【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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ネタバレ注意。未読の方は本編読了後の閲覧を推奨します。


主人公設定

 

 

青山響

性別・男

年齢・20歳

趣味・家具作成、修行

特技・駄洒落、気配探知、除霊

性格・シスコンでナルシスト。

好きなタイプ・青山素子。

嫌いなタイプ・エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 

京都神鳴流の宗家、青山の次男として産まれた男。産まれてから数年は普通の子どもとして健やかに育っていたが、幼少時に初めて刀を手にしたことにより、おそらく前世のものであろう知識が覚醒。だが前世で己がどんな人物であったのかという記憶については無く、言ってしまえば純粋無垢な幼児に直接一般常識を刻み込んだものである。そのため、驚くべきことにその精神は幼児のころから殆ど成長しておらず、小学校低学年の子どもと同程度である。だが本人は無自覚に刻まれた一般常識を前提にいつもは周囲に接しているため、違和感を覚える者は少数。そのアンバランスさが、戦闘時に異常性を生み、相手になんて様だと感じさせている。そしてその奇妙な在り方こそ、彼を人間の可能性を極めるという本来ならあり得ない領域へと至らせることとなった。

 

性格は寡黙で誠実そうに見えるが、その実、幼い精神相応に己の欲求には素直で、そのためならば命が失われるような事態にも頓着せず、それらしい理由を付けて自分の欲に従った行動をとる狡猾な部分も併せ持つ、根っからの自己中心的性格。ここで勘違いしてはならないのが、斬るというのは響の欲ではなく、あくまで彼の生き方のスタイルでしかないこと。この場合の欲求とは斬りたいという願望である。斬ることと斬りたいという願望は別個のものなのだ。

 

一方で流されやすい性格でもあり、主体性がないため欲求が絡まない限り動くことはないため、人の可能性を終えた後、鶴子に言われて軟禁生活を強いられた時も何か言うでもなく、軟禁解除後も、素子が訪れるまでは人里から離れて一人孤独に過ごしていた。作中の行動の殆どは誰かに指示された後、己の欲求が合わさったうえの結果でしかない。

 

それゆえに誰かが干渉しなければ鞘に収まった刀と同じく危険はあるが害は殆どなく、鶴子や近右衛門など、本人の意図がどうあれ様々な形で響という妖刀を使ったことが、物語全体としての最大の過ちである。斬ったものと同じく己自身も斬るという響の在り方は、響自身を扱うその他の人間にも、その行動が善悪いずれであろうとも当てはまるのだ。

 

戦闘スタイルは神鳴流らしく、長大な野太刀を使ったもの。だが神鳴流としての技の数々は、斬撃を極めたことにより余分として斬り捨てられたため使用不可能。さらに斬った対象と同程度の裂傷を刃として用いた物(大抵の場合は刀)に与えるため武器の摩耗が早く、継戦能力は低い。しかし常時、神鳴流の奥義である斬魔剣弐の太刀に類似した斬撃を放てるようになったことで、近接戦闘では世界有数の実力者と比しても頭一つ以上抜けた実力を有している。ただし上記の理由から遠距離攻撃や広域殲滅方法と継戦能力が無いので、そこが弱点である。尤も連続して行える瞬動による超高速移動術があるため、弱点と言ってもそこを突けるのに必要な実力は、最低でも封印解除後のエヴァンジェリンレベルなので、ほぼ皆無と言ってもいい。

 

善き先達、例えばナギ・スプリングフィールドやジャック・ラカン程の実力者かつ、その精神が人を超えている英雄と共に過ごしていれば、あるいは英雄としての道も確かに存在した。彼の最初にして最大の不幸は、清濁併せて人を魅了し、道を示してくれる本物の英雄と出会えなかったことにある。

 

 

 

※裏設定※

 

その前世の知識は生まれてから死ぬまで病院のベッドで過ごした響という名前の少女のもの。死に際に来世ではどんな病気にも負けない肉体を欲した結果、青山の血脈が歴史を重ねて完成させた究極の肉体に転生した。だが天賦の才を持つ肉体に比してその魂はあまりにも脆弱であった故、青山の血が生み出した究極の才覚に飲まれ、かつての少女の記憶は残滓も残らぬ程消え、前世で唯一育んだ少女の知識のみが残った。とはいえ完全に少女の人格や記憶が飲み干されたわけではなく、修羅としての悍ましさとは別に、人を惹きつける奇妙な色香は前世の名残である。とはいえ中性的と言うわけではなく、あくまで性別は男性である。

 

補足。

ノーマルエンドであるAルートのエピローグで現れた響は、剥き出しの魂のみとなったために少女としての前世が強く表れたもので、厳密にはBルートで素子と対峙した響とは違う存在である。何も残せずに前世では死んだ少女だったが、かつての少女だったころの記憶が失われているとはいえ、その最期で素子に心を残せたことは救いと言ってもいいはずだ。

バッドエンドのBルートでは素子との戦いで青山という肉体の業を超え、その無垢なる魂は現世の響と前世の響、男と女、太極の構図が完成し、森羅万象悉く斬り捨てる修羅道へと到達している。それは最早前世の病弱な生も、今世の修羅としての生も超越した別種の存在であり、人としての極点を超えた何かでしかない。あえて定義するならば人の身でありながら神の領域に達した現人神でも言うべき者。故にその末路は人ならざる力を持ちながら、人である矛盾が引き起こした絶望である。その後、悔恨を抱いたまま死した才能は、前世の魂が望んだのと同じく、この力に比肩、あるいは超越する人間を欲して再び転生を果たし、己とは違う修羅道に至った侍と対峙するのだが、それはまた別の話。

トゥルーエンドのCルートでは、素子が弟を思って修羅へと至ったBルートとは違い、刀を手に取ることなく一人の姉としての在り方を選択した結果、彼もまたその刃を見せることなく一人の弟として姉の意に従った。その後、素子と共に外界に関わることなく平穏に生き、誰かと関わることなく人知れずその生を終えることとなる。

Aルートが響、Bルートが青山響、Cルートが青山というお話。Cルートがトゥルーエンドと定義したのは、この作品の本来の主人公が青山であり、青山として物語を終えられるルートがCルートだからである。

 

結論として、外の世界に憧れて、様々な知識を蓄えながら、結局知識としてしか外を知らずに無垢なまま死した少女が望んだあらゆる病魔に負けぬ肉体が、病弱な魂と合わさった結果産まれた例外こそ、青山響という存在の正体である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――なお、強い肉体だけではなく、女性としてやり直したいということも強く願っていた場合の可能性も存在する。【Nルートが解放されました】

 


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