『――次のニュースです。昨夜、京都で私有地の大規模な崩落が起きました。近隣の住宅街から離れた山であるため現在のところ住宅等に被害はないですが、近隣の住人の多くが夜中に鳴り響いた崩落時の騒音で体調を崩しており、現在多くの住人が病院で治療を――』
「よし、お昼にしよか」
『――の発表によると、謎の崩落は地震によって山の地盤が歪んだことが原因とされていますが、専門家によると――』
「お姉さま! お姉さま!」
『――いいえ、山が崩れる音というよりかは、鈴の音色というか、えぇ、りーん、って、凄い、綺麗な、音色がですね。凛と、凛と、りーんって、凛と、透明で、とても綺麗で、心に染み渡るような。……すみません、これから斬りやすい包丁を買いに行かないといけないのでこれで――』
「もう、手間のかかる子やなぁ。……あーん」
『――近隣住民の方々へのインタビューではいずれも鈴の音を聞いているらしいのですが……佐藤さん、これはやはり今回の崩落に何か関係があるのでしょうか?』
『そうですねぇ。おそらくですがあまりの轟音に耳鳴りを起こして、それを鈴の音色と勘違いしたということでしょうか、住民の方々の不調もその轟音でPTSDに似た――』
『――病院では自傷行為を行う住民も居るとのことで――』
「あむ、もぐもぐ……おいしー! ……ふふ、次、ウチがお姉さまに食べさせますー」
「ん、ありがとー」
『――現在は周辺への立ち入りが規制されており、上空よりの映像も禁止されているため詳細は把握できず、記者会見にて京都大震災との関連を質問しましたが警察はこれを否定。ですが一部では大震災で謎の光が街に降り注いだという話も出ており、後日行われる京都大震災対策チームによる会見にて、改めて事件との関連を――』
「ふぁ……お腹いっぱいになったら眠くなってきたなぁ」
「じゃあ早く宿に戻らないとー。えへへ、お姉さまと一緒ですー」
「……案外図太いなぁ」
『えー、先程入った情報によると、事故現場周辺からさらに規制範囲が広がり、現在は周辺の住宅街全域が規制範囲となっているとのことです。警察によると崩落によるガス漏れが原因とされ、近隣住民の避難は――』
テレビでは物騒なニュースが流れているというのに平然と食事をとり、風に揺られる風船のようにふわふわと眠たげに頭を揺らす木乃香ちゃんと、そんな木乃香ちゃんの腕に抱き付いてニコニコ笑顔の……月詠さん? を見て、なんというか脱力してしまった。
木乃香ちゃん達の気を探り当てて合流した俺は、仲睦まじく小さな食堂で食事する二人の傍ら、店の隅に置かれたテレビより流れるニュースの映像を見て小さくない驚きを覚えていた。
まさかニュースで昨日のことが流れるとは驚きである。一応、映像は撮れないように規制はされているようだが、報道関係を完全に規制することが出来なかったということは、もしかして隠ぺい出来ないレベルまで関西呪術協会の力が弱まっているということなのだろうか?
「えっと、月詠さん」
「はいー?」
「事後処理しきれてないんだけど、協会側はどうしたのだろうか?」
「うーん……ウチ、あんま協会内部のことには疎くてー。ごめんなさいー」
そう言って軽く頭を下げる月詠さん。まぁ嘘を言っていないのは分かるので、これ以上聞いても無駄だろう。
一先ず、分かっていることから解決することにせねば。
状況的に考えても、今の俺の立場が危ういのは事情を明らかである。
俺は木乃香ちゃんを真っ直ぐに見つめた。
「木乃香ちゃん」
木乃香ちゃんも真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
その眼。
将来を感じられる素晴らしい瞳の強さへ――。
「俺達、別れよう」
「へ?」
ん?
―
食堂を出た響は、木乃香たちを引き連れてそのまま近場の公園へと足を運んだ。
そしてベンチに座った二人に買ってきた缶ジュースを手渡すと、改めて自分の考えを説明しようとするが、それよりも早く木乃香が釘を刺してきたのだ。
「そんなん嫌や」
「お姉さまが嫌ならウチも嫌ですわー」
懇切丁寧に説明したというのに、変わらぬ笑顔で見事拒否された響は、どうしたらいいものかと頭を抱えたくなってしまった。
いや、拒否されるのは師匠冥利に尽きるし、嬉しく思うのだが、だからと言って現状を考慮すれば今はこの案しかないと響は思うのだ。
「……正直、いつ神鳴流、関西呪術協会、そして最近協会と提携した関東魔法協会に今回のことが判明するのかは時間の問題でしかない」
「つまり?」
「事件の主犯である俺が遠からず賞金首として手配されるのは明白だ。だから、俺とはここで別れて暫くは元の生活に戻るほうが賢明だろう」
「もう、というか最初からそう言うてくださいよ。いきなり別れようなんて、ウチら付き合ってると勘違いしてもうた」
「いや、それはもうすまない」
「おかげで気まずくなってお店出なあかんかったやないですか。全くもう、響さんの舌足らず、斬りキチ、チューニ病」
「お姉さまー、チューニ病って何ですかー?」
「えっと……響さんみたいな人のこと。ちなみにウチは中三や」
「中三ってことは、お姉さまは響さんより偉いんですかー?」
「ふふーん、ウチが一番お姉ちゃん」
「凄いですー、流石ウチのお姉さま」
「月詠ちゃん、いえーい」
「お姉さま、いえーい」
ハイタッチし合う木乃香と月詠の緩々な空気に響は疲れた風に肩を落として嘆息した。
「……真面目に聞いてくれ、頼むから」
図太くなりすぎだろうと、内心で響は木乃香にそうぼやいた。
さておき、別れるべきという言葉だけでは足りなかった不足分はちゃんと説明出来た。そのうえで拒否されたことに対してどう説得するか考えるべきだろうと響は考える。
木乃香たちに説明した現状を纏めると以下の通りだ。
青山宗家および神鳴流高弟とその門下多数を殺傷。さらに私有地を破壊しつくして逃走。そして先程のニュースを見る限り、完全な隠ぺいは困難であり、下手したら裏社会の存在が公にされる危険もあり。
幾ら響が京都を襲ったリョウメンスクナを倒したとはいえ、帳消し出来る問題ではない。むしろ、リョウメンスクナの件は自演だったと言われ、再び関西と関東の間に不信という名の亀裂が走る可能性も考えられる。
何よりあの鶴子が何も残さずに、自分が望んだ青山完成の場に赴かないはずがないだろう。
鶴子であれば自宅に証拠を幾つも残して、青山として完成した自分か素子のいずれかを、脅威として裏社会に認定させる手筈は整えているはずと響は内心で唸る。
いずれにせよ響が今回の件で賞金首にされるのは不思議ではないのだ。
そう説明しているはずなのに別れることを拒否する二人を説得する言葉が響には見つからず、仕方なくもう一度言葉を繰り返すしか方法がなかった。
「ともかく、だな。……君達は麻帆良に戻るといい。本当は修行をつけてあげたかったんだが、俺と居ると君達にまで迷惑がかかる」
故に響は断腸の思いで木乃香にそう告げるのだ。本当ならこのまま木乃香をこの手で育て上げて、完成したところで斬れるまで斬りたいと思っているのだが、そうは言っていられないだろう。
「でも……」
だが木乃香は納得いかないのか不満を露わにしている。彼女としても、響という目標を目指すからこその今であり、そして彼の元を離れて、今更日常に戻ることなど出来ないことは分かっていた。
もう戻れる場所には居ないのだ。木乃香は青山に斬られることで治癒という在り方を捻じ曲げられ、癒しの外道へと足を踏み入れた。後ろには道は無く、きっと自分には前に進んでそのまま倒れるか、あるいは進みきって到達するかしかないのだと理解している。
だからはいそうですかと納得できるわけがないのだ。
柔和な笑みの内側、不動の意志を奈落の如き眼から発する木乃香の考えも分かるからか、響も言葉に詰まって唸る。
「無論、ずっとと言うわけではない。事が済めばまた君を――」
「ウチのこと斬り殺したくせに」
「む……」
「ウチのことを響さんので沢山貫いて、痛くて、嫌で、血が沢山出て、止めてって何度も言うたのに、何度も何度も突き立てて……ウチのこと好き勝手に乱暴したのに、捨てるんですか?」
それ以上何も言わずにじっと響の顔を下から覗きこんでくる木乃香。
「いや……」
「……」
「ぐ……」
他人が聞けばとてつもない誤解を生みそうな言葉にまずは何か一言告げようと口を開きかけて、木乃香の無言の圧力に押し黙る。
確かに。
いや、少しばかり語弊があるが、確かに木乃香の言葉は事実だ。
だが自分はあの時、『まともだったのだ』。
だから仕方ないではないか。
まともだったのだから木乃香に証を突き立てた。
今は違う。
俺は、狂っている。
「……はぁ」
――そんなものは言い訳だ。
響は脳裏に浮かんだそれらの言葉を溜息と共に出し尽くした。
そして改めてこちらを覗きこむ木乃香へと視線を落とす。
真剣な瞳。
絶対についていくと決めた意志。
貴方を必ず癒し尽くすと。
そう、決めているのだ。この
「……分かった」
「ホンマに!?」
「ただし、君はまだ隙が多いから無理はさせない。……君を斬るのは、俺だから」
絶対に、必ず。
君が俺を癒したいと思う以上に。
俺は君を斬りたくないから。
「きっと、斬る」
「あはは!」
木乃香は嗤った。
「それ、殺し文句って言うんですよね?」
その狂気を嗤えるのが可笑しいから、嗤うのだ。
―
力強く開かれた学園長室の扉は開かれた。
扉が悲鳴をあげてギシギシと軋む程の膂力は、それを行った者の感情を如実に表わしている。だがそれだけでは測れないほどの強い怒りを纏いながら現れた少年、ネギ・スプリングフィールドが何故そこまで憤りを覚えているのか分からず、近右衛門はアポイントも無しに来訪したネギを咎めることも忘れて沈黙してしまった。
だが今のネギは何を言っても止まることはなかっただろう。普段の知的な雰囲気は潜み、大人すらも怯えるような鬼気迫る表情で近右衛門に詰め寄り、机に乗り出してその胸倉を掴み上げた。
「何故、黙っていたんですか!?」
「ネ、ネギ君……まずは落ち着いて――」
「これが! こんなことをされて! 落ち着いていられますか! 人事関係をどうして僕が言った通りのメンバーを勝手に変えたんですか!? 答えてください!」
人事関係という言葉で、近右衛門は何故ネギがここまで憤っているのかようやく理解できたが、同時に何故そこまで憤るのか理解出来ずに余計混乱していた。
当初、京都行きのメンバーと学園に残るメンバーは、計画を提案したネギがそのまま自分で決めて、それに教員の誰もが同意をした。
しかしその後、残留メンバーに選ばれていた響が自ら学園長に申し出て、自分が京都に行くこと、そしてそのことを出来るだけ外部に漏れないように秘匿するように頼み込まれたので、近右衛門はその通りに周囲には公言しなかった。
その理由は周囲にあらぬ誤解を与えるというためである。とは言って、まさかネギが真っ先に怒りを覚えるとは思わなかった。
「ま、まずはその手を離してくれんかのぉ……これではおちおち落ち着いて話も出来んわい」
「……失礼しました」
近右衛門に言われて渋々手を離したネギだが、それは辛うじて残った理性を総動員して自制しているだけであり、いつ再び怒りを露わにするか分からないのは目に見えていた。
――これはのらりくらりと話すわけにはいかんのぉ。
襟元を正しながらそう考えた近右衛門は、隠すこともないだろうと響との話をネギに告げることにした。
「……彼が扱う神鳴流という流派については知っているかの?」
「はい、身に染みて」
「そうか、それなら話が早いのじゃが……彼たっての希望での、その神鳴流秘奥の修行場に向かうことになったのじゃ」
「……理由を伺ってもよろしいですか?」
言葉とは裏腹に、全て話せと言外に告げるネギの気迫に、近右衛門は背中がびっしょりと濡れる程の脅威を覚えた。
だが響が木乃香に術を教えているということを教えていいのだろうか。
「……学園長」
思案の最中、近右衛門の葛藤を射抜くようにネギが睨んできた。
早く話せ。
でないと、取り返しのつかないことになる、と。
そんな焦燥すら感じられるネギの視線に、近右衛門は遂に折れ――。
「……実はの、少し前から孫娘が青山君の元に――」
告げられる真実。
直後、憤るでもなく凍り付くネギの表情が意味することを、近右衛門は、まだ、知らない。
次回、死都。
久しぶりのせっちゃん登場。