姫君の依頼
トリステイン魔法学学院の夜、ルイズは心地良さそうに眠っていた。
よほどいい夢を見ているのだろう、「ワルド様ぁ〜」と寝言で呟き、にへーっと可愛らしい笑みを浮かべている。
「おい、起きろルイズ」
それに対するこの外道。ミラはルイズが抱きついている毛布と共に、ルイズを床に叩きつけた。
「痛っ!何すんのよミラ」
当然起こるルイズ。しかしまだ寝ぼけているのか、目をぼんやりとさせている上、いつもと比べて怒鳴り声に声量がない。
「いや、別に起こすつもりはなかったのだが…どうもこいつがルイズと話させて欲しいとうるさいものでな」
「こいつ…?」
ルイズが目をショボショボさせながら部屋の明かりをつける。
そこには、フードで顔を覆った何者かが、ミラに拘束されてもがいていた。
「誰よそいつ⁉︎」
ルイズが一気に覚めた。
「さぁ…近くで何やらコソコソやっていたから捕まえた、この感触からして女だろう……食ってもいいか?」
ビクリ、と体を震わせ抵抗する力を強めるフードの女だが、体を締め付けるミラの腕は強く、羽を掴まれた虫のように体をばたつかせるだけであった。
「…そいつの出方しだいね」
「アイアイサー」
「ちょ…ちょっとまって‼︎」
冷たく自分を見下ろすルイズと、ニヤリと恐ろしい笑みを浮かべるミラの顔を見て、いよいよ命の危機を感じたフードの女が、大声でそう叫んだ。
「って…今の声…」
それは聞き覚えのある声だった。そう、それはつい最近聞いた声…そして深く被ったフードから僅かに見える、赤みがかった髪…ルイズの顔がみるみると青くなっていく。
「…で、食っていいのか?」
「いい訳ないでしょ‼︎早く解放しなさい‼︎」
「私の夜食にするつもりだったんだが…」
「いいから早く‼︎」
渋々ながらも、拘束の手を緩め、フードの女を解放した。
「も…もももも、申し訳ございません姫殿下‼︎
ほら、ミラ!あんたも謝りなさい‼︎」
不審者かと思いぞんざいに扱っていた相手が、自分の尊敬するトリステインの王女、アンリエッタだったのだ。
もちろんルイズは謝った。精魂込めて…実に見事な、貴族の者とは思えない程綺麗な土下座だ。
「何故私も…使い魔としての使命を果たしただけだろう」
「い…いいのよ、顔を上げて、ルイズ・フランソワーズ。
こんな時間に尋ねた私にも非はありますわ」
ミラの馬鹿力に締め付けられ、息苦しかったのだろう、アンリエッタはケホケホと噎せながらルイズにそう言った。
「しかし一国の王女が、よく誰にも見つからずここまでこれたな」
ミラの言うことももっともだ、王宮は言わずもがな、ここトリステイン魔法学院も、土くれのフーケの件から警戒が厳重になっている。おまけに王都からこの学院までは馬で二時間はかかる。
いかにアンリエッタが優秀なメイジであろうが、そうそう簡単な事ではない。
「それは私の使い魔のおかげです、彼の能力は隠れるのにうってつけですので」
「彼…?」
ルイズは首を傾げた。
普通自分の使い魔を「彼」などとは呼ばないからだ。
「えぇ、今あなたの後ろに立っているわ」
そう言ってアンリエッタが、ルイズの背後に視線を送った。
釣られて後ろを振り向くルイズ。
そこには、先のアンリエッタと同じように、フードで顔を覆った小柄な男が、腕を組み扉に寄りかかっていた。
「い…いつの間に…⁉︎」
ルイズが驚くのも無理はない。この男はさっきまで、確かにこの部屋の中にはいなかった。
扉を開けられた訳でもなく、窓から入ってきた訳でもない、正に突然この場に現れたのだ。
「…この男…私と同じような存在だな?」
「やはり…同じ韻竜にはわかるのですね」
「なんとなくだかな」
「…ということは…あの人も…?」
「はい、黒龍の使い魔さんと同じ、韻竜です」
ルイズの問いに、アンリエッタが笑顔で答えた。
「つい三日前に契約したばかりですが…彼は十分に忠義と、その実力を見せてくれています。
まだ過ごした時間は短いですが…私は心から信用した臣下と同じくらいの信頼を、彼に寄せています」
「その割にはさっき助けようともしなかったな、本当に忠義とやらはあるのかね?」
「失礼でしょミラ‼︎」
アンリエッタを小馬鹿にする様な笑みを浮かべるミラに対し、ルイズが叱りつけた。
「…先程彼が手を出さなかったのは、私を見捨てたのではなく、私が止めたからです。
友人であるルイズの使い魔であるあなたを、傷つける訳にはいきませんから」
アンリエッタがそう語った。弁解しておくが、彼女のこの言葉には一切悪意はない。
ミラボレアスが弱いと言ってるのではなく、自分の使い魔に絶対的な自信がある、というだけだ。
「私がそいつに…負けるだと?」
「気に障ったのなら謝罪します」
アンリエッタが心底申し訳なさそうにそう言った。
「いいや、結構、実に素敵なことではないか、やれるものならば是非ともやってほしいものだ。
…なぁ、隠霧の龍よ…」
ミラボレアスはアンリエッタの言葉を受け流し、依然として扉に寄りかかったままのフードの男にそう言った。
「隠霧の龍…?」
「姿を隠す能力…間違いない。人間には“霞龍オオナズチ”と呼ばれていたかな?」
ルイズの疑問に対し、普通に受け答えするミラボレアス。
しかしその赤い眼球は、尚もオオナズチを写している。
「警戒でもしているか?ずっと私を睨みつけているが…
フフフ…お前にその気があるのなら構わない、私はいつでもいいぞ?それとも、ここで遊ぶには自分の主が心配か?」
ミラボレアスの言う通り、オオナズチは先程からずっとミラボレアスを睨みつけていた。いつでも戦えるように出方を伺っていたのだ。
オオナズチの敵意剥き出しの視線に対し、ミラボレアスは怒りなど微塵も抱いてはいない。むしろ逆である。楽しいのだ。
敵意を向ける…ミラボレアスにとってそれ即ち遊びの誘いである。ならば自分も相応の敵意を持って、相手との遊びに興じるだけだ…そう、闘争という名の遊びにだ。
ミラボレアスは獰猛な目をグニャリと歪めながら、一歩…また一歩とオオナズチの方へと歩いていく。
対するオオナズチも、組んでいた腕を解き、体重を預けていた扉から背を離し、臨戦態勢に入った。
睨み合う二頭、部屋の中には唸り声が響き渡る。
凄まじい迫力だ…まだ人間の姿であるにも関わらず、黒龍とカメレオンの様な風貌をした龍…その二頭の龍が向かい合っている虚像すら見えるほどだ。
「出過ぎよミラボレアス!下がりなさい‼︎」
「あなたもよ!オオナズチ‼︎」
瞬間、ぶつかり合う二つの敵意は消滅した。
「…いや、失礼…久しく同胞に会ったのでな、少し舞い上がってしまった。
了解だ、我が主人」
「・・・・・」
そう言ってミラボレアスは部屋の隅に下り、オオナズチは無言のまま、再び腕を組み扉に背を預けた。
両主人がホッと胸を撫で下ろす、こんな所で暴れられたら災難は免れない、両者がまだ言葉を受け入れられるだけの理性が残っていた事に、心の底から安心したのだ。
「度々申し訳ございません、姫殿下」
「いいえルイズ、私も余計な事を言ってしまいましたわ」
アンリエッタそう言い、一度大きく深呼吸をして本題に入った。
「…ルイズ…貴女にこんな事を頼むなんて間違っているでしょう…でも、もう貴女しか頼める人がいないのです」
アンリエッタが沈んだ顔で…今にも泣き出しそうな程弱々しい顔でルイズの両手を握った。
「ど…どうしたのですか姫殿下⁉︎」
突然自分の前で弱みを見せたアンリエッタに対し、ルイズが戸惑いを見せる。
「本当にごめんなさいルイズ…貴女は私の親友なのに…それなのに、貴女を危険に晒してしまうかもしれません…それでも、それでも私の話を聞いてくれますか⁉︎」
「もちろんです姫殿下!私にできる事ならば!なんなりとお申し付けください!」
目に涙を浮かべて懇願するアンリエッタに対し、ルイズがない胸を張ってそう言いきった。
「…ありがとう!本当にありがとう!ルイズ・フランソワーズ!」
アンリエッタは泣きながらルイズに抱きつき、心の底から感謝した。
原因はわからないが、心身ともに参っていたのだろう、ルイズがアンリエッタの体を優しく抱き返す。
一旦間を置き、落ち着きを取り戻したアンリエッタは、ベットに腰を下ろしながら話を続けた。
「…私は、ゲルマニアに嫁ぐ事になりました」
「ゲルマニアですって!!?
よりにもよって…あんな野蛮な成り上がり共の国と⁉︎」
ゲルマニアと聞いて、血族に因縁を持つルイズが口を挟んだ。
「随分ないい様だな、仮にも知り合いの祖国だろうに」
「関係ないわそんなの」
確かにキュルケの故郷もゲルマニアだ。
いつもケンカはしてるが、キュルケ個人は心底嫌っている訳ではない。しかしそれとこれとは話が別だ、自分の家とゲルマニアには因縁があるのは事実なのだから。
「仕方ありません、小国である我がトリステインを守るには、大国であるゲルマニアと、強固な同盟関係が必要なのです」
いわゆる、政略結婚というやつだ。
アルビオンの貴族が反乱を起こし、現在アルビオンの王族派は滅亡の危機に瀕している状況だ。王族派と貴族派の戦力差は絶対的である。敗れるのは時間の問題だろう、そしてアルビオンの王族派を打ち破った後、次に狙われるのはここトリステインだ。
しかしトリステインには、アルビオンの貴族達に対抗できる戦力は無い、だからこそ、軍事大国であるゲルマニアとの同盟が必要なのだ。
「でも…だからと言って…!」
「いいのよ、ルイズ。王族として生まれた以上、好きな殿方と結ばれることなど諦めていますから」
アンリエッタは、まるで自分の事の様に憤慨するルイズに嬉しく思いながら、片手を上げて怒りを静めた。
「…当然、アルビオンの貴族派達は、我々とゲルマニアの同盟を望んでいません。
ですから、現在アルビオンの貴族派達は、私とゲルマニア皇帝との婚姻を妨げるものを、血眼で探していることでしょう」
暗く沈んだ顔で話すアンリエッタの顔を見て、ルイズは察した。
「…もしかして、姫様にはその材料となり得るものの心当たりが…?」
図星であった。
アンリエッタはその場で顔を覆って、嘆き声をあげた。
「おお…始祖ブリミルよ、この愚かな姫をお許しください」
取り返しのつかない事をやってしまった、自分だけでなく、この国全ての人間を危険に晒す誤ちだ。
アンリエッタはどうしようも無い罪の意識によって、大いに感極まっていた。
「姫様!その婚姻を妨げる材料とは、一体何なのですか⁉︎」
ルイズが少し強い口調で、アンリエッタの肩を掴んでそう言った。
アンリエッタは俯きながらもポツリと、震えながら話した。
「私が以前したためた…一通の手紙です」
「手紙?」
アンリエッタの言葉に、ルイズは繰り返し呟いた。
「その手紙がアルビオンの貴族達の手に渡れば、ゲルマニアの皇帝に告発され、婚姻は破棄されることでしょう…」
「その手紙は…今どこに⁉︎」
アンリエッタは暫くの沈黙の後、めいいっぱい息を吸い込んでこう答えた。
「アルビオンの…ウェールズ皇太子の手に…」
「ウェールズ皇太子…⁉︎現在戦火の中にいる、アルビオン王家の皇太子様の…⁉︎
では…姫様の以来と言うのは…」
「勝手なのは承知しています!こんな事を貴女に頼むべきではないことも…
…もちろん、今から断ったって構いません!もともと私の失態が事の発端です。ですから…貴女に強制させるわけでには…」
「何を仰るのですか姫様!このド・ラ・ヴァリエール家が三女!ルイズ・フランソワーズは!親友であり主君である姫様と!我が祖国トリステインの為ならば!例え地獄の底だろうと向かって見せます‼︎
戸惑いなど必要ありません、姫様!存分にこの私目に、御命令を‼︎」
「本当に…今の話を聞いても尚…私の頼みを…聞き入れてくれると…?」
「当然です姫様!私はいつまでも姫様の友人であり、理解者です!
この忠義と友情は誠のものであり!今後一切、崩れることはございません!」
ルイズは地に膝を着き、アンリエッタの目を燃える瞳で真っ直ぐ見つめながらそう言い切った。
まだ十七にして完璧な忠義と、その証明。熟練の騎士ですら、その姿には感動を覚えるだろう。
「ルイズ…私のお友達…貴女は…本当に…」
アンリエッタは再び感激の涙を流し、ルイズの両手を握った。
してもしきれぬ感謝の気持ちが、涙と共に溢れ出る。
「お話はお聞きしました姫殿下!このギーシュ・ド・グラモンも、姫殿下のお力になりたく存じ上げます!」
「ギーシュ!!?」
扉の方から大声がしたため振り向いてみると、そこにはギーシュが、オオナズチに襟首を掴まれ猫の様にぶら下がりながらも、ルイズに負けず劣らずの威勢で、自らを推薦していた。
「あんた今までの話を聞いていたの⁉︎」
「ウェルダンデと夜の散歩をしていたら、やたらとこの部屋をウェルダンデな気にするものでね、少し様子を探ってみたら、なんと麗しの姫様の声が聞こえてきたものだからね」
何故か自慢気にそう語るギーシュ、確かに彼の足元にはウェルダンデがノソノソと歩いている。
「それで、聞き耳を立てて盗み聞きしてたというわけね…」
ルイズが呆れ半分でそう言った。
いくら姫様の声がしたからと…使い魔に連れられてとは言え、女子の部屋に聞き耳を立てて様子を伺うとは、前から女性にたいしてはたらしだったり問題はあったが、更にやばくなってきているのではないか…
と、ルイズは本気で心配になった。
「まだ小さな幼体とは言え、我々と同じ種族…同族の匂いにでも釣られたか?」
「え…?そうなのかい?」
ウェルダンデを見ながらポツリと呟いたミラの言葉に、ギーシュが反応した。
「あぁ、今は未熟だから無理だが、成長すれば我々の様に、人語を解したり人に化けたりできる魔法を身につけられるかもしれんな」
「ギーシュのウェルダンデにそんな秘密が…?」
「発表会でも評価が高かったですものね」
三人はウェルダンデが実は凄い生物だったことを理解した。
「あぁ、そう言えば貴方はグラモンと名乗っていましたが…もしかして、あのグラモン元帥の?」
「息子です!」
「まぁ!それは頼もしい!」
アンリエッタは感激しながら、オオナズチに「降ろしてあげて」と、ギーシュを解放するように命じた。
「では、貴方も私の力になってくれるのですね?」
「もちろんです」
オオナズチに降ろされたギーシュは、地面に膝を着きそう答えた。
「宜しくお願いします」
アンリエッタは優しい笑顔をギーシュに向けた。
その瞬間ギーシュは、感動のあまり飛び跳ねながら、そのまま窓の外へと飛び出してしまった。
結構な高さに位置する部屋だが、ギーシュもドットとはいえメイジだ。フライなどで体を浮かせれば怪我もないだろう、だから誰も気に留めなかった。
「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族達は、貴女達を止めようと躍起になってくるでしょう。
ですから貴女達に護衛を一人つけます。…本当はもっとつけたいのですが…」
「わかっています。気持ちだけありがたく頂戴しますわ、姫様」
ルイズはそう言って、人のいい笑顔で笑いかけた。
それを見たアンリエッタが、申し訳なさそうに頭を下げる。
もちろん、護衛の数がもっと多ければ、ルイズが傷つく可能性も格段に下がるだろう、しかしこれはあくまでも隠密任務である。
フーケの時とは違い、やるべきことは敵と戦う事ではなく、目的地までの到達と、依頼された物品の回収だ。
むしろ戦いなど起きず、何事もなく辿り着けるのが理想的である。
アンリエッタがマントの中から、花押が押された手紙をルイズに手渡した。
「これをウェールズ皇太子に渡せば、直ぐに要件は伝わるでしょう」
続いてアンリエッタは、自分の右手のクリス指につけていた指輪を外し、そのままルイズに手渡した。
「母君から授かった「水のルビー」です。私から送れるせめてものお守りですが…もしもお金に困ったら、売り払って資金にしていただいても構いません」
ルイズはアンリエッタから授かった水のルビーを、無言のまま丁寧に自分の薬指に付けた。
水のルビーの名に恥じない、青く美しい宝石のついた指輪だ。
「この任務には、トリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンの猛き風から、貴女方を守ります様に」
アンリエッタは両手を合わせ、ゆっくりと水のルビーに旅の安全を祈った。
古くからの友情を確かめるように見つめ合う2人…そんな2人の傍で、ミラボレアスは遠足前の子どものように、楽しげな笑みを浮かべて先を見据えていた。
一方、チェルノボーグの監獄では、何者かの手助けによって、土くれのフーケが脱獄した事が確認された。
文字数が6666文字だった。
いい事あるかな