俺たちゴッドイーターの為すべきことをして来いという、彼女の意思が込められていて。
嫌が応にも、身が引き締まる。これから俺たちが受けるミッションは、普段のちょっとした狩なんてものではないのだという事実が、この喉元に、鋭利な刃物のように突き付けられるようで。
「まず。今回の任務は夜間、日の出までに終わらせる必要がある。それについては、魔理沙、頼む」
姉様に促されて、前に出る黒服。今回の任務は、言わばこいつらの為……そう、それは調度、俺がアラガミに取り込まれた時と、同じように。仲間を救うという、私情に塗れたミッションであった。
無論、表向きには強大なアラガミが再び居住区を襲うことを防ぐために撃破する、というものである。しかし、そんな建前など、最早どうでもいい。
「じゃあ、説明させて貰うぜ……今回、皆に手を借りたいのは、ある妖怪の救出だ。妖怪については、ミスティアを見て貰ってる皆なら、信じてくれるとは思うが……吸血鬼、だ」
吸血鬼ってなんだという小声は、コウタのものか。知らなくても、無理はない。吸血鬼なんてものの存在は、この時代……こと日本においては、今現在まで残っている伝承が少な過ぎる。古臭い映画か、絵本の中で語られる程度の存在でしかない、吸血鬼。俺自身、そんな空想上の生き物についてなんて、詳しいはずがなく。
「ドラキュラだよ、コウタくん。ほら、血を吸って、ニンニクや十字架に弱いアレだ」
「ま、十字架は効きもしないんだがな。確かめてみたし……」
コホン、と、一つ。咳は、俺を含めて数人の精鋭達の集まるロビーに、溶けて。
「フランドール・スカーレット。見た目は幼いが、495年を生きた化け物じみた奴だ。これでも、幻想郷では若い方なんだが……少しばかり気が触れているけど、まあ、悪いやつじゃぁない。下手につつけば死ぬがな。吸血鬼は日光にあたると身体が気化する。こいつが日の下に出ているところを見たことが無いから、死ぬかどうかは分からないが……まあ、一応、夜のうちに連れ帰るのが望ましい」
「……その子が、今回の相手なのね?」
「ああ。それと、厄介な能力を持ってる……と言っても、今のあいつが使えるのかどうかも分からないが……こいつは、ありとあらゆるものを無条件で破壊する能力を持っている」
刹那。アナグラが、静寂に包まれる。
「そ……それって、どういうこと……?」
「フランドールの能力よ。ありとあらゆるもの破壊する程度の能力、ってところかしら」
「待て……そいつは、つまり……」
言い淀む俺と、顔色一つ変えない、霊夢。そんなに危険な相手だとは、今になるまで聞いていない。冷や汗を流しながら問う俺に対し、彼女は。鉄塔の上で約束を交わしたときとは別人のように、冷ややかな口調で、淡々と、告げる。
「もし、フランドールが能力を使えるのなら。対峙したその瞬間に、触れられることさえなく体が吹き飛ぶ、なんてことにもなりかねないということよ」
臆することも、言葉に詰まることもなく。
今でこそ鉄仮面の気があるこいつも、魔理沙曰く、幻想郷なる地にいた頃はもっと感情的だったとか。あの時俺に見せた笑顔を。常日頃から隠すこともなく振りまき。起こり、落ち込むような……裏も表もないような、そんな少女だったのだろう。
乗り越えた苦痛は……そして、乗り越えられずにいる苦痛は、きっと、想像を絶するもので。
「これは、私と魔理沙……幻想郷側の問題であって、本当なら貴方達を巻き込む訳にはいかないこと。だから……」
言葉を紡ぐ彼女は、心なしか、寂しげに。
「死にたくない人は……遠慮なんて要らないから、此処に残って。私たちは、こうして此処に置いて貰っているだけでも、本当に感謝しているから。私たちの為に、自ら危険に飛び込む必要は、ないわ」
アナグラは未だ、静まり返ったまま。一度降りた静寂を、沈黙を、破る事は簡単な事では、ない。
暗く、重い空気。誰一人として口を開く者のいない。それはまるで、深い深い、濃霧の中のような――
「お、俺は行くよ!」
声。
それは、この重苦しい霧を裂き。冷えゆく世界の温度を何処かから奪い返すかのように、この部屋に。アナグラの中に、転がって。
「コウタ……」
「の……能力ってのがなんなのかもよく分からないけど、でも、使えないかもしれないんだろ! 大丈夫だって! きっとなんとかなるって!」
霊夢は、魔理沙を。対する魔女は、何処かいたずらっぽく、笑みを零して。浮かんだその笑みは、どこまでも、どこまでも嬉しそうな、少女の笑み。
「お前ならそう言ってくれると思ってたぜ……でも」
ありがとう、と。
告げるその顔は、何処までも晴れ渡っていて。
何も、心配することなどなかった。こいつ等なら、どんな不条理にでも真っ直ぐに立ち向かっていける。俺がいない間に随分と成長した、元新入りの姿を誇らしく思いつつ、俺も、用意しておいた言葉を投げる。
「……俺も行く。て、言うか霊夢とはもう約束してあるしな」
「……家庭持ちなのに、いいのか?」
「まあ……死ぬつもりは、ないしな」
ちらりと、サクヤを見やる。その顔は、やはりと言うべきか、うかないもので。申し訳ない気持ちにはなるものの、乗りかけた船。それに。
俺自身、そうやって。こいつ等に助けられたのだから。返す相手は異なるものの、俺が動かぬわけにはいくまい。
「……許せ、サクヤ」
「……怒ってなんか、いないわ……私も、行ってもいいかしら」
自身の同行を希望するサクヤ。半ばその声を遮るように、姉様の声が彼女にへと向く。
「アナグラを離れるミッションは、原則四名までだ。それに……分かっているのだろう? サクヤ」
「……ええ。でも、私だけが何も出来ないなんて……いえ、他にも二人に協力したい人はいるはずです。私たちにもなにか、出来ることはありませんか」
その声に、顔形に、瞳に。
湛えるのは、強い、決意。無理やりに押し隠した不安を内包し、しかし、揺らぐことなど無いと言わんばかりの、強い意志の色が滲んだ表情。それを見てか、姉様は。
「……無論、あるさ」
少しだけ安心したように告げる。その言葉に続くように、彼女の口は再び開かれ。発するは、残った者たちへの号令。戦地へ向かう者たちへ捧ぐ、戦いへの序曲。
「残る者たちは、現在此方へ接近中のフェニックスとの応戦! 相手はハンニバルさえ超えた、紛う事なき不死のアラガミだ。そしてこいつも、霊夢達の仲間が取り込まれていると見て間違いない……絶対に、死なない相手だ、遠慮は要らない。行く手を阻み、確実にその侵攻を阻止せよ!」
響き渡るゴッドイーター達の声。上がる声に、不満の色などは微塵も無く。そして、その中心に立つのは……強い思いを受け止めるのは、年端もいかぬ二人の少女で。
「……ありがとう」
上がる歓声に紛れた呟きは、一体、誰に届いたか。その声を拾ったのは、俺だけではあるまい。
微かに聞こえた言葉を、胸に押し込み、俺は。
灯したタバコの火を揺らしながら、薄暗い廊下へ向けて、この足を踏み出した。
フランドール・スカーレット。俺が邂逅した、吸血鬼の少女。
吸血鬼なんてものの存在自体が俄かには信じられないものの、現にあるのだと言うから世界とは、本当に分からないもので。夢幻の存在が現にあるなど。本当に、愉快なことこの上ない。
「……リンドウ」
「ん、ああ。すまんすまん。どうした?」
「一緒に居てどうしたもないでしょう……考え事?」
次のミッションについてのミーティングの後、そのまま間借りしている彼女の部屋にへと訪れて、半時程。
かかる声は、凛と。そのくせ、何処か優しいもので。あの日、突然部屋を貸してくれと押しかけた俺に怒るでもなく、呆れるでもなく……妻だから当たり前と言う彼女には、頭が上がらず。いつも変わらず、唯々隣にいてくれる、そんな存在……
それは例え、戦場であろうと。
「……何でもない」
「何でもなくない。あの……フランドールちゃん、だったっけ」
「ああ……一度ヘマしちまってるからなぁ。次こそは、なんてな」
サクヤ。橘、サクヤ。
俺が普段から迷惑をかけ。俺のいない間も随分と迷惑をかけた……俺の、妻。
今のところはまだ、子供を授かる予定こそないものの、俺が必ず帰らねばならない理由となり得る存在。俺が守り、そして、同時に守られてきた……
「……心此処に在らず、って感じね」
「ん……すまんすまん。今のはお前について考えてたんだから、許してくれ」
「もう……」
この部屋にいて、もう大分時間が経った。そろそろ仮眠を取らなければ、深夜のミッションに間に合わなくなる。こうして過ごす、平穏な時間は惜しいものの、一瞬の平穏のために一つの幸せを逃すつもりは、毛頭無い。
彼女の横、備え付きの長椅子から立ち上がり……
「能力のこと、聞いたわよね」
右手に感じたのは、俺のそれよりもずっと柔らかな、人の手。
「……ああ」
「……それに今朝、スルトの接触禁忌指定が決定したわ」
「暗に、行くなと言ってるのか?」
冗談混じりの、笑み。送る相手は、微かな不安を交えて。自分でも、ずるいものだと思う。死地へと向かう、永久に連れ添うことを誓った相手が、笑顔を浮かべてその地へ向かおうとするならば。止めることなど、出来はしない。
「……聞かないくせに」
「聞かねぇよ。お前らだって、同じことをしただろう」
「ええ。でも、せめて」
言うだけ言わせて、と。
俺の胸に飛び込む、小さな、体。洋服越しに伝わる温もりは、少しだけ、震えていて。
「……行かないで」
その言葉は、俺の胸を締め付け。走る痛みは、比喩や、例えなんてものではない。俺の胸を抉り。絞め殺すように縛りあげるその言葉は、それこそ、まるで。御伽噺に出てくるような、魔力を持った、呪詛。それが、相手を思う気持ちからくるものであるというのが、更に、その魔法の威力を高めて。
返す言葉は、俺も、サクヤも分かっている。分かり切っているだけに、言うのが、辛い。
「……すまん」
「いい……でも……」
ちゃんと、帰ってきてね、と。覗かせた顔に、一筋の涙を流しながら。
「……当たり前だ。明日の朝には、ガキ一人連れて帰ってくる。だから」
だから、泣かないで欲しい。彼女を抱きしめる力は、強く。瞳は、互いに計りあうこともなく閉じて。
二つの唇を、一つに重ねた。
□□□□□□□□□□□□□
金属の壁。人工の風。先の歓声に溢れたロビーとは対象的に、灯りの消え、静まり返った空間。
私と、霊夢の部屋。急にこの世界に現れた私たちの部屋は、二人合わせて一つしか調達出来ず。風呂に入っている霊夢を他所に、一人、真っ白な寝台に身を横たえる。
――――眠りの淵で、夢を想う。
閉じた瞼の裏。そこに広がるのは、いつかの故郷、幻想郷。緑に溢れた田舎の風景や、笑いあった友の顔、そして。
大切な。大切な、思い出の数々。幻想郷にいた頃は、気付きもしなかった。あの、代わり映えしない愉快な日々が。こんなにも、大切なものだったなんて。
「っ……」
眠りの間際、急に湧き上がった感情の波に心を煽られ、唐突に、涙が溢れ出す。幻想郷にいた頃には、こんなことは無かった。心の病、という奴なのかもしれない。あの図書館に引き篭もる知識人や、森に住まう人形使い辺りに診てもらえばこの息苦しさは。胸のつまりは。苦い涙は、止まるのだろうか、なんて。
流れ落ちた涙は、枕を濡らし。これじゃあまた、霊夢に勘付かれるな、なんて、どうでも良いことを考えて……否。
どうでも良くなんて、ない。私にとって彼女は、幻想郷の壊滅した今……この世界においては……
「……くそっ……なんなんだよ……」
らしくない、とは、思う。しかし、過去を振り返れば振り返る程に、涙が、嗚咽が止まらない。
息が詰まる。胸が痛い。涙は止まることもなく、当てた指の隙間から、流れ、落ち、シーツを湿らせ。
苦しい。
苦しい。
苦し……
「……また、泣いてたの」
不意に、声が、聞こえた。
「……霊、夢……」
「はいはい。酷い声ね……全く」
何処か呆れたような。しかし、その癖優しい声は、私の胸に染み入って。
「もう……ほら、よしよし」
まるで子供を相手にしたような慰めは、妙に心地よく。抱き寄せ、背中を摩る彼女の腕の中で、また、涙が溢れ出す。
彼女の腕が、体が、こんなにも暖かなのは、風呂から上がったばかりだからか。薫る香りは、少しだけ甘く。嗚咽混じりだった呼吸は、時間を掛けて。少しずつ、少しずつ落ち着いて。
「……すまん」
「いいのよ。私だって、泣きたくなるんだから」
「……それだけに、だぜ」
彼女の胸に、額を埋める。瞼が重い。思考が鈍る。
「……フランを助け出したなら、また、少しだけだけど幻想郷を取り返せる。だから、泣いてる場合じゃないでしょ?」
「……分かってる、ぜ……」
閉じる視界、呂律の回らない言葉。霊夢はそんな私に構わずに、とんとん、と、優しく、一定のリズムを以て背中を、叩いて。
「今は、ゆっくり寝ときなさい。また、夜にはいつも通りで」
「……ああ……霊、夢……」
眠る前に。一つ、一つだけ、伝えたい。
「ありがとう、な……」
「……ん……」
そうして、そのまま。私は。
柔らかな彼女の腕の中。彷徨い続けた眠りの淵から、今。
その暗闇に、思考を落とした。
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暗い、くらい、世界の中で。一人、唯々涙を流す。泣き声などは、上げることも叶わず。異形の肉塊に包まれた私は、自身の領域たる闇の中に、囚われたまま。地下室のそれとは似て非なる、完全なる拘束に、精神の束縛に、侵されたまま。一人きりの暗闇の中、肉塊の中で、唯々、力を抜く。
何度、涙を流したことか。狂い狂った精神でなお、涙を流すだけの心があったことに僅かな驚きを感じながら、怪物の視界で世界を見る。
鏡を見たならばきっと、酷く醜い化け物と対峙することになるのだろう。最も、吸血鬼を喰らった者が鏡に映るのかなんて、知らないが。何も生まない思考に埋れて、曲がることのない運命に身を浸す。
今思えば、紅魔館に居た頃は、何だかんだで自由があった。言葉だけの幽閉など、いつでも破ることだって出来た。それに。
彼処には、共に歩いていける人が、確かに存在していたのだ。お姉様や、パチュリー、美鈴や小悪魔……人間である、咲夜でさえも。私に歩みより、手を伸ばそうとしてくれた。
拒んだのは、誰だ。暗い闇に閉じこもり、光から、優しさから逃げ続けた気狂いは――
今更。今更、彼女達が恋しくなる。壊れた筈の心に、一筋の光が差す。その光の先にあるのは、暗く冷たく、醜い、化け物の身体でしかないのだけれども。
もし、この世界から解き放たれることがあるなら。もし、誰かが……私を倒せる程の誰かが、現れるなら。今度こそは、伸ばされたその手を……握り潰す事なく、掴んでみたい、なんて。
そんな、ありえもしない希望は、須臾の内に。右手で握ることもなく、崩れ去って。
くらい、くらい、闇で、一人。私は 唯々、泣き続けた。