【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

44 / 80
第二話【木乃香】

 

 信頼とは積み重ねによって育まれるものである。だがしかしそれは長い時間をかけなければならないと言うわけではなく、ほんの一時の時間だけでも信頼を築き上げることは出来る。

 例えば、共通の困難を抱えているもの同士などはいい例だろう。それがより困難であればある程、信頼はすぐに築くことが可能だ。

 勿論、長い時間を共に過ごすことで築かれる信頼もかけがえのないものであるのは真実だ。

 だがしかし、長年をかけて積み上げた信頼が、たった一瞬の出会いで積み上げた信頼に劣る時もあるというのも、それは一つの真実であった。

 

「……」

 

 近衛詠春の葬儀が行われたその日の夜。木乃香は明日菜がネギを探しに出て行ったあと、当ても無く一人外を出歩いていた。

 目的があって外に出たわけではない。ただ、ホテルの一室で一人になっているのが堪らなく不安だったために外へと出ただけだ。

 だが木乃香はなるべく光が無い方を無意識に選んで歩いていた。それは一人であることの不安を感じる一方で、何もすることが出来ず、ただ父親を失っただけの愚かな自分など消えてしまえばいいという思いの発露であったのかもしれない。

 のんびりとしてマイペースな少女だが、芯の強い子である。その芯の強さが、この災害で自分には何もできないことを理解しながらも、何か出来たのではないかという罪悪感を生み出しているのだろう。

 強ければ、強いというわけではない。

 時としてその心の強さが、致命的な傷を生むこともありえるのだ。

 皺だらけの制服を着たまま彷徨う姿は、その感情の抜け落ちた表情と相まって、さながら幽鬼のようですらあった。当てなくただただ暗がりへ、このまま闇に溶けて消えてしまえるならば、それはそれでいい。

 そんな自虐的なことすら思い始めた頃、木乃香はふと動かした視線の先に、見知った人影を見つけた。

 

「あ……」

 

 夜闇よりも尚暗い、奈落の如き眼。喪服を着ているためにいっそうその暗い雰囲気が引き立っている男。

 だが何処か、惹きつけられるような色をしたその者は、父親の兄弟だと名乗っていた。

 

「青山、さん?」

 

「……君か」

 

 木乃香に名を呼ばれた青山は、声を掛けられてようやく彼女の存在に感づいた己の不注意に内心で自嘲した。

 ――どうやら、ネギ君が己とは違う場所へ至ろうとしているのが、思いの外悔しいらしい。

 先程、ネギと語らった一時。しかし、そこでネギが見せた瞳の輝きは、共に至れる可能性を粉みじんに砕くには十分であった。

 別れるまでは平常心を保っていたつもりだが、ようはあまりの衝撃に一周回って落ち着いてしまっただけのようだ。

 その結果が、その身にネギと同等か、それ以上の魔力を秘めている木乃香の接近を、声をかけられる直前まで気付けなかったとなれば、戦闘者としては笑わずにはいられないだろう。

 

「あの……」

 

「あぁ……すまない。少し、考え事をしていた」

 

 どうやら思案していたのを迷惑だと思われたのだろう。先程から暗かった表情をさらに暗くしてしまった木乃香に、青山は不器用ながらも安心させるべく、唇の端を吊り上げて笑みを象ってみせる。

 だが他人から見れば、どう見ても殺人鬼がことを成す前に見せる邪悪なそれにしか見えないだろう。

 

「そう、ですか」

 

 しかし、それも相手が見ていなければ意味は無い。既に視線を地面に落としていた木乃香は、偶然遭遇したので反射的に声をかけたが、それ以上何かを話題があるわけでもなく沈黙してしまった。

 その姿に青山は無理もないと悟る。親の葬儀に出た後、叔父であるとはいえ、出会ったのはあの葬儀の場が最初でしかない自分に出会って、会話を続けられるはずがないのだ。

 暫く、会話の無い時間が続く。街灯の光もあまり届かない暗がりで、喪服の男と制服姿の少女が向き合った状態で佇むのは、他人が見ればすぐにでも警察への通報が来そうなものだが、生憎と震災後の京都近辺ということもあり、周囲に人が居る気配は無かった。

 

「……少し、話そう」

 

 沈黙を嫌ったわけではないが、いつまでも立ち往生というのも疲れるだけだ。青山のそういった思いを含んだ提案に、木乃香は未だに俯いたまま小さく頭を上下に動かすことで答えた。

 

 

 

 

 

 あの素晴らしい人格者である兄さんを父に持つ彼女の心境は、痛いほどに分かるつもりだ。だからと言って俺が彼女を慰めるには、些か以上に口下手なため、誤解を招きそうなため会話しようにも出来ないのが現状である。

 だが葬儀で別れた後にこうして再開出来た偶然は、あるいは運命的であるともいえるだろう。それにこうして再び出会えた以上、傷心の少女を置いて、ではさようならと言える程、俺は非道な人間ではない。

 むしろ、今の俺だから彼女に伝えられることがあるのもまた一つの事実であることも確かなはずだ。

 フェイトがその命の全てを燃やして俺に授けてくれた、生きるという当たり前だがとても大切な奇跡は、俺の心に深く重く、絡みついている。

 ならばこの吹けば消えてしまいそうな彼女にこの想いを伝えることで、彼女が再び生の活力をよみがえらせる可能性を……。

 

「しまった」

 

 証は持ってきていないんだった。

 

「?」

 

「いや、なんでもない。気にしないでほしい」

 

 俺の呟きに疑念を浮かべる近衛さんに、赤面してしまうほどの失態を誤魔化すように軽く手を振って答える。

 まぁ、今手元に無い物を嘆いても仕方ない。

 そもそも、街中で刀を腰に差して歩くなど只の不審者ではないか。

 

「少し待っていてくれ。今、暖かい飲み物を買ってくる」

 

 俺は一先ず近くにあった公園のベンチに近衛さんを座らせると、近くの自販機で飲み物を買うことにした。

 全く、己の常識の無さに呆れてしまう。フェイトにもたらされたものが嬉しいとはいえ、浮かれすぎては彼に申し訳がないではないか。

 一先ず自分のはコーヒー、近衛さんは……お茶でいいかな?

 うん。

 良し、頑張ろう。

 

「どうぞ」

 

「……ありがとうございます」

 

 縮こまるようにベンチに座っていた近衛さんにお茶を手渡して、俺は少し距離を開けて隣に座った。

 しかし、自分から提案しておきながら、いざこうなると会話しようにも何を話せばいいのやら……。

 

「あの、少し、聞いてもいいですか?」

 

 仏頂面の下で必至に会話の切っ掛けをどうするか思案していると、恐る恐ると言った様子で近衛さんが俺に問いかけてきた。

 

「俺が答えられることなら、なんでも聞いてくれ」

 

 勿論、断る理由なんてどこにもない。二つ返事で答えると、近衛さんは俺に視線を合わせることなく、遠くで輝く街灯の光を虚ろな眼差しで見つめながら口を開いた。

 

「青山さんは……お父様が……あの日、お父様が……死……お父様が……死ん……死んだ日……お父様の傍に?」

 

 兄さんの死を、言葉にするのも辛いのだろう。何度も言葉をつっかえさせ、目尻には涙を浮かべつつ何とか声を絞り出した彼女の問いに、俺はどう答えようかと思う。

 果たして、彼女は何処まで事情を知っているのだろうか? 麻帆良学園に勤める時、学園長からは特に彼女について言われていなかったことと、俺自身も彼女のことについて学園長に質問することもなかったため、どの程度の真実まで語ればいいのか判断がつかないのだ。

 少なくとも、麻帆良に勤める魔法使いの方々と初顔合わせをした日、教師に混じって生徒も居たが、そこに彼女の姿は無かった。

 では、近衛さんは何も知らないのか?

 だがしかし、操られた結果とはいえ、彼女によってリョウメンスクナという鬼が封印から解放されたのも真実。俺だって正規の手段では解くことは出来ないあの鬼の封印に必要な魔力を彼女は一人で補ったのだ。無論、封印を解いた術者の技量もあるだろうが、京都を壊滅に追い込める鬼の封印を解ける魔力を持っているのに、魔法などについて何の知識も無いというのは――

 

「駄目、ですか? そうですよね……」

 

 俺の沈黙を否定ととったのか。近衛さんは視線を落として肩を震わせた。噛み殺した嗚咽に混じってすすり泣く彼女の姿に、取りあえず会話を続けながら考えることに俺は決めた。

 

「いや、そうではない……ただ、あまりにも悲しい出来事だったから、君に話していいものかと思って」

 

「……優しいんやな、青山さん」

 

 ……違う。そうじゃない。

 と言いたいが、誤解を招きそうなので反射的な返答は控えるべきだ。

 喉元まで出てきた言葉をぐっとこらえつつ、俺は近衛さんが盛大な勘違いをしているのではないかと悟った。

 俺としては裏の事情を知らない君に全て話すのはいけないのではないかといっただけのことだったのだが。

 もしかして、気遣っていると思われているのだろうか? いや、確かに気にかけているのは事実だし、兄さんのかけがえのない宝物である彼女が立ち直るのを支えてやりたいという気持ちもないわけではないが。

 

「……俺は、君の父親を殺した男だ」

 

 だがやはり、事実は事実として、伝えるべきところは伝えるべきであろう。

 麻帆良学園の仲間達は、俺の悔恨を優しく労わってくれたが、真実、俺は兄さんをこの手で殺したのだ。

 その事実だけは伝えなければならない。

 それだけは、彼女が知るべきことのはずだ。

 

「そんな男が、優しいわけがないだろう」

 

 敬愛すべき肉親をこの手で殺した、愚かなる男。それが俺なのだ。

 迸る血潮、消え去った兄さんの肉体。間違いなく、あの日、俺は兄さんを殺した。

 

「だが、君には知っていてほしい。それでも、俺は君の父親が生きていた確かな証をこの体に刻み込んだ。誰もが敬愛する素晴らしき兄が辿ってきた人生の軌跡を、俺は確かにこの耳で受け止めたんだ」

 

「……少し、難解です」

 

「すまない。だが、言葉で語るのは、苦手なんだ」

 

 あぁ、今ここに証があれば雄弁と語れるというものを。

 もどかしさに身動ぎしていると、近衛さんは出会ってから初めて微笑みを浮かべていた。

 

「そういうところ、お父様に似てますわー」

 

「……君の父親は、こんな不愛想ではないよ」

 

「……ちゃいます。不愛想やなくて、不器用なとこや」

 

 それこそ、違うと思うのだが。とはいえ兄さんの娘である近衛さんにはそう見えたのだろう。何となくむず痒い心地になるが、だがまぁ彼女が少しでも笑顔になれたのならいいだろう。

 だがそんな俺の思いとは裏腹に、近衛さんの表情にはすぐに影がかかった。

 

「……それに、青山さんがウチのお父様を殺したのがホントやとしても、だから恨んで、だから憎んで、だから怒ったとしても……何にもならへん」

 

 近衛さんは葬儀の時に語ったのと同じ言葉を繰り返した。

 復讐に走って、何にもならない。

 それは、悲しみのほうが怒りを上回っているという言葉ではない。そこに込められた意志だけは、悲哀に潰れ、絶望に苦しんでいる状態でありながらも、彼女自身がありのままの心で紡ぎだした奇跡の言葉。

 正邪を超えた意志。

 憎悪を抱え、悲哀に濡れ、絶望を背負いながら、それらの正しい邪悪は違うと言い切る、聖人如き強き思い。

 その奇跡を、俺はようやく理解した。

 

「そうか」

 

 君はやはり、強い子だ。

 ならば、俺がこれ以上罰を求めても無粋というものだろう。

 さておき、だ。

 とりあえず、なんとなくではあるが彼女が裏の事情をほぼ知らないというのは分かった。まぁそもそも、仮にも近衛を名乗る身でありながら青山と聞いて何も反応を示さない時点で大体見当はついていたのだが。無論、この場合は宗家としての青山を知っているかどうかという話だ。

 もしも俺が破門された身とはいえ、兄さんと同じ宗家の青山である俺が、あの日、兄さんの傍に居たと知り、少しでも裏の事情に関わっていれば、何かの事件があったと悟るはずだ。しかしこれまでの流れで何か察した様子もなく、何かしらそれらしい質問をぶつけてきたりもしない。

 もしかしてとは思ったが、彼女は己の身に秘められた膨大な魔力や、己の名が持つ意味、そして家族がどういった仕事をしているのか何も知らないのか。

 

「……哀れだな」

 

 口の中だけで呟いた言葉は外に漏れることはない。

 だが近衛さんに伝わらずとも、そう言わずにはいられなかった。

 魔法と、それらを扱う魔法使いを取り巻く事情は血生臭い事柄が多い。だからと言って、知らずに育つのが正しいとは俺は思えなかった。もしそうするならば、『近衛』として育てるつもりがなかったのなら、俺は彼女を里子にでも出すべきだと思う。

 今の近衛さんは、例えるならヤクザの親分の元に生まれながら、血生臭いことに関わらせたくないので仕事のことは一切教えず、知る状況にも置かず、だが自分の子であることは周囲に喧伝しているといった状況である。しかも近衛さんの場合、裏の事情を知る者が引き寄せられる甘い汁をたっぷりその身に秘めているというオマケつきだ。

 だからこそ、あの鬼を解放するために拉致されたのだろう。関わらせたくないくせに、関わらせる切っ掛けは作っておくなど、中途半端で呆れる他ない。

 何にせよ……世の中、完璧な人間などは存在しないということだ。

 少なくない失望を兄さんと学園長、そしておそらくその事情を知っているだろう見知らぬ関係者に覚えつつ、俺は俯いた近衛さんの横顔を見た。

 

 知らぬが故に、罪の重さに苦しむ少女。

 無知は罪ではない。

 だが、無知は罪を犯すのだ。

 

 この事件の最大の被害者は彼女だ。そして、彼女を被害者にしたのは、これまでの環境そのものと言ってもいい。まぁ、拉致に気付きながらネギ君の成長のため彼女を放置した俺にも責任は大いにあるのだが、別に言い訳でも何でもなく、俺が今回事件を防いだとしても、いずれ近衛さんは大きな事件に巻き込まれることになっただろう。

 そして、今回の事件。どんなに周囲の口を閉ざそうが、彼女が保有する膨大な魔力は広く裏社会の者達に知れ渡ることになる。

 そうなれば、第二、第三の京都の悲劇が生まれるはずだ。

 

 ならば俺は彼女の叔父として、全てを知ったうえで何をするべきだ?

 

「……近衛さん」

 

「木乃香でえぇですよ」

 

「では、木乃香さん」

 

「年上の人にさん付けで呼ばれるとむず痒いですわ……」

 

「……………………木乃香、ちゃん」

 

「はい、何です?」

 

 一連の流れがツボに入ったのか。再度微笑んでくれる木乃香ちゃん。

 その儚い笑顔が再度曇ると思うと胸が痛むが、だがしかし、彼女は知るべきだ。

 

「君に全てを話す」

 

「え?」

 

「だが、今から語る真実は、おそらく君の想像を超えているだろうし、何より……君は真実の重さに耐えられず心を壊すかもしれない」

 

 それでも、君は真実を知りたいか?

 無言で問いかける俺の瞳に、木乃香ちゃんは僅かな逡巡の後、ゆっくりと、だがはっきりと頷きを一つした。

 

「なら、話そう。だけど、今から話すことは、今以上に君を追い詰めることになることを理解してほしい」

 

 これから君が巻き込まれるだろう魔の脅威から、君が身を守れるように。

 それはきっと、君の心を重く押し潰すだろう。

 それはきっと、君の常識を悉く壊してしまうだろう。

 それはきっと、君の中にある幾人かへの信頼を崩すだろう。

 それでも俺は、君のために、君を取り巻く全てを話そう。

 

「でも、大丈夫」

 

 俺が、君を守ってみせるから。

 

「……じゃあ、まずは君の父親、近衛詠春様が長を勤めていた組織に――」

 

 そしてゆっくりと語りだす。その結果、木乃香ちゃんが心を壊してしまうのは分かっているけれど。

 でも俺は話すのだ。

 全てを話してみせるのだ。

 だって――あぁ畜生、建前はどうでもいいか。

 ネギ君の傍に居たため霞んでいたもう一つの才覚。彼女を憐れむ心以上に、俺はそれを見いだせた奇跡に感謝していた。

 そう、奇跡の如き才覚は、一つだけではなかったのだ。

 

「――つまり、君は膨大な魔力を保有していて」

 

 君はとても美しい。

 父親を殺した仇である俺を前にして、復讐をしても何もならないと言い切った君の心はとても美しい。

 そして美しいからこそ、復讐を否定する君の言葉は、常人には悍ましく聞こえることであろう。

 無論、それはまだ君に隠された美の一片にしか過ぎないだろう。

 だが、兆しは見えたのだ。他でもない、俺(青山)が君の美しさを見出したのだ。

 その心。

 その在り方。

 

 まさに、美しき汚泥。矛盾する異端の狂気に違いなく。

 

 だから、心配しなくてもいい。勿論、どんなことになっても君を守るというのも本音ではあるけれど。

 

「その魔力で、京都を滅ぼした鬼は解放されたんだ」

 

 ――もし君が壊れても、俺が君を『青山』にしてみせるから。

 

 だから、大丈夫。

 

 安心して、壊れていいんだよ。

 

 

 

 

 

 真実はいつだって残酷だ。

 知ることで掬われることもありながら、その一方で、知ったからこそ知りたくなかったと嘆くことになる側面も備えている。

 真実は正しい。

 だが、時としてその正しさが、人を殺す刃となる。

 

 その日、近衛木乃香は真実に殺された。

 

 それもまた、覆しようがない真実。

 あまりにも残酷な、そして最早取り返しのつかない真実なのだ。

 

 

 




次回、君色に染まって。

このちゃん好きは是非読んでください(真顔)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。