間に一つ話を入れます。
閑話とは言え、後々のストーリーに結構関わることも言ってるので、できれば飛ばさずに見て欲しいです。
本日のトリステイン魔法学院は騒然としていた。
理由はとある訪問者だ。
訪れたのは平民である。だがもちろん唯の平民ではない。
そもそも唯の平民ならば、貴族達が学びを受けるこの学院に、アポも無しにいきなり訪ねて来るなど、許されるはずもない。笑われて門前払いを喰らうのが落ちだ。
しかし其の者には、それができる程の社会的な地位と度胸が備わっているのだ。
彼の名はシグルス・シュヴァリエ・ディ・ラウレンティス。
平民にしてシュヴァリエの称号と、ディ・ラウレンティスという領土を与えられた正真正銘の大英雄である。
その名はガリアの者でありながら、ここトリステインの貴族達にまで届いている程だ。
目的は分からない。ただ彼は、この学院の学院長である、オールド・オスマンの古くからの友人であるらしく、「話をさせて欲しい」という理由でこの地を訪れたのだ。
コルベールに案内され、オスマンのいる学院長室にへと向かって行くシグルス。そんなシグルスの…英雄の姿を一目見ようと、大勢の生徒達が周辺に押し寄せていた。
誇りを重んじる貴族達だ、身分の差はあれど、シグルスの挙げてきたもののような、華々しい戦果はかっこよく思うのだろう、多く者が…特に男子生徒が中心に、シグルスに羨望の眼差しを向けていた。
しかし中には当然、面白くなさそうな様子の者や、憎らしげな顔でシグルスを睨みつける者もいた。
「どうぞ。ここがトリステイン魔法学院学院長、オールド・オスマンの執務室です」
コルベールが一礼して、シグルスを学院長室の扉へ促した。
「どうもありがとう。ミスタ・コルベール…でしたかな?
急に無理を言って申し訳ない。君達にも都合があるだろうにな」
「いえ、お気になさらず。オールド・オスマンに早急に話すべき事があったのでしょう?」
「然り、最近耳にした事について、少し…な」
何処か、誤魔化そうとするような口ぶりのシグルスだが、コルベールにはおおよその検討はついていた。
シグルスは対化け物専門の騎士だ。その事から踏まえるに、おそらく目的は、ミス・ヴァリエールの召喚した使い魔、ミラボレアスの事だろう。
王室の者達が見学する品評会でも、その強力な力を大いに発揮していた。
一体どれほどまで…どのような噂が流れているのやら…
扉の中へ入って行くシグルスの姿を眺めながら、コルベールはこれから起こるべく、物事の道行きを案じていた。
ーーーーーーーー
「よく来たのうシグルス。そこに腰掛けてくれ」
オスマンは穏やかな顔で客人を迎え入れ、使い魔であるテリーに運ばせた椅子に、シグルスを座らせた。
「久しぶりだなオスマン。また髭が伸びたかね?」
「うむ、相変わらず絶好調じゃ」
セコイヤの机越しに談笑を進める二人の老人。しかしその顔は、まだまだ若々しい明るさに包まれていた。
「…それにしても、君がこの学院に直接訪ねにくるなど、珍しいこともあるものじゃな。
大丈夫なのかね?貴族の中には君を好ましく思っていないものもおる。この学院とて、それは例外ではない筈じゃ」
「正直言えば、あまり来るつもりは無かった。だが早急に、君に話しておきたい事があったものでな」
いくら大きな戦果を挙げようと、いくら貴族並みの扱いを受けようとも、平民は平民である。
むしろ優遇されればされる程、シグルスを疎ましく思う貴族は増えるだろう。例えそれが、当然として受け取るべき相応しい代価だとしてもだ。
もちろん全員とは言わない。貴族やメイジと言えど、殆どがシグルスの実力を公正に評価している者ばかりだ。
だがやはり、一部の者達には、平民である事が原因で、嫉妬や妬みの対象になってしまうことも事実なのである。
それもただ、心の中で思っているだけならば構わないのだが…中にはそれを、行動に移す者までいるから困り者だ。
具体的にいうと、根も葉もない噂を流し、シグルスに対する世間の印象を下げるといったものから…酷い時には実際に命を狙うといったものまである。
こういった事から、シグルスはなるべく、貴族の集まるような場所からは遠ざかって暮らしているのである。
「あぁ、ありがとう。…しかしこの部屋、君と君の使い魔だけしか居ない様だが…
以前言っていた美人秘書とやらはどうしたね?少し楽しみにしていたのだが」
紅茶を運んできたテリーにお礼を言いながらも、その部屋に本来居るはずの役職の人間がいない事に、疑問を持つシグルス。
「ミス・ロングビルの事かね?
実に残念な事に…彼女の正体は土くれのフーケであった為、泣く泣く憲兵に引き渡す事になってしまったんじゃよ」
「あぁ、例の…私が君に譲った“あれ”を盗んだという盗賊か。
てっきり私は、君のセクハラが原因で逃げて行ったとばかり思っていたが…」
もっとも、シグルスの推測もあながち間違いだとは言えないだろう。
破壊の杖という目標があったからこそ耐えていたが、ロングビルもオスマンのセクハラには心底うんざりしていたからだ。
「…それで、ちゃんと取り戻すことはできたのかね?」
「あぁ、バッチシじゃ。破壊の杖はちゃんと元の場所に…この城の宝物庫の中に戻しておるよ」
「破壊の杖…か、君もなかなか分かりにくい名前をつけたものだな。どう見ても杖には見えんだろうあれは」
「だって元の名前長いんじゃもの…なんだったかね?言ってみてくれんか?」
「…“除槍機能型遠距離圧熱竜撃砲”のことかね?」
シグルスが噛みそうな程に長ったらしく、物々しい兵器の名前を口にした。これが破壊の杖と呼ばれる武器の、本来の名称らしい。
「あぁ!そうじゃった!そうじゃった!そんな名前じゃ。相変わらず長ったらしい名前じゃのう、とても覚えきれん」
「あれは珍しい武器だぞ、私の故郷にも数える程しかない」
会話に熱の入ったシグルスが、破壊の杖について自慢気に語り始めた。
「元々はガンランスと呼ばれている武器でな、私の同業者の中では一般的に扱われる代物なのだが…あれはそれを改造して作られたものだ。
その名の通り、銃としての機能と槍としての機能を備え持つガンランスに、槍としての機能だけを取り外し、銃としての機能を強化した」
シグルスが腕を大きく広げ、銃を撃つような素振りをして話を続ける。
「その際、元のガンランスよりも更に武器の丈が大きくなってしまい、扱い難くなったが…その威力、射程距離共に通常のガンランスの三倍はあると言えるだろう」
話を聞く限り、とても高性能な武器に思えるが、シグルスは苦い顔で「ただ…」と付け加える。
「通常のガンランスですら使用者の身の丈よりも長い上、そこから更に銃身を伸ばしたのだ。当然重量もそれなりに増加した。結果ーー」
「とても人間の手で扱えるような代物では無くなった…と」
「本末転倒じゃな…」と、呆れたような顔でオスマンが言葉を遮った。
「うむ…そうだ。もちろん腕っ節に自信のある者ならば使用できる、そうでない者も、数人で支えれば使えない事はない。
…まぁ、撃つ“だけ”ならな」
「それじゃあ使用できるとはとても言えんな、君の様な者には特に…な」
オスマンが窓から空を眺めながら答える。
こんな物の為に何年も学院に潜入し、やっとの思いで盗みだした所を捕まったのだ。土くれのフーケが哀れに思えてきたのだろう。
「…つまり君は、私に不良品を押し付けたというわけじゃな?」
オスマンが笑みを浮かべながら、不機嫌に眉を釣り上げる真似をする。
「いやいや、確かに装備して戦うには向いていないが…君が思ってる程使えない代物ではないぞ?」
オスマンが本気で怒っている訳ではない事は理解しているが、勘違いしてもらっては困る。と、シグルスは破壊の杖の利点についてを語り始めた。
「まずこれを、人間一人で持ち運べる大砲と考えてくれればいい。
これの威力は君もよく知っているだろう?連射は効かないが…普通の大砲よりもよっぽど威力が高い。
なので大砲も乗せれないような、小型の商船などに積み込むのがいいだろうな。猛獣や盗賊に襲われても一撃で撃退できる。十分に使えるさ」
「まぁ…兵器としての価値があろうがなかろうが、いずれにせよ、破壊の杖を兵器として使用するつもりはない。ここは学びの場じゃからな、精々変わった魔法道具として、観賞用に宝物庫の中に入れておくだけじゃ」
「そうか…それは残念だが、武器を使わなくて済むならば、それに越したことはないな。
元々あれは君に譲り渡した物だ、好きにするといい」
ここは魔法学院。戦いとは無縁な場所であるが故、例えどれだけ優れていようと、武器などというものは必要としないのだろう。
自衛の為に兵を配置する事はあるが、それはあくまで自衛の為、必要最低限以上の兵力は、この学院には相応しくない。これがオールド・オスマンの見解であった。
「…しかし、いくら君が女性にだらしないとは言え、盗賊一人に宝物庫を荒らされるとは…」
「女性にだらしないは余計じゃろう」
「では、否定できるか?」
「・・・・・」
否定できない。という意味だろう、オスマンは黙って口を閉じた。
「…認めたくは無いが…お互い、老いたものだな」
ゴツゴツとした手に深い皺が刻まれているのを見て、シグルスは深くため息を吐いた。
「そうじゃな…人間というのは、老いだけには勝てない生き物じゃ」
オスマンは使い魔であるテリーを見た。そして前任の使い魔、ハツカネズミのモートソグニルを思い出した。
自分の目となり、この城を駆け回っていた使い魔ももう、高齢のため老死してしまった。
長年付き添った使い魔が老死する…召喚した当時は考えてもいなかった事だ。それだけ長く生きたということだろう。
「若い頃が懐かしいな…とは言え、ほんの八年前の話だが」
「あの頃は君も、まだ無名の騎士じゃったな」
二人の老人はゆっくりと目を閉じた。輝かしい思い出に浸るように、懐かしさを抱きながら、記憶を過去へ遡らせていた。
「村を食い尽くした暴食竜…黄金の毛皮を纏う獣…山のように巨大な龍に、天を貫く巨大な蟹…
どれもこれも、君と共に行った仕事は一筋縄ではいかなかった」
オスマンが言った。
シグルスとは友人関係でもあり、仕事仲間でもあったのだ。
以前はよく四人で戦いの日々を送っていた。何処か遠くから流れてきた化け物達を相手に、生きるか死ぬかの、正に決死の戦いであった。
「今でも時々、命がある事を不思議に思うよ。
あれは全て、君が元いた世界とやらから、流れ着いた生物なのじゃろう?」
「そうだ。凄まじいだろう?
だが見事討伐する事が出来れば、得られるものも大きい。また一緒にやるつもりはないか?」
「それは御免こうむりたいのう。もうあそこまで無茶はできん。
それにこの生活も、案外気に入っているのでな」
「美人の秘書を雇って、セクハラ三昧の生活がかね?」
「いちいち茶化してくるのう」
悪戯する子どもの様に笑うシグルスに、オスマンが頭をかきながら言った。
「昔…と言えば、“彼ら”は今も元気に暮らせているだろうかのう」
オスマンの言葉がきっかけで、シグルスの頭に、ある二人の人物の顔が浮かび上がってきた。
「彼ら…か、きっと元気に暮らしているさ。
彼らはたくましく…そして強い。それに長寿故、私達よりも長生きなのに若々しいしな」
「はっはっは、そうじゃのう、私の杞憂じゃったな」
シグルスの言葉を聞き、オスマンは自分の心配を笑い飛ばした。
彼らというのは、オスマンとシグルスが共にモンスターを狩っていた頃に出会った、二人の仲間のことである。
彼らは事情あって、ハルケギニアに住む人々との関係はあまりよくない。彼らにとってこの地は住みやすいとは言えない場所であった。
しかし彼らは強い。災害そのもののような化け物が相手でも、物怖じせずに立ち向かえる程に勇敢な人物だ。
ハルケギニアに貼られたレッテルなどに挫ける程、柔ではない。
「アルヴィースはエルフの住むサハラで暮らしているから会えないが、ネフィリムには5ヶ月ほど前にこの国、トリステインで偶然会う事ができた」
「おぉ!そうかね!元気にしていたか?」
オスマンが満面の笑みでシグルスに尋ねた。久しく会っていない友人の報せに、心から嬉しく思っているのだろう。
「あぁ、元気だったよ、それに相変わらずデカかった。とても130歳とは思えないな」
「竜人族…じゃったな。君の故郷にいたという、人間よりも長寿で頭がいい種族だとか…
その中でも、彼は特別な存在なのじゃろう?」
「あぁ、1000年に一度しか生まれないという長身の竜人族だ。
私も彼程大きな者は、ドンドルマの大長老くらいしか見た事がない」
大長老とは…シグルスのいた世界に住む、100サント…いや、100cmは優に超える巨大な竜人族のことだ。
大都市ドンドルマの指導者であり、若い頃は老山龍と相撲を取り、尻尾や頭を一刀両断したと伝説の残る武人でもあった。
シグルスも持っている、彼が脇差として使う刀すら、普通の人間の背丈程もある太刀だ。それだけでもその体格の大きさが伺える。
「確か今は…タルブの村という所に住んでいるらしいな」
「ほう…タルブの村か、それはいい、今度休暇を取って会いに行ってみようかのう」
「それはいい、彼も喜ぶだろう」
シグルスが笑みを浮かべながら、飲み終わったカップをテリーに手渡した。
「しかし…タルブの村か…あそこは確か、この城で給仕として働いている、シエスタという可愛らしい娘の故郷だったかのう…
それに、“竜の大角”が眠るという伝説の残る地…じゃったな」
オスマンがキラリと光る目でシグルスを見た。
「これは君の専門分野じゃないかね?」と、暗に語っているのだろう。
「私も調査したことはあるがね…伝説に通ずるような生物は発見できなかったよ。
強いて言うなら、大猪が一匹いたくらいだ。あれは立派な牙を持っていたが、角ではないな、それも伝説になる程のものだとはとてもおもえん」
オスマンの察しの通り、この伝承はシグルスにとっても大変興味深いものであったが、肝心の姿は影すらも拝めなかったらしい。所詮は伝説と言ったところだろう。
シグルスは肩を竦めながら話した。
竜の大角とは…タルブの村に伝わる二頭の竜の戦いから生まれた伝説だ。
一頭は飛竜…その剛力で何もかもを粉砕し、咆哮によって大地を震わせ、空気を鳴らしたと言われる程の、恐ろしい存在であったらしい。
そしてもう一頭…これが竜の大角と呼ばれる、巨大な角を持つとされる竜だ。聞いたことも無いような不気味な鳴き声をあげ、その巨大な角で対面する飛竜を串刺しにしたらしい。
当時の村人達は、その巨大な角を持った竜の姿こそは見ていないが、その独特な鳴き声に、飛竜が刺殺された瞬間を目撃した事から、この伝説は誕生したそうだ。
もっとも…今となっては、それを本当だと考える者は極めて少ないのだが…
「ミスタ・コルベールも、その伝説にえらくご執心らしくてな、熱心に資料を集めておるよ」
「ほぉ…彼が、何か見つかるといいがな」
セコイヤの机越しに、談笑を続ける二人の老人…しかしここで、オスマンの一言により、学院長室に漂う雰囲気は一変した。
「ーーさて、話はここまでじゃ。君も私と世間話をする為に、ここまで来たわけじゃないのじゃろう?」
先程まで笑っていたオスマンの目が細くなる。オスマンは真剣な眼差しで、シグルスの目を見て話を切り出した。
「あぁ、その通りだな」
シグルスの目も切り替わる。
椅子にもたれ掛かっていた背を起こし、獲物を抉るようなハンターの目でオスマンにこう問いた。
「風の噂で聞いた程度なのだが…この学院に学びを受ける生徒が、ある変わった龍を、使い魔として召喚したという話をきいたのだが…
君の方で、何か心当たりはあるかな?」
心当たりはあるか?という聞き方ではあるが、その目には確証を得た上で聞いていると、暗に示している。
何かは分からない…しかし警戒すべき何かが召喚されている事は確かだ。と、そう語っている。
(これは…隠し通せんか…)
この学院の生徒達にも、この情報を外部へ流すことは禁止していたが、やはりそれだけでは限界がある。
このまましらを切るのもいいが、おそらくいつか知られることだろう。ならば今ここで話した方が、偏った情報を知ってしまうよりはいいだろうと、オスマンは判断した。
「……できれば他言無用で頼みたい」
オスマンの言葉に、シグルスは黙って頷いた。
「ーートリステインでも有数の貴族である、かのヴァリエール家の三女が、黒い韻竜を使い魔として召喚した」
「…韻竜?確かそれは、とっくの昔に滅んだのではなかったのか?」
「生きておるようじゃ、驚くべきことにな」
オスマンは正直に話した。
その韻竜は自らの事をミラボレアスと名乗っていたことと、別の世界からやって来たという情報は除いてだ。
嘘は言っていない、そこまでは外部へ漏れていない筈だ。
あの黒龍…ミラボレアスもシグルスに興味を持っていた。そしてあの好戦的な性格だ…
合わせてはならない。シグルスの実力は知っている、そう簡単に負けるとは思わない。しかし、無用な争いは避けさせなければならない。
「しかし、何故隠す必要がある?高等な使い魔を使役することは、メイジにとっては誇らしいことなのだろう?」
「君も知ってる通り、韻竜は絶滅した種族だ。
その生き残りがこの学院で使い魔として召喚されたんじゃ、公に知られれば、良からぬ企みを抱く者達が大量に押し寄せてしまう」
「そうなれば…分かるじゃろ?」と、オスマンが付け加えた。
「本当にそれだけか?」
「それだけ…とは?」
鋭い目で問い詰めるシグルス。
疑いを向ける友人の目に、思わずオスマンは目を見開いた。
「その龍は私の故郷…もとい、私のいた世界に、何か関係があるんじゃないかね?」
(鋭い…!)
オスマンが冷や汗を流した。
シグルスが疑っているのは、オスマンが最も知られたくない情報についてだ。
何としても切り通さなければならない。オスマンは感情を表に出さず、首を傾げながらこう言った。
「そんな訳ないじゃろう。だとすれば、私から君にとっくに話している筈じゃ」
「まぁ…それはそうだが…」
真っ直ぐに目を見て話すオスマンに、吃りながら返すシグルス。
確かに、相手は信頼すべき友人だ。その友人が何のために自分に嘘をつくというのか…
シグルスは考え込むように沈黙した。
「ーーいや、すまない。疑うという訳ではなないんだ。しかし気を悪くしたのなら謝っておこう」
「良いのじゃ、気にするな」
詮索を諦めたのか、素直に謝罪するシグルスに、オスマンは心の中でホッと息をついた。
「お詫びと言ってはなんだが…一つ唄を教えよう。私の故郷の唄だ。
少し物騒な唄だが、子どももよく歌っている、興味深い唄だ」
「ほう…唄とな?」
穏やかな表情に戻して話を切り替えるシグルスに合わせ、オスマンも先ほどの談笑の時のような顔に戻った。
何故突然唄など…という疑問も頭に浮かんだが、向こうから話を変えようとしているのに、わざわざ水を差すこともない。オスマンは興味深げに、シグルスの唄とやらに耳を傾けた。
シグルスがゴホンと、咳払いする。
そして1秒…2秒と間を開けた後、シグルスはその唄を歌い始めた。
「数多の飛竜を駆遂せし時
伝説はよみがえらん
数多の肉を裂き 骨を砕き 血を啜った時
彼の者はあらわれん
土を焼く者
鉄【くろがね】を溶かす者
水を煮立たす者
風を起こす者
木を薙ぐ者
炎を生み出す者
その者の名は ミラボレアス
その者の名は 宿命の戦い
その者の名は 避けられぬ死
喉あらば叫べ
耳あらば聞け
心あらば祈れ
ミラボレアス
天と地とを覆い尽くす
彼の者の名を
天と地とを覆い尽くす
彼の者の名を
彼の者の名を」
「ミ…ミラボレアス…じゃと…⁉︎」
驚愕のあまり、オスマンは思わず声を出してしまった。
しまった!と思い口を塞ぐが、もう遅い。おそらくここでこの唄を歌い始めたこと自体が罠だったのだろう。
シグルスの目は再びハンターの目に戻り、真っ直ぐオスマンを見ていた。
「やはり…!やはり、そうか…!」
シグルスはソファから立ち上がり、声を震わせた。
その顔からは、ハッキリとした動揺が見て取れる。
大方の予想はできていたが、できれば外れてほしかった。と、思っているのだろう。
「韻竜とは…確か人の言葉を介し、人の姿に化けられるのだったな…
そして君はさっき…ミラボレアスの事を韻竜だと言っていた…」
シグルスは静かにオスマンに詰め寄った。しかしその目は充血するほど見開かれ、瞳孔も開いていた。
「喋ったのだな…⁉︎人の言葉を…!それも人の姿で…!」
シグルスに似合わぬ動揺のしように、オスマンは僅かに狼狽えながらも、シグルスの目を見たまま、その問いに対して短く頷いた。
「………そうか」
それだけ言って、シグルスは崩れるように椅子に座り込んだ。
「何故…その事を黙っていた?」
シグルスは椅子の背もたれに寄りかかりながら、横目でオスマンにそう尋ねた。
「君を騙そうとしたわけではない。あの龍は君に興味を持っていた。
君を思っての事なのじゃ、誓って嘘ではない」
オスマンは懇願するように、両手を上げて弁解した。
その目は「友を裏切ってはいない」と、炎のように輝いていた。
その目は嘘偽りない、真実だけを語っている目だった。
「…いいだろう、君を信じよう」
シグルスが目を閉じながらオスマンを許した。
「しかし…これだけは言っておこう」
シグルスは再び体を起こし、真剣な表情で、ソファから立ち上がってこう言った。
「そう遠くない未来、このトリステインに…いや、このハルケギニアに危機が訪れる。そう、絶対に避けられぬ危機だ」
「危機…じゃと⁉︎それはミス・ヴァリエールの召喚した、ミラボレアスによってか⁉︎あれはそれ程までに恐ろしい存在じゃったのか⁉︎」
シグルスの警告を聞き、椅子から立ち上がって驚くオスマン。
当然だ、世界を巻き込む危機などと言われ、冷静でいられるわげがない。
「…私は全身に様々な傷を負っている。その中でも、今疼くのはこの傷だ」
シグルスはその身に纏ったローブを脱ぎ捨て、屈強な上半身を露わにした。
痛々しい姿に、オスマンが思わず目を細める。
痣…火傷…凍傷…切り傷等…様々な傷痕が、その筋骨隆々な肉体に刻まれていた。
その中でも一段よく目立つ、胸から腹にかけて刻まれた、深い火傷の痕を指さしてこう言った。
「これはミラボレアスのブレスを、まともに受けてしまった時のものだ。もちろん私は油断などしていない。準備も万端だった、溶岩の熱にすら耐えられる、銀火龍の鎧を持ってしてもこれだ」
シグルスは再び服を着なおし、話を続けた。
「私の世界でもミラボレアスという名は伝説上での存在だ。信じない者も多い。しかしこれは史実だ。黒龍ミラボレアスは確かに存在する。
……自分で言うのもなんだが…少なくとも、このシグルス・シュヴァリエ・ディ・ラウレンティスでも倒せなかった化け物が、この国に潜んでいる…ということだけは覚えておいてくれ」
「…分かった、君の話を信じよう」
目をつぶってこめかみに指を当てながらも、オスマンは小さく頷いた。
目の前いるのは英雄だ…何よりも自分の友人である。そこまで言うのなら、信じざるをえないだろう。
「じゃがどうやって対策すればよい?」
「奴は過去に、当時最大の栄華を誇ったという、大国“シュレイド”をたった一頭で滅した化け物だ。まともに挑んでも勝ち目はないだろう」
一国をたった一頭で滅した…その言葉を聞き、オスマンは生唾を飲み込む。
「だがそれ以前に、奴をこのタイミングで倒してはならない。絶対にだ」
「何故じゃ?」
「他にも脅威は残っているからだ」
「なんじゃと⁉︎」
オスマンは戦慄した。
他にも脅威は残っている…つまりミラボレアスと同レベルの災害が、複数存在するということだ。
「つまり…一国を容易く滅してしまうような脅威が、このハルケギニアに幾多も潜んでいると…⁉︎」
シグルスは答えない。だがその顔は険しかった。
「…その無言は、肯定と取ってもよいんじゃな?」
シグルスは無言のまま目を背けた。
オスマンは倒れそうになる体を杖で支えながら、受け入れ難い事実に頭を抱える。
部屋の中に沈黙か流れた。聞こえるのはお茶の片付けで話を聞き逃していた、オスマンの使い魔テリーだけだ。
そして暫しの間を開けて、シグルスは静かに語り始めた。
「時期にこのハルケギニアに…歴史が傾くような大事件が起きるだろう…
であれば分かってくる筈だ、訪れる脅威というものが」
シグルスは大きく息を吐き、椅子の横に立てかけられた剣を強く握った。
「また君の力を借りる時がくるかもしれんな…いや、君の力だけではなく、その時にならば、アルヴィースやネフィリムの力も必要になるだろうな」
「“ペシュメルガ”の復活…というわけかのう」
疲れ切ったかのように、やつれた顔で椅子に座り込んでいたオスマンが呟いた。
「ミラボレアスとは“避けられぬ死”を意味するらしい。それに対して“死に立ち向かう者”という名は、うってつけだろう?」
そう言いながら、シグルスはオスマンの方を向いて笑みを浮かべた。それにつられてか、オスマンの顔にも自然と笑みが溢れる。
「…さて、私はそろそろお暇させてもらおう」
「もう帰るのかね?」
荷を纏め始めるシグルスに対して、オスマンが尋ねた。
「あぁ、もう用件は済ませたのでな」
「そうか、止めはせんが、その前にマルトーの所でランチをご馳走になったらどうかね?」
「む…?あぁ、そうだな、頂いておこう。あそこの料理は絶品だからな」
「それがいい、厨房の料理人達も喜ぶじゃろう」
オスマンは満面の笑みでそう笑い、扉の取っ手に手をかけるシグルスの背中を見送った。
「ーーそうだ、言い忘れていた」
ふと思い出したかのように、シグルスは数センチ開いていた扉を再び閉め、オスマンの方へと振り返った。
「ロマリアとレコン・キスタには気をつけろ。
黒龍伝説はーー」
バタンと、学院長室に扉が閉まる音が鳴り響いた。
オスマンは驚愕して、目を見開いたまま固まっていた。
シグルスが最後に言い残した言葉…たった一言であったが、背筋を凍らせるには十分な言葉であった。
我に帰ったオスマンは、机の棚にしまってあったパイプを吸った。
以前ならばロングビルに止められ、ゆっくりと吸うことはできなかったが、今もう彼女はいない。
プカプカと宙に浮かぶ煙を眺めながら、そばに寄ってきたテリーの頭を撫でた。
パイプを吸ってリラックスできたのか、心に平静さを取り戻したオスマンは、窓から空を見上げてこう呟いた。
「…これから忙しくなりそうじゃわい」
二頭の龍が咆哮をあげた。
空に浮かぶ大地の上では、溶岩を纏った黒い龍が…辺りを火の海へ染めていく。
神聖なる始祖の眠る国では、天をつらぬく角を携えた黒龍が…天候を操り世界を地獄に変えていた。
あの時、かの英雄はこう言ったのだ。
「黒龍伝説は“一つではない”」
…と。