秋名さんと桃華さんの合作牛丼を食べ終え、食後の休憩を挟んでから、それぞれが別々の行動を開始していた。
師範と恭助さんは町務、秋名さんとアオさんは事務所に戻って俺が来たことで溜ってしまった仕事を終わらせに行っている。ごめんなさい。で、九条院流を継いでいる入鹿さんは警察の剣術指南に行って、八重さんはアオさんのブースターの修理、桃華さんも紫さんに弁当を届けに出かけて行った。
とまあ、こんな感じでボッチになってしまった俺は、図書館へと向かっていた。
桜新町にある図書館の蔵書は去年までで全て読破し、読んでない本は今年入荷されたものだけだ。その本を読みに行くついでに、暇だけど仕事で図書館から出れない不憫なことはさんに会いに行くのだ。
「あっ!真理君じゃーん。やほー」
後ろから肩を叩かれ振り返ってみると、エプロン姿で頭におかもちを器用に乗せている東鈴さんと、チャイナ服を着て、同じく頭におかもちを乗せている狂巻ざくろさんが立っていた。鈴さんはともかく、割と身長の高いざくろさんが頭におかもちを乗せていると威圧感が凄い。本人のぽわんとした雰囲気をも打ち消す威圧感だ。
「お久しぶりですー」
「お久しぶりです。鈴さんとざくろさんは出前の帰りですか?」
「うん!終わったら真理君のとこ行こうと思ってたんだけど、さっき秋名さんからメールが来たから」
「あー、でしたね」
「真理君はどちらにいかれるんですかぁ?」
「暇なんでことはさんに会いに。時間があればじゅりさんとこにも行くつもりですけど」
「そっかー。おやっさんとおかみさんも会いたがってたから帰りに寄ってみてよ」
「わかりました。じゃあまた夜に」
「またねー」
「しつれいしますー」
2人と別れて歩き出す。あの2人は対称的な性格してるのにいつも一緒にいる。過去に何かあったらしいが、俺は聞いてない。この町の人、妖怪は皆何かを抱えてる。だけど俺は何も知らない。
俺は、この町の住人じゃない。だから、この町の人たちの心にある傷を知らない。だけど、たった一人だけ、知っている人がいる。それがことはさんだ。
親父や師範が恩人だとすれば、ことはさんは生きる道を教えてくれた人だ。俺が母親から逃げる為に頑張ってたのは、あの人の話を聞いたからだ。
その昔、って程昔では無いけれど、俺がまだ生まれていなかった頃、ことはさんはその身に余る力で他人を傷つけたことがあったらしい。しかし、紆余曲折を経て力を制御することが出来るようになり、その過程で自分がどんな生き方をすべきなのか、その力を何の為に使うのかを考え、答えに辿り着いたらしい。
その話を聞いた俺は、自分に出来ることを考え、とりあえずあの母親から恩人の父親と共に逃げ出すことにしたのだ。無駄に終わったけど。
俺は未だ答えに辿り着いていない。
師範と戦える力を身につけ、使ったのは一回きりだけど世界最強の兵器であるISを使用でき、護衛には日本お抱えの暗部組織。
こんなにも有り余る力を持っている俺に、一体何が出来るのだろうか。この力で他人を傷つけないようにすることで今は精一杯なのに。
八重さんの言葉に自信満々に返答したばかりだというのに。
多分、八重さんの言う選択をする時が、答えを見つけるタイムリミット。
俺は、どうやって生きるんだろう。
「あ、着いてた…」
気がつけば、図書館に着いていた。
頭を振って思考を外へと追い出す。選択の時がいつ来るかは分からない。だけど、その時はまだ先だ。そしてその時にならなければ決められないことだってある。ことはさんも、アオさんやギンさんがいたから見つかったって言ってたし。
俺にはそんな人はいないけれど、今、出来ることをしていよう。『その時』が来たときに決断を下せるように。
さて、辛気くさい思考は捨てて、ことはさんを探すか。多分児童書の方に……いた。
「毎度です、ことはさん」
対称年齢8歳くらいの童話を読んでいることはさんに声を掛ける。この人、図書館にいる時の三割くらいはここにいるな。仕事しなさいよ。いや、してから来てるのか。
「ん…?あ!真理〜!久しぶりー!」
「うおっ」
児童書を閉じて立ち上がったと思うと、飛びついて来た。
「やっぱアンタは髪伸ばしてる方がいいわ〜!超女の子みたいじゃん。かわいいの〜」
「やめてくれません?こんな極々普通の一般男子高校生にいう言葉じゃないっすよ」
「だってぇ〜。お?可愛いヘアピンしてんじゃん。どしたの?」
「先輩から貰いました。まあ明日には外してますよ」
「え〜、もったいなーい。あ、明日は私がやったげるよ」
更識先輩の絡み方が誰かに似てると思ってたんだよなぁ。絶対この人だわ。むしろことはさんの方がくっついて来る。百合なら百合らしく女の子、というかアオさんに飛びついてれば良いのに。仲が良いんだし。
「明日は帰るだけですし、別に大丈夫です。試合もしないし」
「遠慮すんなって!それよりヒメとの試合どうだった?また負けちった?」
「いや、勝ちました」
「……なんて?」
「勝ちました。師範に」
そんなに受け入れがたいかな、俺が勝ったという事実が。ことはさんの人をバカにしたような笑顔がみるみる歪み、驚きの表情に変わっていく。
そんなに驚かれると流石に傷つくわぁ。
「……マジで?」
「マジです」
真顔で返すとことはさんの顔が笑顔になっていく。それはもう、二週間ぶりにアオさんに会った時くらいの、満面の笑みだった。
しかし、その笑顔はみるみると青ざめていく。え、マジでそんなに駄目なの?泣きそうなんだけど。
「えっと、なんかごめんなさい」
「え?あ、ああ!違うのよ!初勝利おめでとう!ショートカット、トロフィー!はいこれ!」
「ああ、ありがとうございます」
半妖であることはさんは言霊という、簡単に言ってしまえば言葉を実現する能力を持っている。本来は見た目や構造などの説明の後、その物質の名称を言うことで物質化を行うのだが、複雑なもの、本人が必要としたものはインストールし、ショートカットという言葉の後にインストールしたもののキーワードを言うと物質化を行える。
まあトロフィーが必要だったのかは置いといて、有り難く受け取る。てか勝ってよかったんだね、良かった。
「あたしちょっと仕事全部終わらせて来るわ。多分夜は早く行けるから、とりあえずこれだけ持ってどっか行ってきな。宝々蘭とか行った?」
「さっき鈴さんに会ったんで後で行こうと思ってました。じゃあ、また夜に」
「うん、悪いね」
「いえ」
恐らく新しい入荷本であろうそれらを受け取ってことはさんと別れる。たぶん用事でもあるんだろうな。それより司書の仕事って速く終わらせられるもんなのか?まあいいや。
図書館を出て宝々蘭に向かう。町内だし五分足らずで着くだろう。
町の景色を見ながら歩いて行く。週末だからか、町の至る所に子供の姿が見受けられる。
「おっ。真理じゃねぇか」
何なの。この町の人たちは後ろから声を掛けるのが好きなの?
「お久しぶりです、雄飛さん。マリアベルさんも」
「お久しぶりです、真理君」
「久しぶりだなぁ、ダブルマリを見るのも」
「「やめてください」」
被ってしまった。
小さい学生服に学生帽を被った小学生みたいな容姿のこの人が、この区の土地神で区長を勤めている士夏彦雄飛さん。八重さんの兄だ。で、隣の金髪美人で常にコスプレ(今日はセーラー服を着ている)しているのがV・マリアベル・Fさん。その正体は百年以上を生きる、いや、死んで生き返った人造人間で不死人だ。年は22らしい。
マリアベルさんは皆からマリっちとか呼ばれている。ので、たまに俺と2人でいるとダブルマリやらマリコンビやらまりまりとか呼ばれる。なんかすみません、マリアベルさん。
「どこ行こうとしてんだぁ?ことはのトコには行ったみたいだし」
「宝々蘭です。ことはさんはこれから忙しくなるみたいでしたから」
「あ〜、確かになぁ。お前ヒメに勝っちまったしな。そりゃ忙しくなるかぁ」
「?なんで俺が勝ったら忙しくなるんですか?」
意味がわからん。あれかな?俺が勝ったら仕事を請け負う的な賭けでもしてたのかな?アオさんみたいに。でもあれだな。アオさんの賭けは俺にとっても有益だったけど、ことはさんの賭けは俺の心にダメージを与えるものだったわ。ちょっとへこむわー。
「言い過ぎです、区長。真理君が勘違いしてるでしょう」
マリアベルさんが区長の頭をポコッと叩いた。やっぱこの人は俺の癒しだわ。実年齢百超えてるけど。
「いてっ。まぁ明日には分かるさ。それより、宝々蘭に行くんだろ?だったらこれやるよ」
「割引券、ですか?」
「さっき貰ってな。初勝利祝いだ、持ってけ」
「…ありがとうございます。じゃあ、夜に…って来るんでしたっけ?」
「ああ。酒が出るからな。秋名のつまみも美味ぇし、良い女もいっぱい来るからなぁ」
この人相手だと敬語使う気失せるんだよなぁ。勝利祝いがラーメン屋の割引券なのも、晩飯に来る理由もおっさん臭いし。実際おっさんだし。しかもエロおやじ。
「そんじゃまぁ、そろそろ行くわ。区長ってのも忙しいもんでな」
「お疲れさまです。マリアベルさんも頑張ってください」
「ありがとう。行きますよ、区長」
「うーい」
タバコの煙をたなびかせて歩いて行く雄飛さん達。あの見た目でタバコ吸ってたら、他の町だったら絶対補導対称だよな。
そんなくだらない、およそ神様に対する感想とは思えないことを考えながら歩いて行き、『宝々蘭』と書かれた暖簾をくぐる。
「どもっす」
「おお、よく来たな真理!」
「お久しぶりです、おやっさん。特製チャーハン一つで」
「毎度!」
50を超えたんだか超えてないんだったか、熊のように大柄で髭と髪で顔を囲んでいるような強面の男が、宝々蘭の主人にして鈴さんとざくろさんの養父だ。奥さんは妖怪なので子供が出来なかったそうだが、可愛い娘が来てくれて良かったと昔から言っている。
宝々蘭は鈴さんたちが働く場所というのもあってか、俺や師範、事務所の人達の行きつけの店だ。普通に美味いしな。
五分もしないうちにアツアツ出来立てのチャーハンが出て来る。昼過ぎだし、夜もたくさん食べるだろうから量は少なめだ。
「その本はここで読むなよ」
「ありゃ、バレましたか。どうせこの時間は客もいないんだし良いじゃないですか」
「お前まで嫌なこと言うなよ…。これから材料の買い出しに行くから店閉めるんだよ」
「ああ、そうでしたか。じゃあ教会か病院に行きます」
「どっちも読書する場所じゃあねぇけどな」
「教会はともかく、病院はどうですかね。じゅりさん、患者用のベッドで寝てますし」
「そうだったな」
とりあえず、チャーハンを食った後は病院に行くことにした。八重さんには会ったけど、じゅりさんとりらさんにはまだ会ってなかったからね。てかやっぱ美味ぇな、ここの飯。学園にも出前してくれないかな…無理か。
ぱくぱくとレンゲで掬ったチャーハンを口に運び、三分もしない内に皿の上にあった小高い山は消え去った。よし、行くか。
二冊の本を小脇に抱え、ごちそうさまでしたと言って、伝票の上に割引券とお金を置いて外にでる。
「ハロウ、真理くん」
頭上からの声に少しだけ驚くも、この町においては珍しいものではないと直ぐに落ち着く。いや、この町でも空を飛ぶ人はほぼいないけど。ちなみに飛べる人は、ことはさんとりらさんだけだ。
「お久しぶりです、りらさん。警察署からの帰りですか?」
「ええそうよ。相変わらず察しの良いことで」
「皆さんのおかげですけどね」
そう言って苦笑する。この町で、あの人達から師事されていれば、察しも良くなる。特に秋名さんやいるかさんなんかを見てると本当に人間なのかと疑いたくなる。
「あの子達は色々経験してるからねぇ。それより何処に行くのかしら?」
「じゅりさんに挨拶してなかったんで病院へ。りらさんにも挨拶しようと思ってたんですけど、今会えましたし」
「あら、そうなの?なら一緒に運んであげますわ。私もお姉様から言われた仕事は終わりましたし」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
箒に乗って飛んでいるりらさんの後ろに座る。どうやって飛んでいるのか分からないが、割と力は強いようで、逆上がりの要領で乗ってもビクともしなかった。ほんとどうやって飛んでるんだ、これ?手品とか言ってるけど、手品の域軽く超えてるだろ。
「相変わらず身軽ですわね」
「それを言うならりらさんだって相変わらず凄すぎですよ。一体どうやって飛んでるんですか、これ」
「あら、手品のタネを知ろうなんて無粋ですわよ?」
また同じこと言ってる。大体、こんなん知ったって出来るわけないだろ。
そうして静かな空中散歩をして十分。病院へと到着した。
「お久しぶりです、じゅりさん」
「お?真理君じゃーん!おひさー」
「ただいま帰りましたわ、お姉様」
「りらも一緒だったんだ。真理くんはどうしたん?ヒメちんとの試合で怪我でもした?」
「いえ、夜まで暇なので本を読める場所を探すついでに挨拶まわりです」
「そっかぁ。じゃあここにいなよ。どうせ私たちも暇だし、夜は一緒に行けば良いし」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
本を抱えて待合室のソファに座る。仕事が無いのはどうなんだとも思ったが、病院が暇なのは良いことだろう。
「そういえばヒメちんとの試合はどうだった?」
「勝ちました。まあまぐれですけど」
それだけ言うと、じゅりさんもりらさんも絶句した。だからなんなの?そんなに俺が勝ったらまずいの?
「…真理くんてホントに真人間ですの?」
「あたりまえじゃないですか」
「ヒメちんに、ていうか妖怪に真正面から勝てる真人間なんているかちゃん位だと思ってた」
ああ、確かにね。
そう言われれば確かにまぐれでも凄いことしたんだという実感が湧いて来る。今まで何の疑いも無く師範と試合してたから、そもそも師範が妖怪だという事が頭から抜け落ちていた。
「まぁそれは置いといて。真理くんはそれ読むんでしょ?私たちも仕事がちょっと残ってるからそれ終わらせるね。時間になったら呼ぶから」
「わかりました」
そう言い残してじゅりさんとりらさんは診察室に戻って行く。町民の検査資料の整理とか、医者にしか分からないものがあるんだろう。
俺はソファに深く座り直し、二冊の内の片方を手に取って表紙を開いた。
時は過ぎ、時刻は夜八時になった。宴会は既に始まっている。というか既に混沌とした空気が滲み出て来ている。
七時に始まった宴会だが、時間が経つにつれて参加人数が増え、現在いるのは師範に秋名さん、アオさんにことはさん、恭助さん、桃華さん、鈴さん、ざくろさん、いるかさん、水奈さん、火奈さん、じゅりさん、りらさん、撫子さんに椎名さん。八重さんに雄飛さん、マリアベルさん、紫さん、何処から嗅ぎ付けたのか、緑子さん、瑞樹さん、沢木さんも来ていた。他にも宝々蘭のおやっさんや、竹村本部長なんかも来たんだけど、一杯二杯酒を飲むと、差し入れを置いて帰ってしまった。まぁあの人達は日曜も仕事あるからな。
とりあえず今師範の家にいるのは俺を含めた23人。
そして土曜だからか、大人組と水奈さんは酒を飲み、既にべろべろに酔っていた。ていうか水奈さんは高校生でしょ、なんで飲んでるの。昔かららしいけど、目の前に警察署署長がいるのに良く飲めるな。
そんな大人達を置いて、俺と火奈さん、酒に弱い事を自覚してあまり飲んでいない秋名さんとマリアベルさんはジュースやお茶を片手に、酔って倒れて行く人達を眺めつつ談笑していた。
そんな状況が続き夜十時。
じゅりさんとりらさんは病院と繋がっている自宅へ帰り、撫子さんと椎名さんも帰宅。紫さんは一回寝て酔いが醒めたのか元老院へと戻った。残りの人達は寝てしまい俺や火奈さん等無事だった4人で毛布を掛けている所だ。いや、雄飛さんだけはまだ飲んでるわ。
「恭助にしては保った方だったな」
「前はコーラで酔ってましたしね」
「あ、マリアベルさん、毛布一枚貰えますか?」
「はい、どうぞ」
全員分の毛布を掛け終わり、火奈さんは帰宅するらしい。高校生とはいえ十時を過ぎているのでマリアベルさんが送って行くそうだ。
「明日は何時に帰るの?」
「昼過ぎには帰ります。明後日からは普通に授業ありますし」
「そうなんだ。見送りには行くからね、水奈と一緒に」
「ありがとうございます」
「では区長をよろしくお願いします」
火奈さんが水奈さんを背負い、玄関を出て行った。
残った俺と秋名さんは湯のみにお茶を淹れ、縁側に座る。後ろの柱に寄りかかった雄飛さんは猪口を持っている。
「はー。ちょっと騒ぎ過ぎたな」
ははは、と軽快に笑う秋名さん。湯のみでお茶をずず、と啜る姿はとても二十代とは思えない。いや、見た目は十代後半でも通用すると思うけど、やっている事がじじいだ。ことはさんが「あいつはリアルコ◯ン君だ」と言っていたのにも頷ける。
「俺なんかの為にすみません。ただでさえ昔から迷惑かけてるのに」
「迷惑なんて思ってねぇよ。お前んちの事情も影羅さんから聞いてるしな」
影羅というのは親父の名だ。親父が俺をここに通わせるに当たって、全ての事情をヒメさんと秋名さんに話したのだ。じゅりさん達の先輩で、桜新町の先代町長である槍桜マチさんのお世話にもなっていたらしく、親子共々、槍桜家の人達には頭が上がらない。
「にしても、女尊男卑ねぇ…」
「この町に居ても実感は湧かないでしょう。俺の町でも珍しい方だったんですから」
「影羅さんの奥さんが他所の人だったからな。つっても高々十年前なのに良くもまぁそんなに影響を受けられたもんだよ」
「俺はちっさかったからよく覚えてませんけどね。元々男女差別には五月蝿い人みたいでしたし」
俺の母親はISが出る前から男女間の差別に五月蝿く、ISが出た事によって女尊男卑の思考に一気に染まったらしい。
昔は男女平等を掲げていたのに、今では女尊男卑だ。笑っちまうよ、ほんと。
「この町じゃあ、男女なんて些細なもんだからなぁ。性別どころか種族が違うモンが一緒になって暮らしてんだからよぉ」
「神様も居ますしね」
「俺ぁ八重と違って何もしねぇけどなぁ。お前、八重に言われたろ?選択を迫られるって話」
「ああ、言われましたね」
「お前の言葉は正しい。後から悔いる、だからこその『後悔』だ。そもそも『悔いる』って行為自体が後からじゃないと出来ないモンだからな。先の事が分からないお前等は『今』を精一杯生きる事しかできない。例えどんな選択をしようとも、その選択をした『今』を貫き通す。少なくとも秋名達はそれをやったからこそ世界を救う事ができた」
雄飛さんの言葉に耳を傾ける。
猪口の中に残っている酒に映った月は雄飛さんの動きで揺れ動き、その姿を留めない。秋名さんたちは揺れ動いた世界を、平和という信念の元に救った。平和という楔をこの町に突き刺し、揺れ動いた世界を止めたのだ。
「お前にそれが出来るか?お前が選択を迫られる時はこの町じゃない。お前が信頼している人間がいるかも分からない何処かだ。秋名達は仲間がいた。お前の信頼する人間はこの町にしか居ない。お前の親父は居場所がわからねぇしな。孤独であるお前に、世界なんていうでかいチップの賭けみたいな選択ができるのか?」
俺は一人だ。この町においてもそれは変わらない。いくら師範や秋名さん達を信頼していようとも、結局は外部の人間だ。この町の住人じゃない以上、師範が守るべき者ではない。IS学園という特殊な場では更識先輩が守ってくれるが、そこから出てしまえば常人以上に危険な世界なのだ。
そんな世界の為に、仲間なんていない俺が世界を救う選択ができるのかと言われれば、正直分からない。
いっそ滅びてしまえば、なんて思うかもしれないし、それでも俺は生きたい、と思うのかもしれない。
「でも、八重さんにも言ったように、師範達が乗り越えたのなら、俺も乗り越えなきゃいけないんですよ」
「それはお前の答えじゃねぇ」
俺の回答は、雄飛さんの言葉によって切り捨てられる。
「ヒメの弟子だろうとなんだろうと、選択するのはお前だ。その選択にヒメ達の過去は関係ねぇ。お前の想いで、お前がどうしたいのかで決めるべき選択にあいつらを巻き込むんじゃねぇよ。八重がなんで良い答えって言ったのか、教えてやろうか?」
そんなもの、分かっている。
「……八重さんは人間が好きですからね。人らしい、特に日本人気質のある答えが面白かったんでしょ」
「分かってるじゃねぇか。その上でお前はその答えを貫くんだな?」
「貫きませんよ」
秋名さんの顔に驚きが浮かぶ。
俺は内心、少しだけ慌てながら弁明した。てか、あの距離で話聞こえてたの?全員聞いてたんじゃね、これ。
「いや、師範達に顔向けできないのは本当です。その為に選択を乗り越えるのも。ただ、乗り越える為の理由が、今は師範達にしか求められないってだけです。その選択までに理由を見つける事が、俺がしなくてはならないこと。ですよね、雄飛さん」
「…わかってんならいいわ」
そう言って猪口を口に含む。
「俺ぁもう帰るわ。マリアベルも家に着いてると思うしな」
中身の無くなった猪口と徳利を机の上のお盆に乗せて玄関へと進む。今夜の雄飛さんはやけに饒舌だな。人、っていうか神以外のモノの未来とかにはあまり関与しないのが雄飛さんのスタイルだったのに。
それが気になったのか、秋名さんが口を開いた。
「今日は随分と饒舌でしたね?」
「酒を飲んで、気に入った奴らと飯食って、たまにしか見ない顔とどんちゃん騒げば舌も滑るってモンよ。今度は真理、お前とも酒を飲み交わしてぇモンだな」
「何年後の話ですか」
三人が同時に微笑を浮かべる。
でも、居間の状況を見る限り、酒を飲みたいとは思えないな。未成年の身で常に飲酒している水奈さんでさえ酔いつぶれてたんだから。
「じゃあな。明日は区の会議で俺とマリアベルは見送りに行けねぇから。気ぃつけて戻れよ」
「ありがとうございます。それじゃ、おやすみなさい」
「さいならー」
タバコの煙を棚引かせながら雄飛さんは帰宅した。
「さて、俺たちもそろそろ寝るか。真理はどうする?ここに泊まるか?俺んちでもいいけど」
「秋名さんは帰るんですよね?だったら酔ってない人が居た方がいいですよね」
「そだな。悪い、あいつ等のこと頼むわ」
「いつもお世話になってるんですから、これくらいなんとも無いですよ」
その後、ヒメさんや恭助さんに聞いていたのか、風呂や使っていい客間と布団の場所を聞き、秋名さんも風呂だけはここで入って行くらしく交代で入浴し、俺は布団のある客間へ、秋名さんは自宅へと帰って行った。
布団に入り目を瞑ると直ぐに眠気が襲って来た。
師範と試合したり、町の皆と顔を会わせたり、今日は色々あったからなぁ。
脱力しきった体を睡魔に任せて、俺は深い眠りについた。
翌日、試合や町内を歩き回った疲れが出たのか九時過ぎに俺が起き、酔いつぶれていた人達は、十時に来た秋名さんの手によって叩き起こされ、二日酔いで死屍累々といった感じで各々帰宅した。
昼過ぎに帰らなければならない俺は帰る準備を早々に済ませ、町内で顔を合わせていない人達に挨拶へ廻ったりと、時間ギリギリまで町内を歩き回っていた。
そして午後二時。
昼飯を宝々蘭で食った俺は、駅まで獅堂さんに送ってもらい、既にそこで待っていた師範と秋名さん、ことはさん、アオさん、恭助さん、桃華さん、火奈さん、水奈さんから見送りを受けていた。
「皆仕事があるらしくて、ごめんね?」
「いえ、ていうか皆さんもいいんですか?師範や恭助さんは町務とか、秋名さん達は事務所とか」
「いいのよ。今日は見回りくらしかしない予定だったし」
まぁ見送りは嬉しいんだけど、見回りにその荷物は必要なんですか?
師範の手には大きな紙袋が握られている。音から察するに、中身は布とか柔らかい物だろう。あれかな、編み物でもするのかな?今朝見た限りじゃあ、師範の家にあんな紙袋は無かったし、俺が町内廻りをしている間に買ったのだろうか。
「さて、真理の乗る電車ももうすぐ来るし、ヒメ」
「分かってるわよ」
集団の中から一歩出た師範が紙袋を突き出して来る。見送りの品、という事なのだろうか。
軽く手を浮かせて逡巡した後、紙袋の取手を取る。
「出して見なさい」
言われるがままに紙袋の中に手を突っ込む。中に入っているものは布のようだ。
それを掴んで袋から出す。
「これって…」
黒をオレンジで挟むカラーリングのマフラー。目の前にいる師範が首に巻いているものと全く同じものだ。
「もうアタシが真理に教える事は何も無い。師範と弟子っていう関係も今日限りで終わり」
「え?」
眼を閉じて粛々と言葉を続ける師範に、軽く動揺してしまう。
俺に教える事が何も無い?そんなことは無い筈。だって俺はまだ師範より弱い。まだまだ師範から教わることはたくさんある。
俺の動揺が皆に伝わったのか、俺を見ている全員が驚いた顔をしている。そりゃそうだ。ここまで動揺したのは本当に久しぶりだ。冷静に考えようとしていても、頭の中の整理がつかない。
そんな俺を見かねたのか、少しだけ慌てながら師範が言葉を紡ぐ。
「別に破門って訳じゃないわよ?」
「えっと、じゃあこれって…」
「免許皆伝祝い。ヒメが一人で作ってたんだぜ」
あの不器用な師範が一人で…!?
いや、そんなことより免許皆伝?なんで?
「ずっと前から決めてたのよ。真理がアタシに一度でも勝ったら免許皆伝にしようってね」
「え、いや、でも…」
「言いたい事は分かるわ。でもね、師範であるアタシが弟子のアンタに負けるっていうのはけじめがつかないのよ。だから、免許皆伝」
「つまりね、ヒメが言いたいのは、これからは対等に試合をしよう、ってことなのよ。師範対弟子じゃなくて、ヒメ対真理の試合をね」
ことはさんの的確なフォローが入る。言霊使いの癖に言い回しがヘタクソなことはさんにしては、分かりやすい説明だ。
でも、俺が師範と対等なんて、恐れ多いというかあまりにも実力差があるというか。
その考えすらも読まれたのか、今度はアオさんがにっこりと快活な笑顔で語る。
「対等っていうのは実力じゃないよ、真理ちゃん。同じ立場で、同じ高さで、同じ目線で立つってことなの。そこに実力差とかは一切関係無いんだよ」
同じ、立場。
俺と師範が、同じ高さに立つ。
幾度となく師範に挑み続けて来た俺が目指した場所に、立てるのか。
無論、師範達もわかっているのだろう。俺が実力不足である事を。しかし、それを含めて尚、俺をその高さに立たせてくれるのだ。
師範達の思惑は素直に嬉しい。が、それと同じくらい場違いである事が分かってしまう。
いつだって自分の道を自身の力で切り開いて来た彼らと同じ高さに、俺如きが立てる訳も無い、と。
「……でも、やっぱり俺が師範と対等だなんて…」
どれだけ厳しい稽古でも出なかった弱音が出る。
そうだ。場違いであることを自覚している事も、実力不足であることも、言い訳でしかない。
その本意は、
「…俺は、師範達が思っている程、強くないです。実力とかじゃなくて、中身が弱いんです。中学でも、IS学園でも、一人で居る事に平気な振りをして、友達を作る事もせず、この町に依存して来た。自分を肯定してくれるこの町の人に、依存して来たんです。どんな所でも、この町があるからって、一人になっていた。師範という、守ってくれる人がいたから、外でも一人でやって来れた」
その師範に、免許皆伝という称号を貰ったのは喜ばしい事だ。しかし、それは同時に俺を見放すという事じゃないのか?
澵井やハミルトン、更識先輩達には見せられない、俺の弱み。
「…はぁ〜」
「?」
俺の独白を聞いていた皆がため息を吐く。なんだ?完全に見限られたのか?それならそれでしょうがない。だって、俺は所詮、余所者なんだから。
しかしその考えは、ことはさんの言葉と、紙袋の中に入っている一枚の紙が断ち切った。
「真理、紙袋の中見てみなさい」
言われるがままに紙袋の中を覗き、中に入っていた一枚の折り畳まれた紙を取り出す。折られたそれを広げてみると、こう書かれていた。
『住民登録書』
「これって…」
「あんた今家無いでしょ?影羅さんも何とかプログラムってやつで引っ越してるらしいし。だから恭助に用意してもらったんだ」
「それにぃ、真理くんて高卒で公務員になって、影羅さんには離婚してもらうつもりだったんでしょ?だったら桜新町で公務員になって、桜新町に引っ越しちゃえば良いじゃん、ってお兄ちゃんとずっと言ってたんだよね」
「まぁ俺たちからの初勝利祝いと受け取ってくれ」
俺は人が嫌いだ。
上辺だけ良い面をして、心の内では何を考えているか分からない人間が嫌いだ。俺自身もそう。
でも、こうやって、気持ちを形にしてくれる事のなんて嬉しい事か。
見限られたなんて被害妄想も良いとこだ。俺は、俺自身が信頼していると思っていた町の皆を、師範達を、信頼できていなかったのだ。
「………あ、ありがとう、ございます…」
「あーもー!泣くなや!どうせまたすぐ戻ってくるんやから!」
「…泣いてませんよ、水奈さん」
泣いてなどいない。ただ、嬉しくて、にやけてしまう顔を見られたくないから下を向いているんだ。
「まぁ何にしても喜んでくれたなら、こっちとしても有り難いわ。提出期限とか無いからいつでも出しにおいで、恭助に」
「わかりました。本当にありがとうございます。しっかり考えて、決めたいと思います」
「そうしなさい。んで、師範として最後にアンタに言う事が三つ」
師範が人差し指を立てる。
「一つ。これからはアタシの事を師範じゃなくヒメと呼びなさい」
「前々から気にしてたもんね、ヒメちゃん」
アオさんの軽口をスルーしながら師範、もとい、ヒメさんが中指を立てる。
「二つ。体力をつけなさい。ISだかなんだか知らないけど、アンタの戦い方はどうやっても体力が必要だからね。そうね、三十分全力で動けるくらいが最低ラインかしらね」
首肯してヒメさんの眼を見る。少し吊り目の凛とした瞳は、真剣さのみを携えている。試合をする時と同じ眼だ。
薬指を立てたヒメさんが一度瞳を閉じて、真剣さを取り除き、慈愛に満ちた瞳で言葉を紡いだ。
「三つ。貴方は愛されてる。アタシ達は勿論、町民のみんなにも。そして、龍にもね。世界の誰にも愛されなくたって、誰にも肯定されなくたって、アタシ達がアンタを愛して、肯定してあげる。依存される側もね、案外嬉しいものなのよ。自分を頼ってくれて。でもこれからは対等な関係だから依存って言葉は使わない事。『助け合い』って言いなさいね」
…本当に、この人達は。
こんな嬉しい事を言われて、思われていて、返せる言葉なんて無いじゃないか。感無量という言葉を生まれて初めて実感した気がする。
この人達の愛に、気持ちに、今はまだ何も返せない。その事が歯痒くてしょうがない。
だから、俺はこう返すんだ。
「また、来ます。皆さんより強くなって、この町から貰った恩を返せるようになって」
マフラーを巻く。
このマフラーに決意を。この人達に貰った愛に誓いを。
桜新町という帰るべき場所が出来た事に喜びを感じて、俺の週末の挨拶廻りは幕を閉じた。
さしあたって、ハミルトンと更識先輩くらいは、多少なりとも心を許してもいいかも。
今までの俺では絶対に思いもしないような事を心に浮かべつつ。