【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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第五章【青】
第一話【奈落の理】


 

 京都を未曾有の大災害が襲ってから早一ヶ月以上が経過している。未だリョウメンスクナ、表向きは大災害の被害から復興の目途も立たず、破壊された家屋の撤去や、生じた瓦礫を退けるという作業しか出来ていないというのが現状だ。

 とはいえ、被害を受けたエリアが奇跡的にも、主要の交通機関に影響を与えなかったため、被災者達への援助などは問題なく行われているとのこと。

 

「まっ、それもリョウメンスクナが集中砲火したせいやけどなぁ。ふふふ、実は隠ぺいのために周囲の住人に術を掛けて記憶の改竄ついでに、被害者に見合った規模の家屋の破壊を手ずから行ったせいなんやけどな。あ、これ、オフレコやったわ。内緒にしといてくれやす」

 

 ニコニコと笑いながら、もしかしなくても聞いてはならないことを平然と語ったのは、俺の姉にしてかつては歴代最強の神鳴流の使い手と言われた宗家の筆頭、青山鶴子姉さんである。

 久しぶりとはいえ、相変わらず色々と話して聞かせる鶴子姉さんに俺でさえ辟易ししてしまう。隣に並んで座っている木乃香ちゃんと言えば、目を白黒させて京都大災害の裏話を聞いていた。

 

「まっ、そうせな京都に埋められてた不発弾が一斉に爆発した言わな、破壊の規模に比して被害者の数が震災とはいえ多すぎ勘繰られるからなぁ。しかし、あんな規模を隠ぺいしようにも、今の情報社会ではそれも無理や。術者側は今回の件をどうにかしようと足掻いとるが、ウチの見立てだと、一年もすればウチらのような裏社会の人間の素性は徐々に暴かれると思うで」

 

「それって大丈夫なんですか?」

 

「うふふ、そりゃアカンに決まってますわお嬢様。隠ぺいした事実もろとも裏社会のことがばれれば……最低でも、青山はんは首吊るハメになりますえ」

 

 冗談、と受け取りたいが、鶴子姉さんの見立てなのだから多分そうなるのだろうなぁ。

 

「……まぁ、此度の件で何も出来なかったのは事実、事を起こした術者が居ない今、振るう当てのない矛先が俺に向かうのは必定でしょう」

 

「そうやで。それに京都の一件、青山はんが事に絡んでいることに気付いた同門の者達から不平不満が出ております。もしかしたら、うっかり神鳴流の門派から裏社会の秘密漏えい! ということも十分ありますわ」

 

 だから、そんな物騒なことを笑顔で嬉々と言うのは止めてほしいものである。

 俺は膝元に置かれたお茶を漏れ出そうな溜息ごと一息で飲み干すことで落ち込みそうな心を平静に戻した。

 新幹線で京都到着から、人目を盗んで虚空瞬動で木乃香ちゃんを担ぐこと十分弱。魔力で強化された今の木乃香ちゃんなら遠慮なしに虚空瞬動で駆けることが出来たためすんなりと到着したのは、今、俺達の目の前に居る鶴子姉さんが隠居生活を満喫する、森深くの古風な屋敷だ。

 本当は送り届けた証を受け取ったらさっさと修行場に向かうつもりだったのだが、何故か鶴子姉さんのペースに乗せられて、こうしてのんびりとお茶を飲んでいるという始末である。

 まぁ軽く話すつもりであったので、そこまで思うことはないのだが。

 何て思っていると、木乃香ちゃんと鶴子姉さんはすっかり意気投合したらしく、談笑を楽しんでいるようであった。

 

「じゃあ鶴子さんは小っちゃいころの青山さんのこととか知っておるんやね?」

 

「そうや。まぁ昔から今と同じで不愛想な子でなぁ、同年代の子らと稽古させたりして、友人でも作ろうと思ったころもあったけど……ご覧のとおり、友人一人も作れんまま、大きくなってしまってなぁ」

 

「あ、じゃあウチが青山さんのお友達になりますえ。一人ぼっちは寂しいもんねぇ」

 

「うふふ、恐れ多くもお嬢様にそう言っていただけるとは。青山はんも良かったなぁ」

 

「よくないですし、一人で結構」

 

 何を適当に話しているのやら。勝手に木乃香ちゃんの情けで友人関係になりそうになったが、呆れながらもきっぱりと返事する。

 そんな俺の態度を見て、二人揃って鈴が鳴るような声で笑うのだからタチが悪いというもの。口下手な俺が女性二人の会話に乗っかろうなどというのが無理な話だったのだろう。言いたい放題な二人の話を聞きながら、さて、この話はいつまで続くのだろうとお茶を飲みながらじっと耐えるしかないのだ。

 それからどの程度経ったか。年は離れているとはいえ、何処か通じ合っている女性二人の話の矛先がこちらに来ないように願いつつ沈黙を保っていると、鶴子姉さんが今まさに思い出したとばかりに両手を軽く叩いてこちらに目くばせした。

 

「そうやそうや、青山はん。連絡された通り、刀はウチのほうにもう届いてますえ」

 

 言いながら立ち上がって奥の部屋へと鶴子姉さんが引っ込んでから一分もたたずに、戻ってきた鶴子姉さんの手元には、一抱えほどの木箱があった。とはいえ、封呪を余すことなく刻んだ鎖が乱雑に絡まり、箱にも最高位の封印符が隙間なく箱を覆っているため、一見ではそれが木箱だと見抜けぬほど、幾重にも厳重な封印を施されている。

 それでも滲み出てくる生の発露に、辟易していた心に僅かながらの活力が戻ってくるのを俺は感じた。

 

「あら、どうやら青山はんはこの刀がえらく気に入っておるようやな」

 

「証、と銘打ちました。京都の一件で刀を交えた少年が遺してくれた……とても、とても大事な愛刀です」

 

「まっ、青山はんにそこまで言わすなんて、こりゃ認識を改めんといかんかもしれへん」

 

 大袈裟なリアクションをしてみせる鶴子姉さんの態度に、不覚にも笑みがこぼれる。

 改めるも何も、貴女程の剣客が証の素晴らしさに気付かぬわけがないだろう。とはいえ、鶴子姉さんなりの茶目っ気ということで特に言及もせず、俺は目の前に置かれた木箱をありがたく受け取った。

 

「……我儘を聞いていただき、ありがとうございます鶴子姉さん」

 

「そんな、気にせんでえぇんやで? 弟の我儘を聞くのが姉の務め。それにこの程度は我儘の内に入らんわ」

 

 そうは言うが、証が常人には危険な刀であり、持ち運びには細心の注意が必要だったはず。それを踏まえて問題ないと言ってくれる鶴子姉さんの優しさに頭が下がるばかりである。

 

「それでも、感謝を……さて、用も済んだことでありますし、そろそろ俺達は目的地へ向かおうと思います」

 

 だが用が済んだのなら、少しでも早く木乃香ちゃんの修行を終えるべく行動するべきだ。一度、深々と礼をしてから、俺は証の入った木箱を抱えて立ち上がり「ちょい待ち」と鶴子姉さんの声に立ち去ろうとする足を止めた。

 

「何か?」

 

「何も……と言いたいところですが、実は小耳に挟んだ情報がありましてなぁ」

 

 ……あぁ、成程。また面白いうわさ話ということか。

 

「聞きましょう」

 

「では、耳を拝借」

 

 鶴子姉さんは蠱惑的な笑みのまま、俺に熱のこもった視線を送ってきた。

 

「今から青山はんが行く修行場やけど、少し前から素子はんが使っておるらしくてなぁ……時期的に、青山はんのところに以前行った後、すぐに向かったとのこと」

 

「……それが?」

 

「まだ、素子はんが居るかもしれへんなぁ。という程度の話どすえ」

 

 素子姉さんが、修行場に居る。

 だからどうしたと言おうとして、鶴子姉さんが言葉を重ねてきた。

 

「ウチは凡才やから、素子はんも、青山はんのこともさっぱりやけど……今日会って分かりましたわ。青山はん、あんさんは素子はんに会って、もう一度仕合ったほうがえぇ」

 

「俺が、今一度?」

 

「せや……とは言うても、二人が会えば仕合うのは必定。そして青山はん、今のまんまやと、あんさん、素子はん届かへんで?」

 

 勝つでも負けるでもなく、届かない?

 

「言っている意味が分かりませんが?」

 

「なら、刀を交えればえぇ。それで全部、分かるはずや」

 

 確信を持った鶴子姉さんの言に異を唱えるつもりはないが、今更素子姉さんと刀を交えることに何の意味があるというのか。

 姉弟で斬り合うという淫らをするには、俺は多くを学びすぎたというもの。

 

「……ですが、貴女の言うことならば聞きましょう」

 

 あるいは、木乃香ちゃんがそうだったように、素子姉さんも俺との仕合のせいで生きる活力でも失ったということなのだろうか。

 そんなことを思ったところで、俺はくだらないと思考を破棄した。思案を巡らせるにしても、ここで呆けているよりも、素子姉さんと直接出会ったほうが話は早いというもの。

 

「然らば、またいずれ」

 

「はい、お待ちしてますえ」

 

 残った左手を振って見送ってくれる鶴子姉さんから視線を切って、俺と木乃香ちゃんは早速修行場へと足を進めるのであった。

 

 

 

 

 

「しかし、君が鶴子姉さんの腕を治そうとしなかったのは意外だったな」

 

 鶴子の家を出て暫く、木乃香の「折角やし空から観光しながら行きたいわー」という提案を青山が聞き入れ、出る時とは打って変わってのんびりと空をゆっくり蹴りながら目的地に向かっているときである。

 ふと、何故木乃香が鶴子の腕を治さなかったのか疑問に思った青山の質問に、その腕の中でコアラの子どものようにぶら下がっている木乃香は少しばかり唸った。

 

「悩むことなのかい? 木乃香ちゃん、新幹線に乗ってるとき、クラスメートの……和泉さんだっけ? の傷はさっさと治したじゃないか」

 

「あ、もしかして亜子さんと一緒にお手洗いに行くの覗いたん? やーん。変態さんや、青山さん」

 

「……気を察しただけだ阿呆。というか知ってるくせにからかうな」

 

 青山の非難のこもった視線にけらけらと楽しそうに笑いながら、木乃香は「はーい」と軽く答えた。

 

「……さておき、鶴子さんのことやろ? 治したいとは思うたんやけど……無理や。今のウチじゃ、鶴子さん程の人の傷が見えへん」

 

「傷が、見えない? そんな、だってあからさまに腕が――」

 

「青山さんには分からんよ」

 

 食い気味に青山の言葉を遮った木乃香は、暗い眼を細めながら、青山の首に回した両手をその頬にあてがい、輪郭をなぞるように指先を走らせた。

 その行為に何の意味があるというのか。青山は己の顎先を舐める指先の感触に疑問を覚えるが、当人である木乃香は怪しく笑うばかりだ。

 

「だって、分かりにくいもんなぁ、今の青山さんは。二つあって、どっちが本物なんやろね? ウチとしては、ふふ、これ言うとまたザックリやられそうやから内緒にしとこ」

 

「……そう言う君の方が俺には難解だがな」

 

「あははは」

 

 明確な答えを示さず笑うばかりの木乃香に何か言うのも阿保らしいと考えた青山は、憮然とした表情で目的地の方向に視線を送る。

 未だ時刻は午後を回って少しばかり。照りつける太陽の下、瓦解した京都の街並みの上空で、無垢な少女の笑い声だけが、末恐ろしいくらいに冷たく響き渡るのであった。

 

 

 

 

 

 何故、敗北したのか。

 その理由が分からずに、月詠は痛みも忘れて葛藤していた。

 胸中を駆け巡るあらゆる感情を整理できずに、未だ一歩も動くどころか、起き上がることすらままならない状態である。

 青山に出会い、手に入れた狂気の一端。それを用いた自分は、両腕を失う以前より明らかに力を増したはずだった。それが何故、平凡な精神と技しか持たない刹那にやられたのか。

 月詠にはそれが分からない。いや、分かっているはずなのに分かろうとしない。

 単純明快な話、両腕を失った月詠は弱くなり、素子の下で己を鍛えた刹那が強くなった。その差が明確に現れ、精神と気では超えられぬ壁となって月詠に敗北を突きつけたのだ。

 だが月詠は認めることが出来なかった。もし認めれば、それは自分が剣士として既に終わっているということを認めるということにほかならず、では何のためにこの身は生きながらえたのだということになってしまう。

 刀に生きた半生である。

 血の香りに酔って、外道と蔑まれながらも、月詠は強者を斬り捨てるための力を得るために腐心した。

 そして彼女は出会ったのだ。

 青山と言う目指すべき極みに、己が信奉すべき神が如き存在に。

 その結果として喪失した両腕が己を弱くしたと認めることは、すなわち月詠の胸に懐いた信仰を捨てるということであり、つまりは強さへの渇望を、手に入れた斬撃という一点を手放すことということだ。

 

「そ、な……の」

 

 断じて、あってはならない。傷だらけの口内では上手く喋ることも出来ないというのに、月詠は絞り出すように声を出してその思考を否定した。

 だが否定しようにも、一度思ってしまえば、思考は決壊したようにあふれ出し、月詠の心をあらゆる感情が駆け抜けるのである。

 弱いのだ。

 自分は、弱いのだ。

 手にした祈りも。

 奪われた感激も。

 その果てに手にした極みすら、全てが偽りのものでしかなくて。

 

「う、ぐ……ちが、う……ぢがゔ……!」

 

 血を吐きながら、何よりも心の出血を言葉に乗せて月詠は吼えた。

 青山と戦って、斬られることで手にした斬撃だった。

 神が授けた至高であれば、何故それが己を弱くしたと言える。

 違う。

 絶対に違う。

 例え強くなったとはいえ、正道などという強さと無縁の場所を行く刹那に後れをとることなどありえない。

 

「ぢがゔ……! ひっく……ぢが……う。からぁ……」

 

 両眼より溢れる涙。それは敗北という事実を認めた肉体の反応であり、逃れられぬ現実に憤る偽りなき心の現れ。だが強がる理性は本能すらも否定しようと、喉を引きつらせながら声を張り上げるのだ。

 

「まけ、て……ない! ウチ、は……! 負けてない……! ない、んやぁ……!」

 

 言葉は虚しく木々の狭間へと消えていく。だが何よりもその言葉を空虚と感じているのが、声を発した月詠自身であった。

 決定的に負けた。

 一方的に敗北した。

 あまつさえ手心を加えられ、いつでも来いと言われる程に、弱くなった。

 どんなに否定しようとも、現実を覆すことは出来ない。真正面から激突して、苦渋を舐めている今こそが全てなのだから。

 

「うぅ……! 止まれ、止まれ……! 何で、止まらんのや……!」

 

 次から次へと頬を伝わる涙。滲む視界は認められぬ現実を隠すフィルターのよう。

 しかし、その涙を拭う両手が、月詠にはもうない。

 腕は、無い。

 二度と、刀は握れない。

 

「なんで、なんで……う、うぅ……うぁぁぁ……ウチ、の……」

 

「腕、無いんですか?」

 

 今まさに壊れようとした月詠の自意識。その瞬間を見計らったように、横合いからするりと誰かの言葉が割り込んだ。

 

「っ!?」

 

「腕、無いんですね」

 

 咄嗟に体を跳ね起こした月詠が声の方向に向きなおった先、そこに立っていたのは何処か見慣れた藍色の着物を着た美しい少女。

 その着物以上に、月詠は見知ったその少女を驚愕の眼差しで見つめた。

 

「お嬢、様……?」

 

「いややわぁ、お嬢様やなくて木乃香って呼んでぇな」

 

 この場にはまるで場違いな朗らかに微笑みを浮かべた美少女、近衛木乃香は、動揺を隠せぬ月詠に躊躇なく一歩近づいた。

 咄嗟に、一歩引いたことを誰が咎められるだろう。無意識に距離を開けた月詠は、そこで何故自分が木乃香から離れたのか、自分の行動に驚きを覚えた。

 

「……何の、用、ですかー?」

 

 気による回復で普通に喋られる程度に回復した口内の具合を確かめながら、月詠は警戒心を隠すことなく木乃香を睨む。全身を気で強化し、腰を落としていつでも飛びかかる、あるいは離脱出来る態勢を整えながら。

 だが木乃香は明確な敵意を示す月詠を前に、肉体を魔力で強化することも、どころか警戒心すらも見せずに、顎先を人差し指で抑えて、月詠の問いに対する答えを思案する仕草を見せた。

 

「うーん……用、というてもなぁ。えっと……あぁ、月詠さん言うんやね。それで、ウチが月詠さんと会うたのは単なる偶然で、こっちにせっちゃんの気配が……あぁ、せっちゃん言うんは桜咲刹那言うて――」

 

「一体、何の用ですかー?」

 

「用は無かったんやけど……今、用が出来たって言うたほうがえぇかな?」

 

 木乃香が笑う。邪気など一切見られない、慈愛を湛えて、月詠へと笑いかける。

 

「なら、その用、を……」

 

 言ってください。

 そう口にしようとしたところで、月詠は何度目か分からぬ驚愕に目を剥いた。

 

「なんで、ウチの名前……」

 

 自己紹介などしていないどころか、木乃香はこちらを知らないはずだというのに、何故、初対面の自分の名前を言い当てられた。

 何故、名前を瞬時に知りえたのだ。

 

「そんなん、見れば分かるやろ?」

 

 そこでようやく月詠は気付いた。

 日向のような微笑みを浮かべる木乃香の目。その瞳が、日向の暖かさとは無縁の虚無に飲まれている。

 漆黒というにはあまりにもまがまがしく、そして神々しさを感じる木乃香の眼。

 あぁ、そういう、ことなのか。

 

「……ふふ」

 

「月詠さん?」

 

 月詠は敵意も警戒心も忘却し、乾いた笑みを浮かべながら膝をついた。

 己の勘違いを、月詠はようやく知る。斬ることを理解出来たなどと、実に愚かな勘違いをしていた浅はかな己のくだらぬ思考。

 自分は只、神に憧れる有象無象と変わらなかったのだ。奇跡的にもその御業に触れて、自分も同じ領域に立てたのだと錯覚していただけ。

 本質を理解してなどいない。

 自分は、斬撃という形に、理由を乗せていただけでしかなかったのだ。

 斬ることは斬る。

 その真実を、己は理解していなかった。

 

「……そか。お嬢様も、『青山』でしたねー」

 

 血が練り上げた狂気。

 秘められた才覚を青山と名付けるならば、眼前のそれもまた脳天から爪先まで、正真正銘青山である。

 理由はわからないが、木乃香はそこに目覚め、至ろうと歩き出しているのだろう。

 斬撃という極みに至った青山と同じところへ。

 そして行き着く果てがアレなのだ。

 その過程である木乃香にすら見抜かれているのが、自分なのだ。

 月詠は、己の情けなさに再度涙を流しそうになるのを、ぎりぎりで堪えた。

 

「えっと、ウチは近衛で……青山はお父様の旧姓やで?」

 

「ううん……違いますわー」

 

 木乃香は勘違いしているが、月詠はそれを説明しようとは思わなかったし、したところで無駄だということも分かっていた。

 木乃香が青山となるならば、最早それを語ることに何の意味があるのだろう。力無く肩を落とす月詠に、木乃香もまたそれ以上問いかけることはせずにゆっくりと近づき、膝をついて視線を合わせた。

 

「それより月詠さん。傷、たぁくさんあるなぁ」

 

 奈落の眼が、喪失された腕の断面だけでなく、治りかけの口内、そして目に見えない『何か』を見た。

 その眼差しから感じる歪んだ慈しみとも言える何かを感じて、月詠の体が生理的な嫌悪感で震える。

 さながら蛇に睨まれた蛙である。神鳴流を修めた剣士が、戦いなど一切知らない少女の眼差しに怯えているのだ。

 

「ふ、ふふふ……」

 

 笑うよりないだろう。自然と口許に浮かぶ自虐的なその笑みに、木乃香は悲しげに目を伏せながら、子どもをあやすようにその背中に両手を回した。

 

「大丈夫、ウチに任せて」

 

「ふふ、あはは……」

 

「うんうん。痛いのは、嫌やからなぁ」

 

 他者を労わるものでありながら、木乃香の声には他者への慈愛など微塵も感じられなかった。

 そこにあるのは、傷は痛いものだから治すという自分勝手な思考のみ。

 青山。

 それもまた、青山だ。

 だから月詠は、青山には永遠になれないのだろう。

 青山とは強きの果てにある究極の斬撃であると勘違いし、同じ雰囲気を持つ木乃香もまた、青山となったのだと勘違いした、この少女では。

 真の狂気は、程遠い。

 

「もう、好きに、してくださいー……」

 

 ――その手でとどめを。

 勘違いの果てに、強さという糧すら失った傷だらけの自分に等存在する理由は無い。そんな自分が、こうして青山と同じ道に立つ存在に殺されるなら上等すぎるだろうと、最期に月詠は笑い。

 

「うん。任せてぇな」

 

 すぐに、その思考が間違いだったと気付くことになる。

 

「ウチが、『治して』あげる」

 

「え?」

 

 それは、月詠の願いである殺傷とは真逆の治癒宣告。

 青山でありながら、斬撃ではない別種の解を吐き出す、しかしながら青山と同種の狂気。

 斬るのではないのか?

 その疑問を挟むには、既に遅すぎる。

 背中から回された木乃香の右手が、まず根元から根こそぎ切断された右腕の部分に触れた。

 

「ひっ」

 

 瞬間、背筋を駆け抜ける悪寒に、月詠は悲鳴を漏らした。

 だが月詠に出来た抵抗はそこまでであり、咄嗟に体を動かすという選択肢すら奪われる程の凌辱が開始される。

 喪失した右腕が熱を持つ。木乃香が愛撫するように今は塞がっている切断面を指先でなぞれば、脳髄が蕩ける程の快楽と、それに匹敵する喪失感が同時に月詠に襲い掛かった。

 

「な、に、を」

 

「大丈夫や。怖くない、怖くない」

 

 月詠からは見えなかったが、粘り気のある魔力を帯びた木乃香の指が、濡れた肉を掻き分けるように、粘着質な音をたてながら切断面へと沈んでいく。

 

「ひ、ぎ……!?」

 

 異物が入り込む不快感と、指先より浸透する多幸感に頭が壊れそうになる。頬を真っ赤に染めながら体を震わす月詠が熱い吐息を繰り返すその様に、木乃香はまるで手慣れた情婦のような仕草で、指先で傷口をかき回しながら、年相応の乙女のようにか弱くなった月詠の頬に己の頬を擦り合わせた。

 

「あん……暴れすぎや」

 

「あ、あ……! ふー……! ふー……!」

 

 漏れ出る嬌声を堪えようと、咄嗟に木乃香の着物に噛みついて声を殺す。それでも耐えきれぬ悦楽と喪失に、思考は徐々に剥離される。

 その間にもミミズのように蠢く指が幾度と月詠を震わせただろうか、それは数秒だったかもしれないし、もしくは数時間であったかもしれない。

 時間の感覚すら遠くなっている。

 乱された思考では何かを考えることも出来ず、無遠慮に注がれる心地よさに耐えるのも難しくなっていく。

 遠くなる思考。

 気付けば、月詠の思いは過去へ過去へと遡っていった。

 それは初めて怪我をした日。

 そこより連鎖するあらゆる痛みの記憶。

 刀を手にしてからの時間。技を得るために血すらも吐いた練磨の時間。磨き上げた技を存分と強者にぶつける時間。

 そして、青山。

 出会い、挑み、敗北した奇跡の瞬間。

 

「あ、これやね」

 

 その記憶を覗かれ、あまつさえ喜悦された事実に、消えかけの思考が一気に戻ってくる程、月詠は戦慄する。

 

「ぅ、ぇ……?」

 

「何や、慣れた手つきやからずっと前に腕無くしてる思うたけど……これ、青山さんに斬られた傷なんやなぁ。最初からそうやったみたいな傷口で、勘違いしてしもうたわ。でも、手ぇ抜いて斬られたみたいやな。もしかしなくとも、片手間に斬られたんやない?」

 

「なん、で……!?」

 

「あははー、大当たりや。手抜きでないと、今のウチじゃ分からんからなー」

 

 朗らかな笑み。

 理解を超えた異常。

 月詠は、未だに『青山』を勘違いしていた己に、決定的に間に合わない状況下で気付いた。

 気付いてしまったのだ。

 

「でも、勘違いしてるのは、月詠さんのほうもやね」

 

 そんな思考すらも木乃香には全て見抜かれている。

 最早、乱暴に剥がされた心は、木乃香の掌で弄ばれるだけのものでしかない。

 誰にとっても大事な自分自身を弄り遊ばれるという恐怖に、月詠は声も出せずに恐慌する。

 止めて。

 もう、止めて。

 この傷を、私の大事な傷を、奪わないで。

 しかし願いとは裏腹に、蹂躙される傷口によって刻まれた心さえも強引に癒されていく。

 それは麻薬による快楽に似ていた。

 一瞬の快楽の後、訪れる喪失感。

 傷を奪われ、そこから得られたあらゆる成長は、その根底である傷を奪われることで一気に消滅していく。

 それは、根底を斬ることで在り方を崩壊させる青山と同じ様であった。

 奈落の如き瞳で、奈落の如く全てを飲み干す修羅外道。

 それを、白濁する意識の中。

 

 なんて様だと、月詠は思ったのだ。

 

「ひ、ぃ……ぃ」

 

「しかし……そっかぁ、青山さんは、斬るほうが正解やったんやなぁ。おかげでどっちか分かって助かったわ」

 

「や、め……」

 

「大丈夫」

 

 僅かに体を離して月詠と顔を突き合わせて、木乃香は迷いなく告げる。

 月詠という少女の全てを『癒し潰す』と、木乃香は語る。

 

「ウチがちゃんと、治すからなー」

 

「ぃ、」

 

 それは必然だ。

 誰しもが、青山を知ることで到達する末路。

 眼前に居る、修羅の子が、語る外道を知ったがゆえに。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 それは、宝物を失った少女の絶叫。

 奪われた傷。つまり失った右腕が木乃香の粘着質な魔力によって肉を得て回復したと同時、月詠の中に大切に秘められていた強さへの渇望すらも根こそぎ奪い去られてしまう。

 そう、青山に気付くとはつまり、その混沌に飲まれるということ、それだけ。

 この日、治癒という奈落によって、強さを渇望した剣士が、その『生き様(傷)』を奪われる。

 

 だが幼き剣士よ、安息するな。

 

「よし、次は反対の腕や」

 

 その絶望は、まだ幕を開けたばかりなのだから。

 

 

 

 




このちゃんがぁ!
捕まえてぇ!
このちゃんがぁ!
森の中ぁ!
傷口読んでぇ!
腕癒すぅ!
このちゃんがぁ!
(月詠の心に)近づいてぇ!
このちゃんが癒したぁぁ!


こんな感じでした。第五章も皆様よろしこ。

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