【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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第四話【福音、鳴る鳴る、斬り斬りと(上)】

 警護をするに当たって、重要なことはなんだろう。

 まぁ、素人考えではあるが、可能な限り俺という存在を知られないようにという前提ではあるが、脅威の優先度こそが重要なのではないかと思う。

 というのは言い訳で。

 とどのつまり俺は、ぎりぎりまでネギ君を窮地に浸すことで、その成長を促進しようと思ったわけである。

 さて。

 何でこんなことを話しているのかというと。

 現在、ネギ君は満月のときに活動するあのしょっぱい妖魔、名簿に載っていたネギ君の生徒の一人と激戦を繰り広げていた。そして俺はその戦いから彼を守るでもなく、どんな戦いをするのだろうとワクワクしながら様子を伺っていた。

 にしても。

 いやはや。

 正直言って、驚きである。

 まさか。

 まさかここまで弱いとは。

 

「……ハァ」

 

 暗がりからネギ君としょっぱいのとの激戦を観戦しながら、俺はため息を吐き出した。

 弱い。

 弱すぎる。

 あまりにも、勿体ない。

 いやでも、初めて彼の魔法行使を見たときにそれはわかっていたことなんだけど。未来の彼を見てしまった俺からすると。

 その戦いぶりはあまりにも情けなく。

 見るに耐えないとは、このことであろう。

 西洋の魔法には詳しくない俺でも、そののろまな動きや、一々隙の多すぎる詠唱をしている姿が駄目なことくらいわかる。彼の肉体からすればありえないくらいお粗末だ。

 違う違う。君の肉体なら、そんなちまちましたことはしなくても──

 あぁ、もどかしい。

 今すぐ彼の元に行って、俺の持つありとあらゆる全ての技術を教えたい。

 だが、そんなことをしたら、多分途中で斬ってしまうので、それは出来ないけれど。

 

「……」

 

 モップを持つ手に力を込めて、俺はことの成り行きを静かに見守った。

 どうやらしょっぱいほうは、予想以上には強く、稚拙な魔力を道具で補いながら善戦していた。というか、上手く誘導している様を見れば、しょっぱいほうがネギ君を押していると言ってもいい。

 全く。

 こう、せめてしょっぱいほうの戦いぶりの半分でもネギ君が習得していればいいものを。

 残念だ。

 本当に残念である。

 落胆しながら見ていると、上手く誘導を果たしたしょっぱいのが、仲間の下に到着したところで、ネギ君の魔法によってその身体に纏っていたマントが吹き飛んだ。

 というか、脱げている。

 脱げ脱げだ。

 残念なことに、相手は幼女だが。

 

「……あぁ」

 

 眼も当てられぬ光景に肩をがっくしと落とした。

 話を聞く限りだと、どうやらあのしょっぱいのは封印されていた真祖の吸血鬼とのこと。なるほど、だから戦い方が上手かったのかと納得。

 同時に、この戦いはこれまでだと判断した。

 ネギ君は新手に捕まって、身動きが出来ず、やられるがまま後は血を吸われるしかない。ちょっと特殊な気の流れを感じる一般人が近づいているが、一般人ではどうにも出来ないだろう。

 なら、もう仕方ない。

 万が一血を吸われて殺されでもしたら、最悪だ。

 それに、斬るのは俺だ。

 止めろよ。それ以上は。

 

 

 

 

 

 絡繰茶々丸の視界に、それは突然現れた。

 一瞬前まで、マスターであるエヴァンジェリン・A・K・マグダウェルと自分、そしてマスターに血を吸われそうになっている担任の教師であるネギ・スプリングフィールド。

 この三人しか居なかった場所に、それは初めから存在していたようにポツンと、ネギに牙を突き立てようとしているエヴァンジェリンと、暴れないようにネギを掴んでいる茶々丸の前に立っていた。

 清掃員の制服を着た男は、茶々丸が反応するよりも早く、モップから手を離して、ネギの腕を掴んでいた茶々丸の指に手を這わせて、強引に引き剥がして投げ飛ばす。何が起きたのか理解できないまま虚空に飛ぶ茶々丸には興味ないのか。男はエヴァンジェリンとネギを上から見下ろしながら、その頭を優しく掴んだ。

 

「な!?」

 

「ぅえ?」

 

 二人が困惑の声をあげたのも刹那、一瞬で頭を左右に振る。最弱にまで落ちたエヴァンジェリンとネギからすれば、何かが目の前を遮った瞬間、頭が揺さぶられたようにしか思えないだろう。

 強制的に脳震盪を起こした二人は、意識を失ってその場に倒れこんだ。突然すぎる状況に、機械の処理すら追いつかない。虚空を舞う茶々丸は、そこまでされてようやく状況を理解した。新たな敵、しかも、タカミチクラスの化け物だ。

 

「マスター!」

 

「ネギ!」

 

 茶々丸が動き出すのと、混沌としたその場に新たな乱入者が現れるのは同時だった。

 だが誰よりも早く動き出したのは男からだ。ネギの首根っこを掴むと、ボールを扱うように軽く、新たな乱入者、神楽坂明日菜に向かって放り投げる。

 

「めぽ!?」

 

 反応する暇もなく、飛来したネギの頭と衝突した勢いで、明日菜は謎の奇声をあげながらそのまま意識を失った。そのとき、虚空でバーニアを最大出力で噴射した茶々丸が、目にも留まらぬ速さで背を向けた男の元に踏み込みを果たす。

 ネギに行ったデコピンなど比べ物にならない。踏み込みの熾烈は屋根に小さなクレーターを発生させた。それほどの勢いを宿した足先から発生した力を余すことなく拳へ。当たれば肋骨が砕け、内臓すら潰す一撃は、しかし男を捉えることなく空を切る。

 それどころか、茶々丸の視界から男の姿は消え去っていた。

 何処に消えた。完全に姿を逃した男の姿を探るが、茶々丸のセンサーにはまるで反応はなく。

 

「斬り……すまない」

 

 いつの間にか屋根から落ちそうになった明日菜とネギを支え、そっと降ろした男の呟きに茶々丸が気付いたのも束の間、その姿は再び消えた。

 そしてそれとほぼ同時に茶々丸の腹部に許容限界を超えた衝撃が走る。最早、荒波にもまれる木の葉の如く、茶々丸には成す術など存在しなかった。

 

「……?」

 

 茶々丸の反応速度を容易く超えてその腹部に拳を突きたてた男は、肉を叩くのとは違う違和感に首を傾げた。

 茶々丸は男の拳を受けても踏み止まるものの、瞬きもしないうちにその身体から力が失われ、力なく膝をついた。

 全身の駆動に必要な部品が、男の拳から浸透してきた気の塊によって耐久限界を超えてしまったため、強制的に機能を停止させたのだ。

 だがそれでもメインシステムは生きている。せめてその顔だけでも見ようと、唯一動く首を動かそうとして、茶々丸はその顔を踏みつけられた。

 

「……」

 

 男からすれば不思議そのものだった。人間かと思ったら、その実、人間ではなかった。この子も名簿に載っているため、殺すわけにはいかないが、些か興味は沸いた。

 茶々丸からは見えなかったが、男の手に持っていたモップが何かを払うように振るわれる。

 直後、並大抵の刃であれば、斬りつけたところで逆にへし折ることも出来る茶々丸の左腕が、何の抵抗もなく切断されて虚空に舞った。どういう理屈なのか、空に舞った左腕は、木のモップの先端に、焼き鳥の串に刺された肉の如く容易く突き刺さる。

 見るものが見れば唖然とするような技を見せた男は、そんな技を行使したというのに、特に表情を変えることなく、しげしげと突き刺した腕の中身を見た。

 

「……」

 

 弾ける電流と、中に詰まった機械部品の数々を見て、男はやはり不思議そうに首を傾げた。

 機械だった。人間の魂を宿した機械人間とでもいうのか。凄いなぁと感心しつつ、男、青山は茶々丸の頭を踏みつけたまま、そのまましゃがみこんだ。

 懐から布を取り出して茶々丸の眼を覆う。機械だとしたら気絶は不可能ではないかと思った青山なりのやり方だった。

 本当は斬り裂いてしまえば楽なのだが、近右衛門との契約がある。

 

「動くな」

 

 耳元で呟く言葉に、茶々丸は応じることも出来ない。そもそも、最初の一撃で全身の駆動系を完全にやられた。抵抗は不可能で、全ては正体もわからない男の手のひらの上だ。

 だがそれでも、何とか動く口を必至に動かして、茶々丸はノイズの走る声音で男に懇願した。

 

「マスターは」

 

「……」

 

「マスターだけは、助けてください」

 

 今、茶々丸に出来る抵抗といえば、エヴァンジェリンの命乞いだけだった。

 青山は沈黙したままだ。何か語るでもなく、茶々丸から足を退かせると、足音もなくエヴァンジェリンのほうに向かう。

 そしてその首根っこを摘むと、再び茶々丸のほうに戻り、同じよう首を掴み、明日菜が動く気配を察知して、瞬動でその場を後にした。

 

「うーん……」

 

 それから少しして、明日菜が再び意識を取り戻す頃には、最早そこには誰もいなくなっていた。

 

「……一体、何が起きたっていうのよ」

 

 明日菜が見つけたのは、僅かに残った争いの跡だけで、一般人である彼女には何が起きたのかさっぱりであった。

 

 

 

 

 

 とりあえず、学園長さんに連絡を入れた俺は、指示されるがまま郊外の森の奥にある一軒家に辿り着いた。

 そこにはすでに先に来ていた学園長さんが家の前で立っている。高畑さんは出張でいないらしく、残念ながらここには居ない。

 俺は学園長さんの前に着地すると、持っていた妖魔と人形を地べたに置き、静かに学園長さんに頭を下げた。

 

「夜分遅く、呼び出してしまい、申し訳ありません」

 

「あぁ、気にせんでおくれ。本来なら、ワシらが早々に片付けておかなければいけなかったことじゃからのぉ……」

 

 そう言いながら、学園長さんは気絶したままのしょっぱいのと人形、マグダウェルさんと絡繰さんの二人を見た。

 

「ネギ君の名簿に、載っていた生徒なので……対処に困り、ました」

 

 その視線から学園長さんの気持ちを察し、俺は実は様子を見ていましたという事実はぼかしつつ、事の顛末をある程度語り始めた。

 ともかく、斬らずに連れてきたのは、彼女達がネギ君の生徒だったからだ。何で人形と妖魔が生徒をしているのかは不思議だが、そうしている以上、何かしらの理由があってのことだろう。

 そこらの察しがつくくらいには、社会に馴染んできた俺である。

 学園長さんは全てを聞き届けると、僅かに困ったように髭を撫でつけてから、なんと俺に対して頭を下げてきた。

 

「すまなかったのぉ。事件については我々もある程度察知はしていたのじゃが、満月ということ以外、警戒を上手く切り抜けられて事件が多発していたのじゃ。彼女が犯人という決定的証拠もなかったために、どうにも動くことが出来なくてのぉ」

 

 恥ずかしい話じゃが、そう言って改めて頭を下げてくる。

 

「とんでもない。頭を、上げてください」

 

 俺は目上の人が頭を下げるという事実に困惑して、条件反射的にそう言っていた。

 なんというか、人として己が恥ずかしかった。俺は自分の欲求を満たすために、事件が起きているにも関わらずあえて暫く放置をした。そして、その事実を告げずにいる。

 許しがたい。

 全く持って、度し難い。

 

「俺も、実は……」

 

 観念して、隠していたことも俺は話しておく。ネギ君ならこの程度は大丈夫だろうと放置してしまったこと。これもまた真実からは少し離れていたが、本当のことを言ったらネギ君の護衛を解雇される恐れがあったため、あえてそういった言い方をした。

 結局、嘘はついている。

 俺は自分が恥ずかしい。

 

「そうか。じゃが、青山君ほどの実力者となると、確かにそう思ってしまうのも無理ならぬことかもしれんからのぉ……今後はなるべく気をつけて欲しいがの」

 

「……はい」

 

「ほほほ、そう落ち込まないでおくれ、元はといえば、ワシらがこの件を解決できなかったことが原因なのじゃから」

 

 そう優しく言ってくれる学園長さんに、俺は頭が上がらなかった。

 なんと、なんと寛大な心だろう。高畑さんも学園長さんも、全く素晴らしい教師である。こういうとき、感情が表すことが出来ない己が悔しくて、やはり情けなく、恥ずかしい。

 ともかく、いつまでも謝り続けていてはキリがないので、俺は彼女たちのことについて質問をすると、学園長さんは神妙な顔つきになって静かに答えた。

 

「……闇の福音、という賞金首を知っているかね?」

 

「いえ……生憎と。俺は、なんとなく噂を聞きつけ、好敵手を探していただけで、世俗はおろか、裏のことにも、疎いものでして」

 

「そうじゃったか……まぁ、手っ取り早く言うと、そこにいる小さないほうの少女が、かつて闇の福音と言われ、恐れられた吸血鬼なのじゃよ」

 

 その言葉に俺は表情が変わるなら唖然としたくらいには驚いた。

 なんと、どの程度凄い賞金首なのか、学園長さんの話では全く理解できないものの、賞金首の吸血鬼であったのか。

 このしょっぱいのが。

 なんということだ……。

 そもそも、吸血鬼に初めて会った驚きを忘れていたのに気付いた。

 

「……」

 

「ほほほ、流石の青山君も賞金首と聞けば言葉もあるまいか」

 

「いや……」

 

 そういうのではなくて、吸血鬼に会えて嬉しいというだけなのだけれど。

 まぁいい。

 どうでもいいか。

 

「それで、彼女達は? その、一人、腕を斬って、しまいましたが。あ、殺しては、いませんので」

 

 俺は機械の少女、絡繰さんを指差して、ついでにモップに突き刺さったまんまの腕を引き抜きながら言った。

 血は出ていないので多分大丈夫なはずだが、機械には詳しくない俺である。最悪の事態も考えられるため、どうにも言葉の最後のほうが小さくなってしまった。

 学園長さんは何とも複雑な表情を浮かべ「それで、その目隠しは?」と聞いてきた。今更過ぎる質問だが、よく考えれば、一方には機械とはいえ腕が斬れ、目隠しされた少女、もう一方は下着姿の気絶した少女。

 そして俺はモップを持った無表情である。

 ともすれば、一番最初に質問すべきことが今更になっても、おかしくない状況であった。

 つまるところ、カオス。

 

「顔を見られるのを避けたかったためです」

 

 現状を正しく理解するのが嫌になった俺は、まくし立てるように学園長さんの質問に答えた。出来る限り見られないようにしたために、こんな処置になってしまったのだが、俺の答えを聞いて、学園長さんは何かを考えるようにしてから「彼女達には、気付かれてもよいのでは?」と聞いてきた。

 まぁ、その意見についてはなんとなく納得。

 なんせ、学園長さんの話では、気絶しているほうは賞金首になるほどの吸血鬼で、もう一人はそんな少女をマスターと呼ぶ従者だ。

 こういった場所に居る以上、何かしら理由があったりするのだろう。あまり周りに正体を知られると困るという点では、俺と彼女達の境遇は似ているとも言えた。

 

「……ですが、彼女達はネギ君を襲いました」

 

 そんな人達に、果たして俺の正体を晒していいものか。

 彼女達は敵だ。生徒であると同時に、しょっぱいながらも平穏を乱す敵である。

 

「そも、何故、賞金首が、ここに?」

 

「……少々、のぉ」

 

 言い辛そうに言葉を濁される。それもまた言えない事情があるのか。

 まぁ、賞金首を囲っているわけだから、新参者である俺には言えない事情は当然あるだろう。

 嫌な質問をしてしまった。全く、子どもでもあるまいし、反省しなければ。

 

「質問を変えます。彼女達の、処遇はどうしますか?」

 

 多分だが、これまでの話の流れだと、とっ捕まえてしかるべき場所に突き出すというわけではないのだろう。

 最早、会話も聞かれているために意味なしと判断した俺は、絡繰さんの目隠しを外して「腕は、置いておく」と告げて目の前に斬り飛ばした腕を置き、学園長さんの言葉を待った。

 

「無罪、というわけにはいくまい。ワシのほうでこの一件、預からせてもらえんかね?」

 

「……まぁ。どのようにされようが、俺には、些細なことなので」

 

 現状、彼女達はネギ君を護衛する俺にとって脅威にすらならない。仮に、俺が麻帆良の離れにある住居に戻って、それを見計らってネギ君を襲おうが、俺は一、二分もあればそこに駆けつけることができるし、その程度ならネギ君だけでも凌ぐことは出来る。

 

「取るに足りません」

 

 個人的には、ネギ君の血を求めて何度も襲撃を重ねてもらいたいものである。

 

「……ほう、この私を前に、大層な口の聞き方だな」

 

 後ろから、可憐な、しかし何処か風格を滲ませた声が俺に届いた。起きる気配はしていたので、特に驚くことなく後ろを振り返ると、頭を押さえながら、少女、マクダウェルさんがゆっくりと立ち上がってこちらを睨みつけていた。

 

「……」

 

「無視するとは、尚更気に入ったぞ? え?」

 

 気に入ったと言うわりには怒気が強くなっている。ただ所詮は大した力も持っていないしょっぱい者の怒気。そよ風よりも気にならないそれに反応するのもくだらないので、俺は再び学園長さんのほうを見た。

 

「では、彼女達のことは、お任せします」

 

 俺は改めて、腕を斬ったことを謝罪することも兼ねて、絡繰さんに頭を下げた。続いて学園長さんに頭を下げて、最後に振り返り、今にも飛び掛りそうなマクダウェルさんに頭を下げる。

 

「随分と舐めきった態度だな」

 

「……」

 

 意地を張っている。というわけではないのだろう。底知れぬ自負は、強者が持つ特有の凄みだ。その身に宿るちっぽけな能力からは考えられないくらい尊大な態度に首を傾げて……あぁ、そういうことか。

 つまりこの子は、この学園に囚われているわけだな。

 

「なるほど、子飼いの犬、というわけですね?」

 

 俺は学園長さんのほうに再び振り返りそう言った。蛇の道は蛇。能力を押さえつけられたとはいえ、賞金首になるほどの悪党であれば、学園を襲う悪にも対処できるというわけか。

 いや凄い。そういうリサイクル的な発想、御見それした。

 だから、ある程度の暴走くらいには眼を瞑るというわけか。多分だが、いざとなれば瞬間的に押さえつけた力を解放する手段なりがあって、本当に緊急のときは、その力を解き放つといった具合。

 そう考えて、俺は改めてマクダウェルを注視した。俺の遠慮のない視線にも全く怯むことなく、真っ向から見据えてくる彼女の、表面ではなく、奥底を静かに見る。

 そうすれば、巧妙に隠された鎖の如き何かを見つけた。しかも隠されているのに特大規模。

 斬ろうと思えばいずれ完成する十一代目があれば確実に出来るけど、そこまでする義理もないので止めておこう。

 

「なんだ? ははっ、まさか貴様、少女趣味の変態か」

 

「いや、そうでは……」

 

「だったら人の下着姿をじろじろ見るな。気持ち悪い」

 

「……すみません」

 

 鼻で笑われたうえに、とてつもない勢いで睨まれて、俺は思わず謝った。

 なんてことだ。

 敬語で少女に謝ってしまった。

 ん? 吸血鬼だから俺より年上だし、敬語でもいいのか。

 でも、見た目俺より歳が下っぽい子どもに敬語を使うって、何だか情けない。

 まぁ。

 まぁ、いいだろう。

 なんにせよ、封印を斬ってまで戦いたいと思う相手ではない。

 いや、ネギ君に会ってなかったら斬っていたかも。

 それくらいには、そそる相手。

 今はしょっぱいが。

 

「斬る?」

 

「ッ!?」

 

 俺が無意識に近い形で口走った言葉。それを聞いたマクダウェルさんの瞳が大きく見開かれた。

 そして、次の瞬間には下を向いてぶるぶると震えだす。どうしたというのか。いやいや、いきなり斬るなんて聞いたから驚いたのかもしれない。

 しまったなぁ。

 

「俺は行きます」

 

 そういうわけで、何か居た堪れなくなった俺は、そそくさとその場を後にしようとして。

 

「おぉ、お勤めご苦労さん」

 

「待て」

 

 さっさとその場を後にしようとした俺に、マクダウェルさんが待ったをかける。思わず振り返った俺に対して、マクダウェルさんは冷たい眼差しを向けてきた。

 

「貴様は、何だ?」

 

 何だと聞かれて、答えなんかは唯一つ。

 

「ネギ君の護衛です」

 

「そういうことじゃあない」

 

 ん? だったら一体どういうことだろう。言葉に詰まると、マクダウェルさんは壮絶な笑みを浮かべて俺に歩み寄ってきた。

 

「何て様だよ、貴様」

 

 俺を知って、俺に斬られた誰もが思う第一印象。俺という個人を表す、何よりも簡潔で、的確な言葉。

 それを、初めて笑いながら、面白そうに言われた。

 マクダウェルさんはほとんど密着するような距離まで近づくと、さらに笑みを深くする。本当に、それは楽しそうな笑顔だった。とてもとても、今すぐにかぶりつきそうなくらいに、その口は牙をむき出している。

 あぁ、しょっぱいのとか。

 そういうの、訂正。

 

「気に入ったよ。あぁ、この言葉は嘘じゃない。人間、久しぶりに会えたよ『人間』。どうやらこの十五年で、いや、ナギのアホに会ってから、どうやら私は随分と己の領分を忘れていたらしい」

 

 いきなり自分語りを始めるマクダウェルさんの雰囲気は、内包する力は変わらないというのに、纏う雰囲気が、暗転していた。

 うわぁ、これ、ひでぇ。

 

「私は、化け物だ。ふん、悪の魔法使いやらそういうのではない。すっかり忘れていた。いや、忘れようと逃れていただけか……貴様を見て思い出した」

 

「……」

 

「貴様は人間で、私が化け物だ」

 

 これ以上は、面倒だな。

 まだ何か言い募ろうとしている彼女の言葉が発せられる前に、俺は瞬動で帰路につくのであった。

 

 

 

 

 

 いつ技に入ったのかまるでわからなかった。ここまで完璧な瞬動は見たこともないくらい、青山の瞬動はそれだけで、彼の実力を知らしめていた。瞬間移動のように、音もなく消えた青山が居たほうを見てから、エヴァンジェリンは苦笑する。

 

「つまり、私は貴様らに踊らされていたということか?」

 

 苦々しげに顔を歪めて、エヴァンジェリンは近右衛門を睨んだ。幾ら最弱状態とはいえ、人形使いとしてのスキルや、一世紀もの間積んだ武の研鑽による戦闘力は、近接戦闘では一級品の実力を誇っている。

 そんなエヴァンジェリンが、軽くあしらわれた。ネギを捕らえたという油断があったとはいえ、不覚を取り、しかも茶々丸にいたっては左腕まで奪われた。そんな化け物を、知られることなく配置されていた。

 内心でエヴァンジェリンは、近右衛門を、この狸がと詰った。

 屈辱である。闇の福音として、一人の悪として、抗うことすら出来ずに生殺与奪を好きにされたのは、エヴァンジェリンには我慢が出来なかった。

 

「偶然じゃよ。たまたま彼がここに着たのと、ネギ君が赴任するのが重なったから、ちょうどいいと思って護衛につかせただけじゃ」

 

 近右衛門の言葉は本当だ。青山がここに来たのと、護衛につかせたのは偶然である。ただ、最近の動向が怪しかったエヴァンジェリンに対する保険であるのも、また事実であった。

 今回は、それが予想以上に噛み合った。

 後一歩で、犠牲者が出るほどまでに。

 

「私も人のことを言えた義理はないが……あんなモノ。立派な魔法使いの居る場所には似つかわしくないと思うがね」

 

 エヴァンジェリンは倒れた茶々丸を糸を使って立たせて、その身体を軽く観察した。眼の焦点があっているため、どうやら最悪の事態は免れたらしい。

 茶々丸の冷たい瞳を見て、エヴァンジェリンは軽くため息を漏らす。まだ茶々丸のほうが、感情の起伏が見られるというのは、冗談にすらならない。

 それでも、エヴァンジェリンは、誰よりも青山から人間を感じていた。

 

「今すぐアレは追い出したほうがいい。でないと、取り返しがつかなくなるぞ?」

 

 その言葉は、予感ではなく、確信に近かった。化け物だからこそ、人間を望んでいたことがあったからこそ得た確信。

 強いとかそういった次元の話ではない。

 アレは、救いようがない。

 

「教師として、立派な魔法使いとして、彼を見捨てるわけにはいかんよ。それに、彼の根は純粋じゃと、私は信じておる」

 

「ハッ、純粋ねぇ」

 

 蔑むように肩を揺らしてから、エヴァ苛立たしげに舌打ちをした。

 

「建前は立派だが、そういった曇りのない眼鏡が、貴様の、いや、貴様達立派な魔法使いとやらの欠点だ」

 

 人の善性を信じるから。人の悪性が間違いだといえるから。

 だからお前らは、ただの正義だ。

 

「いや……それもまた、そうだな」

 

 正義でも邪悪でもない。

 完成された個人。空っぽのようで、その実、余分なものなど一切受け付けないほどに埋め尽くされていて。

 

「アレは人間だよ。正真正銘、本物の人間だ」

 

 エヴァンジェリンの言葉を近右衛門は理解できなかった。そんなことはわかっているし、今更強調してまで言うことではないだろう。

 やっぱし、わかっていない。エヴァンジェリンは、どこか同情するように眼を細めた。

 

「それで? アレは一体何処で拾ってきた?」

 

 これ以上は話しても無駄だと思ったのか、エヴァンジェリンは話を切り替えて質問をする。

 

「拾ってきたというわけではないのじゃがの。知人の身内でのぉ。お主と同じで訳ありで、なるべく人に正体を知られないほうがいいと言っていた」

 

「なら別にもういいだろ? 私と茶々丸はあいつの顔を見たんだ。どうせここで働いてるなら、茶々丸に任せればすぐに全部わかる」

 

 だからきりきり話せ。そう凄んできエヴァンジェリンに、近右衛門は仕方ないといった素振りで口を開いた。

 

「元神鳴流じゃよ。数年前、各地の封印されていた妖魔、もしくは危険な術者を、目的もなく斬り続け、破門になった……青山じゃ」

 

「青山……宗家の人間が破門とは、面白いじゃないか。そんな奴をよく囲う気になれたな」

 

「言ったじゃろ? 知人の頼みじゃとな。それにあの実力を、人のために使うことが出来たら、素晴らしいとワシは思うのじゃよ」

 

「人のために、ねぇ」

 

 エヴァンジェリンの含みを持った言い草に、近右衛門は僅かに視線を険しくした。

 だがエヴァンジェリンは怯むことなく、肩を揺らして消えた青山を追うように視線を空に向けた。

 

「あいつは人間だよ」

 

「……何が言いたい?」

 

「誰よりも人間だ。少なくとも、正義を信じる者や、悪に浸った者や、そういうレベルで考えられるものではない……クククッ、興が乗った。処罰でも何でも好きにしろ」

 

 突如低く笑いながら、素直に処罰を受け入れると告げたエヴァンジェリンに対して、近右衛門は疑わしげな視線を送った。一体、どういうつもりなのか。そんな視線を浴びて、エヴァンジェリンはにんまりと口を歪めて、その吸血鬼の証である牙をむき出した。

 

「従ってやるって言ってるんだよ。気が変わらないうちに、首輪でも何でもつけておけ」

 

 そういって、エヴァンジェリンは糸で茶々丸を運びながら、自宅へと入っていく。

 その背中を見送りながら、近右衛門は久方見せることもなかったエヴァンジェリンの脅威を感じて、額に嫌な汗が浮かぶのを確かに感じた。

 どうしてエヴァンジェリンが豹変したのか、近右衛門にはわからない。人として、正義として生きてきたからわからない。

 

 化け物は人間に焦がれる。

 

 ただ、それだけだ。

 

 

 

 

 

 今回、生徒の一人と魔法先生を襲った罰として、エヴァンジェリンには一週間の謹慎処分が命じられた。とはいっても、学校に通うことだけは禁止しないので、事実上お咎めなしとでも言っていい。それ以前の事件については、証拠が不十分ということもあり、過去の事件との関連は不問とされた結果とも言える─勿論、表向きの理由だ─。

 当然、他の魔法先生や生徒からの苦情はあったものの、学園長自らがこの件を収めたということで、一応の終わりは見えた。

 だがそれよりも問題だったのは、禍々しさを増したエヴァンジェリンその人であろう。常から誇りある悪として生きてきた彼女であったが、今の彼女はそんなかつての姿とは少々毛色が違っていた。

 恐ろしいのだ。封印により最弱にまで貶められ、あるいは魔法生徒にすら容易に敗北しかねない彼女の纏う雰囲気が恐ろしい。

 

「わからないよ。貴様達には」

 

 そう言い残して自宅に戻ったエヴァンジェリンに何かを言おうとするものは存在しなかった。恐ろしかったからだ、単純に。

 その翌日、ネギ・スプリングフィールドの受け持つ3-Aは、いつも通りでありながら、どこか緊張感のある空気が漂っていた。

 原因は、エヴァンジェリンだ。無表情であるのは変わりないというのに、その身体に張り付くような気配が、昨日までのとは違う。能天気といわれるネギのクラスの女子達ですら、その異様に感づいていたのだろう。

 ネギはといえば、そんなエヴァンジェリンが怖くてたまらなかった。先日、訳もわからずに意識を失い、明日菜に背負われて帰路についた。そして眠りにつき、ここに来るまでの間、嫌な考えが止まらないのだ。

 また、襲われるのではないか。次こそは血を全て吸い尽くされてしまうのではないか。そっと首筋に手を当てて怯えると、教室の隅でエヴァンジェリンが笑ったような気がした。

 教師だなんだといわれようが、結局、ネギは十歳の少年でしかない。身を襲った恐怖を我慢して、こうして授業を行うために教室まで来ただけ大した胆力である。

 だが、そこまでだ。

 

「怖いのかい? ぼーや」

 

 エヴァンジェリンは笑った。ただ一人の化け物は、今は少女の身にも限らず笑った。

 昼休み。明日菜と共に、茶々丸を連れていないエヴァンジェリンの元へ、昨夜のことを聞くために来たのだ。

 明日菜もここに来て、ようやく昨夜の異常事態を把握した。

 空気が違う。二年間も同じクラスメートであったはずの少女が、今はまるで別の生き物にすら見える。

 

「……茶々丸さんは、今日は?」

 

 まずは、今日来なかった彼女についてネギは質問していた。

 その質問に、エヴァンジェリンは驚いた様子を見せると、続いて面白そうに笑みを浮かべた。

 

「何を笑ってるのよ!」

 

 人を嘲笑うような態度に、明日菜が食って掛かる。だがエヴァンジェリンはそんな明日菜の怒声を気に留めることなく、暫く肩を揺すると「貴様、まさか……知らないのか?」そう、見下しきった眼差しでネギを見つめた。

 

「え?」

 

 質問に質問を返されてネギは言葉に詰まる。というか、自分が何を知っているというのだろうか。まるでわからないといった態度に「過保護か……つまらん」とエヴァンジェリンはため息を吐き出した。

 

「安心しろ。昨日の一件で少々やられただけで、すぐにでも回復する」

 

「やられたって……茶々丸さん、何かあったのですか!?」

 

 不安げに眉をひそめるネギ。昨日襲われたばかりの相手のことだというのに心配する姿は、お人好しが過ぎて、エヴァンジェリンには僅かに不愉快だ。舌打ちを一つして背中を向け、その場を後にしようとする。

 

「待ってください! もう! もう生徒達に手を出すのは止めてください!」

 

 そんな背中にネギは勇気を振り絞って声を掛けた。両手で杖を握り締め、臆しながらもエヴァンジェリンを止めようと叫ぶ。

 その姿だけは、好感が持てた。

 

「安心しろ。私も暫くは動くつもりはない、が……気をつけておけよ? 学園長やタカミチに手助けを願ってみろ。次は誰かが干からびているかもなぁ」

 

 最後の台詞ははったりである。昨夜、釘を刺されたばかりであるため、エヴァンジェリンの動きは完全にばれているといってもいい。

 だが、まだ切り札は一つだけ残っている。

 

「精々用心はしておけ。私は悪い魔法使いなんだからなぁ」

 

 それ以上話すことはない。エヴァンジェリンは尊大に笑って見せると、今度こそ立ち止まることなくその場を後にした。

 

 

 

 

 

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。闇の福音と恐れられている、十五年前まで悪名を轟かせた吸血鬼の真祖。そんな恐ろしい相手を前にして、海外からわざわざ来てくれアルベール・カモミール。通称カモの助勢も微々たるもので。エヴァンジェリンに対抗するためのパートナー選びもして、明日菜が協力してくれることになったのだが、エヴァンジェリンの経歴や、ここに居ては迷惑がかかると知り。

 結果、ネギは逃げ出した。

 まぁ、十歳の精神力でよく耐えたものである。

 だが麻帆良を出たネギは、途中で余所見をしていたせいで木に激突。そのまま落下して、山中迷子になった。

 そんな彼を救ったのが、ネギの生徒である長瀬楓だ。

 ネギを山中で拾った彼女は、そのままなし崩し的にネギと共に夕飯の食材を集めたりして、そんな彼の心を少しだけ癒してあげたのであった。

 そんなこんなで土管を使った露天風呂である。満天の星空を見上げながらゆったりとつかる風呂は、風呂嫌いなネギも満足できるほどゆったりとしたものだ。

 だがまぁ、異性である楓と共に入浴するのは緊張してしまったが。

 

「ネギ坊主は、今壁にぶつかったのでござるよ。というよりも、教師を始めてからこれまで、よくぞまぁ上手くやってきたと感心するでござる」

 

「そ、そのとおりです……でも、僕は逃げて、逃げ出して」

 

「いいんじゃないでござるか? ネギ坊主の歳なら、逃げ出しても恥ずかしくないでござるよ。まだ、子どもなのでござるから……周りの大人に頼っても、ちっとも悪くないでござる」

 

 楓の言葉にネギは首を振った。

 逃げることも、頼ることも出来ない。この問題は自分が何とかしなければならないことであり、その不安で肩が押しつぶされそうになる。

 

「人間。今はどう足掻いても乗り越えられない事柄の一つや二つ、あるでござるよ」

 

「……楓さんも、そうなんですか?」

 

「勿論、拙者にも今はどうにも出来そうにない壁があるでござる」

 

 ネギは楓が超えられない壁があると聞いて驚いた。そんな内心が表情に表れていたのだろう。楓はネギの横顔を見つめて微笑むと、その頭を軽く撫でた。

 

「少し、難しい質問をするでござる」

 

「は、はい」

 

「乗り越えなくてもいい壁は、存在すると思うでござるか?」

 

 その質問は、大人であっても容易に答えられる質問ではなかった。

 

「えっと……乗り越えないと、前に進めないから、存在しないと思いますけど」

 

 子どもの無邪気さと、大人の知性を持つから故に、ネギは僅かな逡巡の後すぐに答えた。楓はその答えに満足したように頬を緩めると。

 

「拙者は、そうは思わないでござる」

 

 ただ静かに首を振った。

 答えの意図がわからずにネギは疑問を覚えた。乗り越えてはいけない壁は存在する。それは一体どういうことなのか。

 

「人は、乗り越えてはいけない……踏み出してはいけない一歩というのがあるでござる」

 

 確信しきった言葉であった。まるでそれをなした人間でも目の当たりにしたような言い草。

 その直後、ネギの身体を凄まじい寒気が走り抜けた。

 

「ひっ!?」

 

「……またでござるか。アレも加減を知らぬ」

 

 だから修行になるのでござるが。そうぼやいた楓を、ネギはすがりつくように見上げた。

 

「い、今、いきなり寒くなって……」

 

「超えてはいけない、壁でござるよ」

 

 ネギの言葉にかぶせるようにして楓は言った。そうして、ネギの身体を優しく抱きしめる。

 

「ネギ坊主は、天才でござる」

 

「そんなこと……」

 

「だから、どんな壁も簡単に乗り越えて……いつか、最後の壁に到達するかもしれない」

 

 その果てに、アレが居る。初めて出会ったとき、眼を離せないくらいの有り様を見せ付けたアレが立っている。アレは終わりだ。修行中の身ではあるが、楓にもそのくらいはすぐに理解できた。

 完結する。

 それは、最悪だ。

 

「そのとき、ネギ坊主には踏み止まってほしいものでござる」

 

 人の才能が極限にまで高まり、そんな人間が努力を積み重ねる。

 その果てを、楓は見てしまった。

 あの有り様を、まざまざと見せ付けられた。

 

「……まっ、安心するでござる。アレはこちらから干渉せねば無害ゆえ……だから辛くなったらいつでも来るでござるよ。ここへ来たら、お風呂くらいには入れてあげられるでござるから」

 

 楓はそう言うと、星空を見上げて満足そうに微笑んだ。

 つられて見上げたネギは、まだ楓の言うことがほとんど理解できなくて、寒気の正体にも怯えているけれど。

 

「そのときは、お願いします」

 

 少しだけ勇気を貰った。その事実だけは、本当だ。

 

 

 

 

 

 あの日の襲撃から、どうやらマクダウェルさんは何かをするでもなく、俺の護衛任務は特に何かがあるでもなく平穏無事に過ぎていた。まぁ、先日ネギ君が何を思ったのか山のほうに来てしまい、思わずテンションが上がって、修練の最中に気を開放してしまったりもしたが。

 まぁその程度のこと。

 些細である。

 

「そういや兄ちゃん。今日は大停電だから早めに仕事を切り上げるぞ」

 

 朝、いつも通りに錦さんに挨拶して今日の清掃に出かける際、そんなことを言われた。

 どうやら年に二回、学園都市全体のメンテナンスのため、大規模な停電が起きるらしい。

 

「いや悪いな。教えるのが遅れちまってよ」

 

 錦さんは申し訳ないと軽く頭を下げたが、俺は麻帆良から少し離れた山に住んでいるため、大停電の弊害は特にないので、頭を下げなくてもいいのだ。

 

「いえ、気になさらないで、ください。元から、電気にはあまり、世話にならぬ場所に居るので」

 

「そうかい? エコってやつか。若いのに偉いじゃねぇか」

 

 それともまた違うのだが。まぁ説明する必要も特にないだろう。俺は曖昧に返事をすると、今日の持ち場に向かって錦さんと向かっていった。

 そして昼休み。いつも通りに初等部の体育の授業を眺めながらの早めの昼食。

 

「しかし兄ちゃんも、最初の頃に比べたら随分と話せるようになってきたじゃねぇか」

 

「そうでしょうか?」

 

「あぁ、最初はもっとこうぼそぼそって感じだったがよ。まぁ今も声は小せぇが、結構マシになってきたってもんだ」

 

 錦さんの言葉に、俺はここ暫くを振り返って、それもそうかと思った。

 まぁ、ここに来るまではろくに人と接することなくすごしてきた俺である。少し話すだけで舌が疲れるくらいには世俗との縁がなかったためか、確かに無表情に加えていっそう根暗に見えたことであろう。

 

「変わったのでしょうか」

 

「あぁ、いい変化だと俺は思うぜ」

 

 男臭く笑う錦さんに、俺は頭を下げて応じる。残念なことに、俺の無表情は、使っていなかった言葉と違って修練のしようがない。

 それこそ、よほどの感情の起伏が生まれなければ、微笑むことすら出来ないだろう。

 全く。

 不憫極まりなく、錦さん達に対して申し訳ない。

 

「俺は……」

 

「兄ちゃんは、少しだけ外を見てなかっただけだと俺は思うぜ」

 

 言い募ろうとした俺に、錦さんは言葉を被せてきた。

 言葉を失う俺の頭を、錦さんの大きな手のひらが圧し掛かる。大きくて、重くて、ごつごつとした。

 生きている人間の、強い手だ。

 

「ゆっくりでいいんだよ。人間なんてもんはな、一目惚れ以外のことじゃ劇的には変化しねぇ。それでも、少しずつ重ねていけば、見えてくるもんってのもあるはずよ」

 

「そういうものでしょうか?」

 

「そういうもんさ。少なくとも、俺はそう信じているよ」

 

 臭い話をしちまったな。錦さんはそう照れくさそうに鼻を擦ると、ゆっくりと立ち上がって「トイレ行ってくらぁ」と告げて歩いていった。

 俺はその背中を見送りながら、頭に残る優しい感触を思い出すように、自分で頭を撫でてみる。

 気付きもしなかった。というよりも、見向きもしなかっただけだ。

 この世界に人格を芽生えさせてからこれまで、ひたすら俺は青山しか見ていなかった。強くなり続ける才能を、童のように無邪気に楽しみ続けた。

 だが今はどうだろう。

 俺は、青山は終わってしまった。

 それによって、俺は少しだけ外を見ることが出来て、今はこうして頼りになる上司や、新しく出来た友人、まだ出会っていないけれど、学園のために影で頑張っている同僚の皆様。

 色々な人と触れ合った。

 色々な現実を、ようやく見つけた。

 なら、俺は変わるのだろうか。変わって、違う何かに俺はなっていくのだろうか。

 そうだといいな、と思えることが素晴らしくて。

 斬るから。

 俺は、斬る。

 うん。いい方向に変わっているな。

 

 

 

 

 

 大停電の夜。黒衣を纏った吸血鬼はそっと空に浮かぶ月を見上げた。

 ひどく、ひどく、寒かった。

 どうしてかわからないけれど、とても冷たく感じた。

 

「よく言うことだ。人の夢と書き、儚いと。人を夢見る。なるほど、私にはとても儚い夢想だよ。そう思わないかい? 先生」

 

 眼下には、可能な限り装備を整えた英雄の息子が立っている。どうやら、先日付いてきていた神楽坂明日菜はいないようだ。

 

「一人で来るとは、見上げた勇気だな」

 

「あなたは……誰ですか?」

 

 その言葉に、小さく失笑。そういえば、今の自分の姿は大人のそれで、暗闇も重なればわからなくても無理あるまい。

 だから幻術を解いて、姿を晒す。冷たく笑って、エヴァンジェリンは英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドを見下した。

 

「私だよ先生。まぁ、姿形など、今の私にとっては意味のないことだが……お前たちは下がっていいぞ」

 

 エヴァンジェリンは吸血によって操っていたクラスメート達を開放した。隣には、メンテナンスを終えて以前よりもさらに強化された茶々丸が立っている。

 ネギも覚悟を決めたのだろう。杖を構えて、いつでも魔法を詠唱できる準備を整えた。

 

「満月でなくて悪いがな。今夜、ぼーやの血を存分に吸わせてもらうことにした」

 

「そんなことはさせません。今日、僕があなたに勝って、悪いことはやめてもらいます」

 

 強く宣言したその言葉に、エヴァンジェリンは声をあげて笑った。

 

「ハハハッ! 悪いこと? 悪いことか……そうだな。あぁ、悪いことを止めさせて、それで、どうする?」

 

「どうするも何も、授業に出てもらって皆と仲良くしてもらいます!」

 

「つくづく……いやまぁ、十歳のガキならこんなものか。なら試してみるといい、私に勝って、見せてみろ」

 

 人間なら、やってみろ。宣言とともにエヴァンジェリンの魔力が膨れ上がった。

 

「そら。足掻けよ、ぼーや」

 

 虚空に十にも及ぶ氷塊が発生した。無詠唱魔法、魔法の射手とはいえ、無詠唱で、しかも瞬時にそれらを作り上げたエヴァンジェリンの実力は、それだけでネギとの実力差を如実に表していた。

 

「うわ!?」

 

 その詠唱速度の違いをまざまざと見せ付けられたネギは、咄嗟に杖にまたがるとその場から一気に離脱した。

 それを待っていたかのように状況は動き出す。エヴァンジェリンが遅れて氷の矢を開放する。当たれば、常人を一撃で貫く威力を誇る矢が十、四方から囲い込むようにネギを襲う冷たい殺意を、持ってきた魔法銃を構えて迎撃した。

 魔力が反発し合って、虚空で閃光を放つ。その光に眼を焼かれないように顔を手で隠しながら、ネギは飛び掛ってきた茶々丸から杖を操って逃れた。

 爆発。ネギを打ち落とすための茶々丸の一撃は、その拳が直撃した地面を破砕してクレーターを作る。敗戦を経験した後、その一撃にすら耐えるようにバージョンアップした茶々丸の戦力は、最早単騎でネギの制圧は余裕なほどだ。

 だがあえてそれをしないし、ネギにそれを気付かせない。

 遊んでいるのだ。容易に捕まえ、葬れるのを、弄び、蔑み、その無様を笑って観賞する。

 攻撃が重なるにつれて、ネギもそのことに気付いたのだろう。防戦一方を維持『させられている』状況に、その顔に焦りの色が生まれた。

 

「でも……!」

 

 一撃ごとに装備を剥がされながら、それでもその瞳には諦めの色がない。

 その瞳にエヴァンジェリンは笑った。とても嬉しそうに、笑って見せた。

 

「そら! 何かあるなら出してみろ! なんでもいいぞ? 試してみろ。援軍でも、魔法具でも、乾坤一擲の魔法でもいい! 楽しませろ。私を楽しませるんだよぼーや。それが楽しければ楽しいほどに──」

 

 この後が、楽しくなるんだ。

 最後の言葉の意味はわからない。というよりも考える余裕すらないネギは、ひたすらにある場所を目掛けて飛翔する。

 早く、早く。

 油断しきっている今だから、この策は使えるから。

 

「見えた……」

 

 そしてようやくネギは目的の橋に辿り着いた。だがそれによってにじみ出た安堵をエヴァンジェリンは逃さない。

 

「氷爆!」

 

 橋を滑空しだしたところで、エヴァンジェリンの魔法がネギを吹き飛ばした。冷気の爆発は、ネギが作った障壁を食いちぎってその身体を木っ端の如く吹き飛ばす。

 

「うわぁぁぁ!?」

 

 成す術もなく吹き飛んだネギは、そのまま道を転がって倒れ伏した。そんなネギをゆっくりと追い詰めるように、エヴァンジェリンと茶々丸も着地して、歩み寄っていく。

 

「それで、もうお終いか? ん? まだあるだろ? そら、もったいぶらずに吐き出してしまえ」

 

 戯れだ。今のネギはエヴァンジェリンを楽しませる道具以上の価値がない。それでもネギはまだ諦めてはいなかった。僅かな可能性、そう、後少し踏み出せば!

 ネギの元へ二人が迫る。だがその途中、二人の足元に巨大な魔法陣が発生した。

 

「なっ!?」

 

 驚く間に、エヴァンジェリンと茶々丸を捕縛結界が捕まえ、その身体の自由を完全に奪い去る。

 確かに、エヴァンジェリンは驚いた。幾ら戯れたとはいえ、なおこの僅かな可能性に賭けたその足掻き、その根性は賞賛できる。

 

「見事だよ。それで、どうする?」

 

 感動的だ。だから告げた言葉は、次の瞬間汚されることになる。

 

「これで僕の勝ちです! さぁおとなしく観念して悪いことはやめてくださいね!」

 

 得意げなネギの言葉。

 それを聞いて、エヴァンジェリンの顔に浮かんだのは──落胆だった。

 

「何を言ってる? そら、まだ終わってないぞ。早く撃ってこい。まだ私はここに居て、お前はそこにいるだろ?」

 

「え、そ、そんなの……だってもうエヴァンジェリンさんは動けなくて!」

 

「だから?」

 

 ネギの言葉を一蹴する。言葉だけではない。冷たい視線こそが、何よりもネギの動きを止めてみせた。

 

「おいおい、動きを止めた。だから終わりって……それはないだろ? そうじゃないだろ? 早く折れ。相手の戦意を、砕いてしまえ。そうしなければ闘争なんてものは終わらないんだよ」

 

 私はまだ負けたつもりはない。そう告げるエヴァンジェリンに対して、ネギは言うべき答えがなかった。

 どのみち、時間がたてばこの結界は解除される。そのとき、エヴァンジェリンはまた動き出し、また戦う。

 

「捕まえてはい終わりで済ませられるのは、刑務所にぶち込まれるくらいなものだよ。もしくは援軍でも待つか? 生憎だが、この周囲には結界を張り巡らせている。余程気配を察するのが得意な奴でない限り、ここに援軍は来ないよ」

 

 それに、この程度はどうでもない。エヴァンジェリンは背後に居る茶々丸の名前を呼んだ。

 

「結界解除プログラム始動」

 

 淡々と告げた茶々丸の耳元のアンテナが開き、結界の構成に干渉する。

 するとたちまち、二人を捕縛していた結界が砕け散った。

 

「この通りだ」

 

「そ、そんなぁ……ず、ずるいです! 僕が勝ってたのに!」

 

「黙れよ。もう飽きた」

 

 直後、エヴァンジェリンが指を鳴らすと、ネギの真下に魔法陣が展開された。

 気付いたときには最早襲い。即座に発生した氷の捕縛陣が、ネギの四肢を固めて、動けなくさせる。

 

「この程度、私なら罠として設置するまでもない」

 

 ただの遊びだよ。そう告げたエヴァンジェリンを前にして、ネギは己の敗北を悟る。

 

「まぁ、十歳程度の子どもにしては、よく頑張ったほうじゃないのか? そのご褒美に殺すのだけは勘弁してやる」

 

「あ、うぅぅ……」

 

 エヴァンジェリンが展開した氷の呪縛は、今のネギでは解除することは出来ない。だからここまで、結末は残酷で、冷笑するエヴァンジェリンにネギは何も出来ず、訪れる恐怖から逃れるように眼を閉じて。

 

 凛と鳴る、美しい鈴の音を、その耳は確かに捉えた。

 

 

 

 

 




次回が変更点とかになってるはずです。

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