【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

63 / 80
第四話【「立ち上がれ」とは言えないけれど(下)】

「話を……!」

 

「うあぁぁぁぁぁ!」

 

 明日菜の呼びかけごと斬り捨てるように、刹那は打ち合わせたハマノツルギもろとも明日菜を吹き飛ばした。

 

「ッ……この、分からず屋!」

 

 咸卦法を使用していなかったとはいえ、一方的に膂力で負けた明日菜は内心の動揺を隠しつつも、地面にハマノツルギを突き立ててネギより背後に吹き飛ぶことは辛うじて堪える。

 しかしその一手を行う間に刹那の姿が明日菜の視界より消えた。だが明日菜の感覚は真横に捉えた刹那の姿を逃してはいない。半ば本能で引き抜いたハマノツルギが再度夕凪の刃と噛み合って火花を散らす。

 

「明日菜さん!」

 

「下がって! 大丈夫!」

 

 援護に入ろうとするネギに振り返ることなく明日菜はそう言い切ると、その直後、明日菜の身体から放たれる力が爆発するように膨れ上がった。

 魔力と気。相反する力を混ぜ合わせるという、達人ですら到達できる者は一握りしか存在しない究極の一。

 咸卦法。卓越した技量と経験が合わさって初めて操れるその技を、明日菜は刹那と鍔迫り合っている最中に発動してみせたのだ。

 

「おらぁぁ!」

 

 同時、乙女に似つかわしくない男らしい気迫に合わせて、先程のお返しとばかりに刹那を強引に薙ぎ払った。

 だが明日菜は決して油断することなくハマノツルギを構え直す。欲しかったのは態勢を立て直す時間のみ。現に遥か上空に吹き飛ばされた刹那は、虚空で一回転し羽を広げてその場にとどまった。

 

「……やっぱ剣術じゃ叶わないか」

 

 薙ぎ払ったのではない。薙ぎ払いをさせてもらったのだ。

 明日菜の咸卦法が脅威と悟った直後、刹那もまた一呼吸置く時間を欲したからこそ、あえて明日菜の刃の勢いに体を乗せただけ。

 たった一合。だが明日菜は、出力はともかく力を操る技術で遥か劣っている自分をまざまざと自覚させられた。

 ――だからどうしたってね。

 明日菜は獰猛に笑うと、天使の如くゆっくりと地表に近づく刹那へと躊躇いなく飛びかかった。

 疑問はある。

 迷いはある。

 だが、覚悟はある。

 

「ちょっと痛いけど許してね刹那さん!」

 

 小難しいことは倒してから考えればいい。

 物事が少しでも複雑になった時、すぐに短絡的になれることは彼女の短所であるが、同時にこういった場においては何よりも優れた長所なのだ。

 下から掬い上げるように放ったハマノツルギの腹部分が刹那の脇腹目掛けて加速する。咸卦法を操り、思考を切り替えた明日菜の一撃は先程までの比ではない。対峙する者には人間大のミサイルが襲い掛かってくるかのような威圧感を与えてくる感情と肉体の熱量は、だからこそ今の刹那には耐えられないくらいの重圧となっていた。

 

「来るなぁぁぁぁ!」

 

 明らかな動揺を露わにしながら、刹那は空を軽やかに舞ってハマノツルギを掻い潜った。思考とは裏腹に、練り上げた技術は主を決して裏切らない。洗練された技術に混沌とした感情を乗せられた夕凪は、本人の戦意とは関係なく、急所を的確に突いていくのだ。

 だが明日菜の本能は卓越した達人の刃にすら追いすがる。

 幾重と連なる鋼鉄の残響と赤く弾ける光。

 空を自在と舞う白い輝きに、稲妻のような軌跡を描く閃光は纏わりついて離れない。

 振り払えないし、斬り落とせない。

 一か月前は戦いなど殆ど知らなかった明日菜に苦戦を強いられているその事実に、恐慌状態の片隅で刹那は僅かな憤りを覚えた。

 否、これは相手へのではなく己への憤りだ。

 一ヶ月。

 そう、一ヶ月は自分もそうだ。

 青山素子の元で武を磨いた日々。一か月前の自分とは比べ物にもならない強さを手に入れたはずだ。

 

「斬空閃!」

 

 虚空瞬動で追いかけてくる明日菜へと、苦し紛れに気の刃を無数と放つ。だが迷いから選ばれた選択肢が正しいはずがない。

 

「この程度!」

 

 その心境を表すように集束もされていない気の塊など避ける必要すらない。突き出すように構えたハマノツルギが、襲い掛かる気のことごとくを逸らし、あるいは消滅させた。

 その光景に目を見張るのも束の間、刹那を間合いに捉えた明日菜は振りかぶった峰が前に来るように返して構え直したハマノツルギを全力で振り下ろす。

 

「おりゃあ!」

 

「ぐぅ!?」

 

 技で隙を作るどころか技の隙を突かれた刹那は辛うじて夕凪で受けることに成功するものの、咸卦法の力を全力で注ぎこんだ明日菜の一撃に押されて、絡み合うように地表へと落ちていった。

 このまま地面に押し込むつもりなのか。

 だがその程度ならば気で強化された肉体はさほどの痛打にはならない。それでも充分なダメージがあるのを覚悟して歯を食いしばって明日菜を睨み、ふと、その視線が己を見ていないことに気付いた。

 

「ネギ!」

 

 明日菜の声に反応するように、刹那は迫りくる地表から肌を焦がしてくる魔力の嵐に総身を震わせた。

 咄嗟に振り返る。その先に立つのは、風精影装に魔法を装填した、全身より紫電を漏らしながらこちらを見上げるネギの姿。

 

「く……」

 

「逃がさないわよ!」

 

 このままではやられる。そう悟って離脱しようとする刹那の手が明日菜に捕まった。女子にしては大きい明日菜の手は夕凪を掴む刹那の手を掴んで離さない。

 

「だが、このままでは貴女も……!」

 

 ネギの体に装填された魔法の規模は素人が見ても直撃すれば戦闘不能は免れないものだ。

 しかし刹那は直後、不敵に笑ったままの明日菜を見てそれが間違いだったと悟る。

 

「まさか……」

 

「もろとも? 最初っからそのつもりだってのぉ!」

 

 明日菜の役割は相手を倒すことではない。

 ネギという最大火力を存分に生かしきるための盾。理想的な魔法使いの従者として、あくまで守勢に特化した在り方ならば。

 ゾクリ、と刹那の背中が冷えた。空気が張り詰め、充満していた血潮による湿気すらも乾いてくような感覚。それは地表が近づくにつれて増大していき――。

 

「『解放固定』」

「『戒めの風矢・255矢』」

「『雷の暴風』」

 

 風精風装を纏ったネギのみが扱える同時詠唱法。初めて見た者からすれば別々の言葉を同時に発声しているという奇怪なものに見えただろう。だがそれも精霊を介して分身体を行使できるネギだからこその芸当。そしてその脅威は、決して見世物で終わるものではない。

 明日菜とは対極に凍てつくような戦意を言葉に乗せて、ネギ・スプリングフィールドは己の内側に込めた弾丸を両手へと送った。無詠唱を除けばまさに最速の術行使によって本体に走る二つの魔法の負荷は、鋭い痛みを脳髄に与えるが、表情には痛みを出さずにあくまで淡々と魔法を練り上げていく。

 これが風精影装のヴァリエーション。己が分身に別種の魔法を持たせ、それらを本体である己が融合させて新たなる魔法を最速で作り上げる魔法の新しい在り方。

 

「『術式統合』」

 

 身体の中にある歯車が噛み合って回転するようなイメージ。血潮は熱く、しかし心は冷徹に目標への距離を算出し、駆けだす足は術式兵装による残像を残して、一筋の雷鳴と化したネギは、世界の理に抗うが如く空へと飛翔した。

 

「『縫い付けろ』!」

 

 合わせた掌を開くと、その間を糸が引いたように紫電が幾つも走った。だがそれは単なる自然現象ではなく、まさに鎖の如き質感を持ち、夜を輝かせながら主の命に従って何もかもを絡め取る。

 

「『雷鳴の牢獄』!」

 

 オリジナルスペル『雷鳴の牢獄』。

 雷の暴風の破壊力を全て荒れ狂う雷の鎖へと変換されて放たれた力は、まず至近距離でそれを見てしまった刹那の目を潰すには充分だった。

 

「ぎぃ!?」

 

 直後、刹那は己の身体を焦がすような熱を持った鎖が体に絡みついて苦悶の声をあげた。幾ら捕縛用に変換したとはいえ、本来は広域殲滅魔法だ。むしろ無数とはいえど鎖の形に凝縮された鎖の数々は、触れれば信じられない熱で相手を焦がす非道な魔法とも言えた。

 そして一本でも絡まれれば後は蜘蛛の巣に捕らわれるが如く、刹那の身体のあらゆる箇所に雷の鎖は絡みつく。まさに一度捕われれば二度と逃れられぬ牢獄は、連鎖して刹那の全身を包み込んだ。

 

「ぃぃぃうぁぁぁぁぁ!」

 

「ッ、逃げる!?」

 

 だが次の瞬間、内側から暴れ狂う力が鎖を震わせ、瞬く間に全ての鎖が引きちぎられて再度純白の翼が夜に瞬いた。

 それだけではない。鎖を引きちぎった渦を巻く気はそれそのものが刃と化している。まるで花びらのように周囲に咲き乱れる気はそのまま膨れ上がっていき、傍に居たネギを巻き込む直前、虚空瞬動で間に合った明日菜がその体を抱き上げて後退した。

 秘剣、百花繚乱。

 鳥族という魔としての膨大な気と、人として培った絶え間ない修練による技術。

 暴走した故に合わさった二つの特性が放った秘技は、周囲の死骸や電灯等を根こそぎ引き寄せて規模を膨れ上がらせる。

 

「ネギ!」

 

「抑えは任せました!」

 

「了解!」

 

 だが災害に等しい力を目の当たりにしてもネギと明日菜は怯むことはない。言葉少なく、しかし思いは雄弁に交わした後、再度魔法の装填を始めたネギを置いて、明日菜が空を蹴った。

 

「やぁぁ!」

 

 臆する要素は何処にもない。

 絡みつく空気の壁すらハマノツルギで貫いて、音を超えた人型の弾丸は十階建てのビルに匹敵するほど巨大化した嵐に楔を打ち込んだ。

 直後、嵐の中から二つの影が飛び出した。幾度目かの鍔迫り合いを行いながら、明日菜が刹那を押しながら空へと駆け上がる。

 流石に服は気によって傷ついているが、明日菜の身体には傷は一切ついていない。あの嵐すらハマノツルギと無効化能力体質の前には無力だというのか。刹那より余程化け物的な能力を披露してみせる明日菜に、刹那は引きつった笑みを浮かべるばかり。

 だが刀そのものを打ち消すことは出来ないはずだ。圧力を増す明日菜を巧みにいなしつつ、流麗と弧を描く斬撃は雑念など無いかのように急所へと駆ける。

 鋼鉄の軋み。

 弾む音色。

 汗を滲ませ、死地を堪え、明日菜は叫ぶ。

 

「話を聞かせてよ!」

 

「聞かせる道理など……!」

 

「でも、刹那さん。苦しそうじゃない!?」

 

 華散り、刃鳴り散らす。

 斬り結ぶ刃のように、容易く結べる言葉が見つからないもどかしさに明日菜は唸りつつも叫んだ。

 

「苦しいなら言ってよ! 言わないとわからないわよ!」

 

「言わずとも、貴女も見たはずだ! 散らばった臓腑と悶死した人々の顔! 私がやった、私が斬った! それ以上に必要なことは――」

 

「あるわよ!」

 

「何を!? 何を語れというのですか!?」

 

「きゃあ!?」

 

 渾身の袈裟斬りが明日菜を傍にあったビルへ吹き飛ばす。窓ガラスなど平然と砕いて、中のオフィスを壊滅させた。

 

「こ、のぉ……」

 

 ――油断した。でも大丈夫。まだ立てる。剣はある。

 痛む暇すら惜しいと明日菜は立ち上がる。頭を打ったせいか視界が僅かに朦朧しているが弱気になんてなれないのだ。だからこそ前を向き、そして見た。

 

「何もないのです。もう、私は駄目なんですよ……」

 

 砕けた窓ガラスから覗く月を背にして、月光に刃と翼を濡らしながらオフィスへと降り立った刹那の顔は見えない。

 

「刹那さん……」

 

 だが明日菜は影で隠れた刹那の瞳からとめどなく流れる涙の雫が夜に溶けるのを見たのだ。

 器に入らなかった悔恨が涙という形を得て溢れている。どうしようもない現実や、どうしようもない自分、どうしようもないから流れる涙はきっと――。

 

 ――大丈夫ですよ、明日菜さん。

 

 大丈夫ではないのに、大丈夫と言ったあの雨の日のネギと同じものだった。

 

「……ッ!」

 

 自分は大丈夫。

 自分は駄目。

 まるで違う言葉なのに、心に根付いた葛藤は同じだ。

 ――間違えてはいけない。

 その果てはきっと何者にもなれない悲劇のみだから。

 

「……駄目なんかじゃないですよ刹那さん」

 ――故に、その間違えを正すのは、同じ過ちを犯しかけた者。

 刃に似た月の輝きが、それ以上の輝きにかき消される。夜に生まれた太陽の顕現を背後に感じた刹那は、目を細めながら後ろを振り返ってその正体を見つけた。

 

「明日菜さん」

 

「うん、任せた」

 

「はい」

 

 周囲に空気を弾く紫電を放出しながら、千を超える雷を束ねた光の籠手を両腕に装着したネギが、淀み切った刹那の瞳に光を指す。

 戦略兵器に匹敵する恐るべき魔法、『千の雷』。そんな規格外を己の体に弾丸として装填するという荒業を行って手に入れたネギの切り札。

 術式兵装『雷轟無人』。

 加減を間違えれば街そのものを消滅させる魔法を選択したのは、今の刹那に中途半端な在り方で相対するのが間違っていると思ったからこそ。

 いつだって、真っ直ぐで全力な思いこそが、人の心を突き動かすのだと、ネギと明日菜は信じている。

 

「ふ、はは……」

 

 だがそんなネギの覚悟など知らない刹那は、ついにこちらを殺す覚悟を決めたのだと勘違いして自虐的な笑い声をあげた。

 人を殺した化け物を殺す。

 人を殺した殺人鬼を断罪する。

 理由はどちらか知らない。

 

「だから、見られたくなかったのに」

 

 刹那が戦いを仕掛けなければこのようなことにはならなかっただろう。

 だが今の刹那にはそんなことが思いつく余裕など当然存在しなかった。冷静な思考なんて、幼子をその手にかけた瞬間に失われた。

 自暴自棄で、八つ当たりをするだけのはた迷惑な少女。

 なまじ人には過ぎた力を持っているからこその今。

 掴んでいる夕凪は、悪鬼に扱われている悲劇に悶えるように鳴いた。

 そんな自分すらも優しい眼差しで受け入れようとするネギが苛立たしい。

 どうしてそんな目で自分を見るのか。

 憐れみか。

 蔑みか。

 ――もしくは殺意であったなら、私は今度こそ化け物になりきれるはずなのに。

 

 ――なんで貴方は、貴方達は……!

 

「その目を止めろぉぉ!」

 

 背後の明日菜が襲ってくる可能性すら忘我して、雷轟の籠手を構えたネギへと刹那は飢えた獣のように唾液を撒き散らしながら飛びかかっていった。

 奥義、斬岩剣。

 籠手ごと斬り捨てるつもりで、全開にした気を夕凪に注ぎ込み、虚空瞬動の勢いを乗せて刹那の刃がネギを襲った。

 だが斬撃を予測したネギの籠手が夕凪の刀身とぶつかり合う。瞬間、発生した衝撃波が無事だった窓ガラスを破砕させて木々を揺らす。

 

「この程度……!」

 

「ぐっ……!?」

 

 それでもネギの籠手を断ち斬るのはおろか、傷一つ与えることすらできなかっただけではなく、夕凪を通して身体に走る鋭い痛みに刹那は悶えた。

 籠手の余剰エネルギーが触れた相手に雷撃を走らせるのだ。

 中途半端な攻撃は返って己に害をなす。咄嗟に籠手で覆われていないネギの生身部分を蹴飛ばして離脱した刹那は、そんな己の思考に鼻を鳴らした。

 

「中途半端、そう、そうだ、今の私はどっちつかずの中途半端……」

 

 中途半端な自分が、あの籠手を斬れるわけがない。力の上下など一切考慮に入れずとも、直感として刹那は確信してしまった。

 ネギは腹を蹴られて咳き込むも、すぐに虚空瞬動で空を蹴って刹那を追撃する。

 

「えぇ、今の貴女は中途半端だ! どっちつかずで、八つ当たりしか出来ない人になってしまっている!」

 

 言葉と共に籠手から放出された無数の雷が刹那を強襲した。槍の如く投擲される一撃は、連射弾だというのにどれもが重く鋭く速い。辛うじて直撃弾をいなしていくが、触れると共に流れる電流も相まって数発もすれば掌の感覚が鈍くなっていた。

 

「そうなる前にどうして誰かに助けを求めなかったのですか!? どうして一人でこんなことをし始めたのですか!? 貴女の傍には木乃香さんだけではない、クラスの皆は貴女を心配していましたよ!?」

 

「皆……」

 

 だが、弾丸豪雨の雷以上にネギの言葉が刹那の砕けた心をさらに痛めつけていく。

 思い出すのはあやかの安堵した表情と、クラスの皆の姿。心から自分のことを心配してくれていたのだと分かる彼女達の優しさを。

 

「一人で出来ることなんてたかが知れてる! そんなこと誰だって知ってる! 誰だって――」

 

「でも、それが出来なかったからの今だ!」

 

 訴えかけるようなネギの言葉ごと、雷の雨を抜けた刹那は斬りかかった。

 元が魔法とは思えない硬質な手応え。奥歯を噛みしめて夕凪の衝撃に耐えきったネギは、涙を拭うことすら忘れた刹那の悲痛な叫びを聞いた。

 

「相手は青山だ! アレが、あんなものをどうして誰かに言える!? 誰に言えばいい!? あんなものからお嬢様を救ってくれと言って誰が頷いてくれるんですか!?」

 

「それは……」

 

「言えないさ! 言えるわけがない! 同じ青山にでも相談するか? 意味無い、そんなことに意味は無い! 素子様も所詮、青山だ!」

 

 ネギには刹那が何を言っているのか理解出来なかった。だがそれでも、刹那が何故このような状況になったのか、その一端を悟ることは出来た。

 故に、怒りに顔を歪める。

 青山。

 また、青山。

 

「貴女も……!」

 

「そうさ! 見てくださいよネギ先生! この街は青山共の末路だ! 修羅が修羅を食らい合った蠱毒の残りカスさ!」

 

 その惨劇を知っていたのは自分だけだった。理由を悟れるのも、察することが出来たのも、あの時、あの場所では刹那だけだったのだ。

 だから立ち向かおうとした。

 だから逃げようとした。

 だから立ち向かえなかった。

 だから逃げられなかった。

 

「なんで、もう少し……!」

 

「刹那さん……!」

 

「もう少し早く、来てくれなかったのですか!?」

 

 あと一日早くネギと明日菜がここに訪れていてくれたら。

 故にそこでやっと理解した。この八つ当たりの理由を刹那とネギは同時に悟った。

 

「貴方達が遅かったから私はぁぁぁぁぁ!」

 

 籠手に押し込んでいた刃を再度振りかぶり、怒りを込めて叩き込む。

 

「ぅぁぁぁぁぁ!?」

 

 その衝撃に耐えきれず、ネギはコンクリートの大地へと墜落した。粉塵が高く巻き上がる。次いで、近くの家屋が砕けた地面の溝に引きずり込まれて沈んでいった。

 

「私は! 一人だった! 誰も、誰も居なかった! 誰も、誰も! うぅ、うあぁぁぁぁ! あぁぁぁぁ! うぁぁぁぁぁぁん!」

 

 家屋の倒壊に巻き込まれたネギを見下ろしながら、刹那は肩を震わせて大声で泣きじゃくった。

 関わることが死よりも恐ろしい結末になる青山。

 そこに捕らわれた木乃香を救いたかったけれど、同時に刹那はアレに斬られるのが怖くて堪らなかった。

 傍には誰も居ない。

 助けは存在しない。

 唯一助けを求められるような相手も――所詮は、青山。

 神鳴流の同門も、相手が青山と知れば誰もが躊躇うことだろう。

 だから一人だった。刹那はあの日、誰よりも孤独なまま、惨めで無様ながらに、あの冷たい修羅場に抗おうと必死だったから。

 

「違う!」

 

 そんな少女の涙を止めるべく、崩落した家屋を突き抜けて一筋の閃光が夜空へと舞い上がった。

 

「それでも貴女は、ここから逃げて、助けを求めることは出来たはずだ! 可能性は少なくても、それだけが木乃香さんを救う手段だったならそうするべきだった!」

 

「で、でも……でも!」

 

「少なくとも僕は間に合わないかもしれないと覚悟しながらもここまで来た! そして明日菜さんもそんな僕を信じてついてきてくれた! 逃げるか、立ち向かうか。選ばないなんてことはしなかった! それが一番辛いんだって貴女にも分かるでしょう!?」

 

 瓦礫で切れた額から流れる血が瞼から滴るが、ネギは拭うのすら手間だと、そのまま真っ直ぐ刹那を見つめている。

 そして、顔の前に掲げた右手を、何かを繋ぎとめるように強く強く握り締めた。

 

「そうさ、僕も貴女も、選ばずにいるのは楽で、でも選ばずにいるのは苦痛だと知っている!」

 

「わた、私……」

 

「確かに青山さんは恐ろしい。あの人を知っている人間で、尚も立ち向かえる人なんて……それこそ化け物くらいしか存在しないかもしれない」

 

 でも可能性があるなら訴えかけるべきだった。

 もしも本気で何かを願うなら、零に近い可能性にも手を伸ばして、諦めるのはそれからでも遅くはないから。

 だが刹那は駄々をこねるように戦慄くと、絞り出すように痛みを訴えた。

 

「だけどもう遅いじゃないですか……! 今更、どうしようもないじゃないですかぁ……!」

 

「刹那さん」

 

「私はもう、立ち上がれません……人を斬ったのです。音色に狂ったとはいえ、何も知らない人を斬った。どうしようもなく折れてしまって、ウチは人を斬ってもうた……!」

 

 犯した罪はもうどうしようもない。

 砕けた心を再び紡ぎ合わせようにも、啜った血の香りが刹那に重く圧し掛かっている。

 

「そんな私なんて!」

 

 刹那はネギの意志を拒絶して、夕凪へあらん限りの気を乗せた。

 白熱する轟雷に対するのに相応しき閃光が夕凪を中心に膨れ上がる。それは雷へと変質した気は、担い手の葛藤を示すように暴れ狂い揺れ惑って。

 

「私なんかぁぁぁぁ!」

 

 神鳴流決戦奥義。真雷光剣。

 夜を食らい貪る破滅の光は、刹那すらも飲み込んでその破壊を周囲へと撒き散らす。

 眼前に迫りくる死の予感。刹那の全力を賭した一撃は、まるでリョウメンスクナが放った一撃と同じく、直撃が死へと繋がる明確な絶望。

 

「この……!」

 

 しかしネギは怯えない。迷わない。

 決めたのだ。前に進むと誓って、木乃香を助けるべくこの地へと来たからには『覚悟』があるからこそ。

 

 招来された千の雷へ、その意志を叩き込め。

 

「分からず屋ぁぁぁぁ!」

 

 拳という撃鉄が振り下ろされると、ネギの咆哮をかき消して、右腕に装填された雷の弾丸が、世界を飲み込まんとする破壊そのものへと解き放たれた。

 眩く照らす命ある者の覚悟の意志。貫くと決めた思いは力へ、力は覚悟をさらに捻出し、繰り返す意志の発露は螺旋の如く渦を巻きながら、その規模を増して一直線に。

 例え世界が壊されても壊れない意志は、一瞬の均衡すら許さずに、刹那が放った決戦奥義を貫いた。

 

「ぅ!?」

 

 真雷光剣を砕かれ、さらにその余波に巻き込まれた刹那は津波に飲まれたように飛ばされた。

 だが負傷はないためまだ動ける。そして翼を広げて姿勢を制御するのも束の間、既に間合いを詰めていたネギの拳が眼前に迫っていた。

 辛うじて顔を逸らして逃れるが、死角を突いた蹴撃が脇腹で破裂する。軋む骨と吐き出される呼気。肉体の反射として一時的に動きが止まった刹那の胸倉を掴み上げて、ネギは力任せに地面目掛けて投げた。

 

「そうやって縮こまって目を閉じて耳を塞いで! そんなの自分しか見ていないのと同じじゃないですか!?」

 

「余裕が無かったんだ! それに私にはもう私自身だって見えはしない!」

 

「でもまだ叫べるじゃないですか!? ここに居るから叫べるんでしょう!? もしも自分さえも見えないなら泣きじゃくることだって出来ない!」

 

「見たくないんですよ! 見たくないのと見えないのは一緒のはずでしょう!? お嬢様を救おうと言い聞かせながら、青山に会いたくないから逃げて! でも後ろめたいから逃げきれずにとどまって! 滑稽じゃあないですか。こんな奴、誰だって見たくない!」

 

「滑稽なんかじゃない!」

 

「見ないでくださいよ!」

 

「だから刹那さん!」

 

「見つけてくださいよ!」

 

「貴女を引きずりだしてみせる!」

 

 繰り出す拳と刃。交差する互いの思い。だがそのいずれにおいても、雷轟無人を纏ったネギの力と意志が刹那を遥かに凌駕していた。

 だが未だ刹那は倒れていない。最早そんなことを考えられる程の余裕が刹那にはないが、百は超えた攻撃の応酬の中、ネギは刹那が見せた百以上の隙を全て見逃して戦いを続けていた。

 全てを引き出して、刹那の中にある膿を全部絞り尽くす。本来なら装填する必要のない雷轟無人を使ったのもそのため。刹那という少女を救うために、ネギが選んだたった一つの道ならば。

 戦いは限界点など遥か昔に置き去りにして、尚も際限なく加速を続けている。

 

「ゼェ……ゼェ……ハァ!」

 

「遅い!」

 

 だが永遠に続くと思えた拳と刃の激突にも終わりは訪れようとしていた。ネギと刹那。両者の間に広がった地力の差は、どんなにネギが戦いを引き伸ばそうとも如実に現れ、何度となく激突した籠手よりの雷撃で、刹那は両手の感覚はおろか身体の至る所が上手く動かせなくなっていた。

 これで果たして幾度斬りかかっただろうか。精細は欠け、常の流麗な太刀筋は見る影も無くなっている。

 だが自分は刀を握って、刀を振り上げ、刀を振りおろしている。

 そしてネギはまるで堪えた様子もなく、衰え続けるばかりの斬撃を、衰えを知らぬ拳で迎え撃つのだ。

 袈裟の刃と腰の捻りを加えて放たれた拳が激突する。千を優に超えた激突の結果、遂に刹那の手から夕凪が離れ、主と同じく無様に地面を転がった。

 

「う、うぅ……」

 

 同時に刹那が膝をついて蹲った。むせび泣くその姿をネギは哀しげに見下ろし、それも束の間、落ちた夕凪を拾い上げると、刹那の前に差し出した。

 

「もう終わりですか? あそこまで頑なだったのに、もう終わりでいいのですか?」

 

「……」

 

「……また、中途半端に終わらせるつもりですか?」

 

 その言葉に刹那はゆっくりと顔を上げた。目には覇気は無い。返す言葉も無く、刹那は疲れた風に頭を振った。

 

「笑ってください」

 

「……」

 

「貴方達への八つ当たりすら最後まで貫けないとは、ふふ、惨め過ぎて笑えるでしょう? 好きに笑えばいい。だってもう、立ち上がれない……」

 

 恥辱を感じる矜持すらも残っていないのだろう。何より、剣を使う明日菜にではなく、ただの魔法使いでしかないネギに完封されてしまったのだ。

 最後まで主を裏切らなかった力すらも残されていない。出し尽くし、絞り尽くされた残りカスと成り果てて、どうして立ち上がる気力を保てるだろうか。

 

「……立ち上がれなんて、言いませんよ」

 

 そんな刹那に、ネギは優しく笑いかけた。

 

「ネギ、先生?」

 

「誰もが立ち上がれる強さを持っているとは僕には思えない。転んだまま折れてしまって、二度と立ち上がれない人だっているはずだ。……でも、立てなくても足掻けることを僕は知っている。這いつくばっても、泥を啜ってでも、人は前に進める意志がある」

 

 そう言うネギの意志を表すように、雷轟無人がさらに輝きを増した。まるで限界なんてないかのように、止まらない思いと覚悟を体現した力を剣に、ネギは刹那へ示すのだ。

 

「だから、一人で立てなくても誰かと支え合えばいいと思います」

 

 中途半端なまま終わりかけた自分を明日菜が救ってくれたように。

 取り返しのつかないことがあって、もうどうしようもなくても、その鎖を引きずりながらネギはこうしてここに立てている。

 だからネギは雷轟無人を解除して、片手を刹那に差し出した。

 

「だって僕は、刹那さんの担任ですから」

 

「あ……」

 

「貴女が自分をどれだけ惨めに思っても、僕は貴女を見捨てない」

 

 年相応の無邪気な笑みを浮かべながら、今の刹那が生き抜いた先を知る者として。

 無意識に手を握り返した刹那は、何か憑き物が落ちたかのように肩から力を抜いた。

 胸中に渦巻いていた葛藤は解消されたわけではない。だが刹那は、それら一切を抱えたうえで、まだネギの手を握れた奇跡を知ったから。

 

「そうか……私は負けたのですね」

 

「……そして、僕達の勝ちです」

 

 死んだのではなく、負けたのだ。

 そう思えた時点で、今度こそ刹那は自分が完膚無きに敗北したのだと悟った。

 

「そ、私達の勝ちよね」

 

「わわ……!?」

 

 刹那が戸惑いながらもネギに引っ張られて立ち上がろうとした瞬間、背後から明日菜が抱き付いてきた。

 突然のことに態勢を崩すが、お構いなしとばかりに明日菜は刹那の翼に手を這わせた。

 

「おー、やわっこい。いいわー、これ、いいわー」

 

「ちょ、明日菜、さ、んっ……! そこ、駄目……!」

 

「……明日菜さーん。ここ、真面目な場面なんですけど」

 

「あーはいはい。分かってるっての」

 

 ジト目で睨んでくるネギにバツが悪いと感じたのか、咳払い一つして刹那の翼から手を離して立ち上がると、ネギが握るのとは反対側の手を力強く握りしめた。

 

「……刹那さん、私も居るよ。木乃香を助けたいんでしょう? だったら任せてよ、何せ木乃香の幼馴染だからね。アイツをぶん殴ってでも取り戻してやるわ」

 

「明日菜さん、それは……」

 

「うん。言いたいことは分かるよ」

 

 明日菜は周囲の光景を、青山同士の衝突によって狂わされ、刹那によって介錯された人々の骸の残骸を見て呟く。

 

「もしかしたら木乃香はもう戻れない所に居るかもしれないわ。でもね……」

 

 この惨状を木乃香が是としている可能性。考えたくないが、青山がこれほどの悲劇を生み出せると知った今、その傍に居るだろう木乃香が影響を受けていないとは考えにくい。

 だがそれでも諦めたら本当にもう駄目になってしまうのだ。

 何より明日菜は知っている。

 

「進めたなら戻れるよ」

 

「ですが、もし戻れる道が無かったら?」

 

「そんなの、決まってるじゃない。ねぇ、ネギ?」

 

「はい、明日菜さん」

 

 握った手を引っ張り上げて刹那を立ち上がらせた明日菜とネギは、示し合わせたように無邪気な笑みを浮かべた。

 

「道が無いなら根性で作ればいいのよ」

 

「作れなくても自分の道に引きずり込めばいいです」

 

 二人ならば折れても倒れることはない。それゆえに迷いなんて感じられないその姿こそ、人々が最後の祈りを託す希望の象徴。英雄なのだと、刹那は思う。

 

「……本当に、羨ましいです」

 

 ――この二人ならお嬢様を救いだしてくれる。

 

 漠然ながらも、刹那の葛藤を消し去るくらいの強い確信を与えてくれる二人の背中に、刹那も誰もがそうであったように、か細い希望の光を託すことに決めたのだった。

 

 

 

 

 

 ――だが、希望(英雄)の誕生はあまりにも遅すぎたのかもしれない。

 

「次は貴女やね」

 

「い、いやぁぁぁ! 来ないで! 来ないでぇぇぇ!」

 

 光の差さない汚泥の眼に見据えられた妙齢の女性が絹を裂くような悲鳴をあげて悶えた。かつては魑魅魍魎をその身と刀で討伐していたとは思えない程、泣き叫ぶ姿は無力な女性にしか見えない。

 だが今の彼女は只の女性よりも無力な存在と言っても過言ではなかった。何故なら必死に逃げようともがくその体には、音速にすら到達する健脚も、大地を砕く刃を振るう剛腕も存在しない。

 四肢を捥がれた木偶人形となった女性は、迫りくる暗黒――近衛木乃香から逃れる術を持たなかった。

 

「そんな怖がらんでください。大丈夫、貴女の傷を治すだけや」

 

「やだ! やだやだやだやだ! 見るな! 私の中を見る――」

 

「痛いの痛いの飛んでけー」

 

「ぃ……!?」

 

 直後、断末魔すらあげることも出来ずに女性が意識を失うと、まるで時間を巻き戻すように失われた両腕と両足が再生していく。そして一秒もせずに、傷一つない美しい手足は生え揃った。その様を見届けてから、額に乗せていた掌を離した木乃香は満足げに頷いた。

 

「はい、もう大丈夫」

 

「ありがとうございます」

 

 意識を失ったはずの女性は、先程とは別人のように、鏡の如く木乃香と同じ柔らかな笑顔を浮かべて感謝を述べた。

 まるで憑き物が落ちたように、着古した服が新品そのものになったように。穢れを知らぬ完膚無き無垢を体現した『気持ち悪い存在』。傷も汚れも全て癒し尽くされたことで生まれたのは、赤子以上に無垢で、木偶人形より醜悪なマネキン人形に他ならない。

 だが木乃香にとってはこれが真実なのだ。響によって死の間際に追い詰められ、同じほどに生への渇望を注がれた結果がこの解答。

 

「さ、まだまだ沢山居るからなぁ。急がんとね」

 

 木乃香は女性と同じく眼前に並び立つ生きたマネキン人形の群れを一瞥すると、背後から香る血の臭いへと振り返って笑った。

 

「うぅぅ、母上、父上……!」

 

「殺せ! 私を殺せ!」

 

「助けて、嫌だ。俺は、アレだけは嫌だ」

 

「斬るな、癒すな、斬るな、癒すな……」

 

 生ゴミの如く床に転がる四肢を失った無数の男女。大人も子どもも関係なく、一切合切四肢を奪われた彼らに、木乃香は一瞬だけ悲しげに目尻を下げた。

 

「可哀想に……」

 

 心に浮かぶ僅かな憐れみ。しかし感じた負の念は、自動的に内側よりこみ上げた癒しの力で消滅し、木乃香はいつもと同じ陽だまりのように温かな微笑みを彼らに向けた。

 

「ウチが全部、治すから安心してぇな」

 

 だが、治すという蹂躙劇を前に誰が安堵出来るだろうか。

 笑いかけられた者達の全てが感じたのは、陽だまりとは無縁の冷徹。刃物を喉元に突きつけられたような絶望感。

 それはつまり――。

 

「青山……」

 

 無意識に呟いた恐るべき名に、木乃香は。

 

「はい、何ですかー?」

 

 ――そうあれと、この身に流れる血が嗤うならば。

 最早、英雄の覚醒があまりにも遅すぎる程に。

 

「あ、早く癒してほしいんやね?」

 

 完結(青山)は、近い。

 

 




次回より最終章中盤戦「青山木乃香」

Q。また沢山死んでまうん?

A。二章の被害がご飯粒レベルになる程度なので大丈夫。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。