オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

115 / 206
第106話:英雄の影

 

 

/*/ 再び ― 地獄ダンジョン挑戦前 /*/

 

 

エ・ランテルの郊外。

地獄のダンジョン入口に、漆黒の剣の四人が立っていた。

2週間の鍛錬を経て、彼らの表情には迷いよりも覚悟が宿っている。

 

ジョンは腕を組み、にやりと笑った。

「よく耐えたな、お前ら。……正直、よく無事で帰ってきたと思う」

 

ペテルが肩をすくめる。

「言うなよ。まだ体の節々が痛いくらいだ」

 

 

ルクルットも苦笑しながら矢筒を背負い直した。

「……あのデスナイトの数、いまだに夢に見るぜ」

 

ダインは静かに頷きつつも、声に力を込める。

「だが、わたしたちは確かに強くなったである。今度はもっとやれる」

 

ニニャは両手を胸に重ね、深呼吸をした。

その瞳には、かつての臆病さではなく、確かな決意が燃えている。

 

そんな彼らに向かって、ジョンは口角を上げた。

 

「……で、2週間。お前たちが頑張ってる間に、俺も頑張ったんだよ」

 

「え……?」

ニニャが小首を傾げる。

 

ジョンは片手をひらひらと振り、背後の巨大な扉を指した。

そこには以前にはなかった、新しい紋様が刻まれていた。

 

「――6階層、作っておいた」

 

「……は?」

ルクルットが口を開けたまま固まる。

 

「喜んでくれると思ってな。強くなったお前らに、もっと楽しい試練を用意しておいたんだ」

ジョンはにやりと笑い、楽しげに肩をすくめた。

「……死なないでくれよ?」

 

「おいおいおいおい! 待て待て!」

ペテルが思わず叫ぶ。

「5階層であれだけ死ぬ思いしたのに、さらに上があるって言うのか!?」

 

ダインの表情が引き締まる。

「……試練は避けられぬ。やるしかないのである」

 

ルクルットは頭を抱えた。

「俺の胃がもたないっての……!」

 

そんな中、ニニャは拳を握り、真っ直ぐに扉を見据えた。

「……行きましょう。私は……もっと強くなりたいんです」

 

ペテル、ルクルット、ダインが一瞬言葉を失い、そして笑った。

 

「ったく……ニニャに言われちゃ、逃げられねえな」

「なら、全員で帰ってくるである」

「よし、やるか」

 

ジョンは満足げに頷いた。

「いい顔になったな。じゃあ――6階層、開幕だ」

 

重い扉が軋む音を立て、ゆっくりと開かれていく。

闇の奥からは、確かに5階層を超える気配が渦巻いていた。

 

四人の冒険者は深く息を吸い、足を踏み入れる。

死地と試練のその先に、確かな成長が待っていると信じて。

 

「鬼!悪魔!師匠!」

 

 

/*/ 第6階層 ― 赤帽の狂宴 /*/

 

 

「……出てきやがった」

ペテルが剣を抜き放った。

 

洞窟の闇の中から、ぞろぞろと現れたのは――背丈は人間の少年ほど。だが全身に漂う気配は異様に濃く、血の臭いがこびりついている。

頭にはどす黒く染まった赤帽。足には鉄靴。片手に握るは刃渡りの短い手斧。

 

「レッドキャップ……ゴブリンの変異種だ」

ルクルットが矢を番えながら低く呟いた。

「よりによって、こいつらを……!」

 

暗がりの奥から、甲高い笑い声が木霊する。

 

「きゃははっ! いい感じっすねぇ?」

ルプスレギナが影の中から姿を現した。

「ジョン様のために、特別に連れてきたっすよ。この子たち、戦えば戦うほど血に酔って速く、強くなるっす。しかも群れる習性があるから、漆黒の剣にはピッタリっすよねぇ?」

 

「くっ……冗談じゃない!」

ペテルが低く構えた瞬間、レッドキャップたちは一斉に飛びかかった。

 

鉄靴の踏み込みはまるで岩を砕くかのような重量。

手斧の軌跡は刃の嵐となって、冒険者たちを刻もうと殺到する。

 

「散開しろッ!」

ペテルの怒声と同時に、漆黒の剣は四方に飛び退いた。

 

――最初の衝突であった。

 

ニニャは息を呑み、背筋を冷たいものが走るのを感じていた。

「(こんなの、ゴブリンなんかじゃない……!)」

 

ルクルットの矢が一体の頭を正確に撃ち抜く。

だが、倒れた仲間の血を浴びた残りのレッドキャップたちが、狂ったように速度を上げた。

 

「ひっ……!?」

目の前に迫る刃を見た瞬間、ニニャの背後から炎の閃光。

 

「道を開けろォッ!」

ペテルの《火の串刺し》が突き抜け、迫り来る一体を焼き払う。

 

ニニャの手の中に集まる光は、これまで以上に重く、熱を帯びていた。

「……負けない! 私も……皆と一緒に――!」

 

彼女の詠唱とともに、白銀の光槍が生まれる。

白銀騎士槍(シルバーランス)!」

 

その輝きが、ペテルの炎剣と交差して突き刺さり、狂気に酔ったレッドキャップを貫き消し飛ばした。

 

ルプスレギナは頬杖をついて、それをにやにやと見守っていた。

「うん、悪くないっすねぇ。ちゃんと生き延びてるっす。……やっぱりジョン様の見る目は確かっすよ」

 

彼女の視線は、光槍を握る少女――ニニャに注がれていた。

 

 

/*/ 第6階層 ― ニニャの覚醒と迷い

 

 

白銀の閃光が洞窟を貫いた。

ニニャの放った第4位階魔法――白銀騎士槍(シルバーランス)が、血に酔ったレッドキャップを吹き飛ばす。

 

「や、やった……!」

少女の胸は高鳴っていた。

かつて師匠に「魔術の素質はある」と言われた自分。だがその言葉にすがりながらも、第3位階の壁を越えられず、冒険者としては中途半端で――それが今、確かに力を形にした。

 

魔力が、流れ込む。

身体を焼くような昂揚感。

視界は眩い光に覆われ、ただ敵を薙ぎ払う未来しか見えなくなる。

 

「(もっと……! もっと撃てば……!)」

 

――そのとき。

 

背後からペテルの声が飛ぶ。

「おい、ニニャ! 狙いがぶれてるぞ!」

 

「っ!?」

目の前のレッドキャップを仕留めたはずが、その残骸の影から別の個体が飛び出してきた。手斧の刃が、紙一重で彼女の頬を掠める。

 

「ひぃ――っ!」

危うく頭を割られるところを、ペテルの《火の串刺し》が押しとどめた。

炎に焼かれ、悲鳴をあげてレッドキャップが崩れ落ちる。

 

「しっかりしろ! お前、冷静さを失ってる!」

ペテルが怒鳴る。

 

その言葉に、ニニャはハッとした。

 

――ジョンがいつか言っていた。

 

「戦闘に使う魔法がすべてじゃない。魔法使いは冷静でいなければならない。仲間の目となり、頭となり、時に支えになるのが魔術師の役割だ」

 

「(私……忘れてた。力に酔って、皆を危険に晒して……!)」

 

胸の昂揚が、今は冷水を浴びたように鎮まっていく。

少女は震える手を握り直した。

 

「……ごめん、みんな。次は……冷静にやる!」

 

ルクルットの矢が横をかすめて敵の足を止める。

ダインの低い声が響く。

「立て直せ、ニニャ。そなたが崩れては、隊列が崩壊するである!」

 

仲間の声が重なり、ニニャは大きく頷いた。

新たに得た力を――己を誇るためではなく、皆のために。

 

光が、再びその指先に集い始める。

 

 

/*/ 第6階層 ― ニニャの決断

 

 

呼吸を整え、周囲を見渡す。

数の優勢は敵――赤い帽子に血を滴らせるレッドキャップたちが、笑い声を上げながら迫ってくる。

爪や斧の切っ先が光を反射し、群れがじりじりと包囲を狭めていく。

 

「このままじゃ押し潰される……!」

 

焦燥が胸をかすめる。

だが次の瞬間、ニニャの脳裏に浮かんだのは、ジョンの教えだった。

 

――魔法使いは冷静でいろ。

――力に酔うな。知恵で道を拓け。

 

「……そうだ、正面から殴り合う必要なんてない」

 

少女の瞳に、光が宿る。

杖を両手で握り、詠唱に入る。

 

「――我が声は鎖、我が瞳は牢。

 すべての理性を縛り、敵を敵とせしめよ……!」

 

魔力の奔流が洞窟内に響き渡る。

放たれた魔法は、第4位階――

 

全種族魅了(チャーム・スピーシーズ)!」

 

だが、それだけではない。

彼女は同時に「魔法拡大」の技術を発動。

通常は数体にしか効果がない魔法を、広域へと拡散させた。

 

光の波が洞窟を走り抜け――次の瞬間、レッドキャップの半数が目を虚ろにして立ち止まる。

 

「……あ?」

「ギ、ギギギ……」

 

魅了された者たちが、隣に立つ仲間へと斧を振り下ろす。

血飛沫が舞い、悲鳴と怒号が響く。

 

「な、なんだ!?」

「ぎゃああああっ!」

 

群れの内部で、赤帽子たちの同士討ちが始まった。

 

ルクルットが口笛を吹いた。

「おいおい……あの数を一気に削ったぞ! やるじゃないか、ニニャ!」

 

ダインは静かに頷く。

「ふむ、冷静さを取り戻したようであるな。魔術師は、こうでなくては」

 

ペテルは剣を構え直し、笑みを浮かべる。

「上等だ。なら、残りは俺たちが片付ける!」

 

魅了されたレッドキャップの群れは互いに血を流し合い、秩序を失っていく。

混乱の只中で、漆黒の剣は再び陣形を立て直し、攻勢へと転じた。

 

ニニャは深く息を吐いた。

「……これが、私の役目。力に酔うんじゃない……冷静に、仲間のために」

 

杖を握る手は、もう震えてはいなかった。

 

 

/*/ 第6階層 ― 混乱から突破へ

 

 

混乱は凄まじかった。

レッドキャップたちの鋭い叫びと金属音が洞窟内に反響する。

赤帽子の片方が、隣の仲間に斧を振り下ろす。

逆に、正気を保った個体が返り討ちにする。

斬り裂かれ、血飛沫が飛び散るたびに、赤い帽子がさらに深い色に染まっていった。

 

「……見事だ」

ダインが低く呟いた。

「魅了の鎖は、敵を敵に変えた。これでこちらの負担は半減したのである」

 

「よし、いまだ!」

ペテルが炎を纏った剣を振りかざす。

「仲間を殺し合ってる間に、残った奴を叩き潰すぞ!」

 

彼の武技――《火の串刺し》が閃いた。

炎の槍と化した剣が、正気を保つレッドキャップの胸を一気に貫き、焼け焦げた肉の匂いが立ち込める。

 

「凍りつけッ!」

ルクルットは《フラウ・ボウ》を引き絞る。

水分を凍結させた氷の矢が連射され、混乱に紛れて逃げようとしたレッドキャップの脚を凍り付かせ、行動を封じた。

 

「うむ……ならば、わたしも」

ダインの詠唱が短く響く。

「――大地よ、我が敵を阻め。《間欠泉》!」

 

地面が裂け、水蒸気の爆発が数体の赤帽子を吹き飛ばす。

鉄靴が岩壁に叩きつけられ、甲高い悲鳴が響いた。

 

その間も、魅了されたレッドキャップたちは仲間を斬り、叩き、血を撒き散らしている。

同士討ちの叫びが響くたび、戦場は一層の混沌に包まれた。

 

「今だ、押し切れ!」

ペテルの号令で、漆黒の剣は一斉に前進。

 

剣、弓、魔法――それぞれが死角を補い合い、敵を個別に叩き潰していく。

数の優位は完全に崩れ、レッドキャップの群れはもはや烏合の衆と化していた。

 

最後の一体をペテルが切り伏せると、洞窟に一瞬、静寂が訪れた。

血と蒸気と焦げた匂いが立ち込める中、仲間たちは互いに視線を交わし、無言で頷いた。

 

「……突破、か」

ルクルットが弓を下ろし、息を吐く。

「いやあ、死ぬかと思ったぞ」

 

「だが、勝利した」

ダインは満足げに頷いた。

「ニニャ、そなたの判断が大きかったである」

 

少女は少し照れくさそうに杖を握り直し、小さく呟いた。

「……私だけじゃない。みんなが繋いでくれたから、勝てたんだよ」

 

こうして、漆黒の剣は第6階層での新たな2週間を迎えることとなった。

血と汗にまみれた初戦を乗り越えた彼らを待つのは、更なる強敵、そして己の限界を超える戦いである。

その先にあるものが栄光か、あるいは破滅か――。

 

漆黒の剣の試練の日々は、まだ始まったばかりだった。

 

 

/*/ 第6階層 ― 試練の日々

 

 

最初に現れたのは――【人狼】だった。

暗灰色の毛並みを逆立て、血のように赤い双眸をぎらつかせた魔獣。

その存在感はただの獣ではない。知性の光を帯びた眼差しは獲物を弄ぶかのようで、牙の間から滴る唾液は、まるでこれから訪れる惨劇を予告しているかのようだった。

 

「……くるぞ!」

ペテルが仲間に低く警告を放つや否や、次の瞬間には人狼の影が視界から消えていた。

 

「速いッ!」

ペテルの剣閃は虚空を裂くだけで、掠めた気配はもう背後に回っている。

ルクルットが即座に矢をつがえ、反射的に放つ。だがその矢も、毛を数本散らすのみ。鋼鉄のような筋肉に覆われた肉体は、矢をかすり傷程度にしか受けていない。

 

「このままじゃ……!」

焦燥が走る。しかし、彼らには仲間がいた。

 

「遅くなるがいいであるッ!」

ダインが両腕を地へ突き立て、低く呪文を響かせる。その声と同時に、大地がぐらりと震え、石畳の隙間から泥が噴き出すように広がっていった。

瞬く間に周囲はぬかるみの泥沼へと変貌し、人狼はその速さを失う。ずぶりと足を取られ、疾走のリズムを崩した。

 

「いまだ!」

ペテルが前へ飛び出す。しかしそれだけではない。

 

「《加速》《防護》!」

ニニャが詠唱を終え、光の加護が仲間たちを包み込む。身体が羽のように軽くなり、肌に流れる力は鋼鉄の壁のように強固だった。

「みんな、これで……っ!」

 

その瞬間――ペテルの踏み込みが一段と鋭くなる。低く身をかがめ、地を蹴り裂く勢いで一気に距離を詰める。

ルクルットの矢は次々と射出され、今度は人狼の動きに追いつく。狙い澄ました矢が脇腹へ突き刺さり、鮮血が散った。

 

「がぁッ!」

人狼が怒声を上げる。泥沼から無理やり抜け出そうと足掻くが――

 

「遅いであるッ!」

そこに迫るのは、熊の巨躯へと変身したダインだった。

毛皮に覆われた腕が振り下ろされ、その重みは岩をも砕く。受け止めきれぬ人狼の体は、泥へ叩き伏せられる。

 

「今度こそ……ッ!」

最後の好機を逃さず、ペテルが炎を纏う剣を閃かせた。

その刃は真っ直ぐに人狼の喉を裂き、焼け焦げた肉の臭いと共に血飛沫が舞う。

 

轟音とともに地に沈む人狼。

巨熊の腕がその身を押さえ込み、完全に動きを封じた時――それは、勝利の瞬間だった。

 

「……はぁ、はぁっ……やった、のか……」

ルクルットが息を吐きながら弓を下ろす。

ペテルは剣を構えたまま血に濡れた刃を振り払い、ダインはなおも警戒を解かぬ瞳を光らせる。

その一方で、ニニャは魔法の余韻に震える指先を見つめていた。

 

自分の魔力が仲間を護り、勝利へと繋がった。

その事実が、確かな実感となって胸を熱くしていた。

 

 

/*/

 

 

次に立ちはだかったのは――白濁した霧に包まれた【霧の巨人】だった。

その姿は常に揺らめき、ぼやけて見える。実体を掴ませぬまま、振り下ろされる巨大な斧は地を揺らす衝撃波を伴い、霧そのものが押し寄せるように冒険者たちを飲み込んでいく。

 

「――っ、まともにやったら押し潰される……!」

ルクルットが即座に後退し、矢を番える。冷気を帯びた弦がきりりと張り詰め、狙い澄ました矢が放たれた。

しかし――矢は霧を裂くだけで、手応えを感じさせぬ。

 

「当たってるのかどうかも……! だったら……離れて撃ち続けるしかない!」

 

巨人の体は霧に包まれて輪郭が曖昧だ。矢も魔法も通じているのか確信を持てぬまま、それでも攻撃を止めるわけにはいかなかった。

 

「《火炎弾》《白銀騎士槍》!」

ニニャが次々と魔法を撃ち込む。炎の球体は霧を灼き、銀光の槍は虚空を貫いて霧を裂く。確かな手応えは薄いが、わずかに巨人の動きが鈍ったように見えた。

 

「行くぞォッ!」

ペテルが吠え、巨体の振り下ろす斧を紙一重でかわす。赤熱する剣閃が閃き、巨人の足を斬り裂いた。

だがその傷口もすぐに霧が覆い、曖昧に掻き消される。

 

「再生しているのか……いや、実体そのものが曖昧なんだ!」

ニニャが叫ぶ。

 

「ならばこちらも持久戦である!」

ダインが詠唱を紡ぎ、大地を隆起させて盾とする。さらに仲間へと《加速》《防護》の補助を重ねていく。

 

決して正面からは挑まない。

彼らは巨人を取り囲むように走り回り、矢と魔法を撃ち込み、ペテルが隙を突いて斬撃を浴びせる。

それはまさに、ひたすら逃げ回りながらも確実に削る――ヒット・アンド・アウェイの戦法だった。

 

斧が振り下ろされるたび、大気が震え、地が裂ける。霧の巨人は無尽蔵の体力を誇るかのように攻撃を繰り返す。

だが冒険者たちは決して倒れない。

血を流し、息を荒げながらも、足を止めぬ。

 

――時間はかかった。

一撃ごとに体力を削られ、霧に包まれるたびに心が折れそうになった。

それでも攻撃の手を止めることはなく、次第に霧の濃さが薄れ、巨人の輪郭がはっきりと見えるようになっていった。

 

「……効いてる! 続けろ!」

ルクルットの声が仲間を奮い立たせる。

集中した矢が巨人の胸を貫き、ニニャの銀槍がその頭部を穿つ。

そして最後に――ペテルの炎刃が膝を砕き、ダインの熊腕がその巨体を押し倒した。

 

大地を揺らして、霧の巨人が崩れ落ちる。

辺りを覆っていた霧が徐々に晴れ、視界が戻っていく。

 

「……倒した、のか……」

ルクルットが弓を下ろし、肩で息をする。

ペテルは剣を杖のように地へ突き、必死に呼吸を整える。

ダインはなおも変身を解かぬまま仲間を守る位置に立ち、ニニャは震える指先を見つめていた。

 

全員が疲弊していた。

だが――誰一人として、膝を折ることはなかった。

 

「これで……先に進める」

ニニャがか細い声で呟き、仲間たちは互いに頷き合った。

 

その姿は確かに、アダマンタイト級冒険者の名に恥じぬ戦いぶりだった。

 

 

/*/

 

 

そして、最後に現れたのは――【悪魔】だった。

鋭利な二本の角を持ち、煤けた漆黒の翼を大きく広げる。

赤黒い爪は一振りするだけで岩盤を粉砕し、吐き出す瘴気は空気そのものを腐らせる。

 

その存在感は、これまでの敵とは比べものにならぬ圧迫感を放っていた。

 

「……一体、か」

ペテルが剣を構え、仲間を振り返る。

眼光は鋭く、だが恐怖の色を帯びていない。

「なら――全員で叩くしかない!」

 

「もちろんであるッ!」

ダインが熊の腕を鳴らし、獣の唸りを上げる。

 

「わかってる!」

ルクルットが弦を引き絞り、狙いを定めた。

 

「行きます!」

ニニャが詠唱を開始する。

 

四人が一斉に布陣を取った瞬間、悪魔が嘲るように翼をはためかせ、黒い稲光を伴って急降下した。

地面が爆ぜ、衝撃波が四人を襲う。

 

「っぐ……!」

辛うじて避けたペテルが地を蹴り返し、反撃に転じる。

その背を守るように、ニニャがすぐさま《魔法障壁》を展開し、追撃を弾いた。

 

「――《全種族魅了》!」

ニニャは範囲を広げて魔法を放ったが、悪魔の血のように赤黒い瞳は冷たく嘲笑を返し、魔力を弾き飛ばした。

 

「効かない……!?」

「いや、今ので十分である!」

 

ダインが吠え、巨熊の姿に変じて突進する。

悪魔の注意が逸れた瞬間、巨腕がその体に組み付き、翼を大地へと押し倒した。

 

「今だ、ペテル!」

 

呼応する声と共に、ペテルが炎を纏った剣を突き立てる。

「おおおおおッ!」

灼熱の刃が悪魔の胸板を抉り、黒煙が吹き上がる。

 

「まだだッ!」

ルクルットが連射した矢が、悪魔の翼を次々と貫き、自由を奪った。

悪魔が怒声を放ち、振るわれた爪がダインを弾き飛ばす。

 

「がはッ……まだ……倒れん!」

巨体を支え直すダイン。その姿に続けとばかりに、ニニャの詠唱が終わりを告げた。

 

「――《白銀騎士槍》ッ!」

白光を纏う槍が空を裂き、悪魔の頭部を貫く。

 

耳を劈く絶叫が戦場を揺るがし、悪魔の肉体は崩壊を始めた。

漆黒の翼はもがきながらも黒煙と化し、爪も角も音を立てて砕け散る。

やがて、その存在は虚空に吸い込まれるように消え去った。

 

――静寂が訪れる。

 

誰もが息絶え絶えで、満身創痍だった。

ペテルは剣を杖代わりに立ち尽くし、ルクルットは弓を下ろして膝をつく寸前。

ダインは血に濡れながらも巨熊の姿を解かず仲間の前に立ち、ニニャは震える指先を握り締めた。

 

だが――彼らはまだ立っていた。

そして理解した。

 

自分たちは、もう以前の自分ではない。

幾多の死地を乗り越え、仲間と共に力を尽くし、確かに「アダマンタイト級」と呼ばれても不思議ではない領域へと至っていたのだ。

 

互いに顔を見合わせ、笑みとも嗚咽ともつかぬ息を漏らす。

その瞬間、漆黒の剣の名は――さらに強く刻まれた。

 

 

/*/

 

 

漆黒の剣――彼らは突入の時点で、すでにアダマンタイト級と認められていた。

だが、本人たちはそれを信じ切れずにいた。

「俺たちが、あの“漆黒のモモン”と同格だなんて……」

そう疑うのも無理はない。

 

しかし、第六階層での二週間。

血と汗と絶望の果てに立ち続けた彼らは、もはや疑うことを許されぬ存在となっていた。

四人は揃って死線を潜り抜け、その実力を英雄の領域にまで押し上げていたのだ。

 

とりわけ、ニニャの成長は異常と言うほかなかった。

本来なら数十年かけてようやく辿り着くはずの第五位階魔法へ、わずか数か月で届こうとしている。

その背には、異能と生来の才能とが重なり、彼女を押し上げているように見えた。

 

「――師匠」

気づけば、四人はジョンをそう呼ぶようになっていた。

初めは戸惑い混じりに、今では確信をもって。

 

試練を終えた彼らに、ジョンは短く言葉を贈った。

「よくぞやりきったな。……お前たちはもう、アダマンタイトの名に恥じぬ存在だ。いや、それ以上だ。英雄の影を、すでに背にしている」

 

疲労に濡れた顔を上げ、漆黒の剣の面々はそれぞれの思いを口にする。

ペテルは炎の剣を掲げ、仲間と未来を誇らしげに見据え。

ルクルットは肩で息をしながらも、「これが俺たちの矢の軌跡だ」と笑い。

ダインは、どこか夢見るように「わたしたち……ついに、ここまで来たである」と呟いた。

そしてニニャは震える声で、それでも強く。

 

「……師匠。私、もっと強くなれます。第五位階……きっと、次は」

 

それは決意であり、誓いであった。

 

かくして、漆黒の剣はもはやただの冒険者ではなくなった。

彼らは英雄の物語を歩み始めたのだ。

 

 

/*/

 

 

試練を終えた漆黒の剣の休息の最中、ジョンは焚き火の火を弄びながら、ふとペテルに問いかけた。

 

「良いのか? アダマンタイト級に到達したことを秘匿して。ばらせば、アインザック冒険者組合長あたりから、綺麗どころをずらりと並べた接待を受けられるぞ?」

 

軽口のように放たれた言葉に、ペテルは苦笑を浮かべ、肩を竦めた。

「……それは、正直かなり魅力的なんですがね」

炎の揺らめきに照らされる彼の顔は、真剣さを帯びていた。

「ですが……それに伴う責任に、今の自分が耐えられるとは思えません」

 

仲間の命を背負い、漆黒の剣の未来を背負い、そしてアダマンタイト級として王都や各勢力からの期待を背負う。

――その重みを、ペテルはもう理解していた。

 

ジョンは目を細め、やがて声を低くして笑った。

「……ふむ。お前たちがそう選ぶなら、尊重しよう。ただし――扱き使うのは変わらんぞ?」

 

「うへ……」

ペテルの顔に、渋い表情と共に小さな苦笑が広がる。

 

その瞬間、ルクルットが吹き出した。

「おいおい、師匠、それ完全にブラックじゃん! 俺たちの未来は過労死まっしぐらだな」

 

「わたしは自然の力を糧にするであるから、多少の無理は耐えられるであるが……」とダインが真面目に頷く。

「いや、耐える方向で話進めるなよ!」とルクルットが突っ込み、また笑いが起きた。

 

ニニャは手を口元に当て、控えめに微笑む。

「……でも、師匠に振り回されるのも、きっと悪くはないですよね」

 

その言葉に、三人の仲間は一瞬言葉を失い、次の瞬間には頷き合った。

過酷な試練を乗り越えた今、彼らは確かに“漆黒の剣”としての絆を強めていた。

 

焚き火がぱちりと弾け、夜の静寂に小さな火の粉が舞う。

笑い合った空気がようやく落ち着いたところで、ジョンはにやりと口角を上げた。

 

「――よし。じゃあ明日からの特訓メニューを発表するぞ」

 

「えっ……」

ペテルとルクルットが同時に情けない声を上げる。

「もういいだろ!? 2週間ぶっ通しで地獄を味わったんだぞ!」

 

「むしろここからが本番であるな」

妙に張り切った声でダインがうなずき、仲間二人が頭を抱えた。

 

ジョンはそんな様子を楽しげに眺めながら、ふと懐から巻物を取り出した。

手に収まるそれは、漆黒の夜でも光を帯びるように淡く輝いている。

 

「ニニャ」

「は、はい」

呼ばれた少女は少し緊張した面持ちで姿勢を正す。

 

「これをやる」

ジョンは巻物を差し出した。

「中に書いてあるのは――第5位階魔法《転移》。お前の呪文書に記載しておけ」

 

「……っ!?」

ニニャの瞳が大きく見開かれた。

「《転移》って……伝説の……王国でも、英雄譚の中にしか出てこないような……!」

 

巻物を震える手で受け取りながら、言葉を詰まらせる。

 

ジョンは肩を竦め、あっさりと言った。

「それがな、人間社会にも人知れず使える魔術師がそこそこいるようなんだな」

 

「う、うへ……」

ペテルが虚ろな声を漏らし、ルクルットは背筋を震わせる。

「……社会って怖い」

 

その呟きに、誰からともなく小さな笑いがこぼれた。

しかし、ニニャの胸は高鳴り続けていた。

自分が今、確かに新たな領域へ踏み出そうとしている――その証が、目の前にある。

 

巻物を抱えたまま、ニニャは言葉を失っていた。

憧れと畏怖、その両方が胸を締め付ける。

 

ジョンはそんな彼女を見て、焚き火の光に赤く照らされた顔を少しだけ真面目にした。

 

「いいか、ニニャ。《転移》は便利だが……万能じゃない」

低い声に、周囲の空気がぴんと張り詰める。

 

「……どういう意味ですか?」

ニニャが思わず問い返す。

 

ジョンは顎に手を当て、淡々と続けた。

「俺はアイテムを使って跳んでるから、座標のずれや失敗なんて一度もない。だが、呪文でやる場合――特に戦闘中なんかだと、座標が定まらずに失敗する可能性があるんだ」

 

「……失敗すると、どうなるんですか?」

声を震わせたのはルクルットだった。

 

「壁や地面の中に埋まる。あるいは、全く別の場所に吹っ飛ばされる。最悪の場合、二度と帰って来れない」

ジョンは軽く肩をすくめて言うが、焚き火に照らされたその目は冗談を一切含んでいなかった。

 

ペテルが顔を引きつらせ、ダインが唸る。

「……恐ろしい魔法であるな」

 

ニニャはぎゅっと巻物を抱きしめ、目を伏せた。

それでも――瞳の奥には、恐怖を押し殺して燃える意志が宿っていた。

 

「……でも、使えるようになりたい。みんなを助けるために」

 

ジョンはその言葉に、わずかに口角を上げた。

「そう言えるなら、伸びるさ。……頼りにしてるぞ、師匠見習い」

 

「し、師匠見習い!?」

ニニャが慌てて声を上げると、仲間たちの笑いが弾け、焚き火の夜は少しだけ和やかさを取り戻した。

 

 

/*/

 

 

地上に戻った漆黒の剣に、ジョンは一枚の革袋を投げ渡した。

「路銀だ。ニニャの《転移》訓練を兼ねて、全員で旅行に行ってこい」

 

「……旅行?」

ペテルが思わず聞き返す。

 

「そうだ。リ・エスティーゼ王国、ローブル聖王国、アーグランド評議国、スレイン法国、バハルス帝国――主要都市を回って、ニニャに転移先を記憶させろ。

《転移》は実際に場所を五感で覚えないと発動できん。地図や本を見ただけじゃダメなんだ」

 

ニニャが目を丸くする。

「え……それって、つまり観光……!?」

 

ジョンはにやりと笑った。

「観光でも仕事でも同じことだ。人間の国々を自分の目で見ろ。王国の貧富の差、帝国の合理、聖王国の信仰、法国の陰謀、評議国の流儀――どれも、お前たちに必要な経験になる。

……それと、土産も忘れるなよ」

 

「うへ……」

ニニャが苦笑する横で、ルクルットは身を乗り出す。

「やった! 帝国の闘技場とか見に行けるってことだろ!」

 

ダインは腕を組んで静かに頷いた。

「旅は視野を広げるもの。賛成である」

 

ペテルも少し肩をすくめ、仲間を見渡す。

「……まぁ、いいか。俺たちだけで行ってみよう」

 

こうして――アダマンタイト級へと到達したばかりの漆黒の剣は、師を残し、四人だけで各国を巡る旅へと出発するのだった。

それは観光であり、修行であり、そして人の世界を深く知るための第一歩でもあった。

 

 





わざわざ弟子の為に図書館から召喚して連れてきたんだぜ。

次回!
第107話:観光開始!

いいなー僕も観光旅行したーい!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。