オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

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第134話:影の王

 

 

/*/ 円卓の間

 

 

モモンガが静かに問う。

「……ところで、“影の王”として動かすオーバーロードに名前は必要ですか? どうせ裏の存在ですし、コードネームでも十分では」

 

ジョンは即座に首を振った。

「いやいや、影の王ったって元は人間の大魔術師なんだから、人間だった時の名前がないと不自然でしょ。逆に“名無しの王”なんて怪しすぎますって」

 

「……そう言われると、確かに」

モモンガは腕を組み、困惑の気配を漂わせた。

 

ジョンはぐりもあに手を向ける。

「というわけで、名前はぐりもあさんが決めてください」

 

「は? なんで私?」

「だって俺たちネーミングセンス壊滅的じゃないですか。至高の御方の名前とか、ほとんどゲーム内のノリでしたよね?」

 

「う……」

モモンガが思わず沈黙する。

 

「ほら、モモンガさんだって! “モモンガ”ですよ!? 尊い御方のお名前なのに、森の小動物!」

「や、やめろジョン!」

 

ぐりもあは口元に手を当て、くすりと笑った。

「……まあ、確かに私が決めた方が“らしく”なるかもしれないね」

 

「ですよね。ほらほら、ここは母の慈悲で」

「母って言わない!」

 

場が少しだけ和む。だがその裏で、“影の王”の名が、ぐりもあの唇から紡がれようとしていた――。

 

 

/*/ 円卓の間

 

 

ぐりもあは少し考え込んだのち、唇を開いた。

「……そうだね。じゃあ――『オシリス・ノクス』なんてどうだろう。“冥府の夜”という意味さ」

 

一瞬の静寂の後、ジョンが目を輝かせて叫んだ。

「かっけぇ!! なんでそんなにすらすら出てくるんだよ!」

 

モモンガも小さく息を呑む。

「……確かに。威厳もあるし、闇に潜む王に相応しい……」

 

ジョンは大げさに両手を広げて嘆いた。

「俺たちが3日3晩頭をひねっても、“影山影一”とか“ダーク佐藤”とか、そんな名前しか出てこないのに!」

 

「お前……それはひどいな。せめて、オバ夫とか」

モモンガが思わず額を押さえる。

 

ぐりもあは肩をすくめ、からかうように微笑んだ。

「そりゃ、僕たちは“言葉を形にする遊び”で育ってきたからね。名前に響きを乗せるのは呼吸みたいなものだよ」

 

「母は偉大だ……!」

ジョンが拝むような仕草をする。

 

「だから母って言うな!」

ぐりもあが笑い混じりに突っ込み、場は少しだけ柔らかい空気に包まれた。

 

こうして“影の王”には名が与えられた。

オシリス・ノクス――冥府の夜に潜む影の君主として。

 

 

/*/ 円卓の間

 

 

「じゃあ、決まりだな。影の王の名は――オシリス・ノクス」

ぐりもあが宣言すると、場の空気がひときわ引き締まった。

 

ジョンは腕を組み、にやりと笑う。

「いいねぇ。この名前を裏社会にちょっとずつ流していこう。影の噂ってやつは、得体の知れないほうが震え上がるからな」

 

モモンガは首を傾げる。

「しかし……あまり過剰に広まりすぎるのは困る。正体が判明しない程度に“得体の知れなさ”を維持する必要がある」

 

「じゃあこうしよう」

ぐりもあが卓に身を乗り出す。

「オシリス・ノクスは“暗黒の王”として裏社会を統べる影。姿は決して明かさない。ただしその名を耳にした者は、“見えない力に支配されている”と感じる……そういう神話を意図的に作るんだ」

 

「おおお……!」

ジョンが目を輝かせる。

「かっけぇ! さすがぐりもあさん、ストーリーメイク力が違う! 俺たちが考えたら“影山影一が暗黒街で牛丼食ってる”くらいの小物感しか出せなかったのに!」

 

「影山影一って誰だ……」

モモンガが思わずぼそりと突っ込む。

 

ぐりもあは笑って指先を鳴らす。

「じゃあ、まずは裏社会の小さな噂話から始めよう。例えば“オシリス・ノクスに選ばれた者は死を免れる”とか、“その名を口にすると影が伸びる”とか……くだらなくてもいい。数を重ねればいつか真実のように浸透する」

 

「面白いな。……では、俺の配下のアンデッドを使いましょう」

モモンガが提案する。

「諜報用のシャドウデーモンや、偽装に優れたアンデッドを市井に放ち、“噂を広める影”として機能させる」

 

「それなら漆黒の剣の連中も使えるな」

ジョンが補足する。

「人間社会での立ち位置を使って、“本物の冒険者が囁く噂”として裏付けを与えれば、より信憑性が増すだろう」

 

「なるほど……」

モモンガが感心したように頷く。

「駄犬かと思えば、意外と筋が通っている」

 

「意外とって何だ!?」

ジョンが身を乗り出して抗議し、ぐりもあは声を押し殺して笑った。

 

こうして――“オシリス・ノクス”という名は、まだ姿を持たぬまま、裏社会の深淵へと投げ込まれることになった。

やがてそれは、闇に生きる者たちを震え上がらせる“影の神話”として形を成していくのだろう。

 

 

/*/ 裏路地の賭場

 

 

酒に酔った盗賊が、仲間に耳打ちした。

「なぁ聞いたか……? “オシリス・ノクス”って名を口にするとよ、影が伸びるんだと」

 

「はっ、くだらねぇ!」

仲間が笑い飛ばした瞬間――油灯の炎が揺らぎ、床に映る影が異様に長く伸びた。

 

「……な、なんだ?」

笑っていたはずの盗賊が真っ青になり、言葉を失う。

偶然の現象にすぎない。だがその場に居合わせた者たちは全員、震えながら酒をあおった。

 

その夜から、“名を呼べば影が動く”という噂が裏路地に染み込んでいった。

 

 

/*/ 孤児院の子供たち

 

 

飢えた孤児の一人が、薄暗い路地で倒れていた。

ふと目を開けると――誰もいないはずの闇の中から、黒い影がするりと伸びてきた。

 

小さな手に握られていたのは、まだ温かいパン。

恐怖よりも空腹が勝ち、少年は無我夢中でそれをかじった。

 

翌朝、少年は仲間にこう語った。

「夜にオシリス・ノクス様が来て、パンをくれたんだ!」

 

子供たちの無邪気な声は、大人たちの耳にも届く。

“影の王は孤児に食を与える”――その一節が、裏町に広がり始めた。

 

 

/*/ 盗賊団の潰れた根城

 

 

ある盗賊団が、拠点ごと忽然と消えた。

残されたのは、石壁に黒々と刻まれた“O”と“N”の二文字だけ。

 

「……オシリス・ノクスに、喰われたんだ」

噂を囁いたのは、生き残りの一人。彼が震える声で証言したことにより、“影の王は逆らう者を闇に沈める”という物語が加わった。

 

こうして、“名を呼べば影が伸びる”“孤児を救う”“逆らう者は喰われる”――

矛盾した断片的な逸話が寄り集まり、裏社会には“オシリス・ノクス”という正体不明の存在が次第に神話のように浸透していった。

 

 

/*/ 円卓の間

 

 

モモンガが指先を組みながら低く告げた。

「召喚するのは……オーバーロード。《ワイズマン》を選ぼう」

 

ジョンは驚きに眉を跳ね上げる。

「オーバーロード・ワイズマン!? 経験値消費するやつですよね。モモンガさんが自分から経験値払うなんて……珍しい」

 

「……ふむ、確かに。だが今回は事情が違う」

モモンガはわずかに身を乗り出し、声を潜める。

 

「ぐりもあさん、ジョンさん。第八階層“荒野”に――《増殖炉》を設置した。ノーコストで召喚可能な下級シモベを延々と生み出し続ける魔法陣だ」

 

ぐりもあが目を細める。

「シモベを……増やすだけの仕組み? それがどう“経験値”に繋がるの?」

 

モモンガは頷き、静かな愉悦を声に滲ませた。

「増やしたシモベは即座に儀式の場に送り込まれる。そこには世界級アイテム――《強欲と無欲》が鎮座している。儀式の段取りは単純だ。まずシモベを即死させる。すると、死によって発生する経験値は《強欲と無欲》に吸収される」

 

ぐりもあの口が半ば開いたまま止まる。

 

「本来は強欲と無欲が吸収する経験値を――任意の対象に“注ぎ込む”ことができる。つまり、増殖炉は《経験値製造工場》そのものだ」

 

「……つまり、あなたは経験値を“払う”のではなく、“資本として回す”仕組みを作ったわけだね」

ぐりもあが小さく笑い、手を打つ。

「払ってもすぐ補充されるなら、消費の概念そのものが消えてしまう」

 

モモンガはゆっくりと頷いた。

「その通りだ。だから《オーバーロード・ワイズマン》を召喚するコストも、実質ゼロに等しい」

 

ぐりもあが頭を抱える。

「いや……それ……もう反則どころか、世界の根本システムを粉砕してますよ!? なにその“経験値永久機関”!」

 

「……世界級アイテムを活用するのが、支配者の務めですから」

モモンガは平然と答えた。

 

 

/*/ 円卓の間

 

 

ぐりもあが頭を抱えたまま呻いた。

「経験値永久機関に世界級アイテム……ほんともう、発想が反則ですよ。モモンガさん……」

それから一転、肩をすくめ、からかうように笑う。

「まあでも、そういう抜け道を見つけられるのも才能だからね。……ん? そういえば今のレベルは?」

 

モモンガはわざとらしく咳払いをひとつ。

「……実は、ある"レベル上限拡張の仕組み"を発見しまして。私は現在――レベル120です」

 

「は?」

ぐりもあの目がまん丸になる。

 

「ちなみにジョンさんも、既に110になっている」

 

「なにそれずるい!! 僕、そんな話一回も聞いてないんですけど!?」

ぐりもあは椅子をガタリと鳴らして立ち上がる勢いで身を乗り出した。ぐりもあは額に手を当てて笑い、半ば呆れ声で返す。

「……なんでそういうチートを真顔で発見してるのさ。普通の人は"レベル上限に挑戦する方法"なんて一生思いつかないよ?」

 

「努力の賜物、ですね」

モモンガはいつもの無表情の声で淡々と返す。

 

「いやいやいやいや! 俺は地道に修練して上げようと思ってたんだぞ!? それを"経験値を喰らえ!"って無理やり注がれて……ひどくない? 俺のプラン台無しだよ!」

ジョンは両手をばたつかせながら抗議する。

 

「ふふ。駄犬が経験値で太らされて文句言うなんて、ちょっと可愛いかも」

ぐりもあが頬杖をついて楽しげに見やる。

 

「可愛いじゃない! 俺は誇り高き――」

「駄犬でしょ?」

「ぐっ……!」

 

モモンガは肩をすくめる。

「そもそも、この世界ではレベル90台でも"天災級"扱いです。110なら、表の戦力評価から完全に外れる。むしろ得をしたと思っていただきたい」

 

「……ぐぬぬ」

ジョンは渋々椅子に腰を下ろしたが、まだ納得できていない顔をしている。

 

ぐりもあはそんな彼を眺めながら、にやりと笑った。

「まあでも、いいんじゃない? そのおかげで"影の王"としてオーバーロード・ワイズマンを担ぎ出せるんだから」

 

 

/*/ ぐりもあの私室

 

 

ぐりもあは椅子に腰を下ろすと、向かいのルプスレギナに視線を送った。

「……で、調子はどう? 大丈夫? あの駄犬に泣かされたりしてない?」

 

ルプスはぱっと目を輝かせ、頬を染めながら笑う。

「泣かされてるっすよぉ、毎晩! あはははは!」

 

「……え?」

ぐりもあは目を瞬かせ、わずかに顔を引きつらせた。

「ちょっと待って、そういう……? あの野郎……いや、まあ……良かった……のか?」

 

ルプスはうっとりと目を閉じる。

「かの狼王ロボも、妻ブランカを奪われてからは、食べ物も水も一切口にせずに餓死したって逸話があるくらいで。……でもジョンさまは言ってくれたんす。“俺は一度決めた相手以外とは番にならない”って」

 

「……はいはいはい。お腹いっぱいだわ、ごちそうさま」

ぐりもあは額に手を当てる。

 

ルプスはなおも言葉を重ねる。

「この前もっすよ、帝国の舞踏会に一緒に行って……みんなの前で堂々と手を取ってエスコートしてくれて! 音楽に合わせて踊ったんすよ。まるで物語みたいで、夢みたいで――」

 

「……帝国の舞踏会って、あの? そんな公衆の場で堂々と?」

「はいっ! すっごく誇らしかったっす! 帝国の貴族たちがざわついてたのも、正直ちょっと気持ちよかったっすね!」

 

「……はい、ごちそうさま二回目」

ぐりもあは椅子に深く沈み、遠い目をする。

「惚気話で満腹になれるなんて、初めて知ったよ……」

 

ルプスは尻尾をぶんぶん揺らし、さらに嬉しそうに続ける。

「でも、本当に優しいんすよ。戦いの時も、後ろに下がれなんて絶対言わないっすし。私が隣に立つのを当然みたいに受け入れてくれるんす。……そんな人、他にいないっす」

 

「……はいはい。わかったから。幸せならそれでいいの」

ぐりもあは投げやり気味に言いながらも、表情はどこか和らいでいた。

 

ルプスは少し考え込むように視線を上に向け、ぽつりと漏らす。

「……あ、でも。ジョンさま、ぐりもあさんのこともよく話すっすよ」

 

「……え?」

ぐりもあの肩がぴくりと揺れる。

 

「なんか、“俺の背中を押してくれる人がいる”とか、“あの人には頭が上がらない”とか。……そういう話っす」

 

「…………」

ぐりもあは言葉を失い、口を半開きにしたまま沈黙する。

 

ルプスはにっこりと微笑む。

「だから安心してほしいっす。ぐりもあさんのことも、ちゃんと大事に思ってるっすよ」

 

「……ごちそうさま三回目」

ぐりもあは深いため息をつきつつも、頬がほんのり赤く染まっていた。

 

そして小さくぼそりと呟く。

「……あの駄犬、抜け目ないな」

 

「え? なんか言ったっすか?」

ルプスが首を傾げて聞き返す。

 

ぐりもあは慌てて手を振った。

「いやいや、なんでもない! なんでも!」

 

ルプスは不思議そうに瞬きをした後、またにこにこと笑いながら尻尾を揺らし続けた。

 

 

/*/ カルネ村・集会所

 

 

木造りの集会所に、漆黒の剣の四人とアウレリア姫が顔を揃えていた。

正面に腰を下ろしたぐりもあが、静かに視線を巡らせる。

 

「……ふむ。君たちがジョンさんの弟子か」

 

その一言で、漆黒の剣の四人は背筋をぴんと伸ばし、目に見えて緊張した。

アウレリア姫でさえ、わずかに表情を引き締めている。

 

ぐりもあは首を傾げて、柔らかな笑みを浮かべた。

「なんでそんなに警戒してるの?」

 

ニニャが恐る恐る答える。

「……見てくれと前情報(ないけど)で判断すると痛い目を見る、って……師匠に身をもって教えられたからです」

 

「……あー」

ぐりもあは小さく頷き、口元を押さえて吹き出した。

「大丈夫。そんなひどいことはしないよ、今はね」

 

「ほらーっ! “今は”って言ったー!」

ルクルットがすかさず叫ぶ。

 

ペテルが目を白黒させ、ダインが苦笑する。

アウレリア姫は口元を隠し、笑うまいと必死にこらえていた。

 

「……で、ジョンさんは君たちに何をしたの?」

ぐりもあが首をかしげる。

 

ペテルが深くため息をついた。

「ちょっと……いや、ちょっとどころじゃないですね。地獄特訓を」

 

「地獄特訓?」

 

ダインが真顔で補足する。

「雨の中で崖を登らされたり、目隠しで武器を組み立てさせられたり。……そして何より、嘘をつけば“見破られて即罰”。容赦はなかった」

 

「……あー……」

ぐりもあは苦笑し、アウレリア姫へ視線を送る。

「つまり、弟子の教育方針は――“疑ってかかれ、でも最後は必ず信じろ”。そんなところか」

 

アウレリア姫は小さく息を吐き、口元に笑みを浮かべる。

「確かに、あの方らしい……。けれど、それで鍛えられたのなら――悪いことではないのでしょうね」

 

「はー……君たちも苦労したな」

ぐりもあが肩をすくめる。

 

ニニャがわずかに笑みを浮かべた。

「でも、師匠は……口では厳しいけど、根は村を思ってる人でした」

 

ぐりもあが興味深げに眉を上げる。

「村を、ね?」

 

ダインがうなずいた。

「この集会場もそうである。師匠が手ずから建てたのである。村の家々や水路も整備して、遠くから用水路を引いて水を流してくれた」

 

「へぇ……」

ぐりもあは驚きと共に感心の声を漏らす。

 

アウレリア姫が微笑みを添える。

「そして、この村を囲む城壁は――アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下が、直々に魔法で築いてくださったのです」

 

場に漂う空気が一層重みを帯びる。

ジョンという師の献身と、魔導王の庇護――その両方が、この村の礎になっていることがひしひしと伝わってきた。

 

ぐりもあは小さく笑い、腕を組んだ。

「……なるほど。君たちが必死になるわけだ。これほどの恩を受けたなら、誰だって背筋が伸びるさ」

 

 

/*/ カルネ村・広場

 

 

集会所を出ると、夕暮れの光が村を柔らかく染めていた。

畑の向こうからは、ゴブリンの掛け声と、オーガの笑い声が混じり合って聞こえる。

 

「ぐりもあ様」

出迎えに来ていたのは村長エンリだった。まだ若い少女の面影を残しながらも、その立ち居振る舞いはすっかり指導者のものとなっている。

 

彼女は深く頭を下げた。

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下には、この村は何から何まで助けていただいております。……そして今もなお、世話になり続けています。本当に、言葉に尽くせぬほどの感謝を」

 

ぐりもあは少し目を細め、穏やかに頷いた。

「聞かせてもらえるかな。どんなふうに助けられているのか」

 

エンリは顔を上げ、村の方へと手を広げる。

「この村は、いまや様々な種族が一緒に暮らしています。ゴブリンやオーガ、オブゴブリン。リザードマンやエルフ、ドワーフ。時には森から来たドライアードさえも……」

 

ぐりもあはゆっくりと視線を巡らせる。

広場の向こうでは、ドワーフとエルフが農具を手に畑を整備し、隣ではオーガとゴブリンが大きな荷車を押していた。

そのさらに奥、畑の一角では、骸骨のアンデッドが無言で鍬を振るい、隣でゴーレムが黙々と土を均している。

 

エンリは小さく笑った。

「……最初は正直、恐ろしかったんです。でも、彼らは“共に村を守る仲間”でした。農作業を手伝い、警戒を怠らず、宴のときには肩を並べて笑ってくれる。そうして暮らすうちに、気づけば、もう“当たり前”になっていました」

 

「……アンデッドと農業、ね」

ぐりもあは小さく息を吐いて笑った。

「確かに普通じゃ考えられない。でも、だからこそ成り立っている世界か」

 

「はい。陛下がくださった平穏が、この村を変えてくださいました。……そして、ジョン様も」

エンリは深く頷き、声を少しだけ和らげる。

「この村の人々は、決して忘れません。与えられた恩を。支えてくれる存在への感謝を」

 

ぐりもあはしばし黙って、夕暮れの村を見渡した。

異種族が共に暮らす光景――その中心に、モモンガとジョンの姿が確かに刻まれているのを感じながら。

 

 

/*/ カルネ村・広場

 

 

ぐりもあはしばし沈黙した。目の前に広がる光景を、まるで心に刻み込むかのように見つめ続ける。

 

――ゴブリンの子供たちが、エルフの少年少女と一緒に木の実を集めている。

――オーガが担いだ丸太を、ドワーフが器用に加工して柵へと組み上げている。

――リザードマンの漁師が川から魚を抱えて戻り、ドライアードが微笑みながら草編みの籠を差し出して受け取っている。

その傍らで、無表情のアンデッドが静かに荷物を運び、石造りのゴーレムが畑の土を踏み固めていた。

 

人間も、亜人も、モンスターも、すべてがそこに“生活者”として息づいていた。

 

「……不思議なものだな」

ぐりもあはぽつりとつぶやいた。

「かつてナザリックのギルドメンバーたちが思い描いた“理想郷”は、正直なところ絵空事だと思っていた。種族の違いを越え、互いを認め合い、ひとつの共同体を築く……そんなもの、夢物語に過ぎないと」

 

隣に立つエンリが首を傾げる。

「理想郷……?」

 

「そう。ナザリックは種族の坩堝だ。異形、怪物、忌避される存在……それらが互いに背中を預け合える場所。あの方々にとってナザリックこそが“楽園”だった。でも、外の世界に同じものを作るなんて、到底できると思わなかった」

 

ぐりもあはゆっくりと首を振り、そして苦笑する。

「……だが、君たちはやってのけたんだな。いや、君たちだけじゃない。モモンガさんとジョンさん、そしてここに住むすべての者たちが」

 

エンリは少し頬を赤らめ、俯いた。

「……わたしたちは、ただ必死に生きてきただけです。でも、その“必死”を受け止めてくれたのが陛下やカルバイン様で……だから、ここに立っていられるんです」

 

「受け止め、支え、共に歩むか……」

ぐりもあは空を仰いだ。夕焼けが村を黄金色に染めている。

 

その胸中に去来するのは、一つの確信だった。

――この村は、ただの田舎の集落ではない。

――ここは、未来の可能性を示す“証明”だ。

 

「エンリ」

ぐりもあは真剣な眼差しで言葉を紡ぐ。

「この村は、もしかしたら大陸の行く末を変えるかもしれない。人と異種族が肩を並べる姿は、多くの者に衝撃を与えるだろう。……羨望か、恐怖か、その両方かもしれないが」

 

「……そんな、大げさな」

エンリは小さく笑ったが、その声には震えが混じっていた。

 

「大げさじゃないさ」

ぐりもあは静かに言い切る。

「ここは理想郷の萌芽だ。ナザリックの夢を、この地に映す小さな光だよ」

 

エンリはその言葉を胸に抱きしめるように、ゆっくりと頷いた。

 

 

/*/ カルネ村・時王の湯屋

 

 

夕刻。湯けむりが立ち上る木造の湯屋の前で、ジョンがにやりと笑った。

 

「なあ、せっかくだし入っていかないか? 時王様が直々に立てた風呂屋だぞ。男湯と女湯、ちゃんと分かれてるし」

 

ぐりもあは首を傾げ、いたずらっぽく唇を吊り上げる。

「……一緒に入らないの?」

 

ジョンはすぐさま呆れ顔。

「僕は男湯だ、馬鹿者」

 

「なーんだ。僕は一緒でも良かったのにな」

「……どっちが表でどっちが裏かわかんないような体だものな」

 

空気が一瞬、凍りついた。

次の瞬間、ぐりもあの目が細く光り、声が氷のように冷えた。

「……生命が要らないようだな?」

 

ジョンは両手をばたばた振って平伏する。

「すいませんでしたぁああ!!」

 

その横で、控えていたエンリがぼそっと口を挟んだ。

「……カルバイン様は入るなら人間形態になって下さいね。人狼形態だと抜け毛が排水溝につまりますから」

 

「……あー、はい」

カルバインは気まずそうに頷き、肩をすくめた。

 

「というかカルバイン様、湯船にその巨体で浸かったら、一瞬で全部あふれ出ますよね」

「…………大きく作ったんだけどな」

カルバインがぼそりと呟くと、周囲の村人たちからも「確かに」と小さな笑いが漏れる。

 

ぐりもあが口元を押さえてくすくす笑い、エンリは両手を腰に当ててため息をついた。

湯けむりに包まれた広場には、笑い声とあたたかな空気が広がっていった。

 

 

/*/ カルネ村・時王の湯屋 女湯

 

 

湯気が立ちこめ、木の壁に水滴がつたう。

ほの暗い湯屋の中、三人の女性が肩まで湯に沈んでいた。

 

「ん~……生き返る~」

エンリが背を伸ばし、湯船の縁に腕を乗せる。その肌は火照りで薄桃色に染まり、首筋から鎖骨にかけて湯粒がつたっていた。

 

ぐりもあはちらりと目を細め、くすりと笑う。

「君、意外と色っぽいね。村長さんなのに」

「えっ、そ、そんな……!」

エンリは真っ赤になって胸元までざぶんと沈み、慌てて泡を立てた。

 

「ふふふ。からかうとすぐ反応するな」

「……ぐりもあさん、いじわるです」

 

その隣で、クレマンティーヌはタオルを頭にのせたまま伸びをし、しなやかな腕を湯に滑らせる。

「でもまぁ、ここまで立派になった村は神獣様のおかげだし。あいつには感謝してるよ。……修行は死ぬほどきついけどね」

 

ぐりもあが首をかしげる。

「死ぬほど?」

「ほら、崖を登らされたり、鎧着たまま川に沈められたり……。でもその分、力はちゃんとついた。……それに」

 

クレマンティーヌは小声で続けた。

「訓練以外で妙な要求もされるんだ。ガーターベルトとか。あれ、性癖らしいのよ」

 

「えっ」

エンリの目がまん丸になり、ぐりもあは思わず湯をこぼしそうになる。

 

「……あとね。私が昔着てたビキニアーマー。あれ神獣様の趣味かってよく言われるけど」

「違うの?」ぐりもあが期待まじりに尋ねる。

 

クレマンティーヌは湯に頬を沈め、ぼそっと答えた。

「……私の趣味です」

 

「「……そうなんだ」」

エンリとぐりもあの声が見事に重なり、次の瞬間、二人は耐えきれず笑い出した。

 

「ちょっと! 笑うなってば!」

クレマンティーヌが真っ赤になって湯をばしゃばしゃとかける。お湯が胸元から跳ね、弧を描いて二人に降りかかる。

 

「きゃっ!」

エンリが慌てて腕で隠し、ぐりもあは肩を揺らしてさらに笑った。

 

「……やっぱり、ジョンって駄犬だね」

「わんわん、って感じですね」

「誰が駄犬だっ!」という幻聴が聞こえた気がして、三人は湯の中でまた笑い合った。

 

 

/*/ カルネ村・集会所二階

 

 

夜風が心地よく流れ込む縁側に、浴衣姿のぐりもあが腰を下ろしていた。

湯上がりの頬はほんのり赤く、湯気の余韻を残す髪からはかすかに石鹸の香りが漂う。

 

見下ろす先では、広場に並ぶ灯火がゆらめき、村人たちが笑いながら行き交っている。

ゴブリンが子供を肩車し、リザードマンが桶を抱えて水を分け合い、ドワーフとオーガが木の樽を運んでいた。

 

「……いい景色だね」

ぐりもあがぽつりとつぶやくと、隣にやってきたジョンも浴衣姿で、同じ景色を見下ろした。

 

「良い村だろ」

彼はどこか誇らしげに笑う。

 

ぐりもあは視線を横に移し、口元を緩めた。

「そうだね。……この世界に来て、こんな風にいろんな種族が肩を並べて暮らしてるの、初めて見たよ」

 

ジョンは欄干に肘をつき、広場に視線を落としたまま低く言う。

「……週間焼き討ち部隊が来ないから、ここまで発展できたんだ。一回だけ、本当に危ない時があった。だけど、俺が駆けつけるまで……みんなで力を合わせて耐えてくれてたんだぜ」

 

ぐりもあは目を細める。

夜風に揺れる灯火の下で笑う村人たち。そのひとりひとりに、確かに“生き残った証”が刻まれているのだと感じ取った。

 

「……そうか。君はこの村の背骨みたいなものなんだね」

「いや、俺はちょっと支えただけさ。……本当に強いのは、あの連中だ」

 

ジョンの声は不思議と柔らかかった。

ぐりもあは頬杖をつき、隣の男をちらりと見て――少しだけ、口元を緩める。

 

「……駄犬のくせに、格好いいこと言うじゃない」

「ははっ、たまにはな」

 

二人の間を、虫の声と夜風がすり抜けていった。

 

 

/*/ カルネ村・集会所二階

 

 

夜風を受けながら、ぐりもあがふと思い出したように口を開いた。

 

「そう言えばさ。……この前、カジットが開発したっていう羊皮紙を見せてもらったんだよ」

 

ジョンが眉を上げる。

「ああ、あの“生きてるように自己修復する紙”か」

 

「うん。あれを僕の本体に綴じ足したら……僕もレベルアップできるのかなって」

ぐりもあは胸の前で指を組み、少し期待を込めてジョンを見た。

 

「おお、それは理屈的にはありそうだな。本体が本なら、ページ増やすのは経験値ブーストに近いのかも」

ジョンは真面目に顎に手を当てて頷いた。

 

しかし、次の瞬間に苦笑して続ける。

「……でもあれ、俺の抜け毛で作った紙だけど? それ足して大丈夫なの?」

 

「……え?」

ぐりもあはぴたりと固まり、眉をひそめてジョンを見つめた。

 

「駄犬の毛……?」

「高品質だぞ! 光沢と強靭さには自信がある」

 

「…………」

ぐりもあはしばし沈黙し、やがてこめかみに手を当ててため息をついた。

「……いや、理屈はわかるけどさ。自分の本体のページを駄犬の毛で増やすって考えると……うーん、ちょっと気が進まないなぁ」

 

ジョンは肩をすくめて笑った。

「じゃあ、俺の毛は緊急用ストックってことで。ほら、愛弟子たちの命を救う紙になるかもしれないだろ?」

 

「……むう。そういう言い方されると断りづらいなぁ」

ぐりもあは頬を膨らませつつ、視線を逸らした。

 

「安心しろ。いざとなったら、俺の毛を漉いたページで“駄犬版ぐりもあ”を作ってやる」

「やめろぉおお!! それは本当に勘弁して!!」

 

ジョンが腹を抱えて笑っていると、ぐりもあがじとっと目を細めた。

「……じゃあさ。もし僕の本体に駄犬毛ページが増えたら、そのページを開くたびに“ワン!”って鳴るようにしてやる」

 

「……え?」

「さらに、夜になると本棚から抜け出して勝手に散歩する。もちろん尻尾つきで」

 

ジョンの顔から笑みが消えた。

「……それはやめろ」

 

「おや? 駄犬らしくてぴったりだと思うけど?」

ぐりもあは口元をにやりと歪め、からかうように肩を揺らした。

 

「……生命が要らないようだな」

「ひぃっ! ちょ、冗談だから! 僕の本棚を犬小屋にしようなんて本気じゃないよ!」

 

夜空に、二人の掛け合いがまたも響き渡った。

 

 





“影山影一”とか“ダーク佐藤”とかでも結構時間掛かってるんです

次回!
第135話:バンバン晩餐

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