オーバーロード~狼、ほのぼのファンタジーライフを目指して~ 作:ぶーく・ぶくぶく
/*/ だって猫だもの /*/
昼下がりの皇帝執務室。
ジルクニフが机に向かい、難しい顔で書類をめくっている。
その机の端には、金の瞳を細めて毛を膨らませた猫――ミリヤが、のんびりと前足を舐めて毛繕いしていた。
外から見れば、ただの飼い猫の日常。
だがその頭の奥では、静かな〈伝言〉回線がつながっている。
――そう言えばさ、ミリヤさんはこっちに来てどのくらいなんだ?
ジョンの声。
ミリヤは尻尾を揺らしながら、机の上の書類に目を走らせるふりをして答える。
「(……何百年、かな?)」
――なぜに疑問形。
「(だってさ、年数なんて数えてねーし。長ぇこと経った、としかわかんねーの)」
ジョンの溜め息混じりの声が返ってくる。
――……頭の中まで猫になってる。
ミリヤは前足でひげを撫で、金の瞳をすっと細めた。
「(そういうもんでしょ。朝寝て、昼ごろ起きて、腹減ったら食って……繰り返してたら、季節も世代も勝手に変わってんの。猫ってそういう生き物だからさ)」
――いや、妙に説得力あるな。
机に向かうジルクニフが、ふと視線を上げて猫を見やる。
ミリヤは「にゃ」と短く鳴いて首を傾げ、何食わぬ顔で愛嬌を振りまいた。
皇帝の目には、ただ可愛げを振りまく猫。
ジョンの耳には、長い年月を超えてなお「猫であり続けた者」の静かな声。
――なるほど。……だって猫だもの、か。
ミリヤは喉を鳴らしながら、机の上に顎を落とした。
「(そういうこと)」
ジルクニフが机に向かい、黙々と書類を裁いている。
その横で、金の瞳の猫がごろりと横たわり、尻尾だけを小さく揺らしている。
表向きは退屈そうな飼い猫。だが頭の奥では、静かな〈伝言〉が交わされていた。
――じゃあさ、冒険とかしてないの? 南の謎の都市とか、天空都市とか探したり……。
ジョンの声がわずかに弾んでいる。
ミリヤは前足で耳の後ろを掻きながら、淡々と返した。
「(してねーよ。一人じゃ危ねぇし)」
――……なるほどな。
少しの沈黙の後、ジョンの声が再び響く。
――じゃ、俺たちと冒険しないか。きっと楽しいよ。
ミリヤの耳がぴくりと動き、金の瞳がかすかに見開かれる。
長い時間を「ただ猫として」過ごし、誰からもそういう誘いを受けたことはなかった。
机の上で彼女はわざと大きく伸びをし、喉を鳴らす。
「(……駄犬の誘いって、怪しい匂いしかしねーんだよな)」
ジョンはくすっと笑う。
――怪しいかもしれねぇが、退屈はさせないぜ。
ミリヤは尻尾をふわりと揺らし、机に頬を落とした。
胸の奥では久しく感じたことのない「わくわく」が、静かに膨らみ始めている。
「(……少しだけ、考えてやってもいいけど)」
ジルクニフは何も知らず、膝の上に乗せた書類をめくり続けている。
だが机の端で眠る猫の心は、確かに「冒険」という言葉に揺れていた。
ジルクニフの執務室。
昼下がりの陽光を受けて、猫の毛並みが黄金色に輝く。
ミリヤは机の上で前足を丸め、退屈そうに尻尾を揺らしていた。
だがその頭の奥では――。
――あとな、うちの開拓村カルネ・ダーシュ村にもおいでよ。楽しいぞ。
人間とゴブリンとオーガとリザードマンとドワーフとエルフとトロール、アンデッドにゴーレムまで一緒に生活してんだ!
「(……なにそれ。詰め込み過ぎて胃もたれしそう)」
――いやいや、みんな仲良くやってるんだ。
朝になるとゴブリンが畑耕して、リザードマンが川で漁して、オーガが丸太担いでくる。
その横でドワーフは酒仕込んで、エルフは楽器鳴らしてて、トロールが大鍋でシチュー作ってる。
「(……“文化の衝突”って単語、辞書から消えた?)」
――アンデッドは夜通し石垣を積んでるし、ゴーレムは子供の遊び相手だ。
この前なんか、ゴーレム鬼ごっこで十連敗してたぞ。
「(……ちょっと見たい気もしてきたじゃん)」
――祭りになるとすごいぞ?
種族ごとに屋台が出るんだ。ゴブリンの串焼き屋台、リザードマンの干物市、ドワーフの酒樽即売会、エルフのサラダ屋台……。
で、オーガは丸ごと牛の丸焼き!
「(……胃袋の戦争、開戦)」
――トロールのシチューは十人前サイズだし、アンデッドは無言で皿を運んでくれる。便利だぞ。
「(……役割分担のカオス、厚盛りだね)」
――極めつけはゴーレムの踊りだ! 盆踊りみたいに腕をぐるんぐるん回して、足音で地面が揺れるんだぜ。
「(……それ、祭りっていうより地震速報)」
机の上で、ミリヤはごろりと転がり、腹を見せながら喉を鳴らした。
外から見れば「お気楽な猫」だが、頭の奥では思わず吹き出しそうになっている。
――どうだ? 楽しそうだろ?
「(……正直、ツッコミ疲れる村だわ)」
――でも一度来たら帰りたくなくなるぞ。保証する。
ミリヤは片目を細め、尻尾で机をとんとん叩いた。
「(……ほんとかよ)」
――ああ。だって、そこにいる全員が『居場所』を持ってるんだから。
猫の耳がぴくりと揺れる。
ほんの一瞬、胸の奥に温かいものが広がった。
ミリヤは「にゃあ」と気の抜けた声を出してごまかすと、机の上に丸くなる。
ジルクニフはそんな様子を見て、「気楽なやつだ」と呟き、また書類に目を戻した。
机の上で丸まっていたミリヤが、ふと尻尾を揺らす。
「(そういえば、あんた今なにしてんの?)」
――ん? 花嫁衣裳つくってる。
ミリヤの金の瞳がぱちりと開く。
「(……は?)」
――村の村長、エンリって言うんだけどな。結婚してだいぶ経つのに、式をあげてなかったんだ。
せっかくだから綺麗なドレス着せて、ちゃんと式を挙げてやろうと思って。
ミリヤはごろりと横になり、耳をぴくぴくさせる。
「(……駄犬にしちゃ、気ぃ利くじゃん)」
ジョンがくすっと笑う声が伝わってきた。
――既婚者だからな。
一瞬、ミリヤの耳が止まり、目がすっと細くなる。
「(……へぇ)」
尻尾が机をとん、とん、と軽く叩く。
そのリズムは退屈のそれではなく、どこか探るような、曖昧な揺れだった。
ジルクニフが視線を上げると、机の上の猫はただ気ままに喉を鳴らしているだけ。
だがその内側では、遠い昔の仲間の笑い声と、どこかで誰かを想って動く「駄犬」の姿に、妙な居心地の悪さと温かさが同居していた。
ジルクニフの執務机の上で、ミリヤは前足を折りたたんで香箱座り。
外から見れば、陽気に喉を鳴らすだけの飼い猫。
だがその奥では、〈伝言〉の回線が静かに響いている。
――既婚者だからな。
ジョンの冗談めいた声に、ミリヤの耳がかすかに揺れる。
一瞬の沈黙のあと、ぽつりと声が漏れた。
「(……その式、ちょっと覗いてみてーかも)」
自分でも驚くくらい自然に出た言葉だった。
――おう、いいぞ。村に来るなら大歓迎だ。
上手く抜け出してこいよ。
ミリヤの金の瞳が、じわりと細まる。
「(……簡単に言うじゃん)」
――猫の足なら、どんな檻からでも抜けられるだろ?
くすくすと笑う声が頭の奥で響く。
ミリヤはわざと大きなあくびをして、机に顎を落とした。
「(……気まぐれで行くかもだし、行かねーかも)」
――それでいいさ。猫だからな。
ジルクニフが何気なく視線を上げると、猫は机の上で眠そうに丸くなっていた。
だがその胸の奥では、久しく抱いたことのない「行ってみてー」という衝動が、静かに疼き始めていた。
――じゃあ、ジルをエ・ランテルとカルネ・ダーシュ村に招待するか。
名目は何が良いかな。
ジョンの声が軽やかに響く。
ミリヤの耳がぴくりと動き、金の瞳が細くなる。
「(……あんたね、気楽に言うけど皇帝は忙しいの)」
――いや、逆に休養の名目にすればいいんじゃないか?
“異種族共存の実例を視察”とか、“農業改革の調査”とか……それっぽい理由つけてさ。
「(……もっともらしいこと言ってるけど、実際は駄犬の思いつきでしょ)」
――まあな。でもほら、ジルもストレス溜まってそうだし。
たまには村でゴブリンに囲まれて宴会して、オーガに肩揉まれて、ドワーフの酒飲んで、エルフに歌ってもらえばいい気分転換だろ。
「(……それ、気分転換ってより混乱招くやつ)」
――でもトロールのシチューは絶品だぞ? 一口でジルも笑顔になるに違いない。
ミリヤは机の上でごろりと転がり、尻尾をぱたぱたさせた。
「(……ほんっとに連れてったら、帝国の官僚泣くと思う)」
――そん時ゃ、“猫のせい”にしとけばいいさ。
ミリヤの口から、思わず「にゃっ」と吹き出すような声が漏れた。
ジルクニフが怪訝そうに視線を向けるが、猫はただごろごろと喉を鳴らすばかりだった。
/*/ バハルス帝国・皇帝執務室 昼下がり /*/
机の上で丸くなって、紫がかった黒い毛並みをふくらませる猫――ミリヤ。
金の瞳でジルクニフの指先と書類の流れをじろっと追う。(……相変わらず忙しそうだし。ま、あーしは“置物”のフリしとくけどね)
ジョンが書類の束を片手に、ちょい肩に力入った顔で口を開く。
「ジル……いや、陛下。カルネ・ダーシュ村に、また視察に来ないか? 異種族共生の名目で……ついでに村長の結婚式もあるんだ」
ジルクニフはちらと机の上のあーしを一瞥、威厳そのままの声。
「……ふむ。異種族共生の“実態”を、我が目で確認せよ、か。興味深い。しかし、私の膨大な政務をその程度の理由で割くのは容易ではない」
(ほら来た。簡単に首なんて縦に振らないよね、うちの陛下。そこが好きでもあるけど)
ジョンは身を乗り出して笑みを混ぜる。
「帝国の視察としても建つし、何より楽しい。ジルも、きっと面白いと思うぜ」
「……“面白い”とな。帝の権威を誇示する見せつけではないのだな? ――よろしい。ならば同行しよう」
(お、折れた。やるじゃん駄犬。……いや、既婚の駄犬か。めでてぇこった)
あーしは、尻尾をひとなで揺らしながら金の瞳でジョンをちらり。(さて、どんな見世物になるのか……ちょっとワクワクすんじゃん)
ジョンが安堵の笑み。
「よし、決まり。カルネ・ダーシュで異種族共生の視察、そして村長の結婚式――ジル、楽しんでくれよ」
ジルクニフは威厳を崩さず、書類を抱え直す。
「“楽しむ”とは何か――それでもよい。私は帝として“調和”の実相を確認する。それが主目的だ」
窓からの光が、机上のあーしの毛並みに金の縁取りを落とす。(……よし。視察は確定。式も見れる。抜け道の算段は――ま、猫足なら何とかなるっしょ)
/*/ カルネ・ダーシュ村・臨時会議場 午前 /*/
広場に組んだ簡素な会議場。天蓋、長机、椅子――飾りは素朴、でも“混ざり合い”を主張してる。
ジルクニフは中央席。黒の外套に紫の縁取りが光をはね返し、否が応にも視線を集める。
やがて各国の顔がそろう。
ザナック国王は金色の鎧で堂々、ドラウディロンは人化の威圧感そのまま。法国のニグンは軽やかに笑み、ローブルのネイアは冷たい眼差しで全体を測る。
ジルクニフが低く響く声で口火を切る。
「よくぞ来た。此度の視察、我が帝国の“異種族共生”を、その目で確かめるがよい」
(視線の殴り合い、始まったね。王様同士の挨拶って、言葉より間合いが物を言うんだわ)
ジョンが肩をすくめて空気をほぐす。
「まあまあ、堅くなんな。今日は村長の結婚式もある。力抜いて見てってくれ」
けどジルクニフは揺れない。黄金の眼差し、一直線。
ザナックが小さく息を整え、ドラウディロンが背筋で威厳を返す。ニグンは口角だけで微笑み、ネイアは刃みたいな視線をジルに投げる。
ジルクニフ、机に手を置いて宣言。
「本日の視察は義務であり示威でもある。無益な対立は、ここでは一切許さぬ。――理解したな?」
各首脳が頷く。重みのある静寂。
ジョンが場を動かす。
「さ、行こう。畑も工房も、鍛冶場も市場も――“一緒に暮らす”ってのがどういうことか、じっくり見物してくれ」
会議場の隅。あーしは香箱座りで、尻尾をゆらり。(ゴブリンの畑、リザードマンの魚場、ドワーフの酒、エルフの歌……トロールの鍋、アンデッドの配膳、ゴーレムの盆踊り。――うん、祭りの匂い)
ジルクニフは書類を側近に渡し、一歩前へ。
「……よかろう。見せてもらおう。“人と亜人が交わる”という、その現実を。だが覚えておけ。我が目に映る一切は評価の俎上に載る」
風が旗と天幕を鳴らし、日差しが刃みたいに白い。
(さて――“混ざる強さ”と“混ざれない痛み”、どっちが勝つか。あーしの目は誤魔化せないよ?)
異種族共生視察、その幕が静かに、でも確実に上がった。