オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第132話:おかあさんといっしょ

 

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 ナザリックの深奥。

 ぐりもあは静かにアルベドを呼び出し、二人きりで対面した。

 

 長い沈黙ののち、ぐりもあは細く息を吐き、言葉を探すように唇を動かした。

 

「……アルベド」

 

「ぐりもあ様……?」

 

「一つ、話をしよう。君たち――三姉妹のことだ」

 

 思いもよらぬ切り出しに、アルベドは瞳を揺らした。

「わ、私たちの……? それは、一体……」

 

 ぐりもあは微笑を含んだまま、ゆっくりと視線を合わせる。

「君と、ニグレド、ルベド……三人とも、どこか僕に似ていると思わない? 顔立ちとか、雰囲気とか」

 

「っ……! ま、まさか……!」

 

「そう。タブラは僕の姿を元に、君たちを作り上げたんだ」

 ぐりもあは肩を竦めるように続ける。

「だからね、もしタブラが君たちの“父親”だとしたら、僕は――君たちの“母親”ということになる。ただそれだけの話さ……嫌だったかな?」

 

 アルベドの瞳が大きく見開かれ、次の瞬間には涙が滲んでいた。

「そ、そんなことは決してありません!!」

 

 その答えに、ぐりもあは安堵のような、懐かしさのような笑みを浮かべた。

 

 ――そう。

 

 その元になった存在こそ、プレイヤー時代に自分が操作していたPCアバター『ぐりもあ』だった。

 

 タブラに「データを少し貸して欲しい」と頼まれたとき、悪用などする男ではないと分かっていたから、二つ返事で渡した。

 だが、そのデータをもとに生まれたアルベドは――ぐりもあの雰囲気を残しつつも、絶世の美女として完成されていた。

 初めて目にしたときの驚愕と感嘆は、今も忘れられない。

 

「……まあ、長い間放置していて、今さら“母親面”するのは筋違いかもしれないね。ごめんよ、アルベド」

 ぐりもあは、ふと目を伏せた。

「僕たちは、君に……そして君の愛する人に、ずっと寂しい思いをさせてしまった。モモンガさんは、僕らがナザリックに戻るのを最後まで待ち続けて……それでも、去らなかった僕ですら、半年も彼に全部を任せきりにしていた。本当に……申し訳なかった」

 

 その告白は、アルベドにとって思いもよらぬ“懺悔”だった。

「ぐりもあ……さま……わ、わたしは……」

 

 震える声。涙を堪えきれない瞳。

 それは、忠誠を超えた感情を揺さぶられる瞬間だった。「ごめん。本当にごめんね……!」

 

 気がつけば、ぐりもあはアルベドの頭をそっと抱きしめていた。

 しとしとと涙を流すその姿を見ているうちに、胸の奥がどうしようもなく熱くなり、腕が勝手に動いていた。

 

 ――これは一体、なんなのだろう。

 体が女の子になってしまったせいで、母性本能にでも目覚めてしまったというのか。

 

 ……だが、こんなにもかわいい娘の「母親」になれたのなら、悪くない。

 たとえ元が男だったとしても。

 

 アルベドは震える声で呟いた。

「……ぐりもあ様。いえ――『お母様』。無礼を承知で申し上げます」

 

 涙に濡れた瞳を上げ、彼女は必死に言葉を紡ぐ。

「私は……とんだ勘違いをしておりました! 至高の御方々は、私たちを見捨て、ナザリックを捨てたのだと……モモンガ様とカルバイン様だけが最後に残ってくださったのだと……ずっと、そう思っていたのです!」

 

 声が震え、堰を切ったように続ける。

「私たちを創り、命を与えてくださった方々が――私たちを見捨てたのではないか。そう考えると、恐ろしくて……怖くてたまりませんでした……!」

 

 溢れ出す感情を押しとどめるように、彼女は胸に手を当てる。

「ですが……カルバイン様が仰ってくださいました。『アルベドはモモンガ様の伴侶として作られた。その愛も、叛意も、至高の御方はすべて受け止め、許してくださる』と……」

 

 その言葉を支えにしてきたのだろう。

 アルベドはなおも涙をこぼしながら、抱きしめる腕に身を委ね、嗚咽混じりに叫んだ。

 

「お母様……! 私を創造してくださって、本当に……ありがとうございます……!」

 

「まいったな……ジョンさん、そんなことを言っていたんだね」

 

 ぐりもあは小さく苦笑しながら、腕の中のアルベドを見下ろした。

 涙に濡れた瞳で必死に訴えるその姿は、もはや娘そのものにしか見えない。

 

「……母として、礼を言わなくちゃね。ありがとう、ジョンさん」

 

 呟くようにそう告げると、ぐりもあは照れくさそうに頬を赤らめつつ、アルベドの頭をさらに優しく撫でた。

 その仕草は「母親」として自然に流れ出たものであり、彼女自身も驚いていた。

 

「アルベド。ごめんね、長い間……寂しい思いをさせて。

 でもね、僕は君たちを決して見捨てたりなんかしない。だって――君は、僕の大事な娘だから」

 

 その言葉に、アルベドは堪えきれず嗚咽を漏らす。

「お母様……! お母様ぁ……!」

 

 両手でぐりもあの服を握りしめ、幼子のように泣きじゃくる彼女を、ぐりもあは包み込むように抱きしめ続けた。

 母としての照れと、同時に込み上げる温もりを胸に抱きながら。

 

 

/*/円卓の間

 

 円卓の間。

 モモンガはしばし迷うように沈黙を保っていたが、やがてゆっくりと手を掲げた。

 

 骸骨の掌に、黒曜石のように輝く多面体が現れる。

 その内部には虹色の光が絶え間なく明滅し、見ているだけで精神が揺さぶられるような感覚に陥る。

 

「……これは、《輝くトラペゾヘドロン》」

 モモンガの低い声が、荘厳な広間に響いた。

「世界級アイテムの一つ。ユグドラシル時代から受け継ぎ、今もなお強大な力を秘めるものだ」

 

 それを差し出され、ぐりもあは目を瞬かせ、首を横に振った。

「ちょ、ちょっと待ってよ。世界級アイテムなんて――そんなもの預かれないよ!」

 

 ぐりもあの声音には、素直な戸惑いと重責を拒む気持ちがにじんでいた。

 しかしモモンガは、骨の顔の奥から静かに言葉を紡ぐ。

 

「だが、この世界では――世界級アイテムを持っていなければ防げない脅威がある」

 空気が重くなる。モモンガの思念が円卓に染み込むかのように。

「たとえば竜王たちが扱う《世界断絶障壁》。それは通常の魔法や神話級装備ではどうにもならない……だが、このアイテムならば抗し得る」

 

 ぐりもあの真紅の瞳が揺れる。

 モモンガは続けた。

 

「私は君に――“守って欲しい”と思っている。ナザリックを。仲間たちを。そして……私自身を」

 

 その声音には、抑制をすり抜けたわずかな感情が滲んでいた。

 骸骨の指が握るトラペゾヘドロンの輝きが、まるで彼の心情を映すように脈動する。

 

 ぐりもあはしばし沈黙し、それから小さく息を吐いた。

「……モモンガさん、ずるいな。そんなふうにお願いされたら、断れるはずないじゃないか」

 

 彼女はそっと手を伸ばし、輝くトラペゾヘドロンを両手で受け取った。

 その瞬間、虹色の光が彼女を包み込み、円卓の間はまるで星空の下にあるかのように輝き渡った。

 

 虹色の光が収まったあと、ぐりもあは両手に収めた《輝くトラペゾヘドロン》を見つめながら、小さく苦笑を浮かべた。

 

「……こんなものを託されちゃったら、もう逃げられないな」

 肩をすくめる仕草は軽やかだったが、その声の奥には覚悟がにじんでいる。

 

「責任、重いし……正直、怖くもある。でも……」

 ぐりもあはモモンガを真っ直ぐに見据えた。

「モモンガさんが“守って欲しい”って言ってくれるなら――その期待、裏切りたくないからね」

 

 にやりと、どこか愉快犯めいた笑みを浮かべる。

「それに、どうせやるなら派手に行こうじゃないか! 竜王? 世界断絶障壁? 未知を既知に変える挑戦……面白そうじゃない!」

 

 その言葉に、モモンガは抑制の奥で安堵を覚え、ジョンは涙ぐみながら「やっぱり帰ってきてくれて良かった……!」と呟いた。

 

 円卓の間には、静かだが確かな決意の気配が漂っていた。

 

/*/

 

 黒檀の書架が立ち並ぶ研究室。その中央、緻密な魔法陣の上に小さな影が揺らめき、やがて輪郭を持ち始めた。

 

「じいじーっ!」

 軽やかな声とともに、赤茶色の三つ編みを揺らす少女が飛び出す。裾の広がるゴシックドレスからは、絶えず古代文字が浮かんでは消え、床に光の残滓を残した。

 

 額には小さな黒い角。金と黒が渦を巻く瞳は無邪気に輝きながらも、覗き込めば魂を削り取られそうな危険を孕んでいる。

 

 少女――エル=ネクロシアは、老魔法使いフールーダに駆け寄り、腕にしがみついた。

 

「じいじ!今日も一緒に本読も! 昨日の続き、“声を喰べる竜”の章から!」

 

 ぐりもあは思わず口をつぐむ。

 これが“死者の書”を精霊化した存在……?

 見た目は十二歳ほどの少女なのに、その気配は底知れぬ深淵を垂れ流している。

 

「至高の御方」

 フールーダは恭しく一礼した。だがその瞳は孫娘を見つめる老人そのもの。

「こちらが、わたしの叡智の導き手――エル=ネクロシアにございます」

 

「ふぇー、すごいきれいな人!」

 ネクロシアはぐりもあをまじまじと見つめる。

「でもね、背中から“穴”がのぞいてるよ? そこから落っこちたら、どこまで堕ちるんだろう? 無限に落ちるのかな? あ、でも途中で誰かとぶつかったら“落下する二人の合唱曲”になるのかも!」

 

 にこにこしながら放たれる言葉に、ぐりもあは背筋が粟立つ。

 ――危険だ。この子の戯言ひとつで、世界の理が書き換わりそうな気配すらある。

 

 だがフールーダは嬉しそうに彼女の頭を撫でる。

「至高の御方、彼女の声は常人には狂気として響くでしょう。しかし私には甘美なる歌声に変換されるのです。彼女はわたしにとって、命綱であり、最高の伴侶……そして孫娘なのです」

 

「……君にとっては、かけがえのない存在、か」

 ぐりもあは小さく頷いた。

 

「その通りでございます!」

 フールーダは声を張り上げる。

「彼女の補助あってこそ、わたしは“死者の書”を読み解き、〈完璧なる延命〉を自在に行えるようになったのです! かつては星の巡りに年一度しか使えなかった術を、今では望む時に行使できる……!」

 

 ネクロシアは黒羽のペンをくるくると回しながら、笑顔で付け加えた。

「ねえじいじ、この人“お母さん”みたい。あたし、仲良くしていい?」

 

「お母さん!?」

 ぐりもあは思わず声を裏返らせる。

「……ああ、ジョンさんやアルベドのことを思い出すね。どうも私は、母親扱いされる縁にあるらしい」

 

 肩をすくめて苦笑する彼女を見て、ネクロシアは無邪気にペンを振った。すると空中に「クマー」と落書きが走り、そこからもやもやとした幻影の熊が飛び出した。

 

「うわっ!?」「おおお……」

 研究室の従者たちが慌てふためく。だが幻影の熊は子犬のようにネクロシアの足元でじゃれつくばかり。

 

「ほら、かわいいでしょ!」

 ネクロシアは得意げに胸を張る。

 

 ぐりもあは額を押さえて、ため息をついた。

「……やっぱり危うい子だなぁ。でも、かわいいのは認めるよ」

 

 フールーダは深く頭を垂れ、声を震わせる。

「至高の御方……この奇跡をお見せできること、まさに生涯の誉れにございます」

 

 ネクロシアはフールーダの袖を掴み、きらきらした瞳で見上げる。

「じいじ、今日も一緒に死者の歌、読んでいい?」

 

 老魔法使いは頷き、ぐりもあへと視線を向けた。

「この子と共に歩む限り、わたしはさらなる高みに至ります。どうか、至高の御方……その道をお許し下さい」

 

 ぐりもあはしばらく黙して二人を見つめた。

 危険極まりない。しかし、そこに流れるものは確かに――温かな絆だった。

 

 

「お母さん、だよね!」

 ネクロシアは躊躇なく両手を広げ、ぐりもあに飛びついた。

 

「え、ちょ、ちょっと待って――」

 慌てるぐりもあの胸元に、赤茶色の三つ編みが擦り寄る。角の冷たさが服越しに伝わった。

 

「やっぱりそうだ! 匂いでわかるもん! 本の匂い、知識の匂い、深淵の匂い……でもぜんぶ私よりももっと、もっと澄んでて強い!」

 ネクロシアの金黒の瞳がきらきらと輝く。

「本の子どもは、本のお母さんに会ったら、ぜったいにわかるんだよ!」

 

「……本の子ども?」

 ぐりもあは思わず呟く。

 

「うん! 私は“死者の書”から生まれた。でも“死者の書”はいっぱい泣いてた。ページを開くたびに、誰かが壊れて、誰かが絶望して。だから、私、ずっとさみしかったの」

 

 ぐりもあははっとした。

 なるほど……彼女は魔導書の精霊。ならば“母”に当たる存在は、同じく魔導書の頂点格――自分、“スーパーエンサクロペディア”であるのか。

 

「だからね、ぐりもあ様はお母さん。間違いないよ」

 ネクロシアは笑顔でぐりもあの手を取る。

「私の“言葉”を整理できるの、お母さんだけだもん。だって、格が違うから」

 

 ――格の違い。

 その言葉に、フールーダでさえ頷いていた。

「至高の御方、彼女は真理を言っております。死者の書は深淵に沈む知識。ですが、ぐりもあ様の叡智は、それを受け止め整理しうる“至高”なのです」

 

 ぐりもあは困ったように微笑んだ。

「……まいったな。母親扱いは慣れてきたけど、まさか本の子にまで言われるなんてね」

 

 ネクロシアは小さな手をぐりもあの胸に押し当て、嬉しそうに囁く。

「うん、これで寂しくない。お母さんがいるなら、私はずっと読めるし、笑える」

 

 その言葉は、ぐりもあの胸の奥に温かく沁み込んだ。

 ――母としての責任。いや、単に放っておけないだけかもしれない。だがこの子を孤独にするのは、どうしても忍びない。

 

 

/*/ 最古図書館

 

第9階層の奥深く――

アインズ・ウール・ゴウンが誇る「最古図書館」。

 

石造りのドームの中に、途切れることなく並ぶ高い書架。天井近くまで届く本棚には、ありとあらゆる時代、あらゆる文明の記録が収められていた。無数の蝋燭と魔光石が淡い光を放ち、常に静謐な空気を漂わせている。

 

その中央、黒衣のエルダーリッチたちが円を描くように佇んでいた。彼らは皆、ナザリックの知識を護り続ける学者にして守護者たちである。そしてその中に、一際異質な存在がいた。

 

――エルダーリッチ・カジット。

かつてはエ・ランテルを襲った不死者の司祭。その魂は完全に作り替えられ、今では「知識を集め、記録し、研究し、永遠に守る者」として最古図書館に仕える存在となっていた。

 

彼が、骸骨の頭蓋を低く垂れる。

「……至高の御方。いや――大いなる知識の母、“ぐりもあ”様。ようこそ、最古図書館へ」

 

ぐりもあはわずかに戸惑ったように微笑む。

「……母、ね。ここでもそう呼ばれるのか」

 

「当然のことにございます」

カジットの声は乾いていながらも、熱に満ちていた。

「この図書館に並ぶ全ての知識、その源はあなたの存在に通じております。“死者の書”すら、その深淵においてはあなたの影。私どもエルダーリッチは知識を護る番人……ゆえに、その母たるあなたに忠誠を誓うのは必然なのです」

 

エルダーリッチたちが一斉に書物を掲げ、骨の指で胸を打ち叩いた。

「大いなる叡智の守り手に、永遠の忠誠を!」

 

「ちょ、ちょっと……」

ぐりもあは思わず立ち上がりかける。

「忠誠とか、そんなつもりでここに来たんじゃないんだけどなあ」

 

だが、ネクロシアがすぐ隣でにこにこと笑いながら言った。

「ほらね、お母さん。やっぱりみんな、お母さんに会いたかったんだよ。だって、お母さんなら“ぜんぶ”わかるから!」

 

その無邪気な言葉に、ぐりもあは小さく息を吐き、椅子に腰を下ろした。

「……わかったよ。なら、少しだけ母らしくしてあげよう。知識を護るのは、僕も嫌いじゃないからね」

 

カジットは深々と跪いた。

「ありがたき幸せ……! この日、この瞬間こそが、我らの永遠の誇りでございます」

 

図書館の奥深くで、蝋燭の炎がひときわ大きく揺れた。

まるでこの空間そのものが、「知識の母」の帰還を祝福しているかのようだった。

 

 

/*/

 

ぐりもあはエルダーリッチたちの忠誠を受けた後、折角だからと図書館の奥を見て回ることにした。

天井近くまで伸びる書架、浮遊するはしご、古代の羊皮紙から最新の魔導理論まで――あらゆる知識が整然と収められている。

 

「……やっぱり、すごい。ここだけでひとつの文明だよね」

小さく呟きながら視線を巡らせていると、ふと、一般書庫の一角で足が止まった。

 

そこには、戦術や戦略の古典、各国の政治史、そして――「リーダーシップ論」「人心掌握の技術」「危機管理マニュアル」など、どこか現実世界を思わせるようなハウトゥー本が並んでいた。

しかも何冊かの背表紙には「貸出中」の小さな札がかけられている。

 

「……へえ、こんなのもあるんだ。なんだか妙にリアルっぽいなあ」

 

ちょうどその時、通りかかった司書役のエルダーリッチが骨の指で胸を叩き、恭しく答えた。

「そちらの本は、すべてモモンガ様に貸し出しております」

 

「え……」

思わず言葉を失う。

 

エルダーリッチは淡々と続けた。

「至高の御方は、日々の政務と軍略の合間に、こうした書を熟読されております。支配者として万全を期すため、片時も学びを怠られることはございません」

 

ぐりもあは本棚を見つめ、静かに吐息を漏らした。

「……そう、なんだ」

 

ページの端に刻まれた爪痕。幾度も読み返されたのだろう、角がすり減った表紙。

それは「完璧な支配者」として振る舞う彼の背後にある、数えきれぬ試行錯誤と努力の証だった。

 

「モモンガさん……」

心の中で名前を呼ぶ。

 

(――ずっと、ひとりで抱えてきたんだね。仲間がいなくなっても、それでもナザリックを守るために……)

 

ぐりもあの胸の奥に、言葉にならない温かなものが広がっていく。

魔導書として生まれた彼女にとって、それは「誇り」と「切なさ」が入り混じった感情だった。

 

「……ふふっ、ほんと、真面目すぎるんだから」

小さく笑ったその声は、どこか涙に濡れていた。

 

ぐりもあは、ふと気になって一冊の分厚い本を手に取った。

表紙には『統治者の資質と危機管理』と記されている。

 

パラリ――。

 

ページを開いた瞬間、彼女は思わず目を見張った。

そこには細かい字で、何度も繰り返し下線が引かれている箇所があったのだ。

 

「……っ」

 

「指揮官は孤独に耐え、常に最悪を想定して備えねばならない」

「部下の忠誠は強制ではなく、信頼によって磨かれる」

 

その傍らには、ぎこちない字で書き込まれたメモ。

「ナザリックに当てはめると……?」「デミウルゴスは理解が早い」「アルベドに相談すべきか?」

 

筆跡から伝わるのは、威厳ある支配者ではなく――悩み、必死に考え、学び続ける「ひとりの人間」だった。

 

「モモンガさん……」

 

胸がじんわりと熱くなり、ページをめくる手が震えた。

(こんなにも努力して、こんなにも不安で……それでも前に進もうとして……)

 

思わず本を抱きしめるように閉じる。

気づけば唇から、小さな笑みがこぼれていた。

 

「……バカだなあ。そんなにひとりで抱え込まなくてもいいのに」

 

だが、その声色には呆れよりも――深い慈しみと尊敬が滲んでいた。

 

ぐりもあが本を胸に抱きしめて立ち尽くしていると、背後から骨の擦れるような足音が近づいた。

振り返ると、深いローブをまとったエルダーリッチ司書が静かに佇んでいた。

 

「……ぐりもあ様」

 

「……ああ、驚かせてしまったかな」

 

「いえ。ですが――それは、モモンガ様にお貸しした書でございますね」

 

「ええ、そうらしいね」

 

エルダーリッチは深く頭を垂れる。

「モモンガ様は……常にご自身を責めておられます。支配者の器ではないのではないか、と」

 

「……」

 

「ですが、我らにとっては揺るぎなき至高の御方。

それでもなお、より良き統治者であろうと、あの御方は日々、孤独の中で学び続けておられるのです」

 

その声には、畏敬だけではなく、どこか憂いが滲んでいた。

 

「どうか……どうか、そのお心をお救いください。

至高の御方のお傍らに立てるのは、貴方様方だけなのです」

 

――コトリ。

ぐりもあはそっと本を棚に戻した。

 

「……わかってる。ありがとう。君たちがそうして彼を支えてくれていたから、彼は今まで立っていられたんだ」

 

エルダーリッチは答えず、ただ深々と跪いた。

 

胸の奥で、静かな決意が形を成していく。

(モモンガさん……今度は、僕たちが、あなたを支える番だよ)

 

 





ぐりもあは私の母になってくれたかもしれない女性だ!
母性が大変。

次回!
第133話:シャケシャケナゥ


なんか叱られてばっかりだ
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