【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

18 / 80
【無貌の仮面━無色斬撃━】

 

 京都の後処理が慌ただしく行われる中、その夜、近右衛門に麻帆良に在住する魔法関係者は呼び出された。

 京都事変でただ一人活躍した者を紹介する。彼らを呼び出した理由はそれだけであり、そしてそれだけで呼び出すに十分に足ることであった。

 学園の象徴とも呼べる世界樹前にある広間。太陽もすっかり隠れて夜になり、人払いの結界によって寂しくなったその場所。僅かにざわつく彼らの中で、葛葉刀子は半ば直感とも呼べるもので愛刀をこの場に持ってきていた。

 

「ピリピリしていますが、何かありましたか葛葉先生」

 

 そんな彼女のことを気にかけて、魔法先生の一人であるガンドルフィーニが声をかけてきた。

 

「……いえ。多分、気にしすぎだとは思うのですが」

 

「何かあったのですか?」

 

 ガンドルフィーニは表情を引き締めて問うが、刀子は心配させまいと身体の緊張を解いて小さく笑った。

 

「もしかしたら、京都の件でナーバスになっているのかもしれません。京都は私の故郷のようなものでもありますから」

 

「あぁ……そういえば葛葉先生はあちらで剣を習っていらっしゃいましたね」

 

 無遠慮で申し訳ないとガンドルフィーニは頭を下げて、刀子は笑みを浮かべたまま「こちらこそご心配かけました」と謝罪を口にした。

 京都の件は神鳴流の剣士であった刀子にとってもショッキングな出来事であった。しかもそれが裏の事情による出来事となれば気にしないほうがおかしいだろう。

 それでも、表面上も内面でも刀子は落ち込みはすれど、その強靭な心で何とか踏み止まることが出来た。今はただ京都の件に尽力しようと、そう決断できるくらいにはなれた。

 だが、この嫌な予感は別のものだ。以前もこんなことがあった。確か昨年度、自分にとって決定的に最悪な何かが訪れたような危機意識が芽生えたが、それは杞憂で終わった。

 

「考えすぎ、か」

 

 刀子は風に溶けるくらい小さく呟いた。

 わざわざ護身のために武器まで持ち出すまでもなかったはずだ。そう結論付けて、とりあえず今は京都に訪れた災いを払った、現代に現れた新たな英雄の登場をお待ちしよう。そんなひねくれた考えをしながら、刀子もまた周囲と雑談をしながら待っていると、まず近右衛門がタカミチを連れたって現れた。

 雑談が終わり静寂が戻る。近右衛門は周囲を見渡すと、まず軽く挨拶してから、普段とは違って真面目な雰囲気をまとって話し出した。

 

「まずは京都の件。ここでの業務をしながら尽力してくれたこと、誇りに思う。ワシも君達のような立派な魔法使いが居ることを誇りに思う」

 

 近右衛門は、義理とはいえ息子を失ったも同然であるというのに、悲しみなどおくびにも出さなかった。強い口調で全員を見渡し、京都の惨状。そしてこれから行うべきことへの心構えを語り、彼らはそれを静聴する。

 

「じゃがこの件。突き詰めればワシや一部の上層部の怠慢が起こした結果じゃ。何の危機意識もなく、刹那君とネギ先生、瀬流彦先生に委ねたワシの怠慢。内部で暴走を起こした西の怠慢。その怠慢に君達を巻き込んだことも、あわせて謝罪させてほしい」

 

 すまなかった。そう言って近右衛門とタカミチは頭を下げた。

 だがそれを責めることが誰に出来るだろうか。言葉もなく彼らは謝罪を見続け、我慢ならなくなったのか、ガンドルフィーニが「止めましょう学園長。それを言うなら私達全員に非がある」そう言って頭を上げさせた。

 京都の事件は、魔法という隠され続けているものが引き起こした災いだ。結局、それを公表せずに今も隠し通すことを選択している時点で、彼らもまた同罪と言えた。

 

「いや、正確には私達大人の責任ですね」

 

 ガンドルフィーニは今だ学生の身分である少女達を思って、そう訂正した。生徒の一人である高音・D・グッドマンが何かを言おうとして、刀子が首を横に振って発言を抑える。

 悔しそうに高音は俯いた。魔法が使えようが、彼女達子どもに非はない。責任を取るのが大人ならば、少女が罪悪感を覚えるようなことはさせたくなかった。

 

「……さて、話は変わるが、京都では確かに災害が訪れた。軽く話を聞いたのじゃが、封印されていた鬼神が解放されて、術者とともに京都を焼いたそうじゃ……被害は甚大じゃったが、それでもその事件に一人で立ち向かった者が居る」

 

 重くなっていた空気が一瞬でざわめき声に包まれる。呼び出された理由で知ってはいたが、それでもやはり一人であの災害を防ぐために動いた者が居るという事実は、彼らにとって驚くべきことだった。

 近右衛門は軽く咳払いをして静かにさせた。

 

「S級の凶悪な鬼神、リョウメンスクナ。そして……調べによってわかったことじゃが、あの事件には、高畑君が以前から追っていたとある組織の一員にして、S級の人間。フェイトアーウェルンクスが関わっていたことが判明した」

 

 再びざわめきが起こる。S級といえば、世界に一握りしかいないような戦力の保有者にしかもたらされないものだ。高畑ですらS級未満といえば、その凄さはわかるというものである。

 そんな者が二人もいた。そして、S級二人を相手取ったのがたった一人だというのは、信じられないような事実だ。

 だがそのどよめきもすぐに終わる。まずは話を、そう考えた彼らを見据えてから、近右衛門はそっと振り返った。

 

「では紹介しよう。此度の事件でたった一人で戦ったのが彼じゃ」

 

 先ほどとは違って、どよめきは起こらなかった。

 代わりに、小さな悲鳴が一つ。むしろそのことのほうが彼らを驚かせるものだった。

 そして、それはゆっくりと闇から現れる。

 麻帆良の清掃員の服を着た、何処にでも居そうな青年がゆっくりとした足取りで歩いてきた。服で隠されているが、覗いている肌には包帯が巻かれており、彼が何か恐ろしいことに巻き込まれたのを如実に語っていた。

 

「初めまして」

 

 近右衛門の隣に青年は立つと、深く深く、その頭を下げた。こちらが申し訳なくなりそうなくらいに頭を下げた青年は顔を上げてじっと魔法関係者である彼らの顔を見渡した。

 素朴な青年だ。表情は欠落しているといえるくらい乏しいが、物腰は穏やかで、どうしてもS級を二人も制したような男には見えなかった。

 だが瞳だけは違った。純朴な見た目とは裏腹に、光を飲み込んで反射すらしない二つの眼だけは、心胆が冷えるくらいの凄みがある。

 しかし悲鳴をあげるほどのものには感じられなかった。彼ら全員、青年の全身を観察した上で、身体をがくがくと震わせる刀子に視線を移した。

 そう、悲鳴をあげたのは刀子だ。いつもの冷静で落ち着いた姿とはかけ離れたその姿は、別人にすら思えるほどだった。

 だが刀子は己の醜態が見られているのにも気付かずに、視線を青年から動かすことが出来ずに混乱した思考をさらに混乱させていく。

 

「ど、どうして……」

 

「お久しぶりです。葛葉さん」

 

「ひっ」

 

 刀子は名前を呼ばれただけで一歩後ろに下がってしまった。

 決定的な意識の差があった。刀子とその他にある意識の違い。その原因は、目の前の青年を知っているか、否か。

 刀子は、青年を知っている。青年が恐るべき頃だったときを知っている。

 

「何で、あなたが……」

 

 知っている。どころではなかった。

 刀子にとって──神鳴流にとって、その青年は悪夢の総称であった。

 一時期、神鳴流が必至にその存在を隠蔽しようとした時がある。その当時、刀子は丁度退魔の道に入り込んだ頃であり、だから、アレがどういった存在なのか、若輩であったからこそトラウマのように身体に染み付いている。

 

 ──あの日、道場で鍛錬をしていた門下生の前に現れた。

 

 心臓が早鐘を打つ。冷や汗は浮かび、歯は噛み合わず音を鳴らし、だというのに体温はどんどん低くなり、顔は青ざめた。

 

 ──血塗れの鶴子をもって。

 

 どうして、なんで、ありえない。ぐるぐると回り続ける思考。いつの間にか目頭が熱くなった。いやいやと顔を振り、一歩、また一歩、束縛されたように重くなった足を必至に動かして後ろに下がり。

 

 ──お前は、笑っていた。

 

「あ、青山……」

 

 恐るべきは青山の名前。宗家でありながら宗家を潰したおぞましき災厄よ。

 

「はい。初めまして皆様。青山と申します」

 

 そして修羅は、正義の前に姿を晒した。

 

 

 

 

 

「簡潔に述べると、ネギ君にはこれ以上魔法関連で教えることはありません」

 

 クウネルはそう言って、何処からか取り出した黒板にチョークでネギの似顔絵を描いた。その下に咸卦法と闇の魔法と書く。

 

「未熟なものとは言え、あなたが習得したこの二つは、どちらも一つ修めればそれだけでどんな環境にも対応できるような、そんな代物です。まぁ正確には闇の魔法は既存の魔法を流用するので、全く魔法を教えないというわけではないのですが……基本的に、あなたには新たな魔法は必要ないです」

 

「じゃあ、どうすればいいんですか?」

 

「簡単です。この二つを実戦レベルにまで鍛え上げればいいのですよ」

 

 クウネルはさらっと言ってのけたが、咸卦法と闇の魔法の二つを同時に極めるなど、普通の術者ならどちらか片方を扱うことすら困難である。

 しかしネギには肉体の欠損を代償に、充分な下地が完成した。我流であることを踏まえれば、クウネルの指導によって、一ヶ月もすれば実戦レベルに鍛えることは容易だろう。

 

「故に、私があなたに集中して教えるのは、魔法使いとしての戦い方です。あなたは頭で考えるタイプだ。至近距離よりも、膨大な魔力を生かした火力押しがいいでしょう。そのために必要なのは──」

 

 クウネルは右手を軽く開いて滝に向ける。直後、膨大な重力が滝に圧し掛かり、水が四方八方に吹き飛んだ。

 呆然とそれを見るネギにクウネルは微笑みかける。

 

「とまぁこれはあくまで例の一つですが、このように無詠唱による魔法の行使、最低ラインは中級程度は使いこなしてもらいます」

 

「で、でも僕、魔法の射手すら詠唱無しで撃つことも出来ませんよ!?」

 

 さらに言えば、杖なしで魔法を使うことすら出来ない。無詠唱魔法とは、それだけで高度な技量が要求される代物だ。使えれば一流の魔法使いとして認められるほどのものであり。

 

「あなたは無詠唱呪文を上回る技を二つも修めたのですよ?」

 

 無理ですよと語るネギに、クウネルはやや呆れた様子で応えた。

 だがネギが言いたいことはクウネルにもわかる。だがそれを埋めるための魔法こそが闇の魔法であり、火力を水増しする咸卦法だ。

 

「最低でも二つの属性。出来れば基本の四大属性を使用した闇の魔法で、中級以下の魔法詠唱をノータイムで行う特訓を行いましょう。本来なら初めから行うにはありえない修行方法ですが、幸いネギ君の闇の魔法は、本家とは少々毛並みが違いますからね。上手く折り合いをつけて行うことにしましょう。では、続いて修行する場所についてですが……」

 

 水晶体を取り出して、差し出す。魔法具であるのはわかるが、それが一体なんなのかわからないネギに対して、クウネルはやはり意味深な微笑を浮かべるだけであった。

 

 

 

 

 

 神鳴流は東洋では一流の名門だ。遥か昔は、術符を使って行っていた退魔を、長大な野太刀と気を駆使した、魔族に匹敵する圧倒的な身体能力をもって、真正面から行う。化け物を滅ぼすために、化け物如き能力を得るに至った最強の戦闘集団だ。

 だからこそ、彼らは己を律する精神修行を、肉体の鍛錬以上に行うことになっている。化け物に抗うために化け物を超える力を得る。それはつまり己が化け物となると同じだ。

 そんな己の力に溺れないように、人間の守護者として、心を高潔に保つ必要がある。それでも一部の剣士は、力に酔った外道に陥ることもあったが、そんな外道を正すのもまた同じ剣士。

 その中で特に高潔で、他の神鳴流の剣士を超える者達こそ、神鳴流が宗家。

 名を、青山。

 特に当代の青山の者は、歴史上でも極上の才覚をもつ者が幾人も生まれ、サムライマスターとして名を馳せた旧姓、青山詠春を筆頭に、神鳴流ここにありと知らしめた。

 世界を巻き込んだ大戦を生き抜いたサムライマスターである青山詠春。

 歴代最強と謳われた最強の女剣客、青山鶴子。

 そんな姉に、己を超える才覚をもつと言わしめた現神鳴流の後継者、青山素子。

 彼ら三人の武勇は、極東に居る裏に関わる者であれば、知らぬ者が居ないと言われるほど有名だ。そしてその武勇は誇張でもなんでもなく、個人の実力で軍隊を相手取ることが可能なレベルとさえ言われている。

 宗家の名に相応しく、神鳴流が誇り、常に胸を張って素晴らしいと語る彼ら青山は、神鳴流であれば誰もが頭を垂れてひれ伏すほどである。

 青山様。

 史上最強の宗家、青山様。

 誇るべき、素晴らしき青山の名よ。神鳴流の誇りであるその名前。

 だが、その名前は勇名とは正反対の侮蔑の総称でもあった。

 当時の神鳴流、ひいては関西呪術協会がその存在を完全に抹消してみせた禁じられた名。

 それも、青山。

 恐るべき、青山よ。

 齢十を超えた頃から、突如として頭角を現したその少年。当時、歴代最強だった鶴子を斬り、周囲が苦言も言えぬ状況を作り上げた少年は、北に出向けば術者を斬り、南に向かえば鬼を斬り、山を登れば山を割り、海に出向けばそれすら斬った。

 神鳴流がもつ化け物性を存分に発揮して、依頼を受けて出向く先々で、恐怖を撒き散らした。

 結果、少年は周囲の意見を聞き入れた鶴子の一声で修行という名目での軟禁生活の果て、神鳴流を破門となる。

 この間、僅か数年の出来事。

 たったそれだけの期間で、隠蔽をせねば神鳴流の名を地に落とす働きをしたその男。

 

 そんな男が、かつての少年だったころの面影を残した瞳で、葛葉刀子の目の前に現れたのだった。

 

「う、ぁ、ぁ……」

 

 刀子は青山が一歩踏み出したところで、立っていられなくなりその場に崩れ落ちた。だが意識を手放すことも出来ず、涙目で体を震わす姿は、周囲の混乱を招くと同時に、青山が刀子をそこまで恐慌させるほどの何かであるという意識を植え付けた。

 魔法先生達が警戒心を露にしながら刀子を庇うように青山の前に立ちふさがる。

 その光景を見て近右衛門とタカミチが何かを言おうと前に出て、それを遮る形で青山が割って入った。

 そして、その場で膝を折ると、佇まいを直して、両手をついて頭を地面にこすり付けた。

 

「驚かせてしまい、申し訳ありません……俺が葛葉さんに、いや、神鳴流に与えた恐怖を考えれば、この反応は当然でありました。それを考えずに、姿を晒したこと、ただ謝罪するほかありません」

 

 これに動揺を隠せないのは魔法先生達だ。いきなり目の前で土下座をされてしまえば、正義を志す彼らは止まらざるをえない。

 だがそんな同様をかき消すように、刃が引き抜かれる鞘の響きが場を満たした。

 

「青山……! あなたが……あなたが! 鶴子様を!」

 

「葛葉先生!?」

 

 血走った目で青山を睨みながら刀を向ける刀子を、ガンドルフィーニが信じられないといった様子で見た。

 周りも、今度は青山ではなく刀子に向き直る。二人の間に何かがあったのは事実だろうが、だからといって丸腰の相手に武器を向けるということがどれ程危険なことなのかわからないわけではない。

 

「葛葉さん」

 

「私の名前を呼ぶな青山……! だから……! ひっ、来ないで!」

 

 青山はゆっくりと立ち上がると、教師の間をすり抜けて刀子に歩み寄った。

 たったそれだけで、誰もが認める達人の一人である刀子が、悪漢を前にした乙女の如く、身体を震わせ、泣きそうな表情で、動くこともままならず青山が来るのを拒む。

 青山の漆黒の眼が、悲しげに細くなった。一歩、一歩。怖がらせないようにと注意を払いながら、周囲の緊張が高まる中、刀子の斬撃が届く場に入り込む。

 今の刀子では何をしでかすかわからない。それこそその場で青山に斬りかかることも考えられたたが、既に距離が狭まった今、下手な手出しは出来ずに傍観しか出来なかった。

 

「俺は……愚かでした」

 

 不意に青山が自嘲するように語りだす。己の内側にある黒い靄を吐き出すかのように、無表情であるその顔には、己への嫌悪の影がうっすらと浮かんでいた。

 

「鶴子姉さんを斬ったとき、確かに見えた道を、愚直に突き進みました。そのせいで周囲がどんな迷惑を被るのかも気にせずに……ただ、進んでいきました」

 

 だがそんな自分を後悔しているのだ。陽だまりの心地よさは、眠たくなるくらいに気持ちよくて、いつまでもそこに居たいと思えるその場所を知らずに自分は生きていた。

 それが、どれ程つまらないのかということも知らずに、ひたすら走ってきた。

 

「俺は取り返しのつかないことをして……そして、その本質はまだ少ししか変わっていないけれど、だけど俺は少しずつ、少しずつ暖かい場所を知って、暖かくなれていると思うのです」

 

 青山は一歩踏み出した。突きつけられた刃が胸元に当たる。切っ先は服を裂き、その奥の肌を浅く突いた。

 肌が裂けて、針を刺すような痛みとともに血が溢れる。だが構わずに、青山は刀子の刀に片手を這わせると、その刀身を労わるように包み込んだ。

 

「京都で知りました。詠春兄さんが俺をどれだけ心配していたのか。そして鶴子姉さんが俺のために苦心したことも……」

 

 【素子については語る必要がない。アレは、当たり前に斬る程度でしかないから、誰もが「そんなこと言わなくてもわかっているよ」と言いそうな事実を語るのは野暮というものだ。青山は当然のように、素子をいずれ再び斬ることに決めていた。だから、彼女については語らない。】

 

 素晴らしきは家族の愛情だ。青山はそう思えるようになっていた。そしてその愛情がこの場所を与えてくれた。

 

「奇跡のような偶然が、愚鈍であった俺を正道に戻してくれました。だが、俺はそんな彼らの期待に今だ応えることが出来ていない……あの日、京都で、俺は守れるはずだった人々の笑顔を守ることが出来なかった。全ては俺の慢心が招いた結果で、その果てに、兄さんも殺してしまった」

 

 青山はまるで力の入っていない刀をどけようとして、最後の一言に反応した刀子は慌てて柄を握る手に力を込めて、切っ先をさらに推し進めた。

 肉を浅く裂かれる。鮮血が衣服を濡らし、青山の背中しか見ていない魔法先生達も、その異常には感づいた。

 だが青山気配だけで彼らを押しとどめて刀子を見る。

 

「鶴子様だけでは飽き足らず……詠春様もあなたは!」

 

「そう、俺が殺した。俺は兄さんを殺したんだ……」

 

 青山は無表情の仮面の下でそんな自分をあざ笑った。

 家族殺しの大悪党。生きている価値すらも見つからない外道な自分。

 【繰り返すが、斬ることは当たり前なことなので、問題なのは殺したこと。つまり自分が詠春を斬った事実は生きる過程で当然の帰結だったので、これは語る必要はないだろう。】

 

「けれど、兄さんが生きた事実は、俺の中に残っている……間違いだらけの俺だけど、そんな俺を見捨てなかった姉さんや兄さんのために、俺はここに居るのです。ここで、陽だまりを守りたいのです」

 

 誰もが青山が詠春を殺したと勘違いするところだった。きっと、彼は詠春を目の前で死なせてしまったのだろう。

 だがそれをどうして責めることが出来るだろうか。きっと苦悩したはずだ。そして彼の言葉は、守りきれなかったことを、肉親を手の届く場所で死なせたことに苦しみながらも、それでも前に進もうという高潔な意志の表れだった。

 近右衛門とタカミチが、青山の宣誓を聞いて後ろでそっと微笑んだ。真っ直ぐな正義のあり方を語る彼の言葉は、表情が変わらない彼だからこそ真摯に響く。

 周りもその言葉の強さに聞きほれていた。何でもないような、雑多に紛れて気付きそうにもない青年の言葉に込められた正義の心。

 

「だから俺にチャンスをください葛葉さん。俺はこの通り、過去に過ちを犯し、そして根暗で言葉数も少ない男で、行動でしか己を示すことが出来ません」

 

 そんな俺を見ていてください。青山は底なしの瞳で、涙で光る刀子の目を見つめた。

 

「わた、私、は……」

 

 刀子は思考がまとまらずに、言葉を上手く口にすることが出来なかった。

 彼女にとっての青山は、彼女がこうなりたくないという外道の総称だった。肉親にすら手をかける悪鬼羅刹。まさに修羅と呼べるあり様。だからこそ、彼女はこれまで、青山という恐怖を知るからこそ、あらゆる魔族にも立ち向かえた。

 それは裏を返せば、青山を心の支えにしているということでもあった。トラウマになるほどの恐怖の対象。一方でアレを超える恐怖がないからこそ心の芯になった存在。

 そんな男が、自分に頭を垂れて、切っ先で肉を裂かれながらも、自分を見て欲しいと訴えかけている。

 青山が何をしたいのかわからなかった。

 そして、自分が何をしたいのかもわからなかった。

 青山は優しく刀身に力を込めていく。何故か一瞬、刀が悲鳴のような刃鳴りを響かせたような気がしたが、刀子はそんなことを気にする余裕もなく、とうとう刀を下ろした。

 

「……私は、あなたを許すことは出来ない。いえ、当時を知る神鳴流のほとんどは、あなたを許しはしないでしょう」

 

「はい……」

 

「少しでも危険だと判断したら、私の命に代えてもあなたを倒す」

 

「是非、そうしてください」

 

 青山が頭を下げると、刀子は「気分が優れないので、先に失礼します」と告げてその場を後にする。

 微妙な空気が流れた。あまりにも突然の出来事に、これをどう処理すればいいのかわからずに、痛い沈黙が肌に突き刺さる。

 

「……こんな俺です。水に流すことも出来ぬ大罪を犯した俺ですが、それでも誰かの支えに少しでもなれば、それ以上に嬉しいことはありません」

 

 そんな空気をものともせずに、青山は強い決意を乗せてそう宣誓した。迷いのない言葉は、その場に居た全員に伝わる。

 確かに過ちはあったのだろう。それも刀子が怯えるほどの危険なことが。

 しかし青山はそんな自分を悔やみ、そして人々のためにその刃を振るったのだ。結果は、被害を出すことになったが、たった一人であの地獄を防ぐために彼が尽力したのは事実。

 ならば、光をともに志すのであれば、手を取り合うことが出来るのではないか。

 

「ガンドルフィーニだ。よろしく、青山君」

 

 そう最初に青山に手を差し伸べたのは、ガンドルフィーニだった。緊張を滲ませているが、まずは一歩、自ら歩み寄るその素晴らしきあり方。

 青山は表情を変えられない代わりに、深く頭を下げてその手をとった。割れ物を扱うように手を握るその掌は、包帯で包まれた痛々しい状態だ。

 ぼろぼろになり、傷つきながら人を守る。青山が身体に刻んだ正義の証に応えるように、ガンドルフィーニは手を握り返した。

 それを切っ掛けに一人ひとりの自己紹介が始まる。いつの間にか人の輪の中心になった青山は、そのことに戸惑いつつも、小さく頬を緩めながら一つ一つ丁寧に応じた。

 

「学園長」

 

「うむ。鶴子ちゃんの目は曇っていなかったようじゃの」

 

 そのほほえましい様子を見守りつつ、二人はゆっくりと変わりつつある青山の成長を喜ぶ。

 人は、変わることが出来る。少しずつでも、誰かと関わることで人はよくも悪くも変わっていって、そしてここに居れば、青山は間違えることなく進むことが出来るだろう。

 劇的な変化は必要ない。急激な変化はその人の芯を折ることにもなるから。

 だから一歩。まずは一歩。

 

「盲目だよ、貴様らは。だから正義は美しい」

 

 その様子を遠くから眺めていた吸血鬼が、見た目からは考えられないくらい低い声色で小さく笑った。

 

 

 

 

 

 その夜。蟋蟀の鳴き声を聞いて目を覚ました。とても涼やかな音色だった。ともすれば心の芯まで凍りつくような音色は、耳元で、小さく、小さく、だがはっきりと響き渡り、臍の奥まで伝わった。

 

「……?」

 

 刀子は寝ぼけ眼で周囲を見渡すが、そこには当然何もない。夜も更けたこの時間帯、虫すらも眠りにつくくらいだ。

 だから、音なんてそれこそ、布団を滑る己の身体が奏でる衣擦れくらいなものである。

 きっと気のせいだろう。刀子はすぐに瞼を閉じた。今夜はとても怖いことがあったから、だからそれすらも夢にしてしまいたくて、本能が睡眠を強制する。

 そして静かに眠り、その翌日、刀子は表面上は冷静を保ったまま仕事を行い、再び夜、布団に包まり眠りについた。

 数時間か、あるいは数分か。沈んだ意識が鈴の音色に引き起こされた。意識を引きずりあげるものでありながら、それは母親が子を揺すり起こすかのごとく優しい寝覚めだった。

 

「……何なの」

 

 だが同時に恐怖を感じた。気持ちよく目覚めながら、身体は芯まで冷たくなっている。

 例えるなら、身体が刀になったかのような──

 一瞬沸いてきた思いを絶ち斬るかのごとく、今度は寝ぼけでは説明がつかないくらいにはっきりと張り詰めた音色が刀子の鼓膜を振るわせた。

 

「え?」

 

 その音の発生源を、鍛え抜かれた刀子の聴覚は今度こそ見逃さず、それゆえに困惑した。

 鳴っているのは、刀子の愛刀だった。恐る恐る近づけば、刀子の気配に呼応するように、鞘の中で野太刀は凛と存在を主張する。

 凛と鳴いていた。

 鳴いているのか、あるいは泣いているのか。

 だがその音色を聞いている刀子は、己の中で、何か得体の知れないものが蠢くような気がした。

 

「や、やめなさい……」

 

 刀子は半ば本能的に野太刀を胸に抱いて、その音色を沈めた。直後、震える刀身の波紋が彼女の身体の内側まで響き渡る。脳天から爪先まで、波立つ水面の波紋が脳裏によぎった。

 野太刀の鳴き声は、刀子という純白の風景に投じられた無骨な足跡でもある。立派な心を持つ女の魂を踏みにじる冒涜的な歌声だった。

 

「う、うぁ……」

 

 刀子は思わずうめき声をあげてそのまま野太刀を抱いて倒れた。脳味噌を素手でかき混ぜられたような不快感に耐え切れず、そのまま意識を失う。

 その翌日、目が覚めた刀子は、どうして自分が野太刀を抱いて眠っているのか思い出せずに首を捻った。もしかしたら青山に会ったせいで、無意識に警戒したのかもしれない。そう思うと、少女のように青山という悪漢を恐れる己の弱さが恥ずかしくて、誰に見られたわけでもないのに刀子は赤面した。

 その日はどうしてか身体が軽かった。まるで余分な何かが削げ落ちたような気分で、いつもよりも表情が柔らかいですねと学生に言われて、満更でもない気分になった。

 夜。今朝の変な寝相以外は素晴らしい一日だったと、一人酒を軽く楽しみながら、現在付き合っている男性に明後日のデート楽しみだね、などと思春期の少女のようなメールを送ったりしたりしてから、就寝することにした。

 そして、丑三つ時。三日続けて鳴り響いた音色を聞いて起きた刀子は、先日どうして自分が野太刀を抱いて寝たのかも思い出した。

 

「ど、どうして……」

 

 途端に、頭の中を無数の蟻が這い回っているような不快感が思考を愚鈍にさせる。凛と響く音色は、昨日よりもさらに頻度が増していた。まるで刀が苦痛を訴えているようだと刀子は感じた。どうしてか、そうだと思ったのだった。

 幽鬼のようにおぼつか無い足取りで野太刀に近づいた刀子は、柄に触ろうとして、逡巡する。

 先日は触った瞬間に意識を失った。もしかしたら今日も、触ったりしたら意識を失うのではないか。だが頭の中身はぐちゃぐちゃで、意識が暗転するのがわかっていても刀を触るしかないと脅迫概念に襲われる。

 何故ここまで己の愛刀に触りたくなるのかわからなかった。同時に、今すぐ逃げ出さなければならないという確信も脳裏に浮かんだ。

 触りたい。

 逃げたい。

 掴みたい。

 逃げろ。

 引き抜きたい。

 止めろ。

 

 斬れ。

 

「あぁぁぁ……!」

 

 刀子は恐慌しながら野太刀から飛びのいて尻餅をついた。途端に意識ははっきりして、体中に感覚が戻り、汗が噴出した。

 一瞬、脳裏に浮かんだ考えに絶望してしまう。

 斬れと。

 斬れという刀の声を聞いた。

 そしてそれと同じく、己を案じた刀が逃げろと悲鳴をあげた。

 ようやく納得する。

 あの鳴き声は、刻一刻とその身を蹂躙されている刀の断末魔だったのだ。同時に、そんな己から主を離そうとする、必至の呼びかけだった。

 

「何で、何で……!」

 

 刀子は耳を塞いで蹲った。しかし音色は塞いだ程度では聞こえなくなったりはしない。耳ではなく魂が歌声を聞いていた。透明な斬撃の音色が、光り輝く魔を断つ剣に悲鳴をあげさせている。

 悲鳴と美声の二重奏。気が狂いそうな音色だった。美しいのに汚い。穢れきっているのに透明。

 凛とした吐瀉物。

 その表現が正しいと、恐怖に染まった思考でどうでもいいことに納得。

 それどころではない。

 

「駄目、駄目……!」

 

 刀子は自分がおかしくなっていることにようやく気付いた。身体が軽いのは、身体が軽くなったのではなく、心が軽くなったから。ではどうして心が軽くなったのか。それはきっと、今も漠然と断末魔を是とする心の堤防。倫理観とか道徳とか、そういった人間的な枷が失われていっているから。

 そのとき思い出したのは、あの夜。青山が何気なく己の刀を触ったときに聞こえた悲鳴の如き歌声。

 

「うぅ、そんな……そんな……!」

 

 刀子は原因に気付いたものの、全ては遅すぎた。せめてこのことを誰かに伝えなければならない。青山という男の本質を刀だけは理解した。同じ性質だから、似ているから今こうして侵蝕されている。

 青山は斬撃だ。垣根なしに全てを斬るあの男が、正道を知るなんてことはありえないと、わかっていながら自分はあの時、恐怖から告げることなく逃げ出した。

 でもせめて伝えないと。口から泡を出しながら、加速度的に狂ってくる己の肉体を強引に突き動かして刀子は机に這いずっていく。視界はいっそう狭まり、今を逃せばもう二度と『自分には戻れない』という絶望感と戦いながら。

 

「誰、か……お願、い」

 

 刀子は朦朧としてきた思考で神に祈った。自分はもう駄目だと悟ったから、託せることを祈った。

 彼女が刀もろとも青山の影響を受けているのは、単純明快。刀子の心の奥深くに、かき消せぬ青山への畏怖があったからだ。

 だから狂う。結局のところ、刀子は青山に随分と昔から心の芯を奪われていたから。

 それでも刀子は最後の気力を振り絞った。誰でもいい。私の代わりに青山を。

 そして、今ここで終わってしまう私を──

 

「私を……殺して」

 

 その言葉を最後に、刀子は悲鳴をあげることもできず気絶した。

 

「……ん?」

 

 翌日、体中から重みが取れたような清々しい寝覚めをした刀子は、右手の質量に違和感を覚えて、手を掲げる。

 そこには引き抜かれた愛刀が握られていた。

 そんなものか。刀を握ったまま寝るはまぁ当然だしあれだ。でもちゃんと布団には入らないと。刀子はそんなことを思いながら鞘に仕舞うと、身支度と朝食の準備を始めようとして、机の上に置かれた一枚の紙に気付く。

 紙には乱暴に書きなぐられた単語が残されていた。

 

 『あお き る   たす   け  』

 

「……ストレスたまってるのかなぁ」

 

 刀子は己の寝ぼけた行動に赤面しながら、その紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。

 

 その日、刀子は凛という歌声を聴きながらぐっすりと眠った。

 まるで子守唄のようだなぁと思いつつ、断末魔に包まれて瞼を閉じる。

 とても綺麗な歌声で、いつまでも聞きたいと願いながら、僅かに脳裏によぎった疑問も、歌声にかき消されどんどん小さくなっていき。

 

 そして刀子は、考えることを止めた。

 

 

 

 

 




コール・オブ・アオヤマみたいなもん

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。