オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 再び ― 地獄ダンジョン挑戦前 /*/
エ・ランテルの郊外。
地獄のダンジョン入口に、漆黒の剣の四人が立っていた。
2週間の鍛錬を経て、彼らの表情には迷いよりも覚悟が宿っている。
ジョンは腕を組み、にやりと笑った。
「よく耐えたな、お前ら。……正直、よく無事で帰ってきたと思う」
ペテルが肩をすくめる。
「言うなよ。まだ体の節々が痛いくらいだ」
ルクルットも苦笑しながら矢筒を背負い直した。
「……あのデスナイトの数、いまだに夢に見るぜ」
ダインは静かに頷きつつも、声に力を込める。
「だが、わたしたちは確かに強くなったである。今度はもっとやれる」
ニニャは両手を胸に重ね、深呼吸をした。
その瞳には、かつての臆病さではなく、確かな決意が燃えている。
そんな彼らに向かって、ジョンは口角を上げた。
「……で、2週間。お前たちが頑張ってる間に、俺も頑張ったんだよ」
「え……?」
ニニャが小首を傾げる。
ジョンは片手をひらひらと振り、背後の巨大な扉を指した。
そこには以前にはなかった、新しい紋様が刻まれていた。
「――6階層、作っておいた」
「……は?」
ルクルットが口を開けたまま固まる。
「喜んでくれると思ってな。強くなったお前らに、もっと楽しい試練を用意しておいたんだ」
ジョンはにやりと笑い、楽しげに肩をすくめた。
「……死なないでくれよ?」
「おいおいおいおい! 待て待て!」
ペテルが思わず叫ぶ。
「5階層であれだけ死ぬ思いしたのに、さらに上があるって言うのか!?」
ダインの表情が引き締まる。
「……試練は避けられぬ。やるしかないのである」
ルクルットは頭を抱えた。
「俺の胃がもたないっての……!」
そんな中、ニニャは拳を握り、真っ直ぐに扉を見据えた。
「……行きましょう。私は……もっと強くなりたいんです」
ペテル、ルクルット、ダインが一瞬言葉を失い、そして笑った。
「ったく……ニニャに言われちゃ、逃げられねえな」
「なら、全員で帰ってくるである」
「よし、やるか」
ジョンは満足げに頷いた。
「いい顔になったな。じゃあ――6階層、開幕だ」
重い扉が軋む音を立て、ゆっくりと開かれていく。
闇の奥からは、確かに5階層を超える気配が渦巻いていた。
四人の冒険者は深く息を吸い、足を踏み入れる。
死地と試練のその先に、確かな成長が待っていると信じて。
「鬼!悪魔!師匠!」
/*/ 第6階層 ― 赤帽の狂宴 /*/
「……出てきやがった」
ペテルが剣を抜き放った。
洞窟の闇の中から、ぞろぞろと現れたのは――背丈は人間の少年ほど。だが全身に漂う気配は異様に濃く、血の臭いがこびりついている。
頭にはどす黒く染まった赤帽。足には鉄靴。片手に握るは刃渡りの短い手斧。
「レッドキャップ……ゴブリンの変異種だ」
ルクルットが矢を番えながら低く呟いた。
「よりによって、こいつらを……!」
暗がりの奥から、甲高い笑い声が木霊する。
「きゃははっ! いい感じっすねぇ?」
ルプスレギナが影の中から姿を現した。
「ジョン様のために、特別に連れてきたっすよ。この子たち、戦えば戦うほど血に酔って速く、強くなるっす。しかも群れる習性があるから、漆黒の剣にはピッタリっすよねぇ?」
「くっ……冗談じゃない!」
ペテルが低く構えた瞬間、レッドキャップたちは一斉に飛びかかった。
鉄靴の踏み込みはまるで岩を砕くかのような重量。
手斧の軌跡は刃の嵐となって、冒険者たちを刻もうと殺到する。
「散開しろッ!」
ペテルの怒声と同時に、漆黒の剣は四方に飛び退いた。
――最初の衝突であった。
ニニャは息を呑み、背筋を冷たいものが走るのを感じていた。
「(こんなの、ゴブリンなんかじゃない……!)」
ルクルットの矢が一体の頭を正確に撃ち抜く。
だが、倒れた仲間の血を浴びた残りのレッドキャップたちが、狂ったように速度を上げた。
「ひっ……!?」
目の前に迫る刃を見た瞬間、ニニャの背後から炎の閃光。
「道を開けろォッ!」
ペテルの《火の串刺し》が突き抜け、迫り来る一体を焼き払う。
ニニャの手の中に集まる光は、これまで以上に重く、熱を帯びていた。
「……負けない! 私も……皆と一緒に――!」
彼女の詠唱とともに、白銀の光槍が生まれる。
「
その輝きが、ペテルの炎剣と交差して突き刺さり、狂気に酔ったレッドキャップを貫き消し飛ばした。
ルプスレギナは頬杖をついて、それをにやにやと見守っていた。
「うん、悪くないっすねぇ。ちゃんと生き延びてるっす。……やっぱりジョン様の見る目は確かっすよ」
彼女の視線は、光槍を握る少女――ニニャに注がれていた。
/*/ 第6階層 ― ニニャの覚醒と迷い
白銀の閃光が洞窟を貫いた。
ニニャの放った第4位階魔法――
「や、やった……!」
少女の胸は高鳴っていた。
かつて師匠に「魔術の素質はある」と言われた自分。だがその言葉にすがりながらも、第3位階の壁を越えられず、冒険者としては中途半端で――それが今、確かに力を形にした。
魔力が、流れ込む。
身体を焼くような昂揚感。
視界は眩い光に覆われ、ただ敵を薙ぎ払う未来しか見えなくなる。
「(もっと……! もっと撃てば……!)」
――そのとき。
背後からペテルの声が飛ぶ。
「おい、ニニャ! 狙いがぶれてるぞ!」
「っ!?」
目の前のレッドキャップを仕留めたはずが、その残骸の影から別の個体が飛び出してきた。手斧の刃が、紙一重で彼女の頬を掠める。
「ひぃ――っ!」
危うく頭を割られるところを、ペテルの《火の串刺し》が押しとどめた。
炎に焼かれ、悲鳴をあげてレッドキャップが崩れ落ちる。
「しっかりしろ! お前、冷静さを失ってる!」
ペテルが怒鳴る。
その言葉に、ニニャはハッとした。
――ジョンがいつか言っていた。
「戦闘に使う魔法がすべてじゃない。魔法使いは冷静でいなければならない。仲間の目となり、頭となり、時に支えになるのが魔術師の役割だ」
「(私……忘れてた。力に酔って、皆を危険に晒して……!)」
胸の昂揚が、今は冷水を浴びたように鎮まっていく。
少女は震える手を握り直した。
「……ごめん、みんな。次は……冷静にやる!」
ルクルットの矢が横をかすめて敵の足を止める。
ダインの低い声が響く。
「立て直せ、ニニャ。そなたが崩れては、隊列が崩壊するである!」
仲間の声が重なり、ニニャは大きく頷いた。
新たに得た力を――己を誇るためではなく、皆のために。
光が、再びその指先に集い始める。
/*/ 第6階層 ― ニニャの決断
呼吸を整え、周囲を見渡す。
数の優勢は敵――赤い帽子に血を滴らせるレッドキャップたちが、笑い声を上げながら迫ってくる。
爪や斧の切っ先が光を反射し、群れがじりじりと包囲を狭めていく。
「このままじゃ押し潰される……!」
焦燥が胸をかすめる。
だが次の瞬間、ニニャの脳裏に浮かんだのは、ジョンの教えだった。
――魔法使いは冷静でいろ。
――力に酔うな。知恵で道を拓け。
「……そうだ、正面から殴り合う必要なんてない」
少女の瞳に、光が宿る。
杖を両手で握り、詠唱に入る。
「――我が声は鎖、我が瞳は牢。
すべての理性を縛り、敵を敵とせしめよ……!」
魔力の奔流が洞窟内に響き渡る。
放たれた魔法は、第4位階――
「
だが、それだけではない。
彼女は同時に「魔法拡大」の技術を発動。
通常は数体にしか効果がない魔法を、広域へと拡散させた。
光の波が洞窟を走り抜け――次の瞬間、レッドキャップの半数が目を虚ろにして立ち止まる。
「……あ?」
「ギ、ギギギ……」
魅了された者たちが、隣に立つ仲間へと斧を振り下ろす。
血飛沫が舞い、悲鳴と怒号が響く。
「な、なんだ!?」
「ぎゃああああっ!」
群れの内部で、赤帽子たちの同士討ちが始まった。
ルクルットが口笛を吹いた。
「おいおい……あの数を一気に削ったぞ! やるじゃないか、ニニャ!」
ダインは静かに頷く。
「ふむ、冷静さを取り戻したようであるな。魔術師は、こうでなくては」
ペテルは剣を構え直し、笑みを浮かべる。
「上等だ。なら、残りは俺たちが片付ける!」
魅了されたレッドキャップの群れは互いに血を流し合い、秩序を失っていく。
混乱の只中で、漆黒の剣は再び陣形を立て直し、攻勢へと転じた。
ニニャは深く息を吐いた。
「……これが、私の役目。力に酔うんじゃない……冷静に、仲間のために」
杖を握る手は、もう震えてはいなかった。
/*/ 第6階層 ― 混乱から突破へ
混乱は凄まじかった。
レッドキャップたちの鋭い叫びと金属音が洞窟内に反響する。
赤帽子の片方が、隣の仲間に斧を振り下ろす。
逆に、正気を保った個体が返り討ちにする。
斬り裂かれ、血飛沫が飛び散るたびに、赤い帽子がさらに深い色に染まっていった。
「……見事だ」
ダインが低く呟いた。
「魅了の鎖は、敵を敵に変えた。これでこちらの負担は半減したのである」
「よし、いまだ!」
ペテルが炎を纏った剣を振りかざす。
「仲間を殺し合ってる間に、残った奴を叩き潰すぞ!」
彼の武技――《火の串刺し》が閃いた。
炎の槍と化した剣が、正気を保つレッドキャップの胸を一気に貫き、焼け焦げた肉の匂いが立ち込める。
「凍りつけッ!」
ルクルットは《フラウ・ボウ》を引き絞る。
水分を凍結させた氷の矢が連射され、混乱に紛れて逃げようとしたレッドキャップの脚を凍り付かせ、行動を封じた。
「うむ……ならば、わたしも」
ダインの詠唱が短く響く。
「――大地よ、我が敵を阻め。《間欠泉》!」
地面が裂け、水蒸気の爆発が数体の赤帽子を吹き飛ばす。
鉄靴が岩壁に叩きつけられ、甲高い悲鳴が響いた。
その間も、魅了されたレッドキャップたちは仲間を斬り、叩き、血を撒き散らしている。
同士討ちの叫びが響くたび、戦場は一層の混沌に包まれた。
「今だ、押し切れ!」
ペテルの号令で、漆黒の剣は一斉に前進。
剣、弓、魔法――それぞれが死角を補い合い、敵を個別に叩き潰していく。
数の優位は完全に崩れ、レッドキャップの群れはもはや烏合の衆と化していた。
最後の一体をペテルが切り伏せると、洞窟に一瞬、静寂が訪れた。
血と蒸気と焦げた匂いが立ち込める中、仲間たちは互いに視線を交わし、無言で頷いた。
「……突破、か」
ルクルットが弓を下ろし、息を吐く。
「いやあ、死ぬかと思ったぞ」
「だが、勝利した」
ダインは満足げに頷いた。
「ニニャ、そなたの判断が大きかったである」
少女は少し照れくさそうに杖を握り直し、小さく呟いた。
「……私だけじゃない。みんなが繋いでくれたから、勝てたんだよ」
こうして、漆黒の剣は第6階層での新たな2週間を迎えることとなった。
血と汗にまみれた初戦を乗り越えた彼らを待つのは、更なる強敵、そして己の限界を超える戦いである。
その先にあるものが栄光か、あるいは破滅か――。
漆黒の剣の試練の日々は、まだ始まったばかりだった。
/*/ 第6階層 ― 試練の日々
最初に現れたのは――【人狼】だった。
暗灰色の毛並みを逆立て、血のように赤い双眸をぎらつかせた魔獣。
その存在感はただの獣ではない。知性の光を帯びた眼差しは獲物を弄ぶかのようで、牙の間から滴る唾液は、まるでこれから訪れる惨劇を予告しているかのようだった。
「……くるぞ!」
ペテルが仲間に低く警告を放つや否や、次の瞬間には人狼の影が視界から消えていた。
「速いッ!」
ペテルの剣閃は虚空を裂くだけで、掠めた気配はもう背後に回っている。
ルクルットが即座に矢をつがえ、反射的に放つ。だがその矢も、毛を数本散らすのみ。鋼鉄のような筋肉に覆われた肉体は、矢をかすり傷程度にしか受けていない。
「このままじゃ……!」
焦燥が走る。しかし、彼らには仲間がいた。
「遅くなるがいいであるッ!」
ダインが両腕を地へ突き立て、低く呪文を響かせる。その声と同時に、大地がぐらりと震え、石畳の隙間から泥が噴き出すように広がっていった。
瞬く間に周囲はぬかるみの泥沼へと変貌し、人狼はその速さを失う。ずぶりと足を取られ、疾走のリズムを崩した。
「いまだ!」
ペテルが前へ飛び出す。しかしそれだけではない。
「《加速》《防護》!」
ニニャが詠唱を終え、光の加護が仲間たちを包み込む。身体が羽のように軽くなり、肌に流れる力は鋼鉄の壁のように強固だった。
「みんな、これで……っ!」
その瞬間――ペテルの踏み込みが一段と鋭くなる。低く身をかがめ、地を蹴り裂く勢いで一気に距離を詰める。
ルクルットの矢は次々と射出され、今度は人狼の動きに追いつく。狙い澄ました矢が脇腹へ突き刺さり、鮮血が散った。
「がぁッ!」
人狼が怒声を上げる。泥沼から無理やり抜け出そうと足掻くが――
「遅いであるッ!」
そこに迫るのは、熊の巨躯へと変身したダインだった。
毛皮に覆われた腕が振り下ろされ、その重みは岩をも砕く。受け止めきれぬ人狼の体は、泥へ叩き伏せられる。
「今度こそ……ッ!」
最後の好機を逃さず、ペテルが炎を纏う剣を閃かせた。
その刃は真っ直ぐに人狼の喉を裂き、焼け焦げた肉の臭いと共に血飛沫が舞う。
轟音とともに地に沈む人狼。
巨熊の腕がその身を押さえ込み、完全に動きを封じた時――それは、勝利の瞬間だった。
「……はぁ、はぁっ……やった、のか……」
ルクルットが息を吐きながら弓を下ろす。
ペテルは剣を構えたまま血に濡れた刃を振り払い、ダインはなおも警戒を解かぬ瞳を光らせる。
その一方で、ニニャは魔法の余韻に震える指先を見つめていた。
自分の魔力が仲間を護り、勝利へと繋がった。
その事実が、確かな実感となって胸を熱くしていた。
/*/
次に立ちはだかったのは――白濁した霧に包まれた【霧の巨人】だった。
その姿は常に揺らめき、ぼやけて見える。実体を掴ませぬまま、振り下ろされる巨大な斧は地を揺らす衝撃波を伴い、霧そのものが押し寄せるように冒険者たちを飲み込んでいく。
「――っ、まともにやったら押し潰される……!」
ルクルットが即座に後退し、矢を番える。冷気を帯びた弦がきりりと張り詰め、狙い澄ました矢が放たれた。
しかし――矢は霧を裂くだけで、手応えを感じさせぬ。
「当たってるのかどうかも……! だったら……離れて撃ち続けるしかない!」
巨人の体は霧に包まれて輪郭が曖昧だ。矢も魔法も通じているのか確信を持てぬまま、それでも攻撃を止めるわけにはいかなかった。
「《火炎弾》《白銀騎士槍》!」
ニニャが次々と魔法を撃ち込む。炎の球体は霧を灼き、銀光の槍は虚空を貫いて霧を裂く。確かな手応えは薄いが、わずかに巨人の動きが鈍ったように見えた。
「行くぞォッ!」
ペテルが吠え、巨体の振り下ろす斧を紙一重でかわす。赤熱する剣閃が閃き、巨人の足を斬り裂いた。
だがその傷口もすぐに霧が覆い、曖昧に掻き消される。
「再生しているのか……いや、実体そのものが曖昧なんだ!」
ニニャが叫ぶ。
「ならばこちらも持久戦である!」
ダインが詠唱を紡ぎ、大地を隆起させて盾とする。さらに仲間へと《加速》《防護》の補助を重ねていく。
決して正面からは挑まない。
彼らは巨人を取り囲むように走り回り、矢と魔法を撃ち込み、ペテルが隙を突いて斬撃を浴びせる。
それはまさに、ひたすら逃げ回りながらも確実に削る――ヒット・アンド・アウェイの戦法だった。
斧が振り下ろされるたび、大気が震え、地が裂ける。霧の巨人は無尽蔵の体力を誇るかのように攻撃を繰り返す。
だが冒険者たちは決して倒れない。
血を流し、息を荒げながらも、足を止めぬ。
――時間はかかった。
一撃ごとに体力を削られ、霧に包まれるたびに心が折れそうになった。
それでも攻撃の手を止めることはなく、次第に霧の濃さが薄れ、巨人の輪郭がはっきりと見えるようになっていった。
「……効いてる! 続けろ!」
ルクルットの声が仲間を奮い立たせる。
集中した矢が巨人の胸を貫き、ニニャの銀槍がその頭部を穿つ。
そして最後に――ペテルの炎刃が膝を砕き、ダインの熊腕がその巨体を押し倒した。
大地を揺らして、霧の巨人が崩れ落ちる。
辺りを覆っていた霧が徐々に晴れ、視界が戻っていく。
「……倒した、のか……」
ルクルットが弓を下ろし、肩で息をする。
ペテルは剣を杖のように地へ突き、必死に呼吸を整える。
ダインはなおも変身を解かぬまま仲間を守る位置に立ち、ニニャは震える指先を見つめていた。
全員が疲弊していた。
だが――誰一人として、膝を折ることはなかった。
「これで……先に進める」
ニニャがか細い声で呟き、仲間たちは互いに頷き合った。
その姿は確かに、アダマンタイト級冒険者の名に恥じぬ戦いぶりだった。
/*/
そして、最後に現れたのは――【悪魔】だった。
鋭利な二本の角を持ち、煤けた漆黒の翼を大きく広げる。
赤黒い爪は一振りするだけで岩盤を粉砕し、吐き出す瘴気は空気そのものを腐らせる。
その存在感は、これまでの敵とは比べものにならぬ圧迫感を放っていた。
「……一体、か」
ペテルが剣を構え、仲間を振り返る。
眼光は鋭く、だが恐怖の色を帯びていない。
「なら――全員で叩くしかない!」
「もちろんであるッ!」
ダインが熊の腕を鳴らし、獣の唸りを上げる。
「わかってる!」
ルクルットが弦を引き絞り、狙いを定めた。
「行きます!」
ニニャが詠唱を開始する。
四人が一斉に布陣を取った瞬間、悪魔が嘲るように翼をはためかせ、黒い稲光を伴って急降下した。
地面が爆ぜ、衝撃波が四人を襲う。
「っぐ……!」
辛うじて避けたペテルが地を蹴り返し、反撃に転じる。
その背を守るように、ニニャがすぐさま《魔法障壁》を展開し、追撃を弾いた。
「――《全種族魅了》!」
ニニャは範囲を広げて魔法を放ったが、悪魔の血のように赤黒い瞳は冷たく嘲笑を返し、魔力を弾き飛ばした。
「効かない……!?」
「いや、今ので十分である!」
ダインが吠え、巨熊の姿に変じて突進する。
悪魔の注意が逸れた瞬間、巨腕がその体に組み付き、翼を大地へと押し倒した。
「今だ、ペテル!」
呼応する声と共に、ペテルが炎を纏った剣を突き立てる。
「おおおおおッ!」
灼熱の刃が悪魔の胸板を抉り、黒煙が吹き上がる。
「まだだッ!」
ルクルットが連射した矢が、悪魔の翼を次々と貫き、自由を奪った。
悪魔が怒声を放ち、振るわれた爪がダインを弾き飛ばす。
「がはッ……まだ……倒れん!」
巨体を支え直すダイン。その姿に続けとばかりに、ニニャの詠唱が終わりを告げた。
「――《白銀騎士槍》ッ!」
白光を纏う槍が空を裂き、悪魔の頭部を貫く。
耳を劈く絶叫が戦場を揺るがし、悪魔の肉体は崩壊を始めた。
漆黒の翼はもがきながらも黒煙と化し、爪も角も音を立てて砕け散る。
やがて、その存在は虚空に吸い込まれるように消え去った。
――静寂が訪れる。
誰もが息絶え絶えで、満身創痍だった。
ペテルは剣を杖代わりに立ち尽くし、ルクルットは弓を下ろして膝をつく寸前。
ダインは血に濡れながらも巨熊の姿を解かず仲間の前に立ち、ニニャは震える指先を握り締めた。
だが――彼らはまだ立っていた。
そして理解した。
自分たちは、もう以前の自分ではない。
幾多の死地を乗り越え、仲間と共に力を尽くし、確かに「アダマンタイト級」と呼ばれても不思議ではない領域へと至っていたのだ。
互いに顔を見合わせ、笑みとも嗚咽ともつかぬ息を漏らす。
その瞬間、漆黒の剣の名は――さらに強く刻まれた。
/*/
漆黒の剣――彼らは突入の時点で、すでにアダマンタイト級と認められていた。
だが、本人たちはそれを信じ切れずにいた。
「俺たちが、あの“漆黒のモモン”と同格だなんて……」
そう疑うのも無理はない。
しかし、第六階層での二週間。
血と汗と絶望の果てに立ち続けた彼らは、もはや疑うことを許されぬ存在となっていた。
四人は揃って死線を潜り抜け、その実力を英雄の領域にまで押し上げていたのだ。
とりわけ、ニニャの成長は異常と言うほかなかった。
本来なら数十年かけてようやく辿り着くはずの第五位階魔法へ、わずか数か月で届こうとしている。
その背には、異能と生来の才能とが重なり、彼女を押し上げているように見えた。
「――師匠」
気づけば、四人はジョンをそう呼ぶようになっていた。
初めは戸惑い混じりに、今では確信をもって。
試練を終えた彼らに、ジョンは短く言葉を贈った。
「よくぞやりきったな。……お前たちはもう、アダマンタイトの名に恥じぬ存在だ。いや、それ以上だ。英雄の影を、すでに背にしている」
疲労に濡れた顔を上げ、漆黒の剣の面々はそれぞれの思いを口にする。
ペテルは炎の剣を掲げ、仲間と未来を誇らしげに見据え。
ルクルットは肩で息をしながらも、「これが俺たちの矢の軌跡だ」と笑い。
ダインは、どこか夢見るように「わたしたち……ついに、ここまで来たである」と呟いた。
そしてニニャは震える声で、それでも強く。
「……師匠。私、もっと強くなれます。第五位階……きっと、次は」
それは決意であり、誓いであった。
かくして、漆黒の剣はもはやただの冒険者ではなくなった。
彼らは英雄の物語を歩み始めたのだ。
/*/
試練を終えた漆黒の剣の休息の最中、ジョンは焚き火の火を弄びながら、ふとペテルに問いかけた。
「良いのか? アダマンタイト級に到達したことを秘匿して。ばらせば、アインザック冒険者組合長あたりから、綺麗どころをずらりと並べた接待を受けられるぞ?」
軽口のように放たれた言葉に、ペテルは苦笑を浮かべ、肩を竦めた。
「……それは、正直かなり魅力的なんですがね」
炎の揺らめきに照らされる彼の顔は、真剣さを帯びていた。
「ですが……それに伴う責任に、今の自分が耐えられるとは思えません」
仲間の命を背負い、漆黒の剣の未来を背負い、そしてアダマンタイト級として王都や各勢力からの期待を背負う。
――その重みを、ペテルはもう理解していた。
ジョンは目を細め、やがて声を低くして笑った。
「……ふむ。お前たちがそう選ぶなら、尊重しよう。ただし――扱き使うのは変わらんぞ?」
「うへ……」
ペテルの顔に、渋い表情と共に小さな苦笑が広がる。
その瞬間、ルクルットが吹き出した。
「おいおい、師匠、それ完全にブラックじゃん! 俺たちの未来は過労死まっしぐらだな」
「わたしは自然の力を糧にするであるから、多少の無理は耐えられるであるが……」とダインが真面目に頷く。
「いや、耐える方向で話進めるなよ!」とルクルットが突っ込み、また笑いが起きた。
ニニャは手を口元に当て、控えめに微笑む。
「……でも、師匠に振り回されるのも、きっと悪くはないですよね」
その言葉に、三人の仲間は一瞬言葉を失い、次の瞬間には頷き合った。
過酷な試練を乗り越えた今、彼らは確かに“漆黒の剣”としての絆を強めていた。
焚き火がぱちりと弾け、夜の静寂に小さな火の粉が舞う。
笑い合った空気がようやく落ち着いたところで、ジョンはにやりと口角を上げた。
「――よし。じゃあ明日からの特訓メニューを発表するぞ」
「えっ……」
ペテルとルクルットが同時に情けない声を上げる。
「もういいだろ!? 2週間ぶっ通しで地獄を味わったんだぞ!」
「むしろここからが本番であるな」
妙に張り切った声でダインがうなずき、仲間二人が頭を抱えた。
ジョンはそんな様子を楽しげに眺めながら、ふと懐から巻物を取り出した。
手に収まるそれは、漆黒の夜でも光を帯びるように淡く輝いている。
「ニニャ」
「は、はい」
呼ばれた少女は少し緊張した面持ちで姿勢を正す。
「これをやる」
ジョンは巻物を差し出した。
「中に書いてあるのは――第5位階魔法《転移》。お前の呪文書に記載しておけ」
「……っ!?」
ニニャの瞳が大きく見開かれた。
「《転移》って……伝説の……王国でも、英雄譚の中にしか出てこないような……!」
巻物を震える手で受け取りながら、言葉を詰まらせる。
ジョンは肩を竦め、あっさりと言った。
「それがな、人間社会にも人知れず使える魔術師がそこそこいるようなんだな」
「う、うへ……」
ペテルが虚ろな声を漏らし、ルクルットは背筋を震わせる。
「……社会って怖い」
その呟きに、誰からともなく小さな笑いがこぼれた。
しかし、ニニャの胸は高鳴り続けていた。
自分が今、確かに新たな領域へ踏み出そうとしている――その証が、目の前にある。
巻物を抱えたまま、ニニャは言葉を失っていた。
憧れと畏怖、その両方が胸を締め付ける。
ジョンはそんな彼女を見て、焚き火の光に赤く照らされた顔を少しだけ真面目にした。
「いいか、ニニャ。《転移》は便利だが……万能じゃない」
低い声に、周囲の空気がぴんと張り詰める。
「……どういう意味ですか?」
ニニャが思わず問い返す。
ジョンは顎に手を当て、淡々と続けた。
「俺はアイテムを使って跳んでるから、座標のずれや失敗なんて一度もない。だが、呪文でやる場合――特に戦闘中なんかだと、座標が定まらずに失敗する可能性があるんだ」
「……失敗すると、どうなるんですか?」
声を震わせたのはルクルットだった。
「壁や地面の中に埋まる。あるいは、全く別の場所に吹っ飛ばされる。最悪の場合、二度と帰って来れない」
ジョンは軽く肩をすくめて言うが、焚き火に照らされたその目は冗談を一切含んでいなかった。
ペテルが顔を引きつらせ、ダインが唸る。
「……恐ろしい魔法であるな」
ニニャはぎゅっと巻物を抱きしめ、目を伏せた。
それでも――瞳の奥には、恐怖を押し殺して燃える意志が宿っていた。
「……でも、使えるようになりたい。みんなを助けるために」
ジョンはその言葉に、わずかに口角を上げた。
「そう言えるなら、伸びるさ。……頼りにしてるぞ、師匠見習い」
「し、師匠見習い!?」
ニニャが慌てて声を上げると、仲間たちの笑いが弾け、焚き火の夜は少しだけ和やかさを取り戻した。
/*/
地上に戻った漆黒の剣に、ジョンは一枚の革袋を投げ渡した。
「路銀だ。ニニャの《転移》訓練を兼ねて、全員で旅行に行ってこい」
「……旅行?」
ペテルが思わず聞き返す。
「そうだ。リ・エスティーゼ王国、ローブル聖王国、アーグランド評議国、スレイン法国、バハルス帝国――主要都市を回って、ニニャに転移先を記憶させろ。
《転移》は実際に場所を五感で覚えないと発動できん。地図や本を見ただけじゃダメなんだ」
ニニャが目を丸くする。
「え……それって、つまり観光……!?」
ジョンはにやりと笑った。
「観光でも仕事でも同じことだ。人間の国々を自分の目で見ろ。王国の貧富の差、帝国の合理、聖王国の信仰、法国の陰謀、評議国の流儀――どれも、お前たちに必要な経験になる。
……それと、土産も忘れるなよ」
「うへ……」
ニニャが苦笑する横で、ルクルットは身を乗り出す。
「やった! 帝国の闘技場とか見に行けるってことだろ!」
ダインは腕を組んで静かに頷いた。
「旅は視野を広げるもの。賛成である」
ペテルも少し肩をすくめ、仲間を見渡す。
「……まぁ、いいか。俺たちだけで行ってみよう」
こうして――アダマンタイト級へと到達したばかりの漆黒の剣は、師を残し、四人だけで各国を巡る旅へと出発するのだった。
それは観光であり、修行であり、そして人の世界を深く知るための第一歩でもあった。
わざわざ弟子の為に図書館から召喚して連れてきたんだぜ。
次回!
第107話:観光開始!
いいなー僕も観光旅行したーい!