第一話【京都、遊楽】
「京都での護衛ですか?」
何度目になるかわからぬ俺の言葉に、これまた何度目になるかわからない「頼めるかのぉ」という学園長さんの言葉。
「辞退します。俺は、青山ですから」
だから、俺は頭を下げてその依頼を断った。
事の始まりは、ネギ君が修学旅行で京都に行くことになったからだ。それで、西の呪術協会に和平の使者としてネギ君を送ることになったのだが、東の魔法使いであるネギ君を狙う西の強硬派が出る可能性がある。
それの護衛のため、俺が選ばれたわけだが、流石にそれは拙いというものだ。
「しかし、そういう話でしたら、俺を解雇したほうがよろしいでしょう」
続けた言葉に、学園長さんと、その隣にいつも通りに立っている高畑さんが驚いた表情を浮かべた。ん? そんなに驚くことだろうか?
「以前も話しましたが、俺は青山です。少なくとも、西の上層部は俺の存在を公にしないように、上手く隠して……神鳴流以外の一般の術者は、多分俺を知らないでしょうけれど。上があなた方にまで情報を隠し通した俺の存在を、あなたがたが知っている。これは、色々ないざこざを引き起こす恐れがあります」
そんなことを話しながら、一方では随分と話せるようになったなぁと我ながら感心。
ともかく、俺という存在がいる以上、西との和平は難しいと言っても過言ではあるまい。
「そういうわけにもいかんよ青山君。君の事は鶴子ちゃんにも頼まれていることじゃからのぉ」
「俺如き一個人よりも、組織として、周りの人を優先すべきかと……」
「そういうわけで、これじゃ」
学園長さんは机の引き出しから一枚の手紙を取り出した。それを高畑さんが持って、俺に渡してくる。
「これは?」
「親書じゃよ。鶴子ちゃんと前々からやり取りはしていてのぉ。これまでの君の働きと、現在従事している表の仕事の評価を記した。そして現在、英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドの護衛を勤め、一定以上の成果も残しているともな。それに君の言うとおり、君の存在はどうやらあちらでも一部の者しか知らず、であれば、その一部を納得させれば、問題はないということじゃ。そしてその一部の中でもトップの男に関しては、ある程度裏は合わせている」
「つまり、俺に和解を?」
「そういうことじゃ。君には先に京都へ向かってもらい、西の長、君の兄でもある近衛詠春と接してもらい、彼ら上層部が集まる場所で、公に和解をしてもらう……勿論、ただというわけにはいかなかったがの」
なるほど、それで護衛ということか。
「そして俺は、和解の証として、ネギ君を無事西の長の下へ送り届けて、無事、西と東の和平を成立させると……そういうことですね?」
「そして、こちらに帰ってきたところで、改めてネギ君を守り、西と東の和平を成立させた立役者の一人として、君を正式に他の魔法先生や生徒に紹介する手はずだ」
基本は西と東の和平ということだろうが。その上で、俺のことを考えてこんなやり方をしてくれたのだろう。当然ながら、そう簡単にいくわけもなく、無事に和平を成立させなければ、結局俺は表に出されるだけ出されて、追い出されるということになるだろう。
そのことがわかっているからか。学園長さんと高畑さんの顔は心苦しそうだ。
「気にしないでください。俺の苦労は所詮、身から出た錆ですからね。むしろ、俺に汚名返上の機会を下さって、感謝の極みであります」
頭を下げて、手紙をポケットに丁寧に仕舞い込む。
「では、頼まれてくれるかの?」
「はい。不肖ながら、この青山。ネギ君の京都護衛、任せていただきます」
─
とはいえ。
まぁそれでも緊張するものである。
「どうした兄ちゃん? 今日はちょっとぎこちねぇじゃねぇか」
錦さんがそんな俺の精彩を欠いた動きに気付いて、お昼休み、いつも通りにご飯を食べながらそんなことを聞いてきた。
恥ずかしい。無表情が取り柄だというのに、己の内心を読まれるとは、よっぽどよく見られているんだなぁとちょっと嬉しかったり。
「また、今度は十日ほど、休みをいただくことになりまして」
そう申し訳なさそうに言った俺に対して、錦さんは「またか」と呆れた風にため息を吐き出した。
「ったく、どうせ休みじゃないんだろ? 以前も一週間休んだと思った次の日は、目元が隈で酷くてげっそりこけてて、次の一週間は戻ってきたら体中包帯だらけだ……何してんだか知らねぇけどよ。無理だけはするんじゃねぇぞ? 俺らはおっさんとおばさんだらけだから、若い兄ちゃんに付き合うなんて無茶はできねぇけど、皆心配はしてるんだ」
この阿呆が。錦さんは明るく笑いながら俺の肩を軽く小突いた。
いや、ホント申し訳ない。そんなに心配をかけていたことが恥ずかしくて、心配されていることが嬉しくて、小突かれた肩は妙に熱い。
「上の兄に、久しぶりに会いに行くことになったんです」
だからこの際だ。俺は洗いざらい全部を話すことにした。
「へぇ、いつごろから会ってないんだ?」
「おそらく、かれこれ十年近くは……そもそも、あまり兄との交流は幼いころからあまりなく、どうにも緊張をしてしまって」
真実と嘘を少々。本当は青山と恐れられる俺が、あの土地に再び赴いて余計な混乱を招かないかという不安が一番なのだが。
錦さんは俺の話を聞いて少し考え込んだ。嘘も混じった俺の話を真剣に聞いてくれて、やっぱし恥ずかしくて、だがやっぱし嬉しくて。ホント、俺はここに来てからいい上司に恵まれた。
「まぁ難しいことは言えねぇが、とりあえず会ってみて酒呑めば、大抵のしがらみってのはなくなるもんさ。兄ちゃんもここに来て、随分と変わってきたからな。今なら、色々と見えてくるものがあるんじゃねぇか?」
言われて、思い返す。
ここで生活してから巡り合ってきた色々な人。そのどれもが、この第二の人生で初めての経験ばかりで、前世があるとはいえ、人格と知識しか持ち越せなかった俺には全てが新鮮だった。
充実しているのだろう。一人、青山という天才と遊び続けたのとは違う楽しさは毎日あって、それが俺をどんどんと変えていく。
「そうですね。今なら、色々なものが見えます」
ふとした拍子にすれ違う子どもの笑顔。毎朝清掃に励む俺達に挨拶してくる学生達。
知り合って、話した人達ばかりではない。そうした見知らぬ人との接触は、俺の中に着々と積まれていっている。
「俺は、ここで変わっています」
全部が全部。素晴らしい世界。
「こんなにも人と出会えた。そのきっかけの一人である錦さんと知り合えて、俺は本当によかったです」
そうして俺は、錦さんのほうを向いて──
ありゃ、今、刀持ってないんだった。
─
相棒となる刀を鍛える最後の仕上げのとき、青山はありったけの気を全て注ぎ込むことにしている。そうすることで、その刀をほとんど自分と同一とするのだ。
だが十代目に至るこれまで、青山の気の最大出力を注いで、全てを飲み干した刀は存在しない。ほとんどが半分以上外部に散乱してしまうのだ。
そのたびに青山は使用する刀をより禁忌の類のものにしていく。そして先代に至っては、ついに妖刀と呼ばれる刀を青山は己の気の色に染め上げた。
だから、今回の刀も、見た目は神鳴流が使う長大な野太刀に仕立て上げているが、その大元となる芯には、人を斬り続けた危険な妖刀を使用している。
まぁその仕立ての段階で、今回は随分と手こずったのだが。そんなことを思いつつ、青山は屋根裏に潜り込んだ。
そこは、屋根裏一面に封印の札を敷き詰めた空間だった。青山が持てる技術の全てを費やして作り出した特性の密室は、十一代目の放つ危険な妖気はおろか、青山の全力の気の放出にすら、一度だったら耐え切るほどだ。
そんな強力な防御結界を構築しなければならないほど、これから青山が行うことは周囲への影響が大きい。
いつも通りの無表情で、青山は札で埋め尽くされた鞘からゆっくりと十一代目を抜く。それだけで、未だ残っている妖気によって、刃鳴りが何度も何度も響き渡った。
斬らせろ。
人を斬らせろ。
生き血を吸わせろ。
斬り殺せ。
柄を通して青山の脳裏に響き渡る恐ろしい呪いの声。だがそれも、最初に比べたら随分と小さくなったものだし、大きかろうが小さかろうが、呪い程度では青山の精神は微塵も揺るぎはしない。
そも、斬るとは斬ることで、それ以外の意味なんてないというのに。こいつは何を言っている? 青山が十一代目の芯が放つ呪いから受ける影響など、そんなことを考えさせることくらいだ。
「くだらない」
青山が気を通し始めると、悲鳴をあげるように十一代目は繰り返し振動した。青山の斬るという意志は、殺人に酔った妖刀の存在すら意味をなさぬ。
そしてここからが本番だ。青山は小さく深呼吸をすしながら、そっと瞼を閉じた。
「……」
十一代目を胸の前に掲げる。未だ悲鳴をあげるその刀身にそっと空いた左手を這わせた。冷たい感触に落ち着きながら、指を僅かに切り裂いて血を滴らす。
そして、青山は己の血をその刀身に塗りつけた。血の線を引きながら、切っ先まで血を流す指でなぞる。うっすらと刀身に残る赤色。青山は全身に鮮血が馴染んだのを、目を開いて確認した。
直後、青山の右手から、柄を通して膨大な気が十一代目に流れ出す。気を纏わせるのではなく、注ぐ。それは意味が似ているようで、まるで違う。表面を強化するのではなく、その内側を己の色に染めるという異常な行為。その刀の製作者の意志を食いちぎる恐るべき冒涜。
それを青山は平然とやってのける。製作者がどんな願いを込めて作った刀でも、青山は青山の意志のみを押し通すために蹂躙していく。
周囲の護符が一枚ずつ、ゆっくりと、だが確実に剥がれ始めた。落ちた護符は、虚空で真っ二つに分かれて床に落ちる。床に張られた護符は、そのまま分かたれるだけだ。
想像を絶する気が屋根裏という小さな空間を埋め尽くしていた。だがそれは十一代目がその身にためることが出来なかった気、つまりはただの余波でしかない。十一代目は苦悶する。許容量を遥かに超えた気の充実に限界を感じて、必至にその身体から外に受け流す。
同時に、その身に宿す意志すらも流されていった。己を守るために、己の存在を消していく。そんな矛盾した行為しか、今や十一代目に行えることはなかった。
構わず、青山は気を注ぐ。持てる気をこの僅かな時間で全て吐き出しているために、その顔はもう青より白に近くなっていた。意識は朦朧としだして、掴んだ刀の感触すら遠い。
それは、刀が己と重なっている証拠ともいえた。刀と自分の境界線が失われていく。流れる気が、刀という己を通して外に放たれていくのを感じる。
最後の仕上げを始めてから、まだ十秒も経過していなかった。それだけの時間で、刀と己は重なる。心身合一。刀を己となす極地。
そして、美しい鈴の音色が響いた。
「ッ……!」
青山は突如、体中から汗を滲ませて手をついた。肩で息をして、疲労は濃い。視界は霞んでいて、体中が重かった。
だが完成した。青山は右手に持った十一代目を見つめて、内心で笑う。
「よろしく」
答えは静かな音色。その身に宿した妖気は完全に洗い流され、透き通った清流のような涼やかな色が青山を歓迎する。
これで、ようやく準備が整った。手に持つ新しい相棒を青山は丁寧に鞘に仕舞い込み、屋根裏を抜け出す。
直後、屋根裏を埋め尽くしていた全ての護符が真っ二つに斬られて落ちた。
そんなことも気にせずに、青山は十一代目を片手に小屋を出ると、空を見上げる。
「……」
ここからだと、星はよく見える。その一つ一つを見て青山は何を思ったのか、ただ暫く空を見上げると、やがて静かに小屋の中に戻っていった。
こうして修羅は新たな刃をその手に持つ。ぎりぎりで間に合った相棒、何故ぎりぎりと思ったのか、それは言いようのない予感を感じたから。
きっと、楽しい旅行になるだろうなぁ。
そうして、青山は旅行を前にした子どものように、旅行先への思いを募らせながら眠りにつくのだった。
─
京都に行くのはもう五、六年ぶりくらいになるだろうか。鶴子姉さんを斬り、それから一年にも満たない間、各地の妖魔や悪党を斬り、そして当時の俺の異常性を恐れた上の人達によって数年間の軟禁、後、破門。
それから京都には一切近寄ってはいない。別に、行こうと思えばいつでも行けるのだが、別段行く意味もなかった。なぜなら鶴子姉さんを斬ってから劇的に強くなり、残りの一年で頂を見つけ、軟禁生活で到達した俺には、最早、己が行くべき場所など何処でもよかったからだ。
斬るという方向性は、鶴子姉さんがほとんど教えてくれたと言ってもいい、今から振り返っても、あの時の仕合は俺の生涯でもベスト3に入るくらい格別なものだった。
ちなみに二番は、封印されていたやばい鬼が本気で俺を殺しにかかってきたときで。
一番は戦いの最中に開眼した素子姉さんである。あれはやばかった。開眼直後に全力技撃ってきたから刀斬れたけど、もう一分奥技使われずに戦っていたら、俺は呆気なく敗北したかも。
あぁ、懐かしき夢のような修羅場体験。最近ではエヴァンジェリンさんとの戦いがよかったが、あれはちょっとエヴァンジェリンさんが油断したり余分なところがあったりで、そこまでのものではなかったなぁ。
ともかく。
そういうわけで、京都である。
竹刀袋に十一代目を入れた俺は、もう何年ぶりになるかわからない新幹線の乗り心地と、そこから見える景色を、飽きることなく堪能して、いつの間にか京都にまで辿り着いていた。
ふむ。まぁ会合までの時間は今しばらく、夜からとなっているので、暫くは辺りを散策でもして時間を潰すのもいいかもしれない。
そうと決まれば、早速周囲の気と魔力を探知して──お?
「あ、やば」
少し離れた場所でとてつもない魔力を感じた。西のお家元ということもあり、ちらほらと気や魔力は感じるけど、その中でも桁違い、エヴァンジェリンさん並? いや、もう少し下くらい?
にしても凄いものである。流石、京都だなぁと感心しているが、そうも言っていられるかどうか。気配を馴染ませるのは得意分野ではあるので気付かれることはないけれど、あっちから近づいているからなぁ……
まぁ、普通に顔を拝むくらいはしておこう。
「……」
そうして周囲と同調しながら人ごみの中を歩いていると、道の先から真っ白という目立つ髪色をした少年が現れた。
絡繰さんみたいな無表情で、ともすれば昔懐かし当時の俺を思わせる感じ。歩き方にも隙はなく、少年だというのに周りの注目を集めるような、そんな少年。
気と魔力を敏感に感じ取る術は俺専用なので、それだけでは気付かれることはないだろうけど、あの少年、それを踏まえても滅茶苦茶悪目立ちしてるから、じろじろ見ても気付かれたりしなさそう。周り皆見てるし。
特に接触することもなく、俺と少年はすれ違う。そのとき彼が僅かに俺を見たのは、きっと竹刀袋に仕舞った十一代目の気配を察したからか。
止まった少年を尻目に、俺は視線になど気付いた素振りを見せずにさっさと歩いていく。背中に浴びる視線は意識しない。意識しているのに意識しないというのもアレだが、まぁこういうのは表面上、相手に悟られなければいいのだ。
「……ねぇ」
などというのはやっぱし不可能で、迂闊にも、あぁ本当に、本当に迂闊にも、近寄りすぎたせいで、少年は俺に感づいて、声をかけてきた。
「……」
振り返り、少年の冷たい瞳を覗き込む。己の意志を強固な意志で隠し通しているような、そんな瞳だ。真正面から見たからわかる。この子は俺の幼少時のような、一人で完結しているような子ではない。
しっかりと大地に根を張った。意志を持った強い人間だ。見た目どおりの年齢なら凄いことだが、まぁあれだ。この魔力量を考えれば、早熟な天才、もしくはエヴァンジェリンさんみたいな化け物といったところか。
暫く俺と少年は互いに見つめあう。周囲を行き交う人達は、そんな俺達を遠目に見つめながら、距離を離してすれ違っていく。
だが少なくとも、少年のほうはそんな瞳は気にしておらず、品定めをするように俺を見つめていた。
さて。
試しにちょっかい出したのはいいけれど、本当にどうしよう。現在の俺の立場はかな微妙なものだ。和平のために赴いたはいいが、俺自身の友好を示す親書は未だに届けていないので、ここで問題を起こせば──学園長さん達の好意を無碍にすることになる。
それはいけない。立派な人間に変わっていくと決めた俺は、ここで問題を起こすわけにはいかないのだ。
うん。
竹刀袋、開けるのに数秒かかるようにしておいてよかった。
「道にでも迷ったのかな?」
俺は当たり障りのないことを呟いた。すると少年は「いや……呼び止めて悪かったね」と言って、人混みの中に紛れ込んでいった。
遠くなっていく少年の姿を追いながら、安堵のため息。にしてもびっくりした。これが街中でなかったら色々と大変だったかもしれないなぁ。
流石は京都、楽しい場所だ。俺は内心うきうき気分で、観光に洒落込むのであった。
─
ネギがその日、学園長室に呼ばれた用件は、端的に言うと、仲たがいしている西と東の関係を改善するための特使に選ばれたからであった。
「道中、向こうからの妨害があるかもしれん。この新書を奪おうとする西の強硬派によるものじゃろうが、おそらく、一般の生徒がいるところで、おいそれと危害が及ぶようなことはせんじゃろう」
ただし、と近右衛門は穏やかな雰囲気を一転させて、真剣な表情を浮かべた。
「万が一ということは得てしてありえるものじゃ」
「……ッ」
ネギの脳裏によぎったのは、あの夜の出来事だった。万が一といわれて、それ以上の最悪は思いつかない。
そんなネギの不安を察したのか、近右衛門は安心させるように微笑んだ。
「何、それこそ万が一の話であって……危険に対する保険はすでにかけておる」
「それって……あのときの人のことですか?」
「うむ。いずれ正式に紹介しようとは思っておるが、命の危険が起こった場合、彼が君の身を守ることになっている」
「あの人が……」
ネギが己の無力を感じた夜。モップという武器にもならない武器を使って、これ以上の悪夢はないと思われた、エヴァンジェリンを追い詰めた恐るべき剣客。
彼が護衛についてくれると聞いて、安堵と恐怖の二つが同時にネギの心中を襲った。
「……怪我とか、大丈夫だったんですか?」
ふと思ったのは、そんなことだ。
あの日、エヴァンジェリンに言われるがまま、ネギはぼろぼろの彼を置いて逃げた。結果として生きていたからよかったが、もしかしたらあのまま殺されていたかもしれない。
ネギの心を常に苛むのは、彼に対する恐怖と、たくましさと、罪悪感だ。常識を超えたあの戦いは、今でもネギの心を束縛し、幼い少年に回答のない葛藤を与えている。
「安心せい。彼はすっかりよくなって、今は先に京都に入っているところじゃよ」
「そうなんですか……よかったぁ」
ネギは肩の荷が下りたように安堵のため息を吐き出した。それが聞けただけでも充分だ。
そして、次に会ったときにはちゃんと謝罪しようと心に決める。
「ともかく……万が一を考えて彼を派遣したが、あまり彼の力を当てにしないように。君だけでも潜り抜けられる問題程度ならば、彼はおそらく手出しはせん……まぁ一番なのは、何も起こらずに無事親書を届けられることなのじゃがのぉ」
そうなれば何も問題はない。誰の妨害もなく、ただ平穏無事に。
だが本当にそうなるのだろうか。近右衛門は、あの夜以降のエヴァンジェリンの姿を思い出して、そんな予感に苛まれる。
エヴァンジェリンは変わった。
良く言うと以前よりも社交的に。
悪く言うと以前よりも内向的に。
エヴァンジェリンは、驚くほどの変化を遂げていた。
最悪な言い方をすれば、アレは化け物になった。
「これは少しおかしな言い方かもしれぬが……くれぐれも、彼が出てくるような事態だけは避けるようにして欲しい。彼とは別に、君のクラスの桜咲刹那が、木乃香の護衛として、京都での任も受けている。出立の前に、事前に彼女と話を済ませておくのもよいじゃろう……」
近右衛門は、彼を信じていないわけではない。いや、全力のエヴァンジェリンと戦い、その身体に癒すのにも時間がかかるほどの裂傷を与えた時点で、彼の能力は、少なく見積もってもタカミチと己とほぼ同等クラス。最高で、かつての大戦の英雄クラスでも最上級のレベルに匹敵すると見て間違いない。
しかしそういうことではないのだ。彼を、青山を動かすということが、それだけで、例えるなら、無作為にターゲットを選んだミサイルのスイッチを押すような。
そんな恐ろしい予感。
「……ところで、明日菜君のことじゃが」
近右衛門は脳裏を苛む考えを振り払うように、別の話題を切り出した。
「あ、はい。とても、良くしてもらっています」
頬を赤らめ、顔を俯かせてネギは呟いた。
明日菜はあの日以来、ネギから離れるどころか、口は悪くしながらも、何かと手助けをして、こちらを気にかけてくれるようになった。
あんな状況を経験したのだから、普通は距離を置いて当然だと思う。現にネギはそう考えて、可能な限り距離を取っていたのだが、明日菜はそんなことは関係ないとばかりに色々と世話を焼いてくれた。
──これはネギには考えもつかぬことだが、あの戦いの最中、謎の記憶を思い返した明日菜は、そのときの記憶の人物を無意識にネギと重ね合わせていた。思い出した記憶自体はすでに覚えてはいないが、それでも無意識はその出来事を覚えていたからそうなった。
自分が守らなければ、ネギは死んでしまう。無意識下で明日菜が思っているのは、そんな脅迫に近い考えだった。戦闘の恐怖と、かつてのトラウマが混ざり合ったその考え方は、誰かが知ればそれは悲劇と思い、ネギ自身も罪悪感を覚えるだろう。
だが現実は、ネギはそんな明日菜に、いつも自分を守ってくれた姉を無意識に重ねて、さらに信頼を深めていくだけだ。互いが互いに別の誰かを投影する。そんな虚しい信頼関係が、二人の間には芽生え始めているのであった。
尤も、最悪の悲劇は、そのことに周囲はおろか、当人すら気付いていないということなのかもしれないが。
─
京都に来て早々、少々のごたごたはあったが、それ以外は特に問題もなく、観光をしながら、俺は関西呪術協会の本山に到着した。
立派な鳥居を見上げながら、いつ振りになるかわからないこの景色に、思わず感慨深いものを感じてしまう。最後に来たときには、兄さんはもう近衛の家に婿入りしていたので、あまり会う機会はなかったが、確か女の子がいたはず。当時から根暗だった俺は、青山では一番その子に歳が近かったのだが、そんな俺を遊び相手にするのは問題と感じた親の方針で、もう一人、ちっちゃい子が連れられていたはず。
うーん。懐かしい思い出過ぎてほとんど覚えていないなぁ。まぁ、その一人娘とは挨拶したくらいしか交流ないし、そもそも俺の中ではそのすぐ後に行った鶴子姉さんとの戦いが刺激的過ぎて、そこらへんはほとんど記憶にない。
確か、ネギ君のクラスにいる近衛木乃香という少女、あれって多分、苗字からして兄さんの娘さんのはず。魔力とかもとてつもなかったし。でも見た感じ、彼女は魔力が多いだけで、正直言って俺にはどうでもいい。
それよりも、そんな木乃香をさりげなく見ている彼女、桜咲さんのほうが俺としてはありだ。
神鳴流の使い手っぽいというのもあるが、あのストイックに近衛さんを見守る姿。
正直言って、ネギ君の護衛をしている俺からすれば、リスペクトそのものである。やはりああやって、昼夜、守るべき人を守るために己を粉にするという姿勢は、見習わなければならない。その点俺は、己の欲求のために、ネギ君を窮地に陥れたり、護衛だって、気配が感じられればいいやと遠くから察するだけ。
いかんなぁ。
実に問題である。
だがこれも惚れた弱み。俺は今回も、可能な限りネギ君には修羅場を経験してもらえるならば、経験してもらおうと思っていた。
そういう考えだから、京都に来て出会ったあの少年を見逃すなんていう阿呆なこともしてしまう。
あれは間違いなく、京都とは関係ない人間だ。東側の応援とも考えたけれど、だとしても、エヴァンジェリンさんクラスをそう何人も保有しているわけもないだろう。あの少年は楽観的に見ても敵である。気にしすぎということは出来ない。俺の勘も強く言っていたし、あれとは多分、遠からず激突することになる。
それはそれでいいのだが。
上手く、ネギ君とぶつけることが出来ないものかなぁ。
「……ハァ」
考えていても仕方あるまい。俺はそそくさと鳥居を潜って、久しぶりの本山に足を踏み入れるのであった。
へぇ、面白い術式あるなぁ……これは、うーん。有事の際に相手を封じ込めて時間稼ぎとか?
流石、西の総本山。こういう仕掛けもしっかり施してあるのか。だが今回の俺は敵ではないため、罠は当然発動するわけもなく、すんなりと階段を上がっていく。夜の風は心地よく、灯篭に灯った輝きは暖かい。
空を見上げるが、月はどうやら林の中に隠されているようだ。そのことに少し寂しさを感じながら、本山の入り口に辿り着く。
「お待ちしておりました。青山様ですね?」
大きな門を潜れば、出迎えに来てくれた若い巫女さんが丁寧に挨拶してきた。
「はい。ご案内、お願いできますか?」
「どうぞこちらに……そちらの荷物は?」
巫女さんは俺が持っている竹刀袋を見つめてそう言ってきた。
「刀です。預けるべきでしょうか?」
「出来れば、帯刀した状態で当主並び幹部の方々にお目通しするわけにはいきません」
ご理解くださいと、巫女さんは両手を差し出して、刀を渡すように言ってきた。
まぁ、俺としてもそれは全然構わないのだが……
「あなたは触らないほうがよろしいです」
「え?」
「数分、いや、あなたでは、一分もあれば刀に斬られる」
今の十一代目は、俺そのものとは言えないが、充分に俺だ。
触れれば、斬る。
竹刀袋の内側に護符を貼り付け、さらに鞘にも封印を施してはいるが、それでも大抵の術者ならば、数分も竹刀袋に触れるだけで、間違いなく斬る。
「出来れば、保管場所まで俺が持っていきたいのですが」
「ですが……」
巫女さんは困ったように言葉に詰まってしまった。まぁその対応は当たり前なので、俺は早々に十一代目を持ち込んだことを後悔していたのだが。
「相変わらず、常識を被ったようで常識外れですね、君は」
そんな懐かしい声を聞いて顔を向ければ、あぁ本当に懐かしい。
「兄さん。いえ、詠春様。お久しぶりでございます」
かつての青山の跡取りにして、今や西の長として活躍している懐かしき我が兄。近衛詠春様が、爽やかに笑いながら俺を出迎えてくれた。
巫女さんは一歩下がって慌てたように頭を下げる。俺もそれに習うわけではないが、挨拶の後、深く頭を下げた。
「破門された身でありながら、おめおめと馳せ参じたこの身ではありますが、親書のみでも受け取っていただけたらと思います」
「頭を上げなさい。話は鶴子とお義父さんから聞いている。頑張っているようだね」
顔を上げた俺は、昔と変わらず笑いかけてくる詠春様の笑顔に安堵した。近衛に婿入りしてから疎遠だったが、かつて幼かったころ、無口で無表情だった俺にもとても良くしてくれた、あのときの優しい兄のままである。
それが俺にはとてもかけがえのないことに感じた。同時に、鶴子姉さん共々、そんな彼らの優しさを無碍にして暴れまわった当時を恥ずかしく思うばかりである。
「昔に比べて、よく話せるようになったね」
「学園長……近右衛門様と、麻帆良の同僚、上司の方々あってこそです。方々、俺を暖かく出迎えた全てが、今であります」
今なら胸を張って堂々と言える。暴れまわっていたかつてとは違う。自己のみに没頭していた昔とも違う。
周囲の暖かさがあるから、こうしてはっきりと話すことが出来る。
「尤も、無表情に関してはどうにも」
「……それは仕方ないさ。味覚も、まだかい?」
「はい、ですが最近は少し、味というものを楽しめるようになりました」
俺の返事に、詠春様は小さく目を見開くと、とても嬉しそうに微笑んでくれた。
「それはよかった。医者は、絶望的とも言っていたのだがね……今から考えても、あれはやはり私達、家族の不注意だった……みんな、君の怪我の治療方法を探していたんだが、そうか。ゆっくりとでも、治っているのなら、それでいいんだ」
「詠春様……」
あんなことがあって表情を失った俺を、未だに心配してくれていたとは。やはり俺は阿呆だ。こんなにも素晴らしい家族がいたというのに、勝手に暴走してしまって。
若気の至りとは言えぬ。恥ずべき、ひたすらに猛省すべきだ。
「もう、昔みたいに兄さんとは呼んでくれないのかい?」
詠春様は寂しそうに目を細めながらそう言ってきた。
昔、恥ずべき、昔。
「俺は、青山です。詠春様……最早、兄さんの知る弟はいないのです」
だからこそ、俺は青山で居続ける。いつまでも、恥ずべきこそ。
そこに、後悔なんて、まるでない。
斬ったのだ。
「なら……青山君。昔話もそこそこに、そろそろ行くとしよう。刀に関しては、近場に封印結界を敷いた場所がある。そこに一時的に納めてくれないか?」
「……是非もなく」
先導する詠春様の背中に追従する。遅れて付いてくる巫女さんも引き連れて総本山へ。
さぁ、まずは謝罪会見、頑張ろう。
─
脇に幹部の方々が控え、前には詠春様と、重鎮の方々。関西呪術協会のトップを含めた人達が見る中、俺は中央に進み正座をすると、額を床に触れさせるくらい頭を下げた。
「この青山、無様を晒しながらも馳せ参じました。私の暴走、無礼から始まった破門に至るまでの数々、今は深く反省している所存です」
そうは言ってみたけれど、俺を見る彼らの目には、総じて困惑と畏怖の色が混ざっていた。
まぁ。
無理もない。
「……君が破門してから、どのような働きをしてきたのかは、親書を読んで重々承知している。以前のように、神鳴流の一人として迎え入れることは出来ないが、君を青山として受け入れることを約束しよう」
「ありがとうござます」
面は上げずに、感謝の言葉だけを伝える。だがそう上手くいかないのが世の常というもの。ゆっくりと顔を上げたところで、幹部の一人が不愉快そうに顔をしかめて口を開いた。
「長、失礼ながら申し上げますが、この者が神鳴流に刻んだ汚名の数々。よもや忘れたとは言わせませんぞ?」
その発言に随分な数の幹部が同意の意を示すように何度か頷いた。ここに来る前に聞いてはいたが、どうやら組織の纏め上げは上手くいってはいないらしい。
それを抜きにしても、俺を、青山を許すというのはあまり受け入れられるものではないのだろうが。
詠春様はそれを皮切りに噴出した、青山という存在への不満を次々に漏らす。だがそれも長くは続かず、少しずつ場が静かになってきたところで詠春様は話し出す。
「今回、彼には一つやってもらうことがあります。長年、いがみ合っていた西と東、この和平の親書を携えた少年……英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドの護衛として雇われた」
その言葉に場は騒然とした。いや、それもただのポーズだろう。ネギ君が来るというのはすでに承知の事実。問題なのは、和平話をこの公の場で告げたということ。
「私は彼がここに訪れ、親書を渡してきた、その事実を持って、長年の因縁に一応の区切りを打ちたいと思っている」
言外に手を出すなと言っているようなものだ。未だ東に敵意を持っている強硬派としては面白くないだろう。
そして、俺である。俺がネギ君の護衛につく。
少なくとも、俺という人間の脅威を知っているが故に、ここにいる強硬派はおいそれとネギ君に手を出せなくなる。全盛期の鶴子姉さん若輩ながら倒した俺の名は決して伊達ではない。
妨害を考えていた者も、まさか俺という鬼札を持ち出すとは思っていなかったはずだ。
「それでは青山君、君はもう下がってもらってもいい。ここからは改めて、今後の関西呪術協会の方針を話し合っていくのでね」
「はい」
俺は再び頭を下げると、ゆっくりと立ち上がり踵を返し、その場を後にする。
背中に感じる視線の重圧も、戸を閉めれば切れて肩の荷が下りた。ホッと一息。あぁいった空気は苦手だ。針の筵というか、息苦しい。
「お疲れ様です青山様。さ、こちらへ」
外で待っていた巫女さんが案内してくれる。ここはともかく広く、うっかり歩いていたら迷子になるのは間違いないだろう。
やはり導かれるがまま、俺はさくさくと用意された自室のほうに向かっていく。
「どうぞ、ごゆっくり」
室内に案内された俺は、巫女さんが居なくなってから一人で使うには些か大きい和室に寝転んだ。
うーん。久しぶりの畳の感触。刀がないのは寂しいけれど、戸を開ければ夜桜の美しい景色があるので暇はしない。
暫くほうけていると、またあの巫女さんがやってきた。
「お待たせしました。長は本日はお忙しいため、先に夕食にと」
そうして置かれたのは、とてもいいにおいのする食事の数々だ。お酒に普通のお茶にと、より取り見取り。
「ありがとう」
「では、御用がありましたらお呼びくださいませ」
巫女さんは礼をしてからその場を後にした。
早速、箸を手に持ち食事と洒落込む。味覚は未だぼやけているので、美味しい食事をそこまで美味しく感じられないけれど、その分、食事の匂いはとても素晴らしいし、夜桜を見ながら酒を飲むのは気分がいい。
破門された身である俺にこうまでしてくれる詠春様、そして機会を与えてくれた学園長さん達には感謝してもしきれないなぁ。
さて、とりあえず何か言われているでもないので、のんびりとしよう。一人楽しむ夜桜を見上げて、酒精を楽しめることに感謝である。
─
桜咲刹那はその日、ホームルームで、放課後自分に用があるといったネギを教室で待っていた。とはいっても野次馬根性を働かせた一部の面子がこっそりと堂々こちらの様子を見ているのだが。いや、こっそり堂々って何だよ。刹那は何だか肩がずっしりと重くなった気がした。
刹那はネギが魔法使いであることを知っている。というか、クラスの幾人かはすでに知っていて、それとなくネギが魔法をばらさないように気をかけていたりするのだけれど。そこらへんは今はどうでもいいだろう。
問題は、自分を含めて彼女達のことをネギは知らないはずなのだ。だから刹那が疲弊しているのは、野次馬根性を働かせているあれやこれやの視線や、成績がすっごくやばくなってるのかなぁといった日常的な不安のためであった。
あぁ、闇の福音の件があってから、いっそうお嬢様の警護に力を入れていたからなぁ。やばいかなぁ。やばいんだろうなぁ。修学旅行前でなおのこと警護のプラン考えてたもんなぁ。
など、見た目は冷静そのものだが、内心で冷や汗だらだらな刹那は、遠くから聞こえてきた足音に気付いて、席を立った。「あ、ネギ君来たよ!」「ちょ、早く隠れて隠れて!」外野は早く消えてくれ。
「刹那さん。お待たせしました!」
刹那の内心を全く知らないネギは、驚いたことに明日菜を連れて現れた。その事実にいよいよ持って刹那の額に汗が滲む。駄目だ、間違いない。私も今日からバカレンジャー。ごめんなさいお嬢様。私はあなたの警護を言い訳にしてバカレンジャーに成り果てまする。
いざ行かん、バカの道。覚悟を決めた刹那は、ぽけっとしたネギを真正面から見据えた。
「……あのぉ、補習ですか?」
とはいっても些かショックがでかいのか、いつもの鋭い眼光は少しばかりなりを潜めて、何か今にも肩を落としそうな雰囲気で刹那はそう切り出した。
その言葉にネギは明日菜を見上げて、明日菜もそんなネギを見て、そして刹那に向き直ると首を振る。
「へっ?」
目を丸くして、刹那は素っ頓狂な声をあげた。どういうことなのか。いやいや、動考えても、面子的に確定的に補習ではないのだろうか。
そうして硬直している刹那に、ネギは一人勝手に意を決すると口を開いた。
「そ、その……魔法の──」
「そこまでです。ネギ先生」
看過出来ぬ言葉を聞いて、刹那の表情は途端に冷たいものに切り替わった。その豹変振りにネギと明日菜は目を丸くするばかりだ。
だが構わずに刹那は視線を聞き耳をたてている野次馬に向けた。
「何を話そうとしているのかは知りませんが。個人的に話すことで他の者がいるのは迷惑でしかありません……まずは、あそこに居る方々をどうにかするべきかと」
その言葉で明日菜とネギは教室の外にいる、外で待っていたクラスメートの存在に気付き、慌てて明日菜が追い出しにかかった。
遠くで喧騒が響き渡る。それが遠くなっていくのを確認してから、刹那は呆れた風にため息を吐き出した。
「……いくら子どもとはいえ、危機意識がなさすぎる。おそらく学園長から私のことを聞いたのでしょうが、それにしたって好奇心が強いウチのクラスです。ホームルームで名指しをすればこのくらいなるのはわかりませんでしたか? せめて人のいない場所で用事があるといってくれればよかったものを」
「ご、ごめんなさい」
シュンとうなだれるネギを見て言い過ぎたかなと内心で反省する刹那。軽く頬を掻くと「それで。何の用でしょうか? それと、神楽坂さんは魔法については?」と言った。
「あ、明日菜さんは、僕の協力者です。それでですね。実はお話というのは、修学旅行のことなんですが……」
「修学旅行……? わかりました。詳しくお聞かせください」
そうしてネギが事の次第を語り始めたところで、明日菜も合流した。
京都にて、西と東の和平を結ぶ使者に選ばれたこと。その道中での協力者として刹那を頼ったこと。
それら全てを聞いた刹那は、しばし手を顎に添えて考えてから静かに告げた。
「……私の本来の任務は、近衛木乃香お嬢様をお守りすること。これだけです」
「へっ、そうなの?」
明日菜が驚いた様子で聞いてきたので、刹那は小さく頷いた。
「私は、お嬢様を守るためにここに来た。その上で、麻帆良の夜の警護も勤めたり、可能な限り裏の事情に詳しい私は関わってきましたが……先に言っておきます。私はお嬢様の身柄を最優先する。ですが、そこに差し支えのない限り、先生の任務に協力することを約束しましょう」
そうきっぱり言い切った刹那。だがそれでも協力を得られたということもあり、ネギは大いに喜んで、明日菜もそんなネギを優しい眼差しで見つめた。
まぁ協力するからには仕方ない。今後のために色々と計画を練る必要があるだろう。刹那ははしゃぐネギを見ながら、そんなことを思うのであった。
しかしホント、バカ認定されなくてよかった。いやホントに。
─
どういうことだと歯噛みをする。総本山で先程行われたとある会合の一部始終を、強硬派の一人である直属の上司から聞いた天ヶ崎千草は、上から言われた「青山が介入する。計画は中止だ」という命令に苛立ちを隠せずにいた。
西と東の友好。その話を聞きつけたときは正気を疑ったものである。それは上司も同じで、かつての大戦で被害を出した西洋の魔法使いと、今更手を取り合えるかという思いがそこにはあった。
それは強硬派の幹部も同じであり、その親書受け取りを妨害し、さらに強引な手を使って詠春を倒し和平派を一掃する。今回はそういった筋書きであったはずだ。
「青山ぁ……」
しかし、青山が出た以上最早それは叶わないのは、否定したくても千草にだってわかっていた。
青山。
神鳴流が生み出した禁忌の化け物にして、歴代最強の剣士。現役を退いてなお圧倒的な力を誇る青山鶴子を知っているがゆえ、その全盛期を倒した青山を千草は軽んじることは出来なかった。
「……どうしたんだい? 浮かない顔をしているね」
頭を抱えて唸る千草の前に現れたのは、つい先日雇ったばかりの白髪の少年だ。それどころではないと怒鳴りつけようとしたが、そんなことをしても無駄と悟り、やや諦めた表情で、千草は洗いざらいぶちまけることにした。
「浮くも浮かないもありまへん。相手方に恐ろしい化け物が加わったんでな、どうしようか頭を悩ませているところや」
「ふぅん。それは、今言っていた青山って言う人のこと?」
千草は片手を挙げることで肯定した。正直、本当に青山が介入するのであれば無理だ。千草も、青山を知る数少ない関係者の一人であるため、だからこそ青山という規格外を理解している。
「あんなん相手にするなら、それこそサウザンド・マスターを相手にしたほうが楽ってもんや」
冗談染みた言い方だが、その言葉のほとんどは本音である。
強さがどうだとかそういうレベルではない。
関わりたくないのだ。だからこそ、アレは青山と言われている。
「ふぅん……でも、僕としてはやってくれないと困るんだけどな」
「ならあの青山をどうにかするんやな……まっ、あんな化け物。どうにかできるわけあらへんけど」
投げやりに呟かれた言葉を聞いて、少年の目が僅かに細まった。
「わかった。なら、どうにかしてくるとするよ」
「なんやて?」
顔を上げた千草だったが、そこにはもう少年の姿はない。
一体何をするつもりなのか。何か、とてつもない失敗をしでかしたような、そんな気が千草にはした。