神骸記   作:地衣 卑人

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七 崩と欠片

 

 ちらほらと人の姿のある廊下。私の姿を見て驚く彼らを視界の端に収めたまま、か細い足を懸命に動かす。

 霊夢達から届いた、知らせ。その知らせは、閉じ籠り切りであった私を、扉の外へと向かわせるには、十分過ぎるもので。

 

 こつりこつりと。

 金属の廊下に響くのは、酷く先を急いだ、足音。今にも駆け出そうとしながらも、未だにそれを為さないのは、一欠片の躊躇が足を引っ張るから。

 

 けれど、そんな躊躇いなど、今は要らなくて。この足の向かう先には、私の望んだ方が……二人の主人の内、一人が、待っているのだと言うのだから。

 ならば。何故、躊躇う。そこに、望む姿などがないかも知れないからか。それとも、完璧であり続けなければならないという、自縛の意思によるものか。

 そんなもの。今更、何の役にも立ちはしない。今必要なのは、廊下の先へ駆け出す、勇気。あの時掴めなかった手を掴み、離さぬための意思。

 恥など、彼方へと放り、私は。冷たく沈んだ、この廊下を一人、走り出し。

 一つの、扉の前に辿り着く。

 

「……失礼致します」

 

 精一杯の、取り繕い。意識だけは、少しでも落ち着かせようと。それでも、時を止めて、息を整えることさえも、忘れ。否。

 例え、憶えていようとも。そんなことの為に時を止めるだけの、余裕などはなかったことだろう。

 

 扉が、開く。其処には、着ている洋服こそ変われど、あの時、幻想郷で見た時のままの……

 彼女の、姿があって。

 

「……っ、フラン、様っ……!」

 

 思わず、その小さな体に抱きつく。少しだけ驚いた表情の、彼女。自分でも、らしくない、はしたない事をしているということは、分かっている。これが主に対しての行為でない事も、また。

 しかし。止めることなど、出来はしない。湧き上がる歓喜は、安堵は、涙となって溢れ出し、私の頬を流れ落ちる。

 

「フラン様……っ……フラン、様……申し訳、ありません、フラン様……」

「……何を謝ってるの、咲夜」

「私は、私は……お二人を助けることも出来ずに、逃げて、逃げて……」

 

 溢れ出す感情は、心を縛る言葉を吐き出し。従者たる私が、主を見捨てて逃げ出したこと。そのことを、一心に謝る。

 抑えきれない歓喜と、湧き上がる罪悪感。その狭間で、唯、嗚咽を漏らす。

 そんな、私の背中を。彼女の小さな腕が、撫ぜる。

 

「……いいのよ、そんなこと。私だから、助かったの。貴女が飲み込まれたならば、もう、会うことも出来なかった」

「しかし、しかし、私は、主たる貴女達を……」

 

 随分と、酷い顔をしていることだろう。しかし、そんなことに頓着出来るほどの冷静さなど、今の私は、持ち合わせていない。

 

「……もう。貴女は、お姉様の従者でしょう」

「そんな、こと……二人とも、大切な、大切な……」

「はい、はい。自分より小さい体に向かって、泣くんじゃないの……貴女が無事で、良かったよ」

 

 人間のそれよりも冷たい肌は、しかし、暖かく。整えられていない髪に指を通し、顔を埋め。その存在が、確かに、ここにあるということを確かめる。

 会いたかった。もう、会えなどしないと思っていた。

 引き合わせたのは、誰か。霊夢か、魔理沙か。

 

「霊夢、魔理沙……」

「……お礼なら、そっちに言いなさい」

「私らよりもずっと、活躍してたしな」

 

 彼女の視線を辿れば其処には、二人の男性。

 彼等が。フラン様を、救い出し、取り返してくれたのか。あの、黒く、歪んだ存在から。

 

「この度は、フラン様をお助け頂き……本当に、ありがとうございました……!」

「よしてくれ。そういう柄じゃないんでな」

「俺も……あんまり、役に立たなかったしね」

 

 それは、謙遜か。何れにせよ、彼女との再会を果たせたのは、彼等のお陰。感謝しても仕切れないというのは、このことか。再び、深く、頭を下げる。

 

「……それで。あんたは、これからどうするの」

 

 頭を下げたままの私に、声が投げ掛けられる。それは、幻想郷の巫女……霊夢の、声。

 どうする、か。それは、私に対する一つの、問。

 部屋に閉じこもり、自ら心を閉ざし。何の行動も起こさなかった私に対する、責め。しかし。

 顔を、上げる。背筋は、目一杯に伸ばし切って。

 

 もう、目は覚めた。

 

「……私も、戦う。お嬢様は……レミリア様は、まだ助けだしていないのでしょう?」

 

 瞳に宿すは、心に刻むは、紅の光。それは、我らが主の力の片鱗。その一部たることを示す、刻印。

 もう、自身の感情になど、囚われはしない。救い出せることを、知った。望みも見つけた。ならば。

 私も、戦場へと臨もう。そこで、彼女を……大切な人を、救い出すのだ。

 

「武器を頂戴。お嬢様は、私がお迎えに上がる」

 

 私の言葉は、彼女に。迎い入れるは、柔らかな、笑み。

 

「……今、用意してるところらしいわ。あんたなら、そう言うと思ってね」

 

 望んだ答え。

 主人を失った時に生まれた心の氷は、未だ、溶け切ってはいない。でも。

 これで、お嬢様の元へと向かう、その力が手に入る。あの方の元へ行けるのならば、私は。

 

 心は、熱く。この場にいる全ての存在へと、私は。

 もう一度。深々と、頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 咲夜との再会を果たした、その後。私は、霊夢達に連れられて、広く、閉じ切った部屋の中。

 この場所に来てからすっかり見慣れた、金属室の壁に囲まれ。決して狭くもなく、かと言ってそこまで広くもない、何の家具も無い不思議な部屋。見上げれば、そこには窓。並ぶのは、数人の人間。

 

『フランドール・スカーレット……だな』

「……ええ。貴女は?」

『私は、雨宮ツバキ。この支部での教官職を務めている。私の隣にいるのが』

『サカキだよ。よろしくフランドール君。まずは、生還出来たことをお祝いしたいところだけど……』

「構わないわ。私にも何か、やることがあるのでしょう?」

『理解が早くて助かるよ。まずは、君の前にあるその、コンテナを見て欲しい』

 

 コンテナ……箱、というには少々大き過ぎるけれど。

 材質は、普通の物質でなく。無機質ではなく、有機質のそれは、私を呑み込み、捉えて離さなかったあの、生物と同質のもの。

 

「これを壊せとでも、言うのかしら」

『君が壊すのは、その箱の中身だよ……対アラガミ捕獲ケージ、開放』

 

 機械仕掛けのギミックが、その、巨大な箱の封を切る。

 歯車の回る音と共に、徐々に開きゆく、ケージ。その先にいるのは……

 

「……フェニックス?」

『ん……ああ、そうだね。君から見てもやはり、フェニックスに見えるのか』

 

 少しだけ驚き、感慨深気に呟く人間。何を考えているのかは、私には、分からないが。

 

『君の前にいるその……フェニックスは、君と同じく怪物に取り込まれた幻想郷の住人の一人だ。彼女を救うには、その身を一度、再生出来ない程に破壊するしか手がない……の、だったかな、霊夢君』

 

 声は、霊夢に向け。対する彼女は、少しだけ不安気に、口を開く。

 

「その……筈よ。妹紅は、蓬莱人。その本体は体ではなくて、魂。肉体が壊れれば、別の場所で体を作り直すから……多分」

「おいおい。多分で死んだら洒落にならんぜ……まあ」

 

 茶々を入れる、魔理沙。しかし。

 

「私も、同意見だがな。あいつらは、死なないんじゃなくて、死ねないんだ。この程度じゃ、死ねないだろうさ。軽く同情するぜ。軽くだがな」

 

 魔理沙の言葉もそこそこに。開き切った箱の中で眠る、燃え盛る不死鳥を、見据える。

 妹紅、と、言ったか。確かに、私の能力で壊せるのは、物理の層にあるもののみ。精神や魂は、その破壊の対象では、ない。

 並の妖怪は、肉体に依存しないとはいえ、肉片の一つも残らなければ再生は不可能。しかし、体はあくまで飾りで、魂だけで存在する者であれば……

 救い出せる可能性は、十分にあると言えるだろう。

 

「……壊して、いいのね?」

「……お願いしても、いいかしら。フランドール」

 

 最後の、確認。この問への答えはもう、分かり切っているというのに。

 

「……折角助けられたんだしね。求めるなら、動くよ」

「……ありがとう」

 

 ありがとう。

 全てを破壊する悪魔に対して、幻想郷の調和を保つ巫女が言う言葉では、ない。

 くすり、と。小さく一つ、笑みを零して。

 

「……いくよ。きゅっとして……」

 

 冗談めいた、魔法の言葉。意味などは、ない。必要さえも、ない言葉。

 けれども。愛すべき遊びたる、弾幕ごっこは……無駄なものにこそ価値を見出す遊び。こんな世界に放り出されても尚、少しばかりの遊び心は、必要なのではないか、なんて。

 

 下らない。

 

 続く言葉は、音に呑まれ。

 巻き起こる爆発。目を壊され、拠り所を失ったエネルギーの暴走。滾る炎は散り乱れ、その肉は、まるで砂の様に爆ぜ。一片の破片さえも残すことなく、完全な、無へ。

 

「……これで、良かったの?」

「……お願い……妹紅」

 

 見やれば、そこには。

 その顔形に不安を湛えた、巫女の姿。幻想郷にいた頃の、喜怒哀楽は激しくとも、誰にも深入りせず、完全な平等を保ってきた彼女とは思えない……本当に、博麗の巫女らしくもない、姿。

 僅かな苛立ちと共に、この短期間に、それ程のショックを受けたことへの驚きを感じ。随分と弱々しくなってしまったその姿から、目を、離す。

 

「……私は、部屋に戻るよ」

 

 開かれたコンテナ。その上に集まり出す、人にあらざる、しかし、人の形をした気配を感じながら。

 

 返事さえも、待つことはなく。私は。

 一人でに開いた扉。その先へとこの身を、滑り込ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 私は、一人。ロビーにへと出る。人気の無い部屋。受付に一人、人はいるものの、此方から話しかけなければ、反応することはないだろう。

 早く、この部屋を過ぎ。与えられた自室に戻ろう。私は、容易に人に関わるべきではない。助けられたという借りがあるならば、尚更。

 

「よう。機嫌はどうだ」

 

 扉へと向かう私に、不意にかかる、声。それは、魔物に取り込まれた私へと、嫌と言うほど叫び散らしたその声で。

 

「……また、会ったね」

 

 人間。私を救い出した、愚か者の声。何故、気付かなかったのか。長椅子に座る彼は、片手にグラスを握っていて。

 雨宮リンドウ……だったか。此処に来た時に、そう紹介された。

 

「何をしてるの、一人で」

「何もしちゃいないさ。一人だしな」

「そう。なら、じゃあね」

 

 彼に、背を向け。私は、自分の部屋を目指し……

 

「まあ、待て。少しくらい座っていけ」

 

 手を、掴まれる。その手は、黒く、歪な、魔物の腕で。

 そういえば、彼だけはあの、おかしな武器とは違う……やけに生物的な姿をした刃を振り回していたか。この世界の生物……アラガミの身体の構造はよく知らないが、それでもあの身体を傷付けることが出来たということは、彼のそれもまた、アラガミと同質のものなのだろう。

 

「……その手」

「ん……ああ、すまん。咄嗟に、だったんでな」

「……貴方の腕も、アレと同じなのね」

 

 アレ。私を取り込んだ、不可思議な生物。彼の手に宿るのは、あの怪物達と同じ肉、同じ存在。

 彼も、あの生物……アラガミと言ったか……に、取り込まれたことが、あるのだろうか。

 少しだけ、目の前の人間に興味が湧く。魂を本体とする蓬莱人でも、精神を拠り所とする妖怪でもない人間が、腕一本という代償のみで生還した、その過程に。

 

「……貴方のこと、教えてよ。取り込まれたのでしょう、アラガミに」

「ん……まあ、な。話すと長いぞ?」

 

 グラスに継ぎ足される、アルコール。コポコポと泡を立てながら嵩を増やすその様を眺めながら、ソファの端に腰を降ろす。

 

「ジュースはいるか? 酒はやらんぞ」

「紅茶はないのかしら。無理は言わないけど」

「ないな。サイダーでいいだろう?」

 

 注がれるは透明な、泡立つ液体。パチパチと弾けるそれは、幻想郷では馴染みの無い……炭酸水、か。

 そっと、グラスに口を付ける。舌に触るは、甘く、強い刺激。少しずつ口に含んでは、その刺激に新鮮さを覚えつつ、飲み下す。

 

「……ちょっと、刺激が強い」

「はは……すぐに慣れるさ。」

 

 笑う彼。その笑みを残したまま、再び彼は、口を開く。

 

「そうだなぁ……何処から話そうか。あの頃はまだ、アリサって奴も居……」

『救護班、直ちに医務室へ集まって下さい。繰り返します、救護班……』

 

 声は、唐突に響き渡った、別の声に遮られ。これは、外の世界の魔法か。機器から流れるその声は、落ち着きを装った……しかし、隠しきれなかった慌てが、垣間見え。

 

「……なんだ? 一体、誰が負傷した……?」

「リンドウさん!」

 

 また、新たな声が掛かる。それは、聞き覚えのある声。若く、幼い男の声。

 

「どうした、コウタ。今の放送は……」

「リーダーがっ! リーダーが、アラガミに……ッ!」

 

 言葉は、悲痛に。対する彼……リンドウの手からは、グラスが音も無く、落ち。

 

 硬い床に、その脆い体をぶつけて。

 液体を湛えた透明な、一つの形は。その存在を、欠片に変えた。

 

 

 

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