『バルバロイ』   作:上代

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序章:身元不明者と苦労人

 彼が最初に感じたのは、冷たい、という感覚だった。

 次に全身、特に左脇腹や左肩からジクジクと広がる痛みが脳髄を引っ掻き回す。

 飛び起きる程の痛み、というのはこういう時に云うのだろう。目覚めた瞬間に襲い掛かってくる痛覚には、大人の男といえど耐えられるものではない。

 が、飛び跳ねる程痛いと肉体が悲鳴を上げようと、僅かに動かしただけでその痛みが倍増するとなればまた話が違う。それは身体の可動に著しい制限を掛け、動こうとする発起を妨げるのだ。

 そうして見っとも無くのた打ち回った末に、動けば動くほど更なる拷問に成ると漸く悟る。

 川から打ち上げられた哀れな魚が酸素を求め口をパクパクと動かすように、同様の状況に晒されている彼もまたそうした。

 今も侵攻する痛みに、弱々しく痙攣するだけしか抵抗できない。

 無意識に痛みを紛らわせようとしたのか、無事な右手が地面を抉り引っ掻いていた。

 もがいた末に付着した粘土の強い泥が僅かな不快感と共に触覚へと意識を向けさせ、心を幾何か落ち着かせる。

 途切れない激痛と踊り狂っていた彼は、ようやっと視界に意識を留めた。

 

(ここは、何処だ?)

 

 俯せのまま動きを止め、辺りを観察する。

 目前に在るのは川、否ちょっとした湖と呼べるものがある。冷気が漂っているようでうっすらと白い靄が浮かび、肺に取り込んだ空気も寒々としたものだ。どうやら、覚醒と同時に冷たいと感じたのはこの水に両脚が浸かっていた事が原因のようだ。

 視界は薄暗いが闇の帳が徐々に晴れていく様子から陽が昇ろうとしている事は理解できた。耳を澄ませば湖に通じる川のせせらぎ、領分を主張する昆虫の鳴き声、風の通り道では根を張った緑の群れがざわめいている。

 健全な状態であれば身を起こして去るのだが、今の彼は右肩、腹、腰を使い芋虫のように離れることしかできない。そして、離れようと匍匐する度に全身から大小の違いはあれどこれまた激痛が走るのだ。

 彼に出来ることは息を切らしながら進み、柔らかい湖岸にズリズリと己の痕跡を残す事だけ。

 どうにか10フィートほど離れた後に肘を立て、視界を広く取ろうと足掻く。

 

(何処かに人は、居ないのか?)

 

 息を殺して見渡したが、辺りに人影は無い。

 自然の息遣いが只々聞こえてくるだけで、他には何者もない。

 生命の息吹は感じると言うのに、何故か孤独を覚えてしまうのは心の弱さか。

 彼は木の幹に背を預け、呼吸を整えようと努める。激しい運動をしたわけでもないのに、心の臓が耳元に引っ越し脈打つ鼓動を鳴らしているかのように煩かった。

 それらの症状は、肉体が今の状況に恐怖を覚えているのだと、頭の何処か冷静な部分が下す。

 如何したものかと身体を起こし、次に呻いた。

 

(俺は、――――ッ!?)

 

 彼が自身の異変に気付いたのは、ささやかなれど一先ず安全を確保できたからか。

 しかし、それがまた新たな混乱の種である等と、どう分かろうか。

 はっ、と息を吐くと彼は力無く木にもたれ、泥塗れの拳で地面を叩いた。

 

(分からない! 俺は、俺が誰なのか解らないっ)

 

 彼には先の事も後の事も想いつかず、ただ今の自分が全てであった。

 此処までに至る思い出が、記憶が浮上しない。最古の記憶が「冷たい」という感覚だけ。

 

「ア、アァ―――――ッ」

 

 置かれた状況に因って喉元から意味不明な叫びをが迸ろうとしていたが、彼は歯軋りが鳴るほど噛み締め、情けない息が漏れ出る程度に抑えた。

 其れは動植物たちへの迷惑、とかそういったの優しさからくるものではなく。単純に不要な厄を近付かせない防衛本能に近い。彼らの縄張り(テリトリー)で大声で叫ぼうものなら怯え、発生源から素早く距離を取るか、逆に外敵として排除しようと行動するからだ。

 野外生存(サバイバル)を知識ではなく本能で理解した彼は、不安定な精神のまま異常が無い視覚と唯一自由に動く右手で身体の状態を確かめていく。

 左脇腹には裂傷があり、流血は止まっているようだが動かす度に皮膚が引っ張られ、痛みが休む事が無い。左肩は青黒く鬱血し、左腕の動きを大きく制限している。他にも全身に切り傷、打撲の様子があるものの動こうと思えば我慢できる範囲だ。

 身を固めるのは頭巾付の青い外套、着込んでいる革鎧は質感悪く、獣の皮を鞣して何枚も重ねたもので関節や胴体の要所要所に金属板が当てられている。その金属板も錆が目立ち、上質のものとは口が裂けても言えない。不幸中の幸いなのは拳で叩けば堅い音を返してくれる事か。

 腰にある鞘には丈夫な肉厚の山刀が収まり、携帯鞄(ポーチ)の下には小型の短刀が両側に一本づつ隠されている。左腕の篭手が右に比べて一回り大きく、手の平あたりに引き紐が縛られているが、左腕が自由に動けないため試そうとは思わない。

 携帯鞄の中身は貨幣と思わしきものが数枚と、千切った野草と武具の手入れ道具が有るだけ。

 自分が何者であるか。その証拠となるものは一切無く。あるのは身を固める武具一式と、本体の都合なぞ知らぬとばかりに押し寄せる痛さ辛さだけだ。

 今の自分が危険な状態だと認識はしている。しているが、事を起こそうとする意志が湧かない。

 目標や目的といった、前へ歩を進めようとする原動力が枯渇しているのだ。

 まずは健常者ならまずは生き残ろうと行動を起こすだろうが、彼は記憶と云う生きる上で大事な部分が欠損しているだけに生きる理由が定まらなかった。

 そして、追撃とばかりにこの負傷した身体だ。

 

(何も、考えが出てこない)

 

 徐々に闇が散らされ、光が降り注ごうと。湖面からの反射で目を焼こうとも、ピクリとも指先が動かず力が入らない。このままで居れば血臭を嗅ぎ付けた肉食獣やらに襲われる可能性もある。

 這ってでも動かなくては、確実に死に絶える。

 そう彼は理解はしていても、心身共に重く沈んでいた。

 

「――――!」

 

 その叫び声を聴くまでは。

 

 彼は反射的に身体を起こし、聴こえた方角へと向く。

 背もたれ代わりの木、その後方の草木を越え、突き出た段差の奥まで視線を飛ばす。

 陽に焼かれたせいで若干霞むが、彼の眼は人間大の集団を捉えていた。

 運搬に用いる荷馬車を囲む複数人に囲まれ、砂塵に汚れた外套の男が手を振って何事か訴えているように見える。

 

(何を――――野盗か?)

 

 聞き取れない口論が飛び交う中で、一人が腕を振り上げ、そのまま降ろした。

 その者の手には手斧が握られ、正面に立っていた相手が血煙を上げて横に倒れた。

 倒れ伏したまま起き上がらない人へ、荷馬車から駆け走った誰かが屈み悲鳴がまた上がる。

 それを観て愉しげに笑う連中が、暴力を生業とするならず者の集団だと分かった。人を一人切り捨てているし、その現場を彼はしかと目撃していたのだから。

 だが、それがどうしたと言うのか。

 現在の彼は万全どころか怪我人で、左肩から先が満足に動かせず痛みに囚われたままだ。加えて見ず知らずの、自分に縁が無い相手を態々救おうと殺人者の前に身を乗り出す者はいるだろうか。

 更には救出へ向おうにも距離が離れ過ぎている。弓矢等の遠距離武器を所持しているならば話は別だが、彼には草木の中を通すほどの技巧どころか、自身が弓術を修めている事すら怪しいのだ。

 触らぬ神に祟りなし、と云う。

 であるから、残念ながら不幸な運命と彼らには諦めてもらうのが最善であった。

 

「――――!!」

 

 彼の耳に届いたのは透き通った湖のように澄んだ声で、誰か助けて、というもの。

 その心を打つ悲しくも助けを乞う呼ぶ声に対し、目を閉じ耳を塞げば何ら害は無く。

 恐らくは少人数で拠点を渡り歩く行商人なのだろう。惜しむらくは賊の略奪に対抗する護衛を雇った隊商(キャラバン)ではなかった事か。商人が旅先でのトラブルは何も金銭問題や卸相場だけではない。目的地へ通じる道中にも危険は確かに存在するのだ。

 其れを怠った彼らのせい、とは酷な言い方ではあるが。責任は彼ら商人にもある。

 倒れたまま動かなくなった大人に覆い被さり、懸命に誰かへと助けの声を張り上げる小柄な身がならず者たちに引っ張られ、抵抗しようとする様をゲラゲラと嗤う光景が、其処に在る。

 汗水流して用意した品物と生命を略奪され、残された人間は尊厳すら汚される。

 これもまた、世に溢れる不幸な出来事の一つだ。

 何処にでも転がる、この世の日常である。

 

 ――――で、あるのに。

 

 カチリ、と鞘から山刀の留め具を外す音が鳴る。

 記憶が無いながらも、彼は己を善人ではないと自覚している。

 顔を合わせ、言葉を交わした覚えすらない人間がどう死のうと知った事ではない。

 目にしたもの全てに慈愛を抱き、拾い上げるような人格者ではないのだと先程の殺人風景を見て思い知った。アレを見て聞いたというに身体はピクリとも動かなかったのだから。

 では、何故今自分は動いているのか。

 それは、悲鳴を上げながら引き摺られて行く姿と、下卑た目と声でソレを楽しむ連中を見て「■■■■やる」と、何処かの誰かが言ったから。

 以前彼の内は何も風景を思い出せない、思い浮かばない。

 なのに、心の内から湧き上がり身体へと伝播する此れは、何なのか。

 頭で理解する事を捨て、彼の足は地を駆ける。身に再燃化した痛みを引き連れて。

 追い風の中で走り、草木を踏み越え通ろうとする動きは野の獣の如く。行動を妨げようと頭蓋を叩き割るような痛さを殺し、軽快な足音をお供にひた走る。

 考察で距離が離れていると断じた癖に、柔らかい叢生を抜け、凹凸のある獣道をも越えて、かの現場へ来たる身は、草場から伸び出た陰のよう。

 抜き放たれた山刀はこちらへ背を向けて歩き、血の溜まりに足着けた者どもへ誘われ。

 

「――――あ?」

 

 文字通り疾走した彼が聞いたのは、間抜けな声だった。

 大きく振った袈裟斬りは、敵の視界を一閃で妨害すると同時に左肩から右脇腹へと剣先を導き、貧相な皮鎧を着崩したならず者の肉を裂き割った感触を手に伝える。

 切り払った後に空中に躍り出た返り血に構わず、彼は左側に居た次の犠牲者、その背へと山刀を水平に突き入れた。その先は何か硬いものとぶつかり、踏み込んだ力を以て突き破った無骨な刃は胸の中央から外気に触れ、血を零す。

 小刻みに痙攣する相手の腰へと右足を置き、膝を利用した蹴りと同時に腰と腕の引きで赤黒くも濡れた山刀を抜く。

 新たに撒き散った血と身体の切り口から漏れ出た臓物の臭いが空気の流れに乗って広がる中で、自分たちのねぐらに戻り”戦利品”を如何に味わうか考えていた賊徒は、只々唖然とした。

 

「テメェ、なに――――!」

 

 襲撃者となった彼が脱力し掛かった四肢に一呼吸送って保たせると、朦朧状態から回復した男が先程の犠牲となった商人、その血で濡れた手斧を振りかぶるが、

 

「シィッ!」

 

 余分な動作を要さず脇をしめ、腰の捻りにより放たれた刺突を喉仏に受け、引き千切るように首と胴を絶たれた。そのまま首なしの身体を肘打ちで、後ろに居る連中へ押し付ける。首が無い男の死体を受け取る羽目になった二人は固い外見に似合わない高い声を上げるが、剣を振るう彼は無言でそれぞれの顔面に山刀を叩き付けた。

 奇声を上げて顔面を押さえる二人を尻目に、ゆらりと山刀を構え直す。

 

「な、何者だ、テメェは!?」

 

 小柄な人物、その少女の首元へ血錆が目立つ幅広の剣を近づけ、頭目と思わしき鉛色の金属鎧を着用した男が濁声で吠える。随分と酒を飲んでいたのか、はたまた仲間を殺された怒りのせいか、顔と防具から露出した二の腕は見事なまでに真っ赤に染まっている。正気に戻った残りのならず者たちも左右、背後の三方向から乱入者を囲い始めた。

 奇襲を終え前進も後退も難しくなった彼は、困惑と敵意が入り混じった視線の中で立つ。

 彼もまた正気に戻り、数の利点を潰そうとしでかした行為に戸惑いつつも、誠心誠意応えた。

 

「それは、俺が知りたいくらいだ」

「アァッ!? テメェ、ふざけてんのかっ!?」

 

 頭目は唾飛ばす勢いでがなり立て、その際に力んだのか剣が震え抱え込んでいる少女の首に刃が触れる。戦利品から人質と変わった少女は金属独特の冷たさと拘束する男の熱量に混乱し「ひっ」と押し殺した声が喉元より漏れ出た。

 ゆったりとした灰色の外套に身を包んだ少女は他と同じく戸惑いの色を隠せなかった。

 何せ頼りにしていた大人を目の前で殺害され、後はならず者たちの慰め者になり最後は殺される運命だと震えていた所へ、突如切り込んで来たのだから。

 少女にとって彼は助けてくれる救世主なのか、それともならず者たちに取って代わる殺人鬼なのかは判らない。

 理解できるのは、この場で最後まで立っていた方が自分を自由にするのだということ。

 

 頭目が首を振って合図を出し、配下のならず者たちが各々の武器を手に包囲を狭める。

 中心に居る彼は周囲に視線を撒きながら右手で山刀を揺らし、左手を開いた。

 身を屈め、突進しようと体勢を切り替えた刹那。

 

 ―――――――ォォオオオオオォォォオオオオオンンッ!

 

 大気を震わす咆哮が、その場を支配した。

 彼はその場にいる者の類に漏れず轟音に不意をつかれ、更に此処へ走る前から内を這い回る痛みに堪えていた為に外からの震動には抵抗できず、片膝を着いてしまう。無意識の内に剣の柄を固く握り締め、離さないように耐えるだけで精一杯であった。

 頭目たちは彼の後方に注目し、何ものかを指差しては声を上げるが、今も続く咆哮に打ち消され慌てる様を晒すだけに終わる。

 少女も同じく一点を見つめ、遂には放心したのか頭目が拘束を緩めているのに、脱出することができないまま。

 

「――――シィッ!」

 

 内外の圧力に負けじと耐えていた彼は湿気を含んだ地面しかその目に映せず、しかしそれが幸運に転じた。崩した体勢を整え右手側に右切り上げを仕掛け、相手の左脇腹から右肩へと抜くと力の流れに逆らわず反転、左手側に居た敵の腹目掛けて山刀を投擲する。

 彼は軌跡だけ半呼吸分見ていたが結果を見ず、腰のポーチ裏から小型短刀を引き抜き、背後で目を白黒させて微動だにせずに居た男の喉元へ突き立てた。

 血走った眼で右腕を掴み抵抗されるも、容赦なく短刀を捻っては押し込み絶命させる。

 

「ぐっ、があっ」

 

 背中に冷たいものが触れ、過ぎた後に灼熱感を感じ、殺傷した短刀と右腕を握って離さない遺体から武器を諦め、右腕だけを無我夢中で引いては横へ退く。

 地に倒れる遺体周りとは別に、今さっき居た場所に散った血痕と頭目の剣が、この痛みの原水だと主張していた。またも増えた痛覚の嵐に、発熱時の発汗を越える量が噴き出る。その他に短い間で動かし過ぎた右腕は他の部位より疲労が蓄積していた。

 が、敵は待ってはくれない。最後に残った頭目を睨み、残った最後の短刀を構える。

 彼が倒れなかった事に舌打ちした頭目は、振るっていた獲物を投擲武器にして使い捨てる度胸、それを見越して予備武器を用意している周到さにたじろぐも、しかし先程まで見せた動きに比べて明らかにたどたどしい動作であり、僅かな時間で配下を殺され数の優位性はひっくり返されはしたが、相対者の動きを冷静に見ることができた。

 

「へっ。オメェ、左がつかえねぇみたいじゃねぇか?」

「…………」

 

 嘲笑う頭目に対し、返事は無い。只々逆手に構えた短刀越しに見据えるのみだ。

 彼は思考の全てを戦術に傾け、隙を作る為に投擲するか、それとも組み合って急所に一突きするかを検討していた。頭の中で今も「何故こうも身体が動くのか?」という疑問は巡るが、既に手を出した以上考えるのは事が終えてからだと改めた。

 勝利を見出したのか不気味な笑いを刻む頭目の後ろで、人質にされていた少女は血の池にポツンと座り込んでいた。自ら好んでのものではなく、腰が抜けたせいだろう。小動物のように震えているのがその証拠だ。

 その姿を見たせいか、安堵したとでも云うのか。

 もしくは肉体疲労が限界を突破したのか、腕の位置が保てなくなり膝が不規則に動き始めた。

 

「ちっ」

 

 額から伝う汗が視界すら邪魔をする。意識すると息があがっているのにも気付き、不可視の重荷が肩に圧し掛かってきたような錯覚を覚えた。

 彼は、不味い、と口の中で呟く。

 

「膝が笑ってんぜ、にぃちゃんよぉ!」

 

 誰から見ても疲労困憊の彼へ、大振りの一撃が見舞う。

 その軌跡を潜り、懐に肉迫するも強烈な突きが彼の腹に刺さった。

 

「む、ぐっ」

 

 頭目に見透かされていたのか、前蹴りで体勢を崩されるも後ろへ転び、頭上を掠めた剣先を目で捉えつつ距離を取ろうとする。汗まみれ泥塗れになりながら必死に避けるが、相手はこれで仕舞いにする気か前進一辺倒で襲い掛かる。

 ちょこまかと動き回る彼に業を煮やして踏み入れては剣を振るっているだけなのだが、頭目にとってそれが最善手であった。距離を取ればまた他の隠し玉が来る。そう思えば短刀と相手の動きに注意しつつ剣を振るって削れば良い。

 投擲した山刀も刀身を握って絶命している遺体にあるし、それは既に後方である。拾いに向っても遺体から山刀を外すのに時間が必要だし、その時間を稼ぐことは難しい。

 目の前の光景に呆然自失の少女に、武器を拾えと叫ぶのは酷だろう。

 覚悟なしに暴力の世界へ投げられた少女にとって、彼は賊徒を相手にしてはいるが、味方と認識されてはいないのだから。

 

「がはっ」

 

 遂には躱し切れず、剣先が彼の右足を切る。若干動きを止めた隙に再び前蹴りが当たり、地面へ仰向けに倒れた。起き上がろうと身体を起こすも、振り上げられた幅広の剣が視界に入る。

 

「かかっ、ここに来るべきじゃなかったな!」

 

 勝ち誇った頭目が口角を凶悪なほど引き上げ、血走った眼で笑う。

 思い出と呼べる記憶が無い彼に走馬灯と云うものは訪れなかったが、この類の人種に屈して堪るかと睨み据えた。

 

 ―――ヒュン。

 

「あ、が、ぎゃあああっ!?」

 

 横合いから飛翔した鏃が、今まさに振り下ろさんと下降した頭目の右腕、その肩に深く刺さったのを彼は見た。窮地を救った助力を後回しに置くと、不意打ちを食らい悲鳴を上げる頭目に飛び掛かり足甲の隙間から左太腿へ短刀を突き刺す。筋肉を断ち切る感触を感じながら横へと引き裂き、音量を上げた叫びを真下で耳にしながら直立して、頭目の顎に頭突きを喰わらせ、硬直させた。

 仕掛けた彼も衝撃で足元が及ばなくなるが、頭突きで顎を押し上げられ無防備な首を晒した其処へ短刀を潜らせ、掻っ切る。

 

()()()! ()()()()()()()()!!」

 

 熱くなった心のままに、意図せずとも口から流れた文句。

 その驚くほど自然に出たことに目を瞬かせ、膨らんだ水袋に穴を開けたように漏れ出る血を受けながら、彼は肩で大きく息をし臓腑からせり上がる吐き気を抑えた。

 息を整えた彼は矢が突き進んできた方へ視線を飛ばすと、

 

「良い目と腕をしている」

 

 見晴らしの良い崖上で長弓を構える、黒髪黒瞳の少女を賞賛した。

 視界を遮るものが無いとはいえ、風向き次第で矢の行き先は狂うもの。

 それらを計算した上での射撃か、経験則から来る勘かは判らないが見積もって崖上から此処まで200フィート以上はある。その上で黒髪の少女は頭目の肩口を射抜いているのだ。

 この距離に加え高低差が横たわり、射角も平地とは異なるのだから手練れと見てよいだろう。

 彼は横合いから吹く風に揺れ棚引くサイドテールに目を奪われたが、残念ながら咽返るほど漂う血生臭い中では鑑賞すらできず早々に断念した。

 敵に回すなら遠距離射撃を旨とする弓兵は厄介極まりないが、第二射が放たれる様子も無い。

 味方とは呼べずとも、敵ではないのだろう。

 もし敵であるなら、第二射が彼を貫いてるに違いない。

 そうすると、この場所で彼以外に動くものは囚われていた少女だけとなる。

 少女は青褪めた幼い貌を乱れた銀髪の間から覗かせ、ふらふらと酷く緩慢な動作で立ち、視線を合わせるとはっと息を飲んだ。

 

「うっ」

 

 それが悪かったのだろう、小さな両手で口元を覆い隠すと、湖の方へ駆けて行った。

 渦中で立つ彼も胸辺りから固まりを押し上げられる感覚に苦しんでいるのだ。刃傷沙汰と親しみが薄そうに見える少女には刺激が強過ぎたのだろう。

 崖上に在る女弓兵に手を振り、番えていた矢が筒に戻されるのを見届けてから、恐らく胃の中身を吐いている少女を追い湖岸へ向かう。

 心身共に弱った少女へ近寄る前に、全身の血を洗い落とさなければ、と。

 彼は回収した山刀と短刀を、其処らにある適当な遺体の衣類で拭いてから刃物を鞘に戻し、疲労を抜くには程遠い状況と飽きる事無く体中を走る痛みに辟易とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シロディールからスカイリムに流れ着いたエイミーは、天涯孤独の身だった。

 彼女の齢が十を数える前に出身の寒村で病が蔓延し、それが元で両親を失い引き取り手が見つからないまま過ごし、遂には独りで生きてきた。

 村民は何処も貧しく蓄えがあるわけではないので今となっては笑って思い返せるが、当時は幼子一人には広く、呟きと呼吸が反響する家屋に残された自分を憐み、逝去した両親を恨んだものだ。

 その親が遺してくれた狩猟道具と弓術、動植物の知識を頼りにエイミーは昼夜問わず野山を駆け歩き、十四回目の誕生月を迎える頃にはかつての父母に劣らない狩人となっていた。

 身体も変わり、弓で狙う時に邪魔になるからと腰まで届く黒髪を左側頭部に結えたサイドテールが吹雪の中で踊り、黒曜石のように深い瞳は円らながらも釣り気味で、家が貧しかったせいで発育に乏しくとも、女性らしい丸みを帯びた肢体は十二分に美しく成長していた。

 翌年には狩りの腕前も村一番になり、揺るぎ無い自負と遣り甲斐を彼女の中へ育む。

 だがそれも、一年ほどで終わった。

 彼女の技量に勝る狩人が誕生した、ワケではない。

 元々小規模だった村の人手が割れ、廃村となったからだ。

 今まで心通わずとも隣人であった村人たちは縁を頼りに離れ去り、両親が死んでから近寄る人間も少なく親族も知らない彼女は最後まで村に残り、そして故郷が滅ぶのを見届けてから巣立った。

 その後も狩猟を続けながら転々と渡り、ふらりと寄った酒場でスカイリムを話題に騒ぐ一団から話に聞き、新天地を求めるのも良いかと思い同伴したのだが、

 

「怪しい一団め、止まれ!」

 

 馬車に揺られるままスカイリムに入り、故郷と同じ雪原は変わらずとも新たな大地に心躍らせていたエイミーは、その日に厳重な警備状態で街道を見張る帝国軍に掴まり、意味も分からないまま捕縛された。

 共にスカイリムへ入った一団は抵抗したのか、帝国軍の兵士とぶつかっては倒され、運が悪い者は其処で切り捨てられた。

 犯罪者よろしく両腕を拘束され、苦楽を過ごした道具一式を奪われ粗略に扱われた時はカッとなったが、切り殺されて雪山に放置された反抗者の末路を見ていただけに、悔し涙を流し我慢する他なかった。

 幾つかある天幕すらない馬車の一つに乗せられ包囲する軍兵に睨まれる中、寒空の下で訳も分からず護送される。

 両親を失ってから泣かないと誓った彼女も、兵士たちの無遠慮な視線と扱いに屈辱を感じ、何処へ連れて行かれるか分からない恐怖に耐え切れず、膝を抱えて啜り泣いた。

 声を押し殺して泣くエイミーの耳に入ったのは、憤懣を散らすには力不足のもので。

 

「俺たちはスカイリムの為に戦う、ストームクロークだぞ!?」

 

 叩き付けられるように馬車に乗せられた集団が、声高に文句を言う。

 彼女は五月蠅い、静かにして欲しいと心の中で望む。

 それが激昂している彼らに届く筈も無く。馬車に積まれても只々帝国軍へ罵詈雑言を叫んだ。

 エイミーに気付いた何人かが近寄り話し掛けて来るが彼女の心理状況はコップ一杯に注いだ水のようなもので、何時決壊するか分からないものだった。

 彼女にできるのは膝を抱える腕に力を入れ、時間が過ぎるのをひたすら待つだけ。

 いつもの狩りをする時に物陰に伏せ、獲物が通るまで待機するのと同じ我慢比べなのに、実りのない行為だと心に在る狩人の部分が溜め息を吐いた。

 

 窮屈な身に蓄積した疲労がエイミーの意識を沈めたのか、彼女は何時しか眠っていた。

 捕縛された時に衣類も脱がされ、襤褸を着ていただけなのに案外眠れるものだと、彼女は寒さに身震いしながら笑う。その内訳は強がりと諦めが半々だったけれど。

 ともかく、一睡した分幾らか気持ちは晴れ、彼らの会話に聞き耳を立てる程度は回復した。

 口を開くには重いものがあったが、この捕り物は何事か問うと意外にも彼らは饒舌だった。

 この馬車が到着した先を理解しているのか、それとも顔を上げたエイミーの容貌が好みだったのかは判らないが、相槌を打つだけで彼らは()わる()わる答えてくれた。

 

 曰く、自分たちはスカイリム解放の為に立ち上がった真のノルド。

 曰く、タロス信仰を禁止するサルモールを打倒するイスミールの戦士。

 曰く、ウルフリック・ストームクロークこそがスカイリムを導く上級王である。

 

 よくよく観察すれば、彼らは確かに戦士なのだろう。屈強とは言い辛いが、鍛え込まれた筋肉が衣類の下に隠されているのが分かる。その体には大小の傷が所々に有り、それらが戦いへ参加した経験を物語っているように思えた。

 

「ふぅん……それで反乱を起こしてる、と」

 

「反乱ではない! 次の上級王を決める為の、正当な要求を訴える戦いだ!」

 

 エイミーの言葉が気に入らないのか、壮年の男が進み出て力説する。

 にじり寄り鼻息荒く叫ぶものだから睫毛を伏せ「そっか、ゴメンね」と返しておくが、彼女の中ではやはり、”ストームクロークの反乱”だと残される。

 口には出さないものの、厄介な時期に来てしまった、と呻く。

 山里で長らく生活していた為にエイミーは世の情勢に疎い。

 ほぼ毎日狩猟に出掛け、月に一度訪れる行商かシロディール北方の街、ブルーマで狩猟した兎や鹿の肉と皮を売る。懐に余裕があれば酒場へと寄り、吟遊詩人や旅人の話を聞く。

 それが彼女の世界であり、全てだった。

 狭い世の中で生きてきた寒村出身の田舎娘に、スカイリムを二分にする戦いが起きているのだと言っても、正直困るのだ。

 生まれた国のシロディールが戦争に負けたという事実も余所の国で起きた出来事のように思っているのだから、隣国の状況なぞ知る由も無い。

 

(どうしよ……これって、かなり不味いんじゃ?)

 

 つまり目の前に居る彼らは、反乱軍と云う事になるワケで。

 そしてシロディールから派遣された帝国軍は、その反乱軍を鎮圧しにスカイリムに駐留する軍隊なのだ。治安維持の為という大義名分付で。

 おまけに今の自分は反乱軍の一味と掴まり、身包み剥かれて護送されている真っ最中である。

 エイミー自身は知らないが、出身部がシロディールの北方でスカイリムに近い背景もあり、彼女には僅かながらノルドの血が流れている。雪がしんしんと降るにつれ低かった気温が更に下がり、風に身を切られながらも体調に重い不調が無いのは此れまでの環境が身体を育んだだけではなく、寒さに強いノルド人の特性を持つ所が大きい。

 身に宿るものを考えれば彼女もスカイリムに縁がある人間なのだが、由縁を教える前に両親を失ったエイミーには関係がない事と大差なく。

 

(やばいやばいやばいやばい! このままじゃ僕も反乱軍と同じ扱いで、殺されちゃうよ!?)

 

 馬車の到着する地の名はヘルゲンと云い、其処が処刑場とも。

 ふと見れば彼らは運命を受け入れているのか、騒ぐ事を止め静かに瞑目していた。

 信じた道の半ばなれど殉死を望む者たちに囲まれたエイミーは心中穏やかざるものを独り抱え、寒さに身を固くしつつ冷や汗を流す。

 どうやってこの状況を切り抜ければ良いのか考え悩むも、自分が蓄えた知識と経験の中に無く。

 

(どうしようどうしようどうしよう!? 反乱軍の人間じゃないのに、処刑されちゃうのかなぁ? ストームクロークの事なんて、今知ったのに? スカイリムに来たのも、初めてなのに、こんなのってないよぉ……)

 

 死を予感して涙腺が緩んだのか、瞳から一筋の滴が落ちる。

 慣れてしまって其れほど不幸とは思わなかったが、幸せというものから縁遠い所に居たエイミーは、今日初めて自分は不幸だと自覚した。

 眉間に力を入れ拘束されたままの手で顔を覆い、寒さで割れた唇から嗚咽が零れた時に。

 

 其れは来た。

 

 ―――――――ォォオオオオオォォォオオオオオンンッ!

 

 何か大きな獣が唸り声を上げたような、我は此処に居るぞと盛大な自己主張にも聞こえる大音響がエイミーの耳と思考を叩いた。

 驚いて泣きじゃくった顔をそのままに辺りを見渡す。周りに居たストームクローク兵が灰色の空を見上げ、

 

「ド、ドラゴンだ」

 

 戦きと興奮に染まった声で呟いた。

 

「本当だ、ドラゴンが」

「ドラゴン? おいおい、俺たちはおとぎ話の世界に紛れ込んだってのか!?」

「なら、あれを見ろよ! あれはどう見たって、ドラゴンだ!」

「伝説が、蘇ったのか……」

 

 死を待つ顔をしていた兵士たちに生気が戻り、紅潮させるほどの興奮が彼らを満たしていた。

 ドラゴンという新しい情報に混乱しながら、エイミーは彼らが見つめるものを捉える。

 雪が降る空を、首長の獣が飛んでいる。

 硬質の棘が突き出た体躯、短い四肢とそれに反する長い首と尻尾があり、幾つもの角が重なった頭部は何かを探しているのか左右に動いている。

 かの翼は全長よりも長く、巨体を覆えるほど広い翼膜、薄暗い瘴気を発しながら空を進み、黒いドラゴンは威容足る姿を以て君臨していた。

 遥か遠い上空からの咆哮が地べたの人間を竦み上がらせ、在りえない生き物を目しているだけに息を吹き返した伝説を前に人々の興奮が増長する。

 それは、馬車を囲む帝国軍兵士も同じであった。

 皆が襲来した伝説上の生物、ドラゴンに視線が釘付けとなり、無防備な姿を晒していた。

 

「お、おい。今なら逃げれるんじゃないか?」

「――――行くぞ!」

 

 その声が転がり出ると、ストームクローク兵士は一様に馬車から飛び降り、手短な帝国軍兵士を殴り飛ばし蹴り飛ばし始めた。

 倒れたら手隙の者が圧し掛かって動きを止め、更に空いてるストームクローク兵士がその腰から剣や斧を奪い拘束具を切り落としていく。獲物を簒奪した彼らは取り押さえようとする帝国軍兵士に切り掛かり、次々と血の池へ沈めた。

 中には反撃され、剣に胸を突かれるストームクローク兵士も居た。

 けれど、それ以上に不意を打たれた帝国軍兵士は劣勢で、徐々に数を減らしていく。

 瞬く間に制圧が終えると彼らは口々に雄叫びを上げ、囚われの仲間を救おうと次の馬車へ、それが終わればその次の馬車へと躍り掛かって行った。

 

「え、あれ、ちょっと……!?」

 

 取り残されたエイミーは慌てて馬車から飛び降りた。

 彼女は御者台近くで両軍の兵士が重なり合い息絶えた死体、その上に落ちている広刃の剣で四苦八苦しながら拘束具を断つと、御車台にある道具箱へ駆け寄る。

 幸いにも施錠はされてなく、箱を開けると見慣れた品々がエイミーを迎えた。

 

「あ、あった! 僕の装備!」

 

 そう喜んだのも束の間、地上を威嚇し飛んでいたドラゴンが急降下し馬車の周りへ火を吹いた。発された火の玉が通り過ぎる際に、ひりつくほどの高熱が剥き出しの顔面と手足を舐める。

 

「あうっ」

 

 思わず地面に落ち、雪が積もった中へ飛び込む。

 それでも道具箱を抱えたのは流石の執念と云うべきか。

 矮小な存在の末路等は些事だというように、ドラゴンは破壊を振り撒きながら捕縛した反乱軍の護送先であるヘルゲン砦へ向かって行った。

 

「うぅっ、体がヒリヒリする」

 

 身を沈めた雪と遜色なかった白い肌が、火傷のより僅かに赤く変色していた。

 此れまでの人生から、物事は嘆いても始まらないと知るエイミーは衣装箱から装備を取り出し、手早く身に付ける。

 身体の線が浮いてしまう薄い衣類の上に硬い生地の外套を着込み、自ら仕留めた鹿の毛皮を鞣して設えた皮鎧を重ねる。彼女からしてみれば大事な一張羅で、手放せない防寒着でもある。

 雑品混じりの革袋の上から粗末な布で巻かれた矢筒を背負い、獲物の解体で幾度も世話になった鉄製の短剣を腰に釣るす。年代物の大樹から削り出したと聞く長弓を左手に握れば普段の生活装束となった。

 

(あの人たち、まだ戦ってるみたい) 

 

 両軍を混乱へ叩き込んだドラゴンが頭上を去ると、後には怒号と剣劇の音色だけが残る。 

 猛々しい叫びのにあって助けを乞う声は揉み潰され、幾人もの流血が街道に積もった雪を汚し、互いを口汚く罵る応酬が繰り広げられていた。

 突撃した兵士を盾で殴り飛ばし、体勢を崩させると剣を喉元へ差し込む。

 敵前に躍り出るや両手に持った二つの斧を振り回し、首と腕を斬り飛ばす。

 四方から刃に刺され、臓物と血を撒き散らしながらも前進を止めず戦い続ける彼ら。

 戦場の狂気に侵された両軍の兵士たちは次々と千戟を交え、血の海へと沈んで果てる。

 

(悪いけど、どっちが正しいか僕には分からない。今は此処から離れる方を優先させてもらうよ)

 

 ストームクロークの兵士たちと多少は言葉を交わしたけれど、彼らの言う主張が胸に響いたわけではない。スカイリムの為だと戦いたければ戦い、本懐を遂げれば良いとは思う。

 ただ、一介の狩人でしかない自分には関係は無い。それだけは確かだった。

 帝国軍兵士には一言で云えば「如何でも良い」存在でしかない。

 事有る度に使命だ、任務だと五月蠅いのは置いとくとして。有無を言わさず関係が無い自分から物を奪った挙句に襤褸を着る事を強要し、乙女の裸身を視姦したことは絶対に忘れない。

 強姦されなかっただけマシと諦めがつくほど、彼女は大人でも強くもない。

 エイミーには共感できない戦いに飛び込むほど死に飢えていないし、恥辱を強いた連中を許して肩を並べる耐久力もなかった。

 

 ヘルゲン砦に至る街道から外れ、獣道をひたすら駆けて抜けた先。

 一歩でも離れたいと無我夢中で走った彼女は、雪解けた野原や森へと足を踏み入れていた。

 生息する植物に気を取られ速度は下がりはしたものの、この森を住処にする動物へ無用な刺激をしないよう足音を忍ばせて進む。

 そうして夜間踏破した彼女は、

 

「アァッ!? テメェ、ふざけてんのかっ!?」

 

 またも鼻に衝く、血の臭いが濃い場所へ出ていた。

 怒鳴り声に驚きながら歩き、見通しが良い崖上からキョロキョロと見下ろす。

 其処に居たのは青い外套の青年を囲う、身形から山賊の類とおぼしき連中であった。能々目を凝らせば山賊の頭目らしい男が少女を人質に取り、青年の動きを止めているようだ。

 

(スカイリムに来てから、こんなのばっかだよ……此処は血生臭すぎる)

 

 他には横転した荷馬車から品物が雪崩を生み、一頭の荷馬が無残にも切り倒されていた。

 近くに行商人らしい男が倒れ伏し、浸った血の量から絶命しているように見える。

 少し離れた場所には同様な状態で四人が死んでいた。

 山賊内の仲間割れか、それとも今囲まれている青年がやった所業なのか。

 もし青年が単独で襲撃を行ったとすれば、無謀極まりない行為である。

 山賊の八人中四人と、半数を不意打ちで仕留めた技量は成程、確かに強者なのだろう。

 だが、今は一対四と数的不利は変わらない。

 エイミーの脳裏には街道の戦いで見た、四方から切り裂かれる兵士の姿が浮かんだ。

 結局あの青年も、同じ末路を辿るのか。

 

(みんな、命を粗末にし過ぎだよ……あの子だけでも、助けられないかな)

 

 望んで戦いに向かう人はともかく、囚われたまま震える女の子は死を求めているわけじゃない。

 男たちに苛立ちを覚えつつ、弓を構え矢尻を弦に乗せる。

 頭目の額を射抜ければと狙うが、鏃の先にあるのは木の種以下の目標物だ。

 射撃地点を変えようと移動した時。

 

 ―――――――ォォオオオオオォォォオオオオオンンッ!

 

 記憶に新しいドラゴンの咆哮が、再び響いた。

 身体を掠めた火の息、その高熱を思い出してエイミーは怯え屈み込んだ。

 痛みの恐怖から挙動不審になる彼女の、またも上空に出現した黒いドラゴンは以前と違い、只々空を駆けては去って行く。

 

(こ、今度は無事みたい。……まったくもう、アレは何なのさ!?)

 

 白く連なった山間へドラゴンの姿が消えると、精神的苦痛から大きく息を吐いた。

 このスカイリムは、あの化物が跋扈する土地なのだろうか。

 故郷シロディールでも幾度か争乱があったと聞いた事があるが、当時を生きていないからただの昔話で終わったというのに。

 

(あ! 下はどうなったの!?)

 

 ドラゴンが去った方角をぼんやりと見つめていたが、今さがた自分がしようとしていた事を思い出し、慌てて弓と矢を手にする。

 眼下では先程の光景とはまた違うものをエイミーへ見せた。

 何かを堪えるように蹲っていた青年が立ち上がるや向かって右手側の山賊を斬り殺し、左手側には手に持つ山刀を投擲したのだ。そのまま腰から短刀を引き抜くと背後の敵へ襲い掛かりその喉元を刃で貫いた。

 

(あの人、一体何なの。手慣れてる? ……あっ!)

 

 瞬きの間に三人も屠った青年は間違いなく強者であるが、最後に倒した敵に右腕を掴まれ、離脱する事が出来ずにいた。

 その無防備な背に、少女を投げ捨てた頭目が剣を振り下ろした。

 斬られた青年は小さく震え、次に横に跳んだ。湿り黒く塗れた土と血を蹴り散らし、失った武器の代わりに二本目の短刀を手に頭目と対峙する。

 先のように躍り掛かるのかと思いきや、青年は膝から体勢を崩した。

 頭目の剣には毒物でも塗布されていたのか、四肢の様子がおかしい。

 相手が不調をきたしたと見る頭目が前進を開始し、対する青年も一度は接近したが敢え無く蹴りを喰らって後ろに転がり、追ってきた剣先から左右に身体を揺らして避ける。

 幾度も躱し続け剣に空を切らせるも、体力が尽きたのか動きが鈍重になり、足に切り傷を負う。

 何事かを宣う頭目が剣を振り上げ、仰向けになった青年はその行き先を睨むのみ。

 

(あの人、おっかないけど、悪モンじゃない……よね?)

 

 一部始終見ながら射撃体勢に入ったエイミーは狂信者の反乱軍や横柄な帝国軍ではなく、行商人を襲った山賊と生き残りを救おうと奮闘する青年の戦いに介入を決めた。

 短い風切音を奏で、引き絞った弓から放たれた矢は崖下から吹く気流に干渉されるも抜き切り、頭上に掲げた剣を振り下ろさんとした頭目の右肩に突き刺さった。

 矢が深々と肩へ刺さり、痛みに悲鳴を上げる頭目。それを好機と見た青年は頭目の下半身へ取り付き、握り締めた短刀を脚の防具が保護していない部分へ突き刺した。

 野太い叫びがエイミーの居る所まで響き渡る中で、青年は立ち上がると同時に頭目の顎へ頭突きを仕掛ける。直撃した両者はお互いの足元が怪しくなるも、先に回復したのはやはり青年だった。

 

 ――――――!

 

 勝ち鬨なのか大声の下に短剣を走らせ、その線上にあった頭目の喉を切り裂いた。

 青年は暫く肩で息をしてから、エイミーの方に顔を向ける。

 全身血塗れの青年は元の赤毛がより鮮やかに染まっていた。

 スカイリムに足を踏み入れて以来よく見る不吉な色だが、彼も不幸を運ぶ性質なのだろうか。

 

(とりあえず此処から降りよう。今は二人と会って、其れから今後の事を考えれば良いや)

 

 眼下には口元を覆って走り出した少女と、己の惨状を確認しながら追う青年。

 二人に合流しようと向かう彼女には、ある意味最初の現地人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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