オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
第123話:三度目の黒い涙
/*/ 獣人領 ― 死の波
それは静かに始まった。
夜闇に包まれた獣人の村々で、最初に気づいたのは犬型の番兵だった。鼻をひくつかせた瞬間、足がもつれ、その場に崩れ落ちる。
次の瞬間、彼の心臓は二度と鼓動を打たなかった。
「な、なんだ……? ……ひっ……!」
地平の闇の中から現れたのは、骨と靄で形作られた怪物――ソウルイーター。
膿色の靄が揺らめき、緑の閃光がその巨体を点滅させる。乗っているのは黒甲冑のデスナイト。騎槍を構え、まっすぐ村へと突撃してきた。
その瞬間、村全体を覆うように蒼白の圧が押し寄せる。
即死のオーラ――ただ存在するだけで、息をすることすら許されぬ死の波動。
「が……あ……」
「に、逃げ……」
言葉を紡ぐ間もなく、数十の命が地面に崩れ落ちる。
そして恐怖はそれで終わらなかった。
死んだはずの仲間の体が痙攣し、立ち上がる。濁った瞳と口から垂れる涎を振りまきながら、かつての同胞に牙を剥いたのだ。
「ゾ、ゾンビに……!」
「やめろ! やめてくれ!!」
絶望の叫びが夜を引き裂く。
逃げる者もいた。だが森へ、洞穴へ、隠れ場所へと走ったその足を、ソウルイーターの靄が追いかける。
覆い尽くすような即死のオーラに触れた瞬間、命は一息で奪われた。
村の広場を駆け抜けるデスナイトの槍が一閃するたび、獣人の肉体は宙を舞い、転がる。
倒れた死体はまたゾンビとなり、生者を襲い、さらなる死を撒き散らす。
やがて――村は沈黙した。
夜明けを迎えても、鳥の声ひとつしない。
そこに残っていたのは、呻き声をあげながら徘徊するゾンビと、骨馬のような巨影の足跡だけだった。
これは序章にすぎなかった。
獣人領のあちこちで同じ光景が繰り返され、数日と経たずに「沈黙の村」「沈黙の街」が次々と増えていった。
――かつて伝承として語られた“沈黙都市”。
その惨禍が、いま再び現実となりつつあったのだ。
/*/ 獣人王の宮廷 ― 恐怖と混乱
豪奢な石造りの宮殿。その玉座の間に、怒号と悲鳴が入り混じっていた。
玉座に座すは獣人王――獅子の鬣を持つ巨躯の王。だがその双眸には威厳よりも、焦りの色が濃く宿っていた。
「……何だと? 村が、丸ごと消えただと!?」
血の匂いを漂わせる軍将が震える声で答える。
「はっ……っ、報告によれば……生き残りはおりませぬ。死んだ者は、次々と立ち上がり、生き残りを……」
その言葉に、ざわめきが広がる。
「馬鹿な! 死人が立ち上がるだと!? 魔法か!?」
「いや、奴らは見たと申しております……骨の馬に跨がる黒き騎士……それに、死そのものの如き怪物が、村を蹂躙したと……」
「……ソウルイーター……」
年老いた参謀が、呟くようにその名を口にした。
途端に、場内の獣人たちがざわつく。
「ソ、ソウルイーター……? あの伝承の……?」
「三体が現れた都市が一晩で沈黙したという……“沈黙都市”の災厄……!」
「そんな馬鹿な、伝承だろう!? おとぎ話のはず……」
獣人王は玉座の肘掛けを叩きつけるように握りしめた。
「黙れ! 我が国を侮辱するつもりか! ……だが……」
汗が鬣を濡らし、声が掠れる。
「だが……もしそれが真実ならば……我が国は……」
その時、血に濡れた斥候が駆け込んできた。
毛並みは乱れ、片腕は噛み千切られている。
「し、陛下っ! お逃げください! 奴らが……奴らがもう王都近くに……!」
玉座の間にいた全員の呼吸が止まった。
「馬鹿な……ここは国の中心だぞ! 外郭には軍を張っている……それを抜かれたと申すか!」
「ぬ、抜かれたのでは……ございませぬ……。軍そのものが……立ち上がり……ゾンビに……」
沈黙。
恐怖に凍りついた獣人たちの間で、ただその言葉だけが響いた。
「……っ、陛下! 決断を!」
「そ、そうだ! 全軍を集め……」
「逃げるしかない! 奴らに抗う術など――」
混乱が広がる中、獣人王は立ち上がった。
その瞳に、もはや誇りはなかった。ただ恐怖と生存への渇望だけが宿っていた。
「……全軍を集めろ! 抗おうが逃げようが、選択肢は一つ……! 生き延びろ! 死の化け物どもを止めねば、我らの国は滅ぶ!」
だが――その叫びが玉座の間を震わせた瞬間、外から響いたのは、地鳴りのような蹄の音だった。
それは軍勢の接近ではない。
――死を振りまくソウルイーターの群れの到来を告げる音だった。
/*/ 獣人王都陥落
王都の城壁は、もはや意味をなさなかった。
外郭を守っていた軍勢が屍と化し、そのまま黒い奔流となって押し寄せてきたのだ。
――ソウルイーターの嘶き。
夜を切り裂くそれは、死を告げる鐘の音のようだった。
骨の馬に跨がる黒き騎士――デスナイトたちが次々と突入し、立ち塞がった獣人兵を斬り伏せる。
斬られた兵は悲鳴を上げる間もなく絶命し、次の瞬間には濁った瞳を開き、ゾンビとして仲間に襲いかかった。
「ひ、ひぃっ! 来るな! 来るなあぁぁぁ!!」
「やめろ! 俺だ、兄弟だろう! やめ――」
助けを乞う声は、仲間の牙に喉を食い破られて絶えた。
街路は屍で溢れ、屋根の上から逃げる者も、空に舞う漆黒の蝙蝠に群がられて引き裂かれた。
どこに逃げても、死。
隠れても、ソウルイーターの放つ即死の瘴気が命を刈り取る。
王宮の大門も長くは保てなかった。
黒々と輝く聖印を掲げたデスナイトが一歩踏み出すたびに、鋼鉄の扉が軋みを上げ、やがて爆ぜるように吹き飛ぶ。
「う、嘘だ……ここは……王都だぞ……!」
臣下の絶叫が虚しく響く。
獣人王は最後まで玉座に座し、巨躯を震わせながら咆哮した。
「我は王だ! 誰が我を殺せるものか――!」
だがその叫びは、炎すら上げぬ漆黒の刃によって掻き消された。
巨体が崩れ落ちる。
その瞬間、王宮を埋め尽くしていた兵も臣下も、一斉に押し潰されたかのように絶叫し、そして――静寂が訪れた。
夜空を覆うように立ち昇る黒い靄。
それは王都が“死”へと変じた証だった。
以後、この地は“沈黙の王都”と呼ばれ、再び命ある者の声が響くことはなかった。
/*/ 王都陥落の報
王城の聖堂。
夜の帳が降り、蝋燭の炎が揺らめく中で、アウレリア姫はひざまずいていた。
そこへ慌ただしく駆け込む侍女。
顔は青ざめ、声は震えていた。
「ひ、姫様……! し、獣人の王都が……っ!」
言葉は途切れ途切れだったが、それでも十分に伝わった。
――王都が、落ちた。
十万、二十万といたはずの住人が、アンデッドの黒き奔流に飲まれ、すでに屍と化しているのだと。
アウレリア姫の手が、胸元で強く組み合わされる。
小さな嗚咽がこぼれた。
「どうして……どうして、こんな……」
涙で濡れる瞳を上げ、ただ漠然と神に祈りを捧げる。
せめて魂だけでも救われるようにと、必死に願った。
その瞬間――
聖堂に満ちる冷気。
蝋燭の炎がひとつ、またひとつと消え、闇の中から声が響いた。
「――姫よ。それが汝の選んだ道であろう」
静かで、抑揚のない声。
だが、その一語一語が刃のように胸を抉る。
「我は宣告したはずだ。人であろうと獣であろうと、皆同じだと」
「汝が願った“人のための猶予”に応じたゆえ、獣人は裁かれた」
アウレリア姫は顔を覆い、嗚咽を漏らした。
「そんな……私のせい……? 私の祈りが……」
「――悔いるか。ならば次の祈りを捧げよ。
汝が再び願うならば、我はまた応えよう。
だが、それが新たな死を呼ぶと知れ――」
聖堂に満ちるその声は、まるで運命そのものが告げる冷酷な裁きであった。
/*/ 聖女の伝説
翌朝――。
王都陥落の報は瞬く間に竜王国全土に広がった。
だが同時に広まったのは、別の噂でもあった。
「聖女姫様が祈りを捧げられた夜、死の神が降臨した」
「その御言葉により、獣人の都は裁かれたのだ」
「姫様は神の声を導き、民を守らんとする女神の化身なのだ」
村から村へ、町から町へと、人々の口々にそれは語られ、やがて“聖女アウレリア”という名が一人歩きを始める。
祈りによって神を呼び下ろす姫。民を守るために自らの身を贄とする姫。
人々にとって、それは救いの象徴であった。
――しかし、当のアウレリア姫は。
聖堂の奥、静寂の中でひとり肩を震わせていた。
昨夜の声が耳にこびりついて離れない。
『――汝が願った“人のための猶予”に応じたゆえ、獣人は裁かれた』
『悔いるか。ならば次の祈りを捧げよ』
自分が祈ったから、獣人が滅んだ。
祈ればまた、新たな誰かが裁かれる。
「私は……本当に……人を守れているの……?」
震える声でつぶやいたそのとき――
再び、声が落ちてきた。
「――汝が涙を流すならば、それは弱さに過ぎぬ」
「戦え。誓え。さもなくば、この世に救いなど無い」
冷酷にして絶対の声。
それを前に、アウレリア姫は胸に手を当て、必死に涙を拭った。
「……はい。私は戦います。人のために……この命を賭しても」
その誓いを聞き届けるように、聖堂を覆っていた冷気が薄れ、蝋燭に再び炎が灯った。
だが姫は知っていた。
これは神の慈悲ではなく、ただ“次なる裁きの猶予”でしかないことを――。
/*/ 竜王国再興の檄
王都に陥落の報が届いた日から、竜王国は沈痛な空気に包まれていた。
だが同時に、人々は耳にしていた。
「聖女アウレリア姫の祈りが神を呼び下ろし、獣人を滅ぼした」
「神の裁きは、人を守るために下されたのだ」
その噂は民草の絶望を塗り替え、やがて王宮の評議会でも大きな流れとなっていた。
「今こそ国は再び立ち上がるべきです!」
「神は我らを見捨ててはおられぬ! 聖女姫様が証です!」
「戦は終わった! 次は再興の時だ!」
そして、竜王女ドラウディロンは決断した。
「妹を――アウレリア姫を、竜王国の象徴とする」
その布告は瞬く間に国内へと広まった。
王城の広場。
白い法衣をまとったアウレリア姫は、民衆の前に立たされた。
その姿は、どこまでも気高く、どこまでも儚げに映った。
「……皆さま」
姫は深く息を吸い、震える声を押し殺すようにして言葉を紡ぐ。
「竜王国の民よ。恐れることはありません。神は見ておられます」
押し寄せる沈黙。数千の視線。
アウレリア姫は胸の聖杖を掲げ、力強く叫んだ。
「戦いは終わりました! 今こそ再び立ち上がる時です!
竜王国は滅びてなどいません! 私たちは――必ず再興します!」
その瞬間、広場は万雷の如き歓声に包まれた。
涙を流す者、槍を掲げる者、子供を抱いて空を仰ぐ者。
誰もが口々に叫ぶ。
「聖女様万歳!」
「アウレリア姫万歳!」
「竜王国万歳!」
その熱狂は瞬く間に王都を越え、各地に広がっていった。
――戦は終わった。再興の時が始まったのだ。
だが、その誓いの背後で、アウレリア姫の耳にはまだあの声が響いていた。
「――忘れるな。汝の祈りが、彼らの死を呼んだのだ」
歓声の海に立ちながらも、姫の胸には冷たい影が残り続けていた。
/*/ 別れの誓い
王都の広場に響いた歓声がようやく収まり、人々がまだ興奮冷めやらぬままに姫を讃えていた。
だがその中心に立つアウレリア姫の表情は、どこか沈痛であった。
彼女の背後には、黒き法衣を纏った“影”が控えていた。
それは、祈りに応じて顕現し、ビーストマンを皆殺しにした死の神の使い。
存在そのものが畏怖を呼び、誰一人として近づけぬ威容を持っていた。
姫はその影を振り返り、そして深く息を吸い込んだ。
「皆さま……」
その声に群衆は再び静まり返る。
「私は……この国を愛しております。竜王国のために祈りを捧げ、神の裁きが下りました。
けれども……その裁きは、あまりにも重く、あまりにも多くの命を奪いました」
姫の頬を涙が伝う。
「罪深き私に、この国に留まる資格はありません。
ですから……私は、この死の神の使いと共に、魔導国へ戻ります」
ざわめきが広がる。人々の驚きと動揺。
だが、アウレリア姫は涙を拭い、真っ直ぐに顔を上げた。
「どうか誤解しないでください。私は国を見捨てるのではありません。
私の心は、常にこの竜王国と共にあります。
……たとえ遠く離れようとも、祈りは必ずここへ届くのです」
その言葉に、再び民は嗚咽を漏らし、ひざまずく者が相次いだ。
「聖女様……!」
「行かないでくだされ……!」
「姫様のお心があれば、我らは再び立てます……!」
ドラウディロン女王は小さな身体を抱きしめるように妹を見上げ、唇を噛んだ。
それでも涙を堪え、毅然として答える。
「……行くのか、妹よ。竜王国はいつでもお前の為に門を開くぞ」
アウレリア姫は静かに頷いた。
そして、死の神の使いの影と共に、ゆっくりと背を向けた。
――罪を背負いながらも、竜王国を胸に刻み、魔導国へと帰るために。
/*/ 聖女伝説、竜王国を覆う
アウレリア姫が死の神の使いと共に王都を後にしてから、数日が過ぎた。
広場で涙ながらに語った「竜王国への祈り」は、人々の心に深く焼き付いていた。
――自らの命を贄に捧げ、神の奇跡を呼び起こした聖女。
――罪を背負い、遠く魔導国へと去りながらも国を想い続ける姫。
――その祈りは必ず届くと誓った守護者。
人々は口々に噂を広め、それは村から村へ、街から街へ、瞬く間に王国全土を駆け巡った。
「姫様は死の神すら従えたのだ」
「魔導国へ渡られるのも、さらなる力を得て我らを守るため」
「だからこそ、我らが立ち上がらねば!」
農夫は畑で空を仰ぎ祈り、職人は姫の姿を描いた旗を掲げ、若き兵士は槍を握りしめて訓練を重ねた。
竜王国の至る所で、アウレリア姫は“再臨の聖女”として語られるようになった。
やがてその熱は王都に戻り、玉座の間に響き渡る。
「女王陛下! 聖女様の御心を受け、我らは戦います!」
「奪われた土地を取り戻しましょう!」
玉座に座すのは、幼き姿ながらも竜王国を背負う女王――ドラウディロン。
アウレリアの実の姉である彼女は、群臣の声を静かに聞き、やがて柔らかく微笑んだ。
「……あの子の祈りは、確かに我らに届いています。
我が妹アウレリアは竜王国のために神へと祈りを捧げ、そして去った。
ならば、姉である私がその祈りを受け継ぎましょう」
群臣が息を呑む中、ドラウディロンは立ち上がり、力強く宣言した。
「竜王国は聖女を旗印に再び立ち上がります!
妹が命を懸けて護ろうとしたこの国を――今度は我らが護るのです!」
その言葉に王都は沸き立ち、人々は歓声と祈りを捧げた。
――戦いは終わった。だが再興はこれからだ。
竜王国は“聖女アウレリア”を旗とし、女王ドラウディロンを先頭に、新たな道を歩み始めた。
/*/ 酒場の夜
エ・ランテルの一角にある、冒険者御用達の酒場。
漆黒の剣の面々は、戦いを終えた後の恒例行事のように、大皿の料理を囲みながら杯を傾けていた。
「はぁー……それにしてもアウレリア姫、美人だったなぁ」
ルクルットが赤ら顔で肘を突き、にやけた笑みを浮かべる。
「もっとこう……声をかけて、仲良くしてりゃよかった」
「お前なぁ、結局そればっかだな」
ペテルが苦笑混じりに突っ込みを入れる。
「身分を考えるである。女王の妹殿に軽口を叩くなど、不敬も甚だしい」
真面目に説くのはダイン。酔っていても口調は変わらない。
「でも、私……友達になりましたよ」
ニニャがふわりと笑みを浮かべると、他の三人は一瞬、目を丸くした。
「おおー、やるな!」
「さすがニニャ!」
「羨ましいである」
ひとしきり笑いが弾んだ後、ふっと静けさが戻る。
ペテルが杯を掲げ、ぽつりと呟いた。
「……結構、楽しかったな」
「ああ」
「うむ」
「……別れ、か」
沈黙の中、彼らの胸に去り際の姫の姿がよみがえる。
短い時間だったが、確かに共に戦い、笑い合った。
その時だった。
酒場の扉が軋み、冷たい夜風と共に一人の影が入ってきた。
粗末な外套をまとい、フードを目深にかぶった少女。
迷うような足取りで、だがはっきりと漆黒の剣の卓に近づく。
「あの……あなた方は――漆黒の剣、ですよね」
静かな声。
四人が顔を上げると、少女は一歩踏み出し、深く頭を下げた。
「お願いがあります。どうか……私を、あなた方のパーティに加えていただけませんか」
場が一瞬、静まり返る。
酒場のざわめきすら遠く感じられた。
「……なんだって?」
ペテルが低く呟く。
少女は、震える手でフードを押し上げた。
そこに現れた顔を見て、漆黒の剣の四人は一斉に息を呑む。
「お前……!」
その姿は、彼らがよく知る誰かに――あまりにも似ていた。
第13部:ささやかな冒険 完
クリスマスにめでたい投稿だ!
次回!
第14部:魔導書は笑う!
何年も前だけど許可は取りましたよっと。
第124話:やったね!プレゼントだよ