近衛木乃香は、その生い立ちなどを考慮しなければ普通の少女と言ってもいいだろう。
おっとりとしていて、人並み以上に優しく、それゆえに桜咲刹那との関係もあるように、人間関係のトラブルなどを苦手としている。
だがそれだけの普通の少女であったのだ。少なくとも、京都の災害が起きるまでは、少々世間ずれしている部分がある程度の平凡な人間であった。
しかし、それ故に。
人知を超えた災害によって暴かれた人間性を、青山という男に見抜かれてしまったのだ。
「……え?」
君の魔力で京都を滅ぼした鬼は復活した。
俺が放ったその言葉を上手く聞き取れなかったのだろう。聞き返すように疑問符を浮かべる木乃香ちゃんに、俺はより詳しくその詳細を語った。
「京都に封じられていた鬼、リョウメンスクナは、君の魔力で完全復活を果たしたんだ。そして、兄さんが居た総本山もろとも、京都の街目掛けて鬼の力は解放された。君の持つその膨大な魔力を破壊の力として、京都は紅蓮に染められたんだ」
「……そ、そんな」
うーん。やはり言葉で伝えるのは難しい。現に木乃香ちゃんは何か誤解しているようで真っ青を通り越して真っ白な顔になっているが、だからとて口下手な俺が言い訳がましく何かを語ろうと余計事態を悪化させるだけだろう。
それに、壊れるならそれはそれでいいのだ。
続けるべきだろう。
頑張れ、木乃香ちゃん。
「被害者の数は……大体は知っているか。表向きは天災による被害だって言われているけど、君だってもう分かっているだろ? 周囲に刻まれた、まるで爆心地のような跡の数々、それに偶然、兄さんが居を構える山が噴火するなんてありえないってことくらい。第一、調べればどんなに言論統制しようが、現地の人々が実際にリョウメンスクナの力を見たと色々なところで証言している」
……喉が疲れるなぁ。最近は人並みにしゃべれるようになったとはいえ、元来の口下手が治ったわけではない。間を見てお茶で喉を潤していると、木乃香ちゃんが唇をわななかせながら両腕で自分の体を抱きしめていた。
「それ……それって……でも……ウチ、そんなん、知らん……」
「兄さんや周りの人達が、危険に晒したくないから何も知らせなかっただけだよ。君にはさっき俺が見せたような力が宿っている。尤も、さっき強引に魔力を解放させたから分かっているとは思うが」
「せやけど! ウチ、そんなん知らへん!」
「しかし、真実だ」
勿論、こんな荒唐無稽な話を信じてもらうために、俺は話しながら、今使える簡単な陰陽術を実践してみせたり、木乃香ちゃん自身の魔力を、術を用いて僅かな間だが強引に解放させたりしている。
だがそれでも完全に信じ切ることは難しいはずだ。しかし、木乃香ちゃん自身がこれまでにいくつか不思議な経験をしていること、己が拉致される瞬間を記憶していることなどで、聡明な彼女は悟ったのだろう。無論、他にも理由はあるのかもしれないが。
とはいえ、心が理解していても、それを受け入れられるかと言えば別の話だ。
「じゃあネギ君も、明日菜も……せっちゃんも、全部知ってて?」
「あぁ、君がどういった人間なのか、そして京都の事件のことについても、ネギ君たちは全て知っているよ」
「そんな……そんなのって……じゃあ、知ってたのに、明日菜も、せっちゃんも……」
どうせ話すなら丸ごと全部ということで、ネギ君やその従者として活躍している神楽坂さん。そして桜咲さんのこと等々、裏の事情に関わっている者で、木乃香ちゃんの知り合いであろう人物は知る限り全員教えた。
「ずっと、ウチは……騙されてたんやな」
しかし、幾ら事実を語ろうと、俺の言葉は何かしら抜けているらしい。
騙すなどと、彼らはそんなこと思ってもいないだろう。
やっぱり何か色々と誤解を招いているようだ。
「違う。彼らは君のことを思っていただけだ。ただ、彼らは過保護であっただけで、騙すつもりなど――」
「でも、知っていて、危ないって、分かってて……誰も、だぁれも、ウチに教えてくれんかった」
ぬ。
確かに、見方を変えればそうなるだろう。
木乃香ちゃんの指摘に、安っぽい言い訳は通じない。そして安っぽい言葉しか紡げない俺は、黙る他ないのだ。
……申し訳ない、ネギ君達。
俺としては可能な限り君達の評価が下がらないように語ったつもりなのだが。この時ばかりは、口下手な己に憤りを覚えてしまう。
「皆……ウチを、裏切ったんや……!」
血を吐くように怒りを露わにする木乃香ちゃん。
だが違う。
君は勘違いをしているだけだ。
「木乃香ちゃん……それは、違う。むしろ、初めに裏切ったのはこの俺だ。鬼の復活の件も、君の父親の件も、全て俺なら対処出来た。対処出来たのに対処しなかった俺に、全ての罪があるんだ」
そう、ネギ君の成長のために君が操られるのを見過ごしてしまった。
だから全て俺の責任だ。
責めるべきは俺以外に存在しない。
何なら、この首を差し出したっていい。
それで、君の気が済むのならば――
「……やっぱ優しいなぁ、青山さんは」
いや。
どうしてそうなるのだ。
絶望に落ちた表情から一転、儚げな微笑みを浮かべる木乃香ちゃんの瞳に込められた俺への信頼の念に困惑するしかない。
いや、ホントに。
……見誤ったのは、俺のほうかなぁ。
―
「青山さんは……優しいなぁ」
再度繰り返した言葉は、瓦解しそうな己を支えてくれるものに縋りつくかのような必至さもにじんでいた。
青山から話を聞き、ある程度の術等を見せてもらった木乃香だが、何故、自分が事の発端であるかを完全に理解できたかと言えば、切っ掛けは葬儀の時に既に存在していた。
人間関係のトラブルを苦手とすることは、人の悪意に敏感であるということにもなる。そのせいか、木乃香は葬儀の際に、なぜか自分に向けられる不可思議な怒りの感情の発露を鋭敏に感じ取っていた。
今思えば、それは裏の事情を知っている者達だったのだろう。理由はどうあれ、木乃香自身の魔力が今回の事件を起こしたのは事実である。事件の犯人も既に全員他界していることから、やり場のない怒りが木乃香に無言の圧力として向けられたのだ。
(全部、ウチのせいなんやな)
だから、青山の話を聞いて木乃香は全てを悟った。あの怒りが、やり場を無くした怒りが無意識に漏れ出た結果であるとすれば、全てに説明がつくのである。
組織の長として立派な人間だった父親。
対して、客観的に見れば、自分はそんな父親のことを何も知らずにのうのうと生きて、勝手に災厄を撒き散らした駄目な娘という事になる。
事実はどうあれ、木乃香はそうだと思ってしまった。それが真実なのだと、青山の簡潔な真実を聞いて思ったのだ。
悪いのは全て自分。
何も知らなかった、愚かな自分。
愚鈍で馬鹿で、愚図な自分。
(……でも、だったらなんで、教えてくれへんかったんや)
罪悪感にぐちゃぐちゃに潰される一方、木乃香は何故自分にそのような力が存在するのか何も教えてくれなかった周囲の者達、ネギ達への憤りもまた感じていた。
しかし、今の彼女の心境を知れば、誰もが首を傾げるはずだ。
己の父を殺した相手に復讐することは何もないと断じた一方で、結果として悲惨な結末を迎えたものの、裏の事情を隠していただけのネギ達に怒りを覚えている木乃香の心境。
当然、異常だろう。だがしかし、前提として間違っているのならば、話は変わってくる。
少なくとも木乃香は、『もし本当に青山が詠春を殺した相手であれば』、罵倒の限りを尽くして涙ながらに喚き散らしただろう。だがしかし、木乃香は青山の奈落の如き眼に、父を亡くして自暴自棄な己を重ねてしまった。
そう、自分と同じ境遇であると重ねてしまったのだ。
青山が感じている木乃香の勘違いとはまさにそこだ。そして青山が勘違いの元を探ろうと幾ら思案しても分からないのは当然のことである。
あの日、葬儀の場で出会った瞬間から、青山と木乃香の微妙な、しかし決定的な勘違いは始まっていたのだ。
父を殺したのは俺だ。
事件を起こすきっかけを作ったのは俺だ。
全て、俺の責任なんだ。
その勘違いを分かることなく、幾ら青山が真実を語ろうと、木乃香は青山の真実を曲解してしまうことになる。
(……ホンマ、不器用な人やなぁ)
青山が語った事件の内容の全てを木乃香は真実であると納得した。
だが、青山が己に全て責があるという言葉を、木乃香は自分の罪を自ら肩代わりしようとしているようにしか思えなかったのだ。
青山が言葉を重ねれば重ねるだけ、木乃香には青山が口下手ながら必至に自分を立ち上がらせようと頑張っているようにしか思えなくなるばかりである。
認識の違いだ。
そもそも、『生きることは斬ることである』という理解不能な『常識』を前提に真実を語っている青山の話を、全て丸ごと信じられる人間は、彼と同じ可能性の極みとでも言うべき場所に至った者しか存在しないだろう。
人は、自らの常識を前提にして物事を理解しようとする。
それが悪いこととは言わない。だがその常識的な思考のせいで、木乃香は青山が一から十まで全て真実を語っているという事実を理解出来なかったのだ。
彼女の中の真実は、京都で起きた人外の事件の一連の流れと、それらの真実をネギ達が隠していたということ。その中で青山が全て己の責だと言った事柄は、全て不器用な彼の優しい嘘なのだろうと木乃香は思っていた。
何せ、普通に考えればそれがおかしいことであると分かるだろう。
詠春を自ら殺したのならば、何故、その生きた証は胸に宿っていると言える? 何故、殺した相手をそこまで誇らしげに語り、そして亡くなったことを悔やめるのだろうか。
それに、京都が崩壊する程の恐ろしい化け物と戦った責任を青山一人に取らせるなど、木乃香には出来るはずがなかった。
(何より、この人は、ウチに全部話してくれた)
誰よりも身近にいたはずの者達は、何も語ってくれなかったというのに。
信じていた。
いつも近くに居て、信じていたはずの友人達。
弟のように可愛がっていた自分の担任。
肉親である父親。学園長を勤める祖父。
皆、信じていた。
なのに、彼らは自分に何も教えることもせず、事件が起きた後も何も語ろうとはしなかった。
確かに青山が語る真実は何処までも残酷だ。
しかし、知ることも無く一生を終えたのなら、悔やんでも悔やみきれなかっただろう。
「でも……」
木乃香は、僅かに困惑した様子を見せている青山の顔を見上げた。
「酷い人や」
「……」
「こんなん、知りとうなかった」
知らなかったら悔やんでいた。
だが、知ったことで、もう心は擦り切れようとしていた。
ネギ達への怒り等些細なものだった。様々な要因があったとはいえ、結局、自分が京都を燃やし、そして詠春を殺したのだと、木乃香は分かってしまったから。
そんなことに、只の少女が耐えられるわけがない。
「なんで……なんで、こんなことになったんやろな」
僅かな怒りが消えてしまえば、後は転がるように奈落へと転落するほかない。
視線を切って俯いた木乃香の肩が、小刻みに震えた。
「う……ぐすっ……ごめん……ごめんなさい……ウチが……ウチのせいで、お父様、ごめんなさい」
知らなかったという言い訳が出来る程、木乃香は己に嘘の上手な少女ではなかった。
「うぇぇぇぇ……う、うぅ……うぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
壊れた堤防から流れ出す激流のように、あふれ出す涙を抑える術など知らなかった。
空を仰いで童のように泣きじゃくる木乃香。それを、青山はどうすることもなく、ジッとその光を飲み込む眼で見つめるだけだ。
「ひっぐ……ごめんなさい……ごめ……あぁぁぁぁ! うわぁぁぁぁぁぁん!」
謝罪の言葉を叫ぼうが、意味は無いことは分かっている。
京都はもう紅蓮に飲まれた。
そのせいで、沢山の命が消えた。
己の父も、命を落としてこの世を去った。
皆を殺した。
責は何処にある?
自分だ。
何も出来ず、何も知らない。
自分が、殺した。
「お父様ぁぁぁぁ……! お父様ぁぁぁぁぁ……!」
呼んでも返事は返ってこない。
そこにあるのは、ひたすらに冷たい虚無の静寂ばかりであった。
そして、どの程度時間が経っただろうか。
「ひっぐ……えぐ……っ」
「……俺のような男の物ですまないが、よければ使ってくれ」
未だしゃくりあげながらも、何とか泣き止んだ木乃香に、青山はポケットからハンカチを取り出して木乃香へと差し出した。
ふと、木乃香はその手と青山を真っ赤な瞳で見比べた。
「どうかしたか?」
不思議そうに首を傾げる青山を見る。
もう、木乃香には何も残されていなかった。
自分がどういった存在なのかあらかじめ知っていれば何か出来ることはあったはずだ。しかし、それを知りながら隠していたネギ達を、今の木乃香は最早信じられるとは思えなかった。
そうなれば、もう彼女には何も残されていない。
もしかしたら他の者も自分に何かを隠しているのではないか。疲弊し、すり潰された木乃香の心は、意図したことではないとはいえ、絶妙にネギ達への不信を刷り込まれた結果、人間不信に近い状態へと陥っていた。
だがしかし。
あぁ、恐ろしいことに。
目の前に居るこの男は、『木乃香にとっての』真実を話しているのだ。
結果、悲劇は起こる。
「なぁ……」
中途半端に隠すのではなく、真実を語ったうえで、その残酷な真実に潰されないように優しい嘘をついてくれる人。
それが青山だ。
木乃香にとっての、青山という男なのだ。
「青山さん……」
知らず、無意識に伸ばした小さな掌は、ハンカチではなく、それを握る掌に触れる。
青山の刀剣のように冷たい右手に重なる、木乃香の掌。
詠春を殺した刃を握ったその右手に、木乃香は手を乗せている。
「助けて、青山さん……」
縋る少女の助けの声。
応じて頷く、狂気を孕んだ、修羅外道。
「あぁ、勿論、俺に全部、任せてくれ」
その言葉は嘘ではない。
違和感は幾つか存在する。だがそれも、木乃香という才覚を開花させれば問題ない。
「『青山』に誓って、約束しよう」
この身、修羅外道に誓うなら。
君に眠った修羅の血を、全てを賭けて華咲かす。
真実は残酷なまでに正しいものだ。
しかし、真実を知った者がどのような解釈をするのか、それが一つだけではないこともまた、一つの真実である。
そして、感性が違えば違うほど、真実の解釈が違ってくる。
だとするならば。
修羅外道の語る真実を、只の少女が全て理解できることなどあるはずがないのも、事情を知る者ならば分かり切っていた真実であるのかもしれない。
今回は入門編でした。