オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ 皇帝執務室 /*/
ジルクニフは執務机の前で、籠からあーしをそっと抱き上げた。
喉を小さく鳴らして手にすり寄ると、赤い瞳が淡く細まる。
「……ふむ。わかっておるな」
その瞬間、ロクシーが腕を組み、鋭い視線で切り込んだ。
「……陛下、それで良いんですか?」
「……なにが、だ?」
「まだ身篭っていない娘がいるんですから、とっとと妊娠させてあげてください。猫を構ってる暇があるんですか」
(ちょ、物言いストレートすぎ。空気、切れ味MAXなんだけど)
ジルクニフの手が一瞬止まり、あーしに視線が落ちる。
あーしは無邪気に尻尾を揺らし、膝で丸くなるだけ。
「……いや、今はだな……魔導国の圧力もあるゆえ、猫を連れての視察は必要なのだ」
(視察=猫同伴、は若干むりあるけど……まあ落ち着くのは事実)
ロクシーは眉をひそめる。
「……視察、ですか。なら仕方ありません。ですが、娘の方もお忘れなく」
ジルクニフは短く頷き、あーしへ視線を戻した。
柔らかな体温が、緊張で硬い理性を少し解いていく。
/*/ 皇帝執務室 /*/
ロクシーは目を細め、畳みかける。
「陛下、猫に構ってる場合じゃない。娘は若い。今を逃せば後がない。国の圧力を理由にして個人的義務を放置したら、誰が困ると思ってるんです?」
「……心得ている。だが、今は魔導国の動きがある。余計な波風は立てられぬ」
「波風?」ロクシーは鼻で笑う。
「陛下の場合、“波風”どころか周囲まるごと津波にしそうですけど。猫を盾に何を言い繕う気です?」
「戯れておるわけではない。猫は視察や外交の場で、神経の安定に必要なのだ」
(そうそう、あーしは公式クッション。ついでに高性能センサー)
あーしは膝の上でくるりと丸まり、指に顔を擦り付ける。
「……ふむ、余計な声を出さぬよう気をつけるのだな」
ロクシーはため息をひとつ。
「……わかりました。ですが猫の次は、国と娘も忘れずに」
ジルクニフは短く頷き、あーしへ視線を戻す。
「……わかっておる」
(了解。順番は“猫→国→娘”じゃなくて、“猫+国→娘”くらいで頼む)
ロクシーが肩をすくめて出ていくと、室内に静けさが戻った。
ジルクニフはあーしを抱き上げ、背をゆっくり撫でる。
「……叱られてしまったな。お前に少し構い過ぎたかもしれぬ」
(ん、いいよ。叱られたら撫でて落ち着け。使用料は後で焼き肉)
あーしは頬に鼻先を押し当て、ぺろっと舐める。
「……だが、聞け。あれは将来の皇帝を育てられる女だ。役目を果たせる、珍しい女なのだ」
(へぇ、認めてるんだ。なら尚さら“段取り”ミスんなよ)
「言葉や態度に知恵と覚悟が宿る。……だからこそ、私も時に従わねばならぬ」
(従う強さは、嫌いじゃない)
あーしは前足で手をちょんと撫で、胸の張りをほどく。
「……街も闘技場も騒ぎ続けている。英雄皇帝の幻想が独り歩きし、誰も現実を見ぬ」
ジルクニフは瞼を伏せる。
「だが、こうもしてはおれん。熱をそのまま放置すれば秩序は崩壊する。……あのジョンめの仕掛けに乗せられたが、結果として、動く舞台は整えてくれた」
(舞台があるなら脚本書こう。即興はプロに任せときゃいい)
「……今後の策はこうだ。闘技場の熱狂は利用。挑戦者に希望と競争、敗者は再訓練へ。軍の士気は維持、民衆は英雄を求め、帝国は守られる」
(“逃がし弁”&“循環器”プラン、悪くない。現場オペは詰めとこ)
あーしが喉を鳴らすと、ジルクニフはわずかに笑った。
「……お前がいてくれるだけで、落ち着く。今夜はお前と共に、次の一手を考えよう」
蝋燭の炎と、あーしのゴロゴロだけが部屋を満たす。
やがて、あーしの寝息が静けさに溶けた。
ジルクニフは指先で毛並みを梳き、低く呟く。
「……お前は、本当に気楽でいいな」
(気楽=強い、だよ。生き延びるコツ)
「……そうか。お前の存在は、こうして私を落ち着かせるのか」
「ジョンも民も、掌に収めるべきものだ。だが、お前がそばにいるなら、少しだけ気を許せる」
(許せ。許したぶん動ける)
抱き締められながら、あーしは微睡みに落ちていく。
「……そうだな。明日もまた戦略を練らねば。だが今夜は、お前と少しだけ安らぐとしよう」
炎が影を揺らし、皇帝の顔に穏やかさが広がる。
膝で眠る小さな猫――あーしの温もりが、孤独をひとつ分薄めていく。
「……ありがとう。お前がいてくれて、よかった」
(うん、分かってるならヨシ。明日は“焼き肉メモ”忘れんなよ、陛下)
/*/ 後日 私室の一隅 /*/
夜更け。ロクシーは化粧を落とし、寝台の端に腰を下ろしていた。
月明かりが静かに差し込み、部屋の空気は冷たく澄んでいる。
毛布を膝に抱えたまま、指先をぎゅっと握る。
脳裏に浮かぶのは――あの夜、執務室で猫を撫でる陛下の横顔。
『……あの者の言葉や態度には、知恵と覚悟が宿っている。だからこそ、私も時に従わねばならぬ』
その「あの者」が、自分だったと気づいた瞬間、胸の奥がじんわりと熱を帯びた。
あの人は不器用だ。
誰よりも聡明で、誰よりも孤独で、そして誰よりも……弱さを見せない。
「……珍しい女、か」
ロクシーは小さく呟いて苦笑した。
夫婦のように寄り添っていながら、そう言われるとは思ってもみなかった。
彼は猫の前でしか、仮面を外さない。
その光景を偶然見たとき、胸の奥にひどく切ない痛みが走った。
「……ほんと、不器用な方ね」
毛布を抱きしめる。
(陛下、次は――猫じゃなくて、私に言ってくださいね)
その願いは夜の静寂に溶け、月光のように儚く散っていった。
/*/ 皇帝私室 /*/
あーしは猫の姿で、陛下――ジルクニフの膝の上にいた。
羽根ペンの音が静かに響く。
あーしは目を細めて喉を鳴らしながら、膝越しに伝わる温もりを感じてた。
(……あーし、あと何年ここにいられるんだろ)
帝国は緊張の中にある。
魔導国の影、民衆の熱狂、裏で動く貴族ども――その全部が、あの人の肩にのしかかってる。
(……せめて二十年。二十年でいい)
その間だけでも、あの人が心折れずにいられるよう、そばにいてやれたら。
猫として膝に寄り添い、人として街に溶け、
ただ支えたい――そう思う自分が、少しおかしくて笑えてくる。
前足でそっと彼の指先に鼻先を触れさせる。
ペンが止まり、陛下が小さく微笑んであーしの背を撫でた。
「……ふむ、安心して眠っているな」
(うん……今だけは、考えるのやめとく)
あーしは目を閉じ、静かに喉を鳴らした。
この時間が、どうか長く続きますように――そう願いながら。
/*/ 皇帝執務室・夜 /*/
ジルクニフは机上の書簡を片づけ、椅子にもたれた。
あーしはその膝の上で、小さく丸まりながら眠っている。
指が毛並みを梳くたびに、胸の奥の緊張がほどけていく。
「……お前は、不思議な猫だ」
(でしょ? 高性能セラピーネコなんで)
あーしの存在が、ほんのわずかでも彼の孤独を和らげてる。
宮廷の策謀も、魔導国の圧も、ほんの一瞬だけ遠のく。
「……だが、いつまで私の傍にいてくれるのだろうな」
(やだ、その言い方、フラグ立つ)
猫の寿命なんて、あーしにしたら短い。でも――。
「……せめて、二十年は……」
ジルクニフの口から漏れた独り言に、あーしの胸が少しだけ熱くなる。
(うん。あーしも、そのくらいは居座るつもり)
あーしは寝返りを打ち、前足で彼の手に触れた。
「……そうだな。お前がいてくれるだけで、私はまだ戦える」
(そりゃそーだよ。あーしがいなきゃ、胃潰瘍まっしぐらでしょ)
彼が再び書類に目を落とす。
その横で、あーしは毛をふるわせ、小さく体を丸め直す。
(……明日もまた、隣で見てるから。泣くのも笑うのも、全部ここで)
皇帝の膝の上、蝋燭の灯が静かに揺れる。
その光の中で、あーしの寝息と喉の音が、皇帝の孤独をそっと包み込んでいた。