【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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第七話【修羅外道(終)】

 

 青山を飲みこんだ棘は、餌に群がるハイエナの如く次々と殺到し、凍りながらさらに生まれ続けて尚凍らせていく。

 エヴァンジェリンの魔力が尽きるまでこの増殖は終わらないだろう。今はまだ小規模だが、このままこの氷獄が広がれば、麻帆良学園を容易く飲み干すまでになるはずだ。

 勝敗は決した。恐るべき修羅である青山は氷の棺桶に抱かれて絶命し、エヴァンジェリンは鮮血を溢れさせながら健在。

 勝者は、真租の吸血鬼、エヴァンジェリンだった。

 

「……これじゃないよ」

 

 だが勝利したはずのエヴァンジェリンの表情は暗い。掴めるはずだった実感は何処にもなく、ただただ虚しさが心を満たしていた。

 

「私は、そんな貴様を殺したかったわけではなかった……」

 

 無様に這いずりまわり、己の所業を顧みることなく、ただ生きたいと喚き散らした男。

 その程度の男に固執していたわけではなかった。

 

「クソ……誰だか知らんが、余計な真似をしてくれた」

 

 矛盾には気付いていた。だがこの男なら、その程度の矛盾に飲まれることなく、ひたすら刀に邁進するだろうと信じていた。何より、麻帆良を襲撃した悪魔の一件は、青山が斬ることにあり続けているんだと信じられる材料だったはず。

 しかし蓋を開ければどうだろう。生きるという答えに斬るという回答が遅れてついてきている。

 そうではない。

 そうではないのだ。

 形容出来ぬが、違うとエヴァンジェリンは思った。そんな在り方ではない。青山はもっと鋼であるべきだ。

 恐怖で言い表せられるような俗物ではない。

 この様だと。

 こんな有り様だと訴えるのが、青山だったはずだろう。

 

「なぁ……青山」

 

 せめて一縷の望みをと賭けて、その魂を凍てつかせて絶命してみせたが、規模を広げる棘の内部では一向に動く気配はない。

 もう、彼女が恋焦がれた修羅は何処にもいないのだ。

 そう考えると、エヴァンジェリンは四肢を失う以上の喪失感に襲われた。

 

「貴様は……私だった」

 

 斬られてから、繋がった。可笑しい話だが、エヴァンジェリンは青山との繋がりを感じていた。

 だから誰よりも彼を知っていた。

 事実は、あの醜態を見るまで変貌に気付かなかったため、ただ単純に羨望のフィルターをかけて見ていただけなのだろうが。

 それでも自分は、彼の一番の理解者だと自負していた。誰に自慢するわけでも、本人に言うわけでもなかったが、エヴァンジェリンはそう思っていた。

 

「せめてもの慈悲だ……ここら一帯を、貴様の棺桶にしてやろう」

 

 涙の代わりに流血を指先から滴らせて、エヴァンジェリンは最後の号令をかける。麻帆良郊外にそびえる山々が加速度的に氷に閉ざされていた。一度凍らせれば、術者であるエヴァンジェリンですら解除することのできない絶対零度の棘の群れが、その通り道を氷塊へと変えていく。

 その中心にとぐろを巻いて天へと伸び行く華。そこに眠る修羅のなれの果てを思い、吸血鬼は手向けの華を咲かせていった。

 

「……願いがあった。貴様を殺し、その血で己の体を癒し……無限に続く未来を、膨大な殺戮で埋められると信じていた」

 

 めくるめく闘争の日々を夢想していた。いずれ世界が己を殺しきるまで、ただただ吸血鬼であろうと、永遠にこの戦いの連鎖を続けていけると思っていた。

 だがどうだろう。

 何故か今は、少しだけ──疲れた。

 

「青山……」

 

 貴様が変わったせいで、こんなにも悲しい。

 こと、この最後に至り、感じるのは失望ではなく絶望。

 人間は、変わらずにはいられないという、悲しい事実。

 エヴァンジェリンはもう変わらないだろう。無限の時を、この姿のまま、無限に戦い続けて、無限に歓喜するしかない。

 だが人間は違う。時と共に成長し、練磨し、そして、衰える。

 変わっていく。

 自分を残して、変わっていく。

 

「わかっていたはずなのだがな……」

 

 化け物に戻ったことで、その本質すら忘れてしまったのだろうか。

 人間と化け物。

 殺し、殺される関係。

 変わらないと信じていたその絆。

 死を恐れ、無様に生きようとした青山の姿は、その絆に綻びを与えるには充分だった。

 青山を殺した後、見つけ出して殺そうと思っていたナギ・スプリングフィールドも、もしかしたら青山と同じように変わっているのかもしれない。

 強き者は変わらないという不文律は、人間には適用されないのだろうか。

 ならばどうする。

 永遠に、人間という名の夢を抱いて戦い続けろというのか。

 

「……それもまた一興。夢の狭間で生きるこそ、化け物の本懐だ」

 

 無限に生きる己こそ、夢の如き存在ならば。

 ここから始めよう。焦がれた人間の墓標を最後に見降ろし、エヴァンジェリンは約束通り、麻帆良に手を出すことなくその場を後にしようとして。

 

 凛。

 

 そんな彼女を引きとめるように、静かな波紋が響き渡った。

 

「……ああ」

 

 その音色に瞼を閉じて酔いしれる。永遠に狂い咲く棘と同じく、無限に鈴の音色は鳴り響いていた。

 眼下、修羅の棺桶は真っ二つに引き裂かれる。だがその隙間を埋めるように棘は荒れ狂い、一秒もすれば亀裂は忽ち塞がれるだろう。

 だがそれよりも早く飛び出した影が一つ。棘の影を引き連れながら、空に伸び行く流星は、月を背中にその翼を広げた。

 

「おかえり」

 

 月下に映える鈍色の光に笑顔を向ける。無邪気な微笑みに応えるように、絶殺より現れた男、青山は右腕に掴んだ証を天へと掲げた。

 最早、証の刀身は黒ではない。愚直なまでに鋼。ひたすらに鉄の冴え。不純を払い、その輝きの全貌を露わにした証の全ては、まさしく青山そのものの光を放っていた。

 生きるという訴えはその刀身からは伝わってこない。

 ただ斬る。

 理由はそこにはない。

 斬るから、斬る。

 その美しいまでの一本筋こそ、少女が恋した冷え冷えと鋼。

 青山の太刀。

 

「エヴァンジェリン……俺は──」

 

 直後、エヴァンジェリンの願い、その刃に惹かれり気持ちをくみ取るように、重なり合いながら棘が切っ先へと殺到した。

 荒れ狂う大海すら水遊びにしか感じられない程、迫る氷塊の圧力は凄まじい。事実、一分前の青山なら、悲鳴をあげて恐怖に飲み込まれただろう。

 

「悪い夢を見ていたみたいだ」

 

 だがしかし、青山はこれまでと同じく、これまで以上に単純に棘の全てを斬り捨てた。当然、棘の個は死に絶えるが、群としての棘は不滅。尚迫りくる軍勢を、青山は特に怯えることなく斬りながら、ゆっくりと地上へ落ちていく。

 手足を投げ出して落ちていく青山へと追いすがる氷の牙が、体に触れることすら敵わずに砕けて散っていた。

 落ちるままに、無意識に。思考するよりも早く斬撃が放たれ、歌声は際限なく重なりあっていく。

 青山はその視界一面に広がる月と氷、そして遠くで微笑む吸血鬼を見据えて、思う。

 長かった。

 ここに再び気付くまで、とても長かった。

 

「理由なんて、必要なかった」

 

 初めの心を自分は見失っていたのだ。

 強く。

 強くなりたかった。

 

「俺は、俺のこの肉体が行く先を見たかった」

 

 だから強くなった。

 ひたすらに己の肉体と向き合い。

 強くなることに歓喜して。

 

「そして、ここに来た」

 

 斬撃。

 ただ斬るだけ。

 この答え。

 この様ゆえに。

 至った全て。

 

「俺は、その答えに泥を塗ったんだ……」

 

 思えば、至った後から、随分と惑っていた。

 人のためにと。

 友人のためにと。

 恩人のためにと。

 家族のためにと。

 理由を求めてしまった。

 斬撃と言う答えの理由を探してしまった。

 

「俺は……弱くなった」

 

 答えを得てからゆっくりと、周囲の環境にじっとりと汚染され、穢れのなかった斬撃を見失ってしまった。

 姉さん。

 素子姉さん。

 俺は、ただただ、あなたに恥じ入らなければならない。

 

「……あの時の俺は透明だった」

 

 この様だったはずだ。

 嫌悪とも、好意とも、そもそも、あらゆる感情とは無縁だったあの時。

 あの様。

 この様。

 そうとしか言えぬ何かだった、あの時の自分を。

 素子が踵を返さざるをえなかった曇りなき自分を。

 鋼。

 この様に、刀。

 そそり立つ無心こそ刃。

 

「もう、動かないよ」

 

 ──俺はこのまま。

 

「もう、振り向かないよ」

 

 ──俺はひたすら。

 

「もう、前を見ないよ」

 

 ──俺はありのまま。

 

 丸っと一つ。等身大の、鋼となりて。

 

「この修羅場─斬撃─に、在り続ける」

 

 いざ月光。

 死して鋼、曇りを払う。

 大地に降り立った青山は、執拗に迫りくる棘を散らし、上空のエヴァンジェリンに笑いかけた。

 

「夢幻と嘆いたが……」

 

 その様にエヴァンジェリンは哄笑を隠しきれなかった。

 人は変わる。惑い、迷いて、同じ場所になんて一秒も立てないくらい生き急ぐ生物だけれど。

 違うのだ。

 それでも変わらない人間は、現れたのだ。

 

「いいよ青山。なんて様だよ」

 

 斬撃という答えを得ながら、僅かな残滓が周囲との関係を求め、同等に近い強敵が、修羅に人らしい彩りを与えた。

 だが最早、ここに居る男は違う。

 終末に至る斬撃に酔う修羅の冴え。凛と佇む一本の鋼に青山は立つ。

 不変の強さ。折れない刃の如き冷たさを放ちながら、青山はここに居る。

 もう、彼は変わることはないだろう。前世という鎧が育てた肉体は、ついにその鎧にこびりついた汚れを、鎧もろとも斬り裂いて生まれる。

 初めてする呼吸。

 冷たい空気に、喉が凍る。

 実感だけが、ここにはあった。

 

「待たせたなエヴァンジェリン」

 

 棘を斬り飛ばす。斬撃一つで、周囲を取り囲んでいた棘が悉く砕け散り、その氷の雨に隠れながら、携えるのは己そのもの。

 右手の刀は、己。

 己こそ刀。

 

「お前を、斬るぞ」

 

 生も死も意味をなさぬ。

 刃は斬ること以外に、考えないのだから。

 その直後、青山は地面を陥没させながら空へと飛んだ。一歩で上空遥かまで飛び立つ健脚に、我がことながら驚きを覚える。

 体は妙に軽かった。あらゆる重石を斬り払ったかのように、肌に触れる空気すら斬りながら、青山は再度、薔薇の中に沈んだエヴァンジェリン目がけて駆けだした。

 当然、行く手を遮ってくる雷氷の棘。瞬動ですら逃れるのが困難な速度と物量を斬り分けて、無心のままに前へと進む。

 展開する斬撃結界。先程よりも遥かに洗練された冴えの幕は、空間を断絶したかのように棘を寄せ付けない。

 だがエヴァンジェリンの渾身はこの程度では済まない。圧倒的な物量と速度は、次第に青山の結界を狭めていき、ついに死角を突いて切っ先は青山の頭部へと届いた。

 

「ッ……」

 

 だがその瞬間、独楽のように体を回転させた青山が気を頭部に集中。額を擦らせるように棘へと擦りつけていなして直撃を避けた。

 しかし相手は絶対零度。気を最大出力で纏ったとはいえ、たちまち額は凍りつき、浸食する氷は忽ち青山の顔の左半分を凍らせた。

 刹那、右手の証がぶれ顔の氷を斬り砕く。顔には一切傷をつけることなく、氷だけを斬るという絶技は見事の一言。しかし気で強化していたにも関わらず、凍っていた部分は凍傷を起こし、さらに左目は完全に氷に飲み込まれていた。

 だから、眼球の氷が脳髄に届く前に、証を躊躇なく突き立てて、一気に抉り取った。

 

「ぃッ……!」

 

 切っ先に突き刺さった眼球が引き抜かれると同時、熱血が青山の眼底から迸った。残留した氷塊は流血に溶けて、直後、抉った左目がただの氷の塊になり果てる。

 だがそこに何かを思う余裕はなかった。そうしている間にも迫る棘を掻い潜らなければならない。一閃を忘れただけで再び棘が突き立つことを思えば、失われた眼球に思いをはせる暇は皆無だった。

 それに、そもそも、嬉しいのだ。

 

「ひぃひっ……!」

 

 奇声の如き笑い声が青山の口から漏れ出た。状況はあまりにも劣勢だ。唯でさえ密度の濃い軍勢は、エヴァンジェリンに近づけば近づくだけ、その総量を増やしている。さらにその棘の一つにでも触れれば、今のように体の何処かを失う恐れがある。

 まるでかつて死闘を繰り広げた酒呑童子のようだ。一撃が掠っただけで破壊に飲まれるのと同じ、エヴァンジェリンの氷は、掠っただけで殺される。

 だがそれは青山も同じだ。

 一撃。

 今度こそ、一撃。

 先程のように、矛盾を孕んだ状態の一撃ではない。正真正銘、斬撃という名の己を斬りつける一撃ならば、確実にエヴァンジェリンの命にだって届くだろう。

 

「エヴァンジェリン……!」

 

 その時を思えば、体中が快感に狂ってしまう。

 絶頂だ。

 あの吸血鬼を斬った時、俺は宇宙最高の絶頂を迎えることが出来る。

 ならば、眼球の一つくらい惜しむことなどない。

 むしろ己を斬るという行為にすら快感があった。

 世界が斬ることに終わっている。ありとあらゆる現象も、固形も、感情も、どこもかしこも斬撃が現れている。

 斬る。

 だから赴くままに斬る。

 

「エヴァンジェリン! エヴァンジェリン! そこだろ!? そこなんだろエヴァンジェリン!」

 

 歓喜に酔う修羅が行く。棘は次々となだれ込み、青山の体の至るところを凍らせていった。

 その度に青山は己の体に刃を這わせる。触れる度に流血。痛む体を斬撃。

 喜びに至る自傷行為。

 冷気よりも冷ややかなこの修羅場空間に漲る思いの丈。

 君の名前を呼ぶたびに、愛しき恋人へと送る愛の感情を滴る程に乗せていく。

 

「いい……凄くいい! 感じるぞ青山……貴様を感じるぞ青山! 刺したいんだろ? 私の『ここ』に! お前の『それ』を! 何度も何度も斬って斬って斬り続けたいんだろ!?」

 

 あぁ。

 わかる。

 その冷気がわかる。

 冷たい熱意が腹の奥にズンと響くのをエヴァンジェリンは感じた。薔薇の蕾を掻き分けて、ここに立つ自分を乱暴に引きだして、躊躇なくそのその刃を突き立てるのだ。

 乱暴に。

 痛い痛いと泣き叫んでも。

 貴様は絶対に止めないのだろう。

 

「愛だ」

 

 惹かれあうからわかるのだ。

 

「愛だよ!」

 

 恋慕しているから通じ合うのだ。

 

「愛してるんだよ青山!」

 

 エヴァンジェリンは吼えた。今この時、誰でもなく他でもない。青山という男と、エヴァンジェリンという女は惹かれあっている。

 斬りたいから。

 殺したいから。

 誰よりも互いを求めあっているこの状況を。

 愛という言葉以外の何で表現出来るというのか。

 

「わかるだろ? 貴様が盛った犬のように呼気を乱して唾液を滴らせながら私に迫りくるこの状況に堪らなく発情してるんだよ! 良い! 最っ高だ! 早く来い! 今すぐ来い! 私を斬ろうとする貴様を私は殺す。斬るだけに終わった貴様を恐怖のどん底に叩き落として、泣き喚く貴様の顔を撫でながら、その首筋にキスしてやる! そしてドクドクと脈打つ血管を食いちぎって、貴様の熱い冷血をたらふく私の胎に注ぎ込むのだ!」

 

 これほど素晴らしい瞬間は他にはない。今ここが命の極限であるということを、吸血鬼は脳髄が理解するよりも早く魂で理解した。

 頬を上気させ、興奮から硬く伸びた犬歯を剥いてエヴァンジェリンは迫りくる青山に呼びかけた。

 熱烈な求愛行動に、青山も全霊で答える。容赦なく斬り刻んだ棘が周囲に散っていく中、その中でひと際巨大な塊を、青山は空いた左腕に掴んで構えた。

 

「いいや。お前が食らうのは……俺の刃だけだ」

 

 右手の証が瞬き、左腕の氷塊が一瞬のうちに一本の氷の刀へと変貌する。青山はその切れ味を試すように、迫る棘に向けて数度振るった。

 右手に持つ証と同時に、即席の刃が歌を奏でる。それも僅か一秒。エヴァンジェリンとの距離換算だと数歩しか距離を詰められずに氷の刀は微塵と砕け散る。

 だがそれを見計らったように、再度棘を斬って作りあげた刀が左手に収まった。永遠に増え続けるのであれば、こちらもまた永遠に刀を振るい、刀を作り続ける。

 

「斬り続ける……!」

 

 前代未聞。史上最強の剣士による二刀流の切れは強力無比だ。物量を増す終わりなく赤き九天にすら遅れを取らない。物量には物量を。一本刀が増えただけで、青山の斬撃密度は倍どころか二乗されたかのような勢いで増大している。

 しかし代償がないわけではない。加工し、気で掌を強化しているとはいえ、元は絶対零度の氷塊。持っているだけで凍傷により掌は痛み、ぼろぼろになっていっていた。

 だが構わない。

 遥か高みに待つエヴァンジェリンまでは残り僅か。そこまで左腕が持てば充分だった。

 虚空瞬動は続いている。だが物量に押される今の青山には、常の圧倒的な速度は見る影もない。一歩、一歩、罪人が十三階段を上るように重々しく、青山は遥か上空の赤薔薇へと向かっていた。

 体は重かった。何度も体を凍てつかせた氷の棘によって、藍色の着物は鮮血で濡れていない個所はない。左の視界はないし、今まさに左手の人差し指が凍りついて砕け散った。

 残った四本で刀を掴む。問題なんて何処にもない。体は重いが、重さはとても心地よい。刃の冴えは加速している。一度斬る度に生まれ変わっていくような心地だった。

 斬り開いていくのだ。壊死していく肉体とは裏腹に、体は一閃ごとに覚醒していく。前へ、前へ、ひたすら前へ。重い体と軽い両腕。激痛を発しながら快楽物質を生産し続ける脳髄が、己の体を押し上げていく。

 これで幾つになるだろうか。限りなく時間が圧縮されて引き延ばされた世界で、ついに青山の左手の指が全て壊死して砕け散った。僅かな空白、斬撃結界に再び開いた穴に殺到する棘が、容赦なく青山の左腕に絡みつく。一瞬で氷の檻に閉じ込められる左腕を眺めた青山は、手首までを完全に凍らせた腕に、躊躇なく証を振り下ろす。

 

「シッ!」

 

 青山は呼気を一つ漏らして、手首ごと氷を斬った。凛と奏でながら鮮血がほとばしり、それすらも逃すまいと氷が血を凝固する。だがそれは青山によって指向性をもたらされた氷結。冷血に沿って伸びた氷は、手首から先で一本の刀となって完成する。

 腕ごと刀と為す。徐々に手首から先を浸食する冷気を甘んじて、青山は体と一体化した氷の刀を携えて、再度上空へと眼光を鋭く飛ばした。

 

「待っていろ」

 

 そこで待ち、この斬撃に分かたれる瞬間を夢見ているといい。

 そしてついに上空遥か、棘を斬りながらついに青山はエヴァンジェリンが眠る薔薇の蕾の前に立つ。

 だがここに至って左手の指はおろか手首まで全損。現在、氷の刃は手首から先はおろか、まるで針山のように幾つもの刃を腕から生やしながら、未だ凍結を止めてはいない。それ以外にも、藍色の着物はぼろぼろで、出血の痕も目立っている。唯一の救いは、傷口も直ぐに冷却されたため、出血は収まったことか。

 ともかく、青山はぼろぼろになりながらもエヴァンジェリンの前まで辿りついた。半分になった視界が、閉ざされた蕾を見据えると、その視線に耐えきれないように、ゆっくりと赤薔薇は開いた。

 

「よくぞここまで辿りついた」

 

 虚空を踏む青山を襲う棘を一度己の周囲に戻す。訝しむ青山にエヴァンジェリンは笑いかけると、雷氷が幾つも重なり合って、これまでよりも一回り以上膨れ上がった棘が幾つも誕生した。

 

「まずは四肢からもいでやる。安心しろ、その後優しく抱きしめてやろう」

 

「俺は斬るだけだ」

 

「必然だな。その時は犬歯を研いで私の胎にでも突き立てるといい……抵抗を止めるな。最後まで足掻いてみせろ。貴様の終わりで私を満たせ」

 

 いずれにせよ、ここで決まる。

 エヴァンジェリンは、祭りの終わりに対する物悲しさと似たような思いを感じつつ、両手に考えられるだけの魔法を展開した。

 充分だった。青山という人間が見せてくれた可能性の獣は、吸血鬼の全存在を叩きつけるには充分すぎた。寿命の定められた人間の身でありながら、ひたすらに修練を重ねて至る強さ。

 その強さはまるで、繰り返し槌を叩きつけて鍛え上げた名刀のようですらあった。

 そんな名刀が、芸術品の如く美しかった自らの体を斬り崩してまで、醜悪たる化け物の総称である自分の前に立つ。

 この奇跡。

 

「今の貴様は、美しい」

 

 傷つき、泥に汚れた姿の麗しきこと。額縁に飾られた絵画ではこうもいかない。完成された芸術が不完全を享受することで練り上げられた美しさ。

 至高の美。

 それを砕く、喜びよ。

 

「殺す」

 

 薔薇に立ったエヴァンジェリンの周囲に、氷の槍に刃、さらには暗黒の氷雪の嵐が無数と展開された。

 総軍を率いる指揮官の如く、掲げられた右手を振り下ろした瞬間、最後の激突は始まるだろう。

 その姿に青山もまた見惚れた。長年を孤独と過ごし、いつしか孕んだ化け物としての資質を開花させた吸血鬼の、恐ろしさすら感じる麗しさ。

 袈裟に斬られた体から出血を続けながらも、その美しさは衰えることはない。むしろその傷口すら美しかった。吸血鬼としての特性を完全に取り戻した結果か、新雪の如き白さの肌と、赤色はよく映える。冷気に靡く金髪も、同じ量の黄金ですら釣り合わない程の輝きと値打ちはあるだろう。

 そして真っ直ぐとこちらを見つめる二つの眼。僅かに吊りあがった瞳の中にたらふく詰め込んだ殺気は、最早自分への愛情であると言ってもいい。真っ赤な唇を自然と舐めるために、ぬらりと現れた舌先も、その向こう側にいる己を舐めるように妖しく蠢いた。

 愛されているなぁ。何ともなしに青山はそう思った。だからどうだというわけでもない。嬉しいやら恥ずかしいやら。この世で最も尊い美に見染められたことを誇らしく思うか。

 

「斬る」

 

 だが変わらない。それら一切の感情や思いを差し置いて、斬撃は先行する。気付けたのだ。あらゆる感情も、思いも、願いも、斬るという答えには届かないし、届く必要もない。

 美しいから斬るのではない。

 斬るから、斬る。

 そこを違えることは、もう二度と在りえないだろう。右手の証を握り直し、左腕に突き刺さった氷の刃は、筋肉を締めることでさらに固定する。

 そうしている間に、周囲を取り囲んでいた棘は、二人以外を切り離すように巨大なドーム状になって外界と隔絶した。氷の女王の最大展開と似たような状況。違うのは、その規模が山を飲みこんでなおあまりあるということか。

 ぼろぼろの青山に対して、傷を負っているとはいえ、魔法の規模、破壊力、そして軍勢、あらゆる要素でエヴァンジェリンは優勢だ。

 しかし侮ることはおろか、己が追い込まれていることをエヴァンジェリンは悟っている。確かに彼女の棘は並の術者はおろか、高位の術者でも一撃で殺戮するだろう。だが青山はその全てを掻い潜りここまで到達した。

 そして、その刃は今度こそ一撃でも当たれば、エヴァンジェリンを絶命させる。

 互いの命を曝け出す場。死の氷海の中心で向かい合った二人は、互いが死ぬ瞬間を思い描き、同時に互いの殺戮と斬撃を夢想している。

 

「……」

 

「……」

 

 言葉は不要ではないが、言葉を交わすのは今ではない。向かい合う死神。命を狩るのは果たしてどちらか──

 

 開始の合図は必要ない。

 

 これで、終わり。

 

「青山ぁぁぁぁぁ!」

 

 死の軍勢が機先を制した。無限が一を飲みこむ。雷氷が、槍が、刃が、吹雪が、これまでの全てを乗せたエヴァンジェリン最大最後の魔法は、その生で最高の破壊力と規模で青山へと突き進む。

 余力はない。エヴァンジェリンは己の魔力が完全になくなるのを把握しながら、無限の命すら絞り尽くして叩きつけるのだ。

 殺す。

 この願いだけを乗せた魔法は、腐乱死体よりも醜悪で、神々よりも美しい。

 世界を埋め尽くす破壊を前に、青山は嵐に飲まれる木っ端よりも軽く一歩を踏み出した。

 麻帆良全域を数度飲み込んで余りある威力が、棘によって限定された空間内に圧縮されている。例えるなら小規模のビッグバン。生死を孕んだ氷の極限に、青山はやはり木っ端のごとく飲み込まれ。

 凛。

 凛と。

 凛と繰り返し。

 凛と歌うは斬撃故。

 

「ぉ……おぉぉぉぉ!」

 

 己の存在を訴えるように、青山は無限に吼えた。一個の命だけで無限に相対した。

 斬り捨てる。隙間なんて何処にもない無限を斬り分けて、その向こうにいる少女を求めて斬り進む。

 視界なんて役に立たなかった。一面が赤、十が赤、一は己。どうやって進んでいるのかわからないし、次々に凍っていく自分の体すら後回しだった。

 一歩、踏み出した瞬間、体の末端から凍てついていく。冷気に飲まれた体。重要なのは進むために必要最低限な機能ならば、左足の防御は捨てる。

 一歩、一歩。赤の中心に小さな穴が開く。向こう側に黄金と白。抱擁するように両手を広げる少女を幻視。

 一歩、一歩、さらに一歩。幻視ではなかった。開けた先に吸血鬼。喜び揺らぐ哄笑を浮かべる少女の元へ、完全に凍った左腕を強引にねじ込む。

 一歩、一歩、さらに一歩、もう一歩。たちまち食いつぶされた左腕を、根元から斬り捨てる。そして出来た最後の隙、そこに体をねじ込んで。

 一歩、一歩、さらに一歩、もう一歩、後一歩。薔薇の内部に侵入を果たす。それを待ちかまえていたエヴァンジェリンが、指先より展開した氷の刃が放たれる。避ける余裕などなく、防御出来るのは最低限。重要な器官は守り抜くが、代わりに防御を忘れた左足が飲みこまれて砕け散る。

 そして、一歩なんていらなくて。

 

「エヴァァァァァ!」

 

 掲げた右腕、証の刀。証明するのは斬撃という解答。降り注ぐ棘よりも速く、決別の刃は化け物の心臓を──

 

「来い、修羅外道」

 

 凛と沁みこむ鈴の音。

 あらゆる全てが冷たい世界で、己の答えが間違っていないことに青山はひたすら感謝した。

 

 薔薇は、枯れる。

 

 

 

 

 

 赤色の世界が砕け散り、黒い夜空と美しい月が姿を現した。再び現実に戻った世界の中心で、抱きしめあうように寄り添う二人の男女が静かに大地へと落ちていく。無限の棘など存在しない。どれもが一個の命であり、増殖するとはいえ、元をただせばエヴァンジェリンの魔力だ。だから彼女が死ぬ以上、その全てが砕け散るのも自明の理。

 羽根のように柔らかに落ちていく中、口から大量の血液を吐きだしたエヴァンジェリンは、震える両手を青山の背中にまわした。

 

「いたい」

 

「あぁ……」

 

「いたいなぁ」

 

 エヴァンジェリンの心臓を貫いて背中から飛び出した証は、溢れたばかりの鮮血を切っ先から滴らせている。

 確実に命に届いた。今度こそ確信する青山は、最早指先を動かすのすら難しくなっているエヴァンジェリンの首元に顔を埋めた。

 

「斬れた」

 

「そうだな」

 

「君を、斬れた」

 

 決着はついた。

 四肢の半分を失いながらも、それでも渾身の斬撃を放った青山が、エヴァンジェリンの命を斬った。現状辛うじて息をしているが、それもじきに失われ、エヴァンジェリンの命はこの世から失われるだろう。

 霞む眼で、エヴァンジェリンは遠くを見つめながらそっと微笑んだ。

 後悔はない。

 互いに出し惜しみすることなく命を叩きつけ合い、結果として敗北はしたが、充分以上に満足のいく終わりだった。

 どちらの体温も冷たいままだ。修羅場に相応しい冷ややかな体を摺り寄せて、二人は光から遠ざかるように落ちていく。淡く散っていく赤い飛礫だけが、そんな二人を優しく包み込んでいた。

 

「……エヴァンジェリン」

 

 青山は少女の名を呼んで、二の句を告げることも出来ずに黙りこむ。

 かけるべき言葉は自分にはない。

 斬れたという言葉こそ、伝えたい全てであり、それだけでエヴァンジェリンにも充分過ぎた。

 

「いたいな。あおやま」

 

 エヴァンジェリンもまた、それ以外に伝える言葉は殆どなかった。

 痛いのだ。

 そして、居たいのだ。

 この無限に引き延ばされた永劫刹那。修羅と化け物、二つの命しか存在しない奇跡の空間。

 こここそ、地獄。

 まさに修羅場。

 反吐が出るくらい素敵な場所に違いない。

 

「……あおやま」

 

 だが何事にも終わりはある。

 殺すことに終わるように。

 斬ることに終わるように。

 修羅場にだって終わりは存在していて。

 

「そうだな」

 

 エヴァンジェリンの首筋から顔を離した青山は、眠るように目を閉じた。

 もうすぐこの世界も現実に戻る。時間すら曖昧な場も、冷気を埋め尽くす熱気に飲まれれば最後、終わりの向こう側へと至るならば。

 

「さよなら、エヴァ」

 

 最後に、額を合わせて淡く微笑めば、少女も無邪気に笑い返した。

 

「さよなら、あおやま」

 

 引き抜いた証を真横に振るう。凛と響き渡る歌声は、フェイトが奏でたそれに勝るとも劣らぬほど美しく世界へと響く。分かたれた少女の冷血は、思った以上に暖かく、まるで太陽の日射しに包まれているような温もりに嬉しくなる。

 

「さよなら……」

 

 最後に一言、分かれの言葉を告げて。現実に戻った時間と重力が、恐ろしい勢いで青山を大地へと引き寄せた。

 そして、着地。片足片腕になったことで少々バランスを失ったが、今の青山はそんなことすら些細なことに思えるくらい、気が充実していた。

 

「……斬るよ。これからも」

 

 消え去った少女の魂を見送って、欠けた瞳が黒い色で月を見上げる。エヴァンジェリンの答えに引き寄せられることはない。その証すらも斬り裂いた今の青山は、あらゆることに動じることはない。

 ただ。

 ただ少しだけ、悲しさはある。

 

「ありがとう……」

 

 再びこの場所に立たせてくれた少女に向けて。

 青山は、祈りを捧げるように刀を空へと突き立てた。

 

 さぁ、俺達の愛した修羅場を、再びここから始めよう。

 

 

 

 




次回、最終話【修羅場Lover】

斬って斬って、それで終わり。
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