オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ エルフの森 処刑台の前 /*/
地を赤く染めながら、デケムはずるずると引き摺られてきた。
右足は膝から先を食い千切られ、左足も噛み砕かれ、もはや形を成していない。
狼の牙に咥えられたまま、血と泥にまみれたその姿に――王としての威厳など欠片も残っていなかった。
「いやぁ、初めましてだね……お父さん」
アンティリーネが歩み寄る。
その唇には愉悦と嘲りを混ぜた笑みが浮かび、瞳だけは燃えるように冷たい。
ドサリ、と放り出されたデケムの背を、アンティリーネの細い足が踏みつけた。
「ぐっ……!」
必死に藻掻いて逃げようとするが、筋力でも、覚悟でも、娘に劣っていた。
「こ、来い……! 《ベヒーモス》!」
震える声で叫び、デケムは魔力を解き放つ。
第十位階魔法――根源の精霊ベヒーモス。
幾度もの戦場で無敗を誇ったその巨影を呼べば、まだ助かる。まだ……。
だが。
「――ああ、それは俺が相手しとくよ」
のんびりと散歩の誘いでもするような調子で、狼が人狼の姿へと変じながら言った。
「……な、何……だと……?」
デケムの瞳に絶望が広がる。
自分を一撃で半死に追いやった怪物が、ベヒーモスを相手取るという。
――この時、デケムは悟った。
最早どんな奇跡を呼び込もうとも、この森から生きて帰れる道は存在しないのだ、と。
/*/ エルフの森 血濡れの地にて /*/
「……な、何が狙いだ! なぜ私にこんな事をする!」
デケムの声は悲鳴とも疑問ともつかぬものだった。
その問いに、アンティリーネは喉の奥から笑い声を引きずり出す。
「――ハハハッ。狙い? 強者は弱者に、何をしてもいいのよ。違う?」
「ぐ……むぅ……」
言い返そうとしたが、言葉は続かない。
デケム自身、今までその理屈で生きてきたのだ。
「野生の獣じみた論理……でも、文明の発達していない森に住む野蛮人にはお似合いね」
「それの何が悪い!」
デケムの叫びは、哀れな自己肯定にしか聞こえなかった。
アンティリーネは大きく息を吐いた。
「……ふぅ」
その瞬間、背に乗せた足に力を込める。
「ぐ、がぁ……!」
肺が圧迫され、呼吸が潰される。
ミシミシと内側から骨の軋む音が響き、口を開いても空気は吸えず、ただ血の泡が漏れるばかり。
「ねぇ……どんな気持ち? いま、どんな気持ち?」
笑みを浮かべたまま、アンティリーネはじわじわと力を加えていく。
「ご、がぁ……」
呻き声は途切れ、次いでバキリ、と鋭い音。胸に奔った激痛に、デケムは地を掻き爪を立てた。
アンティリーネの瞳がわずかに揺れる。
「……あれから母を"哀れ"なんて思う気持ちは、もう消えたと思ってた。
でも……こんな雑魚に犯されて、孕まされたなんて――そう考えると、ほんの少しだけ……哀れに思えてきたわ」
独白のように呟き、さらに力を込める。
ベキリ、バキリと立て続けに胸骨が砕け、血が喉を逆流して口端から溢れる。
――苦しい。
――痛い。
――なぜ、自分が。
悪いことなど、何もしていないのに。
なのに死ぬ。死んでしまう。
暗闇が視界を覆う直前、デケムの心の奥から最後の呻きが滲み出た。
――なんで。
「……本当に、むかつく」
アンティリーネの声は冷え切っていた。
「こんな雑魚のせいで"私が"。……"私の母が"……」
血と憎悪にまみれた言葉が、森に落ちていった。
「……あぁ、それにしても残念。本当は、もっといたぶって殺したかったんだけど……」
血縁上の父――エルフ王デケムは、もはやピクリとも動かない。
アンティリーネは足を退け、赤く濡れた靴を払いながら視線を遠くへ移す。
そこには、神獣――ジョンの姿があった。
殴るだけで、根源の土精霊《ベヒーモス》の岩塊のような肉体が砕けていく。
いかなる物理防御も、あの拳の前にはただ脆く崩れ去る。
「……単純な暴力、か」
ぞくり、と背筋を震わせる。
その力を、もし自分の身に受けられたなら。
――どれほど強い子を孕むことができるだろう。
もっとも、その願いは他ならぬ神獣様自身に退けられた。
叶わぬ夢であることは分かっている。
だが。
「……こんな、くそったれな力でも」
血に濡れた手を見下ろし、彼女は小さく笑む。
「大事なものを守るための礎になれるのなら……」
その時は――。
母を。あの時、無様に蹂躙され、産むしかなかった母を。
少しだけ、許してやれるかもしれない。
そう――心の底から、思えた。
/*/
轟音。
天地を揺るがす咆哮と共に、ベヒーモスの巨腕が大地を叩き割った。
岩盤の塊が隆起し、まるで山がそのまま拳を振り下ろしてきたかのようだ。
だが――その下に立つのは、ただ一匹の狼。
「……ふん」
ジョンが放つのは単純な一撃。
しかし、その拳が振るわれた瞬間、地を覆う巨岩の肉体は亀裂を走らせ、粉々に砕け散った。
ゴオォォォ……!
ベヒーモスの呻きが空気を震わせる。
幾度も立ち上がろうとするが、そのたびに拳で叩き伏せられ、岩片へと変わる。
「抵抗は立派だが……足りん」
ジョンの低い声が森を渡る。
最後の一撃――狼王の牙にも似た拳が突き抜け、ベヒーモスの胸核を打ち砕いた。
瞬間、巨躯は砂のように崩れ落ち、根源の精霊は消滅する。
静寂。
ただ一人、赤き瞳を光らせて立つ人狼の姿が残るのみだった。
/*/
アンティリーネは血に濡れた髪を払いつつ、その光景を見届けていた。
「……やっぱり、神獣様ね」
その声音には、狂気にも似た尊敬が滲んでいた。
やがて、ジョンがゆるやかに歩を進め、倒れ伏したデケムの亡骸を一瞥する。
「終わったか」
「ええ。私の手で……」
アンティリーネはかすかに笑い、息を吐いた。
「これで、ようやく――」
言葉の続きを飲み込み、彼女はただ空を仰いだ。
ジョンは何も言わず、その横顔を一瞥する。
そして一言だけ告げる。
「帰るぞ。まだ、やるべきことがある」
その声は冷徹にして、どこか温かさを含んでいた。
血に濡れた森を後に、二人はゆっくりと歩み始めた。
/*/
森を抜けると、そこには戦の名残が広がっていた。
血と焦げの匂い。折れた樹木。倒れ伏す兵とエルフの子供たちの亡骸。
「……戻りましたか」
ニグンがこちらに気づき、額に汗を浮かべながら敬礼する。
彼の後ろには、負傷者の応急処置に追われる法国兵と、狼竜に跨がり警戒を続ける竜騎兵団の姿。
「神獣様、アンティリーネ様。王は……?」
ニグンが声をかける。
ジョンは無言で、肩に引きずっていた血にまみれた肉塊を投げ出した。
それが何か、一目で全員が悟る。
沈黙。
次の瞬間、法国兵たちがどよめき、竜騎兵団は膝を折って頭を垂れた。
「エルフ王デケムは討たれた」
ジョンが淡々と告げる。
「……そうか。これで森の支配権は、魔導国の御手に……」
ニグンの言葉に、場の空気が重く変わった。
アンティリーネは振り返り、倒れている子供エルフたちの姿を見やった。
「……問題は、この子たちね」
その声に、兵たちの視線が集まる。
「デケムは……子を戦いに駆り出していた」
ジョンの言葉に、法国兵の間から吐息が漏れる。
「全ての子を属国として魔導国に迎えるべきか……あるいは」
「根絶やしか……」と誰かが小さく呟いた。
アンティリーネは静かに笑った。
「弱者を生かすも殺すも、強者の裁量次第――それが父の論理だったわ」
そう言って血に濡れた手を掲げる。
ジョンがその場を制するように低く言った。
「魔導国の御心に従う。だが……俺の考えを述べるなら、殺すのは容易い。だが、それでは彼らと何が違う?」
竜騎兵団も、法国兵も、その言葉にざわめいた。
「会議を開こう」
ジョンは短く言い、振り返る。
「子らをどうするか――ここにいる全員で決める」
沈黙の中で、兵たちの顔には重い影が落ちていた。
誰もが理解していた。
これはただの戦いの勝利ではない。
未来をどう形作るか――その選択の始まりなのだと。
「法国は……エルフの子らの殲滅を求めている」
ニグンは低い声で切り出した。
その場に一瞬、緊張が走る。
「だが……」
彼は拳を握り、続ける。
「私は思い出す。かつて至高の御方――アインズ・ウール・ゴウン魔導王が授けられた御言葉を」
兵たちが息をのむ。
「力弱き人間ならば、他種族と寄り添い共に生き、共に死ね。
それが、より良き生となり、より良き死となる……と」
死の時を超えてなお、その教えは胸の奥に残っていた。
「ならば我ら法国も……人間種だけではなく、あらゆる異種族と手を取り合うべきではないか。
この子らを滅ぼすのではなく、新たな神の教えを説き、導くのだ」
ジョンはしばらく目を閉じ、そして頷いた。
「……心のケアが必要だな。戦場に駆り出され、親に利用されてきた子供たちだ。
その魂には深い傷が刻まれている」
その声は静かだが、確信に満ちていた。
「俺が責任をもって癒し、教育し、見どころある者を見出す。
やがて――新たな王として立つ者が現れるならば、この国を再興させられるだろう」
アンティリーネが前に出る。
黒と白の瞳に、かすかな熱を宿して。
「……私も、神獣様の意見に賛成よ。
出来ることなら、子供たちの面倒を私に任せてほしい」
クレマンティーヌが驚いたように眉をひそめる。
「アンタが? 珍しいこと言うじゃない」
アンティリーネは肩を竦めて微笑んだ。
「だって……この子たちは私の半分同胞でしょ?
親に捨てられた者同士、少しくらいは分かり合えるかもしれない」
その言葉に、戦場の空気がほんの少し柔らいだ。
血と死の匂いに包まれながらも、そこには新たな未来への一筋の光が差し込んでいた。
/*/ エルフの森・仮設拠点 /*/
夜。焚火の明かりに照らされ、子供たちは並んで座っていた。
アリオスとセレナは双子のように似た顔立ちをしており、左右で異なる色の瞳がかすかに光を反射する。
ルーギはその隣で膝を抱えて、炎をじっと見つめていた。
「……お名前を、聞いてもいいかな?」
ジョンの問いかけに、しばし沈黙。
返答は焚火の爆ぜる音にかき消されるほどの小さな声だった。
「……アリオス」
「……セレナ」
「……ルーギ」
三人は俯いたまま、か細く名乗った。
声には抑揚がなく、表情も乏しい。まるで「名乗る」という行為だけを機械的に果たしたようだ。
アンティリーネが少し身を乗り出す。
「……君たち、今まで……ずっと戦わされていたの?」
ルーギが、焚火を見つめたまま口を開いた。
「……はい。……たたかって……ころして……また、たたかう……」
「……怖くなかったの?」
アンティリーネの問いかけに、セレナがほんのわずかに眉を動かす。
だが答えは、感情のこもらない声だった。
「……こわい、とか……よく、わからない」
アリオスが続ける。
「……戦えば……褒められる。……負ければ……いなくなる。それだけ」
その一言に、ジョンは静かに目を細めた。
――感情を奪われた子供。
勝つか死ぬかしか知らされなかった、純粋すぎる犠牲。
アンティリーネは唇を噛みしめ、それ以上何も言えなくなった。
焚火の明かりに照らされる三人の顔には、年齢に似合わぬ影が深く落ちていた。
だが同時に、わずかに残された“命の火”がその瞳の奥で揺れているようにも見えた。
/*/ 焚火の夜 /*/
子供たちの名乗りのあと、沈黙が広がった。
ぱちぱちと薪が爆ぜる音だけが、夜気の中に響いている。
ジョンは炎を見つめながら、低く口を開いた。
「……児童兵か」
その声には冷たい響きと、微かな苦さが混じっていた。
彼自身の脳裏に、過去の影がよぎる。
――碌に教育も受けず、底辺の仕事を渡り歩き、いつ命を落としてもおかしくなかった日々。
自分もまた、守られるべき子供ではなかった。
「お前たち……これからは俺が教える」
ジョンは子供たちへと顔を向けた。
金の瞳が焚火の光を映し、鋭さと温かさが同居している。
「読み書き、計算。森の中の世界のこと。外の広い世界のこと。……全部だ」
三人の小さな体がわずかに震えた。
それが恐怖か、期待かは分からない。だが確かに、反応があった。
「強い者は弱き者を導き、守る。弱い者は強い者を支える。それが俺の弱肉強食だ」
ジョンは拳を握り、静かに続ける。
「俺はお前たちの王のように、無責任にはならない」
セレナの視線が、ほんの一瞬だけジョンを捉えた。
濁った瞳の奥に、わずかな揺らぎが走る。
「……それと」
ジョンは少し声を低め、焚火を背に三人へ告げた。
「お前たちの父親を殺したのは俺だ」
アリオスの瞳がわずかに見開かれる。
ルーギの小さな肩が震える。
ジョンはその反応を受け止め、真っ直ぐに言葉を重ねた。
「殺したければ、強くなれ。
そして俺を殺しに来い」
重く、冷たい言葉。
だがそこには、誤魔化しも甘さもない誠実さがあった。
焚火の火花が散る中、三人の子供たちは何も答えなかった。
ただ、声にならない呼吸が胸の奥で熱を帯び始めていた。
焚火の赤が揺れる。
しん、とした空気を破るように、間延びした声が飛んできた。
「神獣様ぁー。殺しに来いとか、そんなこと言っちゃっていいのぉ?」
クレマンティーヌだった。
いつの間にか背後の木に寄りかかって、にやにやと子供たちを眺めている。
ジョンは振り返らずに答えた。
「……クレマンティーヌか。――武術家は、自分の命を狙う敵を持って一人前、と言うだろ」
「ふふん」彼女は肩をすくめて笑う。
「それ、“天位”剣士になったブレインのセリフじゃーん。よくもまあ覚えてたわね」
「印象に残っていたんでな。あれは真理だ」
ジョンは淡々と告げ、再び焚火の方へ顔を向けた。
クレマンティーヌは顎に手を当てて、わざと大げさに考えるふりをする。
「なるほどねぇ。じゃあこの子たちが神獣様を狙ってきたら……」
「その時は全力で殺しに来い。俺は全力で迎え撃つ」
静かな声が、夜気に響いた。
焚火の光に照らされたアリオスとセレナ、ルーギの顔が、一瞬だけ強張った。
その揺らぎを、クレマンティーヌは愉快そうに眺めていた。
焚火がはぜ、ぱちりと音を立てる。
ジョンの低い声が子供たちに向かって落ちていった。
「……お前たちに必要なのは、まず生きる力だ。読み書き、計算、森と外の世界の知識。
そして何より――“責任ある力”。
力は振るうためにあるんじゃない。守るために持つんだ」
アリオスとセレナは、相変わらず濁った瞳でうつむいている。
だが、焚火に照らされたその頬が、ほんのわずかに揺れた。
そこに、さらりと柔らかな声が重なる。
「……でもね、力だけじゃ人は生きられないのよ」
赤い外套を羽織ったアンティリーネが、焚火のそばに腰を下ろす。
彼女の瞳は鋭さを帯びているが、その奥に宿る光は不思議なほど温かかった。
「怖いとき、寂しいとき、寄り添ってくれる誰かがいるから、心は壊れずにいられる。
力があっても、心が折れたら立ち上がれない。だから――私は、あなたたちの心に寄り添いたい」
ジョンは無言で腕を組んだ。
反論するでもなく、ただ静かに聞き入っている。
クレマンティーヌが口笛を鳴らして笑った。
「おーおー。力と心、ねぇ。いいじゃん。子供ら、両方セットで面倒見てもらえるなんて、贅沢じゃん」
ルーギが小さな声で、ほとんど独り言のように呟いた。
「……贅沢なんて、知らない」
その声はか細く、だが確かに――火の温もりに溶け込んでいった。
銀の攻撃は通常の2倍痛いけど、耐えます。
次回!
第100話:カタパルト発射!
おいおいついに100話達成しちゃったよ。