【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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第五話【福音、鳴る鳴る、斬り斬りと(中)】

 

 ともすれば月光。

 突き刺すような輝きを見上げながら、ふと思う。常日頃、暇があれば考えていた意味のない思考。

 どうして月夜は刀に似合うのか。

 嬉しそうに刃鳴りを響かせる十一代目を胸に抱いて、そっと空を見上げれば、欠けた月が刀の曲線を思わせ、とても綺麗で、感動的。

 斬るという意思を感じた。

 ともすれば刃である。

 俺は十一代目をいつもの木箱に入れると、玄関口に置いた。残念ながら、気を充実させていない十一代目では、これからに僅かな支障をもたらしてしまう。

 だから持っていくのは、一週間、寝食を惜しんで作り上げた七本のモップ。それらを両手に一本、腰に残りの五本を差していざ空へ。

 とん。と軽い勢いで飛翔して。

 とん。と軽く麻帆良の街へ。

 気負いは特になかった。吐き気を催すようなおぞましい魔力の濁流を感じながら、頭はいたって冷静で。

 凛と。

 あるいは鈴と。

 耳元に残留する鈴の音を確かに。招き入れるように殺気を振りまく死地の名は、闇の福音、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。大橋の真ん中で、俺を誘き出すためだけにネギ君を制した化け物が、両手を広げ抱擁するように迎えてくれた。

 着地、瞬動で割って入ってきた俺を見て、四肢を氷漬けにされたネギ君が驚きの声をあげた。

 

「モップで来るとはな。あまり私を舐めていると、そこのガキと同じようになるぞ」

 

「……」

 

「カカッ。どうやら冗談でその武器を選んだわけではないということか……安心しろ。ぼーやは拘束しただけだ。まだ血を吸ってもいないよ」

 

 そうか。

 まぁ、そうだとわかっていたから、こうまでのんびりここまで来たんだけど。

 

「君の姿は充分に見た……意思のあるなしくらい、判別はつく」

 

「ハッ! つまりあれか? わかっていて放置してみせたと? クククッ、護衛役としては三流以下だな人間」

 

 おっしゃるとおり。

 返す言葉は何処にもなく。

 俺は返答代わりに、手にしたモップを一閃して、ネギ君の拘束を全て斬り捨てた。

 

「わっ!?」

 

 いきなり拘束が解けたため、バランスを失ったネギ君はその場に膝をつく。

 俺はそんな彼をじっと見て、何度かモップの握りを確かめた。

 うん。

 まぁ、我慢は出来るようになったか。

 

「私を前にして随分と余裕だな」

 

 どっかで聞いたような台詞。だが最初に会話したときと違うのは、「ありがとうございます。あの、あなたは……」と呟くネギ君から視線を離し、質問に答える余裕すらないほど、ゆっくりと距離を詰める化け物の放つ気配は尋常ではないということ。

 最早、取るに足りぬとは言えない。

 心胆が震え上がり、魂まで凍てつくような恐怖。

 恐ろしいから、化け物。

 なんともまぁ。

 訂正しなければならない。

 

「君を、斬りたくなった」

 

 それは、ネギ君に比べたら僅かな思いでしかないけれど。

 斬りたいと願った。

 この素敵は、やはり愛。

 

「笑えよ。人間」

 

 そんな俺の告白を、化け物はとても嬉しそうな微笑を浮かべて受け入──

 

 斬った。

 

 

 

 

 

 開始の合図は、無音からだった。

 いつ振るったのかわからぬ速度で振るわれたモップが、笑みを浮かべたエヴァンジェリンの身体を縦一閃。十メートルは離れていた距離を一歩で詰めた青山は、真ん中から綺麗に割れたエヴァンジェリンの顔を見て、咄嗟に瞬動を使い距離を取った。

 斬り捨てたエヴァンジェリンの身体から色素が失われ氷の彫像となる。氷の分身をいつの間に展開したのか。一瞬で距離を取った直後、エヴァンジェリンの分身が爆発四散して、その爆発が及んだ範囲を氷の中に閉じ込めた。

 ネギがその余波を受けて悲鳴をあげているが、青山にはそれを助ける余裕はない。見上げれば、いつの間にか長大なライフルを何処からか取り出した茶々丸が、その銃口を向けていた。

 殺気はない。無感動な人形の砲撃は、機械そのもの、精密な射撃を持って青山を襲った。撃ち出された弾頭は、人間を打破するには十二分。掠っても死ぬだろう一撃は、音すら立てぬ青山の斬撃によって容易く斬り落とされて、夜の川底に叩きつけられた。

 分かたれた弾頭が爆発し川の水が吹き上がる。橋の上まで水飛沫が舞うその威力は、直撃すればひとたまりもないだろう。

 だから斬る。必殺も全て、青山のモップは斬って捨てる。冷たい眼差しは、茶々丸以上に感情を示さない。

 

「……」

 

 無音の瞬動。強化された茶々丸のセンサーすらも容易に越える速度でその背後を取る。

 最早、躊躇いなど何処にもない。左腕だけではなく、四肢の全てを断ち斬ると決めた青山が、両手のモップに力を込めた。

 反応などさせない。気付いたときには斬撃終了。その戦力を根こそぎ斬り払う一撃を放つ直前、青山は首筋を擽る殺気に気付いてそこから離脱した。

 瞬きの後、先ほどまで青山がいた空間に冷気の濁流が発生した。当然、近くにいた茶々丸はその冷気に巻き込まれて吹き飛ばされる。だがそれも予想の内か、冷気で機能を落とされながらも、茶々丸は虚空で姿勢を立て直して砲塔を青山に向けた。

 連続で放たれる鋼の咆哮。夜闇を食らう騒音と共に、螺旋を魔力の弾丸が青山に襲い掛かる。

 

「そら! 反応が遅れているぞ!?」

 

 虚空を蹴って、迫る熱量を逃れた青山の上空から、極寒の冷気が立ち込めた。

 見上げれば、右手の先から三つ、恐ろしいほどの魔力がこもった氷の刃を携えたエヴァンジェリンが、虚空瞬動を繰り返す青山を、その冷たい瞳で真っ直ぐ捕らえている。

 青山は冗談では済まされない魔力の猛りを感じて、内心で驚愕した。あれは破壊の牙だ。冷たすぎる殺意の塊。結晶化された破壊は、その手が振るわれると同時に、瞬動を終えた直後の僅かな硬直をする青山に殺到した。

 受けることなど出来ない。最大規模の防御結界でなければ耐え切れない規模の破壊は、最早虚空瞬動を行って離脱できる余裕すらない。

 死が迫る。

 だから、斬った。

 

「何っ!?」

 

 三つの殺意が、三つの閃光を受けて真っ二つに両断された。驚くことに、その斬撃はただ斬るだけではなく、そこに込められていた破壊の魔力を霧散、否、斬って捨てている。

 そして、そこまでの技のキレに耐え切れず、青山が右手に持っていたモップが半ばから砕け散った。込められていた気が四散し、砕けたモップはただの木の欠片となっていく。

 青山は躊躇いもなく、砕けたモップを放り投げた。そして左手のモップを両腕で強く握り、必殺を断たれ驚愕するエヴァンジェリンではなく、青山の背後で砲撃を放とうとする茶々丸の背後に回りこんだ。

 

「……」

 

 青山の腕がぶれる。刹那にも満たぬ閃光の後、茶々丸の四肢と、持っていた武装が粉々に切り裂かれた。

 

「茶々──!?」

 

 エヴァンジェリンは、落ちていく茶々丸の名を呼ぼうとして、すでに目の前に現れた青山に対応せざるを得なくなる。苦悶の表情を浮かべたエヴァンジェリンは、見えぬ斬撃を経験と勘を頼りに、現出させた氷の刃で受け止めた。

 衝撃は、まるでない。その事実に戦慄する。青山の持つモップと、その体が放つ気の量は異常だ。津波のようなそれは、青山の内側でのみ循環する。

 その全てを叩きつける斬撃が、受け止めた氷の刃に衝撃すら与えない。

 どういう理屈なのかエヴァンジェリンには理解出来なかった。いや、理解出来るはずがない。

 青山の刀は、まさに神鳴流そのものだから。だから、その刀の本質を知れる者は、同じ神鳴流の剣士以外にはいないのだ。

 

「いい表情だな貴様」

 

 鍔迫り合いの最中、驚きを彼方に飛ばしたエヴァンジェリンは、犬歯をむき出しにしてそう言った。

 その瞳は黒い光を放っている。どす黒い殺意の光だ。見るものをバラバラに砕くその眼光を真っ向から見つめるのは、これもまた黒い瞳。

 青山の瞳は、全てを飲み込む。

 

「……」

 

 氷の刃と鍔迫り合っていると、ぶつかり合っている場所から徐々に凍り付いていくのを青山は見た。これ以上こうしていれば、いずれは体すら凍らせる。

 状況判断は一瞬。青山はエヴァンジェリンを蹴り飛ばした。後瞬きほど判断が遅れれば、その両腕は完全に凍り付いていただろう。

 虚空に投げ出された青山は、冷え切ったモップを軽く見つめてから、迷いなく振るう。それだけで凍りついた部分は斬り裂かれて夜空に散った。

 散って消える残骸を尻目に、青山の眼が僅かに細まる。上から圧し掛かるような魔力の圧を肌で感じて見上げれば、ほぼ零秒。青山が氷を斬り裂く僅かな間に、エヴァンジェリンは次の手を放っていた。

 

「そら!」

 

 開いた間合いと時間を惜しげもなく使い、千にも及ぶ魔法の射手が、夜空の星に重なるように展開される。明確な殺意の込められた千の弾丸は、空を落ちていく青山目掛けて殺到した。

 見上げれば、一面を埋め尽くす氷の牙。流星の如く降り注ぐ魔弾は、ネギに放たれていたものとは比べ物にならない物量と速度を誇る。

 大停電の暗がりによって、氷の矢を見切る手段は月明かりただ一つ。経験と直感によるあやふやなもののみ。

 不可能ではない。

 それだけで充分だ。

 ほぼ見えないと言ってもいい暗黒を裂く飛礫を、青山はたった一振り、その手に持ったモップを走らせるだけでその三割以上を斬り砕いた。

 

「ッ!?」

 

 エヴァンジェリンの眼が、その絶技と、斬り開かれた空間を見て驚愕に染まった。エヴァンジェリンと青山を繋ぐ直線距離、そこを遮っていた魔法の射手のみを、青山のモップは斬ったのである。

 斬り開かれた世界。夜闇に浮かぶ藍色の無感動。

 斬るという意思。

 斬という音を聞いたような気が、エヴァンジェリンにはした。

 

「シッ!」

 

 呼気を僅かに漏らして空を蹴る。夜に溶けるようにして青山の体が消えた。

 届くと思う。

 手があって、刀があって。

 後は間合い。

 斬るための距離を詰めろ。

 

「っぅ!?」

 

 エヴァンジェリンは我が目を疑った。

 まさに縦横無尽。青山が放つ技には常識はないというのか。

 一歩ごとに放たれる虚空瞬動。自身で作り出した経路を抜けてエヴァンジェリンの前に飛び出した青山は、それだけでは飽きたらず、逃さぬとばかりに、その周囲を包み込むように飛び始めた。

 瞬動によって作られた擬似的な牢獄。ただでさえ技の隙が見えない青山の瞬動による見えない牢獄は、エヴァンジェリンをただそれだけで圧した。

 何たる技術。

 何たる研鑽。

 人が、ここまで行けるという事実。

 

「だがなぁ!」

 

 エヴァンジェリンの両手の指先から、極大の氷の刃が発生した。一本一本が、大橋を崩壊させて余りある破壊力を秘めている。その全てが同時に開放されれば、小さな町の一つは容易に壊滅できる魔法。

 敗北はしない。己を蘇らせた人間だからこそ、負けるわけにはいかず、貴様を必ず食いちぎる。

 その意志を存分に漲らせた刃は熾烈そのもの。掠るだけで青山の肉体を凍りつかせる牙は。

 鈴の音。

 その渾身すら、斬り裂き散らす。

 

「なっ……」

 

 最早、声をあげることすら出来なかった。エヴァンジェリンが無詠唱で出来る最大規模の魔力の刃が、見えぬ斬撃に斬って散る。青山の斬るという意志は、破壊力などでは測れない。

 斬るものを斬る。

 斬るから斬る。

 神鳴流が奥義、弐の太刀に通じる。人ではなくその背後、あるいは内側にある物を、気によって斬り捨てるという秘技。

 青山が放っているのは、その極地だ。

 斬りたいものだけを斬る。

 それこそ、青山が青山と恐れられる最初にして最大の理由。

 剣戟の極地。

 選択する斬撃対象こそ、青山が得た終わりの回答だった。

 

「青山ぁぁぁぁぁ!」

 

 吼えた。エヴァンジェリンは、怒りとも歓喜ともつかぬ気持ちを、その名前に乗せて叫んだ。

 だが答えは返らない。無言のまま、冷たいまま、瞳は静かに少女の姿を眼に宿して。

 虚空が跳ねる。大気が割れる。

 音はない。その美しい金髪を道連れに、一瞬の隙を突いた青山の太刀が、エヴァンジェリンの背中を深々と斬り裂いた。

 

 モップが砕ける。

 

 残りは、二本。

 

 

 

 

 

 カモから、ネギがエヴァンジェリンと戦っていると聞いた神楽坂明日菜がその現場に辿り着いたときに見たのは、人知の及ばぬ異常な戦いの光景だった。

 素人にもわかるほど、膨大な殺気を込められて放たれていく氷の弾丸や刃。それらが、明日菜では捉えることの出来ない影を追って放たれ、虚しく斬り裂かれていく。

 そしてその一方には見覚えがあった。二年間、共にクラスメートとして同じ教室で勉強をしてきた少女。同級生のエヴァンジェリン。

 話したことはほとんどなくて、交流なんてまるでなかったけれど。

 しかし。

 これは、何だ?

 

「姐さん!」

 

 肩に乗ったカモがどうにか明日菜に声をかける。カモもまた、そこで繰り広げられている戦いの過酷さに、何を言えばいいのかわからずにいた。

 だがやるべきことはわかっている。カモに呼びかけられて我を取り戻した明日菜は、その誘導に従って、大橋に踏み込もうとして──躊躇する。

 

「姐さん!? どうしたっていうんだ!?」

 

 カモが叫ぶが、明日菜は動けない。ただの夢と、そう解釈できればそれでよかった。魔法というものを知ってから日が浅いけれど、何とかできるのではないか。

 そう思っていた。

 楽観的な思考は、何処にもない。

 

「……ひっ!?」

 

 一際大きな殺気が遥か上空で生まれて、明日菜は無意識に悲鳴をあげていた。

 まるで夢のような光景でありながら、辺り一面に充満する殺気は本物だ。不良が言うような、ぶっ殺すという比喩的な言葉とは違う。

 込められているのだ。殺すという意志が、満ち溢れていて、吐き気がする。

 熾烈を極める戦いは、勝気なだけの一介の女子中学生がどうにか出来るものでもない。ここから一歩でも踏み込めば、いつ自分が死ぬのかもわからない状況。

 そんな場所に赴けるほどの勇気が明日菜には足りなくて──

 

「見つけた! 兄貴ぃぃ!」

 

 それでも、カモが見つけたネギの小さな影を見つけたとき、明日菜は恐怖を忘れるために、最初の使命感に身を任せて駆け出すことが出来た。

 

「ネギぃ!」

 

「あ、明日菜さんにカモ君! 駄目だ! こっちに来たら駄目です!」

 

 遠くから己を呼ぶ明日菜とカモの姿を見つけたネギは、一瞬だけ安堵の表情を浮かべたが、その直後、険しい顔で来るのを拒んだ。

 だがそんな言葉は聞き入れずに明日菜は近づき、ネギを担いで逃げようとしたが、その状況を見て言葉を失う。

 

「……ごめんなさい。僕はこの状況で、動けません」

 

 青山が切り裂いたエヴァンジェリンの氷の分身。そこから噴出した冷気によって、ネギの腕は地面に縫い付けられるように凍り付いていた。他にも、体のいたるところが冷傷によって傷つき、衰弱しきっている。

 挨拶代わりに放った一撃の、その余波。それだけで、ネギの戦闘力は造作もなく奪われていたのだった。

 明日菜は咄嗟に凍りついた腕に手を伸ばして「触らないでください!」というネギの強い言葉に動きを止めた。

 

「……この氷は、触れた者を侵蝕する類の、いわば呪いのようなものです。明日菜さんが触ったら、あなたまで凍ってしまいます」

 

「じゃあ! あんたの魔法で……」

 

 言葉を続けようとして、明日菜はネギの両腕が使えないことを再び認識した。

 

「逃げてください……どのみち、この戦いで僕や、ましてや明日菜さんに出来ることなんて、何もありません」

 

 それはただの事実だった。どうしようもないくらいの現実だった。

 直後、二人から少し離れた場所に、ゆっくりと何かが落ちてきた。見れば、四肢を失った茶々丸が、背部ブースターを吹かしながら、器用に着地しているところである。

 突然見たクラスメートの四肢欠損現場に、ネギと明日菜、両方の動きが停止する。前情報として、茶々丸がロボであることを知らなかったら、それこそ発狂物である。

 

「茶々丸さん!?」

 

 明日菜は反射的に駆け出して茶々丸を抱きかかえた。どうしてか涙が溢れてくる。こんなにも地獄のような光景に、明日菜はもうどうしていいのかわからなかった。

 

「……明日菜さん。逃げてください。ネギ先生だけだったらいざ知らず、今行われている戦いでは、マスターも私達を気遣う余裕などありません」

 

 それこそ、全力だ。遊ぶのではなく、持てる全てを尽くして、エヴァンジェリンは青山と死闘を繰り広げている。

 

「いずれ、最大規模の魔法が展開されます。その前に、早く」

 

「嫌よ! あんたら見捨てて逃げられるわけないじゃない!」

 

 混乱したまま、混乱していたからこそ、明日菜の心の善性が浮き出た。無謀と笑われるような選択だ。だが、ただの女子中学生がその覚悟を決めただけでも、それは人として素晴らしいあり方に違いない。

 しかし、現実はまるで変わらない。明日菜に出来るのは、茶々丸を担いでネギの傍に行くことだけだ。

 

「兄貴! しっかりしてくれ兄貴ぃ!」

 

 カモはゆっくりと衰弱していくネギの肩に乗って、必至に呼びかけていた。出来ることなんてその程度。

 だけど、一人ひとりが出来ることをしなければ、この地獄を乗り切れない。

 

「ネギ! ネギ!」

 

 明日菜もその名前を呼びながら、こみ上げる涙を我慢することなく溢れさせていった。

 何も出来なくて。

 どうしようもなくて。

 ゆっくりと力を失っていくネギの姿が、もうどうしようもない現実をまざまざと見せ付けてくるようで。

 刹那、脳裏をよぎるのは、血まみれの──

 

「駄目だよガトーさん……死んじゃ嫌だよぉ……」

 

 無意識に零れた言葉を聞く者は、静かに横たわる茶々丸のみ。

 

 直後、夜を舞う吸血鬼が、極限の斬撃に斬って落とされた。

 

 

 

 

 

 斬ったという感触はない。

 今俺が斬ったのは、マクダウェルさんの肉体だけだ。

 その根本には届かず、俺の斬撃はぎりぎりのところでマクダウェルさんを見誤ったということになる。

 だけれど斬った。

 斬ったのだ。

 そして俺の体も、存分に斬られていた。

 

「……っ」

 

 何が起きたのか。というか、何てことをしてくれたのか。

 

「ただでは、やらせん……!」

 

 血を撒き散らしながら落ちていくマクダウェルと共に、俺は彼女の血を媒介に作られた血の刃によって斬られて、同じく暗がりの川目掛けて落ちていた。

 なんともまぁ。

 多芸すぎて、やばすぎる。

 

「……っ!」

 

 胸から下腹部まで斜めに俺を斬った血の刃の根本を斬り裂く。感じるだけでも壮絶な魔力を込められた血の刃を斬ったことで、六本目のモップにも亀裂が走った。

 やはり、厳しい。

 可能な限り斬る物を選択して行ったつもりだが、俺の七日間を注いで作り上げたモップ達が、今や残り僅か。それだけで、マクダウェルさんという吸血鬼の持つ実力は容易にわかる。

 最低でも、通常の素子姉さんレベル。

 最悪、というかこれ、もしかしなくてもフルアーマー素子姉さんレベルだ。

 だとしたら拙い。俺が素子姉さんに勝てたのは、十代目が俺に辛うじて追いすがっていたからであり、現在のモップは、十代目はおろか、鍛えている最中の十一代目にも一本あたりの性能は遥かに劣る。

 これなら、出し惜しみせずに十一代目もってくればよか──

 

「シッ!」

 

 マクダウェルさんが、落下しながらも氷の矢を放ってきたので、俺は虚空瞬動でその場を離脱して大橋に着地した。

 反動で傷口から血が噴出して、藍色の着物をどす黒い赤に染めていく。

 うーん。強い。

 それ以上に問題なのは、マクダウェルさんの根っこが上手く探れないということだ。いや、これも素子姉さん同じく、一定以上の実力者は皆、斬るべき根っこを巧妙に隠している。

 それが曝け出されるのは、最大規模の一撃を放つときだ。あふれ出る気、あるいは魔力に込められた意志を感じることが出来れば、俺はそこに全てを注ぐことが出来るのに。

 にしてもこの微妙な感じはなんだろう。マクダウェルさんは斬りたいとは思う。だというのに、何だか感触があまりよろしくない。

 この違和感をどうにかしない限り、多分、いや間違いなく俺は死ぬ。

 それはどうだろう。

 死ぬのは嫌だなぁ。

 

「ハハハハハッ! 楽しいぞ! そうだ! これを待っていた! 不死の魔法使いだなんだと忌み嫌われ、恐れられた私の! 体の中から燃やしていくが如きこの激痛! 痛覚だよ! 痛いんだよ青山! 一向に治らない痛みで腸が煮えくり返って! 貴様をなぁ! 潰したくなってくるのさ!」

 

 マクダウェルさんが血を纏いながら空高く舞い上がる。月を背中に、氷の女王、あるいは吸血鬼の真祖に相応しい魔力の猛りをその両手に込めて。

 あら。

 こいつ、素子姉さんよりヤバイじゃん。

 

「開放・固定。『千年氷華』!」

 

 眼を疑うような魔力が収束している。見ているだけで眼球が凍りつきそうな冷気。それを平然と、哄笑しながらマクダウェルさんは手のひらに浮かべ。

 俺は全力で橋を蹴った。その反動で大橋が崩壊を始めて、橋にいるネギ君がちょっと危ないかもしれないが。

 そんなことに構う余裕すらない。

 間違いなく、これは──

 

「掌握」

 

 ボール大の極大冷気が、容易く砕け散る。

 俺はあまりにも遅かった。僅かに刹那、駆け抜けるのが遅かったが故に。

 

 ──術式兵装『氷の女王』。

 

 終わる世界を夜に見る。

 

「耐えろよ。人間」

 

 モップの殺傷圏内よりも一歩遠く。聞こえるはずのない言葉と共に、吸血鬼はその手から巨大な氷の槍を生み出して俺に打ち込んできた。

 回避が間に合ったのは偶然以外の何物でもない。本能が体を突き動かし、俺の体の真横を突き抜けた巨大質量は、一瞬で川底に着弾すると、周囲一帯を氷の世界に閉じ込めた。

 

「……」

 

 絶句。ここまでの威力、ここまでの戦力。全てを全て見誤った。

 だが呆然としている余裕はない。俺は、血に染まって赤くなった氷の華を纏う吸血鬼を真っ直ぐに見つめ、飛び掛る。そこにあるだけで、周囲の空間を凍らせる化け物は、むしろ優しげに両手を広げて俺を迎え入れた。

 だがその懐で振るうつもりだったモップは、女王までの道を遮る、空間を埋め尽くす氷の茨の壁によって阻まれた。それらを斬って突撃するのは出来るが……出来ない。

 

「読めたぞ、貴様」

 

 距離を取る俺にそう告げる吸血鬼の口元は、犬歯だけではなく、その全ての歯が鋭利に尖って唾液を滴らせている。

 まさに化け物。吸血鬼の名に相応しき、恐ろしさ。

 しかも、そんな化け物に俺を読まれてしまった。だがまぁ、仕方ない。襲い掛かる絨緞爆撃のような氷の嵐の只中を、経験と勘だけで逃れながら、俺は静かに勝機を伺う。

 

「その刃、斬ればその分、自分も斬るか」

 

 吸血鬼の言葉に返答も頷きもしなかったが、奴の言うことは的を得ている。

 俺は、俺が斬ったものと同じく、俺自身も斬る。一閃相殺。相手を斬り、己を斬り、そこにこそ斬るという全てが詰まっている。

 それは俺の切り札で、それ以外にないたった一つの特技で、最悪の弱点であった。

 俺はここに終わってしまったため、これ以外に出来ることがなくなった。それに後悔はしていないし、というか悔やむところが何処にあるというのか。

 終わるために、俺は青山を見続けたのだ。ひたむきに、成長し続ける天才を遊び尽くしてきたのだから。

 そんなどうでもいいことを考えている間に、俺の体は完全に氷の嵐に呑まれ、木っ端よりも情けなくなぶられていく。

 

「そら! まだまだ楽しませろ!」

 

 そんなことを言われても、少しばかり厳しくて。

 赤い冷気が肌を焼いていく。行き過ぎた冷気が、燃えるように肌を熱くさせていく。それは吸血鬼の冷血が混じったからなのか。もっと単純なことなのか。

 何処までも冷たくなって熱くなって。

 どうしてここに居るのか。

 何故戦うのか。

 そも、なんで斬りたいのか。

 斬るってなんなのか。

 四肢が冷たくなっていく。無意識で動き続ける体は、必至に生を掴み取ろうと足掻くけれど、もう一分だって耐えられるわけもなく。

 凍っていく。

 俺の全てが凍っていく。

 冷たくて、無感動で。

 感情さえも凍ってしまって。

 

「どうした!? ここで終わりか? ここで終わるのか!? こんなんでこの闘争の全てに終結をもたらすっていうのか青山!」

 

 吸血鬼は笑っている。面白そうに笑っている。圧倒的な力で、何もかも氷尽くす世界を携え、俺の全て、俺という存在を止めていく。

 死ぬのだろう。

 ここで俺は、死んでいく。

 思考も徐々に冷たくなって、死の足音が大きくなってくる。感覚なんて明後日の方向。馬鹿になった五臓六腑が、意志に反して止まっていく。

 世界は全て氷だった。

 あらゆる全てが氷結されて。

 死の間際、得られるものなんて、何処にもなく。

 

「……あ」

 

 何も残さずに、俺の命は停──

 

 だって、このザマ。

 

 口元が、三日月を描いた。

 

 

 

 

 

 そして、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは斬られる。

 その事実を、これから語ろう。

 

 

 

 




ちょいミス。区切り的に次回が加筆版となります。

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