【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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断章を先に読み直すのをオススメします。


第三話【蠱毒の庭】

 瞬間、斬り殺されたと錯覚した。

 

「凄い……」

 

 月詠との会合から暫く、ゆっくりと歩いていたせいか夕暮れも過ぎ去り、暗闇に飲まれた山中を歩いていた木乃香は、突如身体中に纏わりついた気によって全身を震わせながら、その発生源にあるだろう人間を思い描き、知らず感嘆していた。

 

「うぇぇぇぇ! うぇぇぇぇぇん!」

 

「あー、ごめんなぁ。びっくりしてもうたなぁ」

 

 しかし、すぐに背後の泣き声で我に帰った木乃香は、繋いでいた手を引き寄せて、まるで赤子の如く泣きじゃくる月詠を胸に抱きしめた。

 

「ふぇぇ! びぇぇぇぇ!」

 

「大丈夫やで。痛くない、痛くない」

 

 そう言いながら、木乃香は両手より滲ませた魔力を月詠の体へと浸透させる。それだけで、泣きじゃくっていた月詠は落ち着きを取り戻し、子が親に甘えるように安堵した様子で木乃香の胸に頬を擦りよせた。

 

「う、ぅ……おねーさま。」

 

「えぇんや。今のはちょっと怖かったもんなぁ」

 

「ど、何処にも、ひっぐ、行かないでくださいー」

 

「大丈夫、おねーちゃんは傍に居るから」

 

 穏やかに微笑む木乃香を見上げながら、月詠は木乃香の背中に回した『傷一つ無い両腕』にさらに力を込めた。

 

「おねーさま……ウチの大事な、おねーさま」

 

「ふふふ、甘えん坊やなぁ月詠さんは」

 

 少しばかり苦しいが、不器用な月詠の愛情表現を邪険にするほど木乃香は非道ではない。月詠が落ち着きを取り戻すまでの間、木乃香は優しくその頭を撫でるのだった。

 肉体だけではなく、精神にも負ったあらゆる傷を問答無用で癒された月詠。その末路がこれだった。

 人は傷つきながら成長していく。その過程で自己を得て、一角の人間として己を磨いていく。だがその磨き上げるという成長すらも、木乃香は全てまとめて傷として癒してしまった。

 その結果、あらゆるトラウマを含めて成長した月詠という自己は消滅し、跡形もなくなった更地の如き場所に、治癒を行った木乃香だけが残った。

 故の依存。いや、それは依存という言葉ですら足りない。

 さながら、全存在を木乃香に捧げた狂信者。

 治癒という狂気に染められた、自我を木乃香に置き換えた生ける骸。

 人としての尊厳を全て消されたのが、今の月詠であった。

 

「あら、これはまた面白いですなぁ」

 

 そんな二人を優しく包み込むような穏やかな声が、闇に染まった山中に響いた。

 

「ッ!? 誰ですか!?」

 

「おやおや、剣呑やな」

 

「あ、鶴子さん」

 

 先程までの弱弱しさから打って変わって、牙を剥き出しに振り返った月詠は、木乃香の親しみの込められた声を聞いて、滲ませた殺気を瞬時に引っ込めた。

 呼ばれたとおり、片腕を失いながらも、その美しさが欠けた様子の一切ない妙齢の女性。青山鶴子が二人の背後には立っていた。

 淑やかに笑いながら、手に持った提灯の明かりを頼りに木乃香たちのところへ歩みよる。後を付けてきたのは明白だが、そんなことは一切語らずに、鶴子は花咲くように笑う木乃香と、人形のように無表情で立つ月詠を交互に見比べて、それでも笑みを崩さなかった。

 

「迂闊、というよりも盲目、というべきやろなぁ。しかし、詠春の種からこないな逸材が……」

 

「鶴子さん?」

 

「ふふ、何でもないどすえ」

 

 笑みの裏側の思考を僅かに悟った木乃香が、それを暴こうと顔を寄せてくる。しかし鶴子はすぐに思考を閉ざして、木乃香の奈落から己の心を隠し通してみせた。

 これだ。

 木乃香も笑って相槌を打ちながら、鶴子の堅牢な心の傷を覗けないことに僅かな不満を募らせた。

 傷はある。だが、その傷の意を隠されては治そうにも治せない。そこらへん、問答無用そうな青山と違って未熟な部分なのだろうと木乃香は思うが、それもまた己の傷と判断してさっさと癒して忘れた。

 

「やっぱり、鶴子さんも青山さんの所へ?」

 

「そうですわ。何せあの二人はウチの最高傑作。素子はちょっとばかし温かな場所に居すぎたせいで遅れましたが……あの日、素子を青山はんの元に送ったのは正解やったわぁ」

 

 おかげで、青山に斬られた素子は、正道の果てに行き着いた。

 そして今、先程感じた気によって、素子に斬られた青山もまた元の様に行き着くだろう。

 

「つまり、鶴子さんは青山さんと、その、素子さん? を、あの、うーん……」

 

「修羅」

 

「そう、修羅にしたかったってことですか?」

 

 断片的ながらも青山を知り、鶴子の思いを知った木乃香の仮説。

 

「半分、正解や」

 

 それに鶴子はそれだけ言うと、二人が戦っている方角へと爛々と情欲に濡れた視線を送る。

 

「修羅にする言うのはあくまで結果論でしかない。ウチが見たかったのは、単純明快」

 

 別に、英雄でもよかった。

 別に、狂人でもよかった。

 見たかったのは、只一つ。

 

「青山や。あの日、響はんに斬られた時、ウチは青山という才能の果てを見たくなった」

 

 齢十を超えた程度で、歴代最強とも周囲から言われた自分を斬り捨てた響。そして、その結果として腕を斬られて血濡れの自分を連れて道場に戻った自分を見て、唯一、恐怖の中に納得を見せた素子。

 『あぁ、やっぱりな』とでも言いたげな素子は、姉として家族を見守ってきた自分以上に、青山響という存在を理解していたからこそ。

 この二人だと知ったのだ。

 名実ともに神鳴流最強の宗家として長年君臨し続けた青山という血肉を、二人ならば結実出来ると、鶴子は理屈ではなく魂で理解したのだ。

 

「そのためになんだってした。響はんには恐れ戦かれる青山として、素子はんには敬い尊ばれる青山として、悪と善。闇と光。外道と正道。等しく極みに至れる才覚を、真逆の道へと進ませた」

 

 木乃香は熱のこもった鶴子の弁から僅かに見えた隙を縫って、青山鶴子という女が心の内側に眠る化生を――。

 

「うっ……!?」

 

「おねーさま!?」

 

 身悶えするような嫌悪感。

 反射的に口を押えて一歩引いた木乃香を、スイッチが入ったように激情を露わにした月詠が死にそうな表情で支える。

 そして、憤怒の眼差しで鶴子を睨むが、まるで気にした素振りも見せずに鶴子は笑う。

 嗤うのだ。

 

「……怪物」

 

 木乃香が漏らした一言は、青山鶴子と言う存在を表すには充分だった。

 自分では届かない。自分でも理解出来ない。

 だが見たい。

 その才能が行き着く果て。狂気の終わりを是非とも覗きたい。

 例え、この身が滅茶苦茶に蹂躙され尽くし、ボロ雑巾以下の扱いを受けたとしても、見てみたい。

 それは青山や素子や木乃香とは違った別種の狂気だった。

 好奇心という混沌。

 身の破滅すら厭わず、周囲の瓦解を気にせず、世界が壊れる可能性すら考慮せず、見たいからという理由だけで、二人の修羅を作り上げたのだ。

 その在り方を怪物と言わずに何と言う。

 だが嫌悪感という傷はすぐに癒され、歪んでいた木乃香の表情は再度穏やかなものへと戻る。

 鶴子はそんな木乃香もまた面白いと、笑い続けるのだ。

 

「そして今、ウチが大切に育て上げた可愛い青山が最後の完成を迎えようとしております。あぁ、この時をどれほど待ち望んだか! やっと! やっとウチは『青山』の、人間の究極を知ることが出来る!」

 

「……それを――」

 

 一人、感極まっている鶴子に何かを告げようとして、木乃香は意味無いかと首を振った。

 己が斬られて死ぬことなど、鶴子は気にも留めていない。当然のように可能性の一つとして自分の死を考えながら、それに勝る好奇心が、一瞬だけでもその結末を見ればよいと思っているのだ。

 ならば、これ以上は無駄だろう。木乃香は初めてのデートを控えた乙女のようにウズウズと落着きなく先を行き始めた鶴子の後を追って、青山の元へと向かうことにする。

 夜は更けたばかりで、夏は近いというのに、周囲の空気は刺すように冷たい。

 それこそ今より向かう戦場から溢れる冷気。そして、今宵決着をする二人の青山が凌ぎを削る修羅場。

 立っているのは果たしてどちらであろうかと思い、木乃香は自嘲する。

 

「そんなん――」

 

 ――立っているのは、『青山』に違いない。

 

 

 

 

 

『私は、君を愛しているんだ』

 

 その言葉は呪いだった。

 青山響という、強さしか求めない男に向けられた好意の証。そしてそれは前世の知識に無い衝撃を響という個人に与えるには十分であり、反射的に拒絶の言葉を口にする程、その一言は強烈であった。

 つまりそれは、青山という存在になりかけの響を縛る魔法でもあり、邪険にあしらった今でさえ、青山響が消えないように体に突き立てる楔として、気付かぬ内に心に張り付いていた。

 それが根源。

 そして、その根源を、愛という奇跡を斬られた今、青山はしがらみをすべて捨てた修羅へと成り果てることになる。

 

「ひかげ……そう、ひかげだ」

 

 名前を語り合ったわけではない。

 だが今この瞬間、素子に己が根源を斬られた青山は、閃光のようによみがえった彼女の容姿とその名前を口にしていた。

 浦島ひかげ。

 酒呑童子をその身に宿し、青山響を破壊した女。

 そして、この瞬間までこの心に青山響を残し続けた女。

 

「でも、さよなら」

 

 肩から腹まで袈裟に伸びる傷口を軽くなでて、その傷口より滴り落ちる彼女と、そして彼女と共にこの身に在り続けた青山響に別れを告げる。

 流れきったのは果たして響だけではない。

 この身に絡みついていた、生きたいというくだらぬ雑念すらも今は無い。

 

「この様ですよ。素子姉さん」

 

 俺も。

 貴女も。

 等しくなんて様なのだ、と。

 怪我などあってないようなものだと、青山が平然と立ち上がる。全身を血に染めて、幽鬼のようなあり様で、だがしかしと、青山は黒色の眼に爛々とした光を飲むのだ。

 修羅外道、青山。

 己を斬られ、己を失うことで、体一つのみとなった故に至る極地に立ったそれこそ、時代が産んだ狂気の結晶。

 その手に握られた証も、刀身の表面が剥がれ落ちてくすんだ鉄の輝きを得る。フェイトという少年が築いた解答すらも、斬るという一点に貶めた青山は、さもそれが当然とばかりに証を一振りしてみせた。

 

 そして、鈴の音色が鳴り響く。

 

 命が別れ、命が響き、命が潰える終の歌声。

 その音を聞いた素子は、今まさにたった一つの修羅外道が目覚めたのだと理解した。

 

「青山」

 

「えぇ、お待たせしました姉さん」

 

「青山……!」

 

「そうです、姉さん」

 

「青山!」

 

「はい、俺です」

 

 斬られる前の無様など微塵も感じられぬ。

 斬るという一心を取り戻し、一身を鋼に注ぐ様こそ、素子が忌み嫌い、だが何よりも信頼していた修羅の姿。

 

「俺が、青山です」

 

 虚空に穿たれた穴の如く、虚しく響くその名乗りこそ、己を取り戻した何よりの証明。

 あぁ畜生。

 それでも、響をこの手で斬り捨て、あまつさえかつての姿を、否、鶴子という怪物が望んだ青山そのものを目覚めさせた憤りが、素子を苛む。

 そうだ。青山だ。

 誰もかれもが、雁首揃えて青山だからと。そう呼ぶからこそ、その通りに自分はなったのではないかと素子は今になって思うのだ。

 

「青山……。青山……! 青山! どいつもこいつも恐れ戦き畏怖と敬意と恐怖と羨望を孕ませてこの名を呼ぶ! そしてお前はそれを肯定した! 名を告げることなく、己がただの青山だと自らそう名乗った! あぁ、あぁ! そうさ、そうだとも! 私もやっと納得いったよ! お前が青山で、私も青山だ! 結局、俗物共は無意識に、お前だけでなく宗家全てを、否、青山という血そのものに、狂気を見ていたわけだな!」

 

 宗家、青山。

 外道、青山。

 結局、勘違いはそこであり、誰よりもその真実に気付いていたのが、他ならぬ青山響――青山、彼一人だけだった。

 だからこそ、血を吐くような素子の問いに、青山はようやく理解者を得られたと安堵するのだ。

 

「そうです姉さん。俺は、どうしようもないくらいこの肉に溢れる才気に染まりました」

 

 この体が青山だと、青山は常に言っていた。

 それが理解出来ぬ名乗りの真実。

 俺です。そう告げる青山が心に眠っていた解答。

 

「だから俺は青山なのです。俺ではなく、この体こそ誇れるもの故、これが青山なのだと、俺は俺自身を呼ぶのです」

 

「そして私も青山で……私はこれに成り果てたのだろうよ」

 

 唾棄しながら、しかしそれが真実であるから認めなければならない。

 ならばもう迷いなく、己は青山を名乗るのだろう。

 いや、迷いなど最初からない。

 苦渋を吐き、苦悩しているつもりになっているだけであり、素子はもう自分がどうしようもなく、どうしようもないのだと分かっていた。

 

「だが、いいんだ」

 

 だって、あらゆる喜怒哀楽も。

 

「どうせ、斬る」

 

「ありがとう姉さん。分かってくれて、ありがとう」

 

 共感を得られた。そのことに青山が喜びを見せる。

 あぁ、やっと分かってもらえたのだ。

 姉さん。

 素子姉さん。

 この身が青山でしかないという真実に、ようやく気付いてくれた。

 いつの間にか夕焼けは過ぎ去り、闇夜が世界を覆い隠していた。空に浮かぶのは無数の星々と、刃の如き美しき三日月。

 その月光に刃を濡らしながら、二人の青山はお互いの奈落を交差させる。

 素子の眼はこの闇よりも尚暗い暗黒だった。

 同じだ。

 自分と同じ存在にようやく出会えた奇跡に、青山はここに居ない、別種の解に至るも、同胞とは呼べぬ怪物へと思いを飛ばす。

 

「エヴァンジェリン。君に紹介したい人が居るよ」

 

 ここには居ないもう一人の好敵手にして、ある意味での理解者。

 そしてもしかしたら京都以降、失望させてしまっていたかもしれない愛しい少女に、彼女を誇る。

 

「……ネギ君。君に示したい人が居るんだ」

 

 あと一人。正道を越え、外道を否定した果ての修羅ではなく、築き上げる何かによって至れる英雄へと成り始めた少年へ。

 君が築き上げる栄光が迂闊にも失敗した時、その先に待つ人がここに居ると伝えたい。

 

「いいですよね、『青山』」

 

 青山が、素子を指して告げる青山という名。

 それこそ、青山が終わりに至った証であり、同時に素子も同じ場所へと至った証。

 魂など要らぬ。

 血と肉が生み出した狂気の集大成。

 これぞ色濃くし続けた血脈の名。

 術と符をもって行われた退魔を、魔と同じ純粋なる能力のみで行い始めた神鳴流。その歪さが末路に待つものこそ、魔すら退ける人の業ならば。

 

「どうでもいいさ、『青山』」

 

 素子は、言葉とは裏腹に怖気の走る微笑を浮かべる。

 今ここに、二人の青山は完成した。

 全ては青山鶴子が望んだとおりに。闇と光、別々の道を辿った青山が、等しく同じ場所に完結したという事実。

 正邪という理を踏破した先に、人間という修羅が居るという絶望を示してしまった。

 あらゆる思考の根源に『斬る』という一点が根付いた一つの結末。

 だが、その名を名乗れる修羅は一人。

 

 同じであるからこそ、互いが在るからこそ。

 

「故に」

 

「斬る」

 

 つまり、斬るのだ。

 両者共に奈落と沈んだ眼が揺れる。共に掲げる青山を賭して、等しく同じ存在故に、響と素子という名に戻った修羅は駆ける。

 そう、善悪を超越し、生死すらも凌駕した欲求の狂気こそ、人間という業の極めし真実の姿の一つならば。

 

 この修羅場を経て、完結した二人の青山が、完了し、完成するのだ。

 




次回、完成。




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