オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第129話:来たれ来たれ来たれ

 

/*/――ぐりもあ召喚の噂

 

 ナザリック大地下墳墓、第九層ロイヤル・スィートの一角。

 豪奢な装飾に満ちたその一室は、長らく使われることなく放置されてきた。かつての主「ぐりもあ」が去った今、ここを訪れるのは掃除に訪れるメイドたちだけ。磨かれ、整えられてはいるが、部屋に宿る空気はどこか冷え切っている。

 

 その静寂を破ったのは、漆黒のローブを纏う支配者の姿だった。

 骸骨の支配者――モモンガ。

 

「……すみません、ぐりもあさん」

 

 誰もいない空間に、低い声が落ちる。

 無表情の骨の顔からは感情を読み取れない。だがその声音に滲む痛みを、掃除をしていたメイドたちは敏感に感じ取った。

 

 彼は迷いながらも部屋を調べ始める。机、棚、隠し戸棚……やがて一冊の重厚な書物を見つけ出す。

 革装丁に深紅のしおり、背表紙に輝く文字――

 

《スーパーエンサクロペディア》

 

「……あった」

 

 モモンガは両手でそれを抱きしめるように持ち上げる。

 瞬間、部屋の空気がざわりと震え、得体の知れぬ魔力が溢れ出す。

 

「これがあれば……ぐりもあさんを、呼び戻せるかもしれない」

 

 その呟きに、メイドの手から布が滑り落ちた。落ちた音がやけに大きく響き、全員が凍りつく。

 ――至高の御方が、一人戻られる?

 

 その噂は、炎が乾いた薪を伝うように瞬く間に広がっていった。

 

「聞いたか? モモンガ様が“ぐりもあ様”を召喚する手がかりを見つけられたそうだ」

「まさか……! 本当なら、また至高の御方がお戻りになるのですか?」

 

 メイドの間で小さな悲鳴が上がる。憧憬と熱狂。けれどそれを抑え込むように、別の声が震えた。

「……でも、もし……ぐりもあ様が今のナザリックをお気に召さなかったら……」

 

 恐れと期待がせめぎ合い、皆の顔を紅潮させる。

 

 その報せは、守護者たちの耳にも届いた。

 

「至高の御方が一柱でも戻られるなど、これ以上ない慶事ですわ!」

 シャルティアは両手を合わせ、赤い瞳を潤ませて歓喜する。

 だが次の瞬間、その瞳に陰りが差す。

(……でも、そうなれば、わたくしの立場は……ご主人様のお傍に侍るのは、誰?)

 

 アルベドは扇を閉じ、薄く笑った。

「ええ、素晴らしいことですわ。……ただ、モモンガ様のお心がどう動かれるか――」

 その胸には、焦燥と嫉妬が炎のように燃えていた。

 

 デミウルゴスは冷静に眼鏡を押し上げる。

「戦力として考えれば、これは望外の朗報。ですが……真に召喚が成功するのか、あるいは“外部からの干渉”が潜んでいるのか。検証が必要ですな」

 

 コキュートスは単純に喜び、武器を握る手を震わせる。

「ウレシイ……! シコウノオカタ……モドラレル……!」

 

 やがて、噂は下層の兵士たちや戦闘メイドの間にも広がる。

 

「……また、至高の御方が増える」シズは表情なく呟き、

「ふふ、楽しみですわぁ。けど、誰かの立場が危うくなるかもねぇ?」とソリュシャンが笑う。

 

 誰もが心を浮き立たせ、同時に不安を抱いた。

 ナザリック全体が、まるで祝祭前夜のように落ち着きを失っていく。

 

 その中心にいるモモンガは、己の執務室で本を前に沈黙していた。

 部下たちのざわめきが廊下にまで届くのを感じながら、彼は重々しく息を吐く。

 

「……皆、少し落ち着いてくれ……まだ、何も確かなことはないのだ」

 

 そう呟きながらも、彼の胸の奥では確かに、かすかな希望が灯っていた。

 失われた仲間が――もう一度、帰ってくるかもしれないのだ。

 

 

/*/ナザリック第六層――闘技場

 

 観客席には守護者たちがずらりと並び、息を呑むように中央を見つめていた。

 闘技場の石床いっぱいに描かれた魔法陣は、赤黒い光を帯びて脈打ち、心臓の鼓動のようにリズムを刻む。

 紋様は絡み合い、見る者の意識を奪いそうなほど複雑怪奇で、異様な威圧感を漂わせていた。

 

 その中心に立つは、漆黒のローブを纏う死の支配者。

 

 ――心臓が高鳴っている。

 けれど骸骨の身体にそれは存在せず、代わりにモモンガの意識は何度となく感情抑制が施される。

 

 何度目だろうか。

 緊張。恐怖。期待。沸き上がるたびに容赦なく切り捨てられていく。

 そのたびに感情は霧散し、残るのは「なぜ自分はこんなに平静でいられるのか」という奇妙な違和感だけ。

 

 心は凪いでいるのに、骨の指先はわずかに震えた。

 己の意思か、それとも抑制の裏で爆発寸前の感情が暴れているのか――。

 モモンガは苦笑したかったが、それすら抑制に奪われる。

 

(……これが、俺の選んだ役割だ。ならば演じきるしかない)

 

「……始める」

 

 低く、厳かな宣言。

 場内に響いたその声に、守護者たちが一斉に身を正した。

 

 アルベドは胸の前で手を組み、まるで祈るように視線を向ける。

 シャルティアは昂揚に頬を紅潮させ、噛みしめた牙から血をにじませていた。

 デミウルゴスは眼鏡を指先で押し上げ、わずかに肩を震わせる。理性を装っているが、興奮を隠せないのは明らかだった。

 コキュートスは氷の体から白い霧を立ち昇らせ、無言のまま拳を握りしめる。

 

 観客席の空気が一変した。

 誰もが息を潜め、ただ一言たりとも聞き逃すまいとする。

 

 ――そしてモモンガの骸骨の口から、異界の呪文が紡がれ始めた。

 

/*/

 

「〈来たれ(去れ)。〉〈来たれ(去れ)。〉〈来たれ(去れ)。〉

 

 いあ いあ んぐああ んんがい・がい!

 いあ いあ んがい ん・やあ ん・やあ しょごぐ ふたぐん!

 いあ いあ い・はあ い・にやあい・にやあ んがあ んんがい わふる ふたぐん!

 よぐ・そとおす! よぐ・そとおす! いあ! いあ! よぐ・そとおす! おさだごわあ!

 

来たれ(去れ)。〉〈来たれ(去れ)。〉〈来たれ(去れ)。〉

 

 来たれ!」

 

/*/

 

呪文と共に、魔法陣が赤から蒼白へ、そして漆黒へと変転する。

 床の紋様はまるで血管のように脈打ち、時折、稲妻のような黒光が走った。

 空気は濁流のごとく渦巻き、観客席にまで押し寄せる。

 肌のないモモンガでさえ圧を感じるほどの魔力が、世界を歪ませていた。

 

 闘技場の天井には、ありえぬ幻影が広がる。

 虚無の闇に散る無数の星々。その並びは人間の天文学では決して観測されない配置で、見るだけで正気を削り取られそうなものだった。

 星は瞬き、絡み合い、やがて巨大な眼のような紋様を形作る。

 

「……滲み出す清濁の紋章。暗黒を抜け出ししもの。十字路を支配するものよ……」

 

 モモンガの声は低く、しかしどこまでも響く。

 その一言ごとに空間が震動し、観客席の守護者たちの胸に圧がのしかかる。

 

 アルベドは扇で口元を隠したまま、金色の瞳を凝視していた。

 息は浅く、胸は高鳴り、理性と激情がせめぎ合っている。

(これが……モモンガ様の本当のお力……! どうか……どうか、至高の御方の再臨を!)

 

 デミウルゴスは姿勢を崩さず、眼鏡を押し上げる。

 だが指先には汗がにじみ、額にもかすかな滴が光る。

(この規模……理論上は可能だと理解していたが、実際に目の当たりにすれば……あまりに異常……! だが、成功すればナザリックの威光はさらに絶対のものとなる!)

 

 シャルティアは昂揚と畏怖に震え、赤い瞳を爛々と輝かせていた。

 握りしめた手は爪で皮膚を破り、血が滴ることにも気づかない。

「ひひ……ひぃ……なんと……尊き……っ」

 その声は熱に浮かされた祈りにも似ていた。

 

 コキュートスはただ黙し、冷気を放ちながら直立していた。

 だが、拳を握りしめる音がごう、と氷が軋むように響き、抑えきれぬ感情が形を取っていた。

(モドラレル……至高ノ御方……! ソノ瞬間、此ノ目デ見届けル!)

 

 観客席全体が震えていた。

 守護者たちだけではない。戦闘メイド、従属する下位の眷属に至るまで、皆が己の限界を超えた魔力の奔流に押し潰され、なお祈るように主を見上げていた。

 

 詠唱はさらに続く。

 それは呪文であり、祈りであり、契約の言葉であった。

 モモンガの声が、闘技場そのものを異界に変えていく。

 

/*/

 

「……我、死の支配者がここに願う。

 我が友、我が友、我が友よ。

 我と汝が力を持って、今ここに今一度の再会を!

 

 舞い降りよ――汝、ぐりもあ!」

 

/*/

 

最後の叫びと共に、魔法陣から黒き稲妻が奔った。

 光ではなく影を帯びた稲妻――その閃光は闘技場の壁を焼き焦がすことなく、現実そのものを裂くかのように迸る。

 

 頭上に広がっていた幻の星空が砕け散る。

 天井に走った闇の亀裂は、蜘蛛の巣のように広がり、空間そのものを引き裂いていった。

 裂け目の奥からは、光でも闇でもない、形容不能の虚無が覗いていた。

 

 ――そこから、何かが這い出そうとしている。

 

 にゅるり、と。

 空間の縫い目を指先のようなものがなぞり、あり得ぬ軌跡を描く。

 形は人のようであり、人でなく、影のようであり、影に非ず。

 見つめれば見つめるほど、知覚そのものが歪む。

 

 守護者たちが息を呑む。

 アルベドは扇を強く握りしめ、指が白くなるほどだった。

 シャルティアは瞳を爛々と輝かせながらも、腰を浮かせて今にも戦闘態勢に入ろうとしている。

 デミウルゴスは眼鏡の奥で瞳を細め、己の推測を総動員して事態を理解しようとした。

 コキュートスの吐く白い霧は濃さを増し、観客席を覆うほどになっていた。

 

 闘技場に集った下位の眷属たちは、すでに限界を超えていた。

 足を震わせ、口から呻き声を漏らし、何人かは意識を失って崩れ落ちる。

 それでも誰一人として逃げようとはしなかった。

 主の前で背を向けるなど、死よりも許されざることだからだ。

 

 中央に立つモモンガは――冷たい感情抑制の中で、ただ待つしかなかった。

 昂揚も恐怖も、希望すらもすべて削ぎ落とされ、残るのは「儀式は進んでいる」という事実だけ。

 だが骨の両手は知らず震え、杖の宝玉に走る光はわずかに脈動を速めていた。

 

 闇の裂け目がさらに広がる。

 這い出す“それ”の輪郭が、少しずつ形を取り始めていた。

 

闇の裂け目から姿を現したのは、一見すれば中性的な美少女だった。

 白磁のように滑らかな肌、月光を糸にしたような黒髪、深遠を映す宝石のように真紅の瞳。

 その立ち姿は荘厳であり、儀式の場に舞い降りた天使を思わせる。

 

 ――だが、彼女は小さく呟いた。

 

「……《擬態解除》」

 

 瞬間、空気が反転する。

 美少女の輪郭が水面に映る幻影のように揺らぎ、衣服も肉体も剥ぎ取られていく。

 足元からは紙片が剥がれ落ちるように宙へ舞い上がり、肌はページへと変じて溶け崩れた。

 

 やがてそこに残ったのは――一冊の巨大な魔導書。

 

 表紙は人の革を無理やり綴じ合わせたもので、縁は歪んだ黒鉄に覆われている。

 表紙にはうごめく無数の眼が浮かび、背表紙に刻まれた古代文字は絶え間なく組み替わり続けた。

 開かれたページからは黒き霧が立ち上り、風に乗って耳を裂く囁きが走る。

 それは言葉でありながら意味を持たず、ただ聞くだけで精神を侵す呪詛であった。

 

 冒涜的にして神秘。

 それこそが、ユグドラシルにおいてプレイヤー「ぐりもあ」が選んだ本来の姿――種族〈スペルブック〉。

 強大な魔導書そのものが自我を宿し、歩み、語り、力を振るうに至った存在である。

 

/*/

 

闇の裂け目から這い出た存在は、一度は冒涜的な魔導書の姿を見せたが、やがてゆらめく光に包まれ、美少女の姿へと変じていた。

 白磁の肌、夜闇の糸のような黒髪、宝石めいた真紅の瞳。その立ち姿は儀式の場にふさわしいほど荘厳で、まるで神の御使いのようですらあった。

 

 彼女はしばし沈黙し、円陣に刻まれた魔力の残滓を見渡すと、やがて唇を開いた。

 

「……モモンガさん? ここは……ナザリック?」

 

 その声は水晶を砕いたように澄み渡り、闘技場全体に震えを広げる。

 刹那、アルベドをはじめとする守護者たちの背筋に冷たい電流が走り、一斉に地に膝をついて頭を垂れた。

 畏怖、敬愛、そして理解を超えた驚愕――そのどれもが入り混じっていた。

 

 一方で、ぐりもあはそんな光景を意に介さず、自らの手足をまじまじと眺める。

 指を握り、開き、胸元を確かめるように撫でて、首を傾げる。

 

「これは……いったい……」

 

 しばし思案するように目を伏せ、だがすぐに苦笑を浮かべて続けた。

 

「夢?……まあ、夢でもいいや。だって、また会えましたね、モモンガさん」

 

 至高の御方の口から洩れた、あまりに自然で人間臭い言葉。

 守護者たちは思わず顔を上げ、呆然と彼女を見つめた。

 

 ぐりもあは両手で頬を包み込み、深く息を吐く。

「それにしても……夢の中でも“ぐりもあ”の姿か。

 まあ、現実の自分にとって理想の姿だったから、納得といえば納得ですけれど……うーん、やっぱり複雑ですね」

 

 肩をすくめて、小首をかしげる。

「だって……女の子の姿になっても、違和感がまったく湧かないなんて……!」

 

 その告白はあまりに唐突で、場の空気が凍りついた。

 

 アルベドは口元を覆った扇を落としそうになり、金色の瞳を大きく揺らす。

 デミウルゴスは眼鏡の奥で瞳を光らせ、息を殺しながら何事か思考を巡らせていた。

 シャルティアは血の気の失せた顔で目を剥き、口をぱくぱくさせる。

 コキュートスは氷の顎を鳴らし、意味を測りかねて低く唸った。

 

 守護者たちに走ったのは、畏怖と混乱。

 至高の御方の不可解な言葉を理解しようと必死に頭を巡らせながら、どうしても答えを見出せずにいる。

 

 そしてその中心で、モモンガだけが沈黙を保っていた。

 心の奥では叫びたいほどの動揺が渦巻いている。

 

(――やはり……間違いない。本当に、ぐりもあ……なのか)

 

 感情抑制がなければ声を荒げてしまったかもしれない。

 抑制の冷たさが胸を押さえつける中、彼の心には懐かしさと戸惑いがせめぎ合っていた。

 

 かつての同胞。

 その存在が、確かに今ここに在る。

 

 ――それだけの事実が、ナザリックの空気を震撼させていた。

 

 





( ゚∀)キタ!!( ゚∀゚ )キタ━━━
やっちまったよ、おい。

次回!
第130話:ちょっとそこに正座

まーそうだよね。

作中の情景描写におきまして『魔導書は冒険譚を綴る』日λ........様より御許可を頂いております。何年も前に。
この場を借りてお礼申し上げます。
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