【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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第三話【迷いを振り切る拳】

 

 修学旅行当日、この五日間の特訓の疲労でぐっすりと眠った僕と明日菜さんは、木乃香さんに優しく声をかけられて起床した。

 旅行を前にしたワクワクと、大事な使命を果たさなければならないという緊張感がない交ぜになって、僕らは顔を突き合わせれば曖昧に笑い合って、クラスの皆さんからは色々と冷やかされたりもした。

 まぁ、正直言って楽しみです。

 それにこの五日間、刹那さんの下で身体能力の強化と、ある程度の護身術を学んだおかげで自信もついたっていうのもあるんだけど。

 この五日間を簡潔に言うと、僕は魔力による身体能力の強化はすぐに出来たので、それからは気の扱いを学びつつ、明日菜さんとともに刹那さんと試合をこなしてきた。その間に、明日菜さんは仮契約で手に入れたアーティファクトを使えるようになった。

 ともかく、五日前の僕に比べれば、随分と強くなったという自信はある。それでも刹那さんには明日菜さんと二人がかりでもまだ勝てないんだけど……

 

「ふぅ……」

 

「緊張かい兄貴?」

 

「いや……うん。ちょっとだけね。何もなければいいんだけどとは思うけど」

 

 カモ君の僕を案じる様子に、できるだけ不安を見せないように笑って答える。

 学園長も言っていたけれど、危険になるのは本当に万が一だ。幾ら東と西の仲が悪いといっても、この旅行で僕を襲撃すれば組織としては動かなければならなくなり、場合によっては激突することもあるかもしれない。

 そうなれば後は血みどろだ。子どもの僕にだってそれはわかるし、そんな組織間の力を削ぐようなやり方は、互いに本意ではないだろう。

 精々、狙いは僕が持つ親書を奪うくらいの嫌がらせのはず。

 と、思いたいんだけど。

 

「……大丈夫かなぁ」

 

「大丈夫だって! こっちには強い前衛が二人いるんだ! 何があっても姐さんがたが戦ってる間に兄貴がドカンと一撃かませばそれでオールオッケーよ!」

 

 カモ君は強気にそう言うけれど、正直、僕は二人の力は出来る限り借りないようにしたいと思っている。

 そもそも、彼女達は僕の生徒だ。僕は彼女達を守るのであり、本来その逆はあってはならない。

 

「……改めて言うけど、もう仮契約を勝手にやろうとか思ってないよね?」

 

「お、おう。そりゃもう、大丈夫だって」

 

 どもったのが怪しいけど、納得するほかないだろう。

 エヴァンジェリンさんとの戦いから少し経って、僕は仮契約を行っていこうというカモ君の言葉を全部否定した。

 正直、あんな恐ろしい戦いに誰かを巻き込むなんて、僕はもう我慢できない。今だって明日菜さんを巻き込んだことを後悔しているくらいだ。

 自分本意。

 全てが我がまま。

 そんなことに誰かを巻き込む。ましてやクラスの皆さんを巻き込むなんて許されない。

 改めて思い出したんだ。小さい頃、村が炎に焼かれたあの日の惨劇の恐怖を。親しい人達が失われていく恐怖は、もう一度だって味わいたくない。

 そう思いながらも、僕は結局今回の旅行に危険を持ち込んでいる。幾ら一般人を巻き込む危険は少ないとはいえ、万が一がありえる代物を僕は抱きかかえている。

 僅かな不安と、大きな自己嫌悪。

 それでもこれが立派な魔法使いとして、西と東という極東の一大組織の橋渡しになるのであれば、行う必要は充分以上にあるはずだ。

 そんなことを考えながら、京都へ向かう新幹線の中。道中にも妨害があるかもしれないということで、クラスの皆の様子を見て回りながら、周囲を警戒していたら、刹那さんが席を立って僕のほうに寄ってきた。

 

「あの、ネギ先生……」

 

「あ、ハイ。どうしましたか刹那さん」

 

 刹那さんの表情はいつもクールで凛々しいけれど、今の刹那さんは試合のときのようにぴりぴりとしている。

 どうしたんだろうと思って首を傾げた僕に、刹那さんはそっと耳打ちしてきた。

 

「術者の気配がします。お気をつけて」

 

 その言葉に、旅行で少しだけ浮かれていた気持ちが引き締まる。小さく頷いた僕は、懐から練習用の杖を取り出して、辺りを見渡した。

 といっても、僕にはそういった探知能力みたいなのはないので、そういう部分は刹那さん頼りだ。

 

「ひとまず、明日菜さんにもカードを使って念話を。こちらに合流してもらいましょう」

 

「え、でも……」

 

「今更、巻き込むのは気が引けるとでも? それなら勘違いだ。あなたの持つ親書が送られれば長年の因縁に一応のケリがつく。そう考えれば、今は一般人とはいえ彼女の助勢も必要です」

 

 僕の迷いを見抜いた刹那さんがはっきりと告げる。その言葉は言われればその通りであり、僕は言い返すことも出来ず、結局明日菜さんを呼ぶことにした。

 

「ネギ……!」

 

 念話をしてすぐに明日菜さんは僕らのところに来てくれた。一応、一般人に見られないように人気の少ない車両と車両の間で僕らは固まると辺りを警戒する。

 

「……よし。では私は周囲の警戒がてらお嬢様の元に行きます。何かあれば、連絡用の護符で呼んでください」

 

「わかりました……!」

 

「それでは、ご武運を」

 

 刹那さんは一礼すると、皆の居る場所に戻っていった。

 そういうわけでここからは明日菜さんと二人だ。何処から来るかわからない相手に緊張感を高めていながら待っていると、何処からともなく楓さんがいつもののほほんとした面持ちで現れた。

 

「なにやら物騒でござるなぁネギ先生」

 

「楓さん!? えっと、その! こ、ここはあれです! ちょっとあれなので席に戻ってくださりませぬものでしょうか!?」

 

 どうしよう!? いつ襲撃があるかわからないのに楓さんを巻き込むわけにはいかないよ! 「あんた、そんな慌ててたら何かありますよって言ってるもんじゃない」って明日菜さん! そんなに冷静に突っ込みいれてないでどうにかしてくださいよぅ!

 

「ふむふむ。どうやら何かしら問題がある様子……どうであろう? 拙者であればお手伝いするでござるよ?」

 

「え!?」

 

 僕は驚いて楓さんを見上げると、頭にそっと楓さんの手のひらが乗っかる。

 

「なぁに。おそらくは先程から嫌な気を飛ばしている者と何かしら関係があるのでござろう?」

 

 手のひらの感触の暖かさに心地よくなる暇すらなく、僕と明日菜さんは的確な楓さんの言葉に顔を見合わせた。

 その様子を見て悟ったのだろう。楓さんは何度か頷くと「少なくとも、足手まといにはならぬつもりでござるよ」とさらに続ける。

 

「ですが……! 楓さん。こっちの世界はとっても危険なんです! 僕、僕は……」

 

「ふむ。やはりネギ先生と明日菜は何かあったのであるな。察するに……停電の日、何かあったのでござるか?」

 

「……なんというか、楓さんって、エスパー?」

 

「ただの忍者でござるよー」

 

 と、指を立ててふにゃっと笑う。「それはそれでどうなのよ」と突っ込みを欠かさない明日菜さんとは違って、僕はその笑顔に頼もしさを感じて、ほっと一息僕は安堵のため息をついた。

 なんというか、言っても駄目なんだろうなぁとか勝手に思ってしまう。そう思うのは僕の身勝手な妄想か。でも、だけど。

 僕は、まだ弱いから。

 

「あ、あの……危なくなったら、逃げてくださいね?」

 

「それはお互い様でござるよ。それに拙者、逃げ足に関しては得意でござるゆえ」

 

 安心なされよ。と何処か芝居かかった言い草で楓さんは言うと「それで今はどういった状況でござる?」そう聞いてきた。

 こうなったら仕方ないと無理矢理納得して、ある程度かいつまんで今の状況について説明する。

 

「ほう。つまり、その親書とやらを届ければ、先生は安心して旅行を楽しめると」

 

「そ、そういうことです。それで、これが親書で……」

 

 僕は懐に大切に仕舞っていた新書を取り出して、楓さんに見せた。

 瞬間、楓さんの目の色が変わり、その右手が残像を残してぶれる。何かが切り裂かれる音と、遅れて床に落ちてきたのは──紙?

 

「ふむ。早速、役に立ったでござるな」

 

 楓さんはそう言いながら、手に持ったクナイを器用に回して落ちた札を見つめる。

 一瞬のことで僕にはわからなかったけど、間違いない。これって刹那さんと同じ式神っていう魔法の一種だ。

 

「ふむ……とりあえずそれは仕舞ったほうがいいであろう」

 

「あ、はい!」

 

 慌てて僕は親書を仕舞うと、再び杖を構えようとして、その手をそっと楓さんに押さえられた。

 

「そんなに肩肘張っていては疲れるだけでござるよ。今のであちらもここで手を出そうとは思わないはず……ひとまず席に戻ってのんびりするでござる」

 

 楓さんはそそくさとクナイを何処かに仕舞うと、元来た道を戻って自分の席に向かっていった。

 

「はー……刹那さんと言い、ウチのクラスって凄いのねー」

 

 唖然と、というか驚きが大きくて唖然とするしか出来ない明日菜さんと、僕も心境は同じだ。

 ともあれ、自分の力ではないにしろ襲撃を回避できたし、誰かが狙っているという事実もわかったから……うん。何とか頑張っていこうかな。

 

 

 

 

 

「……こんなんでよろしいんかいな?」

 

『上等だよ。これで僕らのことを彼は意識したし、青山も道中でネギ君を中心に絡んでいれば、そちらに意識が向くだろう』

 

 護符を通して念話をするのは、新幹線の従業員として乗り込んだ千草と、京都で待つフェイトだ。

 本来の計画なら、ここで混乱を起こして親書を一気に強奪するはずだったが、フェイトの助言により、一般人には混乱を与えず、ネギのみを狙う方向に切り替えた。

 一体これに何の意味があるというのか。そう千草は思うが、先日、フェイトが青山と戦い、生き延びたというのを上司からも聞いているので、彼の実力は疑うまでもない。そんな少年が計画を上手く行う方法があるというのだから、八方手詰まりになっていた千草には渡りに船。というか半ば自暴自棄に近かった。

 何せ、相手の護衛には青山が居る。だからこそ新幹線という場で全てに決着をつけたかった千草ではあったが、今はフェイトの助言を聞いていてよかったと安堵していた。

 

「全く、従者が居るなんて聞いていなかったですえ。しかもあの小娘、随分と腕が立つやないか。さらに神鳴流の使い手までいるとは、前途は多難やなぁ」

 

『式神の目で僕も見たが、確かにかなりの腕前みたいだね。だが彼女達だけなら、手持ちの札、二枚とも投入すれば抑えることが出来る。そして肝心の青山はネギ・スプリングフィールドの護衛だ……夜を待とう。上手くいけば、今夜中にお嬢様の奪還は可能だ』

 

「まっ、上の意見も無視しての単独行動や。今更はいそうですかと引くわけにもいかんしなぁ……頼むで新入り。あんたの腕だけが頼りだ」

 

『善処はするさ』

 

 千草は護符を仕舞うと、襲い掛かってきた虚脱感に肩を落とした。

 こうして行動をしてはいるが、正直、計画が成功するとは思っていない。

 だって、青山が居る。使者に手を出せば、あの化け物と相対しなければならなくなる。

 

「ッ……」

 

 そう考えるだけで千草の身体は震え、思わず両腕で自分の身体を抱きしめた。

 

「わかってないんや……あの化け物を。青山が何で青山って呼ばれているのか……」

 

 西の組織の上に近い人物ゆえにその名前を知り、知っているが故に誰よりも恐れる。千草の上司も、先日、総本山で青山と出会ったときは震えるのを抑えて、虚勢を張るように苦言を語るしか出来なかった。

 あれは異常なのだ。宗家、青山として生まれ、時代を担う後継者として育てられ、そしてずれてしまったから。だから、使者の妨害という隠れ蓑を用いて行うはずだった本来の計画すら、上は諦めるしかなくなった。

 敵は青山だ。あれならば、計画の要である封印された鬼神ですら、敗北する可能性は高い。何故なら、あれは己の刀ただ一本だけで、恐ろしき力を持った鬼の頭領すら斬り落としたのだから。それを知っているからこそ、計画の破綻の確立は高いと理解していた。

 

「クソ……」

 

 だがそれは抜きにしても千草は知っている。使い魔を通して見た、青山同士の壮絶な戦いと、その結末を。

 だからこそわからなかった。どうして青山家はあの化け物を迎え入れた? 破門として、追放をして、そうすることしか出来ないくらいに圧倒的に狂ったあの人外を。

 だって、知っているのだ。

 あの戦いの顛末を、千草は知っている。

 

「青山……」

 

 苦し紛れに呟いた一言。

 脳裏に浮かぶのは、手にした刀ごと利き腕を斬り飛ばされた、歴代最強の使い手、青山鶴子が血の海に沈む姿と。

 

 涙を流す少年が口を三日月に象りながら、己が斬り伏せた姉を見下ろすおぞましい光景。

 

「青山ぁ……!」

 

 知れば、誰もが恐怖する。

 だからこそ人は彼を、青山と呼ぶのだ。

 

 

 

 

 

 

 襲撃は些細なものだった。とはいえ、油断したら親書を奪われそうなので、その都度、僕と明日菜さんと楓さんは、一般人に気付かれないように気をつけながら、襲撃を逃れていた。

 人前ということもあり、襲撃が散発的だったのもよかった。刹那さんも時折僕たちを気にかけてくれたこともあり、とりあえずその日は無事に今日の宿にまで辿り着くことができて、僕はとっても満足していた。

 むふふ。さりげなく風を操ったりしてサポートできたぞぉ。明日菜さんも何でか魔法系統を無効化にするハリセンで、上手く札とか無効化してくれたし。

 特に楓さん。分身が凄くて、一に分身、二に分身、三四にニンニン、五に分身と、八面六臂の大活躍だった。

 というか、ほとんど楓さんの分身が全部片付けてくれた。

 うん。

 白状する。

 わかっているのだ。

 僕と明日菜さんは、ほとんど何もしてません。

 

「正直、私らじゃなくて楓さんに親書預けない?」

 

 明日菜さんの助言に思わず頷きかけるほど、楓さんは今日の襲撃を全て、事前に、完璧に防ぎきってくれた。

 そりゃもう凄かったってものではない。

 式による襲撃は分身が壁になって防ぎ。

 僕らを嵌めようと待ち構えていた落とし穴は分身で埋め尽くし。

 何故かお酒になった水を分身で飲みつくし。

 空から落ちてきた蛙を分身で回収しつくし。

 ともかく分身、やはり分身。今日も明日も分身だけとばかり、分身がゲシュタルト崩壊するくらい、分身尽くしの今日であった。

 というかここまでやって誰にも異常を悟られないのはどうしてなんだろう。それだけが不思議である。

 

「なんにせよ。これで今日は一安心──」

 

「なわけありません。結界の準備をしますよ」

 

 ほっと一息入れようとした僕らに忠告をしてくれるのは、いつもの刹那さんである。手には数枚の護符を持ち、辺りを見れば何枚かすでに張ってある。

 現在、宿に到着して食事も終わった後の自由時間だ。クラスの皆に部屋に来てと誘われたりしたけれど、それを何とか振り切って、宿のロビーに僕らは集まっていた。

 

「むしろ寝静まる頃こそ警戒してしかるべきです。一安心など持っての外……ていうか、楓、あなたもこちら側の人間だったのですね」

 

「なんのことやら」

 

 茶化すように笑った楓さんに、刹那さんはそれ以上追及することなく、再び僕のほうに向き直った。

 

「今のところ、新幹線のときのように露骨な気配は感じませんが、何処に襲撃者がまぎれているかわかりません。一応宿全体に護符は貼りましたが、ネギ先生自身も結界を張って警戒するようにしてください。当然、親書はちゃんと持っていてくださいよ?」

 

「は、はい!」

 

「よろしい。いい返事です」

 

 刹那さんはふんわりと優しく微笑み「では、お嬢様の部屋の護符を貼りに行きます」と言ってその場を後にした。

 

「いやー仕事人って感じだよね刹那さんって」

 

 だからこそ、何とかしてあげたいなぁという明日菜さんの意見に、僕も同意であった。

 木乃香さんの話だと、小さい頃はよく遊んでいた彼女の幼馴染らしく、何故か今は接する機会がなくなったらしい。木乃香さんは刹那さんに嫌われたのかなぁと寂しげに言っていたが、あの忠犬の如き姿勢を見れば、それはないということくらい僕にだってわかる。

 

「どうせだから、これを機会に仲良くなれるように出来ないかしらねぇ」

 

「そういうのは余計なお節介でござるよ。こういうのは、当人同士、ゆるりと展望を待つのがよいでござる」

 

「そんなものかしら?」

 

「そうでござるよ」

 

 そうなのかぁ。明日菜さんと二人、楓さんの意見に納得。ってそんなことをしている場合じゃない!

 

「僕、早速部屋に戻って結界を張ってきます!」

 

「あんたそんなのもできたの?」

 

「えっと、こういうこともあろうかと魔法学校の事典と各種魔法薬も持ってきたので、なんとかそれなりには出来ます」

 

 これは刹那さんとの特訓で思い知ったことだ。僕なんかの戦闘力ではたかが知れている。だから事前の準備が大切だと思って、しっかりと荷物を持ってきたのだ。

 惚れ薬の件もあるので、明日菜さんは納得してくれたらしい。楓さんは……にんにん。

 

「では、拙者も一つ働くとするか」

 

 そういい残して楓さんはあっという間にいなくなってしまう。

 こうしてロビーには僕と明日菜さんの二人だけ。とはいってもすぐにクラスの誰かに見つかるとは思うけど。

 

「明日菜さん」

 

「ん?」

 

「ありがとうございます」

 

 今だから、感謝しなくちゃいけない。僕はこれまで結局言おうとして言えなかった言葉をようやく言えることが出来た。

 

「ちょ、いきなりどうしたのよ」

 

 明日菜さんは僕の言葉の意図がわからずに混乱している。

 でも、僕はとっても感謝しています。あんな怖い目にあったのに、それでも僕の傍から離れずに、それどころか守ってくれている。

 本当に。本当に、明日菜さんがいてよかった。

 

「僕、明日菜さんにお礼を言うしかできませんけど……絶対に、明日菜さんが困っているとき、僕、力になりますから」

 

「んー……なんだかわからないけど。まっ、何かあったらよろしく頼むわ」

 

 だから今は行きましょ? 明日菜さんは得意げに笑ってくれる。

 

「はい!」

 

 よし、頑張ろう。僕は杖を握ると、明日菜さんとともに自分の部屋に戻ることにした。

 

 

 

 

 

 青山を潰し、かつネギの現在の能力を測る。随分と厄介な仕事だが、千草の本来の計画を遂行するだけなら、ネギは随分といい隠れ蓑である。フェイトはネギ達が泊まる宿の傍に生えている木々の上に立ち、計画の成り行きを見届けていた。

 とにかくネギを中心にちょっかいをかける。そうすることで、千草の計画に必要な近衛木乃香への注意を逸らすのだ。

 そして頃合いを見て、彼女だけを奪取する。後は眠った鬼神を復活させ総本山を叩き、依頼元である西の長が青山を呼び寄せたところで、ネギの力を試し、最後は鬼神、自分、今回の依頼の請負人の二人とともに青山を潰す。

 作戦自体はシンプルだが、それゆえにはまりやすい。第一、細かい策略や策謀など、少人数である現状で立てられるわけがないのだから。

 千草の計画と違うのは、可能な限り一般人を巻き込まないこと。そうすることで、こちらが隠密にネギの親書を狙っているということを植えつけるのだ。

 それも随分首尾よくいっているネギを中心に警戒網が張られているのがわかる。

 

「問題は、彼だな」

 

 青山。結局この日、彼は動くことはなかった。ネギ本人に害があるわけではないので当然だが、しかし親書が奪われるかもしれない襲撃を何度も行っているのに何のアクションも起こさないのは少しばかり違和感があった。

 このことから、フェイトは青山の目的は親書ではなく、ネギにあると推測した。勿論、安易に決め付けるのは早計だが、それでもこの推測はあながち間違っていないのではないかと考えている。

 尤もネギを表向き護衛している者が優秀だから手を出さないだけとも考えられるが。あれほどの熟練者だ。襲撃を察しただけで、その術者を捕捉することくらい可能なのに、特に何かするわけでもないのが証拠だった。

 

「ネギ・スプリングフィールドを見守っている……もしくは、経験を積ませようとしている?」

 

 とすれば、あの戦いで自分をいつでも殺せる状況でありながら逃がしたのにも納得がいく。襲撃者である自分を、上手くネギにあてつけて、可能な限り実戦を体験させることで……どうする?

 フェイトは無表情の奥で思案する。もし自身の予測が当たっていて、経験を積ませようとしているのなら、それは何故だ? 英雄の息子に相応しい能力を得てもらうためか?

 いや違う。あの男はそんな殊勝な考えをもってはいない。そんなことを考えるような人間ではない。

 

「まぁいい……それもこの夜でわかることだ」

 

 後ろを振り返ると、それに呼応するようにフェイトとそう背丈の変わらぬ少女と少年が現れる。

 一人はフリルの沢山ついた可愛らしい白のワンピースを着た少女だ。だが見た目の愛らしさに似合わぬ冷たい刀を二本持っている姿はアンバランスではあるが、逆にそれがよく似合っている。

 もう一人は学生服の少年。ニット帽を深く被り、やんちゃな色を瞳に宿し、口元はこれから始まる戦いを思ってか笑みを浮かべていた。

 

「それで、ウチらはどないすればいいのですか?」

 

「せや。まぁ依頼人の言うことやから言うこときいてるが、奇襲とかはあんますかんで」

 

「……何、君達には正々堂々と戦ってもらうさ。でも今夜は次に向けてのいわゆる下準備だから、ある程度手加減はしてもらうけどね」

 

 そしてこの下準備。もしも青山が動けばそこで失敗だ、ということまでは言わない。そのときはまた別の手段でネギの能力を確かめればいいだけだ。

 

「これから君達には派手に動いてもらうよ。ただし、決して相手を追い詰めないこと。僕は遠くから援護くらいはするけど、軽く様子見という感じで考えてくれていい」

 

「へっ、自分は遠くから高みの見物かいな」

 

 少年が呆れた風に呟くが、フェイトは気にした様子も見せずに宿のほうに向き直る。

 

「では、始めよう。戦いに気をとられすぎないようにしてね」

 

 後は運を天に任せよう。フェイトは内心でぼやくと、夜の闇に溶けるように消えていった。

 

 

 

 

 

 その襲撃は、予期していたものとは違うものだった。

 襲撃は完璧というわけではない。むしろ、あまりにも下策であったために予想外すぎた。

 ネギは周囲に張った結界に気を漲らせた何者かが触れたのを知覚して跳ね起きていた。時刻はすでに宿の誰もが寝ている時間帯ではあるものの、それでもその襲撃はあまりにも堂々すぎる。

 というよりも誘っているのか。結界にぎりぎり触れたところで止まっている二つの気は、ネギを誘うようにその密度を増大させている。そのまま隠れているなら、宿もろともあぶりだしてやると、言外に言っているようですらあった。

 

「ネギ先生……!」

 

 慌てた様子の刹那がネギの部屋に入ってきた。遅れて楓と明日菜も到着する。状況はわかっているし、気の猛りからして一刻の猶予もない。相談する余裕等あってないようなものだった。

 相手のやり口は下策だ。いや、下策と断ずるにはやり口が上手いと刹那は思う。今日の襲撃を見る限り、一般人には手を出さないと、そう決め付けてしまった。だから結界もあくまで万が一のためというだけだったのだが。

 

「やられた。外回りの警戒もしっかりとするべきでした」

 

 刹那は苦虫を噛み潰したように苦しそうに顔を歪めて呟いた。だが反省する暇はない。敵は外にいて、威嚇だとはいえ気を充実させて宿を狙っている。

 

「打って出るしかないでござるな」

 

 楓の観念したような言い分しか選択肢はなかった。そしてそこには当然ネギもいなければならないだろう。一般人へ危害を及ぼさないために、ネギには囮になってもらわなければならない。

 

「まだこちらの戦力はあちらを上回っている。伏兵がいる可能性もあるが……やるしかないでしょう」

 

 刹那は夕凪を片手に窓に寄った。玄関から堂々でる必要もない。ネギ達もその後に続くようにして窓に寄る。

 

「……ふぅ」

 

 ネギは瞼を閉じて体内で魔力を練り上げた。収束する魔力の波を知覚して、それらを全身に循環させる。

 魔力による身体強化。気を扱う要領で行うことにより、詠唱なくネギの身体は淡い光を放って魔力によって強化される。さらにカードを取り出すと、明日菜へ魔力供給も行った。

 

「いけます」

 

 淡い光に包まれたネギが言い、明日菜はハリセンを片手に窓の向こうを見つめた。

 相手の強攻策は愚策だが、愚策は決してただ愚かというわけではない。時として行われる蛮勇は、己の力に自信があるからこそ。

 行こう。仲間の先陣を切って、刹那と楓が窓から飛び出す。それを追うようにしてネギと明日菜も外に飛び出した。

 

「へぇ。こりゃまた結構な人数やなぁ」

 

 外に出たネギ達を待ち構えていたのは、学ランを着た少年と、ワンピースを着た可愛らしい少女だ。

 同時に、刹那は少女の持つ二刀と立ち振る舞いから、少女が神鳴流の使い手であることに気付く。背筋を伝う嫌な汗を感じながら、しかし表面上は冷静さを失わずに夕凪を抜いて構えた。

 

「あらー。もしかして神鳴流の先輩ですかー? ウチは月詠って言います。以後よろしゅう」

 

「……やはり神鳴流の剣士だったか。皆さん、彼女は私が相手をする。三人は……」

 

 刹那は月詠と名乗った少女と対峙しながら、その隣の少年を見た。視線に気付いた少年は小さく笑みを漏らすと、被っていたニット帽を脱ぎ捨てた。

 

「え、犬耳!?」

 

 明日菜が驚きの声をあげるが、それにも慣れているのだろう。少年は右手に気を収束させて「ただの犬やないで。狗神使いの犬上小太郎や!」そう叫ぶと同時に、召喚した黒犬の群れをネギ達に向かって殺到させた。

 

「悪いが、先に術者のチビ助を狙わせてもらうで!」

 

 同時に少年、小太郎も召喚した犬とともに地を這うようにして襲いかかる。狙いはネギ一人、常人では反応しきれない小太郎の動きに──反応する。

 突き出された拳を、ネギは杖で受け止めた。障壁頼りの偶然ではなく、しっかりと小太郎の動きを見た上での判断だ。

 

「へぇ! やるやないか!」

 

 己の動きに対応している。そのことをこの一合で理解した小太郎は、勢いのままネギもろとも後方に飛んだ。

 

「ネギ!?」

 

「待つでござる!」

 

 慌ててその後を追おうとした明日菜を楓の緊迫した声が引きとめた。何で? と問いかける余裕すらない。冷や汗を流す楓の視線の先、現れたのは白髪の少年、フェイトとその後ろで式神を展開した千草だった。

 

「……明日菜。女性のほうは頼んだでござる」

 

「えぇ!? ちょ! 私があんな……」

 

「あの少年は……まずい」

 

 余裕のない楓の言葉に、明日菜はフェイトを改めて見つめ、彼が吐き出す気配が、あの夜に現れた二人の化け物と重なった。

 思わず、悲鳴が零れそうになって、何とか息を呑んで踏み止まる。一瞬で理解した。あの少年は危険だ。だからこそ楓は一人で何とかしようと思い。

 

「いえ、二人で行きましょう。私のこれ、魔法とかそういうのにはとっても強いんだから」

 

 そんな彼女を一人で行かせるわけにはいかないと明日菜は隣に並びハリセンを構えた。魔法を完全に打ち消せる明日菜のハリセンは、確かにこの状況下、敵がネギと同じ魔法使いであるとするならば、充分に役に立つ。

 

「……それでもあの少年は危険でござる。出来る限り、後ろの女性の相手を意識するでござるよ?」

 

「了解!」

 

 気の強い返事を聞くと楓は先行する形で瞬動を行った。相手に行動を感知させぬほど巧みな踏み込みは、フェイトの傍に居た千草との距離を一瞬で詰め、さらにその背後を取った。

 千草には何が起きたのかすらわからないだろう。式神に命令する暇すらなく、楓の手刀千草の首筋目掛けて放たれ、それを予知したフェイトが無詠唱で放った石の槍が、その一撃を妨害した。

 

「ぬっ!?」

 

「中々やるけど……悪いが、慢心は先日捨てたばかりでね」

 

 槍を回避するために後ろに飛んだ楓をフェイトが襲う。互いに瞬動で交差して、障壁とクナイが激突した。

 それだけで楓は、フェイトが己では時間稼ぎ程度しか出来ない相手であることを悟る。刹那と二人がかりであるいは、といったところだが──

 

「奥義、斬岩剣!」

 

「ざーんがーんけーん」

 

 互いの刀から発せられた気と気がぶつかり合って大地を破裂させる。刹那と月詠の戦いはほぼ互角、いや、慣れぬ二刀を相手にしているせいか、刹那の表情は苦悶の色を浮かべていた。

 助勢は望めない。なら今自分に出来るのはぎりぎりまで戦いを長引かせて応援を待つことだけだ。

 覚悟を決めた楓は、何処からか取り出した巨大な手裏剣を片手にフェイトに向き合う。明日菜は共に戦おうと言っていたが、瞬動で戦線を延ばしたため、これで丁度全ての局面で一対一が成立したことになる。

 

「……わからないな。君くらいの実力者なら、今のぶつかり合いで戦力差はわかっていそうなものだけど」

 

 フェイトは逃げようとしない楓が不思議で仕方なかった。互いの戦力は、フェイトが頭一つ以上抜きん出ている。幾ら楓が頑張ろうとも、状況は厳しいものに違いなかった。

 だからといって追い詰めれば、今も何処かでこちらを見ているだろう化け物を起こすことになるのだが。そんなぼやきは心の奥底にしまい込む。

 

「生憎と、拙者、お主よりも強いお方に心当たりがあってなぁ。アレに比べれば、まだこの状況は楽でござるよ」

 

「奇遇だね。僕も最近、人生で最大級のピンチを潜り抜けてきたばかりなんだ」

 

 ほぅ。と僅かに目を開いた楓は、すぐに笑みを浮かべると「では、拙者達は似たもの同士でござるなぁ」そう嬉しそうに呟いた。

 フェイトはそんな楓の言葉に首を傾げ、それもそうかと納得した。

 

「甲賀中忍、長瀬楓。参る」

 

「フェイト・アーウェルンクスだ。覚えなくて結構」

 

「そうもいかぬでござるよ!」

 

 楓の内側から気が膨張する。手加減抜き、相手を殺傷する覚悟で全力を振り絞った楓は、さらに三体の影分身を展開した。

 さて、どの程度いけるでござるかな?

 胸の奥、強敵に挑む喜びをかみ締めつつ、楓は圧倒的化け物の口元へと、分身共々殺到した。

 

 

 

 

 

「とりゃあ!」

 

 可憐だが気合の篭った叫びと共に、明日菜のハリセン、ハマノツルギが千草の召喚した猿の式を一撃で送り返した。触れただけで問答無用。抵抗すら許さずに式を消す明日菜を相手にする千草の表情は歪む。

 相性が最悪だ。千草の本領は、前衛を盾にした火力重視の殲滅呪文を叩きつけることだ。西洋魔法使いと同じく、彼女もまた後衛を得意とするが、今回は相手が悪い。

 

「もういっちょ!」

 

 猿を落とした明日菜は、その勢いのまま着地と同時に隣に居た熊の式にハリセンを振りかぶる。魔力供給をえた肉体は、通常でも身体能力の高い明日菜の能力をさらに向上。式が腕を振りぬき明日菜を吹き飛ばそうとするが、その腕を掻い潜り、気持ちいい音色を奏でて熊の腹部を打った。

 やはり一撃。上と下で泣き別れになった熊が符に戻った。冗談にもならぬアーティファクトの威力をまざまざと見せつけられた千草は、符を放ちながら後退するものの、全て明日菜のハリセンが無力化する。

 

「くぅ!?」

 

「逃がさないんだから!」

 

 そして素の身体能力も差が開いている。数メートル以上空に舞った明日菜は、そのまま重力に身を任せて飛び蹴りを千草に目掛けて放った。

 自由落下と肉体のスペックが混ざり合い、ありえぬ速度と軌道を描いて蹴り足が飛ぶ。直撃すれば、確実に落ちる。千草の予感は正しく、ぎりぎりで間に合った回避の直後、地面に当たった足は小規模ながらクレーターを作った。

 

「わひゃ!?」

 

 これに驚いたのは千草ではなく明日菜である。ノリと勢いでやってみせたが、まさか爆弾のような威力をはじき出すとは思わなかったのだろう。

 当たれば、死ぬ。同時に理解したのはその事実だ。千草もまた術者の端くれであるため、ある程度の身体強化はしているため、一撃で死ぬということはないだろうが、明日菜が自身で生み出した威力は、彼女にそう思わせるには充分だった。

 

「ん?」

 

 クレーターの中心で動きを止めた明日菜を千草はいぶかしむ。明日菜が持つアドバンテージを考えれば、息をつかせぬ勢いで畳み掛けるのが定石だが、こちらの動きを誘っているのか。

 いや、悩むべきではない。フェイトが作戦前に言っていた言葉が正しいのであれば、いずれにせよ青山は現れる。その前に、上手くこちらの意図が親書のみと刷り込ませなければならないのだ。

 だから、攻める。千草はとっておきの札を取り出すと煙幕の向こう側に投げた。

 

「行け!」

 

 号令と共に札から吐き出されるのは、膨大なまでの水だ。明日菜が居る場所の真上に投げられた札から流れ落ちる水量は、常人では受け止めた瞬間押しつぶされるほど。

 

「えぇ!?」

 

 こちらも悩む予知などなかった。煙幕が晴れたと思えば空を埋め尽くす濁流に、明日菜は悲鳴をあげつつも全力でその場を蹴って離脱する。僅かに遅れて大地に叩きつけられた水は、その勢いで周囲一帯を水に飲み込み、明日菜も一時的に濁流に飲み込んだ。

 だがこれは所詮一時しのぎ。千草は得られた僅かな時間を使って、再び式を召喚すると、一匹の肩に乗り空に飛んだ。

 

「三枚符術!」

 

 空から落とす本命の札。アーティファクトに消されるならば、それを上回る紅蓮を持って、敵ごと燃やし尽くすのみ。

 

「京都大文字焼き!」

 

 地に落ちた札が爆発四散したかのようだった。燃え広がる炎は、流れた水によって湿った地面すら炎上させて、熱にあぶられて霧となった水もあわせて明日菜を包み込んだ。

 悲鳴すら燃える。紅蓮に飲まれた少女に対して憐憫の念は浮かぶけれど、近くに青山が居るかもしれないという恐怖が、千草に生易しい感情を振り払わせる。

 例え肉体を強化しようともこの熱量の直撃は無傷ですむはずがない。だがそれでも、魔に連なるものを消し去るあの武器があれば、充分生きていられるはずだ。宙に浮かびながら、式と共に燃え広がる炎を注視する。

 そうすればやはり予想通り、霧と炎を吹き飛ばして明日菜が現れた。それはいい。そこまでは予想通り。だが、千草は驚きに目を白黒させた。

 

「なっ」

 

「危ないじゃない!」

 

 炎から脱出した明日菜は、服の端が所々焦げているものの、肉体そのものは全く持って無傷で健在だ。明日菜自身も混乱はあるが、しかし魔法が無害にしかならぬことを確信したその瞳には、漲る自信がはっきりと見えた。

 最早、目の前の中学生はただの中学生とは認識できない。千草は唇をかみ締めて明日菜の脅威を改めて把握する。

 

「なら、おいでやす!」

 

 虚空に浮かんだ千草が持てる札をばらまくと、そこから無数の式が現れた。最初に出した可愛らしい式ではない。どれもが武器を携えた、殺傷用の式。

 術が駄目ならば、肉弾戦で押し切る。千草は空から指揮者の如く式を操り、明日菜へと襲い掛からせた。

 

「多いなぁ!」

 

 だが怯まない。怯えない。空から降りてくる式の群れと、それらが持つ、人を殺すため作られた刀剣類を見ても、明日菜は真っ向から挑む。

 千草を殺すかもしれない恐怖はまだある。それでも戦わなければ、戦わないと。

 

 また、失う。

 

「うわぁぁぁぁぁぁ!」

 

 己の奥底に眠る本当の恐怖を振り払うように自身を奮い立たせる。握る太刀は覚悟の証。失わないように、離さないように。

 だから、我武者羅に前を向け。

 

 

 

 

 

 それぞれがぶつかり合う。戦況は、互いの陣営共に、一つずつ一方的な展開が繰り広げられている中、ここに居る二人はぎりぎりのところで拮抗していた。

 

「奥義!」

 

 刹那は月詠を強引に突き飛ばすと、気を夕凪に集中させた。収束した気は発電して、刀身に紫電がまとわりつく。耳につく甲高い音を響かせながら、夜に煌く雷光を敵手に向けて放つこの技こそ、神鳴流が奥義。

 

「雷鳴剣!」

 

 剣先から放たれた雷が月詠目掛けて飛んだ。突きの延長、雷光の突き。射程を延ばし、閃光の速度で妖魔を滅ぼす奥義を、月詠は事前に軌道を予測して横に飛ぶことで回避した。

 地を穿つ雷が大地を爆発させる。土と石飛礫が空を舞い、互いの間に降り注ぐ。

 だがその程度は障害にすらなっていなかった。月詠は遮蔽物に構わず瞬動を使って刹那との距離を再び詰める。

 

「せりゃー」

 

 気の抜けた声だが、振るわれる斬撃は熾烈苛烈にして激烈。小回りの効く小太刀を使った二刀の手さばきは、長大な野太刀を扱う刹那にとってはやり辛い相手である。

 右と左、舞うように首を狙ってくる切っ先を、野太刀を巧みに駆使して逃れつつ、隙あれば反撃の一太刀。

 近距離での戦いは月詠が圧倒的だ。スピードを生かした技の数々は、あまり考えたくないことではあるが、間違いなく──

 

「神鳴流でありながら、人斬りの刃を振るうのか!?」

 

 鍔迫り合いに持ち込み、顔を突き合わせる距離で刹那は吼えた。襲い掛かる魔から人を守るために振るわれるべき剣を、ただの人斬りの刃に貶めている。

 それは、タブーである。何せその刃は、質は圧倒的に違えども。

 

「その剣の果ては青山だぞ!」

 

 刹那は怒りを込めて叫んだ。事情を知らぬ者ならば、理解できないその言葉は、神鳴流だからこそ瞬時に理解できる。神鳴流であれば誰もが知る。そして神鳴流であるために誰もが口を閉ざす。

 それが青山。

 鬼畜外道に落ちた宗家の汚点にして、史上最強の神鳴流。

 そんな化け物である青山に、お前はなろうとでも言うのか。

 刹那の問いに月詠は底冷えするような笑みで答えた。当然とばかりに、むしろそれこそ、少女の望み。

 

「そうですえ。ウチはあのお方になるんです」

 

「な、に……?」

 

「あのお方こそ、ウチの神や」

 

 むしろ、と月詠はよくわからないといった面持ちで続けた。

 

「あの背中こそ、ウチらが目指すべきやと思いませんかー?」

 

「月詠ぃぃぃぃ!」

 

 刹那の気が膨れ上がる。手加減などない。ここでこの少女を止めなければ、また再びあの悲劇は繰り返されるのだ。

 幼少の記憶にすら新しい。腕を失い、今にも死にそうな鶴子を刹那は覚えている。

 弾き飛ばして、怒涛に畳み掛ける。野太刀の質量を巧みに使い、刹那は月詠を彼女の太刀の距離の外から切りかかり続けた。

 

「あれが悲劇を生んだ! お前は鶴子様の姿を見ていないのか!? 青山は、アレは斬ったんだぞ!? 悪でもなく、魔でもなく、己の肉親を、己のために斬ったんだ!」

 

「そうです。だからあのお方はつようなったんですえ。先輩は知らないからそうやって怒るだけや。見ればわかりますわ。あのお方が剣や。冷たくて、無感動で、殺風景で、とっても危険。ウチはなぁ、あぁなりたいんですわー」

 

 月詠は刹那の叫びを一笑した。

 わかっていないのだ。誰もがあのお方を化け物と詰るけれど、月詠は違う。幼いころ、偶然見ることが出来たあの瞳を見たからわかるし、それだけで自分には充分すぎた。

 月詠にとっての青山は神に等しい。人でありながら、人の道を究めた修羅。戦いの果てに彼ならば行き着くと、幼い思考で理解したから。そして幼き少女の憧れは、その数年後、周囲にとっての悪名として轟き、少女は自らが崇拝するべき対象を確信した。

 あの背中こそ、最後の場所なのだと。

 

「修羅に生きるか外道! 神鳴流の信念は何処に落とした!?」

 

「凶器を用いて正道を語る先輩方、いいえ、西を裏切った刹那先輩には言われたくありませんえー」

 

「くぅ……!」

 

 苦渋に満ちた表情で刹那は戦う。一方的に攻めながら、精神的に刹那は追い詰められていた。

 刹那は、青山を知らない。ただ、斬られた鶴子の姿を知っているから、アレを外道と断じているだけだ。だから、青山の人となりをほとんど覚えていない彼女では、青山に溺れた月詠を言葉では止められない。

 ならば、語るべきものは一つだけだ。夕凪に気を込める。大気を歪めるほどの威力が込められて、刀身が煌いた。

 同時、月詠の二刀も気を吸って震えた。殺気を充満させた剣は、少女の腹に宿る狂気を具体化させたかのよう。

 互いに一撃に込める。互いの思いを、祈りを。ここに吐き出す。

 

「秘剣、百花繚乱!」

 

「にとーれんげきざんてつせーん」

 

 気によって現出した一枚一枚が鋭利なる刃物となる花びらと、巨大な気の斬撃が激突して、周囲の光景が豹変する。互いに打ち消しあった技の残滓が残る中を、二人の剣士が駆け抜けて再び激突した。

 

「どうしてそこまであのお方を毛嫌いするのかわかりまへんわー」

 

「知れば誰もが嫌うだろうさ! 青山という存在を!」

 

 火花散る。気が散り散りと二人を包む。剣を交わしながら言葉をぶつける。

 だからこそ、月詠の発言は刹那の動きを止めるのには充分だった。

 

「あれー? でも確か先輩は麻帆良のお方ですよねー?」

 

「それがどうした!?」

 

「あのお方、今はそこで働いてるって聞きましたえ?」

 

「な……」

 

 刹那は呆然と動きを止めた。不意打ちの一言に身体は硬直し隙を晒す。月詠はそこを狙えるにもかかわらず、それはつまらないと感じて刹那を蹴り飛ばすに終えた。

 

「が……!?」

 

 それでも気で強化された一撃は痛烈だ。砲弾のように吹き飛び、大地を二転三転して刹那は体勢を立て直すが、しかしその顔に浮かぶ焦燥は隠し切れなかった。

 

「どういうことだ! 青山が麻帆良に居るだと!? 出鱈目を……」

 

「いーえ。出鱈目やありまへん。それにウチは嬉しいんですー。あのお方が西側との和解を果たすらしくてなぁ……ようやくあのお方のことを上のお方が認めてくれたと思うと、ウチはうれしゅうて──」

 

「バカな……ありえない! 青山が神鳴流に何をしたのかをわかっていて」

 

 そこまで言って、刹那はかつて鶴子とした会話を思い出した。

 正当な戦いの結果であり、彼は悪くない。

 簡単にまとめるとそんな話で、それからも鶴子は狂っていく弟を諌めようと苦心してきた。

 そう、恐るべき青山を、その最大の被害者である宗家こそが庇っていた事実。それを考えれば──

 

「……状況はどうあれ、今は関係ない話だ」

 

 刹那は深呼吸を一つして、胸中に浮かんだ考えを隅に投げ捨てた。今は関係ない。今考えるべきは、目の前の敵。

 文字通り目の色が変わった刹那の瞳を、月詠はうっとりとした眼差しで見つめ返した。

 

「えーなぁ。やっぱしえーなぁ刹那先輩は。先輩とならウチ、もっと先に進めそうな気がしますー。相性がええんやろうなぁ」

 

「黙れ外道……だが、同感だ。踏み外したお前には、裏切り者である私くらいしか相応しくないよ」

 

 足を肩幅に開き、夕凪を上段に構える。冷たく、剣の奥へ。余分なしがらみを一切捨てて、少女はこのひと時だけ剣となる。

 気に呼応して月詠が笑った。月下に照らされた禍々しさは異端の証。月の狂気を映し出したが如きおぞましさを吐き散らす剣鬼を前に、刹那は渾身の一振りを持って迎え撃った。

 激突で生じる被害は人間が行える破壊の領域を超えている。一合だけで周囲の風景が一変するほどの力をぶつけ合う両者は、理由はともかく斬るという目的を果たすために手を動かす。

 極大の一撃を受けた月詠は、刹那が放つ協力な太刀筋とは逆に、ただ冷徹に剣戟を重ねた。夕凪を逆手に持った小太刀で受け流し、右の太刀でその首を狙う。気で強化された肉体すらも斬り裂く刃を、刹那は紙一重で屈むことで逃れると、流された夕凪を引き戻し、身体ごと激突する。

 間合いを詰めさせてはいけない。超近距離での立会いは、二刀に慣れぬ刹那と、神鳴流の太刀筋を充分に知っている月詠とでは、月詠が一枚上手だ。

 ならば何をもって差を埋めるかといえば、野太刀の威力を生かした膂力に物言わせた近距離戦。突き飛ばした月詠に瞬動で間合いを詰めた刹那は、背中に夕凪が触れるほど振りかぶり、溜め込んだ気を爆発させた。

 

「雷光剣!」

 

 切っ先から飛んだ気が変質した電流は、月詠を中心にプラズマを発生、ドーム状に広がった光は、その内部にある物体を文字通り焼き尽くす。魔を滅ぼす神鳴流が奥義は、人間では受け流せぬ無敵の牙だ。

 だが、月詠は半身を焼かれながらも離脱を果たして、技を放ち動きを止めた刹那に向けて瞬動を行った。

 

「くぅ!?」

 

「あはっ、やりますなー」

 

 虚空で衝突した二人は、勢いのまま地面に落下する。煙幕が浮かぶ中、刹那は胸の辺りに感じる重さに戦慄した。

 

「捕まえましたわー」

 

 半身を火傷によって傷つきながらも、痛みを感じさせない微笑を浮かべて、刹那の前に月詠はいる。マウントを取られた刹那は反射的に夕凪を振るうが、所詮は長大な野太刀、この距離では威力を発揮することもなく月詠の小太刀はあっさりと弾き飛ばす。

 そして空に掲げられる太刀の切っ先は、寸分違わず刹那の首筋へと狙いを合わせた。

 

「楽しかったですえ。刹那先輩」

 

 迷いも躊躇いもなく、微笑みのまま振り下ろされる殺意の牙。なす術はなく、刹那は己の命を絶つ鋼の光を睨みつけ──赤い血が降り注ぐ。

 

「ぐぅぅぅ……」

 

 咄嗟の判断で空いている左手に気を全力で収束、強引にその刃を掴み取る。だがしかし神鳴流の得物を素手で掴むという無謀によって、刹那の左手が切り裂かれて鮮血がその顔を濡らした。

 

「ふふふ。先輩かわえーなー。その必至な姿、堪りませんわー」

 

「戦闘狂が……!」

 

 悪態をつきながらも、その一方で刹那は思考を回転させる。完全に追い込まれたこの状況、反撃するには夕凪を突き立てるほかないが、それは月詠の小太刀が遮るだろう。

 進退窮まったこの状況。突破するに必要なのは、状況を打開する何か。

 それを待てる時間も短い。出血は多くなり、数分もせずに左手の気は失われ、そうすれば指はおろか首に刃が突き立つ。

 

「くぅぅ」

 

 激痛に悶えながらも、瞳の輝きは失われない。ぎりぎりの戦い。刹那は打開の瞬間を狙って、その内側で気を練り上げて反撃の隙を待つ。

 

 

 

 

 

 詠唱の隙すらもなく、ただ必至に拳をさばき続ける。

 一方的な展開が繰り広げられていた。ネギと小太郎。二人の少年の戦いは、見た目の幼さとは裏腹に、一撃が地を砕くほどの異常な戦いだった。

 

「そらぁ! どうしたチビ助! パートナーがいなけりゃ何もできへんか!」

 

「くぅ!?」

 

 小太郎の一撃はネギが展開した障壁を数撃で貫く。それでもネギが堪えているのは、魔力で肉体を強化しているからに他ならなかった。

 だがスペック上は互角であっても、積み重ねた戦闘経験が違いすぎる。小太郎はネギが魔力で能力を底上げしているのも踏まえて、その動きに合わせて攻撃を重ねていた。口調は荒々しく攻撃的だが、こと戦闘においての小太郎の冷徹さはプロのそれだ。

 まず初撃、ネギが魔法使いだと知っているためか、詠唱の余裕を与えず距離を詰めて先手を打ち、そこからは息すらさせぬほど連撃をもって、ネギに魔法を使う機会を与えない。

 

「何もせんととっとと終わるでぇ!?」

 

 そう叫びながら放った掌底がネギの杖もろともその腹を打つ。唾液を吐きながら吹き飛ぶネギを、取ったとは思わずに距離を詰めて畳み掛けた。案の定、ネギの瞳は生気を失わず、必至に小太郎の拳に抗っている。

 言葉とは裏腹に、小太郎は想像以上に己の攻撃に耐え忍ぶネギに好意的な感情を覚えていた。年齢は己とそう変わらないだろう。だというのに、防戦一方とはいえぎりぎりで踏み止まっている。その事実が嬉しくて仕方ない。

 

「やぁぁぁ!」

 

 苦し紛れにネギが放った大振りの拳を屈んで回避して、小太郎は屈伸の勢いで跳ね上がり様に蹴り足をネギの顎に叩きつけた。

 炸裂した一撃は、障壁を貫き、強化された肉体すらも揺らす痛烈さ。視界がぶれ、上下が反転。ネギは意識がちぎれる音を聞きながら大地に落ちた。

 

「どやッ! 今のは顎もろたでぇ!」

 

 倒れたネギに小太郎は無垢な笑みを向けた。だが倒れたネギはそれに答える余力すらなかった。

 強すぎる。刹那と戦ったときに感じたものと同じ感覚が襲ってきた。いや、能力的には刹那が強いのかもしれないが、高さは違えど、ネギにとってはどちらも巨大な山と同じ。どちらも矮小な自分と比べてはるかに高いのならば、比べる意味等ない。

 それでも、抗わないといけないと思った。ネギは知っている。刹那よりも、小太郎よりも、はるかに格上の異常者の強さを見ている。

 

「まだ、だ」

 

 血を吐きながら、ネギはゆっくりと立ち上がった。口の中は引き裂け、上手く呼吸が出来ない。視界もぼやけたままで、全身に圧し掛かる重さは、水中にいるかのよう。

 嫌がおうにも理解させられる。たかが五日間修行をしただけの自分の強さなど、所詮はこの程度。

 けれど、踏み出した。だから、歩く。

 この道を歩いてみせる。

 

「おもろいやんけ」

 

 小太郎はぼろぼろになりながらも、光を失わないその眼差しを見据えて、さらに気を充実させた。認めよう。いけ好かない西洋の魔法使いと侮らない。自分と同じ歳でありながら、自分と同じく強さを求め、負けないという心を宿した立派な戦士。

 それを手折れる歓喜を、この拳で示そう。小太郎は充実する気力を威力に変えて、飛び出した。

 

「な!?」

 

「後ろや!」

 

 ネギの目の前から消えた小太郎が現れたのはその背後、振り返ろうとしたネギの頬にめり込む拳が容赦なくネギを吹き飛ばし──吹き飛んだ先に再び小太郎は現れた。

 瞬動二連。一定の実力者なら扱える高速歩法を連続で行えるその技量は、最早問答無用でネギの上をいっている。

 背中を蹴り上げられ、ネギは風に煽られる木の葉のようになす術なく夜空に飛んだ。取った。打ち上げたときの感触で、小太郎は確かな感触を覚えて勝利を確信した。

 だが意識は繋がれる。光を失いかけたネギの瞳が再び輝く。

 まだ、もう少し、この瞬間を待っていた!

 空中で反転。真っ直ぐを見据える少年の瞳は、眼下の小太郎を確かに捕らえた。強く吼える。手に持った杖の感触だけを頼りに、砕けた視界でなお光れ。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 闇夜切り裂く一条の光! 我が手に宿りて敵を喰らえ!」

 

 距離は開いた。直後、ネギは本能のままに詠唱を開始した。膨大な魔力が、打倒を願う主の祈りに答えて、詠唱の通り、闇夜に白き光を照らし出す。

 耐え切った。という事実に小太郎は僅かに驚愕して、己の失態に歯噛み。詠唱の隙を与えてしまった。それはつまり、西洋魔法使いの十八番。火力重視の強烈な魔法の展開という事実に繋がる。

 

「白き雷!」

 

 世界を照らす白光が、一直線に小太郎へと降り注いだ。文字通りの落雷。天災の一撃を再現した渾身が落ちた先、しかしネギは止まらない。

 小太郎は踏み止まっている。切り札にも近い護符の展開には間に合ったが、それらも全て焼ききれた。

 

「身体が……」

 

 それでも、全力を込めたネギの魔法は防ぎきれない。身体に走った電流によって、一時的に小太郎の身体が麻痺する。

 千載一遇のチャンスは来た。落下の勢いに任せながら、ネギは落下にかかる一秒に全てを賭ける。

 

「ラ・ステル・マス・キル・マギステル!」

 

 着地、強化されているとはいえ受身も取らずに降り立ったネギの両足が悲鳴をあげるが、痛みを意識する暇なんてなかった。

 手に宿る雷。動き出そうとする小太郎よりも早く放つのは初歩にして優秀な攻撃魔法。小太郎の腹部に添えた手のひらが紫電をほとばしる。全力全開、今出せる最速の魔法を放て。

 

「魔法の射手、連弾・雷の17矢!」

 

 零距離魔法の射手。17にも及ぶ雷の矢が小太郎の腹に収束して、その身体を吹き飛ばした。並みの術者であれば一撃で意識を失ってもおかしくない火力は、小太郎ですら受けきれるものではない。何メートルも吹き飛ばされ、地面を転がり、そして起き上がることなく倒れたまま停止した。

 

「ハァ……! ハァ……!」

 

 荒い吐息を漏らしながら、ネギは糸の切れた人形のように大地に倒れた。ぎりぎり、相手が晒した一瞬の隙に付け入ることが出来た。

 勝利への執念だけが、小太郎という実力者にネギが勝る唯一つの武器だった。付け焼刃の強化魔法だけで、武術の心得のないネギに出来るのはこれが限界。

 それでも勝った。僕は、勝った。

 心の底から、言葉に出来ない何かがこみ上げる。それは胸にくすぶるもやもやを少しだけ消化して、ネギはぼろぼろの拳を強く──

 

「やるやないか。少しだけ、焦ったで」

 

 握ろうとした矢先、倒れていたはずの小太郎がゆっくりと立ち上がった。

 流石に威力を殺しきれなかったのか、膝は笑って、その口からは血が溢れているが、笑っている。

 笑えるほど、痛いから、笑っている。

 それを理解できないネギは驚き、焦り。

 それを出来る人間だからこそ、小太郎は不敵だ。

 

「どうして立ち上がったか教えなくともわかるやろチビ助。俺がさっきお前を落としたと確信したとき、お前が意識を繋いでいたのと同じや」

 

 負けたくないんだ。

 それだけで、人は折れない。

 

「だが、今度こそお終いみたいやな。だが嬉しいで俺は、同年代でここまで張り合った奴はお前が最初や」

 

 だから油断も慢心もない。小太郎は両足を開いて膝を折ると、己の内側で気を練り上げた。

 ネギはその様子を見るしか出来なかった。豹変していく肉体。髪が色素を失い、月光を反射する白い髪が腰よりも長く伸びて、一本の白い尾が尻の辺りから生える。

 肉体は音をあげながら変異し、華奢な肉体は筋骨隆々に盛り上がった。いや、その身体は獣のようになっていた。爪は伸び、指は太くなり、足の形は犬のそれ。

 獣化。狗神使いの本領にして切り札が、指先を動かすのすら至難なネギに対して晒される。

 

「……ふぅ!」

 

 だからネギは立ち上がった。敵わないという卑屈な思いを振り払って、身体を束縛する見えない鎖は断ち切って。

 己の足だけで、立つという意思表示。

 

「おもろいで、お前」

 

 小太郎は笑みをより深くした。大気すら奮わせる気は、先程の数倍にも匹敵するほどだ。最早満身創痍のネギなど一撃で葬れるほどでありながら、その佇まいに隙は微塵も見当たらない。

 敗北の二文字がちらつく。負けるという結末。再び、繰り返すことになるのか。

 幼きときに見た紅蓮に染まる故郷。

 ゆっくりと凍っていくしかなかった大橋。

 そのときのように、抗うことなく、負けるというのか。

 

「負けない……」

 

 気付けばネギはそう呟いていた。手足は鉛、杖の感触すらすぐに失われそうになりながら。

 

「僕は、負けない……!」

 

 吼える。あの日、吸血鬼の問いかけにうなだれるだけだったときとは違う。

 はっきりと己を示す。ここで逃げれば、一生負け犬で居続けると思ったから。

 

「負けて、たまるか……!」

 

 我を通せ。

 逃げ道なんて必要ない。

 

「だったら無理矢理にでも負けを認めさせてやるで! ネギぃぃぃぃ!」

 

 小太郎が大地を蹴った。瞬動。先程まで小太郎がいた場所が爆発して、ネギの視界から消える。

 咄嗟にネギは杖を操作して空に飛んだ。ぎりぎりのところで小太郎の拳がネギの顔があった場所を突きぬけ、大気がねじれ、地が砕けた。

 身体を動かせないネギに出来るのは、杖を使った飛行だ。だがこんな手品、もう一度だって通用しないだろう。

 結局、逃げるのか。

 違う。

 僕は、戦うんだ。

 だが現実は厳しい。抗う術はなく、一秒もすれば小太郎は空に舞うネギとの距離を詰めて、無慈悲な一撃は夜空に赤い花を咲かせることになる。

 確定する敗北。

 逃れられない現実。

 届かない勝利を手繰り寄せる術は……一つだけ。

 

「おぉぉぉぉぉ!」

 

 ネギは杖を手放すと、叫びながら小太郎目掛けて飛んだ。

 面白いと小太郎は笑う。最後の足掻き、特攻。瀬戸際のカウンターしか残されていない。

 男やないか!

 小太郎は内心でネギを賞賛し、その気概に答えるべく、ありったけの気を右拳にかき集める。

 最早、相手の生死など彼岸の彼方だった。あの敵を倒す。それだけが小太郎の全てで。

 そのぎりぎりまで、思考をネギは手放さなかった。

 考えること。それが弱者に出来る最後の抵抗。突撃という自爆で、ネギは一瞬で距離を詰めるはずだった小太郎に、自分が落ちるまで待たせるという時間を得た。

 これによって得られる時間は一秒程度もない。

 だがその抗いが、その一秒が、今のネギには何よりも必要だった。

 それでも半ば無意識に近かった。削れていく思考の中、勝利を手に取るために必要な一撃を選択。その末に得られた回答は、やはり自爆しかなかった。

 落ちるネギの身体から魔力が噴出した。いや、それだけではない。遅くなった時間で、小太郎は魔力を身にまとうネギから溢れる別の力を感じ取った。

 魔力とは違う輝き。それは気だった。魔力が精神力なら、気は体力を削る。それゆえに元の体力は十歳のそれと同じネギが出せる気の量には限りがあり、だからこそ、この一瞬で吐き出せばすぐに尽きるものでしかない。

 

「ぎぃぃぃぃ!」

 

 魔力と気の同時運用。だが本来反発しあうそれらを使用したネギの身体を激痛が襲った。刹那の短い間にすら、無限の激痛が脳髄を焼きつくす。半端な技量での魔力と気の運用が引き起こす結果としては当然であり、最悪の帰結。

 だが繋げ。痛みに揉まれながら、ネギの瞳は小太郎を見据えた。これしかないのだ。土壇場で思いついた魔力と気の同時運用。これによって得られる最大威力にて、一瞬だけでいい、小太郎の身体能力を圧倒する。

 足りない技量を、単純なスペックで上回るというシンプルかつ、出鱈目な回答だった。破綻するのが目に見える結論。死に急ぐデッドヒート。

 それでも、必要なのは力だった。反発する魔力と気を強引に支配する。頭が沸騰するような錯覚を覚えた。意識が切れる前に激痛で死ぬ。そう理解した。

 だがこの一瞬でやらなければならない。

 束ねろ。

 重ねろ。

 集めて、隷属させろ。

 

「ッ!」

 

 瞬間、ネギの身体が内側から輝いた。目を瞑るということはしなかったが、小太郎はその光に目を奪われた。

 全てが零秒で起きた出来事だった。死に至る無謀が、裏返って力となる奇跡を零秒に見る。

 それの名前をネギも小太郎も知らない。

 だがそれは確かに存在する奥義。膨大なエネルギーを身につけたネギの今の状態。鼻はおろか両目からも出血するほどの危機を乗り越えて得られたたった一つの切り札。

 気と魔力の合一という高難度の究極技法。

 

 咸卦法。その切っ掛けを、ネギは極限状態の一瞬で手に入れた。

 

「届けぇぇぇぇ!」

 

 落ちるネギが、小太郎の反射神経を超えた一撃を炸裂させる。人外に変貌した小太郎すらも上回る人外の一撃は、痛みに唸る暇も与えずに、小太郎を吹き飛ばしてその意識すらも焼き尽くす。

 そしてネギは降り立った。身体の内側からこみ上げる得体の知れぬエネルギーに当惑しながら、ゆっくりと、今度こそ立ち上がらずに力尽きた小太郎を見据え。

 

「勝った」

 

 あふれ出す力と、現実にしてみせた不可能の回答。

 勝利という名の、飽きることなき最高の美酒の味。

 

「僕の、勝ちだ……!」

 

 泣くように、勝利を叫ぶ。溢れる力は収まらない。脳髄は痛みを忘れ、歓喜の渦に飲み込まれた。

 手に入れるということの甘美は、痛みと疲労を即座に吹き飛ばす。掴んだ実感、得られた光。

 それを確かめるようにネギは己の両手を見つめて。

 

「……っ」

 

 強く、ただ強く握りこんだ。

 

 

 

 

 

 その光景に俺は涙した。

 そっと、静かに頬を伝う水滴を拭うような野暮はしない。

 嬉しかった。

 ただただ、君の姿が美しくて嬉しかった。

 ほらやっぱしそうだった。

 君はやっぱしそうだった。

 極限の状況下。君は直前で手に入れたんだ。よかった。本当によかった。今すぐ君の元に行って褒めてやりたかった。

 よくやったね。

 よく頑張ったね。

 確かに光り輝きその強さを磨いていく。素晴らしいという言葉では言い表せない。

 あぁ。

 この気持ちをどう表現すればいいのだろう。

 君が強くなっていく。

 少しずつ。

 少しずつ。

 俺のところに近づいてくれている。

 感動的だった。感謝すべき奇跡だった。神という存在を信じられるくらい、今の俺は感謝していた。

 全てにお礼を言いたかった。君という奇跡に出会えた全てに感謝したい。ありがとうと声を大にして強く、強く。

 そう。

 思いっきり叫ぶのだ。

 

 

 斬る。

 

 

「あ」

 

 しまった。

 思ってしまった。

 内側から押さえつけていたアレが声を出して存在を主張する。

 俺という自意識を斬り裂いて、俺という自意識が覚醒していく。

 あぁ。

 駄目だよ。

 まだ、まだ駄目だよ。

 でも。

 

 うん。

 

 斬ろう。

 

 

 

 

 

 そして、爆音よりも静かな、だが何よりも存在感のある鈴の音が鳴り響く。

 それだけで、そこに居た者達は己が斬殺される瞬間をはっきりと思い描いた。

 聞きたくなかったその音を聞いてしまったこの瞬間、誰もが戦うという意識を喪失して、その音の先を見る。

 知らなくても理解する。知っているから理解する。どちらであろうが関係なしに、理解させてしまうその音色。

 美しくも悪夢的。

 狂気的ながら清涼の歌。

 響く音に停止した。

 

 

 

 

 青山が、来る。

 

 

 

 




次回が加筆というか、原文版になります。

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