総本山付近まで来たのと、遠くからでも感じるほどの巨大な魔力の唸りを感じたのは同時だった。ネギ達はとてつもない何かが生まれでそうなのを確信して、僅かにその歩みを止める。
「早く!」
だがいち早く復活した刹那の一喝で我を取り戻した一同は、全速力で魔力元へ駆け抜け、ついに巨大な湖に辿り着いた。
「お嬢様!」
刹那は祭壇に捧げられた供物のように横たわる木乃香の姿を見つけて、激昂しながら抜刀した。ネギ達が静止する暇もなく、刹那は瞬動で木乃香の元へと飛ぶが、しかしその直前に現れたフェイトによって行く手を遮られてしまった。
「フェイト……アーウェルンクス」
楓が警戒心をむき出しにしてその名を呼んだ。敵味方揃ったあの場で、唯一青山と戦える実力を持った恐るべき少年。そんな化け物が一人佇んでいるだけで、ネギ達の動きは止められていた。
「残念ながら青山の助勢は期待しないほうがいい。今頃、僕らが召喚した鬼の群れの迎撃に忙しいだろうからね」
彼らの望みを砕くように、フェイトは淡々とその事実を告げた。
青山。
味方とも呼べぬあの男だが、今は誰よりも必要な男であった。刹那は内心で、使えない奴と詰るが、そんなことに意味がないのもわかっていた。
フェイトの目的は、ネギ達の希望を絶つことで、確実にその命を終わらせることだ。尤も、フェイトの狙いはネギ一人なので、他の者は可能な限り殺さないようにはするつもりである。
だが例外は当然ある。
青山、あの恐るべき男だけは、どのような惨劇をこの京都に起こそうが殺さなければならない。
「とりあえず、ネギ・スプリングフィールドを渡してくれれば、君達に危害を加えることはしないと約束はしよう」
「ふざけんじゃないわよ! 誰があんたにネギを渡すかっての!」
誰よりも早く明日菜が反応した。ハリセンを構えて、ネギを庇うように前に出る。その勇敢さに後押しされて、刹那と楓もそれぞれの得物を構えた。
「……木乃香さんを返してもらうよ!」
最後にネギがそう叫びながら、魔力と気を内部で合成した。小太郎戦のときと違い、スムーズに合成された究極の技法を前に、フェイトの目が細くなった。
やはり、この少年は危険だ。青山とは違う、その将来性がフェイトの邪魔になるのは間違いない。子どもだからという油断もなく、フェイトは「……なら、力ずくといこう」と言うと、静かに構えをとった。
「来るぞ!」
楓の叫びがネギ達に伝わるのと、フェイトが明日菜の懐に飛び込むのは同時だった。
「きゃあ!?」
反応すらさせない速度で、フェイトの拳が明日菜の腹部を捉えてそのまま空に打ち上げた。幾ら強化されているとはいえ、その凶悪な威力に明日菜の身体に激痛が走る。
しかしネギ達に明日菜を構う余裕はなかった。四つに影分身した楓が、気を練り上げた拳を打ち、刹那もそれに合わせて夕凪を払う。
「無駄だ」
だが捉えたのは水の分身。いつ代わったのか判断も出来ぬ業の冴えに驚嘆。フェイトは驚く二人を横目に、刹那の背後に回りこんだ。
殺気に反応するが、対応が遅れた。背筋をはいずる悪寒に気付くが、フェイトの一撃は解き放たれている。直後に訪れる激痛を予感して覚悟を決めた刹那だったが、その拳はネギの掌に受け止められた。
「ぐぅ!?」
咸卦法で得られた膨大な出力で受けたにも関わらず、ネギは掌が痺れる痛みに呻いた。
それでも止めた。二度と話さない気概で、ネギはフェイトの拳を握りこむ。咸卦の光がさらに増大して、一瞬だけネギはフェイトをとどめることに成功した。
そしてその一瞬を逃さない。楓の分身体が影の中を進むように静かにフェイトの懐に入る。低い体勢から放たれる三体の影分身の蹴りが、フェイトの胸部に集中した。
痛烈な打撃に、明日菜と同じく空に吹き飛ぶフェイト。砲弾もかくやという勢いで飛翔した彼の胸部は、蹴りの跡が痛々しく残って、いない。
「へぇ」
フェイトの顔に痛みの表情は浮かんでいなかった。楓渾身の連撃すら、フェイトの障壁を突破することは出来なかった。この程度の打撃では揺るぎもしない。その火力もさることながら、フェイトの恐るべきはその防御力にあった。
だがまだ終わらない。吹き飛ぶフェイトの背中を誰かが止めた。振り返れば、太陽のように輝く気の塊を拳に収束させた楓が、鬼気迫る表情でそこにいる。
「神鳴流、決戦奥義!」
そして眼下では、膝を畳み、力を溜め込んだ刹那が、夕凪の刀身に幾つもの紫電を纏わせて立っている。
最大威力による同時攻撃。だがフェイトはそんなもの無駄といわんばかりに無表情でそれらを見据え、何かが迫る気配に咄嗟に視線を移した。
「うりゃあ!」
明日菜が虚空から全力でハリセンを投擲した。逃れようとして、その動きを楓の手が強引に押しとどめる。
結果、ハリセンはフェイトに直撃した。その体にダメージは何一つないが、ここで初めてフェイトの表情に焦りの色が浮かぶ。
障壁が全て破られた。
たちまち、己のアドバンテージが失われ、状況は一気に傾く。上空に太陽。下界に雷鳴。練り上げられた必殺を、この瞬間に叩き込め。
「極大雷光剣!」
「おぉぉ!」
楓の気と刹那の奥義が、その間に居るフェイトを挟むように飲み込んだ。虚空に発生した星の輝き。目を開くことも出来ない光は、間違いなくフェイトを捉えた。
やった。ネギは強敵からもぎ取った勝利を確信して拳を握りこむ。刹那と楓の全力を賭した、もう二度と訪れぬチャンスを生かした攻撃は、並の術者はおろか、熟練の達人ですら葬るほどの火力。
楓と刹那、互いの必殺は反発しあうように数秒もの間雷鳴のような音を響かせながら膨張していき、一気に消し飛んだ。
「危なかったね」
吹き飛んだ気の内部から、僅かに服を焦がしただけのフェイトが現れた。
絶句する。体にうっすらと火傷があるものの、フェイトはほとんど無傷といっていい様相であった。
達人二人の最大火力は、化け物の性能を上回ることが出来なかった。とはいえ、フェイトも表情とは裏腹に、内心は冷や汗ものだ。明日菜の無効化能力は先程見せてもらっていたので、それを踏まえて遅延呪文による障壁の即座の展開を出来るようにしていた。遅延呪文のほうも吹き飛ばされる懸念はあったが、呪文の構築式のみを固定。即座に魔力を流して展開という形をとったのが功をなしたらしい。
いずれにせよ、上手くいったのだから問題はない。フェイトは呆然と隙を晒す刹那に飛び込み、今度こそその顔面に痛烈な拳を叩き込んだ。
「がぁ!?」
女子にあるまじき悲鳴をあげながら、刹那は木っ端のように湖に飛ばされ、そのまま水柱を発生させて水底に沈んだ。
そのまま浮かんでくることはない。絶命したのか、あるいはまた別の要因か。ともかくたった一撃、フェイトの打撃が炸裂しただけで刹那は戦闘から離脱させられたのだった。
「刹──」
「人の心配かい?」
刹那を助けようとした楓の本体と分身の周囲に、無数の黒い刃が展開される。黒曜石の美しい輝きが千にも届く数。逃れえぬ刃の牢獄は、隙を晒した楓の逃げ道を完全に封じた。
「千刃黒曜剣」
宣誓と共に刃が殺到する。分身がいようがいまいが関係ない。千に届く刃が音を置き去りに迫った。
抵抗空しく、楓の体に刃は突き刺さる。分身は消滅し、残った本体も急所は守ったものの、体中に刃が突き刺さりウニのようになり、うめき声も上げられず楓は地に伏した。
「あ……」
ネギはその間、何も出来なかった。遅れて落ちてきた明日菜も、ハリセンを投げただけで限界だったのだろう。力なく倒れ、その目は閉じられていた。
一分にも満たない時間。
たったそれだけで、フェイト・アーウェルンクスはネギを残して周りを無力化したのだった。
「さて、残りは君だけだね」
「そんな……」
呆然と佇むネギにフェイトは向かい合う。保有する戦力の桁が違いすぎた。フェイトとネギ達の間には、やはり覆しようのない差があって。
それでも譲れないものがある。ネギは半ば呆然とした意識を引き締めて、強い決意の篭った瞳でフェイトを睨んだ。
「……許さないぞ!」
「ならどうする? 勝つつもりならそれは自惚れだよネギ・スプリングフィールド。咸卦法を使えるようになっただけの君では、僕を打倒することは出来ない」
「そんなことぉ!」
ネギの意志に影響されたように、咸卦のエネルギーが増大した。その能力の向上は、基礎スペックだけならばフェイトですら瞠目するほど。湖の水を波立たせるほどの力の濁流をかき集めて、ネギは体の赴くままにフェイトに突撃した。
瞬動もかくやという速度で駆けるネギ。なるほど、確かにその身体能力は、飛躍的といえるほどに向上している。
だが所詮はその程度。スペックだけで超えられない壁が存在する。
「うぉぉぉぉ!」
大振りながらも砲弾に匹敵する拳が走った。咸卦の光に包まれた拳を、フェイトは軽く手で流すと、その勢いを利用してネギの重心をずらして横転させた。
膨大なエネルギーを流された結果。ネギはただ横転するだけではなく、数メートル以上の距離を転がった。
「くっ!?」
「驚いているね。どうして自分が吹き飛ばされているかわかっていないっていう顔だ……なんてことはない。君より鋭角に、君よりスピーディーに、攻撃を流しただけの話だよ」
ネギの身体能力は確かに驚異的だ。だが所詮、その程度でしかなかった。
もしも再び同じ状況で小太郎とネギが戦ったのならば、間違いなく小太郎はネギを倒せるだろう。彼の敗北の原因は、予想外に向上した身体能力、つまりはネギの成長速度を知らなかったからだ。
しかし所詮は一発芸。そういうものだとわかっていれば、ただの身体能力の高い人間。つまりはただの獣と変わりない。
「それで? 終わりなら決着をつけよう」
「うぅ……」
勝てない。たった一合でネギはわかってしまった。身体能力で勝っていながら、それを活かす下地がネギには欠けている。これでは宝の持ち腐れに過ぎなかった。
そんなネギを無感動に見下ろすフェイトは、トドメを刺すためにその手に魔力を収束して、背後で爆発した魔力の嵐に振り返った。
「どうやら、チェックだ」
フェイトの視線を追ったネギもまた、その恐るべき姿を見た。
夜を引き裂く白銀の肉体。見上げるほどに巨大な体躯には、四つの腕と二つの顔がある。指先一つにすら異常な魔力が詰まっている鬼の化け物こそ、かつての時代、恐るべき恐怖を振りまいた鬼神。
リョウメンスクナがここに復活を果たしたのだった。
「……悪いが、君に構う暇がなくなった」
フェイトはそう言うと、どうにか立ち上がったネギを置いて空に飛んだ。ここに手札は揃った。状況も望める限り最高の舞台。
千草もまたわかっているのか。いや、わかっていないからこそか。尋常ならざる気配を漂わせた彼女の思考には、最早西の権力を剥ぎ取るという考えすらないのだろう。
青山。
恐るべき、青山よ。
「殺せ!」
千草は叫んだ。総本山から飛び出した影を睨み、怒りのままに吼えた。
「殺せぇぇぇぇぇ!」
鬼の狂気を具体したようだった。そして千草の狂気を再現するのが鬼神の役割。
光が集った。膨大な魔力を膨大なまま破滅に変換して、神の名に相応しき極限が顕現する。
世界を照らす恐ろしい光よ。正義の色を宿しながら破壊のみを宿す恐るべき魔弾よ。
この怒りを表せ。お前が刻んだ恐怖を。お前が刻んだ怒りを。この一撃にぶつけてみせろ。
「青山ぁぁぁぁぁ!」
千草の絶叫に合わせて、リョウメンスクナの口内に閉じ込められた魔力の爆弾が放たれた。怒りを束ねた咆哮が、一直線に遠くの影、青山目掛けて走った。
終末の光。神罰の一撃。まさにそう表現するに足る閃光に千草は暗い笑みを浮かべた。
殺った。アレは人間では抗いようのない破壊だ。それ以外に何とも言えぬ災いが青山を食らう。
死ね。
消えろ。
この世から。
「消えるんや。悪魔が……!」
だがそんな千草の願いすらも斬り裂くように、光の轟音すら斬り裂いて、鈴の音色が世界中に響き渡った。
その音に千草は小さな悲鳴をあげた。
青山。
お前はどうして死なないのだ。
「う、ぁ」
斬り分けられた光が二つ、軌道を変えて京都の街を爆発に飲み込むが、千草はそんな光景も目に入っていないようだった。
声を失う。鬼神の全力すら、青山という修羅には届かないというのか。突きつけられた現実に、ぎりぎりで保たれていた千草の意地が崩れ落ちようとして。
「まだだよ」
そんな彼女を奮い立たせる冷たい声が届いた。
「砲撃、続けて」
フェイトはそう千草に告げると、魔力を最大出力まで吐き出して、持てる最大の魔法の詠唱を開始した。
わかっていた。お前があれだけで終わるわけがないくらいわかりきっていた。
だからこそ後詰めをする。この距離、虚空瞬動ですら数秒以上はかかるだろう絶好の機会を逃すわけがない。
「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト」
世界を震撼させる歌声が轟く。災厄の証明を告げる。宣告するのは死、そのものだ。
「契約に従い我に従え奈落の王。地割り来れ千丈舐め尽す灼熱の奔流」
ネギはフェイトを中心に世界が震えるのを感じた。揺れはどんどん大きくなり、常人なら立つのも困難なほどにまでなっている。
世界が悲鳴をあげているようだった。フェイトの魔力は最早、地球という存在すらも隷属させているのか。いや、今から放つ魔法を思えば、その表現は決して比喩でもなんでもないことがわかる。
今からフェイトが放つのはそういった類の魔法だ。地属性魔法の最強。そう言っても過言ではないこの魔法は、本来旧世界と呼ばれるこの場所では使用すら禁じられるほどの究極の一手。
その絶対の威力を把握した千草も、フェイトの背中を信じた。ならば時間は稼ごう。青山という修羅を滅ぼすには、地球の怒りでようやく比肩するはずだという、訳のわからない確信が千草を動かした。
「出し惜しみはなしや! 徹底的にぶっ放すんや!」
千草の号令を聞いて、スクナが怒涛の魔力砲撃を展開した。無詠唱というのが考えられないほどの爆撃は、点ではなく面を抉る。結果、京都がさらなる被害をこうむり、幾つもの光が、眠る人々の安寧をぶち壊した。
それは戦争だった。個人と個人が繰り広げる、現代の国家郡ですら展開することの出来ない破壊活動だった。
空が震える。
大地が砕ける。
咆哮一つごとに世界が軋み、フェイトの魔力はなおも大地を泣き叫ばせた。
ネギには何も出来なかった。あの時と同じく、ネギでは何も出来ない遥か高みの戦いが行われる。
次元が違う。
格が違う。
蟻とゾウの背比べですら足りぬ絶望的な壁が広がっていた。
「滾れ。迸れ。赫妁たる亡びの地神」
だがそんなネギの虚無感など、当然戦いを繰り広げる者には何の影響も与えない。そして、フェイトの詠唱が終わった。
世界が吼える。怒号の如き爆音が京都を震撼させた。同時に爆発的な魔力が総本山を包み込み。
「引き裂く大地」
地が空を飛ぶ。マグマとなった総本山の直下が噴出して、防戦一方の青山を容易く飲み込んだ。どうすることも出来ずにマグマの海に飲まれていく青山。
だが。
だが、千草はそれで勝利したとは思えなかった。
「まだや! もっと! アレの魂が消し飛ぶまで打ち続けるんやぁ!」
千草はなおもスクナに号令を下した。主の命を受けて、スクナの砲撃が再開される。終わることなき光の雨が、未だに赤く爛れている総本山を吹き飛ばした。
散ったマグマが四散し、さらに二次被害が加速する。紅蓮はその手を広げ、突如降り注いだ恐怖に怯える人々を飲み込んだ。
その間にも、一般人には原理のわからない破壊の光が京都を穿つ。
「止めろ」
阿鼻叫喚の声が聞こえてくるような気がした。紅蓮に包まれている街の姿が容易に想像できた。
「止めろ……!」
悲鳴と怨嗟が広がるごとに、その負を吸収してスクナがより強大となり、砲撃はさらに威力を増して夜空を焦がす。
黒の空にデコレーションする赤色が見えた。燃える世界に佇む己をネギは見た。
「やめろぉぉぉぉぉぉ!」
立ち上がったネギは、怒りのままに杖にまたがり飛んだ。そしてスクナに飛び掛るものの、それをフェイトが遮る。
無常にも、怒りの拳は再び受け流されて、ネギは水面に叩きつけられた。
無力だった。
誰よりも無力だった。
魔法という、人よりも優れた力を持っているはずなのに、ネギは無力だった。
英雄、サウザンド・マスターの息子であるはずなのに、ネギは無力だった。
何も出来ないのなら、今も炎に泣き叫ぶ一般人と何が変わらない。
まるで変わらない。
お前は、まるで、変わらないのか。
「……違う」
己を責める声にネギは頭を振った。
違う。
そうじゃない。
そうならないために、強くなろうと。
そうだ。
「僕は……」
胸のもやもやが解消されていく。いや、解消はされていない。その正体が判明していく。
わかったのだ。わかっていたのだ。自分はこんなにも弱くて、全くの無力で。
だから、強くなりたかった。
誰よりも、強くならないといけなかった。
絶対に、勝利しなくちゃいけないから。
「勝つんだ」
水の中でネギは呟いた。
「勝つんだ」
でないと、再び惨劇は繰り返される。弱い己のせいで、燃える村が、崩れる大橋が、そして今まさに行われている惨劇が。
何度だって、行われるのだから。
「勝つ。勝ってやる。絶対だ。もう嫌だ。強くなる。強くなる。僕はもう」
──誰も失いたくない。
だからここで、弱い自分は死にさらせ。
「ラ・ステル・マス・キル・マギステル。風精召喚。戦の乙女100柱」
唱えられるのは、何の変哲もない普通の風の精霊召喚。だがネギは100にも及ぶ精霊を、あろうことか強引にその掌に押さえつけた。
咸卦法の出力によって、何とか押さえつけてはいるが、それでも暴れる魔法がネギの体からあふれ出して、その両腕の肉が引き裂け鮮血が周囲に漂った。
「術式、強制、固定ぃぃぃ……」
それでもネギは止めない。咸卦法の膨大な力を使用して、ネギは今まさに自ら死への会談を駆け上っていた。
ネギはわかっていた。最早、己の持つ手札だけでは彼らを止めることは出来ないことをわかっていた。
ならば、作り出せばいい。勝てるものを、圧倒的な切り札を。今ここで、作り出すしか勝利を得られないのだから。一度だけ見たあの恐るべき力。あれさえあればきっと、この状況を乗り越えられると信じて。
その先に己の体の崩壊が起きようとも。
「掌、握!」
惨劇を止められるなら、安いものだ。
瞬間、握りつぶした破壊力がネギの体を蹂躙した。悲鳴をあげることすら出来なかった。激痛は零秒の内に百以上頭の先から足先までを往復し、例えるなら血管を硫酸が流れているような心地だった。
つまり、死ぬ。
ネギの無謀は、咸卦法の時のような奇跡を起こさない。
だが奇跡は起きた。咸卦法のエネルギーは、自殺行為ともいえる主の行為からすらも肉体を守ろうと足掻いた。
その代償としてネギは無限の激痛を味わうことになる。自分が何処にいるのかもわからなくなった。ここが何処で、自分が誰で、そもそもなんでこんな痛みを受けなくてはいけないのかわからなくなる。
しかしネギは耐えた。血が出るまで歯を食いしばり、体中が取り込んだ魔法によって引き裂かれるのすら咸卦法のエネルギーで強引に修復しながら、まさに必死に耐えた。
死ぬわけにはいかなかった。
負けたくないから死ぬわけにはいかなかった。
だが割れていく。次々にネギを構成するあらゆるものが削られていく。取り留めのない日常がぽろぽろとその手からなくなっていくけれど。
勝つのだ。
その意識だけが。
勝つのだ。
その渇望だけが。
勝つのだ。
その願いだけが、ネギの存在を最後の最後まで保ち続け。
──そうだ。この杖をお前にやろう。
最後に、失ってはいけなかった言葉が何処かに消えた。
そして、無限でありながら、その実一秒にも満たない地獄が終わる。湖の底に沈んでいくネギの目が大きく開いたのと同時、巨大な水柱が発生した。
「君は、まだ……?」
現れたネギの姿を見て、フェイトは一瞬それが誰なのかわからなかった。
「……術式兵装『風精影装』」
緑色の風を纏ったその姿は、確かに見た目はネギなのだが、まるで別人のようでしかなかった。血に染まった服は、濡れているにも関わらず、流血の跡がはっきりとわかる。目と鼻と口、耳からも出血しており、血染めの顔はホラー映画にでも出そうだ。
まさに別人といった様相だが、何よりもフェイトを驚かせたのは、その瞳。
だがネギは構わずに己の状態を把握することにする。
兵装は何とか完了。代償として体内の血が随分と失われ、鼓膜は弾けて音は聞き取れない。さらに嗅覚は完全に失われ、口の中の血の味もぼやけている。視界も左半分は完全に失われ、脳髄は強引に押さえつけた魔法のせいで絶え間なく激痛を発している。
五感のうち四つが破損し、まともな思考も激痛のせいで難しい。
しかし、戦える。
ネギは咸卦法の力と、掌握した魔法の力を実感するように手を握り締めた。
本来は考えられなかった恐ろしい者が生まれる。どちらも究極の技法である咸卦法と闇の魔法。それを未熟ながらも、その溢れる才能と、ありえぬ執念で作り上げた化け物が、ついに生まれた。
「勝つんだ。僕は、絶対に勝つんだ」
ここに、兆しは生まれた。あどけない少年の面影は失われ、その瞳は──あぁ、なんということか。
「僕は、勝つ」
あらゆる光を飲み込む闇色。
「もう負けない」
それはまるで、青山の瞳だった。
─
術式兵装『風精影装』。
闇の魔法を見よう見真似で作り上げた新たな切り札は、正しくは術式兵装と呼ぶにはあまりにもお粗末な代物だ。
まず、スペック上の向上は一切ない。細かい違いをあげるなら、風の精霊を取り込んだことで、杖もなく自由に空を飛ぶことができるが、その程度だ。
実質、ネギ自体に変化はない。どころか、五感の内四つがほとんど使い物にならなくなっており、内、嗅覚、聴覚は完全に奪われた。味覚も怪しく、戦闘に重要な視覚も左半分が闇の中。さらには強引な術式を構築した代償に、脳が沸騰して、絶え間なく激痛を訴えている。
能力の向上という点では、ネギの闇の魔法は失敗したといってもいい。生きているだけで、ただ己をぼろぼろにしただけだ。
それでも曲りなりにも闇の魔法を模倣したこの術式は、充分以上の能力をネギに与えていた。体に纏う魔力の風、意志をもつ緑色の大気は、ネギの意識下に隷属されていた。
ここに、百の柱にて絶殺を行う。咸卦の光を宿したネギは、光を飲み込む瞳でフェイトを見つめ、指先を突きつけた。
「君を倒すよ、フェイト・アーウェルンクス」
「あぁ、あの忍者少女が名前を呟いていたね……それで? 大口はいいけれど、勝てると思っているのかい?」
だとしたらおかしい話だと、フェイトは咸卦の光と緑色の風を纏ったネギを見据えて、呆れた風にため息を漏らした。
だがその内心は決して油断していなかった。ネギと真正面から対峙しているのがその証拠。フェイトが恐れたのはネギの爆発的な成長力なのだから。
故に全力を出す必要がある。構えを取ったフェイトに対して、武術の心得がないネギは不恰好に構えるだけだ。
この期に及んで近接戦闘を行うつもりなのは、目に見えて明らかだ。策があるのだろう。何かしら、その身に纏う風を使った何かが。
──どうでもいい。ならば、その希望をへし折るため、また真正面から叩き潰すだけだ。
「来るといい」
フェイトの呟きは、鼓膜の弾けたネギには届かない。だがしかし、立ち上る魔力に反応して、ネギは足元に風を集めると、それを足場に飛び出した。
たちまち間合いは埋められて、その感情が込められたネギの拳が大きく振り上げられて放たれる。見え透いたテレフォンパンチ。先程と威力も速度もまるで変わらない拳を、フェイトは冷めた眼差しで見つめ、違和感に驚く。
ネギの拳がぶれていた。いや、ネギの体そのものがぶれていた。まるで幾つもの影を重ね合わせたように、像が定まらないネギの一撃。風を操った光の屈折による一種のカモフラージュか。一瞬の間にその現象の謎を把握したフェイトは、ならば像が重なるその中心に視線のピントを合わせて、ネギの拳に掌を走らせた。
他愛ない。この程度の児戯を行うなら、光を風で屈折させて透明にでもなったほうがまだ有効だった。そう内心で吐き出すフェイトは、遅くなった時間の中、ぶれたネギの拳にそっと掌を、合わせた。
ぶれている拳に、掌が重なったのだ。
「な?」
「おぉぉぉぉ!」
違和感に驚くその僅か、雄叫びを上げたネギの拳が、フェイトの掌を弾いてその顔面に炸裂した。
そのときありえぬ現象が起きる。
一撃ではなかったのだ。着弾したネギの拳は、驚くことにぶれた数の分だけフェイトの顔面に炸裂する。その数およそ十。一点に間髪入れず直撃した、咸卦法で威力を何倍にも増加されたネギの拳は、堅牢なフェイトの障壁をたわませるほどの痛烈な打撃をお見舞いした。
「な、に……!?」
フェイトは吹き飛びながら困惑する。風を屈折させただけのはずだった。だが実際はぶれたように見えた像すらも『虚像ではなく実像』。水面に落ちていくフェイトを追うネギは未だにぶれたままだ。
咄嗟にフェイトは石の剣をネギの周囲に展開した。無詠唱のためその数は百ほどだが、先程までのネギならば充分に落とせる数、それを問答無用で殺到させた。
ネギは反応こそ出来たものの、十本ほど打ち落としたところで剣に体を串刺しにされる。急所すらも貫いた石の剣は、人間ならばどう足掻いても必死。
だというのに、ネギはまるで剣など突き刺さっていないかのように動き出した。そのとき、脱皮でもするように緑色をした透明なネギが、剣が刺さった状態で五体、ネギの体から抜け落ちて消滅する。
「そういうことか……!」
フェイトはその現象を見て、ネギがどうしてぶれているのか、その現象の正体に気付いた。
術式兵装『風精影装』。これは術者の身体能力などの向上は出来ず、与えられるわかりやすい能力は、自由に空を動けることだけだが、この能力の真髄は別にある。
掌握した風の精霊。今回は百柱。この分だけ、ネギは己の体の内側に十秒間だけ、本人と寸分の差がない影分身を展開することができるのだ。だがこの影分身は楓が使うものとは違って、術者と同じ動きをするだけの分身でしかなく、さらには魔法を詠唱しても、本体のみしか魔法は放てない。
あくまで、術者の身体能力を模して、術者と同じ動きをするだけのものだ。それ以上でも以下でもない。
しかし、本来なら術者が受ける攻撃を、影分身で受けるだけのデコイとして使うこの術式は、咸卦法という究極技法によって使用方法は一転する。膨大な身体能力を術者に与える咸卦法によって、今やネギの身体能力はスペックだけなら神鳴流の一流剣士にすら匹敵するほどだ。
そんなネギと同じスペックを持つ影分身による、一点集中の同時攻撃。しかも攻撃の直前は分身が僅かに外に漏れることで打点をばらばらにすることが出来て、それが全て実体であるために、受けることは至難。
まさに今、近接戦闘という限定された状況下において、ネギは一流の魔法使いすら凌ぐ能力を得ていたのだった。
「フェイトぉぉぉぉぉ!」
それらの事柄を本能で理解したネギは、能力を最大効率で運用してフェイトに肉薄する。距離を開けることは出来ない。そしてフェイトであればすぐにでもこの能力の対抗策を思い浮かぶだろう。
その前に全力で殴り続ける。先程の剣によって削られた影分身を補充したネギは、フェイトもろとも、湖に激突した。
何度目になるかわからない、今日一番の巨大な水柱が発生する。外の轟音すら聞こえなくなる静寂の水の中で、ネギは己の周囲に風を展開して水による動きの阻害を排除。目の前のフェイトの胸倉を分身もろとも掴むと、空いた右拳で壮絶なラッシュを始めた。
「らぁぁぁぁぁぁぁ!」
水の中で空気が弾ける。一打ごとに十。十打ごとに百。百打重ねれば千。右腕一本で弾幕を展開していく。
人間には考えられぬ壮絶な打撃が、周囲の水を弾き、二人はそのまま湖の底に着地した。
湖がその一点のみ割れていた。古の賢者は海を割ったというが、ネギの拳はその領域に届いているのか。
まさに神の領域。拳という野蛮な武器一つで、ネギはフェイトに思考させる隙も与えず追い詰めていく。
だがフェイトもただやられるだけではない。両腕で体を庇い、壮絶なラッシュの最中、冷静に反撃の隙を伺っていた。
油断しないと決めながら、この様だ。結局、フェイトは何処かでネギはただの少年でしかないと見下していたのだろう。
そのツケがこの状況だった。ガードをした腕がそのまま急所になったような錯覚。咸卦法の出力と、闇の魔法の特異性。この二つが見事に嵌まったネギの実力は、既に学園の魔法先生の平均を遥かに凌ぐ領域に到達していた。
だがそんなことはどうでもよかった。
勝つのだ。
その意志と渇望だけが、脳髄を狂わせる激痛の中でネギを突き動かす。
勝たなければいけない。絶対に勝つしかない。勝つ。僕は負けない。敗北が惨劇に繋がるなら、僕はもう二度と負けるわけにはいかない。
「ぃぎやぁぁぁぁぁ!」
今も紅蓮と光に飲まれる、無力な人々の怨嗟の叫び。それを代弁したような雄叫びだった。
打つ。
ひたすら打つ。
反撃させぬ。打つ。
この拳で打つ。
打撃。
重なる打撃。
これが打撃。
「負けるか! 負けない! 勝つんだ! 勝つんだ! 僕はぁぁぁぁ!!」
ネギを中心に湖がどんどん押しのけられていく。ネギの執念が自然すらも崩していた。
だからわからないのか。
だから気付かないのか。
その執念。
人の業。
全てが積み重なったネギの全力は、今も砲撃を続けるスクナと全く同じ天災となっていることに。
気付いたところでどうだというわけではないが。しかしネギもまた一歩一歩、その領域に近づいていた。
修羅の領域。
修羅場へ。
「それで?」
フェイトはネギの拳を受け止める両腕の向こう側で、冷めた視線を送った。
ネギの動きが僅かに止まる。ガードされているとはいえ、今や容易に受け止められるものではないネギの拳を受けていたというのに、フェイトの表情に一切の動揺は見られなかった。
直後、地面が隆起して、幾つもの土の槍がネギの体に突き刺さった。
縫い付けられた肉体から、ネギは影分身を引き剥がして離脱する。だがその間にフェイトはネギから距離を離して上空に飛んでいた。
「逃がすか!」
おいやられた水が大波となってネギに襲い掛かった。濁流を掻い潜ってフェイトを追うネギに対して、フェイトは黒光りする剣を空に展開して迎え撃つ。
「千刃黒曜剣」
風を突き穿つ黒の弾丸がネギを襲った。降り注ぐ刃の雨。逃げ道など当然ない弾幕結界を、ネギはデコイを使用して強引に突破する。
迫れ。この拳さえ届けば勝てるのだから、愚直でもいい。この道を行くのだ。
光を飲み込む瞳の奥に、確固たる決意を秘めてネギは飛ぶ。だがまるで闘牛士のようにフェイトはネギの突撃をかわして、何度も剣の雨を放った。
削られていく。ネギのデコイは、すなわち火力とイコールである。つまり削られれば削られるだけ弱体化するのだ。
その弱点にフェイトも既に気付いていた。もしくはネギに無詠唱で撃てる火力のある魔法があれば、戦いの行方は違ったかもしれない。しかし所詮、ネギはつい先日まで、戦い方も知らない素人だったのだ。むしろここまで戦えたことが奇跡であった。
だが奇跡は続かない。戦闘の経験値。積み重ねた技量の差。それらがネギにはあまりにも欠落していた。
「さて、君のそれは何処まで続くのかな? 百? それとも二百? いや、あるいはもう底が見えているかもしれないね」
フェイトの独白はネギには届かないが、構わずにそのぼやきは続く。
「なんであろうが、無限ではないだろ?」
そしてフェイトの言葉は事実だった。確実にネギを貫く黒の弾丸は、ついにデコイの底が尽きたネギの肩を貫き、そのまま地面に縫い付けた。
「ぐ、あぁぁぁぁ!」
落下の衝撃よりも、貫かれた肩の激痛よりも、動けなくなった己が何よりも許せなかった。痛みなんて度外視だ。勝たないといけないのに届かない。負けたら全てがおしまいだというのに動けない。
悔しかった。
結局、届かない自分が悔しかった。
「うぅぁぁ……!」
「……君は頑張ったよ。正直、予想を超えたといってもいい」
だから、障害になるのだ。フェイトは再度刃の軍勢を展開した。動けないネギに確実な敗北を突きつける。つまりは死を。絶対の宣告から逃れようと、ネギは足掻くものの、突き立った刃はネギを逃さないように地面にしっかりと固定されている。
「さよならだ」
そして断罪の刃は落ちた。夜に溶けながら夜を斬り裂く弾丸が、抗う暇すら与えずに、ネギの視界を埋め尽くし。
それよりも早く、ネギの前に細い背中が立ちふさがった。
「やぁぁぁ!」
ハリセンを振りぬいた明日菜の手によって、弾丸が霧散する。それでも撃ち漏らした弾丸に激突するクナイ。放たれた方向を見れば、血染めになりながら、力を振り絞ってクナイを放った楓。
そして驚くフェイトを他所に、湖が再び爆発した。
「おぉぉぉぉぉぉぉ!」
水柱を振り払って飛び出したのは、背中から美しい二枚の白い羽を広げた刹那だった。遮二無二、一瞬の隙をさらし、さらにスクナとの距離が離れたこのタイミング。千草に捕まった木乃香目掛けて飛んだ刹那は、狂ったように砲撃を命じる千草を追い抜いて、木乃香を奪い取った。
「なっ……」
「お嬢様は返してもらったぞ!」
刹那は驚愕の表情を浮かべた千草にそう言うと、体を震わす砲撃を続けるスクナから瞬動を使って強引に離脱を果たした。
木乃香を庇いながら地面に落ちた刹那は、苦悶の表情を浮かべながらも、胸の中に抱く木乃香が、苦しそうながらも息をしているのに安堵した。
もしもあのままスクナの制御に木乃香の魔力を使い続けていたら、そのまま木乃香は魔力枯渇による死を迎えていたかもしれない。
だから確実に奪い去る機会が欲しかった。例え、人々が阿鼻叫喚に陥ろうとも、刹那はそれを堪えて千載一遇のときを狙っていたのだ。
──これでは青山を詰れはしないな。
刹那は自らの恥ずべき行いにそう自嘲した。だが刹那にとって、神鳴流であることよりも、大切な幼馴染を守ることのほうが大切だった。
ならばそれは人間として正しいあり方だ。何をしてでも少女を守るという強い決意。それがあれば自分はこの忌むべき羽だって広げられる。
そのまま起きない木乃香を抱きしめている。刹那がそうしている時と同じくして、ネギは明日菜のハリセンで拘束を解かれて立ち上がり、信じられないといった様子で明日菜を見上げた。
「一人でかっこつけんじゃないわよ! バカネギ!」
振り返らずに明日菜は声を荒げた。
「でも、僕、もう負けないって……だから、僕、勝つから……」
「それがかっこつけてるって言うのよ!」
明日菜はフェイトから一時も視線を放さずに、そのまま思いのたけを吐き出した。
「一人で出来ることなんてホンのちょっとだけ! それにアンタはただでさえガキンチョなんだから、もっと周りに頼りなさい!」
「だけど、僕……」
「私は!」
勝利という執念、それを口にしようとしたネギの言葉を遮り、明日菜は振り返らずに叫ぶ。その胸の内側に眠る相棒の証が、パクティオーカードがその叫びを伝えるために輝きを放って、聴覚すら失ったネギの心の内側に呼びかけた。
「アンタのパートナーでしょうが!」
その背中で、不屈を叫んだ。
「あっ……」
心の底から吐き出された明日菜の言葉がネギの心に染み渡る。それに合わせるように、全てを飲み込むような闇色の瞳が徐々に明るさを取り戻していった。
すっかり。
さっぱり忘れていた。
ネギは明日菜の背中を見た。細くて、でもとても頼りになる、強くて優しい背中だ。少女の可憐な背中は、どれだけ強くなろうとも、ネギよりも強く気高い。
誇りのある姿だった。
神楽坂明日菜に、ネギは太陽を見つけた。
「……はい」
そうだ。
そうだよ。
勝つのが目的ではない。
僕は、もう失わないように守るんだ。
それでも足りない部分は、頼りになる誰かが助けてくれる。タカミチが、明日菜のことを報告しなかったことを怒ったときに、言ってくれたではないか。
頼っていいのだ。
自分は子どもで、そんな人間に出来ることは少なくて、だから誰かの手があるのだ。
「ネギ! アンタにとって私は何!?」
明日菜が叫ぶ。
差し伸べられる手がある。
楓も言った。
超えなくていい壁もある。
刹那は言った。
ネギは未熟だと。
だから。
助け合うことで、僕は、僕らは進むんだ。
「明日菜さんは、僕のパートナーです!」
「……よく言ったでござる」
ネギの宣誓に突き動かされたのか、体に剣が刺さったままでありながら立ち上がった楓がネギの隣に立つ。
刹那も遠くから、ネギを見て頷いた。
そう、少年は一人ではない。
孤独の修羅では、ないのだから。
「僕達は……負けません」
何度だって立ち上がってみせる。守りたい人がいる。守ってくれる人がいる。全てがネギを取り巻いていて、ならば一人で何か出来るだなんてきっと嘘っぱち。
そんな彼らの絆に当てられたのか、フェイトは表情を小さく緩めたように見えた。
だがそれとこれとは違う。光を取り戻したのなら、その光ごと砕くのみ。
「悪いが、仲良しこよしは──」
おしまいだ。
そう告げるよりも早く、魂を震わせるおぞましい絶叫が響き渡った。
誰もがその発生源を見上げる。その先には、夜空を見上げながら、ようやく術者の束縛より解放された鬼神の姿があった。
魂から恐ろしいと感じる雄叫びの正体は、スクナがあげる歓喜の声だ。狭き封印から開放され、矮小な人間の支配から抜け出した鬼神は今こそ最大。今や京都中に巻き上がっている負の感情を吸い上げて、さらに巨大となったスクナは。
「え?」
すぐ傍にいた千草に、おつまみでも食べるように噛み付いた。
その口が何度か咀嚼を繰り返し、喉が動く。断末魔すら食い尽くされた。京都を地獄に陥れた術者の最後は、そんなあまりにもわかりやすい蹂躙によって完結した。
フェイトを覗いた誰もが、単純明快すぎる凄惨な光景に言葉を失った。
スクナの目が次の標的を狙って怪しく輝く。その両目が、この場で最も魔力の多い木乃香を見据えた。
「くっ!」
刹那が夕凪を構えて眠る木乃香の前に立つ。だが月詠との戦い、フェイトの一撃は、想像以上に刹那の体力を消耗させていた。
それがわかっているのか。スクナは刹那など障害にすら感じず、その四つの腕の一つを、眠る木乃香目掛けて延ばした。
そして、鈴の音色は響き渡る。
「ッ!?」
最初に反応したのはフェイトだった。遅れて、スクナの腕が最初から繋がっていなかったかのように、肩から斬れて湖に沈んだ。
四つの腕が三つに減る。痛みすら与えぬほどに鋭利な斬り口は、誰にでも出来るような技ではない。
戦慄する。
驚愕する。
圧倒的な火力を遠距離から叩きつけた。そしてフェイトは自らが持つ最大の札も晒した。
だというのにお前はいる。
凛と歌って立っている。
「……生き延びたのか」
フェイトが呟く声は、鬼神の怒りの声に遮られた。その怒りの全てが、この状況に現れた規格外に向けられる。
体中が土と泥に汚れ、火傷の跡が幾つも残っている。だというのに足取りは確かで、薄汚れた乞食のような服装ながら、手に持つ刀は妖艶とした色気を放っていた。
ここに、舞台を演出した脚本家にして、機械仕掛けの神の役を担う男が現れる。
だからここからは素晴らしい絆の入り込む余地などない。
いっそ、断言しよう。
ネギが得た絆など、その才能には全くもって意味がないと声を大にして叫ぼう。
その果てがここにいる。
その終末がここにいる。
何処までも己と向かい合い、周囲の全てから影響を受けず、ひたすらに天才の才能を磨き続けた人間がここに立つ。
凛と歌え、斬殺の音色。死ぬ間際に放たれる美しき音色よ。
「間に合った」
間に合えた。
底のない黒い瞳がスクナとフェイト、そしてぼろぼろのネギを最後に捉えた。
食指は──何故だろう。今は動かない。だが熱に狂った男にはそんなことはどうでもよかった。
楽しいのだ。
とてもとても。
涙が出るほど楽しいんだ。
「く……ふぃ」
得体の知れぬ鳴き声が男の口から漏れた。肩を揺らして、眼前で敵意を撒き散らす極上達を前に、表層に現れている自意識なんてたちまち吹き飛んだ。
やっぱしあの時、君を逃がしてよかった。そのおかげでこんなにも楽しいことが起きている。麻帆良に着てから、楽しいことばかりで幸せすぎだ。この地獄に、この修羅場よ。めくるめく夢のはざまに、修羅の雄叫びを響かせる。
あぁ、この気持ちをなんと表現しよう。喜びを表すには言葉が足りない。何から語ればいいのかもわからなくて、嬉しさが充満して。
願うのは、そう。
「斬って、斬って」
ばーらばら。