――ならば、これが敗北というものだろう。
英雄とその息子。並び立つ両者の姿を見た瞬間、あるがまま、己が敗北するだろうことを青山は理解した。
傷ついた体はもって後数分動ければいい方で、視界は削れたまま、呼気は荒く、欠損した四肢が絶え間なく激痛を訴えている。万全には程遠く、エヴァンジェリンとの戦いを経た今、先程までは何とかなっていたが、既に戦うということはほぼ不可能な状態だ。それほどまでにエヴァンジェリンは強敵であった。
そんな相手と戦えたことに後悔はない。だがそれでも、今の青山では彼らを相手取るには些か以上に消耗しすぎていた。
万全の己ですら、無傷では斬り落とすことは難しい相手、英雄、ナギ・スプリングフィールドを筆頭に、未だ届かぬとはいえ、不意を打たれれば今の自分にすら充分手傷を負わせることが可能なネギと、未知の移動術を持つ超に、さらに後方では三人を支援する狙撃手である真名が静かにこちらの隙を窺っている。
勝機は万に一つにすら届かない。もしも相手がアルビレオのままであったなら、近接で青山に匹敵する相手がいないため、まだ勝機はあったのだが、万全の己すら苦戦は免れぬ敵、ナギが出てきた時点で、この戦いの勝敗は決した。
青山は負ける。
それも、これ以上ないという程惨めな醜態をさらして、青山はその命の灯火を消されることになるだろう。
「ひっ」
青山の口元に笑みが浮かんだ。凍傷で爛れた顔面で笑うその様を見て、ネギ達の顔から血の気が引き、ナギの顔すら僅かに歪む。
構わなかった。
敗北がこの先に待っているとわかっていても。
だからどうしたと。
凛と証を空へと伸ばして、己の在り方をただ歌う。
「いざ、尋常に」
そも、エヴァンジェリンとの戦いを終えた時点で、己の体は限界を迎えていた。
どう工夫しようが。
どう生き足掻こうが。
どうしようもなく、己の体は死に絶えていて。
「斬る」
それでも行くのだ。
ひたすらに。
この刃が冴え渡るまま飛び出して。
青山の体がぶれる。虚空を蹴り飛ばして距離を埋めるその技量に衰えは見えぬ。ネギ達が反応する暇すらも与えず、羽のように軽やかに飛びだした向こう側、唯一その姿を捉えていたナギが、大上段からネギに襲いかかる証の軌道上にその体を滑り込ませた。
「おらぁ!」
証の横腹にナギの拳が突き刺さる。強引に切っ先を逸らされた青山は、片足では踏ん張ることも敵わず、拳の勢いに押される形で真横に吹き飛んだ。
「ッ!? はぁ!」
遅れて、今の一瞬で自分が斬られていたかもしれないことを察したネギだったが、直ぐに気を引き締めると、砲弾の如き勢いで吹き飛んでいる青山に、雷轟の一撃を放出した。
吹き飛ぶ青山に一瞬で追いつく雷のアギト。光の中へと自身を飲みこもうとする破壊の柱。
だが青山が意識するよりも速く、肉体が主を置いて刃を走らせた。
凛。
音と成り果てて消滅する雷撃。だが消し飛ばした閃光の向こう側から、躍り出る閃光がさらに二つ。
「雷の暴風!」
「はぁぁぁぁ!」
ナギの掌から迸る雷の乱気流と、ネギの拳から解放された紫電の一撃が、青山に休む暇すら与えない。
直撃は、そのまま敗北に直結する。最早、余裕をもって迎えられるような魔法ではない。決死の覚悟で雷光に振るうは神速の太刀。尚、衰えを見せぬどころか冴えを増す剣戟は、一刀の元に二つの必殺を両断した。
──その隙間を縫うように、こめかみに走る殺意の電流。
「ッ!?」
全力の刃を振るった僅かな隙を逃さずに、真名の放った弾丸が青山に襲いかかる。例え真正面では狙撃が出来なくとも、戦場を渡り歩いてきた兵たる真名は、即座に自分の役割を判断して、行動に移している。
援護射撃。しかも青山の斬撃を縫うという恐るべき絶技を果たす真名は、遠方で体中から流れる汗と、乱れかけの呼気を整えつつ、強引に弾丸の射線から体を逸らした青山を追うように続けて引き金を引いた。
たかが狙撃と侮れはしない。今の真名は体が壊れるのも厭わずに、青山の隙を見逃さぬように全神経を向けている。そこに向けられるエネルギーは今も戦っているナギとネギと同じか、あるいはそれ以上の消耗を真名にかしている。
この狙撃は、後六発。それを過ぎれば、集中力を使い果たした真名の意識はそこでぶつ切りとなるだろう。
「……」
思考の片隅で、焼が回ったかと真名は自嘲した。戦いの場において、兵士、特に傭兵であった真名は全力を振り絞って戦うことの愚を熟知している。逃げるための余力を必ず残しておくことは、傭兵の鉄則だ。
だが。
だがしかし。
スコープ越しに見据える暗黒。
あんな化け物から、一体どうやって逃れろというのか。
「ッ……」
続いて、ナギとネギが青山を追いたてている隙を捉えて、真名は青山の足に銃弾を叩きこんだ。高速で動く青山の動きの先を捉えて真名の弾丸がその太ももに吸い込まれるように着弾する。
その瞬間。青山が独楽のように体全体で回転した。その動きは恐るべきことに、太ももに触れた弾丸の回転と同じ。それにより見事音速を突き抜けた弾丸をいなして見せた青山に、真名は呆れとも恐れともつかぬ笑みを浮かべた。
代償として青山の太ももの皮膚が弾けて血が噴き出したが、対戦車ライフルの直撃を受けたはずなのにその程度。
例え弾道ミサイルがあったとしても、この化け物には通じないのではないか。そんな在りもしない光景を思い浮かべながら、真名は朦朧としかけている意識を繋ぎとめて、青山の隙が再び見えるまで集中力を高めていった。
─
「ッ……」
一方、超は自分では最早この状況で何も出来ないことを悟り、ナギとネギ、そして真名に戦場を預けて、自分は遠方で待機している茶々丸と聡美のいるセーフハウスにまでカシオペアを使って急行していた。
転移を繰り返しながら、己が未だ本物の魔法使いという存在に対して過小評価を下していたことを恥じる。最新軍用強化服にカシオペアによる時空間移動。特に後者の反則的な能力は折り紙つきだが、それでも超ではあの領域にはまるで届かない。
唯一ネギのみが、カシオペアを使用することで何とかナギと青山の戦いに真正面から介入することが出来るのだが、それにしても咸卦法を下地にした闇の魔法という、魔法世界でも群を抜いた究極の技法を用いた結果だ。
だがナギと青山、あの二人は違う。
魔法技術の頂点に位置する技法である咸卦法に闇の魔法、科学の粋を尽くしたカシオペア。それら一切を使わず、単純なスペックのみで、その戦闘力は一国の軍事力を上回る程である。
──アレが裏世界の最強。だとすれば、世界は、人間は、あの領域に突入するまでどれほどの時間を費やさなければならないというのか。
核弾頭すら上回る個人の存在。そんな者が現れ、そして戦っている以上、指揮官の立ち位置に居る超は、最悪の事態を見越して動かなければならなかった。
「撤退準備は出来たカ?」
「……はい。ハカセのほうは既に離脱をしました。私も超が合流場所に到着次第、離脱可能です」
「そうカ……」
最悪の事態、それは青山が勝利するという最悪のそれ。
勝つ見込みはあった。京都で撮影した青山のスペックと、今も戦っているネギ、死したエヴァンジェリン、そして保有するその他戦力を合わせれば、勝算は九割を越えていた。
少なくとも、実際に対峙するまでは、勝敗はほぼ決していたはずだった。そして、客観的に見た場合、現状の勝率はほぼ百に近いと言ってもいい。
その最大の理由がエヴァンジェリンであり、駄目押しとなったのがナギの存在だった。
勝てるはずなのだ。どう考えても、青山は半死半生であり、放っておいても自滅するのは目に見えていた。
最低でも、計画が発動する瞬間まで抑えることは可能なはずで、残り十五分を切った今、超の勝利は確定したはず。
そう、はずだ。
はず。
多分。
でも、もしかしたら──
「ッ……!」
超は脳裏を過った最悪の光景に顔を顰めた。だがそれを振り払ったりはしない。
最悪は、あり得る。
その確率は万分の一以下。億も兆もないけれど。
あの男ならば、それこそ那由他の確率すら掴みとってしまうではないだろうか?
「合流が出来たら、直ぐに離脱を始めるヨ。世界樹の発光と共にプログラムが起動するようには出来ているカ?」
「はい。滞りなく、現時刻より約十四分後、自動的に認識魔法は世界に広がるようセッティングは終わりました。ですが──」
「ん……? 何か問題ガ?」
「はい。明日菜さんが、無断で出て行ってしまったようで……」
「ッ……わかった。明日菜サンはこちらで回収して合流するヨ。だが、もし時間に間に合わなかったら、そっちだけで離脱するネ」
「……わかりました」
「よろしく頼むヨ」
超は通信を切ると、再び空間転移を行い、出ていったという明日菜の足跡を追うことにする。
いずれにせよ。
この戦い、どちらに軍配が上がったところで、超の計画は確実に発動することだけは見えている。
だがもしも最悪が起きた場合。
「その時は──」
世界が魔法を認識していく。
そんな世界に、あの修羅外道を放つこととなるのだ。
─
意識はゆっくりと削られていた。
剥離していく意識と、合わせて喪失していく視界。既に手に持っている証すらぼやけて見えている現状に、青山は確実に近づいてくる敗北の影を背中に感じていた。
「おらぁ!」
濁流の如き魔力の塊が振り下ろされる。乾坤一擲、威勢の良い掛け声は、青山では生きつけぬ、灼熱の感情を宿した至高の一振り。
痛む肌をさらに焦がす熱量に、真っ向から冷たい刃を叩きこむ。凛とはいかぬ、斬と斬り捨てられた二つの熱量の間を、青山は虚空瞬動で駆け抜けた。
大気が爆ぜ、衝撃波を引きつれて青山がナギへと強襲する。
間合いまで後一歩。
だがその距離を埋めるよりも速く、横合いから轟き駆ける雷轟が、削れた視界すら光で埋め尽くして青山へと殺到した。
その数は十。恐ろしいことにこの極限状況で、ネギは雷轟の一撃を拡散させるという荒技まで行えるところまで成長をしていた。
その成長を内心で喜びつつも、ただでこの身をやるわけにはいかず斬撃を数えて十。重なった音色が不協和音を響かせる空間。青山の斬撃空間、すなわち死地へと飛び込むのはナギだ。
「うらぁ!」
魔力を纏った拳が青山の顔面に飛ぶ。だが幾らか甘い。功を焦ったのか、僅かに大ぶりとなったその拳を逃す青山ではなく、冷徹に冗談から拳目がけて証を振り下ろす。
しかしナギの拳を切断するはずだった証は空しく虚空を払うだけだった。一瞬の空白、視界が使えないためにやってしまった青山らしからぬミス。
フェイントをかけられた。直前で引っ込んだ拳を見送った青山は、死角となった左側より強襲する回し蹴りの気配を察知して上半身を限界まで逸らした。
「マジかよ!?」
ナギが驚きの声をあげる。相手の状態を見抜き、絶好のタイミングで間をずらし、渾身の蹴りを放ったのだが、これを回避されるとは予想だにしなかった。
だがそれも当然。学園全土を探知する脅威の知覚をもってすれば、この程度は目が見えなくても可能だ。
それでも肝を冷やしたのは事実。額をかすめていった健脚に震えつつも、体を逸らした勢いのまま、右足をナギの股ぐら目がけて蹴りあげた。
「よっ」
回避に連なった攻撃を、ナギは振り抜いた足を戻して脛で受け止める。互いの足が激突し、骨と骨がぶつかったとは思えぬほど、腹に響くような重低音が鳴った。互いの魔力と気、一方が僅かにでも劣っていたならば、その足が砕け散っていたのは言うまでもない。
魔力と気。両者の扱う力の源泉は違えど、その質と量は秤で測ったように互角だった。
ならば戦いを決する材料は何か。
青山にとってはこの距離。最も得意とする接近戦こそ勝利への道筋であり。
「はぁぁぁぁ!」
ナギにとっては、己の背中を預ける仲間こそ、修羅外道を打倒する鍵であった。
唸る紫電が、三度斬撃を放とうとした青山の四方八方から襲いかかる。一撃が致命的である今の青山にとって、一撃の威力よりは分散させてでも手数で押し切るのが妥当。それを僅かな戦いの間で判断したネギのやり方は上手いと言わざるをえない。
現に青山は音速を遥かに凌ぐ雷撃の群れを迎撃しなければならず、結果、己の射程に入れていたナギを取り逃がすことになった。
「ぎひぃ……!」
悲鳴ともつかぬ声を上げながら、青山が雷光を斬り落とす。霧散する閃光は、まるで夜に花咲く星屑の如く、では光の粒子を纏う青山は、さながら暗黒世界で尚黒を主張するブラックホールか。
あらゆる全てを斬り落とすならば、あらゆる全てを飲みこむブラックホールと相違ないだろう。銀閃を翻して、星屑を振り払って突き進む姿に、流石のナギですら冷や汗を隠しきれない。
「こいつ……」
ぶつかり合う度に、ナギは青山という人間を分かってきていた。
それは同時に、決して相容れない存在であるということを理解するということと同義である。
青山は人間が人間らしく生き続けた結果だ。己のためだけに殺しを肯定するという、野生の獣には持ち得ぬ人間らしい感情を突きつめたなれの果てだ。
だがそれはあくまで人間の本質の側面の一つでしかない。
斬撃。
その様に鋼。
成程な。ナギはそう納得しながら、だがそれでは人間は直ぐにでも滅亡してしまうという思いがある故、拳を固めて叩きつける。
人間の在り方は、人間の可能性にだって打ち勝つ。野生の獣のように、ただ食らい、生き、子孫を残し、次代に託すだけではない。その過程で積み上げられる思い、感情、絆、願い、これら人間の在り方こそ、人間が持ち得る最大の武器にして、かけがえのない宝物だ。
それは時として、あらゆる困難すら跳ね除けて、不可能すらと踏破する。
だから、人間のみが紡げる過程が、人間の原始的感情のみが辿りつく終わりに敗北するなどということはないのだ。
ナギは知っている。
人間の可能性とは、人間の在り方であり、決して一つの自我が持ち得る感情のみで行きつける場所のことではない。
その願いを込めて、ナギは拳を叩きつけるのだ。
善でも悪でもない。
ましてや、可能性の終わりに捕らわれた鋼の如き一本芯でもない。
複雑に絡み合う、絡みついてぐちゃぐちゃになった様々な願いや祈り、紡いできた絆。
ナギがその拳に乗せるのは、そんな小汚くて醜くて、だけど栄光ある宝物。
「ぃ……!?」
その拳を受けて、証が再び軋んだ。斬るという一念にすら響く英雄の拳は、そのまま青山の内部にまで浸透して、心の奥から熱を伝えてくる。
修羅場に吹き付ける熱気を青山は感じた。心ごと温めてくれるような、前に進む活力をくれるような熱風を浴びて──憤怒。
「ふざ、けるな!」
「ッ!?」
青山はその熱風もろともかき消すように、雄叫びをあげながら証を振り払ってナギを吹き飛ばした。
着地。肩で息をしながら、青山は遅れて大地に降り立ったナギを睨んだ。
「ここは……俺達の場所だ……!」
修羅場がある。
何処までも冷たくて。
あらゆる全てが絶対零度よりも冷たくなっていくこの場所。
凍るのではない。
冷たい熱がそこにはあって、美しいまでの零秒にこそ、命の煌めきがあるからこそ。
「お前は……邪魔だ……!」
かつてのように。
酒呑童子が。
フェイト・アーウェルンクスが。
そして、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが。
彼らが愛した修羅場に、ナギ・スプリングフィールドという太陽は必要ない。
大上段に構える証に、青山はこれまで交わしてきた思いの丈を乗せた。
確かにナギの拳は重い。
自分にはまるでない、人々と通じ合うことで重ねてきた願いの重さがある。
だが。
無数に重ねた個の感情が。
一個人の鋼に勝ると、誰が決めた?
「これが俺だ」
青山は誇示する。
天すら突かんと伸ばした刀こそ己だと。
「俺が青山だ」
青山。
だから青山。
己こそ、修羅外道。
永遠にこの場に居続ける、孤独の戦鬼。
「刀なんだよ……」
念じるように、訴える。
刀で、鋼で、故に青山。
斬撃でしか語れないから。
そこに他人という名の熱風はいらなくて。
「……だからどうした」
その有り様を、ナギが理解なんて出来るわけもないし、してやるつもりもない。
反発しあう英雄と修羅。最早その激突は、同族嫌悪のそれのようにしか見えなくて、戦いの中、ただ援護を続けるネギは、未完成であるという呪い故、どちらが正しいのかわからなかった。
「……父さん、青山さん」
声は睨みあう両者の耳には届かない。まるで置き去りにされたような心地になって、ネギは悲しげに目尻を下げた。
ナギという英雄か。
青山という修羅か。
分からぬままに、だがしかし、今自分の居る立ち位置だけで、ネギは戦うのだ。
そして、極限状態の今、そんな息子の機微に気付ける程、ナギにも余裕があるわけではなかった。
「よくわからねぇがよ!」
ネギの葛藤から背を向けるかの如く、ナギは一歩で青山との距離を埋めると、着地と同時に全力で大地を踏みぬいた。
あえてそれの名前を呼ぶなら震脚だろう。だが人間の放てる限界値を遥かに凌いだナギの震脚は、大地を砕き、岩盤ごと青山を宙に浮かせる。片足では踏ん張りの聞かぬ青山は一瞬体勢を崩し、その隙を狙って大地を踏み抜いた蹴り足の威力をそのまま乗せたナギの体が、弾丸のように虚空の青山目がけて飛んだ。
反撃する暇もない。見事、青山の太刀を振るえぬ状況は作り出された結果、青山は咄嗟に証の刀身で拳を受けるしか出来なかった。
激突。
空気が乾いた破裂音を響かせて、音速を突き抜けた両者の体が上空へと一気に舞い上がる。空に伸びゆく流星は二つ。反発しあいながら、睨みあいながら、感情のままにナギは吼えるのだ。
「テメェの身勝手に……周りを巻きこむんじゃねぇ!」
言葉は交わしていない。そも、ナギは青山の名前すらも知らない。
だがそれでもナギはこの戦いを通して、青山という人間がどういったものなのかは肌で感じていた。
「巻き込むつもりは毛頭ない」
それは青山もまた同じ。太陽を侵略する極寒の暗黒の瞳がぎょろりと見開き、真っ向からナギを見返した。
「余分な熱を孕んだお前が……何を言うつもりだ!」
気を収束。滂沱の気に膨れ上がった右腕が証を強く握りこみ、接触するナギを振り払った。
弾け飛ぶナギは、虚空で体勢を整える。その僅かな間に間合いを詰めてくる青山と、魔法の射手を練り上げたナギ。
「そらぁ!」
百を越える破壊の流星が迫りくる。呼気一つ分の時間でこれだけの破壊を練り上げるその技量に感服する。
故に、斬る。
百を一で斬殺し、底の見えぬ気を両足にまとめ上げて、青山はナギへと飛んだ。
「ッ!」
だがそこにネギがカシオペアを使い割り込んできた。しかし青山は驚いたりしない。己の知覚領域を越える動きであるならば、最初からそういうものとして対処すればいいだけの話。
狙うのは転移が行われたその次の瞬間。ネギの雷轟が閃光を放つ間際、青山は体から溢れる流血をすくい取り、気で圧力をかけた血を、転移したネギに投げつけた。
「いぎ……!?」
雷轟を振り抜く直前、右肩と脇腹を斬り裂いた血の手裏剣によって、ネギの動きが鈍る。それだけあれば充分に雷轟の捕捉を振り抜くのは容易だ。虚空瞬動で再度ナギと激突した青山は、最早対処法を見つけて眼中にすらなくなったネギに目もくれることなく、刃に己を叩きつけてナギへと送る。
応じるナギもネギを意識する余裕などない。満身創痍の身でありながら、自分と同等に戦いを繰り広げるこの相手に対する敬意と、それ以上に胸にこみ上げてくる嫌悪感。何より、ここで青山を倒さなければならぬという、英雄としての本能が、ナギをしてその眼には青山しか映さずにいる。
刀が華散らし、拳が流星を描く。曲線と直線が重なり合い、刻一刻と限界時間が近づく両者の思考に、さらに全力を振り絞らせることを強要した。
ナギは残り五分で自分が消えることをわかっている。故に、今使える全てをこの五分で叩きつける。
青山もまた、自分が残り数分も命が続かないことを知っている。だからこそ、いつものように、刃を振るい続けるのだ。
全力で駆け、命を賭ける。
最強と最強の激突には、余人の入りこむ隙などない。
一瞬で遥か彼方へと飛んでいく二人の影を追いながら、ネギは自分だけが何も出来ずにここに居ることを実感として受け入れた。
真名は既に己の限界を越えた射撃を終わらせて、意識を失っている。
超は今も最悪の事態を考えて、聡美と茶々丸と明日菜を撤退させる用意を進めている。
だが自分はどうだ。
何も出来ない。
出来ることは一切ない。
「僕は……どうして……!」
今にも臓物が溢れそうになっている横腹の傷口を抑えながら、ネギは己の無力を嘆いた。
それでも、ここに至ってわかったことがある。
自分は誰よりも中途半端だ。
明確な信念もなく。
明確な覚悟も持たず。
ただ、間違っていると思うから、この世界に魔法を知らしめよう。
それだけで、自分はこの戦いに赴いた。
ならば成程、覚悟が足りないと青山に言われるのも無理はないだろう。
戦うための力はある。
だがそこに込めるべき己が欠けている以上、その様では修羅外道にすら劣る半端者だ。
「だけど……」
ネギは空を見上げた。空を踏みしめて激突を続ける二つの光。
かたや一時のみの幻想。
かたや一時のみの骸。
この煌めきを経て続くことのなき命を燃やして戦う二人とは違って、ネギには先へ行ける足があるから──
「僕は……!」
覚悟を決めろ。淀んだ右目に決意を。澄んだ左目に渇望を。
宙ぶらりんのネギだから込められる意志を叩きつけるために、月光へと雷を突き立てろ。
「解放!」
雷轟無人の籠手が輝きを増す。今で足りぬのならばもっと上へ。渇望する力の根源にある闇が、ネギの意志を貪り食らって唾液を滴らせる。
光り輝く籠手が新たな紫電を纏った。闇の魔法の上にさらに上書きされた極限の魔法。
出し惜しみなし、唯一残された最後にして最強の一手。
「あぁぁぁぁ!」
ナギと青山が再び磁石のように反発して吹き飛ぶ。その瞬間を見計らって、カシオペアが起動したネギが青山の目の前に飛びだした。
「ネギ!?」
ナギがあまりにも無謀なネギの行動に目を見開く。だがそれは青山も同じで、近接では危険と知りながら、敢えて身を差し出したネギの思考が理解できずに動きが乱れた。
そこに勝機がある。
光の籠手に束ねられた咸卦の力と、その上に上乗せされた切り札──遅延魔法で術式をストックしていた千の雷が火花を散らす。
雷轟の最大出力と合わせて、千の雷が二つ同時に放たれるという異常事態。その右腕の一点に、小さな村なら容易に消し飛ばすことが可能な破壊の乱気流が収束し。
「ぉやまぁぁぁぁぁぁぁ!」
縋るように敵手の名前を呼ぶ。
だがそれも同時に放たれた雷轟と千の雷の重複魔法の響かせる轟音にかき消され。
「くはっ」
笑みを浮かべる修羅外道。
恐るべき破壊に体を蒸発させながら、証の一振りが差し出されたネギの右腕を、肘の部分から斬り飛ばした。
閃光。見ただけで網膜を焼きつくす光に、青山の体が全て飲みこまれる。
「チッ……!」
その全てを見届けることなく、腕を斬り飛ばされたネギが、流血を夜空に散らしながら落下していく。ナギは慌てた様子で、舌打ち混じりに駆けつけると、その体を優しく抱きとめた。
「馬鹿野郎! アホなことすんじゃねぇ!」
「は、はは……父さんに、怒られちゃった」
無謀を叱咤するナギに、ネギは痛みに呼気を乱しながらも嬉しそうな笑みを浮かべた。
──何で笑ってんだ。
ナギは見当違いな喜びを見せるネギに再び言葉を重ねようとして、口を閉じて、夜空に視線を向けた。
「父、さん?」
「……まだだ」
ナギが視線を送る先、吹き抜けてきた風が肉の焦げる嫌な匂いを鼻に届かせた。遅れて、先程の一撃で舞いあがった煙がかき消される。
「ひゅ、ご……」
「……マジかよ」
ナギが額から脂汗を流して見据えるそこに、辛うじて腰に着物が巻き付いただけの青山が、力なく息をしつつも虚空をリズミカルに叩いて立っていた。
青山が飲みこまれた多重雷轟とでも呼ぶべき一撃は、麻帆良学園都市に着弾して、その景観の半分程を薙ぎ払っている。天災級の魔法を二つ重ねた破壊力だ。その程度は当然あるべきなのだが。
問題は、それほどの技を受けて、未だ青山が生きているということにある。
「こ、ひゅ……」
露わになった上半身は、至るところが火傷を負っている。酷い所では炭になっている部分もあり、凍傷で左半分が崩れた顔など、多重雷轟によって元の顔の形すらわからぬ程、見るに堪えぬものと成り果てた。
だがそれでも、証を握る右腕だけは、刀身と同じく傷なく綺麗なままだった。刀と一つになっているかのように、そこだけが完全に青山から浮いている。
いっそ、あの右腕こそ青山の本体だと言われても納得出来ぬほど、傷すらないその腕は異彩を放っていた。
「……もう、時間もねぇか」
ナギは残り僅かとなったイノチノシヘンの効果を考えて、覚悟を決める。
青山は、放っておいても死ぬだろう。最早その傷は取り返しがつかず、今この瞬間に心臓を止めて倒れたとしてもおかしい話ではない。
しかしナギの直感は、今、この場で、己の手でアレを止めなければならぬと訴えていた。
死ぬはずだ。
放っておいても、人間ならば死ぬはずだ。
「何て、都合のいいことは思わねぇよ」
ナギは分かっている。
青山。
恐るべき青山。
この十分にも満たない戦いの中で、今や唯一の理解者とも言える青山素子以上に、ナギは青山という男を分かっていた。
分かりたくないけれど。
分かったのだから、仕方ない。
「ここでテメェを倒すぜ? じゃねぇとテメェはそのままだ……『生きてもいねぇ癖に、いつまでも生きようとしてるんじゃねぇよ』」
「ヒッ……」
青山は悲鳴とも笑い声とも取れる引きつった声を発した。
彼もまた、ナギという存在を分かりたくもないのに分かっているから。
──あぁ確かに。英雄と言う存在は、斬りたい程に胸糞悪いな、エヴァンジェリン。
脳裏で、英雄を語っていたエヴァンジェリンの姿を思い出す。彼女が待ち望み、忌々しく思い、そして恋い焦がれた英雄という存在。
それが目の前の人間だ。名前は知らなくても、きっとこの男こそ英雄で、誰もが信じる暖かな強さを宿す者だ。
「ぅぃ……ひぇ」
口から奇声とどす黒い血液が溢れた。
時間はもうない。立っているだけで絶命しそうな体。だというのに証を握る腕だけは、羽根のように軽く、思うよりも速く夜空を引き裂く大上段に構えられた。
「う……ぅぁ。父さん?」
「飛べるか?」
ネギは頷きを返しながら、ナギの手を離れた。
浮遊術で体を浮かしながら、欠損した右腕を治癒魔法で止血する。傷口は、痛みとともに直ぐ無くなった。傷口が綺麗だったことが回復を促進したのか。あるいはまた別の理由か。
どうでもよかった。
それ以上に、腕すら犠牲にしてまで、自分では青山を殺すことが出来なかった事実が、歯がゆかった。
「……ッ」
睨みあうナギと青山をしり目に、ネギは歪む顔を見られないように逸らした。
確信だ。
この戦いは、次の一撃で呆気なく終わる。
ナギも青山も、互いに残された時間はないから、どちらもこの今に全てを賭して、命の炎を燃やすだろう。
そして、中途半端なネギは、その光景を見ることしか出来ない。
青山を打倒するために作りあげた雷轟無人も、反則技であるカシオペアも。
どちらも使用して、さらに生徒であるエヴァンジェリンや、超等を巻きこんでまで、青山を倒すために尽くした時間。
それら一切が、全て無駄だった。
化け物。
英雄。
修羅外道。
ネギが積み上げた全ては、これらには一切通じぬものでしかなくて。
「ネギ……行くぞ?」
そんな自分が、未だに期待されている。
絶望的な心地だった。
「僕、は……」
あくまで、仮定の話だが。
ネギが修羅か英雄か。あるいは道半ばを行く戦士としてこの場に居たのなら、ナギの対応は問題なく、青山はただ惨めな醜態を晒して、呆気なく死に絶えていただろう。
だがしかし、現実は非情だ。
青山という恐るべき相手と対峙している今、例え英雄であっても、息子とはいえ、見ず知らずの相手の心境をくみ取れるわけがない。ナギとしては、青山と対峙するだけの強さをネギが見せていたから、今こうして共に戦う仲間として信頼をしている。
だがその内側を知れば、ナギは決して背中を預けようとはしなかっただろう。
見せかけだけの、張りぼてな戦士。
今のネギを表す言葉として、それ以上のものはない。
しかし状況は最早決まった。
青山はここに至り、ネギの成長にではなく、目の前に居るナギという男に全霊を込めることを決意し。
ナギは青山を倒すために、ネギの力添えを前提条件として組み込んだ。
そしてネギは──
「ハァ!」
「くぁ……!」
覚悟の時間は残されていない。決定打を与えることもなく戦い続けていた二人が、ここに来て己に残された時間を知り、拳と鋼。双方が信じる必殺の武器に持てる全てを注ぎ込む。
その膨大な量は、質量をもって世界に伝播していく。大地が、大気が、あらゆる全てがこの後起きることに恐れ戦くように震えだす。
勝敗を決するのは、繋いできた思いを乗せた拳か。あるいは個の終わりのみで磨き上げられた鋼か。
どちらも立ち位置は違えど、人間の至れる極地へと到達した者の一撃。束ねられていく全開が、暗黒すらも塗り潰して自我を世界に訴える。
そして今まさに激突が行われる間際。ナギは小さく、後ろにいるネギに声をかけた。
「ネギ……」
「え?」
「任せたぜ」
信じているから。後を託す。
そして、月光の下。震撼する世界とは真逆に、静かに飛びだした二つの影が交差する。
青山が乗せるのは斬撃だ。そこに余分はいらない。
鋼たれ。
ひたすらに鋼であれ。
愚直であることの誉れを誇るだけだ。
月下に光る鈍い鉄が、怪しく光を照り返しながら、暴食するように鋼であると確約された気を飲みこむ。
斬撃という一つの形。
至ったのだ。そう青山は確信する。
対して、ナギの拳は雑念に固まっている。
だがそれは決して余分などではない。紡いできた数多の意志、願い、拳に巻き付けた絆という雑念は、対面する青山の鋼にすら負けぬ硬さを誇るだろう。
そこにありったけの魔力を混ぜ合わせる。混沌と化した拳が紫電をまき散らし、ナギという英雄の命を光と熱量と変えて顕現させた。
互いに残された時間は一秒。
死の刻限が迫り、流血を傷口や体の穴という穴から垂れ流しつつも駆ける青山。
アーティファクトに刻まれた幻想が切れる時間が迫り、己の体が光の粒子となって消えていくことを自覚しながらも飛ぶナギ。
黒の流星。
白の流星。
観客は唯一人。一方には見限られ、一方には誤った信頼を向けられた哀れなる道化のみ。
だからこそ、この戦いはドラマ等何もない。あまりにも退屈な終わりが待っているのは、目に見えていて……。
激突する両雄。
そして──斬撃は、空を裂いた。
「……あ」
人の終わりに行きついたとはいえ、所詮青山もまた人である。
その結末は当初から分かりきっていたことだった。
空しく空振った刃は、エヴァンジェリンとの戦いで見せたような切れなど微塵もなく。ここまで保ったことこそ奇跡のようで。
頭髪を幾つか斬り裂いただけで空しく振り抜かれた斬撃の間をナギがくぐり抜ける。限界まで溜めた魔力を雷撃に変換。空気圧の大地を蹴り抜いて、万力を込めた拳が青山の腹部へ炸裂した。
「ぃっ!」
吐血よりも速く、青山の体を雷撃が駆け抜けた。雷を纏った拳によって敵の動きを止めるその技。
「来れ虚空の雷! 薙ぎ払え!」
体の自由を奪われて地面へと落ちていく青山は、天高く伸びたナギの右手が象る断罪の一撃を、既に完全に奪われたはずの網膜で、確かに見た。
あらゆる敵を打ち砕き、そして戦友達が行く道を切り開いてきたその技の名前こそ──
「あばよ、クソ外道」
──雷の斧。
灰燼と化せ修羅外道。
光の慈悲に照らされた幕引きの一撃。人を斬り続けた修羅、その最後には勿体ないくらいに美しい断頭台は、英雄の号令により振り下ろされた。
─
こうして、あまりにも呆気なく終わるのだ。
化け物は殺されて。
修羅は落ちて。
そして最後は唯一つ。
英雄の最後を、粛々と語ろう。
次回、未完の代償。
次でようやくしゅらばらばーラスト。そしてエピローグ【我が斬撃は無感に至る】にて、終わりとなります。
長らくお待たせしました。そして皆様、お疲れ様でした。