オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/リ・エスティーゼ王都・ヴェスチャー剣術道場/*/
剣術道場の扉を押し開けると、白髪の老剣士ヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンが、腰に二本の刀を差し、いつもの浅葱色の道場着で立っていた。腕は細いが、その硬さは鋼の如く、静かに迫力を放っている。
「……そのお話はお受けできませんな」
老剣士の声には、招かれざる者を迎え入れる気配など微塵もない。
だが、扉の向こうには屈せぬ覚悟の国王が立っていた。ザナック国王――リ・エスティーゼ王国の主――である。
「ヴェスチャー殿、どうかこの国の若き剣士たちに、貴殿の技を伝えていただけぬか」
しかし初日は、老剣士は腕を組み、軽く首を振った。
「拙者は気に入った者しか指導せぬ。全員を相手にするつもりはない」
国王は深く礼をし、静かに引き下がった。
翌日も、王は同じ道場を訪れた。道場の床に足を踏み入れるたび、ヴェスチャーの目は冷たく光る。
「再びお呼びか……」
「私は熱意を示す。どうか考え直していただきたい」
老剣士の答えは変わらず、国王はまたも深く頭を下げ、退いた。
三日目――国王は道場の扉を押し開けると、真摯な眼差しをヴェスチャーに向けた。
「私はただ、貴殿の剣をこの国の未来に活かしたいのだ。あなたが選ぶ者にのみ教えていただければ、それで十分」
長い沈黙。風もないのに道場着がかすかに揺れる。老剣士の白髪が光を反射し、静かに胸の内を試すようだった。
やがて、深く息をつき、ヴェスチャーは静かにうなずいた。
「……よかろう。拙者が選ぶ者にのみ、教えを授けよう」
国王の顔に、ほっとした微笑が広がった。冷徹な剣士の瞳の奥に、わずかに温かみが宿った瞬間であった。
/*/ カロリナの旅立ち /*/
朝靄の残る街道に、荷馬車が数台並んでいた。
その荷台には、机や本棚、羊皮紙やインク、そして子供たちの身の回りの品がぎっしりと積まれている。
孤児院の子供たちは、荷馬車の周りでそわそわと落ち着かない。
「王都に行ったらどんな家に住めるの?」
「魔法を習えるのかな!」
「勉強って……難しいのかな……」
希望と不安が入り混じった声が飛び交い、まるで遠足前の子供のように目を輝かせていた。
その様子を見守りながら、カロリナ・エステルはゆっくりと深呼吸した。
冒険者としての現役感が抜けきらない背筋の伸びた姿に、やや年を重ねた落ち着きが宿っている。
「さあ、出発するわよ。荷物は落とさないようにね」
言葉に、年長の子供たちが幼い子を抱え、荷馬車へと誘導する。
かつて冒険者時代に鍛え上げられた統率力は、孤児院の中でも自然に生きていた。
街の人々が見送りに集まってきていた。
「先生、本当に行っちまうのか……」
「王都に行っても、どうか子供たちを守ってください」
「この街の宝でしたのに……でも、王国のためなら」
涙ぐむ人々に、カロリナは柔らかく微笑む。
「ええ、大丈夫。……私も、この子たちも、王都で生きていきます。かつて愛した国のために」
そう言って頭を下げた彼女の目には、かつての冒険者時代に戻ったかのような光が宿っていた。
――国のために、再び力を尽くす。
その決意が、彼女を奮い立たせていた。
馬車が軋む音を立てて動き出す。
子供たちの歓声と、市井の人々の声援が背中を押す。
「いってらっしゃい!」
「王都でも元気でな!」
カロリナは振り返り、笑みを浮かべて片手を上げた。
「ありがとう。必ず、胸を張ってまた会えるようにするわ」
/*/
街道の先には王都。
そのさらに先には、王立学校という未知の舞台が待っている。
荷馬車の上で、子供たちが声を合わせて歌い出した。
かつて孤児院で教えた、ささやかな童謡。
その歌声に包まれながら、カロリナは拳を握る。
――この声を、未来へ繋げるのだ。
彼女の旅立ちは、王国に新しい知識の芽を植える一歩となった。
/*/ 王都・王城謁見の間 /*/
王城の広間に、ざわめきが満ちていた。
かつての栄華を思わせる大理石の床は、戦乱でひび割れ、修復の跡が痛々しい。だが玉座の上には、確かに新しい王――ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフが座していた。
入城を許された荷馬車の列から、子供たちが広間に案内される。
孤児たちはきょろきょろと天井や壁の装飾を見上げ、緊張と好奇心で落ち着かない。
その先頭に立つのは、濃紺のローブを纏ったカロリナ・エステル。
背筋を伸ばし、一歩一歩を堂々と踏み出す。
彼女は玉座の前で片膝をつき、深く頭を垂れた。
「カロリナ・エステル、王都に参上いたしました。
かつて愛したこの国のために――微力ながら力を尽くす覚悟でございます」
低く落ち着いた声が広間に響く。
ザナックはしばし無言でその姿を見つめた。
彼の瞳には、誇り高くも慎ましい一人の詠唱者と、その背後に並ぶ孤児たちの顔が映っている。
「……顔を上げよ、カロリナ」
呼びかけに応じて顔を上げた瞬間、二人の視線が交わる。
ザナックは静かに息を吐いた。
「これからは、知識を持つ者をきちんと育てていきたいのだ。
力だけでは、我が王国は再び立ち上がれぬ。――そのために、そなたの助けが欲しい」
その言葉に、広間の空気がわずかに張り詰める。
貴族たちや官僚たちが、彼女の返答を待っていた。
カロリナは一瞬、唇を噛んだ。
王国が自分のような魔術師を軽んじてきた過去が胸をよぎる。
だが同時に、孤児たちの未来が脳裏に浮かんだ。
やがて彼女は力強く頷いた。
「……陛下。私の持つものすべてを、この王立学校の礎といたしましょう。
孤児院も塾も、そのまま王都に移します。この子たちが、新しい知識の芽となるなら――それが私の誇りです」
「そう言ってくれるか」
ザナックの表情に、深い感慨と安堵の色が浮かんだ。
彼は玉座から立ち上がり、ゆっくりと彼女に歩み寄る。
「カロリナ・エステル。……王国に戻ってきてくれて、ありがとう」
その言葉に、カロリナの胸が熱くなる。
孤児たちの瞳がきらきらと輝き、広間の空気は新しい希望に包まれていた。
/*/
その日、王立学校設立のための礎が正式に築かれた。
王国の未来は、ようやく小さな芽吹きを迎えようとしていた。
/*/王立学校完成 ― 見学の場面
王都の北端。かつて反抗的だった北部貴族の屋敷群が焼き払われた跡地に、白亜の巨大な建物が聳え立っていた。
広大な敷地の中、石畳の道が整然と走り、白壁に赤瓦を載せた校舎が幾棟も連なる。中央には鐘楼を備えた本館が堂々と構え、その前には王国の紋章を刻んだ大理石の噴水が輝いている。
ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフは、随行の者たちと共に敷地へ足を踏み入れ、思わず息を呑んだ。
「……これは……王国の建物か?」
思わず漏れたその声に、ケラルト・カストディオが苦笑を浮かべる。
「表向きはそうなっていますが、実際には魔導国の設計と施工の賜物でしょうね。白亜の壁に精緻な石工技術……我が国には、この規模を短期間で仕上げる力はありません」
ザナックは苦々しくも頷く。
確かにここは「王国王立学校」でありながら、その完成度の高さは王国の威信よりも魔導国の力を雄弁に示していた。
校舎内部に足を踏み入れると、さらに驚きが広がる。
高い天井には大きなガラス窓から光が差し込み、廊下は磨き上げられた白石で輝いている。
各教室には魔導照明と空調の術具が設置され、図書室には既に整然とした蔵書が並んでいた。
理科室には錬金用の器具、魔術実験用の小型結界施設まで備わっている。
「……これは……」
カルカは恐る恐る触れ、震える声を漏らした。
「王国の建物のはずなのに……まるで魔導国の宮殿のようです」
一方でレメディオスは、頭を掻きながら呑気に笑った。
「これだけ立派ならば王国の威光を伝えるのに十分ではないか」
「だからこそ、恐ろしいのです」ケラルトが鋭く言う。
「生徒たちは幼い頃から、この圧倒的な環境の中で育つ。
やがて彼らにとって“魔導国の技術と知識”は、王国の象徴そのものと同一視されるでしょう」
ザナックは沈黙した。
しかし、彼の胸の奥には、わずかながらも希望が芽生えていた。
――たとえ魔導国の後ろ盾があろうとも、ここで学ぶ子供たちは王国の未来だ。
その芽を摘むことだけは、絶対に避けなければならない。
「……よい。これが我らの道だ。
魔導国の影がどうあれ、ここで生まれる知識は、いずれ王国の血肉となろう」
ザナックの言葉に、カロリナ・エステルは深く頷いた。
「陛下。子供たちはこの白亜の校舎を、自分たちの家だと思うようになります。
たとえ礎がどこにあろうとも――この国に根を下ろすよう、私が導きましょう」
その声は、王国の未来を担う教師の決意に満ちていた。
/*/
こうして王国王立学校は、王国の権威を象徴する建築として完成し、ザナックの治世における最大の改革の象徴として世に示されることとなった。
/*/王立学校 ― 開校式典
王都に新たに築かれた王立学校の前庭は、色とりどりの旗と花で飾られ、王都の貴族・商人・市民、そして地方から集められた子供たちで賑わっていた。
中央の壇上には、ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ王が立つ。
王冠を戴くその姿は、まだ若くして苦難の道を歩んだ者の重みを纏っていた。
「――王国は一度滅びの淵に立った。しかし、我らは再び立ち上がったのだ」
ザナックの声が朗々と響く。
「これから先の時代、剣や槍だけでは国は守れぬ。知識こそが、王国を未来へと導く礎となろう。
ゆえに、ここに王立学校を開き、我が国の子らに学問と魔術の道を与える。
諸君らこそ、王国の新たなる希望である」
その言葉に、広場から拍手と歓声が巻き起こる。
前列に並んだ子供たち――孤児院から来た者、貴族や商人の子弟、地方から推薦された才ある者たち――が緊張した面持ちで立ち尽くしていた。
彼らの目は、白亜の校舎を見上げるうちに輝きを帯びていく。
壇の脇にはカロリナ・エステルが控えていた。
彼女は胸に手を当て、小さく呟く。
「……これで、子供たちに未来を見せてやれる」
その背後で、ケラルト・カストディオは冷静に囁く。
「陛下の改革は王国を救うでしょう……もっとも、その実、魔導国の策の一部ではありますが」
レメディオスはそれに首をかしげ、隣のカルカは青ざめて唇を噛んだ。
しかし、ザナックの表情は揺るがない。
「この学び舎を通じて――王国は必ず、再び立ち上がる」
その宣言とともに、鐘楼の鐘が高らかに鳴り響き、王立学校は正式に開校された。
/*/
入学の始まり
校舎の扉が開かれ、子供たちは緊張と期待を胸に次々と中へと入っていく。
磨き抜かれた廊下、整然と並ぶ机、魔導照明が柔らかく光を放つ教室――。
「すごい……」
「こんなところで学べるなんて……」
子供たちの声は驚きと感動に満ちていた。
その中に、孤児院から来た少年がいた。
彼は小さな声でつぶやく。
「俺……本当に、ここで学んでいいのか……?」
その肩に手を置いたのは、カロリナだった。
「大丈夫。ここは君たちの学校です。胸を張って学びなさい」
少年は小さく頷き、仲間たちと共に教室へと駆けていった。
ザナックはそれを見守りながら、王の顔に似つかわしくない柔らかな笑みを浮かべた。
――この子らが、王国の未来を織り上げる。
そう信じるに足る光が、確かにそこにあった。
/*/王立学校 ― 初めての授業
朝の鐘楼が三度、澄んだ音を響かせると、白亜の校舎の一室に子供たちのざわめきが広がった。
王立学校の開校を待ちわびた貴族子弟と、孤児院から来た子供たちが混じり合い、緊張と好奇心の入り混じった空気が漂う。
「……静かに、皆。今日は特別な先生を迎えているわ」
教室の前に立つカロリナ・エステルが落ち着いた声で呼びかける。
彼女自身も、この瞬間をどんな風に迎えるべきか胸が高鳴っていた。
ギィ……と扉が軋み、冷たい空気が流れ込む。
現れたのは黒いローブを纏い、赤い光を宿す眼窩を持つ骸骨の魔導師――エルダーリッチ。
「……本日の講師を務める。エルダーリッチ・ヴァルザークだ」
その姿に、生徒たちから悲鳴とすすり泣きが漏れる。
「が、骸骨だ!」「こわい……」「……帰りたい……!」
恐怖の渦を切り裂くように、カロリナは強く言い放った。
「皆、落ち着きなさい! この方は魔導国から派遣された先生です。知識を授けるために、ここに立ってくださっているのです」
ヴァルザークは静かに頷くと、骨の手を掲げた。
「恐怖は無知から生じる。知れば恐れは消え、力は己のものとなる」
低く響く声が教室を満たす。
次の瞬間、彼は短い詠唱を紡ぎ上げた。
「――
教卓の上に光が集まり、薄く透き通った板がふわりと宙に浮かんだ。
恐怖で身を固めていた子供たちの目が、一斉に見開かれる。
「誰か、試してみるか?」
おずおずと手を挙げたのは、孤児院から来た小さな少女だった。
カロリナに背中を押されて彼女が板に乗ると、ふわりと床から数十センチ浮き上がった。
「きゃあっ……! わ、わぁ……!」
恐怖よりも喜びが勝り、少女の顔に笑顔が浮かぶ。
それを見て、周囲の子供たちから一斉に歓声が上がった。
「すごい!」「僕もやりたい!」「……魔法って、こんなにすごいんだ!」
骸骨の教師を見て怯えていた心は、もうどこかに消えていた。
ヴァルザークは静かに告げる。
「これは第1位階魔法の一つにすぎぬ。だが、学び続ければ誰もが“理”を知り、己の力とできる。恐怖せず、学ぶがいい」
赤い光を宿した眼窩は恐ろしげに輝いていたが、その言葉は確かに生徒たちの胸に届いていた。
カロリナは後ろでその様子を見つめ、心の中で小さく息をついた。
(……これならきっと、子供たちは伸びる。恐怖ではなく、知識を求める心を育てられる)
教室の空気は確かに変わっていた。
骸骨教師は、この日、子供たちに「学ぶことの楽しさ」と「魔法の第一歩」を刻み込んだのだった。
――後日。
王都の市場では「骸骨の先生が子供を宙に浮かせたらしい」と面白おかしく噂が広がり、王立学校の評判は一気に高まっていくことになる。
/*/王都 ― 王城 会議室
王立学校の開校からしばらく。
「骸骨教師が子供を宙に浮かせた」という噂は、瞬く間に王都中に広がった。
市場の女たちや商人たちが「うちの子も学ばせたい」と話し、評判は日に日に大きくなっていた。
その報告を受けて、王国の重臣たちが集まる場で議論が始まった。
「魔導国の師範とやら……。確かに子供たちに知識を与えているという話ですが……」
白髪の老貴族が鼻を鳴らす。
「民草が勉学を学んで、何の役に立つのです? 農夫は畑を耕し、商人は秤を持てば十分。無駄に知恵を持たせれば、反乱の火種にもなりましょう」
「その通り!」と別の貴族も同調する。
「学問は我らが担うもの。下々に知識を与えるなど、秩序を乱す行いだ!」
対して、若い中堅貴族の一人が口を開いた。
「ですが……経済の立て直しも産業の興進も、知識なくしては果たせぬのでは? 魔導国は既に帝国とも学術競争を始めている。王国が置き去りになれば、立場はますます悪くなる一方です」
会議室に緊張が走る。
意見が真っ二つに割れ、互いに譲らぬ気配が漂う。
そのやり取りを聞きながら、王座に座るザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフは、深々と頭を抱えた。
「……やれやれ。ここまで意見が割れるとはな」
ザナックは額を押さえながら、ふと苦笑する。
「民が学ぶことを恐れるのは分かる。だが……知識なき国は、ただの愚鈍な羊の群れだ。未来を築くには、学ぶ力が必要なのだ……」
彼の言葉に、反対派の老貴族たちは顔をしかめ、若い貴族たちは小さく頷いた。
王国の未来をどう導くべきか――。
王立学校は、王都だけでなく王国全体に、新たな「亀裂」と「希望」を生み始めていた。
/*/ナザリック大墳墓 ― 執務室
分厚い報告書を机に置き、モモンガとジョンが並んで腰掛けていた。
王国の王立学校を巡る評判や、貴族たちの反発についての記録が山積みにされている。
モモンガは骨の指で書類をパラパラとめくり、ため息をついた。
「……やっぱり、反対派がうるさいな。貴族どもはいつの時代も変わらん。自分たちの特権を守ることしか考えない」
ジョンは椅子にどっかり腰を下ろし、肘で机を軽く叩く。
「だよな。せっかくザナックが必死に持ち直そうとしてんのに……。反対派? まとめてぶっころしてやろうか」
モモンガは一瞬だけ沈黙し、次に苦笑混じりに返す。
「……それ、王国どころか歴史そのものが吹っ飛ぶな」
「いや、でもよ?」とジョンは悪戯っぽく笑う。
「“王国の未来のために改革を妨げる連中は全部処分しました”ってな。ザナックに言ってやったら、どんな顔すんだろな」
モモンガは顎に手をやり、少し想像してから「ぷっ」と笑ってしまった。
「……あの人、顔を真っ青にして固まるでしょうね。あの必死な姿を見れば、からかいたくもなる」
ジョンは肩をすくめる。
「まあ、俺たちが本気で手ぇ出したら、王国なんざ一夜で終わっちまう。だから口にするくらいで丁度いい」
二人はしばし黙り、そして視線を交わす。
「……けど、ザナックもよくやってる。あいつの必死さは、報いてやりたいくらいだ」
「そうだな。……誇り高い王ってやつだ」
執務室に静けさが戻る。
二人の声には、わずかな温かみと、ナザリックらしい残酷な冗談が同居していた。
/*/王都 ― 王城執務室
王立学校の開校から数週間。民草の間では新たな学び舎に対する評判が高まっていた。
「我が子が学べる」
「読み書きができるようになれば商売にも役立つ」
「農の工夫も学べるのか」
市井の喜びの声がザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ国王の耳に届いていた。
だが同時に、王城には別の声も渦巻く。
「農奴に学問など不要!」
「武を持たぬ者に知識を与えれば、いずれ反逆を招く!」
「学問は貴族の特権だ!」
古い価値観に縛られた貴族たちが、激しく反発していた。
執務室の机に置かれた山積みの書状の中には、そうした抗議文や陳情書が並んでいる。ザナックはそれを一通、また一通と手に取り、読んでは静かに机に戻した。
やがて彼は深く息を吐き、椅子にもたれかかり、片手で額を押さえた。
「……どうして、我らはここまで愚かになってしまったのだ」
苦悩の独白がもれる。
頭の奥底で、あの“冗談”めいた声が蘇る。
――「反対派は全部、ぶっころしてやろうか」
その言葉が、こんなにも甘美に響く日が来ようとは。
ザナックは目を閉じ、己の胸に浮かぶ黒い願望を否定しようとした。
(……もし、魔導国が本気で反対派を潰してくれるなら……)
一瞬、想像してしまう。
頑迷な貴族どもが一夜にして姿を消し、民草のための改革が滞りなく進む未来を。
学舎に通う子供たちの笑顔。飢えぬ民。立ち直る王国。
それはどれほど甘美で、そしてどれほど恐ろしい夢か。
ザナックは握りしめた拳に爪が食い込むのも構わず、低く呻いた。
「……駄目だ。それを望んではならん。それでは、我らが王国は自らの未来を投げ捨てることになる……!」
彼は机に身を乗り出し、窓の外に視線を向けた。
そこには北部から運び込まれる物資の荷車が列をなし、王都の石畳を軋ませながら進んでいた。
荷車を押す農民の顔は疲れ果てていたが、どこかに希望の光が宿っている。
「……我らは、自らの力で立ち上がらねばならん。たとえその道が苦しく、遠くとも」
ザナックはそう自らに言い聞かせ、再び山積みの書類へと手を伸ばした。
だが、心の奥底ではどうしても消えない囁きが残っていた。
――「もし魔導国が一度だけ刃を振るってくれたなら……」
その危うい願望を押し殺しながら、ザナックはまたペンを取り、王国の未来のための署名を書き始めた。
/*/ナザリック地下大墳墓 ― 執務室
黒曜石のように磨き上げられた鏡面の魔導装置。その中には王都執務室の様子が映し出され、ザナックの姿が映っていた。
机に積み上がる書類に向かいながら、額を押さえ、苦悩する国王の姿。
誰もいないはずの部屋で、彼の口からは抑えきれぬ本音がもれ出ていた。
その様子を静かに見ていたモモンガが、ぽつりと呟いた。
「……ジルとはまた違った苦悩と必死さだな。あいつは同盟を守ろうとした。こっちは……国そのものを、どうにか保とうとしてる」
その声音には、アンデッドでありながら確かな敬意がにじむ。
隣で同じ映像を眺めていたジョンが、にやりと笑って腕を組む。
「好きだぜ、こういう男。無力を自覚して、それでも足掻く。泥にまみれてでも民を守ろうとする姿……胸にくるもんがある」
「……そうですね」
モモンガは小さく頷き、指先を組んだ。
「やはり人間は素晴らしい。死に抗うだけでなく、滅びにすら抗おうとする。その姿が……とても、眩しい」
映像の中、ザナックはまた一枚、反対派からの陳情書に目を通し、深い息を吐いていた。
ジョンが肩をすくめる。
「でもまあ、あの陛下が本気で民を想ってるのはわかる。……俺たちが手を貸せば、簡単に片がつくんだけどな」
「ふふ……それを望まないからこそ、あの人はあの人なんだろう」
モモンガはそう言って、映像から目を離さなかった。
ナザリックの支配者と、かつて人間だった男が、等しく一国の王に敬意を抱く。
それはどこか奇妙で、だが確かな温かみを帯びた時間だった。
/*/ナザリック ― アルベドの私室
転写された魔導映像の前に、デミウルゴスとアルベドが並び立っていた。
映像の中ではモモンガとジョンが、人間ザナックの奮闘を静かに語っている。
「……やはり人間は素晴らしい」
「好きだぜ、こういう男」
その言葉を聞いた瞬間、二人は同時に息を呑んだ。
「……っ! 至高の御方が、人間を讃えておられる!」
デミウルゴスの声は震えていた。眼鏡の奥で瞳が燃えるように輝く。
「この意味は重い……愚鈍なる我らには計り知れぬ深遠な御心だ!」
「ええ、ええ! ああ……モモンガ様が直々にお言葉を! 人間にさえ慈悲を向けられる、なんと崇高なお方!」
アルベドは恍惚とした表情で胸に手を当て、膝を折りそうなほど陶酔している。
背後で両手を頭の後ろに回し、ひょいと覗き込むルプスレギナ。
「んー……でも私には、モモンガ様が人間を褒めてるってより、ジョン様が『こういう人好きだぜ!』ってはしゃいでるのを見て、横でモモンガ様が『うんうん、いいね』って相槌打ってるだけにしか見えないんすけど」
「ルプスレギナ!」
アルベドがぴしゃりと睨みつける。
「至高の御方のお言葉を、軽々しく解釈してはならないわ!」
しかしルプスレギナはへらりと笑った。
「いやー、でも私、ジョン様のことよく見てるっすから。あの人、必死で頑張ってる人間好きなんすよ。……で、そういうジョン様を見てるモモンガ様を見てるのが、私は好きなんす」
一瞬、デミウルゴスもアルベドも言葉を失う。
「……ただねえ」
ルプスレギナの笑顔に、獣のような影が差す。
「人間って頑張って頑張って、やっと完成しそうな時に、横からばーん!って崩した時の顔が一番絶望に染まって美味しいんすよね。……でもジョン様が悲しそうな顔するから、私、我慢してるんすよ」
にやりと口角を吊り上げるルプスレギナに、デミウルゴスは「……」と目を細めた。
アルベドは怒るよりも、理解の外の発言に呆然としている。
その場の空気は一瞬、凍り付いた。
だがルプスレギナは相変わらず無邪気な笑顔で肩をすくめる。
「いやー、愛って難しいっすねえ」
偉い人の名前、間違えてないか凄い心配。
名無しだと生徒が困るだろうから、学校のエルダーリッチには名前付けときました。僕が忘れそうw
次回!
第104話:うちも欲しい
他所は他所!うちはうちです!
これ言われ事ある人~(挙手