【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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第四話【我が斬撃は無感を超える(完)】

 凛と鳴る残響は終わらない。それこそ世界に唯一残された音色だと、途切れることなく続く鈴の音を奏でながら、響と素子は重ねる刀の数だけ、互いが別個の存在であると言うことを認めざるをえなかった。

 

「共に、修羅となった」

 

 素子は響を同じ者として認めているというのに、その表情は嫌悪感で歪んでいる。

 

「だからとて、お前を許容できる程、私の器は広くない!」

 

 薙ぎ払われた刃の軌跡に沿って斬り殺されていく命の花弁を纏いながら、素子は空を舞う響へと叫んでいた。

 そしてその叫びに、響もまた素子と同じ表情を浮かべながら応と答えるのだ。

 

「そうでしょう。そして俺も、今やっと貴女と同じになれたからこそ分かります」

 

 中空で回転しながら素子へと斬りかかる。人間大の嵐となった響の刃をひなで受けるが、怒涛とその場で回転しながら斬り続ける響の刀によって、ひなの刀身が悲鳴をあげるようにたわんだ。

 

「俺も! 貴女を許容できない!」

 

 一転、感情をむき出しにした響の斬撃は、一際重く素子を圧する。それを内側の激情とは違い、清流の如く優しく受け流しつつ、素子は嫌悪と好機と共感と軽蔑が複雑に入り混じった内心を吐露した。

 

「だろうよ! 今や同じ解答に至りながら! 私とお前は歩んできた道があまりにも違いすぎたからなぁ!」

 

「そうです……いや、そうだ! 俺は、正道などという馬鹿げた生き方を貫いた貴女が憎くて堪らないんだよ! 許容できるか! 許容してたまるか! 貴女を受け止めるってのは、俺は俺の外道を否定することになる!」

 

「あぁ! そしてそれは私にも言えることだ青山! 外道に落ちぶれたお前を認められるか! 認めてたまるものか! 私は友に支えられ、友と共に歩み、そして友を振り払い至ったこの正道を否定せん!」

 

 繰り返す剣戟の激突に応じて、交わさずとも分かるはずの感情を言葉として発するのは人としてそうあるべきだと知っているからか。

 違う。

 そうではないのだ。

 永遠と奏でる鋼の軋みに混じって綴られる言葉の数々は、斬り合いの最中、徐々に変貌しつつある両者が、刀だけでは語り合えぬがゆえに放たれている。

 正道と外道を踏破し、共に同じく至ったたった一つの解答。

 そこからさらに先へ、人の限界を超えた真の修羅へと進み始めたからこそ、在り方を変えていく二人は刀だけでは通じ合えない。

 

「ならば何故、友と共に居なかった!? 貴女ならこんな場所まで来なくても、他の者と同じ、歩くような速さで進めばよかった! 一閃ごとに感じるんだよ。貴女がこれまで触れ合った人達の優しさが、温もりが! 俺にはそれがどれだけ素晴らしいのか理解出来ないけど、でもそんな俺だから言える! その幸せを振り払ってここに来た時点で、貴方は外道を是としたと同じじゃないか!?」

 

「知れたこと! 分からぬか? お前はここまで語ってまだ分からないのか!?」

 

「あぁ分からない。分からないよ! 斬りたくて、斬りたいのに! 俺は貴女のことなんてこれっぽっちも分かっていない! 刀だけでは届かないんだ! だったら、言葉で斬るしかないじゃないか!?」

 

 悲痛な声は証の刃に乗せて、素子の体にひなを通して響き渡る。その波紋に込められた意志。

 斬るに等しきは愛。

 理解出来ぬと涙するのは、理解したいからこその激情だ。

 ひなでは受け止めきれぬ衝撃が、踏ん張る足下より地面へ伝わり、斬るように地面へ沈んだ両足の周囲が一気に弾け散った。

 

「思いの丈、信念の刃か。だが……これほどの愛がありながら、お前こそどうして外道などという在り方に腐心したんだ!? 他者へ望み、分かってもらおうと努力し、それはお前が人間っていうのを好きだという証だろう!?」

 

 片腕だというのに、両腕で斬りかかった響の証をその体ごと払う。轟と唸る剣風が響を絡め取る。

 尚、衰えぬ剣戟。いや、衰えたのは血を失いすぎた響のほうか。肩で息をしながら、それでも瞳には失墜した暗黒を健在させて、意を乗せる証に込めた力は衰えぬ。

 そこまでの気迫。

 それは素子に対する惜しみない愛情であり、何もかも理解出来なくなりながら、その深さだけは分かる素子は悲哀に顔を歪めた。

 

「その優しさをどうして正しく導けなかった! お前なら斬り開けたはずだ! 私が友を捨ててまで得たこの道を、友を捨てることなく歩めたはずなのに!」

 

「違う! 俺は友を捨ててなどいない! 友を斬り捨てられたからこそ得た外道だ! きっと理解されないからと、振り払い、後ろに置いていく貴女の正しさとは違う! 俺はいつだって理解されたかった!」

 

「だから斬ったのか!? 斬る以外なかったのか!?」

 

「そうさ! 俺は斬れたんだよ! この様だから、斬ったんだぁぁぁ!」

 

 唯一無二の友にして、好意を伝えてくれた友を斬って得た境地。鈍感だったからか、好意には今まで気付けなかったけれど、でも、それでも響は友、浦島ひかげを斬って得た今が、正道故に捨てざるを得なかった素子に劣るとは思えなかった。

 どちらも同じだ。それは認めよう。そして同じだからこそ共感し、理解し合い、否定するのだ。

 導かれる結果が同じであっても、過程が両極だから否定するしかない。これが少しでも重なる道があれば、もしかしたら言葉で斬り合わなくとも、刀だけで分かり合えたかもしれない。

 だが二人は知らない。青山鶴子という怪物の手によって踊らされたことで、素子と響はここに到達し、斬り結ぶことで初めて互いが同種の斬撃でありながら、別種の修羅であると知ったのだということを。

 斬り合う言葉以上に、その間にも重なる剣戟は互いの限界を超えてさらに加速していく。

 そこは既に人の域を越えつつあった。

 だが人外というにはあまりにも人間的すぎた。

 それはきっと、美しい姉弟愛の形なのだ。

 

「はぁぁ!」

 

 咆哮に先んじた素子の一閃が、斬りたいと叫ぶ響の体を震わせる。幾度となったか分からない鍔迫り合いの形。震える両足は血が足りぬせいか。

 

「青山ぁぁぁぁ!」

 

 響は足りぬ血潮に気を注いで強引に覚醒させると、素子の名を、血を吐きながら叫んだ。

 賭すべきは今。

 繰り返した残響に見出した素子の隙。腕を奪われた故に、完璧だった剣舞が綻んだその懐へ、激情を気へと変えた響が、これまでで最速の踏み込みを果たす。

 積み重ねられた疲労と、怪我による消耗。合わさった負の連鎖によって衰えた素子の超反応はついに超えられ、遅れた迎撃は決定打を呼ぶことになる。

 乾坤一擲。届くとか受けられるとか、そういった諸々の余分を捨てて、斬らんと欲する願いは遂に、触れ合わせたひなの刃を弾く。

 そして、防御を無視した無謀な突撃は、ついに素子の腹へと証を突き刺すに足る。

 凛と伸びていく命。

 肉の手ごたえは、響に斬ったという確信を与える。

 

「ぐ、おぉぁ!?」

 

 だが素子は悶絶しながらも返しの刃で響の顔面を斬ると共に、さらに奥へと刺さろうとした証の刀身を上から叩き落した。

 当然、刺さっていた刃を払ったために、腰の横を抜けた刃は脇腹を深く裂いた。しかし、呼吸を奇妙な形に変えたことによって、内臓を操り溢れるのを素子は阻止する。

 それでも流れ出る血潮だけは止められない。よろける肉体。しかし、追撃は無い。

 

「づぃ……!?」

 

 響は額から左目を抜けて頬まで抜けた刀傷を抑えながら唸っていた。

 腹を裂いた代償に遠近感を奪われた。奈落と沈んでいた眼は、ひなによって裂かれ、傷より零れた血によって飲まれている。何ものにも染まらぬと思っていた眼も、この始末。

 だが良い。

 響、素子は互いに受けた傷で攻撃も防御も出来ず一歩ずつふらつくように後退しながら感謝すらしていた。

 斬るという意を相手の斬るという意に斬られ、そして斬っていくことで、相殺された斬撃という形は飽和し、二人は只の人間らしい感情のみで戦えていた。

 斬りたいという欲望をそのまま。喜怒哀楽の全てを意味無しとではなく、己の血肉と出来ることが嬉しかった。

 気付けば蒸発した水が空で雲となり、覆われた月夜より局所的な雨が降り始めた。

 時雨。

 さらさらと落ちる雨に濡れて、互いに受けた傷によって限界を迎えた二人の修羅は、立つことすら不安定になりながらも、戦意だけは失ってはいない。

 虚無にある斬撃を重ねることで内側より溢れだした激情が、再度の発露で全て失われ、たった一つの斬撃に戻る。

 無感に至り、無感を超える。

 その果てには、また鋼だけが残っている。

 

 ――ありがとう。

 

 感謝ばかりが、響の胸にこみ上げた。

 

「あぁ、この感情……生きているってやっと分かる。分かるんだ」

 

 響の言葉は、素子に斬られる前と同じだが、しかしそれは決して歪なものではなかった。

 生きることは斬ることだなどと言う奇怪なものではなく、この刹那、斬りたいと思える相手と斬り結べ、分かり合いたいから言葉を交わせる。

 ありふれた感情は、しかし前世の知識故に感じられなかったものだというのに、無感を超えた今だから、新鮮さを感じられた。

 斬るという未知を得たことで、既存の知識の全ても刷新され、全てが未知へと変わっている。

 全ては素子というもう一人の青山が居たから。それによって響は青山となり、そして修羅へと再誕したのだ。

 

「生きてるな。あぁ、私達は、やっと呼吸出来た。全部、お前のおかげだよ、青山」

 

「それはこっちも同じさ、青山」

 

「ふふ、そうだ……そうだよなぁ」

 

 響の歓喜を、素子もまた同じく味わっている。

 生まれて初めての呼吸。

 跳ねる心臓、巡る血潮。

 敵手を思い無数と張り巡らされる思考。

 そして、斬撃。

 斬るという不変を、斬れるという喜びに昇華させた二人は、終わりを超えて再びの原初。

 修羅を成す。

 終わりに至ったからこその修羅ではなく、人として終わらせた答えを懐かせた修羅として輪廻したかのよう。

 

「こんなにも世界は美しかったから。……あぁ、色々言ったけどさ。許せぬ貴女すらも、この憎しみも纏めて愛していると言えるんだ」

 

「何を今更……全て分かり合える愛等ないだろ? ……懐いた共感も、張り付いた不快感も、全てまとめて、愛なのさ」

 

 理解出来ずとも、全てを理解しなくても愛せるならば。

 刀で紡ぎ、言葉で斬り合い、再び元の鞘へ。

 終わりが近いことに意味は無かった。いずれも青山で、青山として走るから。

 

「行くぞ……!」

 

 飛び出した響の動きは、まるで別人のように遅くなっていた。無理もない。先の攻防で既に気は底を尽きたのだ。後に在るのはこの身と刀だけ。ありのままの自分で、伽藍となったから得られた真の無垢で、刃をかざす。

 素子もまた、その身からは気の発露は停止していた。彼女にも残されたのは己と刀。

 あぁ、あと一つ。

 視線を交差した二人は、互いに互いが在るという事実に嗤った。

 

「かぁ!」

 

 腰構えより斜めに振り上げられた証は、失われた素子の左腕側から伸びていく。隙を突くことの背徳はない。斬りたい故に、土を舐めることすら躊躇しない覚悟があった。これまでの何よりも劣る動きだが、込められた意志だけは強靭。

 気迫とは裏腹に稚拙な斬撃だが、素子もまたそれを必死にならねば掻い潜れぬ程疲弊していた。

 躱しきれずに、肩が浅く斬られる。

 構わず、素子は意趣返しと響と同じ太刀筋を描いた。

 これもまた肉を斬る。

 痛みに苛み、苦渋する。しかし、歪な笑みは悶えながらも消えはしない。響は胸から流れる血を雨で流しながら、濡れ滴る地面を蹴って素子の首へ証を薙いだ。

 重ねられるひな。だが鍔迫り合いは両者叶わず、刀がぶつかった衝撃で一歩、二歩、三歩と腰砕けになりながら下がり、辛うじて堪える。

 

「笑っているね」

 

「お前もな」

 

 言いながら、足を引きずりつつ互いに距離を詰めて、同時に掲げられて落ちた刃は虚空でぶつかり、やはり弾かれ合う。

 それでも響と素子は刀を振るうために足を動かした。

 既に立っていることすら困難だ。

 気を出し尽くし。

 血潮を流しつくし。

 骨は軋み、肉は腐ったように指先の感覚すら頼りない。

 なのに、刀は握っていた。

 握っているから、刃を引きずって二人は歩く。

 お互いに求め合いながら、触れ合おうとすれば弾かれ合う。

 壊れた人形のように同じ動きを繰り返すだけ。

 見るのすら痛々しい。修羅だなんだと言われるような存在になったのに、今の二人は赤子に劣る程弱弱しくあった。

 なのに、誰であろうと介入できない美しさが感じられた。

 響が体を引きずり、持ち上げるのに数秒を費やしながら証を振るう姿。

 素子が体を引きずり、振るうのに数秒を費やしながらひなを振るう様。

 そんな姿が、美しくあった。

 誰であろうと汚すことは出来ない。

 今、二人はようやく修羅場に辿り着いた。

 

「こ……ひゅ……」

 

「あ……ぁ……」

 

 何度、その光景は繰り返されただろう。

 呼吸すらもうままならない。互いに認識出来ているかも定かではない。

 だが、斬る。

 斬ることだけは、残っている。

 

「あ……」

 

 そしてついに終わりは訪れた。

 響が証を掲げようと腕を持ち上げた瞬間、足が言うことを聞かずにつんのめり、刀を振るえず前のめりに倒れる。

 斬れる。

 素子は腕に引っ張られて半回転しながらこちらに倒れてくる響を見て、確信する。

 体捌きすらままならない。目も当てられぬ体たらく。

 素子は背中を向けた響へとひなを振りかぶり、だがしかし、彼女もまた己の体に裏切られ、振りかぶった勢いで体が後ろに引っ張られてしまった。

 だがその隙を突こうにも響も態勢を崩しており、前のめりに崩れた体は後ろに倒れる素子の体にぶつかってそのまま倒れた。

 その衝撃で、絶対に離さないと思っていた互いの刀が手から離れて、二人を挟むように少し離れた地面に突き立った。

 既に、斬ることすらままならない。

 そこまで出し尽くした。

 もう、何もかも吐き出してしまった。

 

 ――動け。

 

 ――早く、立ち上がらなければ。

 

 素子が刃を離すところを見ていない響は、すぐに立たねば斬られると思い、体を起こそうとして。

 

 不意に、その背中に素子の掌を感じた。

 

「……ぁ」

 

 響は、己が抱き締められているということを知り、小さく声を漏らす。

 頬に感じる女性の柔らかさ、そしてその奥よりトクトクと感じる命の音。

 鈴の音とは違う、命の旋律。

 

「もうすぐだ」

 

 素子は、母親が子にするように響を抱きながら、別れの言葉を語った。

 

「私か、お前か……いずれにせよ、次で終わる。これまで歩んだ全てが斬られて終わる。……なぁ、青山。お前、私がどうして友を捨ててまでお前の至った場所まで来たのかわからないと言ったな」

 

「……はい」

 

 素子は響の頭を右手で胸元に強く押し付けて、顔を見られぬように空を仰いだ。

 こんな顔、恥ずかしくて見せられない。何せ、色々と見苦しいところを見せたけれど、自分は――。

 

「お姉ちゃん、だからなぁ……」

 

「あ……」

 

「お前を一人ぼっちには、させないさ」

 

 姉であるから。

 家族であるから。

 例え誰もが指を指して蔑むような外道であっても、それでも素子は響の姉で、代わりのきかない家族なのだ。

 

「だから私は、友だって置いていけたんだ。たった一人の弟を、見捨てたりするものか」

 

 そして素子は響と並び、至った。

 それはもう、響が一人ぼっちではないということ。斬るという在り方を共有して、価値観が合わないから言い争ったけれど、人間なら誰もが行う当たり前を許された唯一の存在に、素子はなれたのだ。

 そんな当たり前すら出来なくなっていた響に、させてあげることが出来たのだ。

 響は、素子が自分のところに来た理由を知り、雨水とは違う清らかな雫で頬を濡らした。

 

「姉さん……俺、俺、さ……。姉さんが姉さんで、良かった」

 

「私も、お前が弟で……ふふ、ちょっとだけ面倒だったが、でもこうして家族になれたんだ。それでいい」

 

「うん」

 

「そうさ。私達は家族だ」

 

 青山として産まれ、その果てに誰も理解出来ない修羅になった。忌み嫌い続けた青山の血肉だが、それでも青山だから、響と素子は家族になれたのだ。

 

「だから、斬るのさ」

 

 故に、斬り合うのだ。

 

「う……ぐ……ぅ」

 

 素子の真摯な思いを受けて、響は童のように肩を震わせて嗚咽を漏らした。

 斬りたい。

 だが響は初めて、『斬りたくない』と思った。

 それは素子も同じだ。

 焦がれるくらい斬りたくて、何度だって斬りたくて。

 しかし、同じくらい斬りたくなんてないのだ。本当は、普通の家族として語らえればいいのだと願っているのだ。

 でも、斬らなければならない。

 斬りたくないから、斬らないといけない。

 常人では理解出来ない狂気。それこそが、二人だけに結ばれた確かな絆。

 

「素子姉さん」

 

「あぁ、響」

 

 斬りたくないと認めた瞬間、二人は再び青山から己自身へと回帰する。

 青山から逃げたのではなく、青山という括りを越えて、別の存在に進み始めたからこそ、二人は己の名へと戻れたのだ。

 青山響と、青山素子。

 代わりなんて何処にも居ない。同族ではなく家族として。

 

「行こう」

 

「行けるさ」

 

 決別ではない。

 これは、決着だ。

 今までの青山(過去)に。

 これからの修羅(未来)へ。

 進むために、終えねばならないから。

 

 覚悟の証。

 なけなしの力を使って体を起こした響は、そのまま素子の隣に体を倒す。

 空からは優しい時雨が二人を濡らした。星明りも、人工の光なんて当然なく。一寸先さえ見えない闇の中、感じられるのは雨の暖かさと隣の愛しさ。

 一秒。

 響は素子の右手に己の左手を重ねた。

 十秒。

 素子は困ったように微笑むと、重ねられた手に指を絡ませた。

 一分。

 手を、放す。

 

 そして、二人は跳ねるように左右に分かれて飛び出した。

 

 限界を迎えた肉体から、意志の力で力を絞り出す。

 雨粒を弾いて共に伸ばした右手。

 共に掴んだ鋼鉄。

 共に懐いた刃へ同一の思いを乗せて。

 振り返り、重なり合った視線と敷かれた死線。迷いなく踏み越えた先、伸びた刃が――。

 

「さよなら」

 

 鈴の音は、慟哭のように時雨の中を走り抜けた。

 

 歌声は、もう聞こえない。

 

 

 

 

 

 闇に重なった二つの影。数秒後、一方の影が、糸が切れたように崩れ落ちた。

 その胸には血を啜る刃が突き立っている。地面に仰向けに倒れたその姿は、刀がまるで墓標のように見えた。

 

「……斬られた、か」

 

「はい……」

 

 四肢を投げ出して倒れる影――素子を見下ろすのは、悲哀の色を浮かべる響だった。その肩にはひなが突き刺さっているが、素子の刃は響の命を斬るには至らなかったのだ。

 

「ごほ……!?」

 

「姉さん!?」

 

 響はどす黒い血の塊を吐き出した素子を抱き上げた。例えその命を斬ったのが自分だとしても、だがそれでも響は素子の命が消えていくのに耐えられなかったのだ。

 そして、そんな響の心境を察しているからこそ、素子は霞む眼で響を見上げ、震える右手でその頬を撫でた。

 

「馬鹿、男が、泣くな」

 

「でも……! だけど……!」

 

「これでいい」

 

 後悔は無い。嘘ではないさ。

 そう伝えたくても、もう幾つも言葉を言えぬために告げられない己に辟易する。

 むしろ、響のほうが悔恨しているということに素子は何故か可笑しさを感じてしまった。

 だから、素子は消えかけている命の最期を、響に託すのだ。

 

「正しさを、否定したんだろ?」

 

「……はい」

 

「なら、貫け……死ぬまで、永遠に……」

 

 この修羅場で。

 

「嗤え、響。青山響」

 

「ッ……!?」

 

 息を飲んだ響は、素子の言葉を染み渡らせるようにゆっくりと吐息を一つ。

 

「はい、でも……少しだけ違います」

 

 そして、ぐしゃぐしゃになった顔で、全てを嘲笑うような笑みを象ってみせた。

 だから心配しないでほしい。

 

「俺は、俺の外道も斬る」

 

 響は素子の右手に掌を重ねて、宣誓する。

 

「貴女の魅せた正道だって、今度は全部、纏めて斬るから」

 

「そうか……」

 

 呼気が漏れる。

 それは素子が放つ、命の灯火。

 

「安心した――」

 

 最期まで空を見上げたまま、素子は響の決意に安堵した。

 とても冷たいこの場所で、とても冷たい(かいな)に抱かれて。

 家族に看取られて逝けるこんな最期。

 

 ――うん。

 

 ――私は、幸せだった。

 

「……おやすみ、姉さん」

 

 響は、開いたままの素子の瞼を、そっと掌を被せて閉ざした。手を退ければ、安らかな寝顔にしか見えない素子の柔和な死に顔がそこにある。

 もう何かを言おうとは思わなかった。優しく、もうこれ以上壊れないように素子の体を横たわらせて、その胸に突き立った証と、肩に刺さったひなを響は両手で掴むと、歯を食いしばって力を込めた。

 

「ぐ……おぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 体の痛み。

 心の痛み。

 合わさる激痛に絶叫しながら、流血の放物線を描きながら、二本の刃を引き抜く。

 

「……そうさ。俺は――」

 

 斬り裂かれた左目が開く。だが分かたれたはずの眼はすでに癒着していた。

 しかしその眼は最早、これまでの響でも、ましてや青山でもない何かへと変貌していた。

 違うのは色。

 漆黒ではなく、青に染まったその眼。

 そして、そこに込められるのは、この世に溢れる万象一切、全てが内包されているかのようだった。

 響は嗤った。

 左手には鈍い鋼の輝きを魅せる証。

 右手には漆黒の光沢で濡れるひな。

 左目は青々に輝き。

 右目は漆黒に沈み。

 超えた先の今を、嗤い続けた。

 

「青山、いや……」

 

 友を斬り。

 魔を斬り。

 生を斬り。

 そして今、青山という血を、青山という血肉を斬ることで超えた狂気の結晶体。

 これが果ての後。

 その斬撃は正邪を振り斬り、生死を斬り抜け、そして果ての無感さえも斬り払い、終の向こうの永遠を斬り開いた、無限の完結。

 正道ではない。

 外道ですらない。

 

「俺は、青山響だ」

 

 その名、修羅道。人の終わり(青山)すら斬った狂気よ。

 

 お前は今こそ――完成したのだ。

 

 

 

 




これまでの纏め。

オリ主(響)が死んで、ラスボス(青山)も死んで、隠しボス(青山響)が生まれました。

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