オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第99話:ふみふみ

 

 

 

/*/ エルフの森 処刑台の前 /*/

 

 

 

地を赤く染めながら、デケムはずるずると引き摺られてきた。

右足は膝から先を食い千切られ、左足も噛み砕かれ、もはや形を成していない。

狼の牙に咥えられたまま、血と泥にまみれたその姿に――王としての威厳など欠片も残っていなかった。

 

「いやぁ、初めましてだね……お父さん」

アンティリーネが歩み寄る。

その唇には愉悦と嘲りを混ぜた笑みが浮かび、瞳だけは燃えるように冷たい。

 

ドサリ、と放り出されたデケムの背を、アンティリーネの細い足が踏みつけた。

「ぐっ……!」

必死に藻掻いて逃げようとするが、筋力でも、覚悟でも、娘に劣っていた。

 

「こ、来い……! 《ベヒーモス》!」

震える声で叫び、デケムは魔力を解き放つ。

第十位階魔法――根源の精霊ベヒーモス。

幾度もの戦場で無敗を誇ったその巨影を呼べば、まだ助かる。まだ……。

 

だが。

 

「――ああ、それは俺が相手しとくよ」

のんびりと散歩の誘いでもするような調子で、狼が人狼の姿へと変じながら言った。

 

「……な、何……だと……?」

デケムの瞳に絶望が広がる。

 

自分を一撃で半死に追いやった怪物が、ベヒーモスを相手取るという。

――この時、デケムは悟った。

最早どんな奇跡を呼び込もうとも、この森から生きて帰れる道は存在しないのだ、と。

 

 

 

/*/ エルフの森 血濡れの地にて /*/

 

 

 

「……な、何が狙いだ! なぜ私にこんな事をする!」

デケムの声は悲鳴とも疑問ともつかぬものだった。

 

その問いに、アンティリーネは喉の奥から笑い声を引きずり出す。

「――ハハハッ。狙い? 強者は弱者に、何をしてもいいのよ。違う?」

 

「ぐ……むぅ……」

言い返そうとしたが、言葉は続かない。

デケム自身、今までその理屈で生きてきたのだ。

 

「野生の獣じみた論理……でも、文明の発達していない森に住む野蛮人にはお似合いね」

 

「それの何が悪い!」

デケムの叫びは、哀れな自己肯定にしか聞こえなかった。

 

アンティリーネは大きく息を吐いた。

「……ふぅ」

その瞬間、背に乗せた足に力を込める。

 

「ぐ、がぁ……!」

肺が圧迫され、呼吸が潰される。

ミシミシと内側から骨の軋む音が響き、口を開いても空気は吸えず、ただ血の泡が漏れるばかり。

 

「ねぇ……どんな気持ち? いま、どんな気持ち?」

笑みを浮かべたまま、アンティリーネはじわじわと力を加えていく。

 

「ご、がぁ……」

呻き声は途切れ、次いでバキリ、と鋭い音。胸に奔った激痛に、デケムは地を掻き爪を立てた。

 

アンティリーネの瞳がわずかに揺れる。

「……あれから母を"哀れ"なんて思う気持ちは、もう消えたと思ってた。

でも……こんな雑魚に犯されて、孕まされたなんて――そう考えると、ほんの少しだけ……哀れに思えてきたわ」

 

独白のように呟き、さらに力を込める。

ベキリ、バキリと立て続けに胸骨が砕け、血が喉を逆流して口端から溢れる。

 

――苦しい。

――痛い。

――なぜ、自分が。

悪いことなど、何もしていないのに。

なのに死ぬ。死んでしまう。

 

暗闇が視界を覆う直前、デケムの心の奥から最後の呻きが滲み出た。

――なんで。

 

「……本当に、むかつく」

アンティリーネの声は冷え切っていた。

「こんな雑魚のせいで"私が"。……"私の母が"……」

 

血と憎悪にまみれた言葉が、森に落ちていった。

 

「……あぁ、それにしても残念。本当は、もっといたぶって殺したかったんだけど……」

血縁上の父――エルフ王デケムは、もはやピクリとも動かない。

 

アンティリーネは足を退け、赤く濡れた靴を払いながら視線を遠くへ移す。

そこには、神獣――ジョンの姿があった。

 

殴るだけで、根源の土精霊《ベヒーモス》の岩塊のような肉体が砕けていく。

いかなる物理防御も、あの拳の前にはただ脆く崩れ去る。

 

「……単純な暴力、か」

ぞくり、と背筋を震わせる。

その力を、もし自分の身に受けられたなら。

――どれほど強い子を孕むことができるだろう。

 

もっとも、その願いは他ならぬ神獣様自身に退けられた。

叶わぬ夢であることは分かっている。

 

だが。

 

「……こんな、くそったれな力でも」

血に濡れた手を見下ろし、彼女は小さく笑む。

「大事なものを守るための礎になれるのなら……」

 

その時は――。

母を。あの時、無様に蹂躙され、産むしかなかった母を。

少しだけ、許してやれるかもしれない。

 

そう――心の底から、思えた。

 

 

 

/*/

 

 

 

轟音。

天地を揺るがす咆哮と共に、ベヒーモスの巨腕が大地を叩き割った。

岩盤の塊が隆起し、まるで山がそのまま拳を振り下ろしてきたかのようだ。

 

だが――その下に立つのは、ただ一匹の狼。

 

「……ふん」

 

ジョンが放つのは単純な一撃。

しかし、その拳が振るわれた瞬間、地を覆う巨岩の肉体は亀裂を走らせ、粉々に砕け散った。

 

ゴオォォォ……!

ベヒーモスの呻きが空気を震わせる。

幾度も立ち上がろうとするが、そのたびに拳で叩き伏せられ、岩片へと変わる。

 

「抵抗は立派だが……足りん」

ジョンの低い声が森を渡る。

最後の一撃――狼王の牙にも似た拳が突き抜け、ベヒーモスの胸核を打ち砕いた。

 

瞬間、巨躯は砂のように崩れ落ち、根源の精霊は消滅する。

 

静寂。

 

ただ一人、赤き瞳を光らせて立つ人狼の姿が残るのみだった。

 

 

 

/*/

 

 

 

アンティリーネは血に濡れた髪を払いつつ、その光景を見届けていた。

「……やっぱり、神獣様ね」

その声音には、狂気にも似た尊敬が滲んでいた。

 

やがて、ジョンがゆるやかに歩を進め、倒れ伏したデケムの亡骸を一瞥する。

「終わったか」

 

「ええ。私の手で……」

アンティリーネはかすかに笑い、息を吐いた。

「これで、ようやく――」

 

言葉の続きを飲み込み、彼女はただ空を仰いだ。

 

ジョンは何も言わず、その横顔を一瞥する。

そして一言だけ告げる。

 

「帰るぞ。まだ、やるべきことがある」

 

その声は冷徹にして、どこか温かさを含んでいた。

 

血に濡れた森を後に、二人はゆっくりと歩み始めた。

 

 

 

/*/

 

 

 

森を抜けると、そこには戦の名残が広がっていた。

血と焦げの匂い。折れた樹木。倒れ伏す兵とエルフの子供たちの亡骸。

 

「……戻りましたか」

ニグンがこちらに気づき、額に汗を浮かべながら敬礼する。

彼の後ろには、負傷者の応急処置に追われる法国兵と、狼竜に跨がり警戒を続ける竜騎兵団の姿。

 

「神獣様、アンティリーネ様。王は……?」

ニグンが声をかける。

 

ジョンは無言で、肩に引きずっていた血にまみれた肉塊を投げ出した。

それが何か、一目で全員が悟る。

沈黙。

次の瞬間、法国兵たちがどよめき、竜騎兵団は膝を折って頭を垂れた。

 

「エルフ王デケムは討たれた」

ジョンが淡々と告げる。

「……そうか。これで森の支配権は、魔導国の御手に……」

ニグンの言葉に、場の空気が重く変わった。

 

アンティリーネは振り返り、倒れている子供エルフたちの姿を見やった。

「……問題は、この子たちね」

その声に、兵たちの視線が集まる。

 

「デケムは……子を戦いに駆り出していた」

ジョンの言葉に、法国兵の間から吐息が漏れる。

「全ての子を属国として魔導国に迎えるべきか……あるいは」

「根絶やしか……」と誰かが小さく呟いた。

 

アンティリーネは静かに笑った。

「弱者を生かすも殺すも、強者の裁量次第――それが父の論理だったわ」

そう言って血に濡れた手を掲げる。

 

ジョンがその場を制するように低く言った。

「魔導国の御心に従う。だが……俺の考えを述べるなら、殺すのは容易い。だが、それでは彼らと何が違う?」

 

竜騎兵団も、法国兵も、その言葉にざわめいた。

 

「会議を開こう」

ジョンは短く言い、振り返る。

「子らをどうするか――ここにいる全員で決める」

 

沈黙の中で、兵たちの顔には重い影が落ちていた。

誰もが理解していた。

これはただの戦いの勝利ではない。

未来をどう形作るか――その選択の始まりなのだと。

 

「法国は……エルフの子らの殲滅を求めている」

ニグンは低い声で切り出した。

その場に一瞬、緊張が走る。

 

「だが……」

彼は拳を握り、続ける。

「私は思い出す。かつて至高の御方――アインズ・ウール・ゴウン魔導王が授けられた御言葉を」

 

兵たちが息をのむ。

「力弱き人間ならば、他種族と寄り添い共に生き、共に死ね。

それが、より良き生となり、より良き死となる……と」

 

死の時を超えてなお、その教えは胸の奥に残っていた。

「ならば我ら法国も……人間種だけではなく、あらゆる異種族と手を取り合うべきではないか。

この子らを滅ぼすのではなく、新たな神の教えを説き、導くのだ」

 

ジョンはしばらく目を閉じ、そして頷いた。

「……心のケアが必要だな。戦場に駆り出され、親に利用されてきた子供たちだ。

その魂には深い傷が刻まれている」

 

その声は静かだが、確信に満ちていた。

「俺が責任をもって癒し、教育し、見どころある者を見出す。

やがて――新たな王として立つ者が現れるならば、この国を再興させられるだろう」

 

アンティリーネが前に出る。

黒と白の瞳に、かすかな熱を宿して。

「……私も、神獣様の意見に賛成よ。

出来ることなら、子供たちの面倒を私に任せてほしい」

 

クレマンティーヌが驚いたように眉をひそめる。

「アンタが? 珍しいこと言うじゃない」

 

アンティリーネは肩を竦めて微笑んだ。

「だって……この子たちは私の半分同胞でしょ?

親に捨てられた者同士、少しくらいは分かり合えるかもしれない」

 

その言葉に、戦場の空気がほんの少し柔らいだ。

血と死の匂いに包まれながらも、そこには新たな未来への一筋の光が差し込んでいた。

 

 

 

/*/ エルフの森・仮設拠点 /*/

 

 

 

夜。焚火の明かりに照らされ、子供たちは並んで座っていた。

アリオスとセレナは双子のように似た顔立ちをしており、左右で異なる色の瞳がかすかに光を反射する。

ルーギはその隣で膝を抱えて、炎をじっと見つめていた。

 

「……お名前を、聞いてもいいかな?」

ジョンの問いかけに、しばし沈黙。

返答は焚火の爆ぜる音にかき消されるほどの小さな声だった。

 

「……アリオス」

「……セレナ」

「……ルーギ」

 

三人は俯いたまま、か細く名乗った。

声には抑揚がなく、表情も乏しい。まるで「名乗る」という行為だけを機械的に果たしたようだ。

 

アンティリーネが少し身を乗り出す。

「……君たち、今まで……ずっと戦わされていたの?」

 

ルーギが、焚火を見つめたまま口を開いた。

「……はい。……たたかって……ころして……また、たたかう……」

 

「……怖くなかったの?」

アンティリーネの問いかけに、セレナがほんのわずかに眉を動かす。

だが答えは、感情のこもらない声だった。

「……こわい、とか……よく、わからない」

 

アリオスが続ける。

「……戦えば……褒められる。……負ければ……いなくなる。それだけ」

 

その一言に、ジョンは静かに目を細めた。

――感情を奪われた子供。

勝つか死ぬかしか知らされなかった、純粋すぎる犠牲。

 

アンティリーネは唇を噛みしめ、それ以上何も言えなくなった。

 

焚火の明かりに照らされる三人の顔には、年齢に似合わぬ影が深く落ちていた。

だが同時に、わずかに残された“命の火”がその瞳の奥で揺れているようにも見えた。

 

 

 

/*/ 焚火の夜 /*/

 

 

 

子供たちの名乗りのあと、沈黙が広がった。

ぱちぱちと薪が爆ぜる音だけが、夜気の中に響いている。

 

ジョンは炎を見つめながら、低く口を開いた。

 

「……児童兵か」

 

その声には冷たい響きと、微かな苦さが混じっていた。

彼自身の脳裏に、過去の影がよぎる。

――碌に教育も受けず、底辺の仕事を渡り歩き、いつ命を落としてもおかしくなかった日々。

自分もまた、守られるべき子供ではなかった。

 

「お前たち……これからは俺が教える」

ジョンは子供たちへと顔を向けた。

金の瞳が焚火の光を映し、鋭さと温かさが同居している。

 

「読み書き、計算。森の中の世界のこと。外の広い世界のこと。……全部だ」

 

三人の小さな体がわずかに震えた。

それが恐怖か、期待かは分からない。だが確かに、反応があった。

 

「強い者は弱き者を導き、守る。弱い者は強い者を支える。それが俺の弱肉強食だ」

ジョンは拳を握り、静かに続ける。

「俺はお前たちの王のように、無責任にはならない」

 

セレナの視線が、ほんの一瞬だけジョンを捉えた。

濁った瞳の奥に、わずかな揺らぎが走る。

 

「……それと」

ジョンは少し声を低め、焚火を背に三人へ告げた。

 

「お前たちの父親を殺したのは俺だ」

 

アリオスの瞳がわずかに見開かれる。

ルーギの小さな肩が震える。

 

ジョンはその反応を受け止め、真っ直ぐに言葉を重ねた。

 

「殺したければ、強くなれ。

 そして俺を殺しに来い」

 

重く、冷たい言葉。

だがそこには、誤魔化しも甘さもない誠実さがあった。

 

焚火の火花が散る中、三人の子供たちは何も答えなかった。

ただ、声にならない呼吸が胸の奥で熱を帯び始めていた。

 

焚火の赤が揺れる。

しん、とした空気を破るように、間延びした声が飛んできた。

 

「神獣様ぁー。殺しに来いとか、そんなこと言っちゃっていいのぉ?」

 

クレマンティーヌだった。

いつの間にか背後の木に寄りかかって、にやにやと子供たちを眺めている。

 

ジョンは振り返らずに答えた。

「……クレマンティーヌか。――武術家は、自分の命を狙う敵を持って一人前、と言うだろ」

 

「ふふん」彼女は肩をすくめて笑う。

「それ、“天位”剣士になったブレインのセリフじゃーん。よくもまあ覚えてたわね」

 

「印象に残っていたんでな。あれは真理だ」

ジョンは淡々と告げ、再び焚火の方へ顔を向けた。

 

クレマンティーヌは顎に手を当てて、わざと大げさに考えるふりをする。

「なるほどねぇ。じゃあこの子たちが神獣様を狙ってきたら……」

 

「その時は全力で殺しに来い。俺は全力で迎え撃つ」

静かな声が、夜気に響いた。

 

焚火の光に照らされたアリオスとセレナ、ルーギの顔が、一瞬だけ強張った。

その揺らぎを、クレマンティーヌは愉快そうに眺めていた。

 

焚火がはぜ、ぱちりと音を立てる。

ジョンの低い声が子供たちに向かって落ちていった。

 

「……お前たちに必要なのは、まず生きる力だ。読み書き、計算、森と外の世界の知識。

そして何より――“責任ある力”。

力は振るうためにあるんじゃない。守るために持つんだ」

 

アリオスとセレナは、相変わらず濁った瞳でうつむいている。

だが、焚火に照らされたその頬が、ほんのわずかに揺れた。

 

そこに、さらりと柔らかな声が重なる。

「……でもね、力だけじゃ人は生きられないのよ」

 

赤い外套を羽織ったアンティリーネが、焚火のそばに腰を下ろす。

彼女の瞳は鋭さを帯びているが、その奥に宿る光は不思議なほど温かかった。

 

「怖いとき、寂しいとき、寄り添ってくれる誰かがいるから、心は壊れずにいられる。

力があっても、心が折れたら立ち上がれない。だから――私は、あなたたちの心に寄り添いたい」

 

ジョンは無言で腕を組んだ。

反論するでもなく、ただ静かに聞き入っている。

 

クレマンティーヌが口笛を鳴らして笑った。

「おーおー。力と心、ねぇ。いいじゃん。子供ら、両方セットで面倒見てもらえるなんて、贅沢じゃん」

 

ルーギが小さな声で、ほとんど独り言のように呟いた。

「……贅沢なんて、知らない」

 

その声はか細く、だが確かに――火の温もりに溶け込んでいった。

 

 

 





銀の攻撃は通常の2倍痛いけど、耐えます。


次回!
第100話:カタパルト発射!

おいおいついに100話達成しちゃったよ。
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