オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~   作:ぶーく・ぶくぶく

154 / 206
第145話:猫の寿命

 

 

/*/ 皇帝執務室 /*/

 

 

ジルクニフは執務机の前で、籠からあーしをそっと抱き上げた。

喉を小さく鳴らして手にすり寄ると、赤い瞳が淡く細まる。

 

「……ふむ。わかっておるな」

 

その瞬間、ロクシーが腕を組み、鋭い視線で切り込んだ。

「……陛下、それで良いんですか?」

 

「……なにが、だ?」

 

「まだ身篭っていない娘がいるんですから、とっとと妊娠させてあげてください。猫を構ってる暇があるんですか」

 

(ちょ、物言いストレートすぎ。空気、切れ味MAXなんだけど)

ジルクニフの手が一瞬止まり、あーしに視線が落ちる。

あーしは無邪気に尻尾を揺らし、膝で丸くなるだけ。

 

「……いや、今はだな……魔導国の圧力もあるゆえ、猫を連れての視察は必要なのだ」

 

(視察=猫同伴、は若干むりあるけど……まあ落ち着くのは事実)

ロクシーは眉をひそめる。

「……視察、ですか。なら仕方ありません。ですが、娘の方もお忘れなく」

 

ジルクニフは短く頷き、あーしへ視線を戻した。

柔らかな体温が、緊張で硬い理性を少し解いていく。

 

 

/*/ 皇帝執務室 /*/

 

 

ロクシーは目を細め、畳みかける。

「陛下、猫に構ってる場合じゃない。娘は若い。今を逃せば後がない。国の圧力を理由にして個人的義務を放置したら、誰が困ると思ってるんです?」

 

「……心得ている。だが、今は魔導国の動きがある。余計な波風は立てられぬ」

 

「波風?」ロクシーは鼻で笑う。

「陛下の場合、“波風”どころか周囲まるごと津波にしそうですけど。猫を盾に何を言い繕う気です?」

 

「戯れておるわけではない。猫は視察や外交の場で、神経の安定に必要なのだ」

 

(そうそう、あーしは公式クッション。ついでに高性能センサー)

あーしは膝の上でくるりと丸まり、指に顔を擦り付ける。

「……ふむ、余計な声を出さぬよう気をつけるのだな」

 

ロクシーはため息をひとつ。

「……わかりました。ですが猫の次は、国と娘も忘れずに」

 

ジルクニフは短く頷き、あーしへ視線を戻す。

「……わかっておる」

 

(了解。順番は“猫→国→娘”じゃなくて、“猫+国→娘”くらいで頼む)

ロクシーが肩をすくめて出ていくと、室内に静けさが戻った。

 

ジルクニフはあーしを抱き上げ、背をゆっくり撫でる。

「……叱られてしまったな。お前に少し構い過ぎたかもしれぬ」

 

(ん、いいよ。叱られたら撫でて落ち着け。使用料は後で焼き肉)

あーしは頬に鼻先を押し当て、ぺろっと舐める。

「……だが、聞け。あれは将来の皇帝を育てられる女だ。役目を果たせる、珍しい女なのだ」

 

(へぇ、認めてるんだ。なら尚さら“段取り”ミスんなよ)

「言葉や態度に知恵と覚悟が宿る。……だからこそ、私も時に従わねばならぬ」

 

(従う強さは、嫌いじゃない)

あーしは前足で手をちょんと撫で、胸の張りをほどく。

 

「……街も闘技場も騒ぎ続けている。英雄皇帝の幻想が独り歩きし、誰も現実を見ぬ」

ジルクニフは瞼を伏せる。

「だが、こうもしてはおれん。熱をそのまま放置すれば秩序は崩壊する。……あのジョンめの仕掛けに乗せられたが、結果として、動く舞台は整えてくれた」

 

(舞台があるなら脚本書こう。即興はプロに任せときゃいい)

「……今後の策はこうだ。闘技場の熱狂は利用。挑戦者に希望と競争、敗者は再訓練へ。軍の士気は維持、民衆は英雄を求め、帝国は守られる」

 

(“逃がし弁”&“循環器”プラン、悪くない。現場オペは詰めとこ)

あーしが喉を鳴らすと、ジルクニフはわずかに笑った。

「……お前がいてくれるだけで、落ち着く。今夜はお前と共に、次の一手を考えよう」

 

蝋燭の炎と、あーしのゴロゴロだけが部屋を満たす。

やがて、あーしの寝息が静けさに溶けた。

 

ジルクニフは指先で毛並みを梳き、低く呟く。

「……お前は、本当に気楽でいいな」

 

(気楽=強い、だよ。生き延びるコツ)

「……そうか。お前の存在は、こうして私を落ち着かせるのか」

「ジョンも民も、掌に収めるべきものだ。だが、お前がそばにいるなら、少しだけ気を許せる」

 

(許せ。許したぶん動ける)

抱き締められながら、あーしは微睡みに落ちていく。

 

「……そうだな。明日もまた戦略を練らねば。だが今夜は、お前と少しだけ安らぐとしよう」

 

炎が影を揺らし、皇帝の顔に穏やかさが広がる。

膝で眠る小さな猫――あーしの温もりが、孤独をひとつ分薄めていく。

 

「……ありがとう。お前がいてくれて、よかった」

 

(うん、分かってるならヨシ。明日は“焼き肉メモ”忘れんなよ、陛下)

 

 

/*/ 後日 私室の一隅 /*/

 

 

夜更け。ロクシーは化粧を落とし、寝台の端に腰を下ろしていた。

月明かりが静かに差し込み、部屋の空気は冷たく澄んでいる。

 

毛布を膝に抱えたまま、指先をぎゅっと握る。

脳裏に浮かぶのは――あの夜、執務室で猫を撫でる陛下の横顔。

 

『……あの者の言葉や態度には、知恵と覚悟が宿っている。だからこそ、私も時に従わねばならぬ』

 

その「あの者」が、自分だったと気づいた瞬間、胸の奥がじんわりと熱を帯びた。

 

あの人は不器用だ。

誰よりも聡明で、誰よりも孤独で、そして誰よりも……弱さを見せない。

 

「……珍しい女、か」

ロクシーは小さく呟いて苦笑した。

夫婦のように寄り添っていながら、そう言われるとは思ってもみなかった。

 

彼は猫の前でしか、仮面を外さない。

その光景を偶然見たとき、胸の奥にひどく切ない痛みが走った。

 

「……ほんと、不器用な方ね」

毛布を抱きしめる。

(陛下、次は――猫じゃなくて、私に言ってくださいね)

 

その願いは夜の静寂に溶け、月光のように儚く散っていった。

 

 

/*/ 皇帝私室 /*/

 

 

あーしは猫の姿で、陛下――ジルクニフの膝の上にいた。

羽根ペンの音が静かに響く。

あーしは目を細めて喉を鳴らしながら、膝越しに伝わる温もりを感じてた。

 

(……あーし、あと何年ここにいられるんだろ)

 

帝国は緊張の中にある。

魔導国の影、民衆の熱狂、裏で動く貴族ども――その全部が、あの人の肩にのしかかってる。

 

(……せめて二十年。二十年でいい)

その間だけでも、あの人が心折れずにいられるよう、そばにいてやれたら。

 

猫として膝に寄り添い、人として街に溶け、

ただ支えたい――そう思う自分が、少しおかしくて笑えてくる。

 

前足でそっと彼の指先に鼻先を触れさせる。

ペンが止まり、陛下が小さく微笑んであーしの背を撫でた。

 

「……ふむ、安心して眠っているな」

 

(うん……今だけは、考えるのやめとく)

あーしは目を閉じ、静かに喉を鳴らした。

この時間が、どうか長く続きますように――そう願いながら。

 

/*/ 皇帝執務室・夜 /*/

 

ジルクニフは机上の書簡を片づけ、椅子にもたれた。

あーしはその膝の上で、小さく丸まりながら眠っている。

 

指が毛並みを梳くたびに、胸の奥の緊張がほどけていく。

 

「……お前は、不思議な猫だ」

 

(でしょ? 高性能セラピーネコなんで)

 

あーしの存在が、ほんのわずかでも彼の孤独を和らげてる。

宮廷の策謀も、魔導国の圧も、ほんの一瞬だけ遠のく。

 

「……だが、いつまで私の傍にいてくれるのだろうな」

 

(やだ、その言い方、フラグ立つ)

猫の寿命なんて、あーしにしたら短い。でも――。

 

「……せめて、二十年は……」

ジルクニフの口から漏れた独り言に、あーしの胸が少しだけ熱くなる。

 

(うん。あーしも、そのくらいは居座るつもり)

 

あーしは寝返りを打ち、前足で彼の手に触れた。

「……そうだな。お前がいてくれるだけで、私はまだ戦える」

 

(そりゃそーだよ。あーしがいなきゃ、胃潰瘍まっしぐらでしょ)

 

彼が再び書類に目を落とす。

その横で、あーしは毛をふるわせ、小さく体を丸め直す。

 

(……明日もまた、隣で見てるから。泣くのも笑うのも、全部ここで)

 

皇帝の膝の上、蝋燭の灯が静かに揺れる。

その光の中で、あーしの寝息と喉の音が、皇帝の孤独をそっと包み込んでいた。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。