【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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Aルートと一話目とラスト付近まで話は同じですが、ラスト部分が変更されているのと、そこまでの流れをカットするとやはり文章的に変なこともありまして丸ごと載せています。内容を忘れてしまったぞという人はじっくりと、覚えているぜっていう人はラスト付近まで飛ばしてから読んでくださると助かります。


第四章【その音は君に似ている】
第一話【閃光刹那】


 

 

 

 

 青山素子との一月にも満たぬ修練の日々は、桜咲刹那にとって充実したものであった。何よりも素子は、口ではなんやと言いながら、仮初の師弟関係とはいえ丁寧に基礎から刹那の術技を指導した。

 若輩ながらもいっぱしの剣士としての自負があった刹那も、青山宗家の後継者である素子の指導には素直になれた。同時に、奥義を会得しながら、未だ基礎の部分がおろそかになっているのを見抜かれて恥ずかしい思いもしたが。

 一から己を見つめなおす作業は、初心を改めることにも繋がった。ただ、そのせいで再び木乃香が窮地に陥ったと聞いたときは心を痛めたが、それでも今は己を強く磨くことが木乃香の安全に繋がると信じて、刹那は鍛錬に明け暮れた。

 そして今日、刹那は素子に言われるがまま、夕凪を片手に滝の前にある一枚岩のうえで素子と対峙していた。

 

「……早いものだな桜咲。束の間だったが、お前と過ごした一ヶ月、悪いものではなかった」

 

「あ、あの……素子様? これは……」

 

「言わなくても、わかるだろ?」

 

 刹那と対峙する素子は、自嘲の笑みを浮かべると腰に差した鞘から柄、刀身まで全てが黒一色の太刀を抜いた。

 その太刀から禍々しいと形容する他ない邪悪な気配が立ち込める。まるで刀自体が一つの意志を持っているかのように刹那には感じられた。

 

「妖刀ひな……聞いたことはあるか?」

 

「……以前、小耳に挟む程度ですが」

 

「そうか……これは、所有者に膨大な気を与える代わりに、刀自身の狂気を所有者にしみこませる魔剣の一種だ。尤も、この程度の狂気は青山と比べれば赤子の駄々にすら劣るがな」

 

 素子はそう言うが、しかし刹那にしてみれば遠くから見るだけでも気が狂いそうになるほどの凶悪さだ。

 だがしかし。

 確かに、あの時吐きだされていた青山の狂気と比べれば、微々たるのも事実だった。

 

「……それが、どうしたというのですか?」

 

「言わなくても、もうわかるだろう?」

 

 刹那の問いに、素子はひなを正眼に構えることで答えた。

 そして、狂気を吐いていたひなが、それを飲み干すほどの強大な気にかき消された。清涼かつ鬼気湧き立つ素子の気の圧力に、刹那は反射的に夕凪を構えて戦闘態勢をとる。

 

「それでいいよ。桜咲!」

 

 直後、覚悟も何もなく戦いは幕を開けた。刹那では見切ることすら至難の瞬動で素子は背後に回り込む。

 脳裏を過ったのは己の首が吹き飛ぶ映像だ。反射が刹那をぎりぎりで救う。屈みこむのに遅れて数瞬、黒い軌跡が真一文字に刹那の首が先程まであった場所を通りぬけた。

 

「……ッ!」

 

 この人は本気だ。飛びずさり冷や汗を流す。反射神経を凌駕した素子の斬撃は刹那の髪を縛っていた紐を斬り裂いただけだったが、それはつまり素子が斬撃を止めるつもりがなかったことを如実に語っていた。

 素子の構えに隙は微塵もない。その殺気は本気だが、しかし刹那からすれば本当に彼女が本気かすらわからない。

 コップで海の水を測ることが出来るだろうか? 今の刹那の察知能力では素子の全容を測ることすら叶わない。

 少なくとも、青山素子という女性は、敗北しながらもあの青山から生き延びた数少ない人物。

 それだけで、驚異的だった。

 

「……シッ!」

 

 素子は距離を隔てた場所からひなを振るった。奥義の予兆すらなく、刹那目がけて固められた気が岩を削りながら飛んだ。

 音速を置いて行く斬撃。放たれた斬撃の威力もまた空気と音を引き裂いている。目に頼った戦いは不可能だ。刹那はそれを知覚するよりも早く、直感で真横に飛び、皮一枚で逃れて行く。

 当然だが、素子の攻撃は一撃だけではない。音を裂く刃すら彼女にとっては児戯なのか、刹那では一撃を再現するのすら苦心する技の冴えが、大安売りの如き勢いで乱舞した。

 斬空閃乱れ撃ち。

 陳腐だが名づけるならこうか。思考にすらならぬ思考でどうでもいいことを考えつつ、刹那はぎりぎりで素子の技に対応していた。

 一か月程度の鍛錬。しかしそれは間違いなく一か月前の己にはない力を彼女に授けている。

 

「……そうか」

 

 素子は何かしら察したのか。そう小さく呟くとさらに気を膨れ上がらせた。瞬間、一枚岩は砕け散り、周囲の風景が気の爆発に押されて吹き飛ぶ。刹那も同じく吹き飛びながら、尚も上昇する素子の能力に戦慄を隠せなかった。

 これで。

 ここまで強くありながら青山に負けたというのか。

 驚愕はむしろそちらのほうが強かった。刹那から見れば、今の素子の気の圧力は、京都を震撼させたリョウメンスクナやフェイト・アーウェルンクスすら凌ぐほど。それほどの出力を誇りながら、その顔には余裕すら感じられる。

 

「凌げ。桜咲」

 

 素子は一言警告すると、片手で斬空閃の弾幕を展開しながら、空いた手に吹き出す気を収束させていく。

 あれは不味い。刹那は直感でそう判断すると、体が斬り裂かれるのを覚悟して、虚空瞬動で素子に特攻を仕掛けた。

 弾幕を最大出力の気を纏わせた夕凪で弾きながら加速。素子の放つ技の冴えを見れば、刹那のそれすらも驚嘆に値する絶技ながら、素子の顔には微塵の驚きもなく、むしろ平然と刹那を迎え入れた。

 

「奥義。斬岩剣!」

 

 刹那は射程に素子が入るのと同時、今放てる最大を遠慮なしに放った。素子の安否は二の次だ。

 やらなければ、やられる。

 シンプルな世界観が刹那を埋め尽くした。岩はおろか大地に消えぬ大断層すら刻みこみかねない刹那の奥義に対するは、ひなを両手で構えた素子の、あまりにも遅すぎる迎撃。

 技が放たれたときすら構えの姿勢。最早逃れようがない奥義の閃きを見据え、素子はゆっくりと、それこそ時が止まっているかのような場所で──

 

「え?」

 

 刹那はそこでようやく気付いた。

 時が、止まっているかのようだった。斬岩剣が素子に迫り、岩が削られ虚空に散っていく。

 それら一切が停止していた。刹那の意識だけを置き去りに全てが止まって動いていなかった。

 そんな世界を素子のみが動く。ゆったりと、稽古をしているかのように遅々とした動きで斬撃を振るう姿勢へと取りかかり。

 脳裏に浮かぶ数多の思い出、走馬灯のように巡る記憶を刹那は見た。

 それらの中で大切な記憶が際限なく繰り返されていく。

 それを素子が見ていた。

 吐き気をもよおす透明な瞳で、刹那の走馬灯を覗いていた。

 

「……止めだ」

 

 その一言と共に、世界が等速に戻って、最大出力の斬岩剣が素子に直撃して破裂した。

 

「も、素子様!?」

 

 先程の感覚は残っているものの、それ以上に素子が己の奥義をその身に受けたことに驚き刹那は叫んだ。一か月の鍛錬の成果は、天高く吹き飛んだ岩の破片と、ミサイルでも爆発でもしたのかのごとき轟音をだけでも充分わかるであろう。

 だからこそ、刹那は素子の無事を案じた。格下とはいえ、己の一撃も余裕をもって受け切れるものではないと悟ったからなのだが。

 そんな杞憂もろとも煙幕を切り裂いて素子は平然と現れた。

 

「どうだった? あまり使えるものではないが……今のが、青山と対峙する結果だ」

 

「え……」

 

「共に見ただろう。お前の大切な記憶を」

 

 素子は申しわけなさそうに、そしてそんな自分を唾棄するように自嘲した。

 走馬灯という名の記憶の共有。刹那が死を覚悟したその瞬間、素子はそれを斬るために捉えた。

 素子の言葉の意味を知って、刹那は夕凪を取り落とし、肩を抱いて蹲る。恐怖を思い出した体は震え、目からは止めどなく涙が溢れてきた。

 その哀れな姿に何かを感じたのか、素子はひなを収めて刹那に近寄ると、震えている体を抱きしめた。

 

「斬魔剣二の太刀。私が思うに、青山はあらゆる物を取捨選択して斬るこの奥義を、相手の精神に介入する領域にまで突き詰めている……この修行の最後に知って欲しかったのはな桜咲。お前のすぐ傍に、あんなことをする人間が居るということだ」

 

「も、素子……様」

 

「……逃げろ桜咲。あれから逃げることは恥ではない。修羅と相対出来ることは誇れるものではないのだから。出来るのなら、それはただの……いや、止めておこう」

 

 素子は顔を上げた刹那の頬を伝う涙を拭いとりゆっくりと立ち上がった。

 問いたいことがあった。だが刹那はその問いを己の中で噛み殺す。

 ならば、青山と同じことが出来る貴方は、一体何なのでしょう。

 その答えは聞くのもはばかられるものであり、同時に答えの分かりきった問いですらあった。

 もしも聞いていたら素子は悔しそうに、恥ずかしそうに、そして何よりも空虚な眼差しで答えていただろう。

 

 私は、あれと同じ道にいる。

 

 何故か刹那にはそれが痛いほどわかってしまった。

 悲しいくらい、素子の今を知っているからこそ、先程の恐怖以上に涙を流すべきことだったから。

 

 

 

 

 

 刹那は下山をしながら、昨夜のことを思い出していた。

 先日、二人は修業が終わった痕、師弟としてではなく、素子と刹那、二人の女の子として晩餐を楽しんだ。

 これまで語らなかった取りとめのない日常を素子はそこで語ってくれた。それはひなた荘という場所で過ごした日常が大半で、一つ一つはくだらなくて、どうでもいいことで、現に素子自身も、時には怒りを滲ませたり呆れたりしながら語っていた。

 だが刹那は初めて素子の優しそうな微笑みをそこで見つけることが出来た。

 多分、素子が青山と同じことをしながらも、青山と決定的に違うのはそこだろう。

 素子を構成するのは斬撃だけではない。彼女の中には何でもない全てが大切な物として積み重なっている。

 そこが青山にはない部分で、だからこそ素子は青山から逃れ、かつ、斬られたのだ。

 一瞬だけあれば充分だといつか素子は言っていた。それはおそらく、あの領域では時間と言う概念が意味をなさなくなるからこその言葉なのだと思う。

 いずれにせよ。

 そう、いずれにせよ、だ。

 刹那は感謝するより他なかった。一か月前に比べて格段に強くなれたことや、さらに青山という男の脅威を、己が完結する危険を顧みず見せてくれたこと。それによって刹那は一つの決意を心に決めた。

 逃げるのだ。

 木乃香を連れて逃げよう。叶うならばクラスの仲間やネギも連れて、あの場所から、修羅の居る場所から逃げ出そう。

 京都の事件。

 そして先日起きた麻帆良襲撃事件。

 素子から青山という男の全てを知った今、刹那は全てに青山が影響しているという予感を得ることが出来たから。

 証拠なんてそれこそないけれど──

 せめて、木乃香だけは連れ出す。そう覚悟を決めて刹那は山を降りて行き。

 

「見つけましたわぁ」

 

 一本の凶刃と相対した。

 

「……月詠」

 

 刹那はまるでここを通るのがわかっていたと言わんばかりに待ちかまえていた月詠を睨む。青山に奪われた両腕は失われたままだ。しかし、剣を持つ両腕すらなくないというのに、刹那は月詠への警戒を解くことは出来なかった。

 以前対峙したときも、恐るべき狂気を放っていたが、不思議なことに今の月詠は何処までも冷たく、禍々しい雰囲気は一切感じられない。

 粘つくような気も、突き刺すような邪気も、ありとあらゆる全てが一変しているようだった。

 冷たく、凛。

 それだけで、今の刹那には警戒するに足る相手に違いない。

 

「……随分と変わりましたなぁセンパイ。以前とは見違えるくらいですー」

 

「それは互いにだろうよ月詠。言わせてもらうが、以前のお前は今よりもまだ可愛げがあったよ」

 

「そうですかー」

 

 うふふと口を裂いたような笑みを浮かべて声を上げると、月詠は腰にさしていた一本の野太刀の鞘を足で蹴りあげて刀身を空に飛ばした。

 くるくると空を舞った野太刀は、数秒の滞空をした後、月詠の目の前に突き立った。

 

「ウチ、気付いたんですー。斬ることは斬ることでー。それ以上の理由なんて必要ないってことにー」

 

 刹那は返答せずに竹刀袋から取り出した夕凪を鞘から引き抜いた。唐突な対峙であり、昨日青山の恐怖と対峙したばかり。

 だというのに、刹那の心は穏やかだった。対面の脅威は、まさに青山の如き戦意を吐きだしている。

 斬撃という終わりへと至る者、その特有の臭いを敏感に感じる。

 だから逃げるわけにはいかなかった。

 この場だけは、逃げるわけにはいかなかった。

 

「必要だよ」

 

「え?」

 

「何かを斬ることに、理由は必要なんだ月詠」

 

 あの恐るべき青山は終わっているけれど。

 目の前の少女はまだ終わっていない。

 ならば、刹那はここで戦おう。戦うことで、伝えられることがあるのならば。

 

「斬ることは斬ることではない。斬ることは、斬られる相手を分かつことで……おいそれとやってはいけないことなんだよ」

 

 完結した事象に赴く理由なんて何処にもないし、立ち向かえる強さももっていない自分だが、それでも己の手で救えるかもしれない相手が、青山に似ているという理由だけで逃げるほど落ちぶれてはいない。

 

「……だったら剣を捨てたほうがえぇですぇ、センパイ」

 

「無理だよ月詠。私も、これしか知らないし、これしか大切な者を守る術を持たないからな」

 

 月詠は人間味の感じられぬ笑みを僅かに浮かべると、その可憐な口を大きく開いて、頬を染めながら突き立った野太刀の柄に顔を近づけた。

 まるで愛撫でもするかのように、多量に分泌された唾液を滴らせながら柄に舌を這わせる。ふやけるほどにたっぷりと己の臭いをしみ込ませた月詠は、一度口を放すと舌先からゆっくり柄をその口の中に含んだ。

 

「ん、ふぁ……」

 

 扇情的な吐息を漏らしながら、口をすぼませて柄を固定すると、ぬるりと大地から野太刀を引き抜いた。

 ずるりと抜かれた野太刀の刀身には、柄から零れ落ちた少女の唾液が日の光を照り返して、怪しげな輝きを放っている。まるで月詠に誘われるままその妖艶さを引き立たせているようだった。

 妖刀と呼ばれる類の剣がある。

 その制作過程に問題があるのか。あるいは作られた後に人を斬り続けてきたのが問題か。

 その問いの答えがそこにはあった。

 

「……」

 

 刹那は妖刀が出来る過程を今まさに見ていた。月詠という狂気の剣士が鬼気によって、人を守るために作られた神鳴の剣が斬撃という一点に染まっていく。

 だが臆するわけにはいかない。引いた体に喝を入れて、刹那は一歩月詠に向かって足を踏み出した。

 凛と、文字通りの意味で凛々しく刹那は構える。文字は同じくありながら、刹那のそれは刃鳴りにはない光り輝く誇らしさがあった。

 神鳴流として、仮初であるが素子の弟子として、何より桜咲刹那として立つ。胸を張り、気高く吼えよう。

 お前は間違っているんだって。

 月詠はその宣誓にすら歓喜して、目を潤ませながらいっそうその唇から唾液を溢れださせ首筋まで濡らした。

 

「いひまふえ」

 

 柄を口に含んだ状態では美味く言葉は言えぬのか。もごもごとくぐもった声音で月詠がそう告げる。

 だが意味は受け取った。立ち込める気の圧力を切り裂いて、刹那は両腕のない異端の剣客を迎え撃つ。

 ただ冷え冷えと、木漏れ日の暖かさすらかき消して、刹那の戦いは始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 恐ろしい程の気の高まりに惑わされがちだが、月詠の戦闘力は見たとおりに劣化しているとみて間違いないだろう。

 答えは一目瞭然。月詠には両腕が存在しない。分かりやすくて当たり前な結論だ。刀とは手に持つものであり、決して口で咥えるものではないのだから。

 だが。

 それでもなお、月詠の醸し出す鬼気と呼べるものは、両腕がないというハンデすら補ってあまりあるものだった。

 刹那は対峙しているだけだというのに、背筋を嫌な汗が伝っていくのを感じた。柄を咥えているため、切っ先が真っ直ぐに刹那の方を向いているのが恐ろしかったのだ。

 斬るのか、あるいは突くのか。迷いは惑わせ、月詠が腕を失ったことにより弱くなっていることすら忘れそうになる。

 対峙だけで体力を削られる命がけの攻防だ。

 しかし。

 それでもなお、月詠は弱い。

 両腕のハンデは、一か月を素子の元で過ごした刹那に対してはあまりにも開き過ぎており、呼吸を僅かに乱しつつありながらも、刹那は幾つも脳裏に敵の刃の軌跡を思い浮かべ、問答無用で一刀に伏せるだろう己を夢想する。

 刹那はいつの間にか相手の気当たりによって止まっていた呼吸を再開した。隙を晒さぬように呼気を一つ、二つ、三つしたところで、月詠は一歩右足を後ろに下げた。体も屈めて、下半身に力を蓄える。素人目からでも分かるほど、月詠の次の行動は丸わかりだった。

 咥えた刃の切っ先をそのままに、己の体を顧みぬ突きによる特攻攻撃。

 それは予測した中でも一番厄介な構えであった。幾ら狂人とは言え、刹那には同じ人間である月詠を殺すまでの覚悟はない。人を守るための剣が人を斬り殺してしまえば本末転倒でしかないのだから。

 だが。

 刹那は目つき鋭く、重心を下げると右足を一歩下げて、切っ先を月詠に向けた。

 殺す覚悟はない。

 それでも月詠を止める覚悟はある。

 そよ風が二人の間を流れた。木々がさざ波を打ち、木の葉の影から射す日差しが影の位置をずらした。そんな自然の中に刹那は己を同化させていく。

 月詠は弱くなった。だが同時にとてつもない強さを得ていた。人の精神とは、段階が一つ上がるだけでこうも人を変貌させるのか。

 自然と一体化していく静の心に埋没していく中、己とは逆に周囲の自然から浮き出ている月詠の壮絶に、共感はせずとも羨望がないと言えば嘘になる。

 強くなるという願い。違いはどうあれ、月詠の精神性は、未だに惑ったままの刹那の精神性を凌駕しており、それが肉体という決定的なハンデの差を埋めていから。

 だからと言って、斬るという概念になることが正しいのか。

 答えは否。

 違うだろう。

 そういうことではないはずだ。

 そうなるのは簡単であり、そうならないことはとても難しいから。ならば刹那が未完成なのは当然のことだろう。

 いつか聞いた言葉がある。

 狂気を侠気に。

 邪道を正道に。

 狂気に陥らぬために、剣を持つ者は己の精神を律するのだ。

 今ならそれがどれほど困難なことなのか痛いほどわかる。刀とは、突き詰めなくとも何かを斬り、殺すための道具でしかない。

 そんな武器を持って、正道を、人を守ると謳うことのどれほど愚かでわざとらしいことか。

 周囲と同化していく。自己に埋没するからこその葛藤。心は静かになっていくというのに、脳裏には今は考えても意味がない疑問が幾つも浮かんでは泡のように消えていく。

 消えていくのは答えを得たからなのか。あるいは疑問に対する答えがないから目を背けて彼方に放っているからなのか。

 一瞬で全てが終わる。文字通り刹那の決闘にて、刹那は切っ先を鈍らせる思考ばかりを繰り返す。

 だがしかし、心はやはり落ち着いていた。

 何処までも己に問い続ける愚行を繰り返し。

 そうすることで精神を昇華させる矛盾した行為。

 忌むべき種族である己が、正道を行える場に居られる切っ掛けをくれた神鳴流。

 だが守ると誓いながらいつも大切な幼馴染を守れない自分。

 次こそと意気込み、素子の元を訪ねてからの今。

 そして。

 未来は。

 どうなのだろうか。

 過去も、今も、分からないことだらけだと言うのに、未来がどうなのかなど分かるわけがない。

 だが見渡す限りの闇の中でも、わかることは微々ではあるが確かにある。それは自分のことではなくて、周りの人のこと。

 もしかしたら人間というのは、自分で思っている以上に、己のことよりも他人のことのほうがわかっているのかもしれない。

 客観視。

 そう、それが大切だ。

 他人だからこそよくわかる。だがこれが己のことになると、途端に様々なしがらみが己への評価に靄をかけて見えなくさせるのだ。

 他人こそ己を映す鏡である。

 そういうものだとしたら、目の前に立つ月詠もまた、わからないことだらけの刹那を照らす、かけがえのない灯りの一つなのか。

 改めて見る。己を張り続ける少女の立ち姿を見据える。

 月詠は口に刀を咥えているせいか、まるで彼女自身も刀を構成する一つのパーツになっているようだった。

 もしくは、刀こそ月詠を構成するパーツの一つとなってしまったか。

 いずれにせよ。

 彼女の恐ろしさは、増大の一途であった。

 増大し続ける恐ろしき斬撃という名の自我。斬るという信念に支配された少女は、守るための戦い、逃げるために戦おうとする刹那とは真逆だ。

 だからこそ、己の鏡だった。

 彼女は、邪道で。

 刹那は、正道で。

 故に、コインの裏表。

 刹那は恐ろしくも弱々しい月詠をよく見た。

 少女の瞳からは伝わる意志は斬ることだけで、それ以上の余分は一切ない。

 だからこそ刹那の迷いも、この一瞬だけ研ぎすまされて削られていくのだ。

 再び、呼気を一つ。

 二つ。

 三つを経て、ゆっくりと。

 月詠。修羅に捉われた哀れな少女よ。

 お前から見た私はどう映っているのだろうか。

 乗り越えるべき壁か。

 耐えがたい醜悪な外道か。

 それとも好敵手として恋い慕っているのか。

 いずれにせよ、お前は斬るのだろう。

 斬って。

 私を斬るだけではなくて。

 斬るものがなくなるまでずっと斬るのか。何も知らぬ人々すらも巻き込んで、己の外道邪道をまき散らすのか。

 その結果、京都と同じ惨劇が生まれると知りながら。

 お前は。

 でも。

 

「お嬢様が居なかったら、私もそうなっていた」

 

 強く。

 ひたすらに強く。

 始まりの願い。原初の祈りはきっとそこに。鍛錬とは己を強くする行為に他ならなくて。

 力を求める外道だろうが。

 人々を守る正道だろうが。

 結果として、強くなりたいという願望だけは変わらない。

 だから一歩踏み外せば刹那は月詠だっただろうし、月詠も一歩踏み出していれば、刹那になっていただろう。

 だけど月詠。

 結局、同じだから。

 

「強さの果ては──修羅場だよ」

 

 直後、鋼は砕ける。鈍い輝きを乱反射する刃の亡骸に包まれながら、刹那は冷たい眼差しで呟いた。

 

「奥義、斬魔剣」

 

 戦いは、完結した。

 その時、同時に動いた二人。互いに突き出した刃の切っ先は、寸分の狂いもなく激突して、当然のように月詠の刃は砕かれ、その勢いで柄を叩いたところで力を加減したことで、月詠の口内を、濡れそぼった柄が強かに蹂躙した。

 遅れて吹き飛んだ月詠は、大地を抉り、口から柄もろとも歯や血をまき散らした。ようやく止まったあとも、常人なら喉を突き破られるほどの衝撃を受けたことによって、月詠は力なく横たわりながら吐血を繰り返して痙攣している。

 

「……あぁ。終わりか」

 

 夕凪を鞘に仕舞った刹那は、淡々と決着を把握した。

 一度、平静に陥った心は勝利の高揚にすら泡立ったりしない。

 冷たかった。

 木漏れ日の暖かさすら感じられないくらい、冷たい勝利だった。

 刹那は体を包む冷気を振り払うように月詠の元に歩み寄る。少女は吐血を繰り返し、腕がないため自力で立つことすら叶わない状態でありながら、それでも首を持ち上げて勝者である刹那を見上げていた。

 

「……」

 

「グッ……ゴホッ……ガホッ!」

 

 喉を潰されたことにより月詠は刹那に言葉をかけることが出来ない。それでも黒く染まった瞳は、勝者である刹那に言葉以上に分かりやすい願いを訴えかけていた。

 斬れ。

 私を斬れ。

 

「嫌だよ。そんなの」

 

 刹那はそう告げると、月詠の前に屈みこみその体を抱き上げた。

 

「なぁ。こんなことの何が楽しいんだ? 私自身の存在意義を否定する言い方だが、私達は使われるべきでも、ましてや進んで己を使うべきではないよ……冷たいんだ。邪道を極めようが、正道を極めようが、闘争であるこれらの道の先は、どっちも冷たすぎる」

 

 悲しいよ。

 刹那の言葉に、ようやく痙攣がおさまり始めた月詠は未体験の何かを見るように、驚いた様子だった。

 その反応が悲しかった。

 鳥族とのハーフである己以上に、邪道に染まりきった少女の反応が辛くて、だが涙を流すには、今の刹那は冷たくなりすぎている。

 

「月詠……もし勝者としての権利が許されるのならば、私と一つ約束をしてくれないか?」

 

「な、でず、が……?」

 

「今後、斬りに来るなら私だけを斬りに来い。私は何度だってお前を倒すよ。そしていつか、お前がそのままでは私に勝てないって、そう思えたら、それがいい」

 

 修羅の子よ。月詠という少女、修羅に魅せられた彼女を正道に戻すには、一度の敗北だけでは足りないだろう。

 なら、何度でも見せてみる。

 武器を持ちながら正道を進む困難を。その道こそ本物の強さに繋がるのだと。

 尤も。

 

「結局……どっちも冷たい」

 

 その言葉を聞いたかどうか定かではない。意識を失った月詠をそっと地面に横たわらせた桜咲刹那は、あまりにも哀れなこの少女の今後を思って己のことのように悲しくなってしまった。

 

「……そういうことなのですね。素子様」

 

 正道だろうが邪道だろうが、極めた先にあるのは冷たい無感だ。

 そして、その結果を体現するのが青山だ。

 青山。

 宗家、青山。

 その血が作り出した狂気の産物こそ、現代で最強を誇る二人の青山に違いない。

 

「ならば……道とは、人とは……何なのですか」

 

 貴女方が人間の根源であるならば、そんな者に生きる価値があるというのだろうか。

 当然、答えを欲したわけではなかった。むしろ答えなきことを答えとして、この求めてはならぬ答えに封をしようと刹那は思った。

 それでいいではないか。

 だって、自分は『あんな様』になれる才能なんて無いのだから。

 

「迷うな……私は、お嬢様を、守るだけだ」

 

 一言一句噛みしめるように呟きながら立ち上がる。

 そうだ。それでいいではないか。

 迷うことなんて何もない。刹那はそうして月詠を置いたままその場を後にする。

 今は一刻も木乃香の下へ、知らず早まる歩みで、刹那は彼女の待つ麻帆良学園まで向かうのであった。

 

 

 

 

 

 修羅に魅せられただけの少女だった。

 だがそんな少女ですら、狂気的かつ一本の芯が育まれる。

 ならば本物の修羅はどれほどのものとなるのだろう。刹那は麻帆良へと帰る新幹線の中で、脳裏に浮かんだ青山の恐るべき気配に、それだけで怖気を感じた。

 逃げるという決意はさらに強固なものとなる。

 どうやって逃げるのか。どうやって逃げ続けるのか。

 手段はわからないし、刹那一人に出来ることはあまりにも少ない。

 だがそれでも刹那は成し遂げなければいけなかった。

 青山。

 恐るべき青山。

 多分、というよりもこれは確信だが、学園側の人間は信用できないと見ていいだろう。彼らが悪いというわけではなく、青山の本質を見ていない者に青山の危険性を説いた所で、それは無意味なものだからだ。

 最悪、刹那に出来るのは木乃香と明日菜と楓とネギを連れて逃げ出すことだけだろう。彼女達だけは、刹那と共に青山の脅威を体験した仲間達だから。

 

「……木乃香お嬢様」

 

 今暫くだけ、お待ちください。

 そんなことを思いながら麻帆良へ帰るために新幹線に乗ろうと駅に入り。

 

「あ、あれ桜咲さんじゃないの?」

 

 聞き慣れた級友の声が耳に届いた。

 

「ホントだ。おーい刹那さーん!」

 

「桜咲さーん!」

 

「やっほー!」

 

 振り返れば、そこにはクラスの皆が全員そろってその場に立っていた。

 

「え……ちょ、皆さん!?」

 

 驚いて目を見開き、刹那はそこでようやく気付く。

 クラスの仲間だけではなくて、その他麻帆良に在籍する生徒が多数そこには存在していた。

 一体どういうことなのか。刹那がその光景に当惑していると、安堵した様子のあやかが刹那の前に立った。

 

「良かったですわ。ご無事で何よりです」

 

「は、はぁ、それは……ってどういうことですかこれ?」

 

「……やはりそうでしたか。暫く京都に居たので事情を知らないようなので、よければご説明いたしますが?」

 

「は、はい」

 

 あやかは小さく一つ咳払いをすると、これまでの経緯をかいつまんで説明し始めた。

 その内容は刹那が驚くのも当然な内容で、そしてそれ以上に青山から逃れるという彼女の願いには好都合な話に他ならない。

 

「つまり……暫くは京都の復興のため、麻帆良の生徒が京都近辺に来ていると?」

 

「まとめるとその通りですわ。宿泊施設等の問題はありますが、私を含めて、超さん等が出資したりすることでそういう部分は上手くまとめています。勿論、刹那さんの分の部屋も確保していますので……」

 

「あの、お嬢……いや、近衛さんや、ネギ先生達は?」

 

 刹那は周囲に木乃香も含めた幾人の生徒がいないことに気付いた。

 彼女があやかは不安げな様子の刹那色を瞳に浮かべ、呆れた風に溜息を漏らす。

 

「ネギ先生は明日菜さん以下残った生徒の方々と共に麻帆良に残っているみたいです。どうやらやらなければならないことがあるようでして……」

 

「やらないといけないこと……」

 

 その当たり前と言えば当たり前な言葉に。

 刹那は。

 何となく。

 嫌な、予感がした。

 麻帆良に残るというその意味、それはつまり、あの男と同じ場に立つということに他らなず。

 では、今ここに居ない木乃香も?

 

「あの……それで、近衛さん、は?」

 

 最悪の展開を予想して震える身体を抑えられているか気にする余裕は無かった。そんな刹那の様子を察したのか、あやかは安心させるように柔らかく微笑んで見せる。

 

「木乃香さんならば大丈夫ですわ。ですが、その……お父上がお亡くなりになった現場に赴かれています」

 

「そ、そうですか……それなら良いのです」

 

 木乃香は麻帆良に残ったわけではないことを知って刹那は安堵する。

 それならば大丈夫だ。ネギや明日菜には申し訳ないが、あの恐るべき男の傍に――。

 

「えぇ。それに、親戚のお方が共に連れ添っているので大丈夫ですわ」

 

 言葉を、失った。

 

「え?」

 

 刹那の動揺を他所に、あやかはさらに言葉を続ける。

 

「新幹線に乗る直前になって分かったのですけどね。ちょっと失礼な言い方ですが、見た目は少々陰鬱な様子で、頼りなさそうではあったのですが、なんて挨拶しかしていないのにこう言うのは失礼ですわね……ともかく、とっても頼りになる人だからと木乃香さんが直々に言ってくれたことも――」

 

「そ、その、そいつは! そいつの名前は!?」

 

「ちょ、一体どうしたのですか!?」

 

 突如、激しい剣幕を見せた刹那の様子に若干怯えの様子を見せるあやか。だが刹那は構わずにあやかの両肩を掴むと、血走った眼で「名前を教えてくれ」と再度あやかに問いかけた。

 

「落ち着いてくださいな……えっと、木乃香さんのお父上側の親戚で」

 

 頼む。

 そう願わずにはいられない。

 できれば勘違いであってほしい。

 その先に続く言葉が、私の知るあの嫌悪すべき名ではなければ今ここで死んだって構わない。

 だから。

 だからお願いします。

 

 

 

 

「確か、青山さんと」

 

 

 

 

 あやかの口から紡がれる、合ってはならない災厄の名に絶望する。

 

「あ、おやま……」

 

 青山。

 お前が、お嬢様のすぐ傍に――。

 

「青山……!」

 

 青山。

 お前のような、吐き気をもよおす修羅外道が――。

 

「青山、お前は……!」

 

 青山。

 何故お前は、私の世界を汚染するのだ。

 

 刹那はここでようやく、最悪が既に現実となっていたことを理解したのであった。

 

 

 

 

 




次回、木乃香

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