【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

15 / 80
第六話【愛の斬りかた】

 

 あくまでただの一説にすぎないが、人の善悪が形成される状況を語ろう。

 

 人間は生まれの環境でその善悪が決まる。その人間が生まれながらの悪か、もしくは善なのかはわからない。赤子は純粋無垢。善悪もなく、赤子は周囲のものを見て、己の中に善悪を育む。

 哲学的な話ではない。誰でもそういうものだろうなぁと、ある程度は納得できる程度でしかない一般的な話だ。それが全てだとは言わないが、それが大きな要因になるのは事実である。

 では、青山はどうなのか。

 幼少時、青山という肉体に芽生えた自我。前世の知識や常識があるということは、つまり青山には最初から善悪が形成されていると言ってもいいのだろうか。

 答えは否。

 青山は純粋無垢な赤子のままである。知識や常識を知り、幼少の頃から成人と同じ精神年齢に達していながら、青山には善悪がない。それは善悪を知らないというわけではなく、善悪を知りながら、それら全てをただの知識や常識として当てはめているだけだからである。

 彼と赤子の違いはそこだ。赤子は知らないからこそ純粋であり、青山はそれらを知りながら、経験したという実感がないゆえに、純粋なままだった。

 ならば青山が経験していくのは一体なんなのか。何が青山の経験となるのか。

 答えは簡単。青山はあらゆる環境が見知ったものであったからこそ、その中で自分が知らなかった己の肉体、青山が育み、ついに生み出した歴代最強の才能のみに魅せられた。

 つまり、青山が経験として積み重ねているのは、極論として言えば己の肉体、ただそれのみである。

 周りの全ては、天才の肉体を育む栄養でしかない。赤子であれば、それら栄養を得ると同時に、自身にとって未知である知識や常識を、新鮮なものとして経験に積み重ねるだろう。

 だが青山にとって知識や常識は既に在るものだ。素晴らしい正義も、許せぬ邪悪も、あらゆる一切が、一般的に見知ったものであるため、経験として反映されない。

 全ては青山の肉体のみに反映し、青山の内側にある魂にはまるで響かなかった。

 あるいは、それでも青山の肉体に匹敵する天才が、成熟した形で傍につき彼に何かを与えれば、青山の魂はそれらを経験として培ったかもしれない。

 だが、青山はあまりにも天才だった。それこそ、歴代最強と言われていた鶴子の言葉すら響かないほど、青山にとっての青山の肉体は素晴らしすぎた。

 その果てに青山は完成してしまった。肉体の才能のみで、己の中のありとあらゆる全てを構築しきったのだ。

 才能の名前は斬撃。

 ひたすらに斬るということに特化した肉体からのみ経験を得た、前世を持つだけというつまらぬ魂は、容易く肉体に汚染される。

 だから、死んでも彼の思考は決して変わらない。魂がなくても、そもそも肉体に主導権があるというのに、一体何が変わるというのか。

 いや、変わってはいるのだろう。青山の中はほぼ十割が斬撃というもので構成されていたが、僅かにだが善悪の常識はそこにあった。それはもしかしたら前世の魂が叫ぶ最後の良心だったのかもしれないし、失われた前世の経験が訴える周囲への懇願だったのかもしれない。

 だが今やその最後の良心すら、フェイトとスクナ、世界有数の戦闘能力をもつ者によって殺された。再び殺されてしまった。

 誰もが見誤っていたのだ。前世というありえぬ要素ゆえに、誰もが見誤る。

 青山は終わっている。

 だがそれは青山の魂が終わっているわけではない。

 もしも前世の魂。それも普通の知識と常識しか持ち合わせていない彼のことを知れば、おかしいと誰もが気づく。

 ただの凡人に過ぎない魂が、本当に人間の可能性を極めることができるのか?

 そんなあまりにも当然な考えに。

 誰も、この先だって永遠に気付くことはない。

 青山の魂は、肉体を純粋培養するための鎧でしかない。経験を積み重ねない無垢な鎧は、成長し続けるだけの肉体に格好の揺り篭だった。

 終わっているのはその肉体。

 凡人が魅せられた、その体。

 その魂が戦いの果てに剥がされ、むき出しの肉体が露になる。これまで、タカミチやフェイトを含めた味方と敵が見てきた有り様は、なんてことはない。フィルター越しにぼやけた姿でしかなかった。それでもあの様この様こういう様。言語に出来ぬ姿に言葉すら失ったのだ。

 本当の姿を知っている者は、少ない。

 破壊という結果に狂った、極限の災厄にして生きた破滅、酒呑童子。

 戦いの果て、その才能を開花させながらも、善悪の価値観に踏み止まった、青山素子。

 圧倒的な実力をもつ化け物ながら、誇りある悪として人間であり続けた、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 一体は破壊もろとも斬られ。

 一人は終わりの光景に恐怖して引き返し。

 一匹はその斬撃に目覚めさせられた。

 そして今。

 再び、青山という終わりが顕現する。

 この様なのだと。

 この有り様なのだと。

 何も言わず、有り様だけで歌う。

 

「……これが、こんなものが、人間なのか……!」

 

 フェイトは嘔吐するようにそう呟きながら、ゆっくりと近づいてくる青山を近づけさせないように、弾幕の密度をさらに増大させた。降り注ぐ剣槍弾雨。体を入りこませる隙すらない黒曜の閃きと、それらを飲みこむ極太の白光。誇張なく一瞬で山を更地に変える戦略級魔法に晒された青山は、しかし悠然と歩を進めながら凛と音色を奏でて迫る脅威を斬って捨てた。

 恐るべきはその技量か。

 否。

 ここまでの絶技を、言葉に出来ない有り様で振るうことが出来ることが、フェイトには何よりも恐ろしかった。

 人間の可能性。

 フェイトはいつか造物主が独り言のように呟いた言葉を聞いていた。決して侮ってはならない。彼らの愚直な信念こそ、停滞した我らを超える愚かな前進なのだと。

 侮れぬ、どころではない。

 こうまで愚かな結末が人間には許されているというのか。

 こんな有り様を晒す人間という種を。

 こんなもののために、僕達は幸福な世界を作り上げなくてはいけないというのか。

 

「君が人間……? 人間の可能性だって……!?」

 

 そんなことを認めなくてはいけないのか。

 こんな奴を人間と思わなくてはいけないのか。

 

「ッ!」

 

 フェイトは頭を振った。

 そうではない。

 これは特殊な例にすぎない。それも、人知が介入できない、同じ状態なんて二度と現れないバグ。造物主の意志すらも超えた得体のしれない超常的な何かが犯した最悪のバグ。

 おぞましき禁忌。

 許されぬ外道。

 青山の有り様をフェイトとスクナはようやく言葉に出来た。

 合点した。歯車が噛み合ったように、その姿を、その有り様を表現する言葉を理解した。

 

「修羅」

 

 人でありながら、真っ直ぐに狂った斬撃。

 その様に。

 この様に。

 修羅という言葉以外に何が当てはまるというのか。

 

「青山ぁぁぁぁぁ!」

 

「■■■■ッッッッ!」

 

 作られた人形と、人ならざる鬼の神。

 皮肉なことに、青山という人間を今この場で誰よりも理解しているのはこの二つだけだった。

 そして理解したが故に悟る。

 青山に斬られてしまうという絶望的な結末を。

 だが理解したからといって許容出来るわけがない。フェイトは己を鼓舞するように敵の名を叫び、スクナも同じく咆哮に呪詛を乗せて青山へと叩きつけた。

 年月を重ねた鬼神の叫びは、それだけで命ある者の魂を圧搾する。だが青山は驚くことに、まるで斬るまでもないと、呪詛をその一身に受けた。

 だが動く。当然だ、呪詛を受けて潰れるべき魂は既に死を迎えている。今更そこに何を与えようが、既に死んだ魂に何が出来よう。甦らせることが出来なければ、最早青山に呪詛は聞かない。

 死してなお、斬撃。

 この男を本当の意味で殺すには、その肉体を物理的に消滅させる他なかった。

 

「■■■■ッッッッ!」

 

 ならば消し飛ばしてみせよう。あえて身を乗り出したスクナが、残った二つの腕に膨大な魔力を収束した。それは一瞬で夜を照らす白色の刃と化して掲げられる。剣には剣を、シンプルな思考故の結論ながら、先程まで放出という形で放っていたエネルギーを一点に集めた火力は想像を絶する。

 常人なら見ただけで眼球が煮え、肌が沸騰し、側によれば溶けきってしまうような力の塊。

 熱量と化した呪い。

 言語を絶する渾身を見上げるのは、小動物のようにくるくると喉を鳴らす青山だ。その黒い眼が何を思っているのか。迫る脅威に対して、その手に持つのはあまりにも矮小な刀が一本。

 それだけで全てが充分だった。

 直後、弾幕に晒されていた青山の姿が消えた。そしてスクナの腕がさらに二本斬って落ちる。収束していた力は虚空に放たれ、夜空に輝く星の一つとなっていた。それを見送る暇もなく、フェイトとスクナは刃を振るった青山を凝視している。

 だがどうやって斬ったのかフェイトとスクナの目にはほとんど追えなかった。

 エヴァンジェリン戦でも見せた、一歩ごとに虚空瞬動を行い三次元の動きを可能とした信じられぬ歩法。技の入りの隙を見せぬ瞬動を連続して行う異常は、あのエヴァンジェリンすら逃れることが出来なかった速度という名の檻。

 それがスクナを中心にして展開されていた。音すら引き裂いて空を縦横無尽に走る青山に対して、点では捉えられぬと判断したスクナは体の内側に魔力を収束した。

 スクナが発光した。体を中心に全方位に吐き出された光が湖を蒸発させ、天を砕き木々をなぎ倒す。

 最大火力を面に放つ。青山はおろかフェイトすらも範囲に巻き込んだ極限の輝きが、世界を真っ白に染め抜いた。

 だが響く。

 凛と響け。殺戮の音色。

 

「くぃ」

 

 ありえぬ光景が展開されていた。

 鳴き声をあげる青山が、押し寄せる光を斬り分けながらスクナとの距離を詰め始めていた。膨大な魔力の爆発は、弾道ミサイルが爆発したような火力だ。それに青山は真っ向から食いつく。目を見開き、呼気を荒げて。

 

 斬。

 

 閃光が収まる。障壁を全力で展開していたフェイトは、再び暗黒に戻った世界で信じられないものを見た。

 蒸発した湖に立つスクナの首が二つとも失われていた。そのままゆっくりと沈んでいく鬼神の肉体の上空。月を背中にくるくると回る二つの顔と、くるくると喉を鳴らす青山が、月明かりを背に踊っていた。

 

「……」

 

 両手を広げて鬼神の顔面の上に立つ青山が、眼下のフェイトを見下ろした。

 ゆらりとその右手に握られた十一代目が煌いた。

 月光、月下。

 刃の揺らめきよ、今宵、最後の敵手の喉を食え。

 

「うぉぉぉぉ!」

 

 フェイトは石化の杭をさらに展開して青山に叩きつけた。青山はスクナの首を上空に蹴り飛ばしながら、その反動でフェイトに突撃した。杭は歌声とともに斬り落ち、今やあらゆる攻撃が無に帰っている。

 無詠唱で放った石化の光すらも青山の刃は斬りながら迫る。

 スクナという駒を失った。最早、青山を倒す術はないというのに、逃げることも出来ず、当然ながら斬撃に酔う青山がフェイトを逃がすわけがない。

 何故か、己いうものを身近に感じた。どうしてなのかもわからずに、フェイトも虚空瞬動を繰り返しながら、青山と距離を開けつつ応戦する。

 光が幾つも弾け、消えていった。閃光が舞い散る。まるで打ち上げられた花火のように美しい光だった。

 青山が怖かった。斬るということに完結した修羅の在り方に恐怖した。無表情の下、手は萎縮し始め、呼吸は荒くなり、斬られたくないという願いが生まれる。

 何故だろう。脳裏に浮かぶのはなんでもない光景ばかりだった。気まぐれに助けた少女達とのくだらない会話や、日常の風景。壊してしまった村や街を無感動に見つめながら、そんな自分に寄り添う彼女達。

 浮かぶのはそういった類のものばかりで。どうしてか、完全なる世界という使命に着いては全くもって浮かばなかった。

 

「僕は……」

 

 ただ、死にたくなかった。

 

「僕は……!」

 

 生きることを、願っている。

 何にも感じなかった全てがフェイトを構成していた。記憶は次々にさかのぼり、あのコーヒーの美味しさすら知覚する。

 それら全てを青山にも覗かれている。

 最悪だった。

 恐怖と同じくらいに怒りがこみ上げてきた。

 今、お前が見ているものは自分だけのものだ。誰でもない、フェイト・アーウェルンクスのみに許された記憶を。

 

「君みたいな終わっている修羅が……! 勝手に覗きこむんじゃない!」

 

 フェイトは吼えた。青山は無言で追いすがり続ける。

 戦いは激化する。時間にすれば一分もない程度の時間。青山に打ち上げられた鬼の頭は、僅かに残った湖の底に落ちて四散した。

 それに連鎖するようにスクナの体が淡い光になって空に舞い上がっていった。まるで蛍の光が何千も空間にひしめく幻想的な光景の中、フェイトと青山の戦いはなおも苛烈さを増していく。

 いつの間にか、フェイトは青山と拮抗していた。

 杭と剣を織り交ぜながら弾をばら撒き、見えない斬撃すらも本能で予知して回避している。青山もただでは終わっていない。既にフェイトの放つ弾丸を見切り始め、斬るでもなくその隙間を掻い潜って、肉薄していた。

 それは同時に、十一代目の限界が近いということでもあった。

 度重なる砲撃と魔法。そしてスクナの命を斬った十一代目に、とうとう底がないように見えた限界が見え始めてきていた。

 だがそんなことを知らぬフェイトは、遮二無二、魔法を放ち、拳を織り交ぜていく。技術に裏打ちされた武と、死角から青山を狙う石化の杭と、鋭利な剣によって、近接戦闘で反撃を行えるほどにまで、少年は成長していた。

 極限の戦いが、互いをより強く磨いていく。青山はさらに斬撃の速度を上げていき、フェイトもその速度に呼応するように、感情の篭った拳と魔法で応戦する。

 斬られはしない。

 斬って、斬る。

 相反する意志がぶつかりあった。拳は肉体を撃ち、刃は肉体を斬る。

 届かない。青山はぎりぎりでフェイトの願いに届かぬことをどう思ったのか。無言のまま口元をゆがめた。

 誤算どころではない。

 驚嘆すべき奇跡と出会っていた。

 青山は今、段飛ばしで道を駆け上るフェイトを感じていた。

 斬られたくないからこそ、その場所へと走っていく。

 この場所よ。

 冷たくなっていっている。

 思考が凍り、空気が凍り、世界が凍りつき、動くのは互いの肉体のみ。

 修羅場。

 修羅場がある。

 月に昇りながら、二人は拳と刃を合わせた。

 大砲を凌ぐ拳が青山の眉間に走る。蛇のように追いすがる拳を頭を引いて避けるが、鼻にかすっただけで鼻骨が砕けて鼻血がほとばしりだそうとする。しかし流血よりも速く青山の返しの刃が筋を幾つも空間に走らせた。

 幾つかは予測のままに避けきったが、走らせた拳が半ばから吹き飛び、切断される。天高く飛んでいく己の腕を見上げる暇もなく、斬撃の隙を晒す青山の脇腹をフェイトの蹴り足が襲った。

 骨が軋み、へし折れ、砕け散る。内臓まで損傷したのか。口からも血を吐きながら青山は弾かれるまま空に飛んでいった。

 追撃の魔弾が青山を追う。避けようもない弾丸豪雨。掻き消えたように走った十一代目が凛と歌った。かすれたように聞こえるのは限界が近いからか。

 構わない。

 構うまい。

 意識もなく青山はそう考えると、虚空瞬動で再び間合いを詰めた。

 激突。束ねられた黒曜石の刃を斬りぬいた先、左腕に魔力を充填したフェイト待ち構えている。

 

「石の槍」

 

 斬り裂かれた黒の刃が一瞬で集まり、巨大な黒の槍衾となって青山を貫いた。槍の結界に飲まれていく。しかし内部から奏でる鈴の音。なおも尽きぬ渇望を吐き出して、青山が外に飛び出した。

 限界は超えた。圧倒的格上に死力を尽くすフェイトも、スクナとフェイトという、一体一体なら倒せるものの、タッグを組んだのならば己に拮抗する化け物に不利な遠距離戦を演じた青山も。

 どちらも尽きかけ。

 だというのに。

 青山よ。

 お前は未だ、斬るというのか。

 

「くひっ」

 

 月を背中にした青山は、その問いに答えるように、影の下の口を三日月に変えた。魂が死してなお、魂が死したからこそ、欠落した無貌に浮かぶ魔性の笑み。

 

「くぃ、ひぃぎぃ。いひぃ」

 

 聞けば耳が斬り落ちてしまうようなおぞましい声を上げて修羅が笑う。手に掴んだ鉄の感触を刹那に確かめて、眼下、唖然とした少年に向けて天に掲げる大上段。

 死して放つ死の呼び声。命を斬り取る刃の冴えは、最後の煌めきを求めて夜を行く。

 

「……あ」

 

 フェイトはその様に何故か見惚れてしまった。影を射すその体。傷つき、朽ちたその肉体が妖艶に動く様のなんと見事なことか。天に突き立つ鋼の濡れ様。あらゆる斬撃に晒されて傷ついた刀身は、それでも尚、斬るという歌を響かせた。

 ゆらり揺らげよ波紋の歪み。

 この月下、お前の刃に酔わせてしまえ。

 青山が飛んだ。鬼神の命が舞い散る空の中、まるで月を踏み台にしたように飛んできた。

 月の明かりと星明り。そして彩る命の欠片。

 この刃の冴えに落ちる。流星と突き立つは刀。

 

「青山……」

 

 フェイトは何となくわかってしまった。

 これで終わる。

 これが終わり。

 終局に至る鋼。至ったからこそ刃。

 斬るからこその青山。

 死ぬのだ。

 斬られてから死ぬのだ。

 わかりやすい絶望にフェイトは全てを手放しそうになる。斬られるという恐怖に体がすくみあがり、流れるはずのない涙だって流れそうになった。

 あぁ、斬られるのか。

 僕はここで、全てを丸ごと、この人間に斬られて、死ぬんだ。

 嫌だった。

 そんな結末なんて、嫌だと、強く強く。

 祈るように強く思った。

 天啓が脳裏を走ったのをフェイトは感じた。

 

「……そっか」

 

 願い、祈る。生まれて初めて己の命を思った直後、フェイトの表情は豹変した。こわばった顔は穏やかなものに変わり、霧が晴れるように、少年の中に渦巻いていた恐怖や絶望といったものが消えていった。

 僕は、生きている。

 生きているから、動けるから。

 

「……だから、生きる」

 

 フェイトの瞳が強い光を宿した。そして一秒が一年にまで延びる。渇望がフェイトを変えた。この刹那、斬られることを強くわかったそのとき、誰よりも何よりも、生きているという祈りを抱いた。

 そして。

 美しく彩られた幻想の夜空、互いに時間を置き去りにした空間で、フェイト・アーウェルンクスと青山は最後の激突を果たす。

 フェイトが取り出したのは漆黒の刃。瞬間で出せる武器などそれだけで、だからこそフェイトは持てる全てをその刃に込めることが出来た。

 

「……!?」

 

 青山もまたフェイトが取り出した剣が、これまでとは違うということを悟った。

 全てを込めるのだ。フェイトとして生きてきたこれまで、そしてフェイトとして紡いでいくこれから。

 その全てを、このちっぽけな剣に託す。

 フェイトの体が零秒も経たずに萎んでいくのが青山にもフェイトにもわかった。存在が失われていく。魔力や気という非常識すら超えた非常識が行われていた。今、彼はただ造物主に作られた人形ではなく、ここに生きる一個の命として、その全てを叩きつけている。

 故に、この直後フェイトは死ぬ。青山に斬られなくとも、フェイトはこの零秒に全てを叩き込んだため、最早その寿命などあってないようなもの。

 ただただ無限に引き伸ばされた刹那の時間だけがフェイトに残された全てだった。

 それでも構わないと、意識すらも刃に飲み込まれながらフェイトは思った。命の全てが消えていく今に至り、フェイトは己が生きていることを悟った。

 きっと。

 きっと、そういうことなんだ。

 悟る。そしたらほら、恐るべき青山すらも、もう怖くない。

 

「フェイト……」

 

「青山……」

 

 互いの名前を呼びながら、二人は徐々に距離を詰め始めた。

 思うことがあった。

 あらゆる思いがあった。

 青山もまた思う。この瞬間、この奇跡に涙しよう。祈りの果て、願いの結末。生きているという渇望を手にした、人間になった御伽噺の人形の奇跡を祝福する。

 人形を越えて人間となった少年の輝きを前に、青山も己の渇望を吐き出した。

 祈りがあった。

 何よりも尊くて、犯すことの出来ぬ不浄の光がそこにはあった。

 生きるという喜び。渇望する未来。

 青春の絶頂がここ。

 応じるのが鋼。

 刀と斬撃。

 

 

 愛の斬りかた。

 

 

「僕は、生きてるんだね」

 

「君が生きているよ。フェイト」

 

「そうか……うん。そうなんだ」

 

 冷たい空気を奮わせる鈴の音色。結末した生存が奏でる、この世の何よりも感動的な歌声が、紅蓮の京都を包み込む。

 それまで泣いていた子ども達が空を見上げた。

 痛みに唸る老人が空を見上げた。

 救助をする大人達が空を見上げた。

 寒空で肩を寄せ合う家族が空を見上げた。

 無力に苦しむ狗神使いと、斬撃に食われた少女が空を見上げた。

 京都を焦がす紅蓮すらも空を見上げた。

 阿鼻叫喚に狂う呪詛すらも空を見上げた。

 ありとあらゆる全てが空を見上げて、その歌声に酔いしれた。

 

「綺麗な、歌声だ」

 

 そして離れた場所。ネギが咄嗟に立ち上がり、左目からそっと涙を流した。

 歌声は遠く、遠くまで伝わる。

 刹那、命を宿した人形の奏でる、優しく、暖かく、とても悲しい音色に酔った。

 命が消える。無限の刹那を生きたフェイトは、己の内側から奏でられて消えていく命を聞いて。

 そっと笑った。

 無邪気に笑った。

 

「僕は、生きたぞ」

 

 フェイトの呟きに呼応して、役目を終えた十一代目が、拍手を送るように甲高い音をたてながら砕け散った。

 降り注ぐ斬撃の亡骸に眠る。生き続ける少年の囁きこそが、この歌声を上回る極上のラブソング。

 

「あぁ、だから、君の勝ちだ」

 

 青山は、最後まで生き続けた少年に、惜しみない賞賛を贈った。

 生き続けて死ぬ勝者。

 斬り抜けずに死なした敗者。

 歌声は瞬きよりも一瞬。青山は笑顔のまま目を閉じたフェイトの体を、優しく両手に抱きしめた。

 

 少年の全てが込められた黒い刃は、己を誇るように空を舞う。

 

 抱きしめたフェイトの体からは、温かなコーヒーの匂いがした。

 

 

 

 

 ──ここに、京都を震撼させた戦いは、勝者のなき決着を迎えるのだった。

 

 

 

 

 

 吹き抜ける風、広がる草原と、天高く広がる太陽の下。

 二つの影が手を振っている。何が嬉しいのかわからにけれど、とてもとても、見てるこっちが呆れるくらい、とても楽しそうなその姿。

 僕は、その影を見ながら、椅子に座ってコーヒーを飲んだ。

 口に染みる温かな苦みと、鼻をくすぐる優しい香り。

 だきしめられているようなしあわせのあじ。

 あぁ。

 生きているなと、いつまでも。終わらない刹那に望む。止まったままの祝福の中。

 

 眠るように、目を閉じた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。