【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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加筆というより、原文版。増し版はこのくらいにアレなので、ご注意を。


第六話【福音、鳴る鳴る、斬り斬りと(下)】

 

 素子だけだ。青山という人間の本質を理解したものは。

 でなければ、彼を更生させようとしたり、ましてや戦いを挑もうなどとは思うまい。

 何故か。

 それは、何故なのか。

 たかが人間。技を極め、戦いを制し、勝利を勝ち取ってきたところで、所詮は命に限りのある人間。

 その程度に、何を思うところがあるのだというのか。

 いや。

 だから、理解しなければならない。

 環境が、状況が、才能が、努力が。奇跡的に噛み合った故に、周りに見向きもせず、ただひたすら己という人間を見続けたことによって、人は、行き着く場所、それ以上は何処にもない場所にいけることを。

 誰もが理解しなければならない。

 

 終わる場所とは、修羅場である。

 

 

 

 

 

「……終わったか」

 

 周囲一帯を氷の中に封じ込めた化け物、エヴァンジェリンは、眼下の氷塊をつまらなげに見下ろした。

 学園の封印が解除されるまで、まだ三十分以上はある。いや、時間ぎりぎりまで遊ぶ余裕がなかったからこそ、三十分以上も残ったのか。

 結果を見れば、エヴァンジェリンはその美しい黄金の髪と、背中に刻まれた斬撃の跡以外、傷を受けずに勝った。背中の傷も、緩やかにだが治癒を始めており、傍目から見ればエヴァンジェリンの完勝といえるだろう。

 それでもぎりぎりの勝負だったとエヴァンジェリンは思う。近距離では圧倒的に青山が上手、勝てたのは、ぎりぎりで闇の魔法を唱える時間を得られたことと、青山の武器の数が不足していたからだろう。

 

「いや……所詮、勝負は時の運、か」

 

 だがそれが勝敗を分けたとは言いたくなかった。戦いなど、不足していて当たり前、今持てる物でどう相手を切り崩すか。青山にはそれが出来なくて、自分はその部分を突いた。

 それだけ。

 たったそれだけだ。

 

「ッ!?」

 

 エヴァンジェリンは、未だに痛みを発し続ける背中から走る熱を感じて顔をしかめた。

 不死の身になって久しく、腕を千切られようが、腹を貫かれようが、瞬時にそれらの怪我を回復してきたこの体が、たかだか斬り傷一つの回復に手間取っている。

 青山の持つ膨大な気を、斬るという一点に収束させたからこそ、この傷は回復に手間取っている。

 意味はないと思いつつ、エヴァンジェリンは思わずにはいられない。

 もし一手、放つ魔法の選択肢を誤っていたならば──

 

「考えても無駄か」

 

 エヴァンジェリンはそう小さく呟くと、今にも崩れ落ちそうな大橋を見つめ、虫でも払うように手を振った。

 すると、崩壊しだしていた大橋が氷に包まれて、その崩壊が停止する。この力、ここまでの能力を発揮する己の技を使って、それでも青山はぎりぎりまで抗い続けた。

 だから、人間はいい。エヴァンジェリンは僅かな寂しさと羨ましさをない交ぜにした笑みを浮かべると、状況に混乱するネギ達の前に静かに降り立った。

 

「やぁ、待たせたようだなぼーや……どうやら、観客が増えているようだが」

 

 ネギの傍で膝をついている明日菜とカモを見てエヴァンジェリンは呟いた。

 そうしている間にも、闇の魔法を使用しているエヴァンジェリンの周りは、どんどん氷漬けにされていっている。

 勝てるはずがない。ネギはエヴァンジェリンからあふれ出ている魔力の流れを感じ取って、顔色を真っ青に染め上げた。

 

「ほぅ、どうやら茶々丸を拾ってくれたみたいだな。それには感謝しておこう。そら、今の私は機嫌がいい。このまま失せるというなら、そこのオコジョもろとも逃がしてやってもいいぞ?」

 

 見下しきった傲慢な言い方に、しかし誰も口答えできない。

 生物としての格が文字通り違うのだ。立っているだけで己の世界を周囲に叩きつける化け物に見下されて、どうして何か言えるだろう。

 保有する戦力が違う。辺り一面を覆う惨状が、何よりもその実力差を物語っていた。

 

「ん?」

 

 そこでエヴァンジェリンは違和感に気付いた。己の放つ冷気の影響を受けていない明日菜の存在に、好奇心を刺激されたのか。ニタリと口元を歪めて、その手を軽く振るった。

 瞬間、見えない何かに操られるように、明日菜の四肢が虚空に束縛される。

 

「きゃあ!?」

 

 突然のことに悲鳴をあげる明日菜へと、エヴァンジェリンはゆっくりと近づいていった。それだけで、ネギとカモ、そして茶々丸すらもその肌が凍りついていくが。

 

「無効にしているのか?」

 

 服が凍る以外、その素肌に何の影響もない明日菜を見て、エヴァンジェリンは感嘆のため息を漏らした。

 

「な、にを……!?」

 

「面白いよ神楽坂明日菜。ふん、孫娘と共にぶち込んでいるのだから、何かしらあるとは思ったが……なるほど、タカミチも深く干渉するはずだ。ついでだ。貴様もその血を吸い取ってやるよ」

 

 そう言ったエヴァンジェリンの口元が大きく開く。

 

「ひっ……!」

 

 悲鳴をあげるのも無理はなかった。あらゆる歯が鋭利に尖り、その瞳の色も黒く黒く変色している。あの人形のような可愛らしさを持っていたエヴァンジェリンの姿はそこにはない。

 最早、吸血鬼。

 やはり、化け物。

 その種族の差をまざまざと見せ付けられて、明日菜は声を出すこともなく、ただ怯えるしかない。

 

「止めてください……!」

 

 そんな最強の化け物に抗うか細い声が一つ。両腕を未だに拘束されながら、体を氷に覆われつつありながら、英雄の息子はその瞳に強い使命感を宿して立ち向かう。

 

「僕の、生徒に、手を出すな……!」

 

 身体は震えていた。恐怖が総身を支配して、今にも泣き出しそうで、怯えそうで。

 それでも瞳だけは、前を向いている。

 

「……あぁ、やっぱし貴様はあいつの息子だよ」

 

 その瞳を見据えて、エヴァンジェリンは元の可愛らしい容姿に、人間のそれに戻ってネギを見つめた。

 策があるわけではない。万策は尽きていて、先ほどまで繰り広げられた戦いに対して、何も出来ないと確信していた。

 だけど、前を見ている。

 その瞳に、エヴァンジェリンは恋をしたのだから。

 

「だがどうしようもあるまい。今の貴様に何が出来る? その様で、貴様には抗う術などないだろ?」

 

「僕は……」

 

「充分だよ。諦めろ。それ以上、抗って何になる?」

 

「僕は……」

 

「安心しろ。殺したりはしないさ。ただ、血を吸わせてもらう。それだけだよ。だから安心してその首筋を差し出すがいい。それで終わりだ。貴様らはこれからも無事、温い陽だまりで暮らし、私は貴様らの前から姿を消そう」

 

 エヴァンジェリンの言葉が、ネギの意志をゆっくりと、まるで毒のように蝕んでいく。圧倒的強者から差し出された譲歩。いつ気が変わるかもわからないし、もし気が変われば、自分達は、目の前の吸血鬼に殺されるかもしれない。

 なら、選択肢はないのではないか。ゆっくりと差し出される少女の冷たい手をとれば、その冷たさに身を任せれば、全部が全部楽になって──

 そしたら、彼女はまた、悪の魔法使いとして動くのだろう。

 

「僕は……」

 

 ネギは顔を俯かせて、苦悶する。立派な魔法使いとして、絶対に敗北が確定している悪に抗うか。それとも、そんな我がままを通さずに、明日菜やカモのために膝を屈するか。

 いずれにせよ、ネギは大切なものを失う。その選択、悩む姿にエヴァンジェリンは深く深く、楽しげな笑みを浮かべて、食後のデザートの鮮度を堪能し。

 そんな、人間的な嗜虐が、決定的な隙を晒す。

 

「見つけた」

 

 突如、エヴァンジェリンの耳元でそんな声が響いた。咄嗟に背後を振り返るが、そこには誰もいない。

 いや、居る。川を埋め尽くす氷の世界に視線を移したエヴァンジェリンは、その内側を確かに見た。

 ネギ達はエヴァンジェリンの突然の豹変に困惑の色を浮かべるが、本人はそんなことに構っている余裕すらない。

 気付けば、冷や汗が額に浮かんでいた。何故だか、取り返しのつかない失敗をしたような気分だった。

 自分は今、決定的な何かを、晒してしまったのではないか。

 直後、冷気よりも冷たい音色が。

 

 鈴の音が、鳴り響く。

 

 

 

 

 

 人は、何処に行く。

 歩く先、歩む道。自身が選んだ道の上、見えない先を目指して、一歩一歩、手探りでその先を進んでいく。

 誰だってそうだ。

 誰でもそうだ。

 けれど、誰もがわかっている。その道には終わりなんてなくて、もし終わりがあるのなら、それはきっと、人生が終わるその瞬間、道半ばで眠るそのときなのだと。誰もが道半ばで夢半ば。終わりなんて何処にもないと、大人だったら誰でも知っている。

 そういうものだ。

 普通なら、そんなものだ。

 でも。

 違う。

 それは、ある。

 道の終わりは存在する。

 行けるのだ。届くのだ。それは確かに存在して、ふとした拍子に辿り着く。そこ以上の先がない世界。終わりの場所。人間の可能性が選択できる最後の場所。

 俺は知っている。

 俺だけは、知っている。

 斬るのだ。

 斬るしかない。

 果てに待つのは斬ることで。

 斬ったことこそ、終わりの証。

 

「……」

 

 心拍は停止して、思考は凍りついた。全てが氷に埋め尽くされて、どうしようもないその場所で。

 斬るということだけは変わらない。

 斬ることだけは凍らない。

 どんなに世界が変わっても。この心が凍り付いて死んでしまっても。

 斬るのだ。

 斬るだけだ。

 

「見つけた」

 

 だから、動く。俺の思考や心や肉体が死んでも、斬るということがあるから、俺は俺であり続け、この状況でも死にはしない。

 斬るのである。

 だから、斬れるし、斬るために身体は動く。

 それは簡単で、わかれば誰にだって出来ること。

 わかりやすいこの答えを理解してほしい。

 斬るということを理解しなかったから、君はそうして隙を晒したのだから。

 

「……」

 

 吸血鬼が遅れてその異常に気付くが、もう遅い。俺の手は斬る。斬った。

 よし、斬ろう。

 

 ──氷がいつの間にか目の前からなくなって、停止した思考と肉体が動き出す。危なかった。無意識の中で、どうにか俺の体は動いていたらしい。

 って、あちゃー、心臓止まってるよ。

 

「シッ!」

 

 俺はモップの先で自身の胸を叩いた。たたき起こされた心臓が突然脈動を再開し、俺の意識が再び揺らぐ。だがその直後全身を駆け抜けた激痛によって、揺らいだ意識はぎりぎりで保たれる。

 よし、ちょっと危ないけど、いやはや、死んだのは久しぶりで少々驚いた。後数秒遅かったら、本当に第二の人生が終わっていたなぁ。

 

「貴様!?」

 

 吸血鬼が困惑の声をあげている。

 ちょっと驚いた。

 もしかして、俺を死なせただけで、殺したと思ったのか?

 おいおい。

 おいおいおい。

 お前、つまらないな。

 

「……あ、そういうことか」

 

 氷の世界を抜け出して、意識もはっきりしたところで、俺はようやく彼女から感じていた違和感の正体に気付いた。

 同時に、俺はとてつもなく落胆した。

 なんだよ。

 お前、そんなんだったのかよ。

 

「ふん! 生きてるならちょうどいい! そら、まだ時間はある! 私を楽しませて──」

 

 何かを言おうとしたマクダウェルさんの前に俺は踏み込むと、一気にモップを横薙ぎに振るった。

 だが辛うじて反応されて、しょっぱいのはその場を離脱した。

 だけど、駄目。

 俺のモップは砕け散った。

 

「ぎぃ!?」

 

 虚空に再び飛び上がったマクダウェルさんが、押し殺した悲鳴をあげるのと同時、その右腕の肘から先が、まるでロケットみたいに血飛沫を噴出しながら夜空を飛んでいく。

 斬れたのはまたも肉体のみ。

 だが今ので確信出来た。

 

「もう、いい……」

 

「な、に……?」

 

 激痛に苦悶の表情を浮かべるマクダウェルさんを見上げて、俺はそんな彼女の顔を見ていられなくて、露骨な感じに視線を切った。

 

「……ッ! ふざけるなぁぁ!」

 

 そんな俺の態度が気に入らなかったのだろう。マクダウェルさんの魔力が膨れ上がり、夜空一面に百にも及ぶ巨大な氷の槍が現出した。

 おそらく、掠れば即座に相手を凍りつくすその槍を前にして、俺しかしが気にするのは背後のネギ君のほうだ。

 とりあえず巻き込まないように、大橋を蹴って、全速力でその場から離れる。

 

「逃がすかよ!」

 

 マクダウェルさんの号令の下、桁違いの魔力を込められた氷槍が、音速を超えた速度で俺目掛けて殺到する。一本一本が全長数メートルにも及ぶ槍は、全てが精密に操られ、互いに激突することなく、大橋から離れる俺目掛けて殺到してきた。

 傍を通り過ぎるだけで俺の体を凍らせるそれらの槍を、ぎりぎりで逃れつつ、内側から凍っていく極寒の世界を駆け抜ける。

 先ほどの繰り返しだ。氷の嵐に呑まれて、俺の意識は消えていく。

 けれど、逃れる。ぎりぎりで、俺はもう全てに対応しきっているから。

 この程度は、死に至らない。

 先ほどとは違って、ぎりぎりでありながら、決して落ちない俺を見てマクダウェルさんは苛立ちを感じたのだろう。氷の槍を用いた嵐に俺を閉じ込めながら、その左手に新たな魔力を凝縮させた。

 まさか、今の状態が切り札だと思っていたら、実は切り札が二段構えというオチとは。

 流石、真祖の吸血鬼。

 だからこそ、俺はため息を吐き出しそうになってしまった。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 契約に従い我に従え氷の女王!」

 

 詠唱と共に、これ以上冷たくならないと思った世界がさらに冷たく凍えていく。大気はおろか、時間すら凍らせてしまいそうな極寒の世界で、俺の本能を最大限に刺激する恐ろしい一撃が、来る。

 

「来たれ! とこしえのやみ! えいえんのひょうが!」

 

 そして、俺は停止した。周囲を旋回していた槍もろとも、俺は再び氷の中に閉じ込められる。

 止まる。

 止まる。

 止まって──だけど、終わらない。

 

「全ての命ある者に等しき死を! 其は安らぎ也!」

 

 絶対零度に埋め尽くされ、瞬時に止まった全ての内側に轟く死の気配。止めた世界を、終わらせる。

 それは究極の凍結にして、究極の死。

 世界を崩す最悪の破滅。

 今ここに、麻帆良を震撼させる、慈愛など何もない死の世界が、矮小なる俺を殺すためだけに放たれ。

 

「おわる──」

 

 終わる世界を斬り裂いた。

 

 

 

 

 

 エヴァンジェリンは我が目を疑った。今宵、何度目の驚愕になるだろうか。だがこの驚愕は、これまでの比ではない。今、彼女が放った魔法は、彼女の中でも最大規模、ほぼ絶対零度の空間を150フィートにも及ぶ広範囲に発揮する恐るべき魔法である。

 逃れる術など何処にもなく。ならば、そこに囚われた青山が、絶対零度の氷結を斬り裂いて現れたのは、どういったことなのか。

 虚空に舞う青山の瞳が、動揺を隠しきれないエヴァンジェリンの瞳を射抜いた。息が詰まる。青山の手にはもう得物はないというのに、その瞳はまるで変わらず、刀のような冷たさを宿していて。

 斬るということ。

 斬られるということ。

 エヴァンジェリンは、青山を見誤った。

 

「……っ!」

 

 すでに青山の身体はほとんど動かない。体中は冷気によって機能のほとんどを停止させられているが、それを膨大な気で強引に動かし虚空瞬動を発動させる。

 この戦いでとうとう捉えた、エヴァンジェリンの最大の隙。その隙がなくなる前に、辿り着け。

 

「あ……」

 

 そしてエヴァンジェリンは見た。空高く舞う男の姿。欠けた月に重なるその影を。

 青山は懐に手を伸ばすと、この最後の瞬間まで残された小太刀を抜き払った。右手に握られた小さな刃が真横に伸ばされ、月光を静かに反射する。

 その光はとても冷たかった。氷の持つ冷たさではなく、ただ心の中が寒くなる無感動な冷たさだった。その輝きに魅せられた。口を開けて、子どもがウインドウ越しの玩具を見つめるように瞳を輝かせ、エヴァンジェリンは呆けて止まる。

 青山が最後の虚空瞬動を行い、エヴァンジェリンの懐目掛けて飛んだ。だというのに、エヴァンジェリンにはその動きがまるで止まって見えた。

 そして理解する。

 これは、走馬灯だ。

 青山が手に持つ最後の刀。あれを逃れる術なんて何処にもなく、自分は斬り裂かれるより他はない。

 渾身の一撃を斬られ、その隙を捉えるまでの時間は一秒にも満たない。

 瞬きする暇もなく、エヴァンジェリンの身体は斬られる。その事実をただ静かに悟ったとき、少女の脳裏にあらゆる思い出が駆け抜けた。

 死の間際。振り返る記憶達。五百年にも及ぶその記憶を、瞬きよりも早く駆け抜ける。

 あぁ、死ぬんだ。

 私はようやく、死ねるんだ。

 そのことへの嬉しさ感じると同時に、記憶の中の彼の姿を見て、同じくらいの悲しさを覚える。

 ナギ。

 せめて、もう一度だけ。

 もう一度だけその笑顔を見たかった。

 ゆっくりと迫る青山の姿すらその瞳にはもう映らない。エヴァンジェリンの中にある、あの強くて優しい笑顔が、何度も何度も繰り返し再生され、記憶にしかない彼の姿に──

 

 直後、ゾッとした。

 

「待て……」

 

 言えるはずのない言葉が漏れた。しかしその間にも青山は迫り、ナギとの思い出、『人として生きた記憶が再生されていく』。

 だからゾッとした。

 何で貴様は。

 何で。

 何で!

 

「何を、見ている……」

 

 視界の片隅、月光を浴びて落ちてくる青山は、エヴァンジェリンと同じものを見ていた。

 エヴァンジェリンという少女の記憶で、唯一色あせず輝きを放つ大切な記憶の塊を、青山という修羅は喜悦に見開かれた眼と、三日月のように釣りあげた口角から唾液を滴らせ、食指を働かせている。

 何よりも雄弁だった。

 お前のソレを斬るのだと。

 青山の眼光が何よりも強く語っている。

 恐怖。これまで生きてきた中で最大級の恐怖が彼女の身体を駆け抜ける。

 止めろ。それだけは止めろ。

 命なんていらない。だから止めろ。

 止めろ。

 止めて。

 止めてください。

 お願いですから、これだけは止めてください。

 これは。

 この輝きは、なによりも大切なあったかいものなんだ。

 

「嫌だ……」

 

 いつ振りの涙なのか。止まった世界で涙が溢れるのもおかしいが、エヴァンジェリンは涙を流していた。

 それが嫌だ。

 貴様が、貴様が斬ろうとしているものだけは。

 

「嫌だ!」

 

 信じてすらいない神にすらエヴァンジェリンは祈った。

 誰でもいいから助けてくれとエヴァンジェリンは叫んだ。

 死よりも恐ろしいことが待ち受けている。人の可能性を終わらせた修羅の手によって、死ぬことが救いになるような斬撃が起きようとしている。

 命を斬るのではない。

 斬るのはひたすら、命の輝き。その一点。

 一太刀で輝きを暗黒に落とす。魔性の煌めき。

 修羅の剣。

 

「やだぁ!」

 

 止めてくれ。

 頼むから止めてくれ。

 それを斬らないでくれ。

 この大切な宝物だけは。

 これだけが。

 これしか、私の世界でこれだけが!

 

 月光を反射する鋼の色。

 

「あ、きれい」

 

 そして最後にその冷たい光に魅せられて、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの優しい記憶─魂─は。

 

 響き渡る鈴の音色。

 

 斬られてばらばら、闇に消えた。

 

 

 

 

 

 頭を撫でる優しい感触と暖かい笑顔と共に告げられた、とても大切な約束の言葉。

 あなたがくれた、私とあなただけの小さくて、でもとてもあったかい誓いの言葉。

 眩しい太陽に目を細めながら、掌の先を見ると、子どものように無邪気で、曇りのない太陽の笑顔がそこにある。

 

「光に生きてみろ」

 

 ごめんなさい。

 私は子どものように泣きながら、斬れ落ちるあなたに謝った。

 

 鈴の音色が、響き渡る。

 

 

 

 

 


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