【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

71 / 80
第七話【半身、半生、半分こ(下の下)】

 

 獣の如くではない。まさに獣と化した刹那が吼えた直後、その姿が一瞬にして消え去る。

 そしてネギや明日菜ですら辛うじて追いすがれる程の圧倒的な速度で同じく氷より脱した木乃香の分身体へと踏み込んだ刹那は、いつの間にか拾っていた夕凪を大きく振りかぶり、躊躇なくその刃を木乃香の首元へ振り下ろした。

 首を分かつ斬撃。

 抜ける刃の軌跡に沿って流れる血潮。

 しかし、首を切断されたはずの木乃香の傷口は、斬られた先から癒着を果たしていた。

 

「どう、して?」

 

 だが木乃香の動揺は大きい。それは刹那が異常なまでの戦闘力を得たからではなく、ただ単純に直接手で触れて癒したはずの刹那が、全身に傷を負った状態で自分の前に立っていたからだ。

 

「■■■■ッッ!」

 

 木乃香の疑問に対する解答は、血反吐の混じった獣の雄叫びだった。全身の傷口から血を流し、その熱き血潮を燃やしながら刹那の翼が力強く羽ばたく。

 そして、斬撃が幾重にも閃く。闇に重なった斬撃は間延びした一つの音色を奏でながら木乃香の体を虚空で数十の肉片へと変えた。

 結果、回復は起きない。

 分身体とはいえ、修羅外道に迫っていた木乃香が刹那の一撃で絶命したのだった。

 たった一人。しかし、無限の回復の根っこを斬り捨てた渾身の一閃が活路を見出す。その絶技を見ていた魔法先生達が逆転の可能性に沸き立ち、誰もが今一度腹の底から力を絞り出した。

 だがそんな彼らとは逆に、前線を維持しているネギと明日菜の表情は険しいままである。

 

「ネギ、刹那さんは……」

 

 雷轟世界の暴れる間、消耗したネギの傍で癒しの荒波の盾となっている明日菜が背後で呼吸を整えているネギへ問いかける。まるでそれを口にしたら取り返しのつかないことになるのではないかと口を噤む明日菜へ、ネギもまた同じ心境だからこそ頷きを返した。

 

「えぇ……刹那さんは、もう……」

 

 もう、『戻ってこれない』。

 何処であるかは分からない。だがネギと明日菜は、満身創痍とは思えぬ怒涛の力を発揮する刹那を見て、そう思ってしまった。

 同時に、刹那を助ける代わりに氷山に飲まれた超のことを悼む。刹那が目覚めたのと同時に生まれたもう一つの氷山は、先程までの刹那とは違って、数秒もせずに音も無く砕け散ってしまった。

 その跡には何も残っていない。

 超鈴音は刹那を救い出し、そして、何も言い残すことなくその命を終えたのだ。

 

「超さん……」

 

 ネギは自身の胸を強く握りしめた。まるで傷口を抑えようとしているその所作は、自分が担任した生徒が一人居なくなったことへの悔恨から。

 あまりにも拍子抜け過ぎる最期。いや、英雄のような劇的な最期を迎えられる者がこの世にどれだけいるだろうか。

 それでも超は己の為すべきことに全てを賭けて、賭けに勝ったのだ。

 ならば、振り返ることをしてはいけない。繋がれたバトンはこの手に、贖いを己の胸に問いかける前に、撃鉄を起こしたこの拳を叩き込むことこそがネギ達に出来るたった一つだから。

 

「精霊収束!」

 

 修羅外道を押しとどめる三つの閃光が再びネギの拳に集う。楔を失ったことでなだれ込む木乃香の群れだったが、金色に煌めくネギの拳は、地表から飛び立った刹那のために、雷で道を描いた。

 

「刹那さん!」

 

「■■■■ッッ!」

 

 応じたわけではない。

 既にネギを認識する理性すら剥奪された刹那は、それでも己のために開かれた道へ、血の跡を刻みながら飛翔した。

 貫かれた道の奥に立つのは木乃香の姿。だがその道を閉ざすのもまた木乃香であり、ネギが開いた活路は再度闇に閉ざされる。

 

「させるかぁ!」

 

「おぉ!」

 

 だが閉ざされかけた道に釘が刺さる。

 明日菜とタカミチ。互いにこここそが乾坤一擲を賭す場と判断した二人が、刹那が駆け抜ける零秒を支える壁となった。

 さらにその背後から放たれる魔法の雨。アルビレオと近右衛門を中心とした魔法先生の援護射撃が、理性を無くした化け物の周囲を彩った。

 

「ネギ! アンタも!」

 

「はい!」

 

 そしてその背中を追ってネギもまた飛び出した。拳より足へと移した雷精によって加速し、血の道筋を走り抜ける。

 伸ばした腕。

 走り出した足。

 鼓動を繰り返す心臓。

 

「届けぇぇぇぇ!」

 

 瞬間、全てを飲み込まんとする修羅外道の波が大きく膨れ上がり、弾けとんだ。

 現れるのは二つの光。

 赤と黄金。

 半端者の化け物と、生まれたての英雄。

 その輝きを見上げるのは、永遠に届きえない、外道に焦がれる少女の瞳。

 

「これが、最後だ……!」

 

 術式装填。

 起き上がった撃鉄を叩き込むのは、今。

 

「ネギ君……! せっちゃん……!」

 

 驚愕に彩られた木乃香の顔が目を焼く黄金と肌を濡らす真紅に染まる。

 抗うのか。

 戦うのか。

 未だ、傷つき、弱りながら。

 

「なんで!?」

 

 何度と繰り返した問い。

 応じるのもまた、同じ声。

 

 否。

 

「それを今から、貴女に叩き込む!」

 

 最早、その拳と刃を遮る者は存在しない。咆哮する化け物が飛びかかるのに合わせて、ネギもまた空を編む。

 そして、木乃香の左右に分かれたネギと刹那が、その体を挟み込むように突撃した。

 

「木乃香さん!」

 

「■■■■ッッ!」

 

「ぐ、ぅ……!?」

 

 左右より突き出された拳と刃を、その小さな掌が防ぐ。だが治癒の力を全開にしているにも関わらず、ネギの拳と刹那の刃は汚染されるようなことはなかった。

 むしろ、苦悶の色を浮かべる木乃香が押されている。あらゆるものを癒す力すらも、束ねられた人の意志と、人を捨てて化け物を成した肉体には届かないというのか。

 

「そんなの……!」

 

 尚も、膨れ上がる力。底を見せない木乃香の狂気が、ネギと刹那を徐々に押し返していく。

 認められないのだ。

 認めてたまるものか。

 生きて癒すから、痛みとは永劫無縁という在り方を是としたから。

 ここに立つ無感こそ、死を前に見出したたった一つの希望。

 

「ぁ、ぁぁぁああああ!」

 

 絞り出された魔力が激痛を与える力と反発する。

 吹き飛ばされるネギと刹那。だがたった一度弾かれた程度で崩れるような意志ではない。両者、共に満身創痍ながら、だからこそ木乃香の癒しを受け入れていない証拠。

 荒く呼吸し、激痛に血を流し。

 それでも、霞む眼は炎を燃やす。

 

「まだ……!?」

 

「それでも、だ!」

 

 それでもと言い続ける。言い続けろと心に誓った。

 ネギは体を蝕む癒しに抗うために唇を噛みきり、折れぬ想いにしがみつく。

 震える足はまだ動いた。

 上がらぬ腕は拳を解かない。

 

「■■■■ッッ!」

 

 そして、理性を無くした化け物もまた、根っこに宿した思いは同じだった。

 最早、その出血は致死量に届きかけている。

 動けるのは後何秒か。

 多めに見積もっても、もう一分だって動かないはずだ。

 

「■■■■ッッ!」

 

 だが叫ぶ。叫び続ける。

 痛みに泣き、怒りに啼き、悲しみに鳴き。

 それでもと、未だ胸の内で燃えるたった一つの言葉を覚えているから。

 

「せっちゃん!?」

 

 悲痛の混じった声。

 あぁ、だから私は、まだ血を流せる。

 

「おジョうさマ……!」

 

 まだ、こんな自分を『せっちゃん』と呼ぶ貴女が居るから。

 

「ワたしハ!」

 

 刹那の身体は徐々に変質していっていた。

 その背から生えた翼だけではない。制服より見える素肌には翼から生えている羽根と同じ物が生え始め、指先が人のとは違う鋭利なものに変わっていっている。

 半身に流れる化け物が刹那という存在そのものを汚染し始めていた。

 だから抗える。体を汚染する癒しの力よりも、己自身が己を汚染する力のほうが強いから。

 

「止めて! もう、嫌! せっちゃん! せっちゃん!」

 

 故に木乃香は叫んだ。

 このままでは刹那が居なくなる。事実として木乃香は刹那を自分自身にしようとしてはいたが、だからこそ、刹那が刹那ではなくなることを彼女自身が許容できなかった。

 たった一人。

 幼き日、彼女が信じた少女が消える。

 

「せっちゃん!」

 

 肉体の変質による激痛に悶える刹那を癒すべく飛び出す木乃香だったが、そんな彼女を押しとどめたのは、疲労の色が濃いネギの拳だった。

 

「ネギ君!? 何でウチを――」

 

「今の貴女が癒す道理があるとでも言えるのですか!?」

 

 振るった拳が木乃香の周囲に張り巡らされた癒しの力を削っていく。それ以上に、失われていく刹那の自我が木乃香の心をすり減らした。

 

「なんで! なんで! なんで!? ウチが癒せばせっちゃんは助かるのに!」

 

「そこしか知らないから! 癒すだけしか知らない貴女が癒して何になる!?」

 

「せっちゃんを死なせたくないんや!」

 

 そう叫び、木乃香は己の言葉の異常を悟った。

 全てを癒すという平等を掲げた己が、今、刹那という個人に執着している。

 癒せばいい。

 『死んでも』癒せばいい。

 それだけの話ではないのか。生きたいから死んでも癒して生かす。そして己と同じになれば永遠に死ぬことは無く、生き続けて癒される終わりこそが至高の果て。

 だというのに、木乃香は今、桜咲刹那が喪失される事実に怯えている。

 

「嫌ぁぁぁぁぁ!」

 

 頭を抱えた木乃香の絶叫と共に全方位へ解放された魔力がネギを圧倒する。滂沱という言葉すら生温い癒しの濁流は、瞬きでも受ければその瞬間に木乃香という在り方に完全に汚染される規模。

 だが、ネギの拳はその激流にすら抗う。一際輝きを増した黄金の拳が、破裂した力と真っ向から激突し――小さな英雄の身体は勢いよく地面へと吹き飛ばされた。

 

「ネギ!?」

 

 木乃香の分身を防いでいた明日菜が叫ぶ。だが思いも虚しく地表へと激突したネギは、癒しの力で溶かされた氷の大地の成れの果てに巨大なクレーターを作り出した。

 

「が、はっ!?」

 

 衝撃に口から血が吐き出される。強化しているとはいえ、異常な力に抗った結果、内臓の何処かを傷つけたらしい。五臓六腑をすり身にされたような激痛が肉体と意識の糸を切断しかける程。しかしその痛みによって切れかけた意識が強引に繋ぎ止められたのは僥倖だった。

 

「……ま、だだ」

 

 だがそれでもダメージは甚大。癒しに抗うことで積み重なる痛み。許容限界など既に超え、立ち上がることすら全力を絞らなければならない中、ネギは霞む瞳で夜空を走る流星を見る。

 

「だから、頼みました……」

 

 伸ばした掌より放たれる三つの輝きが、鮮血の流星と共に不動の狂気と激突する。

 まだ、意識を失うわけにはいかなかった。自分が木乃香に叩き込む全ては終えたけれど、この空を走る三つの流星の役目はまだ終わっていないから。

 

『せっちゃんを死なせたくないんや!』

 

 あの言葉を引き出せた。

 そう、それで自分の役割は終わっていた。

 後は、言葉の弾丸が刻んだ傷を、より深く切開するだけ。

 だけど、後一分。たった一分しかない。

 いや、充分だ。

 この意識が保てるのも。

 刹那が動けるのも。

 後一分だから。

 

「刹那さん……!」

 

 終わりまで、抗える。

 

「■■■■ッッ!」

 

 体の半分以上が異形のものへと変わった刹那が、荒い呼吸を繰り返す木乃香へと突貫した。

 先程まで滂沱と流れていた血は、今や枯れかけの川の如く弱弱しい。それはつまり刹那の命の限界を語っており、木乃香は己の中に生まれた疑問を思考する暇も無く、今にも死にそうな刹那を癒すために治癒の力を解き放った。

 だが木乃香の力も何処か頼りない。まるで底など見えなかった恐るべき魔力にもまた限界は見えていた。

 決着は近い。

 木乃香の分身体すらも薙ぎ払った刹那の魔剣は、消耗した木乃香を傷つけるには充分だった。単純に人と化け物としての性能差も相まって、放たれる無数の斬撃の殆どが木乃香の体を刻み、癒せぬ傷から血は流れる。

 木乃香は体を蝕む痛みすらもう気にする余裕もなかった。

 だって、痛みに構う暇も無い。

 痛みに構っていたら、目の前で血を流しきった少女が消えてしまうから。

 しかし、絞り出した癒しの魔力は刹那に届かない。極みに達し、これ以上先なんてないはずの力が、たった一匹の化け物の傷を癒すことすら出来ない。

 

「せっちゃん!」

 

 駄目だ。

 このままでは駄目だ。

 居なくなってしまう。近衛木乃香が大切にした少女と、もう二度と会えなくなってしまう。

 だが何故か木乃香の力は届かない。どうしても届かない。何をしようと、傷だらけの体を癒すには至らない。

 ならばどうするのか。

 どうすればいいのか。

 そんな彼女の葛藤も知らず、刹那は駆ける。

 

「■■■■ッッ!」

 

 ただ、あるがままに。刻みこまれた無数の痛みだけが、渇望と舞う唯一の意味だから。

 だが木乃香は認めない。認めたくない。

 もう時間は残されていなかった。

 その先に至った時、桜咲刹那は――。

 

「目ぇ覚まして! せっちゃん!」

 

 唯一無二と懐かせた解答すらも届かぬ相手に、どうしてただの言葉が届くだろうか。血を吐くような木乃香の叫びだったが、その返答は命を燃やし尽くして放たれた無数の斬撃だった。

 三つの流星を纏わせた刹那の連撃は、防波堤として前線を維持する明日菜達の壁を越えて護衛に回った木乃香の分身体を一瞬にして消滅させる。再生すらさせないその斬撃は、さながら響という男が手にした、斬るという至高に匹敵しているのか。

 違う。

 刹那の斬撃は何処までも雑念だらけだった。

 斬るという一念だけではない。化け物として、人として、人ではない者として、化け物ではない者として。答えではなく、命そのものを刃とした斬撃は、一秒ごとに変貌する見た目と同じく、あまりにも醜いだけの様。

 汚泥と美麗を内包してもいない。

 薄汚れて傷だらけの、襤褸切れのような刃。

 だというのに、一点に極まった人の可能性に、その何処までも中途半端な在り方は届き得た。

 

「オジョウさマ」

 

 助けたい。

 

「おジョウサマ」

 

 殺したい。

 

「このチャん」

 

 守ると決めた。

 

「この、ちゃん……!」

 

 食いたい程に、守りたいから。

 

「せっちゃん!」

 

 あぁ、そう呼んでくれる度、私の『ここ』は燃え上がる。

 

「このちゃん!」

 

 死したはずだった自我が蘇る。

 だがそれは決して奇跡ではなかった。消失した人間性と同じ程、残された化け物としての性すら消えかけているから、再び均衡を取り戻しただけの話。

 奇跡なんかではない。

 怪物に付けられた名前を呼ぶ少女が居るから、化け物はまだ、桜咲刹那を残せている。

 だが木乃香の元に辿り着こうとする刹那の前には無数の分身。いずれも木乃香と成り果てた傀儡達。

 

「違う……!」

 

 薙ぎ払われた剣と共に、刹那は木乃香の群れを否定する。

 今だから分かる。どんなに見た目を取り繕い、どんなに本体と同じ思考と言葉を叫ぼうとも、これらは傀儡。

 

 否。

 

「退け! 青山の亡霊が!」

 

 木乃香に注がれた青山という在り方の権化。

 木乃香の優しさを歪めさせた災厄の現れ。

 刹那の前進を阻むそれらはまさに、青山という男が残した呪いに違いない。

 だから刹那は行く。もう何秒も動けない己の身を知りながら、それでもと立ち上がり続けた誰かと同じく、それでもと顔を上げて、腕を掲げる。

 そしてその思いに応えるように、刹那に追いついた三つの輝きが、こちらを癒しの奈落へ貶めようとする木乃香の掌を悉く焼き払った。

 そう、まだ叫んでいる。例え、体が動かなくなっても、心だけは立ち上がり続けている。

 だから走る。刹那は切り開かれた道の向こう側、いつかのように涙を流してうずくまる木乃香の姿を見出した。

 

「せっちゃん癒さんと」

 

「せっちゃん治したげる」

 

「せっちゃん」

 

「一緒に、ウチと、一緒」

 

「黙れぇぇぇぇ!」

 

 既にあり方は分かたれた。ネギが木乃香より引き出したたった一言。死なせたくないという、死すらも治しきる今の木乃香では考えもつかないだろう言葉こそ、彼女の中に未だ近衛木乃香という優しい少女が居る証拠。

 そして顕現した自意識は、無表情で癒しをばら撒く分身体の向こう側、蹲って涙を流す木乃香を見ればそこに在るのは明白だ。

 だからそこを退け。

 お嬢様の皮を被っただけの青山如きが、化け物を是とした今の私の前に立ち塞がるな。

 血と流星を纏った夕凪が、戯言を繰り返す木乃香を一体一体斬り裂いて、その向こうで涙を流している木乃香への道を作り出す。

 悪鬼羅刹と化した今の刹那を止める術など存在しないというのか。だが魔力や気ですらない、命そのものを賭した刹那の斬撃は、一撃ごとに文字通り身を斬るような激痛を彼女に与えていた。

 痛みで心が引き裂かれる。一閃ごとに目の前に真っ白になり、真っ黒にもなり、歪み切った視界で時折意識を断絶させる。

 だが化け物がその程度で泣きわめくことはない。

 それでも痛い。

 とても、痛い。

 

「でも……!」

 

 刹那は知っている。

 一番痛みに苦しんでいる少女が居ることを、知っている。

 お嬢様。

 お守りすると誓って、守れなかったお嬢様。

 大罪を犯した私がこんなことを思うことは失礼と分かっていながら、あぁ、それでも私は貴女が誇らしい。

 まだ、そこに居る。

 あの修羅外道に汚染されながら、滅茶苦茶に己の中を蹂躙されながら、貴女は未だ私などのために涙を流してくれる優しさを残している。

 どうだ。

 見たことか青山。

 お前の手にした極み程度なんかでは決して穢しきることなんて出来ない強さがここにある。

 人間を終えたお前如きでは、優しさという強さを斬り抜けることは出来ないんだ。

 

「だから……!」

 

 守るのだ。

 殺したい程、お守りしたい。

 貴女が魅せてくれた優しさこそ、私の化け物が見出した人間の可能性だと信じているから。

 それでも限界を超えた体はもう数秒も動けそうになかった。

 立ち並ぶ青山の残滓。

 その全てを薙ぎ払えたとして、自分がその後、木乃香の涙を拭うことなく倒れてしまうことを知っている。

 だがどうでもよかった。

 その程度の些事、もう、どうでもいいと分かった。

 

「奥義……!」

 

 体中の傷が深まる。いつの間にか余分として捨てられた左腕の付け根から最期の命が溢れだし、先が無いと分かりながら、残された最後の一撃をここで絞り出さねば木乃香の元にたどり着けないと知っているから。

 

「斬魔剣弐ノ太刀!」

 

 血潮と雷鳴を纏った光が世界を分かつ。神鳴流の名に相応しき、至高の一撃は立ち並ぶ青山の残骸を消し飛ばし、その瞬間、刹那の身体に繋がっていた糸が切れたように、その体から力が抜けた。

 

「あ……」

 

 切れた。

 自分の中で、決定的な何かが切れた。

 精神論とかではどうにも出来ないほど明確な終わりの確信。だがしかし、この分身を斬り捨てたことで、後に続く者が居ると思えば――。

 

「せっちゃぁぁぁぁん!」

 

 瞬間、胸の奥から何かが体を跳ねあがらせた。

 良かった。

 まだ行けると。

 まだ、守れるのだと。

 もう涙も枯れたこの体が、代わりの熱きを流せる今に、感謝を一つ。

 

「……づああああああ!」

 

 色を失った瞳にか細く灯る正真正銘最期の火。

 立ち塞がる壁を超えた先、死に怯え続ける少女が何度目か分からないこの身の名を呼ぶ。

 だから、全てを絞り尽くした先で、まだ一度だけ羽ばたける力がある。

 化け物だけでは届かない。

 この身に宿る人の絆が、体を動かす力の真実。

 

 そして、遂に刹那は、一人涙を流し続ける木乃香の目の前に辿り着いた。

 

「せ……」

 

 木乃香はその名を呼ぼうとして、あまりにも無残な刹那の姿に声を失った。

 最早、見た目だけでは刹那らしさを残したパーツが殆ど残っていない。鋭く伸びた指先、全身に生えた純白の羽根、顔の半分も、人ではない化け物のような何かに変わっている。

 そしてその浸食は今この瞬間も、ぎちぎちと音をたて、ぐちゃぐちゃと肉と骨をすり潰しながら終わりに近づく刹那の全身を見て、木乃香は。

 

「今、治して、ウチ……ウチが……!」

 

 震えながら伸ばされた掌に宿された魔力を直接注げばまだ――。

 だがそんな木乃香の思いを、刹那は固まりつつある首を強引に左右に振って拒絶した。

 

「駄目ですよ、お嬢様……」

 

「なんで!? ウチだったらまだせっちゃんの傷も全部……」

 

「傷は治せても、命までは治せない。治しちゃ、いけない」

 

「じゃあ、なんで……なんでウチの……」

 

「お嬢様、いいのです」

 

 未来の命を一瞬に圧縮して、名の通りに刹那に生きた。

 そして、今ここに辿り着いたのは決して癒されたいと思ったからではない。

 

「私はただ、お返しに来たのです。私に注がれた『ここ』の熱を、青山という冷たさに負けないくらいに温かな熱を、貴女に」

 

 返すだけだ。

 それだけで、こんなにも満たされることが嬉しかった。

 

「いや……いやや……」

 

 だが木乃香は刹那の言葉を幼児のように拒絶する。

 分かってしまったのだ。こうして傷つきながら、化け物としての本質を解放して、その命全てを数分に捧げた刹那がしようとしていること。

 とても残酷で、とても優しい奉仕の在り方。

 木乃香が伸ばした掌を掴むための掌は、冷たい鋼鉄を握り締めている。

 

「だから……」

 

 刹那は夕凪を逆手に握ると、天高く振り上げた。

 その鋼鉄の輝きに木乃香は涙する。

 己が殺されると思ったから?

 違う。

 そんな(自分が死ぬ)ことよりも、残酷な――。

 

「帰ろ、このちゃん」

 

 貴女が居た、楽園のような陽だまりへ。

 

 ――私が、連れて行ってみせます。

 

 

 

 

 

 暗い森の中、手を握り合って走った先、眩しいばかりの光の境界線。

 ここから先が、愛に溢れたあの日々の続き。

 どんなに暗い場所に居ても、私は貴女の手を引いて、この場所まで連れ出せた。

 でも、光に出たら怖がっちゃうから。

 私の身体はとっても醜い化け物だ。

 

「せっちゃん?」

 

 一人、陽だまりに足を踏み出した少女が不思議そうに私に振り返る。

 だけど私は笑った。

 精一杯の笑顔で、首を傾げる貴女の手をそっと離して。

 醜くても、貴女に大丈夫だよと見栄を張りたくて。

 そして貴女は陽だまりへ。

 私は暗がり。

 貴女が二度と訪れない暗がりを。

 

「ばいばい、このちゃん」

 

 友達だから、半分こ。

 冷たい場所は、私が貰うね?

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

「ネギ!?」

 

 どうやらいつの間にか気絶していたらしい。見上げれば大粒の涙を瞳に湛えた明日菜がこちらを見ているのに気付いて、ネギは全てが終ったのだということを察した。

 

「そっか、刹那さんは……」

 

「……うん」

 

 喉を詰まらせながら返事をした明日菜の態度が全てを物語っていた。

 何よりも、ようやく微睡みから冷めた意識に響く泣き声。嗚咽を続ける木乃香の声が、刹那が選択した最期を告げていた。

 

「……私達、これでよかったのかな」

 

 木乃香を救いたかった。例えそのために自分が犠牲になったとしても戦い続ける覚悟があった。

 だが、戦いが終わった今、氷獄と治癒と斬撃で混沌と化した場に響き渡るのは木乃香の嗚咽だけ。

 木乃香は助けられた。

 だが、救われたわけではない。

 

「分かってたわよ。木乃香があんな姿になったのを知った瞬間、もうどうあっても救い出せないって……もしもいつもの木乃香に戻ったら、木乃香は耐えきれない」

 

 木乃香の強さはその優しさにある。誰でも包み込めるような暖かさがあり、そんな彼女の強さに明日菜もネギも救われたことが多々あった。

 だからこそ、その優しさは己の犯した罪に耐えきれない。強いからといって、どんなことにも耐えられるわけではないのだ。

 強いから、耐えられない。

 強いから、許せない。

 父親を失い、その強さ故に誰も責められずに己を責め続けた木乃香の強さに付け込んだ青山の刃が、今度は大切な幼馴染とクラスメートを奪った。

 その結果がこの泣き声だ。

 見渡せば、生き残った魔法先生達も今の木乃香にかけるべき言葉が分からず、表情を曇らせるだけだった。

 

「……でも、刹那さんはそれでも木乃香さんに戻ってほしかったんです」

 

「え?」

 

「例えこの先、自分の罪に押し潰されるようなことがあっても……刹那さんは、木乃香さんに木乃香さんであってほしかった」

 

 だから刹那は人として死んだ果て、化け物として再び立ち上がることが出来たのだろう。

 言ってしまえば刹那の我儘だ。そして、木乃香を救いたいと思ったネギ達の思いも、我儘に違いない。

 

「うん……」

 

「正しいとか正しくないとか、そういうことではないんだと思います。でも、正しいか正しくないか、僕らは僕ら自身で何か見出す必要がある」

 

 そう言いながら、ネギは重たい体を起こして泣きじゃくる木乃香の元へと歩き出した。

 

「ネギ……肩、貸すわ」

 

「……ありがとうございます」

 

 明日菜は答えを聞く前にネギの手を取って自分の肩に回した。身長差があるために不恰好で、殆ど明日菜がネギを引きずる形になるが、恰好を気にする必要はないなとネギはどうでもいいことを考えた。

 

「ぁぁぁぁぁあああ! ぅぁぁぁぁああああ! せっちゃん! せっちゃ、せっちゃん! せっちゃん!」

 

 己の心臓を夕凪で貫いた状態で絶命した、かつて刹那だった『何か』を抱きしめてその名を呼び続ける木乃香の瞳は、もう奈落には沈んでいない。

 京都の災害が起きた時、いや、それ以上の絶望に身を浸しながらも、誰も責めることのない優しい少女がそこには居る。

 

「……」

 

 明日菜は刹那の亡骸と木乃香の悲痛を見るに堪えず、視線を切ってしまった。

 戦いは刹那が自刃したことにより突如として終わりを告げた。果たして二人の間に何があったのか分からないが、木乃香は外道より辛うじて這い上がることが出来た。

 だが、熱を取り戻したことで、暖かさを思い出したために、木乃香は冷たい現実に泣いている。

 痛いのだ。

 とても、とっても痛いのだ。

 心に刻まれた傷は耐えきれぬ痛みを訴え続け、そのために失われた答えと共に超常的な力の殆どを失った木乃香は泣く事しか出来ない。

 そも、力があったとして、刹那の死を変えることはもう出来ない。

 死すらも癒す。

 そんなこと、絵空事だ。どれもこれも自分しかない時だったなら、死を自分によって塗り潰すことで死すらも癒すという矛盾を成立させられたかもしれないが、それほどの自己中心的な思考等、それこそ修羅にしか出来ないことだ。

 木乃香は人だ。人間でしかない。

 ならば、涙することしか、出来ないではないか。

 

「木乃香さん……」

 

 泣き声はいつまで続いただろうか。ネギが木乃香の傍に近寄ってから数分以上も続いた悲鳴は、体力の限界によってか細くなっていき、鼻を啜る音しか聞こえなくなっていた。

 だが木乃香は刹那だった物を抱きしめる手だけは緩めない。これだけが残された唯一の熱とばかりに。目を閉じて耳を塞いで、力の限り抱き締め続けるだけ。

 

「……」

 

 刹那さんは悲しみにくれることを望んだわけではない。

 刹那さんはもう一度貴女に前を向いてほしかった。

 刹那さんは貴女を救い出したかった。

 刹那さんは――。

 

 慰めの言葉は、幾つも浮かんだ。

 

「もう、無理なんですね」

 

 だがネギはいずれも告げることはしなかった。

 言葉を紡いで優しく労わることは出来る。そして木乃香を立ち上がらせることも、支え合えば可能だ。

 しかし、木乃香を支えてまで立ち上がらせることが正しいとはネギには思えなかった。

 世に出ている人の正義を讃える物語ならそれでもいい。故人の思いを継いで、真っ直ぐに立って踏み出す。素晴らしいことだ。感動的で、模範とすべきことだろう。

 でも、無理なのだ。

 立ち上がらせて前を向かせられることが出来て、過去を背負って幸せになれる可能性があっても。

 

「せっちゃん……ごめんな。ごめんな……」

 

 何もかも失った木乃香から、これ以上奪えない。

 

 たった一つ残った傷跡(刹那の死)さえも奪うことなんて、出来るはずがなかった。

 

「ウチ、もう、ずっと、離れないから……」

 

 これが、残酷で、救われなくて、永遠に報われることなんてない悲劇の末路。

 けれど、その最期を憐れむことが誰に出来るだろうか。誰に、この末路に倒れた少女を救うことが出来るだろうか。

 誰にもできない。

 この二人は、この場所こそが終わりだったから。

 その残酷に屈することが、桜咲刹那が近衛木乃香に授けた、たった一つの温もりなのだ。

 

「ネギ君、明日菜君。もう、良い。後は僕達に任せてくれ」

 

 不意に、背後から近寄ってきたタカミチが明日菜とネギの肩を優しく叩いた。

 タカミチの優しさに二人は身を任せて、震える木乃香を置いて背を向ける。

 ネギと明日菜に出来ることは全て終わった。その結果に後悔がないかと言えばきっと嘘になるけれど、しかし出てしまった犠牲を変えることは出来ない。何より、訪れた悲劇が悲惨であろうとも、その悲劇の暖かさを奪うことは出来ないから。

 

「もう、大丈夫です」

 

 だから、行くのだ。

 

「うん、私も大丈夫」

 

 体ではない。

 心はまだ大丈夫だった。

 それでもと。

 それでもと、言えるのだと。

 

「マスター」

 

 ネギは遠くから自分達の様子を見ていたアルビレオのことを呼んだ。

 

「……賛同はしませんよ」

 

「知ってます。でも、行かなきゃいけないんです」

 

 ネギと明日菜の意志は強い。その瞳に宿る確固とした決意と、今から彼らが何処に赴こうとしているのかを察したからこそ、アルビレオは珍しく表情を曇らせて、小さくない溜息を洩らした。

 

「……見届けるのですか?」

 

「はい。最初はただの好奇心が強かったですが、今は違います。アレをしたのが青山――響さんだとしたら、僕らは見ないといけない。僕らは人間だから、人間の先を見ないといけないんです」

 

「……最早、言葉は無粋ですね」

 

 中途半端ながらも後一歩の領域まで至った木乃香。そしてその木乃香の完成が青山だとしたならば、その姿を見届けることで自分達は見極めなければいけない。

 修羅外道。

 人の可能性が行き着いた狂気の最果てを。

 

「だから、行きます」

 

 ここに居ても二人に出来ることはもう殆ど残されていない。

 だからこそ本当の結末を。

 この場に居た中途半端なものではない。

 人と、化け物。

 共に極まった二つの極地の登りつめた頂こそ、世界を終わらせた災禍に抗える意志を自分達に与えてくれるのだと、ネギ達は知っている。

 

 

 

 

 





 人を超えた修羅が居る。
 化け物を超えた災厄が在る。
 最早、人知も怪異も届かぬ域で、全てを超えた何かが狂った。

 次回【極み過ぎ去りこの超越で】

 絶望ですら生温い。
 希望すらも霞んで消える。

 見ろ、これが私達の愛した修羅場だよ。 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。